INPS Japan/ IPS UN Bureau Report|視点|記憶から政策へ(作家・エッセイイスト)

|視点|記憶から政策へ(作家・エッセイイスト)

【ウィーンIPS=ロベルト・ミジック】

中東で血の惨劇が起きているのに、世界は不条理な議論に巻き込まれている。マルクスの言葉(「歴史は最初は悲劇として現れるが、次には茶番としてとして現れる」)を借りれば、「ここでは悲劇、そこでは茶番」と言いたくなる。ドイツ語圏、特にドイツはイスラエル寄りの立場をとっているが、他の社会では同じように怪しげな反イスラエルの立場が優勢である。

10月初め、ハマスと他のイスラム主義グループはガザ地区からイスラエルに攻撃を開始しただけでなく、残酷な大虐殺を行った。1200人以上が殺され、そのほとんどが民間人で、平和活動家を含む音楽フェスティバルに参加していた若者たちだった。

そこではおぞましい戦争犯罪が行われたのであり、ハマスが主張する「正当なる抵抗運動」に伴う「巻き添え被害」として正当化することはできない。また、共感を排除し、流血行為を正当化するイスラム過激派の狂信的イデオロギーも決して無視することはできない。

しかし、少なくとも75年にわたる紛争の血なまぐさい歴史と、ベンヤミン・ネタニヤフ首相が率いる急進右派政権による占領政策、並びに無責任なエスカレーション戦略を背景に、ハマスによる攻撃はパレスチナ住民の多くの賛同を得た。ファタハとパレスチナ自治政府は何年も弱体化しており、支持率は低下している。

権利と義務

Map of Israel
Map of Israel

イスラエル政府は大規模な軍事行動と報復攻撃で対抗した。これは一方では予想されたことであり、世界のどの国もこのような攻撃に対して反応しなかったはずはない。しかし他方で、戦争は直ちに恐ろしい形でエスカレートし、これも残念ながら予想されたことであった。ガザ地区では現在、約2万7000人が命を落としている。イスラエル軍の砲撃により家族が全滅したケースもあった。

国際法上、イスラエルにはこのような攻撃に対応する権利があるが、すべての国には「相応の」行動をとる義務もある。脅威との関係において、あるいは定義された正当な戦争目的との関係において、何が「相応」であるかは、複雑な法的議論である。

しかし、たとえ「テロリスト」組織との戦いであっても、何万人もの民間人の犠牲を肩をすくめて受け入れることが正当化されるはずがないことは、ほぼ議論の余地がない。そして、文字通りガザ地区を破壊し、民間人の生活や食糧供給、医療制度を破壊する過剰な武力行使は、それ自体が戦争犯罪である。

端的に言えば、ハマスによる獣のような戦争犯罪に対して、イスラエルは戦争犯罪で応戦したのだ。そして、イスラエル政府の主要メンバーが、宗教戦争用語から、集団追放や「民族浄化」の下劣な空想まで、ひどいレトリックを駆使していることが、この問題をさらに悪化させている。

紛争の歴史が何十年もの間、双方に相手を加害者と見なし、自国側を被害者としか見なさない論拠を提供してきたように、ここ数カ月も同様である。パレスチナの人々はハマスの行動を抑圧に対する正当な反応と見なし、イスラエルの人々は過剰な(そして犯罪的な)軍事行動をテロに対する正当な反応と見なしている。

しかし、それこそが問題の本質なのだ。白黒をはっきりさせようとする人たちは、この紛争の複雑さを理解していない。ヨルダン川西岸地区では、右翼過激派のユダヤ人入植者や軍のメンバーによる恐ろしいポグロム(計画的な殺戮)があり、パレスチナ人の暴力的な追放や土地の収用がある。一方で、パレスチナ人民兵による、言語に絶する残酷な暴力行為もある。

しかし、世界はますますファンやフォロワーの声高なサポーター集団に分類されつつある。多くの社会では、これは明らかに自国の歴史とアイデンティティに関わることだ。より正確に言えば、複雑な現実が、国内の政治的な記憶という見かけの諸要件に適合させられているのだ。

操作戦略

ドイツとオーストリアは、明らかにイスラエル寄りの立場をとっている。それは両国にはナチス政権下でヨーロッパのユダヤ人に対するショア(ユダヤ人大虐殺)へとエスカレートした大量虐殺的反ユダヤ主義が席巻した歴史があるからだ。

Angela Merkel, Chancellor of the Federal Republic of Germany, chairperson of the CDU. /Armin Linnartz
Angela Merkel, Chancellor of the Federal Republic of Germany, chairperson of the CDU. /Armin Linnartz

アンゲラ・メルケル前首相は、イスラエルをドイツ国家の重要な要素であると宣言した。だからこそドイツでは、反ユダヤ主義やユダヤ人に対する脅威に対して強い感受性があり、すべてのユダヤ人にとって安全な「家」としてのイスラエル国家のアイデンティティが支持されているのである。

ドイツとオーストリアの極右勢力が今日のイスラエルを支持しているのは、一方ではイスラエルの敵が(現代のユダヤ人以上に彼らが憎んでいる)イスラム教徒だからであり、他方ではそれが「ナチス」であるという非難から自らを免れる最善の方法だからである。

加えて、イスラエルの右派、とりわけベンヤミン・ネタニヤフ首相と与党リクード党は、海外のユダヤ系右派ロビー団体と連携して、イスラエルの政策に対するほとんどすべての批判を「反ユダヤ的」として非難し、道徳的に排除しようとここ数十年努めてきた。

