SDGsGoal10(人や国の不平等をなくそう)混迷を越え、行動を促す―リカルド・グラッシが描くジャーナリズム

混迷を越え、行動を促す―リカルド・グラッシが描くジャーナリズム

軍事独裁政権による弾圧と亡命を経て、国際通信社インタープレス・サービス(IPS)の編集長、アフガニスタンにおけるコミュニティ・メディアの育成、さらには世界476大学を結ぶネットワークへ――。リカルド・グラッシ氏が歩んできた道と、その過程で築き上げたモデルは、「声なき人々に声を与え、情報を社会変革の力とする」というIPS創設者ロベルト・サビオ博士の理念、そして、世界市民を育むナレッジ・ネットワークの構築を通じて、読者が人類の直面する課題への問題意識を深め、それを具体的な行動へと結び付けられるようにするというINPS Japanの理念と、深く響き合っている。

【ローマINPS Japan=浅霧勝浩】

リカルド・グラッシ氏は、そのジャーナリスト人生の多くを、「文章の主語」を変えることに費やしてきた。|英語版

カブールのバーブル庭園で、同僚らとともに写るリカルド・グラッシ氏(中央)。資料:ポーランド人芸術家ゴシュカ・マチュガ氏による作品の一部。

アフガニスタンの首都カブールで若い記者たちの育成に携わり始めたころ、彼らの多くは、外国政府や国際機関、援助団体の動きを中心にアフガニスタンを報道する訓練を受けていた。ある日の編集会議で、グラッシ氏は彼らに新たな原則を示した。

「今日から、主役はアフガニスタンとアフガニスタンの人々です。皆さんはいずれ、この意味を理解するでしょう。今はただ、心に留めておいてください。」

この言葉は、グラッシ氏が国際連合教育科学文化機関 (ユネスコ)の支援を得て進めている新事業「環境ニュース・コミュニケーション国際大学通信社(AIUNCA)」の理念を端的に表している。

AIUNCAは、中南米、イタリア、スペイン、英国の476大学に属する500以上のメディアを結ぶ取り組みである。その目標は、国際的でありながら、紛れもなく地域に根差したネットワークを構築することだ。大学メディア、プロのジャーナリスト、学生、地域社会が、それぞれの言語、文化、優先課題に根差した信頼性の高い報道を生み出していく。

しかしAIUNCAは、単なる新しい通信社を目指しているのではない。グラッシ氏にとってそれは、伝統的なマスメディアが放棄してきた役割と、ソーシャルメディアを通じて拡散される破壊的な偽情報の双方に立ち向かう、新たな責任あるメディア・モデルである。

「混迷を越え、行動を促す(Beyond confusion, inspire action)」というモットーには、ジャーナリズムは、気候変動、戦争、格差、偽情報に翻弄される世界を描写するだけでは不十分だという同氏の信念が込められている。

Ricardo Grassi(Left) being interviewed by Katsuiro Asagiri (Right) who collaborated with him when Mr. Grassi organized the 1st Afghan Media Forum in 2007 in Kabul, Afghanistan.
Ricardo Grassi(Left) being interviewed by Katsuiro Asagiri (Right) who collaborated with him when Mr. Grassi organized the 1st Afghan Media Forum in 2007 in Kabul, Afghanistan.

何が起きているのかを人々が理解できるようにし、同じ問題に向き合う人々を結び、知識が対話と行動につながる条件をつくる。それこそがジャーナリズムの役割だというのである。

この信念は、インターネットが登場するはるか以前、言葉を発すること自体が命の危険を伴う時代に形づくられた。

「私の世代は皆、一連の独裁政権(オンガニア軍事政権を中心とする1966~73年の軍政)の下で育ちました。」と、グラッシ氏はアルゼンチンでの青年時代を振り返る。「欧州や米国にヒッピーがいたころ、私たちの国には軍事独裁政権がありました。」

1969年5月29日、アルゼンチンの軍事独裁政権に抗議して労働者と学生が蜂起した「コルドバソ」のさなか、コルドバ市のサン・フアン大通りに立ち上る煙。写真:『レビスタ・ヘンテ』/ウィキメディア・コモンズ(パブリックドメイン)

