SDGsGoal10(人や国の不平等をなくそう)マナン・マンダラの市場と僧院

マナン・マンダラの市場と僧院

ネパール・マナン共同体の経済的成功と精神的実践が示す、新たな資本主義の可能性

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=プリスタ・ラタナプラック

毎年11月、ネパール・カトマンズに暮らすマナン(Manang)共同体の人々は、資金や物資、人手などの社会的・物的資源を持ち寄り、スワヤンブ寺院で約3週間に及ぶ断食修行「ンンネ(Ngungne)」を行う。|英語版

参加者は真言を唱え、五体投地を繰り返し、数珠を手に祈りを捧げながら断食を続ける。

この厳しい修行は、マナンの人々の深い信仰心と精神的実践への献身を象徴している。しかし、その運営方法や共同体全体による資源の投入に目を向けると、そこには資本主義についての従来の理解を覆すような、極めて興味深いもう一つの姿が見えてくる。

資本主義の歴史は、これまで主として西欧型資本主義や自由市場経済の視点から語られてきた。しかし、マナン共同体が精神的な信念と親族関係を基盤にしながら、資本を生み出し、蓄積し、再分配し、さらに次世代へ継承してきた営みは、資本主義そのものを考え直す新たな視点を私たちに提供している。

ネパールでは、マナン共同体は社会的・宗教的活動よりも、卓越した商業活動によって広く知られてきた。

彼らの交易の歴史は数百年前にまでさかのぼり、近代国家が成立する以前から続いている。その交易ネットワークは、ヒマラヤを挟む異なる生態圏の社会を結び付けるとともに、内陸地域と海上交易圏をつなぐ重要な役割を果たしてきた。

マナン商人たちは、アジア各地に存在した他の商人ディアスポラとともに、西欧列強が火器と巨大な資本を武器に進出してくるまで、アジア交易の根幹を支えていた。

その後、多くの伝統的商人共同体の交易網は衰退したが、マナン共同体は数少ない例外として繁栄を維持し続けてきた。

マナン共同体がネパール政府から国際貿易の特権を与えられていたことはよく知られている。しかし、彼らの社会を長年にわたって支えてきた内部の社会制度や文化的価値観については、これまで十分な研究が行われてこなかった。

しかも、こうした特権が失われた後も彼らの商業活動は拡大を続けている。その事実は、この共同体の社会構造そのものを社会学的に検証する必要性を示している。

私の著書『Market and Monastery(市場と僧院)』では、共同体内部における「パートナーシップ」という独特の文化的論理に焦点を当てている。

この考え方は、経済的利益の追求だけでなく、共同体全体の社会的・精神的な理想を実現するうえでも、人々の関係性を形づくってきた。

数百年にわたりマナン商人の広域交易は発展を続け、その過程で生み出された豊かな余剰資金は、地域社会や宗教活動のための数多くの事業を支えてきた。

彼らは共同体全体で宗教儀礼を営み、大規模な親族の集まりを開催し、学校や道路、診療所、宗教施設を建設してきた。また、恵まれない人々への支援に加え、近年ではネパール社会全体を対象とした人道支援活動にも積極的に取り組んでいる。

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自己利益

マナン共同体における人間関係を形づくってきた「パートナーシップの論理」は、一見すると、新古典派経済学が前提とする「人間は自己利益を追求する存在であり、その行動は最終的に自己利益の最大化へ向かう」という考え方と大きく異なるものではないように見える。

もっとも、このような人間観は数ある文化的前提の一つにすぎず、その内容は社会によって大きく異なる。

私は、マナン共同体において、このパートナーシップの論理こそが、広大な地理的空間に分散しながらも、何世代にもわたって共同体を維持・発展させる社会的・経済的基盤を築いてきたと考えている。

もちろん、本書は理想社会を描こうとするものではない。

むしろ、協力と相互扶助によって繁栄してきた社会が、人間社会に必然的に存在する対立や利害衝突にどのように向き合い、それを乗り越えてきたのかを描いた記録である。

マナン共同体における協力関係は、人々の生まれつきの性質から自然に生まれたものではない。

それは、望ましい協力関係を育み、維持するために、社会制度や文化的慣習を意識的に築き上げてきた努力の積み重ねによる成果なのである。

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実際、この共同体にも葛藤や内部対立は存在してきた。

それでもなお、人々は協力関係を築き上げてきた。

つまり、本書は「社会がどのように機能するのか」を描いた物語でもある。

本書では、マナン共同体が南アジアや東南アジア各地の社会とどのように関わりながら、交易を維持すると同時に、社会的・精神的な理想を実現するための基盤を築いてきたのかをたどっている。