ドイツ語圏をはじめ、罪の意識が非常に強い一部の社会では、この工作戦略は功を奏している。誰も、道徳的に非難されるべき意見を持つ人間、つまり反ユダヤ主義者だと疑われるような目に自分を晒したくはないのだ。

ベルリン・アインシュタイン・センターのディレクターを務めるユダヤ・ドイツ系アメリカ人の知識人、スーザン・ニーマン氏は最近、『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌にエッセイを寄稿し、「ヒステリー」の特徴を帯びた「哲学的マッカーシズム」について言及した。

「ユダヤ人でないドイツ人が、ユダヤ人の作家、芸術家、活動家を反ユダヤ主義だと公然と非難する」までに事態は進んでいた。かつてジョセフ・マッカーシー上院議員が率いた戦後初期の『反米主義』糾弾キャンペーンのように、反対意見は封殺される。

極端な場合、これは奇妙な結果をもたらした。最も多様な意見を持つ大勢の人々が意見を交換するはずの会議が禁止されたのだ。ドイツのカッセル市では、インド人の美術評論家兼キュレーターが、「10月7日にハマスが放ったテロ」を「ひどい虐殺」と明確に非難したにもかかわらず、数年前にイスラエル・ボイコット請願書に署名していたことを理由に職を失った。

ベルリン市のある劇場は、オーストリア系イスラエル人の劇作家ヤエル・ローネン氏による、イスラエル系、パレスチナ系、シリア系の住民に加えて、東欧からの難民が共存するベルリン市の現在をコミカルに描いた戯曲『あの状況』をプログラムから外した。

イスラエルは、社会的意識の高まり(=Wokeness. 一部の人々が「過剰に正しい」と見なされる行動や、対話よりも非難を優先する傾向があるとして、「wokeness」が過度に政治化され、分断を招く原因になっているとの批判もある)」や他の類似テーマと同様、文化戦争における「引き金」となっている。批評家のハノ・ローテンベルク氏は最近、ハンブルクの週刊誌『ディ・ツァイト』に寄稿した論文の中で、イスラエルに関するドイツでの議論について「この文化戦争の特質は……何としてでも相手を誤解させようとしている点だ。たった一言でも言い間違えれば、あるいはたった一言でも言いそびれれば、あなたは言論的に断罪されると脅迫されるのだ。」と述べている。

イスラエルの特定の政策に対して、単なる反ユダヤ主義的なニュアンス以上の批判があることは間違いないが、ほとんどの場合、この批判は現実離れしている。その結果、ドイツの世論は奇妙なことに、イスラエル国内の世論そのものよりもずっと『親イスラエル』的になっている。

善と悪、抑圧者と被抑圧者

ドイツ語圏における言説に一方的なものがあるとすれば、それはトルコ、イラン、ヨルダン、インドネシアといったイスラム諸国やアラブ諸国だけでなく、世界の他の地域にも確かに存在する。

米国や英国、その他の社会では、一般市民や左派の学識経験者のかなりの部分が、自分たちの一方的な考えを助長している。イスラエルとパレスチナの紛争は、帝国主義や植民地主義というカテゴリーで説明されるが、それはほとんど当てはまらない。

「ポストコロニアル」左派の中には非常に刺激的で生産的な新しい知的地平を切り開く理論も見受けられるが、それを先鋭化させ、複雑な問題を極端な善悪の二元論で単純化してしまっている。世界は抑圧する側と抑圧される側に分けられ、この単純思考の世界観では、「抑圧される側」として認識される側が常に正しいことになっている。これによれば、抑圧者は被抑圧者の経験を理解することさえできないのだから、常に被抑圧者が正しいと証明されなければならない。

この世界観からは、パレスチナ人は黒人/「有色人種」であり、ユダヤ人は白人であり、イスラエルは「アメリカ帝国主義」の象徴ということになる。ハマスのすることすべてが正しいとは思えないとしても、抑圧体制に対する被抑圧者の抵抗の真の表現として、それはより高次の意味で「正しい」ということになってしまう。一方、イスラエルは『入植者植民地主義』のプロジェクトであるとみなされる。

この視点に立てば、自由な討論という考え方は支配権力を支えるためだけに生み出された「ブルジョア・イデオロギー」であるため、反対意見は委縮させられ、必要であれば罵倒されるべきものとなる、 なぜなら、何が「言える」とされ、何が「言えない」とされるかは、権力の影響にすぎないからである。

ドイツと同様、イスラエルへの批判は「反ユダヤ主義」のレッテルを貼られ、道徳的に非難される、従って、イスラエルの生存権を擁護することは、「人種差別」の表現として排除されるのだ。

このような独断専行の中で、世界中が狂ってしまったかのような印象を受ける。ドイツがイスラエルを無条件に支持する背景には、絶滅主義的反ユダヤ主義が猛威を振るった自国の歴史に対する罪悪感があるが、米国や英国などの言説もまた、人種差別、先住民の大量虐殺、黒人の奴隷化、帝国主義的搾取、植民地的抑圧と搾取といった自国の歴史に対する罪悪感に特徴づけられている。ここでは現実の断片は恣意的に利用され、自分自身の記憶の政治学に押し込められる。

たいていの場合、このようなことは、現実のパレスチナ人や現実のイスラエル人とはあまり関係がなく、自分が何者であり、何者でありたいか、つまり、世界とその中の自分自身をどのように見たいかということである。反ユダヤ主義、あるいは人種差別や植民地主義に反対する英雄的な闘士を装う一方で、現実の外的な環境はせいぜい、こうした自己を見せるための小道具に過ぎない。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

ロベルト・ミシック、作家、エッセイスト。『Die Zeit』『Die Tageszeitung』など多くのドイツ語新聞や雑誌に寄稿。

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