高校を卒業したグラッシ氏は、大学で学びながらジャーナリストとして働き始めた。言葉を操り文章を書くことに生来の才能があったが、ジャーナリズムは同時に、社会を揺るがしていた激動に関わるための手段でもあった。

政治弾圧、貧困、キューバ革命、そして解放の神学の台頭が中南米を大きく変えようとしていた。グラッシ氏は貧困地域に入り、住民の組織化を支援する一方、自らの政治活動はジャーナリスト組合での仕事とは切り離していた。

こうした経験を通して、ジャーナリズムは誰に奉仕すべきなのかという同氏の考えが形づくられていった。「恵まれた立場にある人間は、他者に奉仕しなければなりません。」ジャーナリズムは、すでに権力を持つ人々の動向を記録するだけでなく、困難な状況に置かれた人々と、人間的価値に一層深く関わるべきだと、グラッシ氏は考えた。

軍事政権下で働いた経験は、行間に意味を込めて書く技術も教えた。公然とは書けないことを暗示し、意図的に隠された事実を読み取る力である。

1973年のフアン・ドミンゴ・ペロン。同年、ジャーナリストのリカルド・グラッシ氏は、マドリードのプエルタ・デ・イエロにあったペロンの邸宅で、本人に2度インタビューした。写真:Museo Casa Rosada/Archivo General de la Nación(ウィキメディア・コモンズ経由、パブリックドメイン)

アルゼンチンが選挙とペロン派の政治復帰へ向かうなか、グラッシ氏はマドリードでフアン・ペロン元大統領に二度インタビューし、広く知られる存在となった。

民政復帰後、同氏は政治週刊誌の創刊と編集を任された。ただし、引き受けるにあたって一つの条件を提示した。それは、自らが「退屈な左翼新聞」と呼ぶような媒体にはしないことだった。

徹底してジャーナリスティックで、視覚的にも読者を引きつけ、宣伝員ではなくプロの記者が記事を書く媒体を目指した。

その週刊誌は、アルゼンチンで最も広く読まれる週刊誌の一つとなった。しかし、その成功によってグラッシ氏自身も一層目立つ存在となった。

1976年3月、軍部が政権を掌握すると、同氏は地下に潜った。公の場で働けなくなったため、木製玩具を作って生活した。しかし、知人たちは次々と拘束され、殺害され、あるいは「失踪」させられた。新聞には、見覚えのある名前が痛ましいほど日常的に掲載された。

1977年、ルハン大聖堂への巡礼に参加した「五月広場の母たち」。軍事独裁政権下で拘束され、「失踪」させられた子どもたちを捜す闘いの象徴として、この時初めて白いスカーフを身に着けた。写真:アデリナ・アライエ/Archivo Memoria Abierta(CC BY-SA 4.0)
1977年、ルハン大聖堂への巡礼に参加した「五月広場の母たち」。軍事独裁政権下で拘束され、「失踪」させられた子どもたちを捜す闘いの象徴として、この時初めて白いスカーフを身に着けた。写真:アデリナ・アライエ/Archivo Memoria Abierta(CC BY-SA 4.0)

1977年6月4日、グラッシ氏はアルゼンチンを脱出した。

Roberto Savio
Dr. Roberto Savio/ photo by Katsuhiro Asagiri

欧州への亡命の途上で、グラッシ氏はロベルト・サビオ氏とアルゼンチン人ジャーナリストのパブロ・ピアチェンティーニ氏が創設した国際通信社インタープレス・サービス(IPS)と出会った。

1978年初頭、IPS本部のあったローマに到着したグラッシ氏は、当初、スペイン語と英語の記事を編集する仕事に就いた。その後、編集長となり、世界各地を訪れながら、とりわけ中米で地域ニュースサービスの整備に携わった。

グラッシ氏にとってIPSは、単なる勤務先ではなかった。それは「一つの思想の学校」だった。アルゼンチンでの政治活動と報道経験を通して、すでに顧みられない人々の声を探す姿勢を身につけていたグラッシ氏に、IPSはその直感を体系的な国際的枠組みへと発展させる機会を与えた。

「途上国は、裕福な国々を主役とする物語の単なる舞台として描かれるべきではない。その人々、制度、紛争は、それぞれの社会が生きる現実の内側から報じられなければならない。」