特に、共同体内部で協力とパートナーシップを促進してきた社会制度に焦点を当てている。

海外では、こうした制度が人々の信頼関係を育み、生産的な人間関係を支え、交易に関する知識や経験を共同体全体で共有することを可能にしてきた。

一方、故郷では、マナン共同体は宗教儀礼や共同体の祭礼を運営するために、人材や資金などの社会的・物的資源を持ち寄る精巧な仕組みを発展させてきた。こうした営みを通じて、人々は個人や事業のための資金を融通し合う一方で、共同体の持続可能性にとって欠かせない価値観を育み続けている。

宗教儀礼や祭礼は多様であり、それぞれが異なる親密さや条件のもとで、人々にさまざまな形の社会関係資本や金融資本をもたらしてきた。こうした社会慣習や礼節に深く根ざした制度は、共同体全体による貯蓄を可能にしている。

マナン共同体における資本形成は、人々の人生の目標を社会的、起業的、そして精神的な目的へと結び付ける過程の中で発展してきた。その過程では、資本の蓄積と再分配が、宗教的功徳や社会的評価、さらには共同体内の相互扶助の義務と不可分のものとして進められている。

共同体の内部では、事業資金を必要とする仲間を支援するため、無利子融資も広く行われている。

多くのマナンの人々は、この無利子融資こそが事業を立ち上げ、発展させる上で決定的な役割を果たしたと振り返る。こうした制度によって、人々は個人としてではなく共同体全体として経済的に発展し、豊かさを共有できるようになったのである。

数世代を経た現在、マナン共同体は豊かさだけでなく、高い教育水準も実現している。

国際貿易で得られた利益は、ネパールや東南アジア各国の正式な経済部門で新たな事業を立ち上げるための重要な種銭となった。多くのマナン商人は現地女性と結婚して海外に定住し、新たな産業を育ててきた。

彼らの投資分野は、観光業、ホテル業、自動車輸入、製薬、銀細工、ワイン醸造、農業など多岐にわたる。

2023年時点では、マナン共同体が所有する登録企業は、ネパール国内総生産(GDP)の約0.5%を生み出していると推計されている。共同体の人口は約7,000人で、ネパール全人口のわずか0.00025%にすぎないことを考えれば、この数字は驚くべきものである。

実際、マナン共同体による国際的な交易や企業活動は、ネパールだけでなく複数の国の経済を支えてきた。

例えば、カルマ・グループ(Karma Group of Companies)は、ネパール農業部門で最大の納税企業となっている。

共同体が豊かになり教育水準が向上するにつれ、若い世代は医師、技術者、パイロット、客室乗務員、芸術家、生物学者、BBC職員、国連職員など、幅広い分野で活躍するようになった。

約1,000人のマナン出身者が海外へ留学・就職し、その多くが送金を通じて、マナン社会奉仕委員会や女性団体が進める社会貢献・人道支援活動を支えている。

一方で、年長世代が共同体での宗教実践を重視するのに対し、若い世代は宗教儀礼への参加は減少している。その代わり、社会奉仕や人道支援など、より幅広い公益活動への関心を高めている。

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共有される富

マナン共同体では、富を個人だけで蓄え込んだり、他者と分かち合うことなく誇示したりすることは好まれない。

周囲に困窮する人々がいるにもかかわらず、自分だけが贅沢を楽しむことは、品位や社会性、さらには人格の欠如と見なされる。

他者が手に入れられない富を獲得することが名声や社会的地位につながる社会とは対照的に、マナン共同体では、「他者が本来なら実現できなかったことを可能にする力」を持つ人こそが尊敬される。

2010年、マナン共同体はインド・ブッダガヤでンンネ断食修行を開催し、約300人が参加した。

特筆すべきは、参加者が自ら旅費を負担しなかったことである。

代わりに43組の夫婦が資金を出し合い、巡礼全体を支援したことで、経済的に余裕のない人々も参加できるようになった。

一行は貸し切りバスで移動し、多くの参加者は、マナン共同体が資金を提供して建設した宿泊施設に滞在した。

このようにパートナーシップを形成することで、共同体はより多くの人々に宗教修行へ参加する機会を提供し、経済力の異なる人々が同じ精神的目標を追求できる環境を整えてきた。

こうした文化的価値観が、人々に私的な富を手放し、より大きな精神的・社会的・経済的目標のために活用しようという意識を育んできたのである。

マナン共同体における資本の蓄積と再生産のあり方は、「社会とは何のために存在するのか」という彼らの根本的な社会観、そして再分配と平等に対する価値観によって形づくられてきた。

この共同体では、資本は共同で蓄積され、広く共同体内を循環する。そのため、多くの人々が新たな投資のための資源を利用することができ、それがさらに新たな資本の創出へとつながっていく。

共同体による資本の蓄積は再分配を促進し、その再分配が共同体内部の経済格差を抑制してきた。

マナン共同体における資本主義的な営みは、多様な社会制度の中に深く組み込まれており、人々の相互依存関係と社会的つながりを重視する価値観の上に成り立っている。

これは、市場という経済制度が経済活動を人間関係から切り離し、その抽象的な市場原理が資本や労働、さらには自然資源にまで深刻な影響を及ぼし得る現代資本主義とは著しく異なる。

