SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)|視点|核軍縮は人類共通の大義

|視点|核軍縮は人類共通の大義

ジャルガルサイハン・エンクサイハン博士は、NGO「ブルーバナー(青旗)」事務局長で、モンゴルの元国際原子力機関(IAEA)大使・元国連大使(駐ニューヨーク)。この寄稿文は、「核兵器を禁止し、完全廃絶につながるような法的拘束力のある措置(=核兵器禁止条約)」について交渉する国連総会の2回の会期(3月27日~31日、6月15日~7月7日)に先駆けて寄せられたものである。

【ウランバートル(モンゴル)IDN-INPS=J・エンクサイハン博士】

非核兵器保有国には、核兵器保有国に対してその核政策の変更を迫る根拠がないという考えもある。しかし、近年3次にわたって開かれた「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)(2013年のオスロ会議、2014年のナヤリット会議、2015年のウィーン会議)が改めて明確に示したように、意図的なものか否かにかかわらず、核兵器の爆発が起これば、壊滅的な帰結を引きおこし、気候、遺伝子その他広範な分野にわたって破壊的な影響をもたらすことになる。

もちろん、このような事態は、さらなる連鎖反応を引きおこすことになる。従って、グローバルな核軍縮は、核兵器保有国とその同盟国だけの排他的な領域ではあり得ない。さらに、核不拡散条約(NPT)第6条は、「核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、誠実に交渉を行うこと」を全ての加盟国に義務づけている。非核兵器地帯の創設は、核不拡散対策を促進し、さらなる信頼醸成に資する具体的な地域的措置のひとつである。

冷戦終結以来、核兵器は世界全体で約1万5000発にまで削減されたが、一方で核兵器を保有する国の数は増加している。また、運搬手段の精度向上と破壊力の制御(「爆発力調整」技術の導入)を目指す核兵器の近代化競争により、核兵器はより「使用可能」なものとなっており、核抑止ドクトリンは、さらにいっそう危険なものとなっている。

ICAN
ICAN

非核兵器保有国と国際NGOが核兵器を禁止・廃絶する国際交渉を速やかに開始することを目指したキャンペーンを立ち上げた背景には、このように核軍縮における具体的な進展が見られない現状がある。このことは、近年に採択された国連総会決議「多国間核軍縮交渉を前進させる」にも反映されている。

モンゴルの場合

他国の場合と同じく、モンゴルの政策もその地理的位置と関連しており、特定の時代における主要な出来事の縮図といえよう。多くの場合、モンゴルの政策は、隣国であるロシアや中国において、或いは中露間、その他の大国との関係において起きる出来事の反映であったり、それらに対する反応であったりする。

核リスクの観点から言えば、モンゴルの地理的、地政学的位置はあまり好ましいものではない。しかし、だからと言ってモンゴルが「地理の囚人(Prisoner of Geography)」理論に必然的に当てはまるとか、環境決定論に従う運命にあるという訳ではない。それどころか、モンゴルはむしろ、この地理的な位置関係ゆえに、他国から悪影響を被ったり、あるいは他国に悪影響を及ぼすために利用されたりすることのないように、常により創造的であることを余儀なくされてきた。

Map of Mongolia
Map of Mongolia

こうしてモンゴルは、自国に対する想定外のリスクを減らすために、出来事に可能な限り影響を及ぼそうとしてきた。はたして、核時代の脅威に座して翻弄されるか、或いは、国益の増進を図り、過去の歴史を踏まえで自国の未来を築くべく幾分積極的な役割を果たそうとするか、2つの選択肢のなかから、モンゴルは後者を選択したのである。

リスクに満ちた遠くない過去を振り返る

冷戦期のモンゴルはソ連の衛星国であり、親ソ連の諸政策に密接に従っていた。これにより、概して核実験に反対の立場をとっていたモンゴルは、あらゆる核実験を非難したにもかかわらず、自国の領土からさほど遠くない所で行われていたソ連の核実験については例外とみなしていた。当時、ソ連の核実験を非難するのは政治的に正しくないとみられていた。と言うのも、ソ連の核兵器は米国や北大西洋条約機構(NATO)、中国の戦力との均衡を保つためのものであり、「世界平和と安定を保証するもの」と考えていたからである。