IPSでグラッシ氏は、その後の活動の中核となるもう一つの視点を得た。「情報」と「コミュニケーション」の違いである。情報は、一方向に生産し伝達することができる。しかしコミュニケーションには、人々の間の交流、参加、関係性が不可欠である。

1980年代半ばにIPSを離れた後、グラッシ氏はアフリカと中南米で、地域のジャーナリスト、新聞社、研究機関、文化団体を結ぶコミュニケーション・ネットワークを組織した。当時はまだ、こうした交流を容易にするインターネットは存在していなかった。

この考え方は、後のアフガニスタンでの活動にも受け継がれた。

2007年、筆者はIPSインドの記者や日本のメディア関係者とともに、グラッシ氏がキリッド・グループおよびIPSと共同でカブールにて開催した「メディアは開発である―第1回アフガン・メディア・市民社会フォーラム」を取材した。撮影・編集:浅霧勝浩/INPS Japan。

グラッシ氏が初めてアフガニスタンを訪れたのは2003年だった。欧州委員会が支援するメディア事業を評価し、この分野の政策を提言することが目的だった。その後、パジュウォク・アフガン・ニュースの発展に関わり、キリッド・グループをはじめとするアフガニスタンのメディア、市民社会組織、ユネスコ・カブール事務所と協働した。

「問題の核心は、誰が主体となるかでした。」

グラッシ氏の目標は、外国人が恒久的に運営する組織を設立することではなかった。アフガニスタン人ジャーナリストを育成し、最終的には彼ら自身が全面的に運営できるようにすることだった。国際援助は、やがて援助そのものを不要にするものでなければならないという考えである。

アフガニスタンでの経験は、既製のモデルを携えてやって来る外国人専門家に対する同氏の懐疑も深めた。

ヘラート地震の被災地域で放送を行うキリッド・グループの移動ラジオ局。地域住民の声や支援情報を現地と全国に伝えた。写真:UNESCO

「ロンドンやワシントンでつくられたジャーナリズムの手法を、そのまま移植することはできない。報道は、その土地特有のコミュニケーション様式、社会的関係、世界の捉え方を反映しなければならない。」

その違いは、発音にさえ表れる。カンダハルで話されるパシュトー語はナンガルハルのものとは異なり、マザーリシャリーフのダリー語はカブールのダリー語とは異なる。

キリッドの各地域ラジオ局が信頼を得たのは、聴取者がそれを「自分たちのラジオ局」と感じたからだった。聞き慣れた声で語り、地域の現実を報じる一方、国内の他地域ともリスナーを結び付けた。

別の取り組みでは、パジュウォクの朗読グループが村々を訪れ、住民が集まる場でニュースや公共情報を読み聞かせた。識字能力が限られ、従来型メディアへのアクセスが乏しい地域では、重要な情報サービスとなった。

グラッシ氏はまた、ジャーナリストと市民社会組織を結び付けることにも取り組んだ。両者はしばしば互いを信用せず、本来あるべき形で関わり合っていないと考えたためだ。

アフガニスタン東部ジャジ地区で、ラジオによる識字番組を聞きながら教材を読む少年たち(2011年12月26日)。写真:U.S. Army/DVIDS(パブリックドメイン)

市民社会団体は抽象的なテーマや組織声明を通して発信する傾向がある一方、ジャーナリストは人間、出来事、物語を求める。しかし、信頼できる地域団体は、他の誰も持っていない情報を蓄積していることが少なくない。

グラッシ氏にとって両者を結ぶことは、ジャーナリズムの専門的独立性を守りながら、情報源を広げることを意味した。

「ジャーナリストは、ジャーナリストでなければなりません。」市民社会、大学、宗教団体との協力が、プロパガンダになってはならない。「プロパガンダを始めた瞬間、信頼と読者を裏切ることになります。読者はそれをすぐに見抜きます。」

2014年、グラッシ氏と同僚たちは、研修とメディア開発を通してIPSの伝統を継承する非営利組織「IPSアカデミー(IPSA)」を設立した。

IPSアカデミーから生まれたのが、「気候変動と持続可能な世界のための市民プラットフォーム」を意味する「CitiPlat」である。その構想の一端は、持続可能な開発における市民の役割をテーマに東京で開かれたシンポジウムのために、グラッシ氏が講演を準備したことに由来する。グラッシ氏がたどり着いた結論は、世界的な問題を理解しやすく地域に即した情報へと翻訳するメディアがなければ、市民は持続可能な開発に有意義な形で参加できないということだった。