それに対してマナン共同体では、人と人との社会的関係そのものが社会的・経済的な安全網として機能し、自由市場がもたらす厳しい競争やリスクから人々を守っている。そして、再分配の仕組みが、私的な富の過度な集中を抑制する役割を果たしているのである。

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自由市場経済では、カール・マルクスが指摘したように、時間の経過とともに資本収益率と労働所得は乖離し、最終的には経済成長そのものを損なうことになる。

また、フランスの経済学者トマ・ピケティは、膨大な歴史資料を分析した結果、21世紀において既に莫大な資産を持つ人々への富の集中がさらに進んだことで、所得格差の拡大、公的債務の増大、そして金融危機が引き起こされてきたことを明らかにしている。

こうした不安定性は、私的な富の蓄積を原動力とする資本主義経済が内包する構造的矛盾の帰結である。

興味深いことに、ピケティがその処方箋として提唱する「富裕税」は、マナン共同体では古くからさまざまな形で実践されてきた累進的な共同体負担の仕組みに極めて近い。また、それは自由市場経済が生み出す所得・資産格差を是正する方法としてアダム・スミス自身が唱えていた考え方でもある。

社会的・経済的な安心を、個人が私有財産を蓄積することで得るのか、それとも福祉国家のような大きな共同体や、マナン共同体のような人間関係そのものに蓄えるのか――その選択は、経済合理性だけでは説明できない価値判断に委ねられている。

つまり、それは社会を構成する人々が共に選び取る倫理的な選択なのである。

このマナン共同体の事例は、経済学者ベンジャミン・フリードマンが著書『Religion and the Rise of Capitalism(宗教と資本主義の誕生)』(2021年)で展開した議論とも響き合う。

フリードマンは、アダム・スミスの18世紀の経済思想から、21世紀アメリカにおける市場の役割と限界をめぐる論争に至るまで、近代経済学の主要な概念や政策が宗教や神学の影響を受けながら形成されてきたことを明らかにしている。

彼が指摘するように、「神の見えざる手」をはじめとする近代経済学の基本理念は、決して価値中立的なものではない。

そこには、人間同士の関係性、あるいはむしろその欠如を前提とする、特定の倫理観や政治思想が存在している。

したがって、政治制度や経済制度をめぐる議論の本質とは、異なる倫理観や価値観をめぐる競争なのである。

異なる社会のあり方を知ることは、自らが当然と思い込んでいる社会的・道徳的価値観を相対化し、私たち自身が本当に望む社会を実現するために、どのような制度を築くべきかを考える契機となる。

『Market and Monastery(市場と僧院)』は、特定の価値観に根差した資本の形成・循環・再分配の仕組みが、社会をどのように形づくり、再構築していくのかを描いた物語である。

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そこでは、資本は格差を再生産するものではなく、むしろ格差を抑制するための手段として機能している。

そして本書は、マナン共同体が共同体全体として豊かさを実現してきた歩みを描いた物語でもある。

『Market and Monastery(市場と僧院)』は、マナン共同体の歴史のある一時期を対象に、その社会的営みを記録した民族誌である。数世紀にわたり、この共同体が比較的格差の少ない豊かな社会へと発展してきた過程を描いている。

民族誌的研究は特定の時代を切り取ったものである。しかし、そこから得られる示唆は、その時代を超えて普遍的な意味を持つ。

マナン共同体の社会的実践は、資本主義や社会についての支配的な西欧的理解に対する一つの対案を提示している。

彼らの事例は、資本の形成、蓄積、再生産の過程が世界中で一様ではないこと、そして異なる資本主義の形態が、それぞれ異なる社会的帰結をもたらすことを示している。

第一に、資本を生み出す動機は、必ずしも物質的利益だけではない。

第二に、人々は市場で互いに競争するだけではなく、協働することによって、個人では到底達成できない大きな目標を実現することができる。

さらに、その共同の努力によって生み出された経済的余剰は、共同体全体の資本として蓄積することも可能である。

資本は私有財産だけを意味するものではない。

さまざまな形で蓄積された資本を社会全体へ再分配することは、富を一部に集中させるよりも、より広範な経済活動と成長、そして繁栄を促す可能性がある。

マナン共同体に見られるこの独自の資本主義は、私的財産の個人的蓄積を基盤としたマックス・ウェーバーの西欧資本主義成立論に対し、新たな視座を提供するものである。

プリスタ・ラタナプラック氏は、ハーバード大学で経済学の学士号および文化人類学の博士号を取得。現在、タイ・チェンマイ大学社会学・人類学部准教授。これまでにラトガース大学、シンガポール社会科学大学、ネパール科学・人文学大学で教鞭を執めたほか、ネパールの統合開発研究所(IIDS)主任研究員も務めた。

INPS Japan

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