SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)助けられるなら、助けよう。―ウクライナ人支援に立ちあがったイスラエル人ボランティアたち(4)マリーナ・クリソフ(Studio 3/4共同経営者)

助けられるなら、助けよう。―ウクライナ人支援に立ちあがったイスラエル人ボランティアたち(4)マリーナ・クリソフ(Studio 3/4共同経営者)

【エルサレムNGE/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】

*NEG=ノーヴァヤ・ガゼータ・ヨーロッパ

ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ
ロマン・ヤヌシェフスキー by РОМАН ЯНУШЕВСКИЙ

イスラエルはロシアとウクライナに対して中立を維持しようと懸命に努力してきたが、対ロシアの関係が急激に悪化したのは必然であった。それを助長したのは、「ヒトラーにもユダヤの血が流れていた」を主張したセルゲイ・ラブロフ外相のスキャンダラスなインタビューと、その後の鋭い言葉の応酬であり、最後はウラジーミル・プーチン大統領がイスラエルのナフタリ・ベネット首相に自ら謝罪することになった。

一方、一般のイスラエル人には、政府が直面していたような難しいジレンマはなかった。国民の大多数は、最初から一方的な軍事侵攻にさらされたウクライナを支持していた。

さらにロシアが主張する残忍な「特別軍事作戦」は、イスラエルに新しい現象を生み出した。ロシア語を話す人々だけでなく、多数のイスラエル人が、ウクライナ人の苦しみを目の当たりにして、彼らを助けなければならないと痛感したのである。その結果、多くの公的な取り組みやボランティアプロジェクト、人道的な支援金集めが自然発生的に始動することとなった。中には、それまでボランティア活動をしたことがなかった人々が組織したものも少なくない。ロマン・ヤヌシェフスキーが、こうした支援活動に参画した人々の内、8人に話を聞いた。(今回は4人目の取材内容を掲載します)

ロマン・ヤヌコフスキー:マリーナ・クリソフさんはキーウ出身の38歳。1991年からイスラエルに暮らしており、現在はテルアビブに在住。ノンフォーマル教育の分野で、NGOのプロジェクトをはじめ、コミュニティや危険に晒されている子供達との活動に携わってきました。この12年間は、特別なニーズを持つ子ども達を対象としたインクルーシブ教育の分野で活動しています。テルアビブにある「特別な」子供とその両親のための包括的なクリエイティブスタジオ「Studio 3/4」の共同経営者でもあります。現在従事しているウクライナ人を支援する活動について聞かせてください。

マリーナ・クリソフ:ちょっと怖そうに聞こえますが、私にはこのままでは戦争が起きるという漠然とした予感がありました。進攻が始まる1カ月前にウクライナにいた私は、すべてが悪い方向に向かっているという不安を抱きながらイスラエルに戻りました。2月12日、私はキーウで特別なニーズを持つ子供を抱える知り合いの家族に、街を離れるよう働きかける活動を始めました。彼らに、イスラエルか、或いはツテがあるウクライナ西部のカルパチア山脈のある場所に招待したいと申し出たのです。しかし、反応は遅く18日になると、私はより強く脱出を勧めるようになりました。そして22日からは、連日深夜を過ぎてもウクライナ情勢を伝えるニュースを追いながら返事を待っていました。進攻が始まった日(2月24日)は、朝の4時に寝ましたが、6時半に「是非脱出したい」というキーウから電話で起こされました。

この電話を受けてその日の夜には空路現地入りすることにしました。彼らをキーウからウクライナ西部の国境まで避難させるために、何らかの体制を整えなければならない。私の知人には、特別なニーズを持つ子供を抱えた人たちがたくさんおり、こうした子供達には特別なサポートが必要になるだろうと考えていました。

特別なニーズを持つ子どもたち、特に自閉症の子どもたちについて語る場合、重要なニュアンスがあります。彼らは感覚的に特殊なところがあります。騒音や匂いや 動きに対して敏感すぎる子どもが多いのです。何時間もかけて移動し、キャンプ場では大勢の人と一緒に過ごさざるを得ないので、最初のうちはとりわけ大変です。全員がそれに対応できるわけではありません。またこうした 子供たちは様々な行動をとることがあります。みんなが同じ場所にいる必要があるとき、その子たちにとっては特に恐怖を感じるものです。なかには家から出られない子もいるし、ルートを変えられない子もいます。

