SDGsGoal11(住み続けられる街づくりを)|ネパール|大地震(同国暦1990年)から90年

|ネパール|大地震(同国暦1990年)から90年

【カトマンズNepali Times=ソニア・アワド】

ちょうど90年前の今週、ネパールは1934年の大地震(この年はビクラム・サンバット暦で1990年。同暦にちなんでナベ・サルとして知られている。)に襲われ、全国で8500人以上が死亡した。首都カトマンズでは、マグニチュード8.3の災害で家屋の70%が倒壊した。これを記念して、毎年1月16日は「全国地震安全デー」とされている。

ネパールは過去90年間に、ラナ家独裁時代から1950年代の暫定政権時代、パンチャヤット制、紛争、連邦共和制へと、多くの変遷を経てきた。

2015年のゴルカ地震では9000人近くが死亡し、約80万棟の建物が損壊した。2023年11月3日にジャジャルコットで発生した地震が示すように、ネパールは依然としてこうした災害に対する備えができていない。

陸地がねじれ、ほとんどの建物が倒壊した。その時の揺れは激しく「……木々はハリケーンの時のように折れ曲がった」と、ブラマ・シュムシャー・ラナ氏はその年の暮れに出版した著書『Nepal ko Mahabhukampa』の中で述べている。

ブラマ・シュムシャーはバベル・シュムシャー少将の息子で、地面が割れて熱水と砂の噴水が噴き上がった様子を描写している。バグマティ川とヴィシュヌマティ川は汚水で真っ黒になった。

ある者は立ち続けるために支えを求め、ある者は地面に手をついて動物のように移動せざるを得なかった。一旦広場に逃れてきた母親たちの中には、取り残された子供たちを救うために引き返し、住宅の倒壊で圧死した者もいた……一方、家屋から逃げのびた男たちの中にはその後助からないものもいた。町の狭い道や路地が罠のような役割を果たしていたのだ。」と著者は本に記している。

ネパールの位置するヒマラヤ山脈沿いは、地震活動が活発な地帯であり、70年から80年周期でこのような地震に襲われている。2015年にネパール中部で発生したマグ二チュード7.8のゴルカ地震は、しばしばそうした巨大地震の一つと間違われる。ヒマラヤの地震学者ロジャー・ビルハム氏は、科学者たちが恐れていたような大地震ではなかったと当時ネパーリ・タイムズ紙の取材に応じて語った。

SHAKEN: Patan Darbar Square after the 1994 quake (inset), and the overlapping restoration following 2015. 1934 was 1990 in the Bikram Sambat calendar.

実際、中央ネパールの断層は未だにエネルギーを蓄積し続けており、いつ解放されてもおかしくない。しかし、それ以上に切迫しているのは、11月の地震でエネルギーを発散しきれなかったネパール西部の長大な断層の方だと、ネパール国立地震技術協会(NSET)のスリヤ・ナラヤン・シュレスタ技師は語った。

1505年にネパール西部で発生した大地震はマグニチュード8.9と推定され、当時の国王を含むカトマンズ渓谷の人口の3分の1が死亡し、北インドに壊滅的な打撃を与え、現在のポカラ市のある場所に土石流を発生させた。

「ネパール西部に蓄積されたエネルギーは、マグニチュード8規模の地震を引き起こすのに十分な大きさだが、ジャジャルコット地震で放出されたエネルギーはごくわずかでした。これは、カトマンズで1934年型の地震が発生する可能性が残っていることを意味します。当時よりはるかに人口が大きいことを考えると、被害ははるかに大きなものになると予想されます。」とシュレスタ氏は説明した。

ヒマラヤ断層帯は、マハカリやパルパからネパール西部のどこででも巨大地震が起こりうることを意味する。いずれにせよ、ネパール西部でマグニチュード8の地震が起きれば、夜間に発生した場合、ネパール全土で150万棟の建物が直ちに倒壊し、10万人が死亡するだろう。

そうした地震で病院も倒壊するだろう。たとえ最初の揺れを耐えて残った病院があったとしても、重傷を負った20万人の患者で埋め尽くされることになるだろう。建築基準を満たしていない多くの学校や公共施設は、まるでトランプの家のように崩壊するだろう。電気、高速道路、通信、飲料水システムも寸断されるだろう。

2015年の地震は、ネパール人にとって、特により安全な構造物を建設するという点で、巨大地震に備えるための教訓となるべきだった。確かに、再建された建築物の90%は政府の建築基準法に従っているが、カトマンズの多くの建物はあからさまに規則を破っている。

「政策や法的枠組みは整備されていますが、備えはまだごくわずかです。」「既存の建造物はすでに脆弱ですが、新しい建物はさらに脆弱です。」とシュレスタ氏は警告する。

The Nepali Times
The Nepali Times

1934年の地震後、イーデン氏と名乗る地質学者兼エンジニアが、ネパールの安全な建築に関する一連の見解を示し、当時の『Gorkhapatra』誌に掲載された。

イーデン氏は、「 バクタプル、ハリシディ、コカナ、ブンガマティ地域は地震で最も甚大な被害を受けやすく、一方、パシュパティナート、バウダ、ゴカルナは最も被害を受けにくい、恐れなくてよい。シャンブーとキルティプールも同様に危険とは無縁である。ネパールのテライ地域では、川や貯水池の近くに家を建てるのは好ましくない。」と指摘している。

イーデン氏はまた、どのような建物をどこに建てるかについて詳しく説明し、耐震建築を推し進めた。「地震で家屋の倒壊を引き起こす要因は土壌の種類だけではありません。構造設計、使用される材料、建設業者の技術にも左右されるのです。」と彼は記している。

つまり100年近く前に、私たちはすでに何をすべきかを知っていたのだ。

コンクリートの建物が必ずしも強いとは限らない。 実際、標準以下のコンクリート建物は、死の罠となる。特にネパールには、このような倒壊した建物のための捜索・救助チームや設備がないことを考えればなおさらだ。

「マグニチュード8Mの地震がいつか起こり、これらの標準以下の建物はすべて崩れ落ちるでしょう。それは想像を絶する災難となるでしょう。」とシュレスタ氏は語った。(原文へ

INPS Japan/Nepali Times

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