【ヤンゴンIPS=ウィリアム・ウェブ】
約100年前、ラングーンに降り立った若きチリの詩人は、この街を「血と夢と金の街」「澱んだ通り」と描写した。当時大英帝国が統治していたビルマの首都とその主要港は、アジア旅行の中継地点として必見の場所だった。
1927年にパブロ・ネルーダが詠んだこの詩は、今日でも真実味を帯びている。現在はヤンゴンと呼ばれる500万を超えるこの都市には、快楽主義的な部分とディストピア的な部分、そして、3年前に権力を掌握した軍事政権の煽動と息苦しさの両方が混在している。
現実には、ミャンマーはもはや地図上以外にはまとまった国として存在していない。軍事政権を支持する勢力と反政府勢力が複雑に入り乱れる極めて残忍な紛争が3年間続いているが、ヤンゴンは依然として重要な商業の中心地であり、全国的な分断が止まらない中で比較的平穏ではあるが、深い悩みを抱えたバブルを経験している。
2021年2月にそれまでに2度選挙で選出されたアウン・サン・スー・チー政権をクーデターで打倒した国軍は、ミャンマーの大部分に対する支配力を失いつつある。主に中国とロシアによって武装された軍事政権側は、ミャンマーの中心地で、史上初めて圧倒的多数で国軍の将軍らに反旗を翻した国民を恐怖に陥れるために、航空優勢と大砲を駆使した弾圧を行っている。
しかし、戦闘はまだヤンゴンにまで及んでいない。ここでは軍が外貨を獲得しようと、外国人に観光ビザや商用ビザを発行している。
ヤンゴンのもう一つの 「現実」は、世界最貧国の一つにランクされているにもかかわらず、実際には100年前に詩人ネルーダが描いた血と金に溢れているということだ。特にメタンフェタミン、ケタミン、アヘン/ヘロインといった麻薬の生産と取引が拡大し、中国やタイとの国境沿いには人身売買の犠牲者が集まる広大なカジノ、売春宿、詐欺拠点があり、そこから数十億ドルが流れている。
軍事政権がこれらすべてを直接支配しているわけではないが、民兵、犯罪組織、一部の民族武装グループと同様、大きなシェアを占めている。
ヤンゴンに新たにオープンしたナイトクラブの外には、きらびやかな白いベントレーが停まっている。ここに足しげく通っている顧客は、西側諸国による制裁にもかかわらず、あるいは制裁のおかげで商売が繁盛しているヤンゴンのエリート「取り巻き」たちだ。豪華なバーの店内では、スマートな服装、なかには派手な服装をした若者たちが、高価な洋酒やトリュフ風味のフライドポテトを注文している。
ある慈善団体の職員は、「ここは狂気が支配しています。近くを歩くとロールスロイスやフェラーリ、ブガッティといった高級車が駐車しています。そのような仰々しい富が溢れている一方で、看護師一人を探すのにも苦労しています。」と語った。
別の場所では、ビルマのテクノロックのブーンブーンという音と、ナイトクラブ「レビテート」のストロボライトが、踊り狂う大衆の間の会話をかき消している。ある常連が言うように、ここでは「エクスタシー、ケタミン、コカインの選択肢」がある。壁には、「FUCK THEM WE SLAY(やつらをやっつけろ)」というネオンサインがぼんやりと光っていた。
さらに視線を移すと、ヤンゴンでおなじみの野外の「ビアステーション」も繁盛している。抵抗勢力の支持者たちは、国軍の地場複合企業(コングロマリット)が所有するかつての人気ブランド、ミャンマー・ビールのボイコットという立場をとっているが、より高価な代替品も存在する。
そして、物乞いの数も増えている。特に子どもたちは、渋滞をすり抜けて、開いた車の窓から手を突っ込んだり、陸橋の日陰で母親と身を寄せ合ったりしている。
国軍によるクーデターから3周年となる2月1日、抵抗勢力は「沈黙のストライキ」を呼びかけ、平和的な抗議のために路上から離れるよう促した。ヤンゴンでは、昨年よりも参加者は減少している。
「人々は疲れて果てていて、ただ自分たちの生活を続けたいだけなのです。」と、ある長年のオブザーバーはコメントした。
これが核心だ。日常は続いているが、それはビルマ人の軍事政権への反発が弱まったことを意味しない。2021年に軍が街頭デモを大量逮捕と実弾で鎮圧したときのように、アウン・サン・スー・チー女史は獄中から抜け出せず、来年80歳を迎えるが、依然として人気は高い。
しかし、あるビジネスマンが言ったように、「今、事態は崩壊しつつあり、軍政権は行き詰まっているという強い感覚がある」としても、人々は軍の崩壊が間近に迫っているという野党の宣言に対する信頼を失いつつあるようだ。
ヤンゴンの住民の中には、遠く離れた地方で若いレジスタンスらが戦死し、紛争地域の一般市民が村や学校、寺院で爆撃を受けている一方で、自分たちは比較的裕福に暮らしているという罪悪感に嫌気がさしている者もいる。
多くの人々が国外に脱出しようとしている。合法的にパスポートを取得したり、危険を冒してジャングルを抜けてタイに向かったり、少数民族として迫害されているイスラム教徒のロヒンギャのように海路で密航したりしている。ヤンゴンでは日本語を勉強するのが突然流行りだした。
昼間のヤンゴンの街は、ほとんどの場所に軍隊が駐留することもなく、ごく普通に見えるが、夜になると一変する。私服警察が身分証明書の提示を要求し、携帯電話を調べる。不審な銀行への支払いは、おそらく野党へのものだろうが、逮捕や賄賂要求の対象となる。
クーデター後のパンデミック封鎖で経営が破綻したイェさんは、多くの人がそうであったように、しばらく休学させていた子供たちを公立学校に戻した。しかし子供たちは母親とは長い間会えないだろう。なぜなら母親は介護福祉士として海外に出稼ぎに出ているからだ。
多くの家族と同様、イェさん一家は生活費、特に食費の高騰に頭を悩ませている。毎日の停電は、予定されていることもあるが、そうでないことも多く、モンスーン前の猛暑のなかでの生活はほとんど耐え難い。人々は巨大なディーゼル発電機で動くショッピングモールの冷房の効いた涼しさに引き寄せられる。
それでもヤンゴンの活気は抑えがたい。アーティストたちは再び展覧会を開催している(物議を醸すようなテーマは避けている)。チャイナタウンは旧正月を前に買い物客で賑わい、幸運と繁栄、そして権力の象徴であるドラゴンが街を彩っている。(原文へ)
ウィリアム・ウェッブは、50年前からアジアに魅せられた旅行作家である。
INPS Japan/IPS UN Bureau
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