SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)トランプのコーカサス合意:アゼルバイジャンへの傾斜か、それともアルメニアの生命線か?

トランプのコーカサス合意:アゼルバイジャンへの傾斜か、それともアルメニアの生命線か?

【ロンドンINPS Japan/London Post=ラザ・サイード】

2025年8月8日、ドナルド・トランプ米大統領はホワイトハウスでニコル・パシニャン・アルメニア首相とイルハム・アリエフ・アゼルバイジャン大統領を迎え、数十年に及ぶナゴルノ・カラバフ紛争の解決を目指す歴史的な和平宣言を発表した。ナゴルノ・カラバフは国際的にはアゼルバイジャン領と認められているが、歴史的にアルメニア人が多く居住してきた地域である。

この合意は包括的な条約ではないものの、ロシア主導の調停から米国の関与へと大きく転換する意味を持つ。背景には2022年のウクライナ侵攻後におけるモスクワの影響力低下がある。合意の中核は「国際平和と繁栄のためのトランプ・ルート(TRIPP)」であり、アルメニアのスユニク州(歴史的にはザンゲズル)を通り、アゼルバイジャン本土と飛び地ナヒチェバンを結ぶ交通回廊である。米国はこの地域の道路、鉄道、パイプライン、光ファイバーなどのインフラ開発に99年間の独占的権利を得る。

2025年8月18日現在、イランの反発とEUの迅速な批准要求の中、この合意がアルメニアに有利なのか、それともアゼルバイジャンに傾いているのか、その行方が問われている。

紛争の経緯

起源は1921年、ヨシフ・スターリンがアルメニア人多数のナゴルノ・カラバフをソビエト・アゼルバイジャンに編入したことにさかのぼる。ソ連崩壊期の1980年代末、カラバフのアルメニア人はアルメニアとの統合を求め、民族迫害事件や第1次カラバフ戦争(1988~1994年)が勃発した。アルメニア軍はロシアの支援を受けてカラバフと周辺7地区を掌握、60万人以上のアゼルバイジャン人を追放し、約3万人が死亡した。

1994年にOSCEミンスク・グループ(ロシア、米国、フランス共同議長)の仲介で停戦が成立したが、状況は不安定なままだった。2020年、アゼルバイジャンはトルコ製ドローンや軍事支援を得て44日間の攻勢を展開し、多くの領土を奪還。ロシアの仲介で停戦が成立し、ロシア平和維持部隊が展開した。2023年にはアゼルバイジャン軍が残る飛地を電撃的に制圧し、10万人を超えるアルメニア人が脱出した。この人道危機は「民族浄化」とも呼ばれ、アルメニアは孤立し、西側の仲介に道を開いた。

2025年の和平宣言

宣言は相互の領土保全の承認、敵対行為の停止、そしてアルメニアの法律下で進められるものの米国の監督下に置かれるTRIPP回廊の開発を確認した。さらに米国は、これまでアゼルバイジャンへの援助を制限してきた「自由支援法第907条」の適用を解除し、アゼルバイジャン政府との関係強化を示した。支持者はこれをロシア依存からの転換と見なし、シルクロード貿易路の再活性化、イランやロシアを迂回した南コーカサスの世界市場統合を期待している。

アルメニアにとっては、2023年の敗北後に経済的生命線を提供する可能性がある。通路の再開は輸出、観光、投資を拡大し、ロシア依存を軽減できる。パシニャン首相はこれを「安定に向けた重要な節目」と呼んだ。

しかし、アルメニアでは主権を損なう妥協だとして抗議が広がっている。カラバフのアルメニア人の帰還や捕虜の解放、文化遺産保護の規定は含まれていない。イラン大統領は8月11日にアルメニアを訪れ、軍事演習を警告。北大西洋条約機構(NATO)の浸透と見なして強く反発した。欧州連合は批准を促す一方、ロシアも依然として妨害の可能性を残している。

