地域アジア・太平洋まだ存在しない経済に備える―カザフスタンの挑戦に注目すべき理由

まだ存在しない経済に備える―カザフスタンの挑戦に注目すべき理由

【INPS Japan/The Astana Times=アイダ・ハイダル】

この1年、未来学者たちと対話を重ねるなかで、とりわけ驚かされたことがある。人工知能(AI)をめぐって始まった話が、最後までAIそのものを中心に進むことは、ほとんどないのだ。(英語版)

たいてい、話の出発点はAIである。生成モデル、自律型エージェント、ChatGPTの次期バージョン、そして、こうしたシステムが進化する速さについて語り合う。ところが、20分、30分とたつうちに、AIそのものは会話の中心からほぼ姿を消す。気づけば私たちは、労働市場や教育、政治制度、ガバナンスについて話している。そして最後には、技術という枠をはるかに超えた問いに行き着く。何世代にもわたって近代社会を形づくってきた経済モデルが、終わりに近づいているのではないか、という問いだ。

本題は、AIそのものではない

Brett King during an interview with The Astana Times correspondent Aida Haidar. Photo credit: The Astana Time

https://astanatimes.com/2026/08/preparing-for-economy-that-doesnt-yet-exist-why-kazakhstans-experiment-is-worth-watching/
The Astana Timesのアイダ・ハイダル記者のインタビューに応じる未来学者ブレット・キング氏。写真提供:The Astana Times

こうした視点の変化を、私は次第に見過ごせなくなった。

私たちはAIがもたらす変化を理解しやすくするために、しばしばインターネットやスマートフォンになぞらえる。確かに、これらの技術は私たちの暮らしを変えた。しかし、近代経済を支える中心的な前提の一つを揺るがすことはなかった。それは、人間の労働こそが、価値を生み出し、富を分配する主要な原動力だという前提である。

AIは、その前提さえ揺るがすかもしれない。

未来学者のブレット・キング氏が、あるインタビューで語った言葉が、今も心に残っている。経済の自動化が進めば進むほど、資本主義の従来の仕組みは、想定されてきたとおりには機能しなくなるというのだ。彼の言葉を借りれば、それは「私たちが知る資本主義の終わり」を意味する。

その結論に賛同するかどうかは、むしろ二次的な問題だ。より重要なのは、彼の見立てが部分的にでも正しいとすれば、政府は何をすべきなのか、という問いである。

歴史を振り返れば、制度を担う側には、構造的な変化が完了するまで待ってから対応を決める余裕など、ほとんどないことが分かる。その段階では、移行に伴う痛みは、すでに必要以上に大きくなっていることが多い。

おそらく、それが、私の関心がAIそのものからリーダーシップへと徐々に移ってきた理由なのだろう。ここでいうリーダーシップとは、通常の意味での政治的指導力ではない。目先の政治日程を超えて考え、まだ十分に姿を現していない経済に向けて、社会の準備を進める政府の能力のことである。

キング氏は、過去40年にわたって多くの人が当然視してきた、もう一つの前提にも疑問を投げかけた。市場におおむね任せておけば、いずれ大半の問題は解決するという考え方だ。

「自由市場は気候変動を解決していません。貧困も解決していない。住まいを失う人々の問題も解決していません。これは自由市場が解決してくれる問題ではないのです。足並みをそろえた統治の取り組みが担うべき役割です」と、彼は私に語った。

世界各国の政府が、AIをどこまで規制すべきか、どこまで技術革新の展開に委ねるべきかを模索している今、この主張は強く議論を促すものだ。

それでも、彼が示す区別には説得力がある。AIが変えようとしているのは、単一の産業ではない。医療、交通、物流、金融、製造業、教育、行政に、同時に影響を及ぼし始めている。

これまでの技術革命とは異なり、AIは一つの省庁や規制当局の所管にきれいに収まるものではない。近代国家が数十年をかけて築いてきた、ほぼあらゆる制度に関わっている。

そうであるなら、リーダーシップの意味も変わってくる。問われるのは、今日の経済を効率よく運営すること以上に、明日の経済が本格的に到来する前に、国民がそれに備えられるようにすることだ。

カザフスタンが、思いがけず興味深い事例となっている理由も、おそらくここにある。

未来が訪れる前に備える

長年、カザフスタンの将来をめぐる議論は、主にエネルギー、重要鉱物、交通・物流の連結性、そして大国の間に位置する地政学的な立場を中心に展開されてきた。

しかし近年、別の見方が浮かび上がっている。AIをデジタル政策の一施策として扱うのではなく、国の長期的な発展戦略の中心に据える見方である。

この2年間、政府は国際AIセンター「Alem.ai」を開設し、AI教育プログラム「AI-Sana」を拡充するとともに、計算基盤に投資し、行政へのAI導入を加速させてきた。

この変化は、政府の公式発言にも表れている。

カシムジョマルト・トカエフ大統領は、AI開発評議会の第2回会合で、「資源と労働に基づく従来の成長モデルは、有効性を失いつつある」と述べた。そして、AIを原動力とし、データに基づいて機能する、全面的に統合された経済へと速やかに移行しなければ、カザフスタンは世界の技術競争に後れを取るおそれがあると警告した。

すべての取り組みが成功するかどうかは、ある意味では本質的な問題ではない。技術革命を完璧に乗り切った政府の例など、歴史上ほとんどないからだ。

しかし、備えるのが早すぎることと、遅すぎることの間には、大きな違いがある。

前者には、今後必ず変化していく構想に投資するリスクがある。後者には、気づいたときには世界経済のルールがすでに変わっているというリスクがある。

キング氏が、技術ではなく時間について語ったときに指摘していたのは、まさにこのことだった。

彼によれば、現代社会は四半期ごとの決算、単年度予算、選挙の周期に縛られている。しかし、社会を大きく変える事業は、そうした時間軸で成し遂げられてきたわけではない。大聖堂の建設は世代をまたぎ、パナマ運河の建設には数十年が費やされた。アポロ計画には、一つの政権の任期を大きく超える、持続的な政治の関与が必要だった。彼は、AIもまた、こうした文明のあり方を変える変革に属すると考えている。

