地域アジア・太平洋HIV/AIDS蔓延防止に向けたカンボジア仏教界の試み

HIV/AIDS蔓延防止に向けたカンボジア仏教界の試み

【プノンペンAPIC=浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア】

カンボジア仏教界は、ポル・ポト政権下で僧侶の大半を虐殺されるなど壊滅的な打撃を受け、現在も再建途上の段階にある(カンボジアには約3,700の寺院があり、約50,000人の僧侶と9,000人の尼僧が仏教界と伝統的なモラルの再建に従事している)。 

しかし、内戦後の価値観の混乱に伴う諸問題(拝金主義と人身売買の横行、性行動の早期化/カジュアル化とHIV/AIDSの蔓延等)に直面して、伝統的なモラルの体現者としての僧侶の役割が改めて見直されるようになってきている。

 カンボジア政府も、かつて村落共同体の中核として人々の精神生活に大きな影響を及ぼし、青少年のよき指導者であったパゴダ(寺院)の僧侶の役割を再び重視するようになっており(カンボディア政府が仏教界の再建に実質的に着手したのは、1988年に55歳未満のカンボジア人が僧侶になることを禁止した法律を撤廃してからである)、1997年からは、国連児童基金(UNICEF)の支援も得てHIV/AIDSの蔓延防止に向けた仏教界との積極的な提携を模索している。ここでは、ポル・ポト時代の破壊の傷跡が深く残るカンボディア仏教界が、人心の救済を目指して、隣国タイ仏教界の活動を範としつつHIV/AIDS対策に取り組もうとしている現状を報告する。 

性感染症と社会的/宗教的価値観 

 カンボジアは伝統的に仏教国(国民の95%が仏教徒)で、誠実さ、正直さ、謙虚さ、家族の絆が重視されてきた。しかし、1975年~79年に政権を掌握したポル・ポト政権は原始共産主義を政治理念に掲げ、従来の家族の絆に代えてクメール・ルージュの指導者(オンカー)を頂点とする新たな秩序を基本とする社会体制の創造を試みた。 

その際、知識層と共に僧侶も粛清の対象とされたため、その大半が虐殺された。僅か4年間のポル・ポト時代が、数千年に亘って受け継がれてきたカンボジアの人々の価値観を根本的に変革するまでには至らなかったが、従来の社会規範、道徳規範に深刻な傷跡を残したことは否定できない。 

ポル・ポト政権崩壊後のカンボジアの極貧環境に洪水のように押し寄せた物質主義は、伝統的価値観に更に深刻な悪影響を及ぼした。現在のカンボジアでは、拝金主義と性情報の氾濫が若者の価値意識を混乱させている。一方、かつてないモラルの退廃とエイズの蔓延に危機感を募らせているカンボジア人も少なくなく、仏教の教えを根本とした伝統的な価値観への回帰を志向する人々も増えてきている。このように、カンボジア社会における社会的/宗教的価値観の位置付けは様々である。 
    
国連機関の支援を得て隣国タイ仏教界の取り組みに学ぶ 

カンボジア政府は2000年3月、HIV/AIDS対策について、従来の保健衛生セクターに限定せず仏教界を含む様々なセクターと連携したアプローチ(Multi-sectoral Approach)を採用する方針を発表した。これに対して、カンボジア仏教界は、パゴダを拠点とした(カンボジアでは、全ての人々がテレビやラジオにアクセスできるわけではないが、パゴダや僧なら全国のコミュニティーにあり、誰でも簡単にアクセスすることができる)アドボカシー活動や僧侶によるHIV/AIDS予防/感染者のケア等を視野に入れた協力をしていく方針を打ち出し、具体的な協力の可能性を隣国タイ仏教界の経験に学ぶ目的で、2001年4月、国連児童基金(UNICEF)の支援を得て仏教界の代表団をタイに派遣した。 

カンボジアより早い段階でHIV/AIDSが深刻な社会問題に発展したタイでは、仏教界は当初からHIV感染者に対する差別を戒めたり、責任ある行動をとるよう促してきた。1993年頃より僧侶自身が率先してHIV感染者達の中に入り、説法の内容を具体的に実践していくことで人々にエイズ患者達との共存を訴えていく運動が、タイ北部及び東北部を中心に活発になった。 

