【東京/アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】
中央アジアのカザフスタン北東部には、いまなお冷戦の傷痕が残っている。

セミパラチンスク核実験場では、1949年から1989年までの間に、ソ連が456回の核実験を実施した。周辺住民は放射線にさらされ、その健康と環境への影響は世代を超えて続いている。|英語版|
1991年8月29日、カザフスタンはこの核実験場を閉鎖した。それから35年を迎える今、この決断は改めて大きな意味を持っている。核兵器は再び各国の安全保障戦略の中で存在感を強めている。米国、ロシア、中国をはじめとする核保有国は核戦力の近代化を進めている。2026年2月には、米ロの戦略核戦力を制限する最後の条約だった新戦略兵器削減条約(新START)が失効した。5月には、第11回核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が最終文書に合意できないまま閉幕した。
こうした時代に、カザフスタンの経験は根源的な問いを投げかけている。国家の安全は、最終的に核兵器を保有することに依存しなければならないのだろうか。
市民の力が核実験場を閉鎖へと導いた
1989年、詩人オルジャス・スレイメノフ氏は「ネバダ・セミパラチンスク」反核運動の立ち上げに尽力した。運動は核実験が人間にもたらす代償に光を当て、大規模な反核世論を生み出した。
ソ連崩壊後、カザフスタンの領土には大陸間弾道ミサイルと核弾頭が残された。当時、世界第4位の規模とされた核戦力である。しかし、新たに独立したカザフスタンは核保有国となる道を選ばなかった。核弾頭をロシアへ移送し、関連する核兵器インフラを廃棄し、非核兵器国としてNPTに加盟した。

核被害国から軍縮外交の担い手へ

その後、カザフスタンはセミパラチンスクの経験を、より広範な核軍縮の取り組みへとつなげてきた。
カシムジョマルト・トカエフ大統領は、その歴史的な経験について厳しい言葉で語っている。
「核爆発はカザフスタンの国土に深刻な被害をもたらした。このような悲劇を二度と繰り返してはならない。わが国は核安全保障の原則を断固として守っていく。」と述べている。
カザフスタンは包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准し、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンとともに中央アジア非核兵器地帯の創設を推進した。
また2009年には、カザフスタンの提案を受け、国連総会が8月29日を「核実験に反対する国際デー」に制定した。
同国には世界各地の核爆発を探知する国際監視システムの施設が置かれているほか、オスケメンでは国際原子力機関(IAEA)が低濃縮ウラン(LEU)バンクを運営している。

核弾頭の「数」の向こうにあるもの
カザフスタンの核軍縮外交は、軍備管理交渉でしばしば脇に置かれがちな問題にも焦点を当ててきた。核兵器が人間に何をもたらすのか、という問題である。
セミパラチンスク周辺では、核実験の終了から数十年が経った今も、健康や環境への影響に対する懸念が続いている。
こうした経験は、核兵器禁止条約(TPNW)におけるカザフスタンの取り組みにも反映されている。同国は核兵器の禁止だけでなく、被害者支援や汚染された環境の修復を重視してきた。
同じく核実験によって深刻な被害を受けたキリバスとともに、カザフスタンはこれらの取り組みを支える国際的な資金制度の創設を推進している。
その基本にあるのは、将来の核兵器使用を防ぐだけでは十分ではなく、過去にもたらされた被害に対しても国際社会は責任を負うべきだ、という考え方である。
セミパラチンスク、広島、長崎、マーシャル諸島、キリバス。地理的にも歴史的にも異なるこれらの地域は、核時代が人間にもたらした被害によって結ばれている。
カザフスタンと市民社会の役割

市民社会は、カザフスタンの核をめぐる歴史に当初から深く関わってきた。「ネバダ・セミパラチンスク」運動は、市民の声が核政策を動かし得ることを示した。
独立後もカザフスタンは、市民社会組織、人道支援機関、研究者、核実験被害者、若者、宗教団体などと協力し、核兵器が人間にもたらす影響を国際的な議論の中心に据える努力を続けてきた。
そうした組織の一つが創価学会インタナショナル(SGI)である。SGIは長年、核兵器廃絶を安全保障の問題だけではなく、人類の生存と尊厳に関わる問題として訴えてきた。
2022年にウィーンで開催された第1回TPNW締約国会議では、カザフスタンとキリバスが、核時代平和財団、SGIとともに、被害者支援と環境修復をテーマとする関連行事を開催した。

