カヤックは、ソチミルコの運河を巡る際の従来のトラヒネラに代わる手段として広がりつつあり、地域社会で共有型経済モデルの重要な役割も果たしている。このモデルは、適正な雇用を生み出し、経済成長にも寄与している。
【メキシコシティINPS Japan=ギレルモ・アヤラ・アラニス】
夜明け前のソチミルコでは、運河が昼と夜の境界にそっと浮かんでいるかのようだ。薄い霧が水面を覆い、差し込み始めた陽光を受けて淡く光る。先住期から続くチナンパ(浮畑)が織りなす静かな景観の中、沈黙を破るのはカヤックのパドルが水を押す柔らかな音だけ。色鮮やかなトラヒネラ(平底舟)が動き始めるずっと前、この静かな時間帯に、環境に優しい新たな観光の形が静かに広がっている。
カヤックは、ソチミルコをより親密に、そして環境に配慮して楽しむ手段として人気が高まっている。小型で静か、かつ環境負荷が低いという特性が、共有経済モデルに基づく地域の取り組みと結びつき、若いガイドやチナンパ農家、生物保全の団体、家族経営の小規模事業者らが協力して世界遺産ソチミルコを守り、再生しようとする動きを後押ししている。
古層の景観を新たに体験する方法
何世代にもわたり、ソチミルコ観光といえばトラヒネラが主役だった。しかし近年、カヤックが独自の存在感を高めている。騒音やごみを出さず、大型船が入れない浅瀬や細い水路にも容易に入れる点が評価されている。地元住民にとっても、伝統的な観光を補完し、地域の収入源を多様化する持続可能な選択肢となりつつある。
この動きを先頭で導くのがロドリゴ・ナバである。仲間たちと立ち上げた「カヤック・アドベンチャーズ」は、わずか2年で地域屈指のガイドネットワークへと成長した。

「私たちの願いは、人々が自然や水、太陽とのつながりを取り戻すことです。」とロドリゴは語る。「ここで迎える朝日は、体験してはじめてその意味がわかります。静かな時間の中で、自分が景色の一部になったように感じられるのです。」
彼らのボートは安定感に優れ、操作もしやすい。初心者でも安心して参加できるよう工夫されている。また、安全面だけでなく、地域文化への敬意や環境意識を育むこともツアーの大切な柱となっている。
都市のストレスから逃れるために
参加者のひとり、メキシコシティ在住の医師リズベスは、貴重な休日を使って日の出ツアーに参加した。カヤックの上から望むイスタクシワトル火山の稜線は、刻一刻と光に染まっていった。
「都市の生活は混沌としていて、日々のストレスが当たり前になります」と彼女は話す。「でも、水面に昇る太陽を見ると、自然に感謝の気持ちが湧いてくるんです。」
同行した同僚のエスメラルダは「魔法のような朝だった」と振り返る。「4時に起きるのは大変ですが、それだけの価値があります。」

カヤック・アドベンチャーズの評判は国外にも広がり、キューバ、コロンビア、米国、ベネズエラなどから観光客を受け入れている。ガイドの中には英語や日本語を話せるスタッフもいる。初心者や水に不安を抱える参加者にも丁寧に寄り添い、安心して楽しめるようサポートしている。
「沈むのが怖いという方も多いですが、最初から最後まで支えます」とロドリゴは話す。「長く抱えてきた恐怖を乗り越える人もいて、本当にやりがいを感じます。」
水上から広がる持続可能な発展
カヤックは単なる流行ではなく、家族の生計を支え、環境を守り、SDG8「働きがいも経済成長も」に沿う共有経済エコシステムの柱となっている。文化的価値と環境保全を調和させながら、地域に根ざした雇用を生み出している。
この協力的なモデルは、観光事業者、チナンパ農家、生態系保全団体、飲食店などを結びつけ、ソチミルコの繊細な環境を損なうことなく地域経済を強化する。
アホロートルを守る地域の取り組み

ソチミルコの象徴ともいえるのが、絶滅危惧種アホロートル(メキシコサンショウウオ)だ。再生能力の高さと神話的意味を持ち、古くから地域文化に根付いてきた。現在は運河環境の健全性を示す指標にもなっている。
生息地保全の中心を担うのが、アレハンドロ・コレア家が25年前に立ち上げた「アホロタリオ・アパントリ」だ。繁殖、研究、教育を通じてアホロートルの保全に取り組んでいる。
「先住文化にとって象徴的な存在です」とアレハンドロは語る。「かつては食用や薬としても利用されていましたが、長い間、人々の記憶から消えていました。今では保全活動のおかげで、再び注目され、保護の必要性が広く認識されるようになりました。」
自宅の上階にある選択繁殖センターでは、黒、ピンク、白化型、黄金色のザントフォア型まで、さまざまな系統のアホロートルを研究している。カヤック利用者の多くはこの施設を訪れ、エコツーリズムと教育的取り組みが直接結びついている。
食と農と協働の力
日の出ツアーとアホロートル見学を終えた多くの人々が向かうのが、カレン・ペレスの小さなレストランだ。メニューには、近隣チナンパで育てられたトウモロコシ、ビーツ、ニンジン、ホウレンソウ、ウチワサボテンなど、地域の恵みが並ぶ。
カレンは、共有経済モデルの効果を実感している。
「以前は皆が個別に働いていました。でも、協力した方がずっと良いと気づいたんです。花の生産者とも、カヤックのガイドとも連携し、みんなが行き来することでグループ全体が強くなります。」
彼女の店は、結婚式や誕生日会などの会場にもなり、カヤックで訪れたカップルのロマンチックなデートやプロポーズの舞台にもなっている。
外部からの悪質開発に立ち向かう
共有経済型の持続可能な観光が広がりつつある一方で、ソチミルコには外部投資家による開発圧力が高まっている。安価で買い取られたチナンパが大規模農地に転換されたり、騒音やごみの発生源となるレクリエーション施設に変わる事例が増えている。
こうした開発は、SDG8はもちろん、SDG11「住み続けられるまちづくりを」、SDG15「陸の豊かさも守ろう」にも深刻な悪影響を及ぼす。生態系の破壊、生物多様性の喪失、伝統農業の衰退など、影響は計り知れない。
その対極にあるのが、地域主体で運営される共有経済モデルである。文化と自然の両方を守りながら、雇用と地域の自立を持続的に支える仕組みとして注目されている。
協働と若い力が形づくる未来
この動きを特筆すべきものにしているのは、若い世代の主体性だ。カヤックガイド、代々チナンパを守る農家、地域密着型の事業者などが協力し、「外からの開発」に依存しない持続可能な経済モデルを築いている。
彼らは、大規模投資こそが発展の道という従来の考え方に異議を唱え、地域の英知と協力こそが未来をつくることを証明している。
カヤックは、その入口にすぎない。そこから広がるのは、共有の繁栄、文化継承、環境保全というより大きなビジョンである。
未来世代のために、夜明けを守る
ロドリゴにとって、日の出ツアーの仕事は単なる案内役ではない。毎朝、太陽が運河を照らし、チナンパが姿を現す瞬間に立ち会うことが、ソチミルコを守る意義を改めて感じさせてくれる。
訪問者にとっても、自然が静かに、しかし力強く語りかけてくるような時間だ。そのひとときに、ガイド、農家、研究者、飲食店主らの努力が結びつき、遺産と未来を両立させる持続可能な成長モデルが形となって現れる。(原文へ)
This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.
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