SDGsGoal4(質の高い教育をみんなに)インドの「ゴキブリ」たちが世界に突きつけるメッセージ

インドの「ゴキブリ」たちが世界に突きつけるメッセージ

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

この国の教育危機は、世界全体の問題である

【Global Outlook=デバシシュ・ロイ・チョウドリー

インドでは、Z世代からアルファ世代へと、すでにバトンが渡されている。試験問題の漏洩をはじめ、機能不全に陥った公的試験制度の実態を、かつてない規模の大衆運動を通じて浮き彫りにしたZ世代に続き、今度はアルファ世代(Gen Alpha)が、インドの教育制度に潜む、さらに根深い機能不全をあぶり出している。

こうした動きには、世界に向けたメッセージが込められている。世界はそれに耳を傾けるべきだ。なぜなら、インドの教育危機はインドだけの問題ではなく、世界全体にかかわる問題だからである。

先月の「ゴキブリ運動(cockroach movement)」を引き継ぐように、今度は学校に通う児童・生徒たちが声を上げている。試験問題の漏洩と失業をきっかけに始まった風刺キャンペーンは、全国規模の若者による抗議運動へと発展し、ナレンドラ・モディ政権を、ゴキブリ運動の活動家たちが辞任を求めていた教育相の退任に追い込んだ。

そして今月、各州で不満を募らせてきた児童・生徒たちが、今度は自分たちが声を上げる番だと、抗議に立ち上がっている。

彼らが求めているものは、決して多くない。独立から80年近くがたった今も、国家としてのインドが提供できていない、ごく基本的な教育環境にすぎない。

インドで最も多くの人口を抱えるウッタル・プラデシュ州では、生徒たちが国旗を手に行進し、長年先送りされてきた、学校へ通じる道路の建設を求めている。

北部ラジャスタン州では、聴覚・言語障害のある児童・生徒が通う公立学校の生徒たちが、十分に整備されたトイレや適切な教室がないことに抗議した。その抗議を受けて、同校の校長は停職処分となった。

中部マディヤ・プラデシュ州では、女子生徒たちが、毎日の通学費が家計の負担になっているとして、バス運賃の値上げに抗議している。西部マハラシュトラ州では、生徒たちが教師の配置を求め、無期限の座り込みを続けている。

インドの貧困層が頼みの綱としている公立学校の多くでは、教師はごくわずかで、十分な換気も、使用できるトイレも、机も、理科実験室も、図書館もほとんど整っていない。

そのため、こうした学校に通う児童・生徒は、教育費を負担できる家庭の子どもたちと競ううえで著しく不利な立場に置かれ、あたかも制度的に仕組まれているかのように、単純労働や低技能の仕事へと追いやられていく。

インドでは、教育への公的投資が慢性的に低い一方、この分野では民間資金への依存が強まっている。その結果、教育制度は、包摂的な発展の基盤を広げるどころか、既存の階級序列を再生産している。

こうした傾向は、モディ政権下の過去12年間で一段と強まった。連邦政府の年間予算に占める教育支出の割合は、2013~14年度の4.6%から2025~26年度には2.5%へと低下した。

過去10年間、インドでは平均して毎日25校の公立学校が閉鎖される一方、プライベート・エクイティ(PE)資本が教育現場に押し寄せている。貧困層は質の高い教育から締め出され、中間層でさえ、それを受けるために高騰し続ける費用の負担に苦しんでいる。

政府自身の集計によれば、インドには教員が1人しかいない学校が約10万校ある。しかも、こうした学校の教員は、事務作業に加え、選挙業務をはじめとするさまざまな行政任務を課されており、授業に割ける時間はほとんどない。

その結果は明白である。

今週公表された議会委員会の報告書によると、公立学校および政府の補助を受ける学校に在籍する生徒の73%近くが、後期中等教育を修了する前に中途退学している。

インドは、深刻化する学習危機にも直面している。世界銀行によれば、インドは、簡単な2桁の引き算ができない小学2年生の割合が世界で最も高い。また、短い文章を一語も読めない小学2年生の割合が最も高い12カ国の中では、マラウイに次いで2番目に位置している。

「ゴキブリ運動」の引き金となった試験問題の漏洩は、制度的な崩壊の一端にすぎない。それどころか、徹底的に壊れたインドの教育制度という真のスキャンダルの表面にすら触れていない。

そして、ここにこそ、現在インドが抱える多くの問題の根源がある。

その最たるものが、高度な技能を持つ労働者を十分に育成できず、イノベーションによってより高付加価値な産業へと移行できていないこと、生産性が低迷していること、そして実質賃金や消費の伸びが限られていることである。その結果、インド経済のエンジンは失速しつつある。