1960年代の中ソ対立期、モンゴルはそれに不本意ながら巻き込まれた。ということは、中ソの軍事的対立に暗に巻き込まれたということである。中国が核兵器を開発し中ソ対立が1969年に国境をめぐる武力衝突に発展した際、ソ連は一時期、成長期にある中国の核兵器施設に対する先制攻撃の可能性を検討し、あるいは、少なくとも検討しているかのように振る舞い、その考えをワルシャワ条約機構の同盟国に伝えた。ソ連はまた米国にも接近して、その反応を探った。

先制攻撃が行われていれば、国際関係、とりわけモンゴルに対して間違いなく破滅的な影響をもたらしたであろう。というのも、中国側は、ソ連軍基地がモンゴルにあることと、二重用途の兵器がそこに配備されていることについて十分認識し、対抗措置を採る計画を確実に持っていたからだ。当時におけるモンゴルの役割は、ソ連軍とその軍事活動を支援する「手駒」としての役割であった。米国の兵器もまた、モンゴル国内のソ連軍基地に向けられていた。

Disputed sections of the border between China and Russia before final border agreement of 2004/ Public Domain
Disputed sections of the border between China and Russia before final border agreement of 2004/ Public Domain

事態を座して黙認することはないという、ソ連に対する米国の反応が、大惨事の危険性を回避するうえでおそらく決定的な要素となった。もし当時中ソ間で核戦争が勃発していたら、1962年のキューバミサイル危機は20世紀の歴史書では単に脚注で触れられる程度の事件とされていただろう。これは、軍事的に敵対している核保有国の片方に盲目的に追従してはならないという重要な教訓をモンゴルに与えることになった。

新たな安全保障環境

1990年初めの冷戦終結、中ソ関係の正常化、モンゴルからのロシア軍基地・部隊の撤退は、モンゴルをとりまく安全保障環境を大きく変えた。モンゴルはもはや、特定の核兵器国(=ソ連)のジュニア・パートナーではなくなったのだ。

さらに、2つの隣国(=中ソ両国)は、隣接する第三国の領土や空域を互いに敵対するために利用しないことを約束した。これを受けてモンゴルは、隣国との均衡を保った関係を追求し、モンゴルの死活的な利益に直接の影響を及ぼさない中露二国間の紛争においては中立を保つと宣言した。

立場を明確にしたモンゴル

モンゴルは1992年9月、冷戦期の教訓を胸に、一国非核兵器地帯(SS-NWFZ)の地位を宣言し、その地位を国際的に保証させるように努力をすると誓った。モンゴル国内に核兵器を保有せず、近くの国でも遠くの国でもモンゴル領土内に核兵器を配備することを認めないという内容である。実際にこのことは、核兵器の脅威がモンゴルの領土(英国・フランス・ドイツ・イタリアの領土の面積の合計に等しい)からは発しないということを意味する。こうしてモンゴルは、信頼性、予測可能性、安定性の向上という共通の利害に積極的に貢献することを意図したのである。

目標を達成する道の選択

核兵器の拡散防止は最も緊急の対応を要する国際問題のひとつであり、共同の取り組みと、核兵器国の参加によってのみ達成できるものだ。モンゴルの場合だと、国際関係において新奇な「一国非核兵器地帯」という地位を受け入れるのに核保有五大国(P5)(国連安保理の常任理事国である米・露・中・英・仏)としてはややためらいがあったものの、その地政学的な位置故に、初めて非核兵器地帯化を決めたのである。五大国は、これが他の小規模国・島嶼国にとっての良き前例となり、自国領土を一国非核兵器地帯と宣言して核保有五大国(P5)から安全の保証を求めるようになるのではないかと考えたのである。

この目的を達成し共通の取り組みに貢献するために、モンゴルは、「関与」、「対話」、「戦略的忍耐」、そして「妥協を追求する」道を選択した。五大国や他の国連加盟国とこの精神を持って協力することで、モンゴルは1998年、国連総会に「モンゴルの国際安全保障と非核兵器地位」と題する決議を採択させることに成功した。この国連総会決議は、モンゴルの政策を、同地域の安定性と予測可能性に貢献するものとして歓迎し、この問題を自らの議題として取り込んだのである。

