【ベロホリゾンテ(ブラジル)IDN=セルジオ・ドゥアルテ】
78年前、第二次世界大戦が終わろうとしていた頃、国際社会のかなりの部分を占めるリーダーとして台頭した主要国間の武力衝突の恐怖は、2つのライバルが核戦力を開発するにつれて高まり始めた。
私たちがすでに知っているように、その後起こったことは、「冷戦」として知られるようになった、直接的な軍事衝突を伴わない政治的・イデオロギー的対立が長くつづく時代であった。しかし、世界のいくつかの地域では、政治的影響力をめぐる両者の争いが、多くの死傷者と高い経済的・社会的コストを伴ういくつかの局地的な通常戦争を引き起こした。
第二次世界大戦の主要な戦勝国は、彼らの間の不安定な関係を律することを可能にする規範や制度を確立しようと試みた。平和と安全を維持することに基本的な責任をもつ国連安全保障理事会の構成と権限に関する合意は、この点で根本的なものであった。この5カ国はそれぞれ常任理事国の地位を与えられ、自国の利益に反するいかなる決定も阻止する権限を与えられた。
この構造を変更するには、5カ国すべての同意が必要となり、その結果、安保理5カ国の特権的地位が確立された。「戦争の惨禍のない世界」の建設に参加するには、国際社会のその他の国々は権利と責任の非対称的な分割と、国家間関係の規律に関してこれら大国の持つ優越に合意せねばならなかった。
1946年1月の第1回国連総会には、国際関係に劇的に変化させ、人類全体の利益のために平和的核協力の新時代を切り開く可能性のある決定を下すチャンスに恵まれた。広島・長崎への原爆投下の恐怖も覚めやらぬ中、国連総会は全会一致で決議第1号を採択し、特に原爆廃絶のための提案を行うことを任務とする委員会を設置した。
しかし、米ソ間の不信と対立によって、この取り組みの進展は妨げられ、委員会はその任務を果たさないまま1948年に解散した。国際機関はその代わりに、核不拡散と軍備管理に関する部分的な措置を協議する機関に生まれ変わった。それ以降、「核兵器廃絶」という当初の目標は遠いものとなった。
世界はこれまでのところ核の脅威を生き延びてきた
とはいえ、世界は核の脅威をこれまでのところは生き延びてきた。おそらくは、技術や偶然、「神の手」の複合的な要因によるものであろう。非常に深刻な危機的状況に陥ったときでさえ、主要国間の核戦争は回避されてきた。しかしそれもこれまでの話だ。長きにわたって、ライバルたちは自らの安全を強化することを目的とした協定を互いに結び、世界の権力均衡を規制するいくつかの約束事を決めてきた。深い不信感にもかかわらず、両国間の意思疎通のチャンネルは常に開かれ、実際の軍事衝突を回避するための協定締結を促進するうえで役に立ってきた。
「核時代」の最初の50年に結ばれてきた協定の中には、軍事力の規模と配備箇所について折々に取り決めてきたものや、信頼を構築し強化するメカニズムを確立してきたものがある。最も関連があるのが、1975年の「欧州における安全と協力に関するヘルシンキ会議の最終協定」から生まれてきたもの(とりわけ全欧安全保障協力会議の略語CSCEとして知られるもの)であり、米国とソ連(のちのロシア)間における戦略兵器制限交渉(SALT)やモスクワ条約 (SORT)、戦略兵器削減条約(START)などの核軍備に関連する条約、中距離核ミサイルに関する全廃条約(INF条約)、対ミサイル防衛システム(ABM)制限条約、相互の監視に関する「オープンスカイ」条約が挙げられる。
この文脈で特筆すべきは、1962年のキューバ・ミサイル危機の解決に由来する理解である。これによって、「赤い電話」として知られることになるクレムリンとホワイトハウスをつなぐ先駆的な直接連絡手段が確立された。
2010年の新STARTを除けば、上記で挙げた条約のうち現在も効力を持っているものは一つもない。米国とロシアは合意された制限までそれぞれの核戦力を減らしてきたことが知られているが、2021年に両国の大統領は、同条約を2026年まで延長し、「戦略的安定に関する統合的な二国間対話を近い将来に開始」し、それを通じて「将来の軍備管理とリスク低減措置に向けた基礎作業を行うことを目指す」との決定を共同で発表した。両国の指導者はまた、「核戦争に勝者はおらず、決して戦われてはならない」とのレーガン・ゴルバチョフの1987年の金言を再確認した。それ以来、この大国間の意味のあるコミュニケーションと建設的な公的対話は停止してしまったようだ。
今までのところ、これらの表向きの意図をフォローする実際的な動きは出てきていない。核保有国4カ国が関わるウクライナでの戦争は、予見しうる将来において何らかの進展を見せる気配はない。他方で、核兵器を保有する9カ国のすべては、核戦力のさらなる増強に向けて相当の技術的・経済的資源を投じてきている。