支配的なメディアの議論は、依然として「いつもの顔ぶれ」の間に限られ、世界の大多数はそこから排除されているとグラッシ氏は指摘する。CitiPlatは、2019年、ユネスコのコミュニケーション、情報、科学部門の支援を得て、国際プログラムとして正式に発足した。気候変動をめぐる偽情報に対抗し、市民による解決策を可視化する国際的な情報ネットワークを構築してきた。UNESCOも、COP27で同氏が提唱した、悲観論ではなく科学的データと市民社会の連携を重視する取り組みを公式サイトで紹介している

そのモットーであり、現在はAIUNCAも掲げる「混迷を越え、行動を促す」は、互いに関連する二つの危機に応えるものだった。一つは、公共サービスとしてのジャーナリズムの衰退であり、もう一つは、誰を信頼すべきかを個人が判断する確かな手段を持てないまま、果てしないデジタル空間に偽情報が広がり続けていることである。

グラッシ氏のモットーであり、現在はAIUNCAも掲げる「混迷を越え、行動を促す」は、互いに関連する二つの危機に応えるものだった。一つは、公共サービスとしてのジャーナリズムの衰退であり、もう一つは、誰を信頼すべきかを個人が判断する確かな手段を持てないまま、果てしないデジタル空間に偽情報が広がり続けていることである。画像:INPS Japan

そのためCitiPlatは、大惨事だけに焦点を当てないことを選んだ。

UN Photo
UN Photo

世界各地では、個人や地域社会が生命を守り、問題を解決し、自らにできることとできないことを現実的に見極めながら行動している。CitiPlatは、そうした何千もの取り組みを報道し、他者の行動を促す教訓として共有することを目指している。SDGs for Allメディアプロジェクトは世界市民を涵養する観点から同様の取材アプローチを行っている:INPS Japan)

このモデルは当初から分権型だった。巨大な本部をつくり、そこから世界全体を管理するのではなく、地域に根差したプラットフォームを各地に構築しようとした。「情報の生産と発信を地域に根付かせなければ、それは決して人々には届きません。」言語、表現方法、地域の優先課題がそれぞれ異なるからだ。」と、グラッシ氏は説明する。

この原則を具体化した一例が、アフガニスタンにおける「コミュニティ・ストーリーテリング」である。最初に五つの地域が選ばれ、現地の市民社会パートナーであるインテグリティ・ウォッチ・アフガニスタンが、住民を選定して、自らの経験を報道するための研修を行った。グラッシ氏によると、同団体はタリバン当局と合意を交わし、女性もコミュニティ記者として参加することが認められた。

カブール郊外で、タリバン関係者と地域住民の会合を取材するアフガニスタン人女性記者ミーナ・ハビブ氏。タリバン復権後も、女性記者は厳しい制約の下で地域社会の声を伝え続けている。写真:Meena Habib/VOA

目標は、プロの記者が時折訪れて取材することではなかった。地域社会の人々自身が物語を伝える技術を身につけ、同じような課題に直面する他の地域と経験を交換できるようにすることだった。

AIUNCAは、この原則を大学を通してさらに拡大しようとしている。

Ricardo Grassi (Left) and Katsuhiro Asagiri (Right) Credit: INPS Japan

大学はすでに世界各地の都市や地域に存在する。比較的安定した組織であり、知識を蓄積し、新たな知識を生み出すとともに、将来の意思決定者となり得る若者を教育している。多くの大学はすでに、ラジオ局、テレビ局、ウェブサイト、ソーシャルメディアのプラットフォームを運営している。

したがって、基本的なインフラの多くはすでに整っている。必要なのは、調整、目的に応じた研修、共通の編集方針、そして大学メディアと地域社会を結ぶ仕組みだとグラッシ氏は主張する。