2023年には、在ウィーン国際機関カザフスタン共和国政府代表部、SGI、国際安全保障政策センター(CISP)が、セミパラチンスク核実験の影響をテーマとする行事をウィーンで開催した。同年、アスタナでは、カザフスタン外務省とCISPが、SGI、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、赤十字国際委員会(ICRC)などとともに、「核実験に反対する国際デー」を記念する会議を開催した。
こうした協力について、SGI平和センターの寺崎広嗣事務総長は、カザフスタンと日本には共通するものがあると指摘している。
「カザフスタンの多くの人々も、核軍縮を求める同じ強い願いを共有しています」と寺崎氏は、INPS Japanの取材に対して語り、広島・長崎の原爆投下を経験した日本の人々の思いとの共通性を指摘した。
市民運動がセミパラチンスク核実験場の閉鎖を後押ししたカザフスタンにとって、市民社会との連携は核軍縮外交の周辺的な要素ではない。その土台の一部なのである。

日本とカザフスタンを結ぶ核被害の経験

カザフスタンと日本の関係も、核被害という共通の歴史によって結ばれている。
広島と長崎は戦争における核兵器使用を経験し、セミパラチンスクは核実験による影響を経験した。
日本は被害を受けた地域との医学・研究協力を支援し、カザフスタンとともにCTBT発効促進にも取り組んできた。
2025年12月の訪日の際、トカエフ大統領は東京の国連大学で「核のリスクが再び高まっている」と警告した。広島、長崎、セミパラチンスクに言及しながら、核軍縮を前進させ、核の危険を減らすための具体的な行動を呼びかけた。
逆方向へ進む世界
トカエフ大統領の警告は、いま一層の切迫感を帯びている。
世界にはなお1万発を超える核弾頭が存在し、主要な核保有国は核戦力の近代化を続けている。新STARTの失効により、米国とロシアの戦略核戦力を包括的かつ法的拘束力をもって制限する枠組みは存在しなくなった。
5月のNPT再検討会議は最終文書を採択できず、実質的な合意に至らない結果はこれで3回連続となった。署名開放から30年を迎えた包括的核実験禁止条約(CTBT)も、いまだ発効していない。
核軍拡を抑制するための制度が弱体化する一方で、核兵器には再び戦略的重要性が与えられつつある。

記憶するだけでは足りない

カザフスタン戦略研究所のダウレン・アベン氏は、35周年を前にThe Astana Timesへの寄稿で、セミパラチンスクの教訓を簡潔に表現した。それは、単に記憶することではなく、「記憶し、行動する」ことだという。
核政策は通常、「抑止」「戦略的安定」「勢力均衡」といった言葉で語られる。
しかし、セミパラチンスクは別の尺度を突きつける。放射線にさらされた地域社会、汚染された土地、そして自らは核実験を経験していなくても、その影響を背負って生きる世代である。
1991年、カザフスタンは、自国領土に残された核戦力を国家の力の象徴として維持する道を選ぶこともできた。しかし、別の道を選択した。
その決断によって核兵器が世界からなくなったわけでも、核軍縮が不可逆的に進むことが保証されたわけでもない。
それでも一つの事実は残る。核保有国となる可能性を持っていた国が、その道を選ばなかったという事実である。

11月30日から12月4日まで、ニューヨークの国連本部でTPNW第1回再検討会議が開かれる。核保有国の大半はいまも同条約の外にいる。
それでも、この条約が投げかける問いは、カザフスタンの経験が問いかけてきたものと重なっている。
核兵器を保有することは、本当に国家をより安全にするのか。
それとも、真の安全保障とは、核兵器そのものが存在しない世界を築くことなのか。
かつてのセミパラチンスク核実験場には、いまも爆発の痕跡が残っている。それは、人類がすでに核兵器によって何をしてきたのかを物語る記憶である。
しかし35年前、カザフスタンはこの場所に、もう一つの意味を与えた。
核兵器という仕組みから離れ、別の道を選ぶことができるという証しである。
いま問われているのは、世界の他の国々にも、同じ選択をする政治的意思が残されているかどうかである。

This article is brought to you by INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan
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