NPTは依然として効力を持っている
多国間の領域では、冷戦時代に締結され、現在も効力を持ち続けている最も重要な文書は、核兵器不拡散条約(NPT)である。これは、他国が核兵器を開発することを予防し、自らが核兵器を排他的に保有する権利を同時に確保する目的をもって、核保有国が推進したものである。4カ国以外の国々は、核軍拡競争を終結させ核軍縮を実現するとの約束と引き換えに、核兵器という選択肢を放棄することに合意した。
この時期に採択され依然として効力を持っている他の多国間協定は、南極条約(1961年)や宇宙条約(1967年)、海底非核化条約(1972年)のように、核兵器がすでに存在していなかった場所や環境において核兵器を禁止することによって核不拡散に対処することが基本的な目的であった。1963年、ロシアと米国は協議の末、核爆発実験を大気圏と水中で禁止する条約(PTBT)を締結し、その33年後、環境中におけるすべての核爆発を禁ずる包括的核実験禁止条約(CTBT)が締結された。
CTBTは、条約締結国が多いにも関わらず、条約14条に言及された特定国の署名・批准が済んでいないために未だに発効していない。ロシアは最近CTBTの批准を取り消した。条約未批准国である米国と中国が地下核実験再開を検討しているというのがその理由だ。
核軍縮追求における重要な成果を達成するための進展は遅く、ばらつきがある。多国間協定の結果として廃棄あるいは解体された核兵器はこれまでのところ存在しない。114カ国に及ぶ非核兵器地帯の締約国は、関連条約に付属する議定書に署名した5つの核兵器保有国に対して、非核兵器地帯への核兵器持ち込みに関する法解釈を撤回するよう要求したが、成功していない。NPTの多くの締約国は、核兵器国は条約上の義務を果たしていないと感じている。
定期的に開かれるNPT再検討会議で意味のあるコンセンサスに到達することがますます難しくなり、NPTの実効性への信頼が揺らいでいる。このような状況に加え、核兵器が爆発すれば壊滅的な影響を受けるという認識が強まったことで、核兵器廃絶につながる核兵器禁止条約の交渉が始まった。
2017年に採択され英語の略語「TPNW」で知られるこの条約にはすでに署名国が98カ国ある(うち29カ国は依然として国内の批准手続きを済ませる必要がある)。TPNWは2021年に発効するが、発効以来、核兵器保有国とその同盟国の一部による激しい反対運動の対象となってきた。これらの国は、TPNWは「逆効果」であるとみなし、自らが望ましいと考える限り核戦力を保有し続けたいとの意図を明確にしている。
冷戦がより危険な兆候をもって再燃か
ここまで述べてきた状況は、核兵器の領域における合意やルールの形成はますます論争含みのものになっていることを示している。同時に、この数十年を通じて作られてきた制度や取決めに対する信頼性が低下してきている。国際条約において大国が負っている義務が果たされていないとの見方が強まっている。核兵器数の全体の規模は小さくなってきているが、よりステルス性は強まり、より高速化し、より危険な核兵器が開発されて既存の核戦力に追加され、まさに技術拡散が進展する状況が生まれている。
冷戦の残滓である対立感情が、より複雑で憂慮すべき特徴を伴って再び出現している。阻止された願望、不平等の永続化、相反する優先順位が、大国間の影響力と覇権をめぐる対立につながってきた。この対立は、人類滅亡の引き金となりかねない紛争へと人類を引きずり込むかもしれない。
現在の時代に垂れ込める核のリスクを認識することは、核軍縮に関する前向きな理解の新時代を切り開く決意を再活性化させるはずである。いくつかのレベルで大国間の接触を再開することが肝要であり、すべての国の安全保障に関連する将来の取り決めへの幅広い参加を確保することも求められる。
この点で、軍縮に関する新たな国連特別総会を開催する必要性はますます明らかになっている。1978年、初の国連軍縮特別総会(SSOD-I)が、重要な診断と勧告を盛り込み、軍縮・軍備管理・核不拡散に関するバランスの取れた文書を採択した。SSOD-Iはまた、この分野における国連の機構も再編した。
軍縮に関する新たな国連特別総会は、こうした知見や制度を更新し、国際社会全体にとって極めて重要な関心事である問題を多国間で扱うことの活性化に貢献する上で、決定的な意味を持つだろう。(原文へ)
INPS Japan
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