さらに、ほとんど活用されていない巨大な資源がある。一般市民には届かないまま蓄積されている、膨大な学術研究である。「研究と、その研究を伝えることの間には、大きな隔たりがあります。」AIUNCAは、プロのジャーナリストがこうした研究を「翻訳」することを提案している。それは単に一つの言語から別の言語へ訳すことではない。専門的な学術表現を、正確で理解しやすいジャーナリズムへと置き換えることである。

参加する各大学メディアは、それぞれの言語、表現方法、地域課題に対する編集上の重点を維持する。同時に、共通の編集計画に基づき、共同取材を実施し、記事を国際的に交換できるようにする。

このモデルは、アフガニスタンの地域ラジオ局でグラッシ氏が得た経験に基づいている。各ラジオ局は、より広域のネットワークに属しながら、地域固有のメディアであり続けた。それぞれの地域の言葉、発音、優先課題を反映していたからである。

AIUNCAは、同じ原則を国際的に応用する。地域のアイデンティティーを消し去ることのない、連携した世界的な運動である。

大学はまた、包摂的な公共対話の場にもなり得る。研究者、学生、ジャーナリスト、企業、政治家、市民社会団体、地域社会、先住民族を一堂に集めることができるからだ。こうした地域社会は、外部の記者が訪れ、自分たちの経験を解釈してくれるのを待つ必要はない。ジャーナリズムの基礎的な研修を受け、大学メディアのネットワークにアクセスすることで、自らの物語の発信者になれる。

AIUNCAの実現を可能にしたのは、IPSA/CitiPlatとアルゼンチンのアルトゥーロ・ハウレチェ国立大学との連携、同大学が持つイベロアメリカ諸大学ネットワークとのつながり、そしてユネスコの積極的な参加だった。

AIUNCA
Ricard2025年、ブラジルで開催されたCOP30で、同僚らとともに写るリカルド・グラッシ氏(左端)。写真提供:リカルド・グラッシ氏。

AIUNCAの構想は、発足からわずか5カ月後の2025年11月、ブラジルのベレンで開かれた国連気候変動枠組条約第30回締約国会議(COP30)において、新たなメディア・モデルとして発表された。

「2023年初頭からその発展を支えてきた、熱意ある学術研究者、専門ジャーナリスト、献身的なAIUNCAメンバー、そして優れた運営チームの尽力によって実現しました。」とグラッシ氏は語る。

AIUNCAはCOP30で、中南米における気候偽情報の起源に関する研究、偽情報をリアルタイムで検知する「Factora AI」と呼ばれる試作システム、さらにアルゴリズムと人工知能の倫理的利用を促進するコミュニケーション計画を提示した。

これらは、ブラジル政府、国連事務局、ユネスコが創設した「気候変動に関する情報の健全性のための世界基金」の支援によって可能となった。

AIUNCAが環境問題を重視しているからといって、気候変動を他の問題から切り離して扱うわけではない。「それは持続可能な開発の問題全体に関わります。しかし、平和と戦争にも関わるのです。」気候変動、貧困、保健、教育、雇用、紛争、強制移動は、人々の生活のなかで相互に重なり合っている。

食料や医療、仕事の確保に苦しむ地域にとって、気候変動は遠い将来の問題に見えることがある。ジャーナリズムには、それが現在の現実とどのようにつながっているかを明らかにする役割がある。

AIを情報の検索・比較を担う「優秀な助手」として活用しながら、検証、判断、最終的な表現の責任は人間が担うべきだと説くリカルド・グラッシ氏。AI生成画像/INPS Japan。
AIを情報の検索・比較を担う「優秀な助手」として活用しながら、検証、判断、最終的な表現の責任は人間が担うべきだと説くリカルド・グラッシ氏。画像/INPS Japan。

グラッシ氏は、ジャーナリズムを変えつつある技術についても現実的である。公共の利益に奉仕するメディアは、ソーシャルメディア、アルゴリズム、AIに背を向けるのではなく、それらを効果的に活用する方法を学ばなければならないと考えている。同氏はAIを「非常に優秀な助手」と捉えている。資料を検索し、情報を比較し、何時間もの作業を節約できるからだ。しかし、支援を受けることと、自らの判断を明け渡すことの間には明確な一線を引く。