話を聞きながら、私は考え始めた。私たちが直面する最大の課題は、AIそのものではないのかもしれない。むしろ、政治が未来を思い描く力を失いつつあることではないだろうか。

民主主義国の政府は、今なお30年先を見据えて考えることができるのか。現在の指導者たちが退任してから、はるか後になって初めて成果が明らかになるかもしれない投資について、その意義を説明し、支持を得ることができるのか。

カザフスタンを見ていると、こうした問いがますます重要に思えてくる。

トカエフ大統領は、急速に変化する世界で競争力を維持するうえで、デジタル変革はもはや選択肢ではなく、不可欠なものだと繰り返し述べている。

今年7月、上海で開かれたAI会議で、大統領は、どの国もAI技術の単なる利用者にとどまるべきではないと強調した。そして、技術の進歩が不平等を深めるのではなく、社会に役立つものとなるよう、すべての国が自国の人材を育てなければならないと訴えた。「どの国も、人工知能の単なる利用者にとどまるべきではありません。すべての国に、人材、デジタル基盤、そして制度を整え運営する能力を育む機会が保障されなければなりません。その根底にあるのは、公正と公平の問題です」と、大統領は述べた。

AI経済を、人間の側から考える

私が興味を引かれるのは、その構想の壮大さそのものではない。今や多くの政府が、AIについて熱心に語っている。注目すべきなのは、AIを単なる一つの技術分野として捉えるのではなく、教育や国家の政策遂行能力、長期的な経済計画と結び付けようとしている点だ。こうしたつながりは、未来学者のブレット・キング氏、ロン・イミンク氏との対話でも、繰り返し浮かび上がった。

イミンク氏は、まったく異なる角度からこの問題に向き合っていた。彼の関心は、アルゴリズムよりも文化にあった。主要なAIシステムの大半は、今なお主として英語を基盤に「思考」している、と彼は指摘する。しかし、言語にはそれぞれ異なる世界の捉え方、歴史的経験、文化的背景が織り込まれている。AIが真に知的なものになるには、単に言語を翻訳するだけでは足りない。それぞれの言語を理解することを学ばなければならないのだ。

Ron Immink. Photo credit: The Astana Times

https://astanatimes.com/2026/08/preparing-for-economy-that-doesnt-yet-exist-why-kazakhstans-experiment-is-worth-watching/
ロン・イミンク氏。写真提供:The Astana Times

この指摘によって、私は一見ささやかなニュースを、別の角度から捉えるようになった。カザフ語が、ChatGPTで利用の伸びが最も速い言語の一つになったというニュースである。これを、ちょっと興味深い統計として受け流すことは簡単だ。しかし、そこにはもっと大きな意味があるのかもしれない。AIの時代において、言語はもはやアイデンティティーだけの問題ではない。社会への参加を左右する問題にもなりつつある。

AIシステムのなかに取り込まれた文化は、そのシステムが人類そのものをどのように理解するかを形づくるうえで、必然的により強い影響力を持つことになる。教育も、同様の課題を突き付けている。

イミンク氏は、学校教育の大部分が、今なお工業社会の経済的な要請に沿って組み立てられていると考えている。学校は、1世代後には今の形では存在していないかもしれない仕組みのなかで、安定した職業人生を送るための準備を、生徒たちにさせているというのだ。

キング氏は、さらに踏み込む。哲学、心理学、倫理、生涯学習は、工学と同じくらい重要になるかもしれないという。AI時代に決定的な意味を持つ能力は、単にコードを書くことではない。変化に適応することだからだ。

未来学者たちへの取材を数カ月続けてきた私は、AIが政府に突き付けているのは、意外にも古くからある問いだと考えるようになった。それは、他国より速く技術革新を進められるかどうか、という問いではない。まだ存在しない未来を思い描き、不確実さを抱えながらも、その未来に備えられるかどうか、という問いである。

AI経済が最終的にどのような姿になるのか、誰にも分からない。予測は分かれ、技術は政策よりも速く進化する。そして歴史は、どれほど自信に満ちた予測であっても、その限界を思い知らせるものだ。今日始められたすべての取り組みが、意図した成果を生む保証はない。しかし、おそらく大切なのはそこではない。確実になるまで待つという選択肢は、もはや残されていないのかもしれない、ということだ。

今日のカザフスタンを見ていて、私が注目するのは、技術そのものよりも、その背後にある発想の転換である。AIは、もはや一つのデジタル産業や、技術革新のための政策としてのみ論じられているわけではない。教育、制度、行政、そして国の長期的な経済の方向性をめぐる、より広い議論の一部になりつつある。AI-Sanaであれ、計算基盤への投資であれ、Alem.aiの整備であれ、あるいは最近の政府全体へのAI導入の取り組みであれ、そこに共通するのは、変革への対応が避けられなくなる前に、準備を進めようとする姿勢である。

AI時代のリーダーシップとは、これからますます、そうしたものになっていくのかもしれない。あらゆる技術的な飛躍を予測する能力ではなく、大きな不確実性に国が適応できる条件を、進んで整えていく姿勢である。カザフスタンは今、その選択に賭けているように見える。AI経済が最終的にどのような姿になるのかを、誰も確信を持って語れない段階から、制度、教育、そしてデジタル分野の能力に投資しているのだ。

INPS Japan

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