ニュース視点・論点|視点|鄧小平の中国とアラブの専制政治を混同してはならない(シャストリ・ラマンチャンダラン)

|視点|鄧小平の中国とアラブの専制政治を混同してはならない(シャストリ・ラマンチャンダラン)

【ニューデリーIDN=シャストリ・ラマンチャンダラン】

アラブの独裁体制に対するとめどもない民衆蜂起の波が、ひとつの問いを呼び起こしている。すなわち、「アラブを席巻している変化の風は、中国の民衆を政府に対峙させることになるのかどうか」という問いである。

中国においてアラブ諸国が直面しているような騒動が顕在化していない背景には、多くの理由が考えられるが、そうした理由は偏見を排除した目で同国を観察すれば明らかに理解できることである。

 チュニジアやエジプト、リビアといった多くのアラブ諸国と同じように、中国も権威主義的な政治体制だといえるかもしれない。しかし全ての民主主義が同じでないように全ての独裁体制が同じというわけではない、たしかに、中国は独裁国家である。ただし中国のそれは、中国共産党による独裁なのである。

ひとつの違いは、大半のアラブ諸国の独裁政権が、自らの戦略的利益の確保を目的とした外部勢力(大英帝国の衰退後は主に米国)に支援されてきたのに対して、中国の独裁体制は、中国人民自身による革命の産物であり、ナショナリズムの所産であるという点である。
 
 また、自国の民衆によって標的となったアラブの指導者は、自らの富と権力を維持するための専制的な政権を支配してきた独裁者たちである。彼らの親族や取り巻きは権力を梃に蓄財に励み、公金を自らの懐に収め、海外口座に資産を隠した。民衆は、彼らの抑圧的な支配のもとで、自らの権利は踏みにじられ、国益が売り飛ばされてしまったと感じ、自らの政府を独裁者個人の権力と利益のみのために機能する存在と見たのである。

すなわち、問題の核心は、政府の統治形態(民主主義か独裁政治か)を巡ってのものではなく、国家と支配エリートが、民衆の利益に奉仕しているかどうかという点にある。この点で見れば、中国の支配エリートによる実績は、いくつかの民主主義国家、とりわけ途上国の民主主義国家と比較しても、抜きんでたものである。

中国と民主革命に直面しているアラブ諸国の政治経済史と振り返れば、両者を比較できないことは明らかである。

そう遠くない昔、半封建的で半ば植民地化された中国は孤立し立ち遅れた国であった。また、中国の民衆は極度に貧しかった。毛沢東による革命が今日に至る社会変革を引き起こし、その過程で未発達で古い中国は消滅した。こうして毛沢東が築いた政治的基盤の上に、新たな勢いを持った中国が現出したのである。そして鄧小平が解き放った経済政策が、過去30年に亘ってみられた急激な経済開発と経済成長を可能なものとした。

毛沢東の中国と鄧小平の中国は、同じ国の異なった側面を示している。毛沢東の焦点は中国の政治的解放であり、鄧小平の焦点は経済的解放であった。中国の国家と経済主体は、不可分であり、中国共産党の産物なのである。

中華人民共和国の建国が宣言されてから60数年経過するが、その開発の歩みは実に興味深いものである。中国のグローバルパワーとしての興隆は国内の安定と繁栄、すなわち、10億を超える国民を食べさせ国民の大半のベーシックニーズを満たせる経済力に立脚したものである。

また中国の目覚ましい経済成長は、民衆を包摂するものであった。教育、ビジネス、雇用、起業、移動、貿易などにおいて、制限はなかった。定評ある欧米研究機関のものを含む研究調査資料を見ても、9割近くの中国人が国の現状に満足していると報告している。

他方で、中国は深刻な諸課題にも直面している。過去数年では、数十万件の「大衆イベント(小規模の暴動や、社会動乱、デモ、抗議行動)」が中国全土で起こっている。それらは、チベットや新疆の暴動のように、必ずしも海外メディアで取り上げられることはないが、急速な経済成長の負の側面(所得格差、失業者の増大、農村部人口の移動、汚職、犯罪、環境の悪化、社会病理、貧困層の不満等)を表している。

こうした諸問題は、中国の安定を脅かすものとなりかねない。共産党以外の政治勢力が認められない政治環境の中で、こうした問題が放置される余地はなく、政治的に厳しい規制がかけられ、反抗するものは厳しく取り締まられることとなる。1989年の天安門事件で見られたように、政府による強制力は、徹底的な実力行使も辞さないものである。それから20年以上が経過し、不満の声を上げる側も、技術の進化とともに、インターネット、ブログ、ソーシャルメディアといった新たなオプションを手に入れた。しかしこのことは情報規制の技術についても同じで、当局はフェイスブックやツイッターの交信をブロックする技術を手中にしている。

中国政府当局は、中国にジャスミン革命型の抗議運動を呼びかけたメッセージがインターネット掲示板に現れた2月20日以来、治安巡回とインターネット監視を強化し、徹底的な取り締まりを行っている。これは、万一のリスクも冒したくないとする政府当局の強い意志の表れである。また一方で、中国民衆は必要に迫られれば、こうした最も厳しい規制体制ですら、潜り抜けることができることを示した。

中国の民衆は政府と同様に、中国のこれまでの成長にあまりに多くのものを賭けてきた。共産党の実績について包括的に考えれば、その成功が失敗をカバーしてあまりあるものである。中国の民衆は、卓越した忍耐力を有しており、急激かつ暴力的な社会変化を望まないだろう。中国における変革はいつもゆっくりと秩序だったものである。2002年における共産党指導部の交代も円滑になされた。次の指導部の交代は2012年である。

胡錦濤主席と温家宝総理は今日まで順調な政権運営を成し遂げてきただけに、こうした不安定要因が当局の管理を超えて拡大することを許容しない一方で、(天安門事件で見せたような)極端な鎮圧措置にでることも望まないだろう。政権運営の汚点を指摘されることなく円満に引退を迎えようとしている現在の指導部にとって、流血を伴う鎮圧の当事者となることこそ、最も望まないものである。温総理がさらなる情報公開と政府を批判する自由を認めるよう訴えている背景にはこうした事情が考えられる。
 
 次期指導部の人々は、恩総理の融和路線に抵抗していることから、強硬路線の支持者かもしれない。しかしそうであっても、彼らは、もうすぐ権力を掌握するというこの時期にあえてリスクを冒すようなことはしないだろう。

従って、中国共産党、政府、さらに両者内の競合関係にある保守派・改革派の視点から考慮すれば、ここで問題を大きくしたり、対決姿勢を押し出したりしても政治的・経済的に得るものは殆どないのである。

ここで二つの教訓を引き出すことができる。ひとつは、民主体制の下でも失敗する国々がある一方で、中国のように民衆の福祉に奉仕するような独裁体制もありうるということである。もうひとつは、アラブ世界から広がった変革を求める民衆の要求は、必ずしも政治制度そのものを標的としたものではなく、たとえ民主体制であっても、選出された支配エリートの利益のために政権が運営されるようになれば、それは決して安定的なものではありえない、ということである。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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