「危険なのは、自分の魂を人工知能に明け渡してしまうことです。そうなれば、人は考えなくなり、学ばなくなります。

問いを立て、証拠を検証し、判断し、最終的な表現を決定する責任は、あくまでジャーナリストが負わなければならない。AIが生成する文章は、個人の声を、滑らかではあっても生命力のない平板な文章へと変えてしまうことがあまりに多いと、グラッシ氏は警告する。

報道における客観性についても、グラッシ氏の考えは明快だ。「重要なのは客観性ではありません。客観性とは、人を操作するためにつくられた神話です。重要なのは誠実さです。

ジャーナリストは必然的に、ある立場から世界を見る。平和、人権、環境正義への関与も、それ自体が一つの選択である。求められるのは、自らの立場を明らかにしつつ、情報が検証され、正確で、公正に報じられていることを保証することだ。

この哲学は、INPS Japanの活動とも深く響き合う。

浅霧勝浩(左)とリカルド・グラッシ氏(右)。写真:INPS Japan。

INPS Japanは、創価学会インタナショナル(SGI)と長年にわたり推進してきた「SDGs for All」メディアプロジェクトを通し、何が起きているかだけでなく、その背景、人間への影響、持続可能な開発目標との関係を分析報道によって明らかにする「知識インフラ」の構築を目指してきた。

記事はSDGsごとに整理され、関連報道と結び付けられている。そして、抽象的で圧倒されるほど複雑に見える問題を理解するための、身近な入り口として提示される。

想定されている読者は、単なる情報の消費者ではない。「同苦の精神」を持ち、不正義を見抜き、認識を行動へと変えることのできる、未来の地球市民である。

AIUNCAは、地域で生産され、学術的知見に裏付けられた報道を、相互補完的に提供できる可能性を持つ。

INPS Japanは、それらの記事を国際的な読者に適した形に編集し、日本語をはじめとするアジア諸言語に翻訳するとともに、環境問題を平和、人権、持続可能な開発と結び付ける、より広範な知識データベースの中に位置付けることができる。

現段階で、正式な協力関係はまだ結ばれていない。しかし今回の対話から、自然な第一歩が見えてきた。グラッシ氏の歩みと、CitiPlatおよびAIUNCAの創設に至った思想をこうして紹介することである。

その先には、国境や言語の壁を越える機会がほとんどない世界各地の地域社会の物語を共同制作し、より広く発信する可能性がある。

グラッシ氏は、この考え方を「コンバージェンス(連携・協働)」と呼ぶ。注目度や援助資金をめぐって競争するのではなく、互いに協力することを意味する。同氏はアフガニスタンでも、現地のパートナーとともに「アフガン・メディア・コンソーシアム」を設立し、この考え方を実践した。「共同制作と共同配信によって、費用を最適化し、社会的な波及力を高め、加盟メディアの存在感も強めることができました。」とグラッシ氏は説明する。

こうした精神のもと、AIUNCAはネットワーク拡大に向けた取り組みを進めている。その対象には、世界約2,000の大学・研究機関を結ぶ国連持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)の代表を務めるジェフリー・サックス教授、中南米司教協議会のメディア・ネットワーク、各大陸のコミュニティ・メディア、そして世界自然保護基金などが含まれている。

デービッド・アダムズ氏 写真:Adriana Parmegiani/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

グラッシ氏は、国連の「平和の文化」の取り組みに関わった米国の平和活動家、デービッド・アダムズ氏との会話を振り返った。

アダムズ氏は、世界各地で平和のために活動する団体を、海に点在する船に例えた。

それらを結び付けることは、船に帆を与えることだという。

今はまだ風が吹いていないかもしれない。しかし、いつか必ず風が吹き始める。そのとき、船は平和の方向へ進む準備ができている。

AIUNCAとは、風が吹き始める前に、その船々を結び付けようとするグラッシ氏の試みなのである。

静かな海で結ばれた船々が、やがて吹く風に備えて帆を上げる―変革の時が訪れたとき、平和構築に取り組む団体が共に前進できるよう結び付けようとするAIUNCAの試みを象徴している。画像:INPS Japan。
静かな海で結ばれた船々が、やがて吹く風に備えて帆を上げる―変革の時が訪れたとき、平和構築に取り組む団体が共に前進できるよう結び付けようとするAIUNCAの試みを象徴している。画像:INPS Japan。

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