【カトマンズNepali Times=ピンキ・スリス・ラナ・ダヌーサ】
ジャナクプルの南、インド国境近くにある村・フルガマでは、人口約4,500人のほとんどすべての世帯に、海外で働く息子がいる。
ネパールの20〜35歳の男性の約40%が、主にインド、湾岸諸国、マレーシアなどに出稼ぎに出ている。過去9カ月間だけで、741,297人が海外へと渡航しており、その多くがアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、カタール、マレーシア、クウェートに向かった。この数字には学生ビザで出国した者やインドへの渡航者は含まれていない。
彼らの多くが就くのは、「3Kジョブ(汚い・危険・きつい仕事)=英語では3Dジョブ」であり、さらにもう一つのD、すなわち「脱水(dehydrating)」のリスクもある。
湾岸諸国の灼熱の砂漠やマレーシアの高温多湿な熱帯ジャングルでの屋外労働、粗末な食事、脱水、不健康な生活習慣は、ネパール人労働者に腎不全のリスクをもたらしている。特にダヌシャ郡は、インドや他国への出稼ぎ者の割合が極めて高い地域のひとつだ。
腎臓専門医は、腎臓病を「沈黙の殺し屋」と呼ぶ。症状が現れたときにはすでに手遅れであることが多く、出稼ぎ労働者は慢性腎臓病(CKD)や末期腎不全(ESRD)に特に罹りやすい。
安価な労働力への需要が高まり、出国前の健康教育が不十分なまま出稼ぎに出ることが、移住労働をより危険なものにしている。カトマンズとダヌシャの病院および透析センターの調査によれば、出稼ぎから戻った男性の腎不全リスクは、同年代の一般のネパール人男性よりも高い傾向にある。
「この病気は特定の原因によるものではない、つまり特発性(idiopathic)です」と、国立腎臓センターのリシ・カフレ医師は説明する。「ですが、湾岸諸国に向かう出稼ぎ労働者をスクリーニングし、その3~4年後に末期腎不全を発症している実例を見れば、出稼ぎ労働が腎臓病のリスクを高めることは明らかです」
カフレ医師はさらに言う。「彼らは収入を最大化しようとして、極度の暑さのなかで長時間働き脱水状態になります。水や野菜よりも、コカ・コーラや肉を選ぶ人が多いのも一因です」
腎不全のリスクは帰国した出稼ぎ労働者において高いが、生活習慣病、糖尿病、未診断の高血圧などにより、世界的にも患者数は増加している。
現在、ネパール政府の「貧困市民基金(Bipanna Nagarik Kosh)」に登録されている腎臓病患者は28,266人。そのうち男性は17,044人、女性は11,222人である。昨年だけで、新たに9,176人が登録された。入院している腎臓病患者の多くは15歳〜65歳の年齢層に属する。
健康な人間の腎臓は、血液中の毒素や老廃物を濾過するが、腎不全患者は血液を定期的に人工透析機に通す必要がある。透析には3〜4時間かかり、腕の血管が次第に腫れてくる。
ネパール国内で慢性腎臓病(CKD)を患っている人は推定200万人、つまり全人口の約8%に相当する。糖尿病と高血圧の増加がこの病気の広がりを後押ししている。出稼ぎ労働者から政治家まで、幅広い層が腎臓疾患を抱えており、オリ首相自身も2度の腎臓移植を受けている。
週2回の透析を受けていても、食事や飲み物によって吐き気やむくみが出ることがある。透析回数を増やすには費用がかさみ、生活費補助も不十分で遅配される。
海外で働いたすべての人が腎臓病を発症するわけではない。しかし、腎臓専門医サイレンドラ・シャルマが主導する未発表の研究によれば、ネパールの腎臓病患者の4人に1人が出稼ぎ帰国者であり、繰り返される熱ストレスが主なリスク要因とされている。
ジャナクプルのマデス保健科学研究所では、103人の定期透析患者が通院しており、そのうち30人がダヌシャ、サルラヒ、シラハ、マホタリ、シンドゥリ出身の出稼ぎ帰国者である。
「病気の性質ではなく、広がり方を見れば、これはもはや“流行病”と言えるでしょう」とカフレ医師は語る。
過酷な労働がもたらした代償

