INPS Japan/ IPS UN Bureau Report国連総会のもう一つの顔―国際政治の舞台にのぞくユーモア

国連総会のもう一つの顔―国際政治の舞台にのぞくユーモア

【国連IPS=タリフ・ディーン】

今月下旬の国連総会の首脳級会合に向け、130人を超える各国首脳がニューヨークに集まる見通しだ。しかし、演壇から歯に衣着せぬ政治的発言が飛び出し、ニュースの見出しを飾ることは、そう多くない。193の加盟国で構成される国連総会の演説も、その後に開かれることのある記者会見も、大半は長々と続き、単調で退屈だ。とはいえ、数は少ないながらも例外はある。|英語版||

Muammar Gaddafi Credit: Wikimedia Commons.
Muammar Gaddafi Credit: Wikimedia Commons.

2009年9月、リビアの指導者ムアンマル・カダフィが国連を訪れた際、英紙ガーディアンは、彼がニューヨークの国連ビルでつかんだ「15分間の名声」を、1時間40分にまで引き延ばしたと皮肉った。15分の持ち時間の6倍を超える長広舌に、運営側は頭を抱えたという。奇矯な振る舞い、強情さ、度を越した饒舌さ――カダフィは評判にたがわぬ姿を見せた。

驚く各国代表団を前に、国連の目的や活動原則を定めた国連憲章の写しを引き裂き、国連安全保障理事会(安保理)を、国際テロ組織アルカイダのようだと非難した。さらに、イラク戦争の責任を問い、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領とトニー・ブレア元英首相を裁判にかけるよう求めた。

アフリカに植民地主義がもたらした惨禍への賠償として、7兆7000億ドルも要求した。さらには、豚インフルエンザは軍事研究所でつくられた生物兵器ではないかという疑いまで口にした。

余談だが、ある報道によれば、カダフィの名前には112通りもの表記があったという。Muammar el-Qaddafi、Muammar Gaddafi、Muammar al-Gathafi、Moammar el Kazzafi、Moamar Gaddafiなど、枚挙にいとまがない。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、この表記の乱立をからかう風刺漫画を掲載した。リビアの首都トリポリで単独インタビューに臨む記者が、カダフィにこう尋ねる。「編集長に言われて来たんです。あなたはQaddafiなのか、Khaddafiなのか、Gadafiなのか、Qathafiなのか、それともKadhafiなのか、確かめてこいと。」

Khrushchev and head of USSR delegation Zoya Mironova at the United Nations, September 1960 Photo: Public Domain.
Khrushchev and head of USSR delegation Zoya Mironova at the United Nations, September 1960 Photo: Public Domain.

米国とソビエト連邦(ソ連)が対立した冷戦のさなか、1960年10月の国連総会でも、忘れがたい応酬が繰り広げられた。ただし、ソ連と直接やり合ったのは米国ではなく、当時その緊密な同盟国とみなされていたフィリピンだった。

フィリピン代表のロレンソ・スムロンは、ソ連を厳しく非難した。「東欧などの人々は、市民的・政治的権利を自由に行使することを奪われ、いわばソ連にのみ込まれている。」これに激怒したのが、ソ連代表団を率いていたニキータ・フルシチョフ首相だった。スムロンを「まぬけ」「操り人形」「下僕」、さらには「アメリカ帝国主義のごますり」と罵倒したのである。今日の国連総会や安保理では、めったに聞かれない言葉だ。北朝鮮のおなじみの決まり文句、「帝国主義の走狗」さえ、かすんでしまう。

フルシチョフといえば、議事進行について発言する機会を求め、脱いだ靴で机をたたき続けたという逸話も、長く語り継がれている。ただし、実際の動作や経緯については証言が食い違い、流布した写真の真偽も含めて議論が続いてきた。

これとは別の日、同年9月29日には、英国のハロルド・マクミラン首相が演説中、フルシチョフの怒声にさえぎられた。マクミランは議長に向かい、こう切り返した。「差し支えなければ、今の発言を通訳していただきたいのですが。」と。議場は大きな笑いに包まれた。

現在、国連の演説は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6つの公用語に同時通訳される。もっとも、靴で机をたたく音までは通訳してもらえない。

