【INPS Japan/ 国連ニュース】
「ジェノサイド」という言葉は、1944年にポーランドの弁護士ラファエル・レムキンが著書『占領下のヨーロッパにおける枢軸国の支配』の中で初めて使った造語である。ギリシャ語で人種や部族を意味する接頭辞genosと、ラテン語で殺害を意味する接尾辞cideからなる。レムキンは、ホロコーストでユダヤ人を組織的に殺害したナチスの政策に対応するため、また、歴史上、特定の集団の破壊を目的とした標的を絞った行動が過去にあったことに対応して、この用語を考案した。
その後、ラファエル・レムキンは、ジェノサイドを国際犯罪として認定し、成文化する運動を主導した。1946年、国連総会でジェノサイドが国際法上の犯罪として認められ、1948年の「ジェノサイドの犯罪の防止及び処罰に関する条約」で独立した犯罪として成文化されるに至った経緯を、条約75周年を機に振り返る。この条約は153カ国によって批准されている(2022年4月現在)。
国際司法裁判所(ICJ)は、この条約は一般的な国際慣習法の一部である原則を具体化したものであると繰り返し述べている。つまり、各国がジェノサイド条約を批准しているか否かにかかわらず、ジェノサイドは国際法で禁止されている犯罪であるという原則に、法的に拘束されるということである。(原文へ)
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