【IPSコラム=ロナルド・マッコイ】
気候変動と核戦争は、人間の安全保障と地球の生存にとってもっとも重大な2つの脅威だと言えるだろう。各国政府は気候変動の原因に対処し、核戦争を防止しようとしているが、温室効果ガスを減らし核兵器をなくす政治的意思はさらに強化される必要がある。
気候変動はいまやはっきりと目に見える問題になった。しかし、依然として戦争に訴えることで紛争を解決しようとしているこの世界において、核兵器が存在しているにもかかわらず、自己満足にひたった世界の指導者の中には、核戦争の脅威を比較的抽象的なものとしてとらえ、その存在が視野に入っていない者もいる。
1970年の核不拡散条約(NPT)第6条では、非核兵器国は核兵器を保有せず、核兵器国は既存の核を廃絶していく法的義務を課している(第6条の文言には「非核兵器国」という言葉はない。単に、NPT加盟国に対して「軍拡競争を終わらせるために誠実な交渉を行う」ことを求めているだけである。おそらく、この点を起草者にただすべきだろう)。核兵器国は、文言の上ではこれに合意しているが、実際には、安全保障のために核抑止力に頼りつづけ、核戦力を維持・近代化している。この二重基準が、核の「持つ者」と「持たざる者」の仕組みを永続化させ、ジュネーブ軍縮会議をこの15年間麻痺させ、NPTプロセスにおける停滞の原因となっている。
冷戦終結から21年、主たる核の主唱者である米国とロシアは、依然として2万発以上の核兵器を保有している。両国ともに、配備された長距離核兵器を2018年までに1550発まで削減することを約した2010年の新START(戦略兵器削減条約)によって、さらなる核削減を進めるとしている。しかし、国内の政治情勢や米国のミサイル防衛計画、イランの核武装の野望などが、その障壁となってきた。
核兵器を保有する国がありつづけるかぎり、他国が核を取得しようという誘因になる。核兵器が存在しつづけるかぎり、決定によるものであれ、偶然や計算違いによるものであれ、いつか使用されてしまうかもしれない。未来にあるのは、拡散対抗措置を取りながら現状維持を図るか、核拡散との危険な共存を図るか、核兵器を全廃するかの3つの選択肢しかない。
1997年、国際法、科学、医学、軍縮問題の専門知識を持った活動家が、根本的な核のジレンマの問題に取り組んだ。核兵器なき世界に向けた法的、技術的、政治的条件を探り、すべての国にとっての安全保障上の懸念を検討したのである。彼らの問いとは、軍事主義と核抑止をベースにした軍事安全保障は、長期的に見て人間と地球の生存と両立しうるのか、というものであった。彼らは、生存は核兵器を廃絶できるかにかかっていると結論し、モデル核兵器禁止条約の策定へと向かった。これは、他の種類の大量破壊兵器である化学兵器・生物兵器に関して採択された条約の成功体験を元に、核廃絶の実行可能性に光を当てたものであった。
国連はモデル核兵器条約を公式文書のひとつとして認めた(国連文書A/C.1/52/7)。120ヶ国以上の国連加盟国が、すべての核兵器の廃絶、生産の禁止、強力な検証体制による核製造の防止を定めた核兵器禁止条約に向けた交渉を行うよう、国連総会で賛成票を投じた。
核廃絶には多くの障害があるが、そのもっとも根本的なものは、政治的意思の欠如と「外交の軍事化」であろう。しかし、過去、現在の指導者の中には発想転換の兆しが見られ、このことが、世界が今後20~30年で核を廃絶することができるのではないかという(やや抑え目の)楽観論の根拠となっている。米国の「冷戦の闘士」であり、政府の安全保障部門の主要人物であったヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、サム・ナンの4人が、核兵器なき世界を訴えている。バラク・オバマ大統領もまた、同じような主張をしている。
中規模国家は、最終的に核兵器禁止条約の締結につながるような多国間交渉を引っ張ることができる位置にいる。そのような交渉が始まったならば、世界の市民社会が刺激されて澎湃(ほうはい)たる世論が沸き起こり、核廃絶プロセスに加わる不可逆的なプレッシャーが核兵器国にかけられることになるだろう。それは、地雷保有を放棄して地雷禁止条約を各国に採択させたオタワプロセスに似ている。核兵器を廃絶するためのそうした世界的な努力には、ブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、南アフリカ、スウェーデンから成る「新アジェンダ連合」のような中規模国家による相当な政治的資源の投資を要する。
核兵器禁止条約は、核兵器の開発・生産・実験・配備・貯蔵・移転・使用(その威嚇を含む)を禁止するものである。広い意味では、それは核兵器の一般的な否定を意味し、あらゆる大量破壊兵器に反対する規範を成文化するものである。そうした条約は、外交の軍事化と核兵器への依存から離脱しようとする社会・政治運動を触発することになるだろう。核兵器廃絶の地点まで核軍縮を進め、人間の存在に関わる核戦争の脅威は取り除かれることになるだろう。
核軍縮と核廃絶の重要な違いちがいは、軍縮は基本的には技術的プロセスであるのに対して、廃絶は、軍縮を包含しつつ、核兵器の開発・取得・使用をも禁止する規範的なプロセスであるという点である。
核兵器禁止条約の締結は、時限を切り、強力な政治的意思に支えられた、包括的な多国間交渉を必要とすることになるだろう。このプロセスは、一連の二国間・多国間措置から成り、最終的には、法的拘束力のある取り決め(あるいは諸取り決めの枠組み)につながっていくことになる。このプロセスは、すでに確立されたものではあるが機能不全に陥っているジュネーブ軍縮会議で起こるかもしれないし、国連海洋法条約の採択に成功した諸会議と同じく、一連の特別な国際会議によるものになるかもしれない。
核時代のパラドックスとは、核兵器を通じて権力や軍事安全保障を確保しようとする動きが強くなるにつれ、人間の安全保障という目標が遠くなってしまうことである。環境面での問題が多く発生し、核武装した世界で人類が生き延びるには、過去の失敗から学び、共通の安全な将来を形作っていく必要がある。我々の時代の道徳上の難問とは、核戦争あるいは気候変動による「球規模での自爆」いう、到底考えられないような可能性のことだ。将来にむけた最大の優先課題とは、将来が存在するようにする、ということになるだろう。(原文へ)
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩
※ロナルド・マッコイは元産婦人科医。「社会的責任を考えるマレーシア医師の会」の創始者、「核戦争防止国際医師の会」(1985年にノーベル賞受賞)の共同代表でもある。
関連記事:
|軍縮|核兵器のない世界という新たな約束
|軍縮|核軍縮には未来がある(セルジオ・ドゥアルテ国連軍縮担当上級代表)
アジアのリーダーが域内に焦点をあてた反核キャンペーンを開始