Idi Amin at United Nations. Photo: Bernard Gotfryd Photograph Collection, Library of Congress

ウガンダの指導者イディ・アミンには、こんな言い間違いの逸話もある。国連総会で英国のエドワード・ヒース首相を褒めようとして、「まるでアドルフ・ヒトラーのような人物だ」と述べ、慌てて、言いたかったのはウィンストン・チャーチルだと訂正したというのである。ナチス・ドイツの独裁者と、第二次世界大戦中に英国を率いた首相を取り違えてしまったわけだ。

2006年9月19日には、タイのタクシン・シナワット首相が国連総会で演説するためニューヨークに滞在している間に、本国で軍事クーデターが起き、政権を追われた。帰国すれば汚職容疑で訴追されるおそれがあったタクシンは、タイには戻らずロンドンへ向かい、事実上の亡命生活に入った。

民主的に選ばれたタイ政府を倒したこの無血クーデターにより、米国は、東南アジアの長年の同盟国との軍事関係の見直しと、援助の一部停止を迫られた。当時、隣国ミャンマーの軍事政権に対する国連制裁を求めていたブッシュ政権は、タイのクーデターを、この地域における民主主義の「後退」と位置づけた。

だとすれば、国連総会に出席する首脳にとって、自らの政権を守る最も確実な方法は、陸海空軍の司令官をはじめ、軍幹部を全員、国連代表団に加えてしまうことだ。そうすれば、彼らは総会議場で自分の目の届くところにいる。本国でクーデターを起こし、政権を奪う心配もない、というわけである。

国連総会の会期中、国連本部4階にあるIPSの事務所には、国連で活動する解放運動の代表者たちが、折に触れて集まっていた。パレスチナの民族解放運動を担うパレスチナ解放機構(PLO)や、東ティモールの独立運動を主導した東ティモール独立革命戦線(フレティリン)の関係者たちだ。

常連の一人が、フレティリンが樹立した亡命政府の外相に任じられたジョゼ・ラモス=ホルタだった。後に1996年のノーベル平和賞を受賞し、2007年から2012年まで東ティモールの大統領を務めた。

彼について、広く知られた逸話がある。

Portrait of Jose Ramos-Horta Photo:Public Domain.
Portrait of Jose Ramos-Horta Photo:Public Domain.

ある晩、ラモス=ホルタが、国連近くにある各国代表団なじみのレストランで食事をしていると、ウェイターが丁寧に出身国を尋ねた。彼は誇らしげに、イースト・ティモール(東ティモール)出身だと答えた。旧ポルトガル領で、1975年から1999年までインドネシアの支配下に置かれていた国だ。

ところが、地理に疎いウェイターは、こう聞き返した。「では、エスキモーの方ですか?」「いやいや、違います」とラモス=ホルタは答えた。「私はエスキモーではありません。イースト・ティモールという国の出身です」

ラモス=ホルタは、2012年に1期目の大統領任期を終えた後、2013年1月、西アフリカのギニアビサウを担当する国連事務総長特別代表に任命され、国連ギニアビサウ平和構築統合事務所の代表も務めた。

その後、国連本部近くのファースト・アベニューで彼に会った際、私はこの逸話が本当なのか、本人に確かめてみた。実際にあったことだという。私たちは二人で大いに笑った。

ある警備担当官は、こんな出来事を振り返っている。アフリカのある国の首相が国連総会で演説していたとき、アフリカ出身の学生たちが傍聴席からヤジを飛ばした。いつもの手順に従い、学生たちは議場の外へ連れ出され、事情を聴かれ、写真を撮られたうえで、国連施設への立ち入りを禁じられた。ところが約5年後、その学生の一人が国連に戻ってきた。今度は自国の外相として、総会の演壇に立ったのである。

カダフィ以外にも、革命やクーデターを経て国を率いた指導者たちが、国連総会で演説している。キューバのフィデル・カストロ、マリのアマドゥ・トゥーレ、ガーナのジェリー・ローリングスらだ。

トゥーレは1991年のクーデターで権力を握った後、民主的な選挙で選ばれた大統領となった。ローリングスも1979年に権力を掌握し、その政権下では過去の国家元首らが処刑されたが、後には民主的な選挙で選ばれた文民大統領を務めた。