モンゴルでは2000年2月、国家大フラル(国会にあたる)が、一国レベルで非核地位を定義する立法を行い、その地位を犯すような行為を犯罪化した。また、いかなる方法によっても核兵器を領土に配備したり領土を通過させたりすることを公式に違法化した。同法はまた、この問題の社会的重要性に鑑み、法の範囲内において、履行状況を公的に監視し、関連の国家機関に示唆や提案を与える権利を、NGOや、さらに個人にまでも付与している。

モンゴルの非核兵器地位を促進する目的で2005年に設立されたNGO「ブルーバナー(青旗)」は、同法の履行に関してモンゴル当局が検討を開始する契機を3度にわたって提供するともに、必要なフォローアップ措置に関して政府に勧告を提出している。

Blue Banner
Blue Banner

この問題に関して共通の基盤と合意を見出すために、二国間、三国間、および五大国+モンゴル間で、数多くの協議が持たれている。これらの会合の結果として、モンゴルは、五大国がモンゴルの地位を尊重し、その違反につながるようないかなる行動をも慎むとの条件のもとに、その独自の地位を定義する法的拘束力のある条約の制定を主張しないことに合意した。2012年9月、五大国とモンゴルは、合意した諒解に関してそれぞれの宣言に署名し、対話を通じて、政治的・外交的方法によって関連するすべての当事者の利益を追求することの意義を強調した。

実践的な意味合いでは、五大国の共同宣言はモンゴルが安定性と予測可能性の地域になったことを意味する。というのも、地域的な防衛体制、あるいは、対抗的な防衛体制を含め、五大国のいずれもモンゴルを将来の核の対立に巻き込むことがないからである。その意味において、五大国共同宣言はモンゴルの国益に資するだけではなく、時間と空間が重要な戦略的軍事資産になっている時代においては、地域の安定と予測可能性の利益に資するものとなっている。共同宣言を通じて、五大国とモンゴルはお互いに、モンゴルとその広大な領土を対抗するために利用することがないと約束したのである。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

現在モンゴルは、その一国非核地帯地位を東アジア地域の安全保障や安定とつなげる適切な措置の策定について検討している。モンゴルの諺にあるように、アヒルは湖が穏やかな間は静かにしているものだ。こうすれば国家は、防衛予算を削減して(国家予算の1%以下)持続可能な開発目標(SDGs)にあるように、国の開発問題に対処し、人間開発を促進し、社会のあらゆる人々のための人間の安全保障を高める機会を手に入れることができるのである。

地域レベルでは、NGO「ブルーバナー」が、方向性を同じくする北東アジアのNGOやシンクタンクと協力して、もちろん地域特有のニーズや課題を考慮に入れつつ、地域の非核兵器地帯化の構想を促進し、その基本的な要素を検討している。(原文へ

翻訳=INPS Japan

ジャルガルサイハン・エンクサイハン博士は、モンゴルを国内外で代表する政府の一員として印象的な経歴の持ち主である。2013~14年、多国間問題担当大使。モンゴルで2013年に開かれた「民主主義国共同体」の閣僚会合に向けた組織委員会の顧問。2008~12年、モンゴルの駐オーストリア大使、国際原子力機関(IAEA)大使。1996~2003年、モンゴルの国連大使(駐ニューヨーク)。1978~1986年、外交官として国連代表部に勤務。

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

|モンゴル|北東アジア非核兵器地帯は可能

画期的なトラテロルコ条約の成功から50年

非核世界への道をリードするカザフスタン

最新情報

中央アジア地域会議(カザフスタン)

アジア太平洋女性連盟(FAWA)日本大会

2026年NPT運用検討会議第1回準備委員会 

「G7広島サミットにおける安全保障と持続可能性の推進」国際会議

パートナー

client-image
client-image
client-image
client-image
Toda Peace Institute
IPS Logo
The Nepali Times
London Post News
ATN
IDN Logo

書籍紹介

client-image
client-image
seijikanojoken