マレーシアで10年間働いたジャグディシュ・サーさん(35)は、妹の結婚費用を工面するために借金を背負い、それを返すべく出稼ぎに出た。家が土壁の粗末な造りであることから、結婚相手として女性に何度も断られたという。
「女性にも期待があります。裕福な家庭に嫁ぎたいと思うのは当然で、私たちのような土の家に住む家庭は敬遠されるのです」とサーさんは話す。
マレーシアの縫製工場で働くことになった彼は、24歳で渡航。毎月最高でも3万5千ルピーの収入を得るため、しばしば12時間の残業にも応じた。昼食休憩は30分のみで、トイレ休憩も限られていたため、休まず働き続けたという。

2017年、一時帰国した際に視界がぼやけ、倒れるようになった。高血圧かと思っていたが、28歳で両方の腎臓が機能不全になっていると診断された。
「息子がマレーシアで貯めたお金は、すべてカトマンズでの治療費に消えました。土地まで売ったんです。」と母マントリヤ・デビさんは振り返る。
現在、ジャグディシュさんは週2回バイクでジャナクプルのマデス保健科学研究所に通い、無料の透析治療を受けている。家族は「マレーシアに行ったときの彼」と「戻ってきた彼」はまるで別人だと語る。

「この病気で私の人生は終わったも同然です。誰かを巻き込みたくない。」と、結婚をあきらめた理由を語るサーさん。「透析がなければ、生きていられなかったでしょう。」
彼の両親は高齢で付き添うことができず、サーさんが働けないため、父のラム・デブさんが移動式屋台でポップコーンを売って家計を支えている。
■ 腎臓病に倒れた若者たち
ミトゥ・クマールさん(25)はサウジアラビアで電気技師として働いていたが、嘔吐が続き現地の病院で慢性腎臓病と診断され、帰国した。現在はジャナクプルの「セーブ・ライブス・ホスピタル」で透析を受けながら、「もう一度働ける健康を取り戻したい。」と話す。
ウメシュ・クマール・ヤダブさんもサウジでガードマンとして勤務し、腎臓病を患って帰国。だが村の他の出稼ぎ経験者には同じ症状がないという。「これは不運な人間がかかる病気だ。他の人がみな同じなら納得するが…」と語る。
アンバル・バハドゥル・サルキさん(46)は、マレーシアのパーム油農園で働いていた。極度の高温多湿な環境下で高血圧になり、その後、両腎臓が機能不全となった。今では週2回、シンドゥリからジャナクプルまで3時間かけて通院している。
ダヌシャ出身のラム・ウドガル・マンダルさんは、20代後半から17年間サウジアラビアで運転手として働いていたが、4年前に末期腎不全と診断された。今、彼の息子がマレーシアで家計を支えている。「息子も自分と同じ道をたどるのではと心配だが、選択肢がない」と語る。
ダヌシャ出身のラリト・バランパキさん(28)は、ドバイの製錬所で夜勤と極度の暑さのなかで働いていたが、栄養失調と睡眠不足で体を壊し、腎不全となった。兄の家族と共にカトマンズで暮らしており、「金は稼いだかもしれないが、病気をもらって帰ってきただけだ」と悔しさを滲ませる。
スラジュ・タパ・マガルさん(30)はクウェートでアルミ建材の取り付けをしていた。夏は50℃以上、冬は極寒という過酷な気候の中で10時間働き、ある夜、吐血した。26歳で腎不全と診断された。透析通院費は借金に頼り、生活補助金の5,000ルピーも遅延して届かず、政府病院の薬も在庫切れが常態化している。「病気のせいで誰も雇ってくれない」と語る。
■ 公的支援と医療体制の限界
2016年、ネパール政府は貧困層向けに無料透析治療を開始。2018年には月5,000ルピーの生活補助も導入された。
理論上、国内107の病院で無料透析が受けられるはずだが、実際には腎臓専門医がいない施設も多い。政府が専門医の給与を支給しないため、透析機器のメンテナンスも行き届かない。
マデス州では、11の病院が無料透析を提供しているが、ジャナクプルの3つの病院を訪れたところ、いずれも専門医不在で、一般内科医や看護師が代わりに処置を行っていた。
「政府が適切な報酬を出さないので、腎臓専門医は私立病院にしかいません」とカフレ医師。
バグマティ州には無料透析病院が44カ所あり、8,000人以上の腎臓病患者を支えている。多くの患者が移住労働者であるため、結果として、豊かな国々の過酷な環境で腎臓を壊した人々の治療費を、ネパールの資源の乏しい医療制度が負担しているのが現状である。(原文へ)
INPS Japan/Nepali Times
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