PLO議長ヤーセル・アラファトが国連総会の演壇に立った一方で、世界で大きな物議を醸してきた指導者の中には、そこで演説したことのない人物もいる。イラクのサダム・フセイン、シリアのハーフィズ・アル=アサドと息子のバッシャール・アル=アサド、北朝鮮の金日成と孫の金正恩らだ。

Photo: Speaking at the UN General Assembly on December 11, 1964 on behalf of Cuba, Argentinean-born Ernesto "Che" Guevara responds to questions regarding his accent, affirming he is Cuban and willing to die for the liberation of any Latin American country. Credit: UN - Photo
Photo: Speaking at the UN General Assembly on December 11, 1964 on behalf of Cuba, Argentinean-born Ernesto “Che” Guevara responds to questions regarding his accent, affirming he is Cuban and willing to die for the liberation of any Latin American country. Credit: UN – Photo

1964年、キューバの指導者カストロの右腕として知られ、強烈なカリスマ性を備えたエルネスト・チェ・ゲバラが国連総会で演説した際には、国連本部が文字どおり攻撃された。アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家が演壇に立っている最中に、爆発音が響き、その声に重なった。だが、ゲバラは演説を中断しなかった。

米国内の反カストロ勢力は、ゲバラの国連訪問に激しく反発していた。ニューヨークのファースト・アベニューと42丁目付近の国連本部前では、カストロとゲバラに抗議するデモが行われていた。

そのさなか、国連本部に面するイースト・リバーの対岸から、国連事務局ビルに向けて口径3.5インチのバズーカ砲が発射された。携帯式のロケット砲である。しかし、ロケット弾は標的を外れ、国連本部側の岸から約200ヤード(約180メートル)離れた川面に落ちて爆発した。爆風で本部の窓ガラスが震えたものの、建物への直撃は免れた。

ある新聞は、この一件を「国連が1952年にイースト・リバー沿いの本部に移転して以来、最も常軌を逸した出来事の一つ。」と評した。

国連の古参職員たちが語り継いできたこの襲撃事件は、ゲバラが米国の外交政策を痛烈に批判し、西半球(南北アメリカ地域)の非核化をめぐる条約案にも異議を唱えていた最中に起きた。国連本部を標的とする、政治的動機に基づいたテロ攻撃の初期の事例の一つだった。

総会演説の後、自分を狙った攻撃について尋ねられたゲバラは、キューバ産の葉巻を手に、こう冗談を飛ばした。「この爆発で、話にひと味加わったね。」この日、ナイフを持った女性が国連本部への侵入を図り、ニューヨーク市警に逮捕される事件も起きていた。反カストロ派のキューバ人亡命者とされるこの女性は、狩猟用ナイフでゲバラを殺害しようとしていたという。

襲撃を企てたのが女性だったと知ると、ゲバラはこう言った。「銃を持った男に殺されるより、ナイフを持った女に殺される方がまだましだ。」

本稿には、インター・プレス・サービス(IPS)通信社のシニア・エディター、タリフ・ディーンの著書『No Comment—and Don’t Quote Me on That』からの抜粋が含まれる。ディーンは、スリランカの国連総会代表団の一員を務めた経験を持つ。フルブライト奨学金を得てニューヨークのコロンビア大学で学び、ジャーナリズムの修士号を取得。2012年と2013年には、国連特派員協会(UNCA)の報道賞で金賞を共同受賞している。同書はAmazonで購入できる

INPS Japan

国連、世界で最も多言語化された組織のひとつ

国際情勢を見誤らないために―地政学的変化への適応

|コラム|ケネディ大統領とカストロ首相の秘密交渉を振返る(ロバート・F・ケネディ・ジュニア)

最新情報

中央アジア地域会議(カザフスタン)

アジア太平洋女性連盟(FAWA)日本大会

2026年NPT運用検討会議第1回準備委員会 

パートナー

client-image
client-image
client-image
client-image
Toda Peace Institute
IPS Logo
The Nepali Times
London Post News
ATN

書籍紹介

client-image
client-image
seijikanojoken