【国連IPS=タリフ・ディーン】

国連が創設81周年を迎える中、なお答えの出ていない一つの大きな問いがある。国連の未来はどうなるのか、という問題だ。
敵対姿勢を強める米国は、国連における活動を縮小させ、拠出金を削減し、分担金の未払いを続け、さらには最終的に国連そのものから脱退するのだろうか。|英語版|
これまでに米国は、世界保健機関(WHO)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の3つの国連機関に加え、国連人権理事会からも離脱している。
では、国連そのものが次の標的となる可能性はあるのだろうか。
来月開かれる国連総会に出席するパレスチナ代表団に対し、米国が査証(ビザ)の発給を拒否するとの報道を受け、先週の国連記者会見では、次のような質問が相次いだ。
「国連本部を世界の別の場所に移転することを検討すべきではないでしょうか。事務総長は、そのような手続きを開始できるのでしょうか。もし可能なら、どのような手続きになるのでしょうか。そして、米国が国連を『人質』に取ることになるのではありませんか。」
これに対し、ステファン・デュジャリック国連報道官は記者団にこう答えた。

「これは加盟国が判断すべき問題です。私の記憶が正しければ、国連の所在地については憲章に規定されています。このニューヨークという都市と国連は、過去81年間にわたり歴史を共有してきました。全体として見れば、それは良好な歴史だったと思います」
さらに記者から、「米国は、国連総会に出席するパレスチナ代表団へのビザ発給を拒否するとしています。国連はこの件を把握していますか。また、何らかの対応を取っていますか。」と問われると、デュジャリック報道官は、「そうした報道は承知しています。米国が国連本部協定に基づく責任を果たすことは、私たちにとって極めて重要です。その点について引き続き働きかけていきます。ただ、現時点で私たちが確認しているのは報道だけです。」と述べた。
ある報道によれば、米国は2026年1月7日に署名された大統領覚書に基づき、国連関連の31の機関・組織から離脱したという。これは、世界保健機関(WHO)やUNESCOといった主要機関からの従来の離脱に加わるものだ。
2026年1月のこの離脱指令では、とりわけ気候変動、開発、社会政策に関連する取り組みが対象とされた。
主な離脱先には、気候変動分野の国連気候変動枠組条約(UNFCCC)や気候変動に関する政府間パネル(IPCC)、社会・保健分野のUN Women(国連女性機関)や国連人口基金(UNFPA)、貿易分野の国連貿易開発会議(UNCTAD)、さらに国連人間居住計画(UN-Habitat)を含む各種地域委員会や事務所などが含まれている。
国連政治について幅広く執筆してきたサンフランシスコ大学政治学教授で中東研究プログラム部長のスティーブン・ズーンズ氏は、インタープレス・サービス(IPS)の取材に対し、安全保障理事会の構成や、国連本部が米国に置かれていること自体が「第2次世界大戦の時代の遺物になっている」と指摘した。
ズーンズ氏によれば、国連の歴史の大部分を通じて、米国は他のどの国よりも、米国以外の理事国がすべて賛成していた安全保障理事会決議案に拒否権を行使してきた。また、米国政府は国連に対する財政上の義務を繰り返し履行してこなかったという。
共和・民主両党の政権下で、米国は国連の司法機関、人道支援機関、調査委員会などを繰り返し攻撃してきたとズーンズ氏は指摘する。特に、国際人道法の履行をめぐって、その傾向は顕著だったという。
「米国によるイラクやイランでの戦争、さらに軍事力によって占領された領土について、イスラエルやモロッコによる併合を米国が承認したことは、国連憲章の基本原則をあからさまに軽視していることを浮き彫りにしている。」
さらに、「常任オブザーバー国であるパレスチナの代表団の入国を認めないことは、ニューヨークを国連本部所在地と定めた米国・国連間の協定に直接違反するものだ。」と述べた。
とはいえ、国連本部をニューヨークから移転することが現実的ではないと考えられる物流面、財政面、制度面での重大な理由が存在することも確かだ。
「それでも、この問題そのものが議論されるようになったという事実は、米国が国際社会でますます孤立しつつあり、国連のホスト国として皮肉な存在になっていることを示している。」とズーンズ氏は語った。
国際人道支援団体「コンシャンス・インターナショナル」のジェームズ・E・ジェニングス代表はIPSの取材に対し、米国が今後も国連への資金拠出を削減していく可能性は高いとの見方を示した。
特定の国連機関への資金提供を停止し、国連をさらに米国の影響下に置こうとする動きは、すでに始まっているという。
それが成功しなければ、トランプ大統領は米国が主導する別の国際機構を設立し、各国にどちら側につくのか選択を迫ることで、国連を脇に追いやろうとする可能性もあるとジェニングス氏は指摘する。
「今日の状況下で、国連を中心とするルールに基づく国際秩序が崩壊すれば、それは世界的な紛争を引き起こす確実な引き金となるだろう。」と語った。
Q:米国は、国連を自国の意向に従うよう再編することができるのでしょうか。
A:米政府が国連とその諸計画を再編しようとする動きを今後も続ける可能性は、国連本部そのものをニューヨークから移転させようとする動きよりも高いでしょう。
安全保障理事会はワシントンにとって有用な存在です。冷戦時代には、東側諸国による長期にわたる「ニェット(ノー)」に象徴されるように、世界の不満をぶつける対象として利用することができました。
一方、より最近では、ワシントンが中東で戦争を始めようとした際に、安全保障理事会が事実上それを止められない状況をつくることもできました。
多くの人々は、トランプ大統領が国連への影響力を強めるために攻撃的な姿勢を取っているだけだと考えています。しかし、それは彼という人物と、その手法を著しく見誤った判断でしょう。
実際には、彼が求めているのは単なる国連改革ではなく、国連そのものを完全に支配することです。
今年初め、自分は「これまで生きた中で最も強力な人物として認められるべきだ」と彼が豪語したことに注目した人なら、その言葉を文字どおり受け止めるべきでしょう。
彼の自我は、『ヨハネの黙示録』に描かれる底なしの淵のように、深さに限界のないブラックホールさながらです。
その目標がどれほど現実的かは、また別の問題です。
しかし、資金が多くの物事を動かす以上、そして長年にわたり国連の円滑な活動を支えてきた重要な要素の一つが米国の潤沢な資金提供だったことを考えれば、米議会が大統領の方針を覆す勇気を持つまでは、何が起きても不思議ではありません。
国連の主要な制度が試練にさらされていることは間違いありません。
大国による国連の政治的操作がもたらす長期的な影響は深刻です。その第一の実例として挙げられるのが、過去4分の3世紀にわたって、パレスチナ人の民族的権利が事実上消し去られてきたことです。
トルーマン政権が弱小国に圧力をかけ、1947年11月29日のパレスチナ分割決議に賛成させたことは、現地のアラブ住民の意思に反してイスラエル建国を強いることにつながり、国連憲章の精神にも反するものだったといえます。
国連憲章に抜本的な変更が加えられない限り、総会の影響力が安全保障理事会による世界政策への支配的影響力に取って代わることはできません。
もし米国が国連から完全に脱退したり、ワシントン主導の別の国際機構を創設したりすれば、現在の国連は、かつて存在した国際連盟と同じ運命をたどることになるでしょう。」とジェニングス氏は語った。
ある報道によれば、国連は現在、「UN@80」改革イニシアチブの一環として、ニューヨークに集中してきた機能の分散化を進めており、複数の世界規模の事務所や数百人分のポストを地域拠点へ移転している。
移転が進む国連の主要事務所・機関
・ユニセフ(UNICEF/国連児童基金):
ニューヨークにある世界本部機能の一部を、ケニアのナイロビへ移転。
・国連人口基金(UNFPA):
ニューヨークの世界本部機能をナイロビへ移転。
・UN Women(国連女性機関):
世界本部機能と本部予算で賄われるポストの一部を、ナイロビおよびドイツのボンへ移転。
・国連開発計画(UNDP):
ニューヨークから数百人規模のポストを欧州、主にボンとマドリードへ移転するとともに、その他の地域への機能移管も進めている。

