【キトIDN=ネルシー・リザラーゾ】
普遍的市民権或いは世界市民権とは、「人道行動事典」によると、世界のあらゆる場所で、誰もが、権利を持った主体とみなされる原則、カテゴリー、あるいは条件である。
これは、少なくとも国際的な領域においては、確立され、受け入れられた概念であり、人権の普遍性と直接に結びついている。普遍的市民権の概念は、根本的に、人権というものは、ある個人がどの国家出身であるかに関わりがなく、どこにいても守られ、尊重されなくてはならないことを意味する。
2008年に国民の多数の支持を得て承認されたエクアドル憲法は、同国の国際関係の基本指針の一つとして、普遍的市民権を次のような形で定めている。
「憲法は、普遍的市民権の原則、世界の全ての住民の自由な移動を支持する。また、国家間の、とりわけ『北』と『南』との間の不平等な関係を転換する要素としての異邦人あるいは外国人の地位を漸進的に廃絶することを支持する。」
エクアドルは、この原則を憲法に持ち込んだことで、人間の自由な移動と国境の廃絶を求める、世界の旗振り役となった。別の言葉で言えば、エクアドルは、移民の地位を理由に誰も不法滞在者とはみなされてないことを理解する、移民をめぐる政治と立法に全く新しい焦点を当てた先駆的な存在となった。これは間違いなく、国民と外国人との間の差別を行く行くは廃絶しうる完全に統合的な視点であった。
人権擁護団体からの広範な支持がある一方で、国内保守層による直接的な批判や、外国人排斥と人種差別に駆られた一部市民による反対の声が上がっていたが、ラファエル・コレア大統領は、エクアドルに来訪するすべての外国人に対する観光ビザを廃止し、90日間の滞在を可能とする決定を公にした。
しかしそれから1年も経たずして、「市民革命」政府(コレア大統領が自らの政権を指して使っている用語)は、この措置を再検討し、まずは中国籍の来訪者に対して、さらに数カ月後には、バングラデシュやアフガニスタン、ナイジェリアなどの国から入国する来訪者に対して観光ビザを再導入した。この時点で「市民革命」政府は、観光ビザ廃止により、自国がブラジルや米国へ向かう旅客の単なる通過点になっているという現実と、国境開放措置が南米全体を「不安定化」させ地域の緊張を高めることになったことを理解したのである。
その後2年の間に、エクアドルは、キューバやハイチから流入する人口が急増する事態に直面した。しかし「普遍的市民権」の原則にはその裏付けとなる適用可能な法律を欠いていたため、内務大臣と警察当局が既存の移民関連法に基づく権限を行使する形で介入することになった。
実際、2010年にエクアドル政府は、「非正規な滞在状況にある」と見なされた外国籍の市民や警察の取り締まりによって身柄を拘束された人々を収監する不法滞在者収容所を設置した。この場所はかつてホテルであり、今も「カリオン・ホテル」として知られている。不法移民は、強制送還されるか、何らかのビザを取得して状況を打開できないかぎり、ここに収容され続けることになる。
人権団体や、移民・難民支援団体は、こうして非正規な滞在状態にある外国籍の市民が人権侵害に晒されているとしてエクアドル政府を非難している。これに対してエクアドル当局は、市民の安全を守るために移民を取り締まる必要があり、収容所では収容者の尊厳が守られるよう当初から必要な措置が取られている、と主張している。
こうして、自由に移動する権利に関連した先進的な原則としての「普遍的市民権」は、今日、国内および国際的な文脈において、数多くの障害に直面し続けている。
国内レベルで言えば、この原則に従って移民関連法が改正されていないために、「普遍的市民権」の意味に逆行するような形で警察当局や関連組織の運用の多くがなされていること。さらに、労働市場や安全面を憂慮する国内議論を背景に、他国からの移民の流入や移住に対して反発的な空気が生まれていること。
国際レベルで言えば、南米地域は統合が進んでいるにも関わらず、未だに様々な国の間で移住政策の調整がなされておらず、ましてや「普遍的市民権」への関連付けなどはなされていない地域であること。また今日の世界では、様々な動機を背景により良い生活を求めて他の地域に移動しようとする人々のニーズが、ビジネスの対象になり、人権が侵害されやすくなっていること。
にも関わらず、エクアドル憲法において「普遍的市民権」原則に期待することは、移動の自由を一つの権利であり、人間の自由の行使であると見なす人々の観点からすれば、大きな前進である。それは、長く困難ではあるが、決して不可能ではない道を指し示す模範的な決定なのである。(原文へ)
翻訳=INPS Japan
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