インドの経済成長は大きく失速し、通貨ルピーも急落している。 その影響で、インドは世界第4位の経済大国という地位から第6位へと後退した。外国投資家は資金を引き揚げ、インド企業は国内での投資に消極的になり、中国への産業面での依存は一段と深まっている。

経済成長が鈍化するなか、大卒者でさえ職を見つけることが難しくなっている。 インドでは失業中の若者の70%近くを大卒者が占め、その割合は過去20年間で倍増した。

賃金は長年にわたって停滞し、家計貯蓄は減少する一方、家計債務は増加している。現在、農業に従事する労働者の割合は5年前よりも高くなっており、これは事実上、脱工業化を示す逆行現象である。

工場から農村の農業部門へ労働者が戻る「逆移住(reverse migration)」も、この10年間で着実に増えている。これは労働市場の苦境を示すと同時に、経済の後退を物語る現象でもある。

こうした状況のなか、教育はもはや社会的上昇への切符ではなくなっている。経済の裾野が十分に広がらず、社会全体に繁栄を行き渡らせるだけの質の高い雇用が生み出されていないからだ。

15~29歳の若者のうち、雇用契約と社会保障を伴う正規の給与所得者は20人に1人にすぎない。 それ以外は失業しているか、インフォーマルな雇用のもとで不安定な労働を強いられ、なかには文字通り奴隷労働の状態に置かれている人々さえいる。

所得階層が高いほど、質の高い教育を金で手に入れ、不安定な生活から抜け出せる可能性も高くなる。

こうして、世界最大の民主主義国であるインドでは、格差がさらに深刻化している。現在のインドは、英国植民地統治下にあった時代よりも不平等な社会になっている。

世界銀行によれば、インド人は同程度の国々と比べても、生まれ育った家庭の教育・所得階層から抜け出す可能性が最も低い。

こうした構造的制約は、インドの経済的台頭そのものを妨げるだけでなく、経済成長が社会全体の発展へとつながる範囲を狭め、インドが世界経済の成長エンジンとなることを阻んでいる。

包摂性を欠いた成長は、富の恩恵を社会のごく一部に集中させることで経済発展を妨げる。需要を弱め、人的資本の形成を制約し、賃金と購買力を抑え、企業が事業を拡大し投資する意欲を削ぎ、さらには経済成長そのものの持続性を損なうからである。

こうした病理のすべてが、いまインドで顕在化している。

何十年にもわたり、人間開発、とりわけ教育を軽視してきた政策選択のツケが、いま回ってきている。そしてモディ政権の歯止めなき新自由主義が、そこに最後の一撃を加えた。

世界はここ数十年、インドを、世界経済に恩恵をもたらす新興経済大国として期待してきた。成長、イノベーション、貿易、需要を生み出す巨大な新たなエンジンとして、世界経済を押し上げる存在になると考えてきたのである。

そうした期待が寄せられたのは、インドが30年近くにわたってかつてない速さで成長し、数億人を貧困から脱却させてきたからである。

しかし、教育のような最も基本的な土台を軽視してきたことで、インドの偏った成長モデルは、ついにほころび始めているのかもしれない。

8月15日の独立記念日に独立79周年を迎えたインドで、若者たちは厳しい現実を突きつけている。

教育制度に根深く巣食う病弊を明るみに出すことで、「ゴキブリ」たちは世界にこう告げている。

インドは失敗しつつあり、かつて世界が寄せた期待に応えられない可能性が高い、と。

それはインド人だけにとっての悪いニュースではない。

世界中の人々にとっての悪いニュースなのである。

デバシシュ・ロイ・チョウドリー(Debasish Roy Chowdhury):香港を拠点とするジャーナリスト、研究者、作家。近著に、共著『To Kill A Democracy: India’s Passage to Despotism』(OUP/Pan Macmillan)がある。香港のほか、カルカッタ(コルカタ)、サンパウロ、ホアヒン、バンコク、北京で暮らし、勤務した経験を持つ。また、マレーシア、スリランカ、フィリピン、ネパール、カタールなどで取材活動を行ってきた。ジェファーソン・フェローであり、人権報道賞(Human Rights Press Award)、アジア出版者協会(SOPA)賞、香港ニュース賞など、複数の報道賞を受賞している。

Original URL:https://toda.org/global-outlooks/indias-cockroaches-have-a-message-for-the-world/

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