一方、1988年、ヤセル・アラファト氏が国連で演説するためニューヨークを訪問しようとした際、米国がビザの発給を拒否したことがある。これに対し国連総会は米国に反発し、おそらく国連史上初めて、国連の最高政策決定機関である総会を一時的にジュネーブへ移した。これによって、パレスチナ解放機構(PLO)の指導者アラファト氏には、ニューヨークより政治的に敵対的でない環境と、演説の場が提供された。
1974年に初めて国連で演説したアラファト氏は、ジュネーブでの演説の冒頭、米国を皮肉るようにこう述べた。「1974年以来、私がこの名誉ある総会に2度目に出席する場所が、もてなしの街ジュネーブになるとは思ってもみなかった。」
1974年に国連総会で演説した際には、国連本部の外でアラファト支持派と反対派の数百人がデモを行っていたため、アラファト氏はそれを避けるようにヘリコプターで到着し、イースト川に面した国連本部敷地内のノース・ローンに着陸した。
ちなみに、ニューヨークのファースト・アベニューで反アラファト派のデモ参加者が、「アラファト、故郷へ帰れ(Arafat Go Home)」と叫んだ際、アラファト氏の支持者たちは、「それこそ、彼が望んでいることだ。」と応じたという。つまり、パレスチナ人が「帰ることのできる故郷」を持つことこそが、アラファト氏の求めていたものだったのである。
INPS Japan/ IPS UN Bureau Report
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