合意は非対称的で、アゼルバイジャンに有利に見える。アゼルバイジャン政府はナヒチェバンへの自由なアクセスを確保し、トルコとの結びつきを強め、欧州のエネルギーハブとしての役割を固める。アルメニアは敗北の結果、形式的な和平と西側との接近を得る一方で、外国のインフラを1世紀にわたり受け入れることになる。経済多角化の可能性はあるが、人道問題の未解決やイランの反対により、安全保障上の脆弱性はむしろ増す恐れがある。

専門家の見解
Dr. Gevorg Melikyan

ゲヴォルグ・メリキャン博士(アルメニア・レジリエンス&ステートクラフト研究所創設者、元大統領顧問)
「ワシントンDCで署名ではなく“仮署”にとどまったこの和平合意は極めて問題が多い。真の和平条約というより、戦略的に重要な32キロの道路を99年間、米国企業に管理させる取り決めに過ぎず、実質的にアルメニアの主権を譲り渡すものだ。アゼルバイジャン側はこれを“回廊”と呼び、バクーとナヒチェバンを結ぶ障害なき連結とみなしている。この取り決めはアゼルバイジャンとトルコの地域的野心を後押しするものであり、戦争犯罪や民族浄化の責任を免責している。

さらに、アゼルバイジャン大統領は和平の前提条件としてアルメニア憲法の改正まで要求しており、これはアルメニアとアゼルバイジャン間の「平和・国家間関係樹立協定」第4条(内政不干渉の義務)に明確に違反している。こうした要求は主権と安全保障を損なう無期限のプロセスを意味する。

加えて、この合意はアルメニアに対する実質的な軍事的保証を伴っていない。大国や地域勢力の経済的・地政学的利益を優先し、アルメニアを一層脆弱にしている。現在の指導部は2026年議会選挙を前に政権維持を優先し、国家安全保障や外交戦略を欠いたまま、主権を外国勢力に貸し出している。」

Anahit Vardanants

アナヒト・ヴァルダナンツ氏(詩人・芸術家)
「今回の和平合意は、アルメニアにとって大きな機会であると同時に深刻な課題も伴う。経済発展の契機、米国の外交支援、新たな地域協力の扉を開く可能性がある一方、国家主権の一部譲歩、内政的な対立、安全保障上の不確実性を抱える。

特に脅威となるのは、回廊をめぐるイランの強い反発であり、緊張や地域的な複雑化を招く可能性がある。従って、この合意がアルメニアにとって安定と発展の道となるには、公平かつ十分に実施されることが不可欠だ。さもなければリスクが利益を上回るだろう。国家と国民の利益を最優先に、慎重かつ統一的な対応が必要である。」

Vahan Babayan

ヴァハン・ババヤン氏(改革党党首、元国会議員)
「8月8日に米国の仲介で初署されたこの合意は、長年のカラバフ紛争解決を目指すものだが、真の和平には程遠い。なぜバクーに拘束されたアルメニア人捕虜はいまだに解放されないのか。米国がアゼルバイジャンへの軍事支援を制限してきた『自由支援法第907条』を撤廃したのは誰のためであり、アゼルバイジャンは誰に対して武装するのか。アルツァフ(ナゴルノ・カラバフ)からの避難民の帰還や、ジェルムクなど占領地からの撤退についても不透明だ。

さらに、OSCEミンスク・グループという長年の調停機関が解体され、戦略的なスユニク回廊が99年間も米国の監督下に置かれることは、イランを刺激し、重要な経済パートナーであるロシアとの関係を損なう危険がある。この“和解”は言葉と約束に過ぎず、実質を欠いている。捕虜解放、避難民帰還、領土問題といった重要課題に答えなければ、真の和平は実現しない。」

結論

この合意はアルメニアに経済的・外交的な機会をもたらす一方、戦略的利得を得るのはアゼルバイジャンであり、力の不均衡を反映している。成功の鍵は実施と地政学的協調にあり、安定をもたらす可能性もあれば、アルメニアの脆弱性を深める可能性もある。(原文へ

INPS Japan/London Times

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