戦火を逃れて移動することは誰にとっても大変なことですが、特別なニーズを持つ子供を連れての逃避行は、とりわけ様々な困難を伴うことが想像に難くありませんでした。

当初は明確な計画があったわけではありません。ところがイスラエルを出発する日、私のウクライナ行きを伝えていたイゴール・ベレゴフスキーから突然連絡があり、同じ飛行機で同行してくれると申し出てくれました。また、私の友人で、今では親友となった夫婦が、フェイスブックで「ワルシャワにいるから手伝うよ」と書き込んできたのです。こうして彼らと、避難する家族を支援する具体的なシステム作りを始めました。

Photo: Thousands of Ukrainians seek safety in neighbouring Poland. © WFP/Marco Frattini
Photo: Thousands of Ukrainians seek safety in neighbouring Poland. © WFP/Marco Frattini

その結果、個々の家族のニーズに応じて、まずは避難経路、給油地、移動経路の他にできるだけ安全で安心できるように、途中1・2泊できる中継地を確保、さらに国境を超える場合はどの国境を超えるのが最も適切か、越境後に最初に宿泊する場所をどこにするか、その次の具体的なステップはどうするかなど、具体的な避難システムを構築していきました。

一部の家族については知人の紹介でウクライナ国外に移住させました。20家族と共に徐々に西に移動し、ポーランドを経由して、今はドイツ東部のニースキーという街に受け入れて頂いています。ここには約60人が集まっています。現在、ここで特別なニーズを持つ子どもを持つ家族のためのコミュニティセンターを組織しています。全員をきちんとケアする必要があるため、ここには今のところ20家族(60人)しかいません。もちろん、もっと参加したいご家族もあるだろうから、受入体制を整えていきたいと思っています。

また、リモートで問い合わせてくる特別なニーズを持つ子どもがいるご家族に対しても、情報提供とアドバイスを積極的に行っています。

Russian bombing of Mariupol in March 2022/By Mvs.gov.ua, CC BY 4.0
Russian bombing of Mariupol in March 2022/By Mvs.gov.ua, CC BY 4.0

ニ―スキーではキャサリン・ウールマン町長には大変お世話になっています。彼女は、言葉だけでなく、町民と共にウクライナ難民を組織的に受入れるうえで、真摯な支援の手を差し伸べてくださっています。これには本当に助かっています。このプロジェクトはいつ終わるか分かりませんが、長くなることを覚悟する必要があります。例えば、マリウポリからの4家族とハルキウからの1家族はロシア軍に家を破壊されており、戦争が終わっても、帰る場所がない家族もいるのです。

このプロジェクトには、イスラエル人のみならず、イギリス人、ドイツ人、ロシア語を話す人々など、様々な国籍のボランティア、団体、個人の方々に協力をいただいています。

この戦争を見ていて思うことは、結局は人々の互いに対する態度が折り重なって様々な出来事が起こっているのだと思います。つまりは組織の問題ではなく、突き詰めれば人と人との関わりの問題だと思います。この活動に従事してきて、多くの素晴らしい人々に出会いました。こうした人々の善意と支援がこのボランティア活動を支える最も大きな強みになっていると確信しています。(原文へ

関連記事:

シェイク・ゴールドスタイン(「ミスダロン〈回廊〉」創立者)

ダフネ・シャロン=マクシーモヴァ博士、「犬の抱き人形『ヒブッキー(=抱っこ)』を使った心のケアプロジェクト」

スタス・マネヴィッチ(イスラエル・フォー・ウクライナ設立メンバー)

最新情報

中央アジア地域会議(カザフスタン)

アジア太平洋女性連盟(FAWA)日本大会

2026年NPT運用検討会議第1回準備委員会 

「G7広島サミットにおける安全保障と持続可能性の推進」国際会議

パートナー

client-image
client-image
IDN Logo
client-image
client-image
client-image
Toda Peace Institute
IPS Logo
Kazinform

書籍紹介

client-image
client-image
seijikanojoken