「宗教の戒律を説くのみでは差別に苦しむHIV感染者たちの救済にはつながらない。単なる言葉ではなく、私達の具体的な行動を通じてメッセージを発していくことが重要である。人々にHIV感染者の差別をやめるよう説くならば、まず私達がHIV感染者の人々と共に行動して仏教の教えを実践すべきである。」(Phra Phongthep, タイの僧侶) 

僧侶達の活動内容はパゴダによって様々だが、エイズ孤児のケア、ホスピス運営、HIV感染者を対象とした瞑想センターの運営、NGOと協力したHIV感染者の収入向上支援、パゴダでのHIV/AIDS教育の実施、エイズ患者の家庭の巡回訪問等、多岐にわたっていた。 

カンボジア仏教界の指導者達はその際のタイ訪問を通じて、いかに無数の僧侶や尼僧達が献身的にエイズ患者と接しているか、そしてその結果、いかに多くのエイズ患者が差別によって傷ついた心を癒され、人間としての尊厳と自尊心を取り戻すことに成功しているかを目の当たりに観察し、大いに勇気付けられた。 

「仏教の教えとその実践者である僧侶達を有効に活用して、寺院や寺院経営の教育機関、大学などにおいてHIV/AIDS対策を実践しているタイの経験は、カンボジアにおいても大いに生かすことができる。カンボジアでは、仏教界も再建途上にあり僧侶、尼僧の大半が文盲で経験不足という状況にあるが、近い将来彼らに必要な知識と技術を訓練し、タイのように仏教界が率先してHIV/AIDSの予防とケアを実施し、カンボジア社会の進むべき正しい道を示していけるような体制を構築したい。」(H.H.Buo Kry, supreme patriarch of the Dhammayuth sect) 

カンボジア政府としてはタイでの成果を踏まえて、再建途上ではあるものの農村部を中心に今なお民衆心理に大きな影響力をもつカンボジア仏教界の役割に期待しており、僧侶を性行動に関する自己抑制(Abstinence)のモデルとして活用することで、ますます低年齢化が進んでいる青少年の性行動を遅らせたいと考えている。 

「宗教関係者、特に仏教の僧侶による支援は、草の根レベルにおけるHIV/AIDS対策を行う上で、大変効果的である。僧侶達は、忠義、誠実さといったポジティブなイメージを体現する存在であり、彼らがエイズ患者の救済に取り組む姿は、一般のカンボディア人のエイズ患者に対する偏見を払拭するのに大いに役立っている。」(Dr. Tia Phalla, NAA) 

「以前は、HIV/AIDS患者が村ででると、その家族まで偏見の対象となったものだが、僧侶がHIV/AIDS感染の特性や安全に共存できること、そして差別ではなくコミュニティーで支えていくことの重要さを説いてまわった結果、HIV/AIDS感染者に対する村人の姿勢は変わってきている。」(Nhean Sakhen, Social Worker of Banteay Srei) 

従来型の支援に加えて内面の癒しを伴う精神的な支援も必要: 

「カンボジアでは大半の寺院がポル・ポト政権時代に破壊され、経験豊かな僧侶の大半が虐殺されたため、タイのようにパゴダを拠点とした病院やホスピスを組織的に運営できる状態ではない。現段階で最も効果的なアプローチは、僧侶を訓練し、エイズ患者を抱える家庭を巡回して患者の精神的なケアを行う体制を構築していくことである。このような、パゴダではなく家庭を拠点としたHIV/AIDSのケア体制の場合、その中核となるのは患者の家族であり、地域コミュニティーの協力と理解が不可欠である。HIV/AIDS対策において重要なのは患者の身体的な状態に留まらず、自分が家族やコミュニティーに受け入れられているかどうかといった精神面の健康が極めて重要となる。我々は、僧侶による巡回診療/カウンセリングと平行して、エイズ患者をとりまく人々に対する啓蒙活動を通じて、HIV/AIDSの問題を共通の課題として向き合える社会的土壌を育んでいきたい。」(Dr. Mey Nay, UNICEF)  

(財団法人国際協力推進協会カンボジア取材班:浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア) 

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