【ブラゴエフグラード(ブルガリア)IPS=マージ・エンサイン】
パレスチナのガザ地区やウクライナ、そして報道される機会が圧倒的に少ない世界各地の紛争地帯の先行きが混迷を深める中、荒廃から立ち直った国の驚くべきサクセスストーリーを思い起こすことは有益かもしれない。すなわち ルワンダの事例である。
ルワンダのツチ族に対する大量虐殺(ジェノサイド)は30年前の今週始まった。死者の数は、今日のガザよりも桁違いに多かった。50万人から100万人のルワンダ人が、3カ月足らずの間に虐殺され、集団墓地はいまだに発掘されている。
当時米国は、犠牲者を「戦争の犠牲者」とみなし、「ジェノサイド」という言葉を使うことを拒否した。死者の数が増えるのを傍観していたのだ。これは、今日のガザに関する米国の声明や行動と不穏な共通点がある。実際、米国は殺戮を止めようとする努力を妨害した。国連平和維持軍を排除しようとする動きを主導し、国連による増援の承認を阻止した。ルワンダの人々を運命に委ねる決断を下したようだった。
ジェノサイドの後、何が起こったかは誰も予想できなかった。1994年以降、ジェノサイドを生きのびた人々と攻撃に参加した人々の間の和解が成立した。平均寿命は2倍以上に伸びた。事実、今日ではルワンダの人口の実に98%が健康保険に加入している。
100万人のルワンダ国民が貧困から脱却した。ルワンダは現在、社会経済開発においてアフリカ大陸をリードする国となっている。また、ビジネスや投資のしやすさにおいて、最高位にランクされている。
また、ルワンダは、正義の追求、貧困との闘い、ジェンダーの平等と市民参加を促進するための自国の解決策をモデル化し、アフリカをリードしている。現在、国会では女性が多数を占めている。
これらすべては30年前には想像もできなかったことだ。それがなぜ起こったのか?
殺戮が止むと、ルワンダは正義を求め、新たな指導者にジェノサイド後の進展に対する責任を負わせるための創造的なビジョンと新たな方法を見出した。ルワンダのガカカ法廷(=正義を貫くと同時に、和解に向かうことを目的とした裁判。加害者には自分のしたことを認める機会が与えられ、被害者には自分の愛する人に何が起こったのかを知る機会が与えられる。)による修復的正義のアプローチは、紛争後の正義と和解プログラムとしては世界で最も野心的なものの一つであった。
10年間にわたり、100万人の容疑者がコミュニティベースの法廷で裁かれた。許しと包容力を育みながら戦争犯罪に立ち向かい、地域社会の癒しを可能にした。
ルワンダのイミヒゴ・システム(業績目標契約)は、植民地時代以前の文化的慣習に基づき、かつては高度に中央集権化されていた政府を、分権化された成果主義の統治モデルを用いて改革し、心に傷を負った人々が必要とするサービスを提供した。
地方と国の指導者は、定期的に政策の進展と影響を実証することが求められる。その結果、サービスへのアクセス、人間開発指標、地元の政治参加において、検証可能な改善が見られた。
ジェノサイド以降、ジェンダーの平等はルワンダの憲法と教育制度に組み込まれ、政治、経済、家庭生活を一変させた。今日、ルワンダの女性は先見性のあるリーダーである。大統領閣僚の半数、国会議員の61%が女性である。ルワンダの小学校への就学率は、女子を含めてほぼ全国一律となっている。革新的なIT教育と全国的なデジタルネットワークの普及により、ルワンダは教育進歩のモデルとなっている。
では、戦争と大量虐殺の混乱後の回復力と復興について、私たちはルワンダからどのような教訓を学ぶことができるのだろうか?
第一に、1994年の過ちを繰り返してはならない。米国と国際社会は虐殺を止めるために立ち上がり、食料と医療へのアクセスを確保しなければならない。
殺戮が止まれば、和解こそが再建への道である。中東の敵対勢力を和解させることが絶望的、あるいは不可能に思えるなら、ルワンダを見ればいい。100日間で100万人以上の少数民族ツチ族と、ジェノサイドに立ち向かったトワ族、フツ族がフツ族の民兵に殺害された。
「ルワンダの死者は、ホロコーストにおけるユダヤ人の死者の約3倍の割合で蓄積された。「広島と長崎の原爆投下以来、最も大規模な大量殺戮であった。」
しかしそれでも、敵対する者たちは最終的には一致団結した。それには並外れた政治的意志と、不可能を可能にする信念が必要だった。しかし、それは実現した。ルワンダの人々はともに、共通の問題に対する自国の解決策を考え、実行に移すことができた。
ジェンダー平等を重視し、被害者ではなく、先見性のあるリーダーとしての女性を重視したことも鍵である。調査によれば、女性の権利を促進し、教育や経済的機会へのアクセスを向上させている国は、そうでない国に比べて成長が速く、平和で、不平等や腐敗が少ない。
ルワンダには多くの課題が残されているが、現代において最も印象的な復活を遂げた。カガメ大統領に率いられた指導者たちは、憎しみと分裂、報復の政策を拒否し、灰の中から国を再建した。
このことは、ガザやウクライナ、その他の紛争に見舞われた国々にも可能性があるという希望と証拠を示している。大虐殺から30年後、ルワンダはそれが可能であることを証明している。(原文へ)
マーギー・エンサイン教授は、ブルガリアにあるアメリカン大学の学長であり、「ルワンダ:歴史と希望」の著者であり、「ルワンダにおけるジェノサイドに立ち向かう」の共同編集者である。
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
関連記事:
〈特別インタビュー〉 アフリカ・ルワンダ共和国 アーネスト・ルワムキョ駐日大使