【IDN東京=池田大作】
国連で、7月に採択された核兵器禁止条約の署名開放の日を迎えた。加盟国の3分の2近くが交渉に参加し成立をみた条約の発効に向けて、いよいよ動き出すことに特別の感慨を覚える。
条約の採択に賛成した122カ国をはじめ、多くの国の署名を得て、早期の発効を果たすことを切に望むものである。
核兵器のない世界の追求は、そもそも、国連の誕生を受けての最初の総会決議(1946年1月)で焦点となったテーマであり、その後、何度も決議が積み重ねられてきた70年越しの課題であった。
その突破口を開いたのは、近年の「核兵器の非人道性」に対する国際社会の認識の高まりである。“同じ苦しみを誰にも味わわせてはならない!”との世界の被爆者の切なる思いが、長年にわたり訴え続けられる中で、核問題を巡る議論の流れを大きく変えてきたのだ。
一石また一石と国際社会に投じられてきたこうした叫びが、まさに禁止条約の礎石となったのである。その重みを物語るように、条約の前文には「ヒバクシャ」の文字が2カ所も刻まれている。
条約の意義は、何と言っても、核兵器の保有から使用と威嚇にいたるまで、一切の例外を認めずに禁止したことにある。
それは、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見で指摘された“明示的な禁止規範の不在”の克服につながるものにほかならない。
思い返せば、私の師である創価学会の戸田第2代会長が60年前の9月8日に発表した「原水爆禁止宣言」で訴えたのも、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対に許されないという一点であった。
私どもSGIはこの宣言を胸に、近年ではICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと条約づくりを後押しする活動を行ってきたほか、他のFBO(信仰を基盤とした団体)と連携し、核兵器を憂慮する宗教コミュニティーとして共同声明を8回にわたって発信してきた。
「核兵器は、安全と尊厳の中で人類が生きる権利、良心と正義の要請、弱き者を守る義務、未来の世代のために地球を守る責任感といった、それぞれの宗教的伝統が掲げる価値観と相容れるものではない」と、倫理的観点からの問題提起を続けてきたのである。
冷戦以来の「不信のスパイラル(悪循環)」が生み出した核抑止政策の奥には、“自国を守るために、どれだけ多くの民衆の犠牲が生じてもやむを得ない”との生命軽視の思想が横たわっている。
戸田会長が「原水爆禁止宣言」で強調したように、核兵器の存在は一人一人の「生命の権利」、人類の「生存の権利」に対する最大の脅威なのだ。
核兵器禁止条約は、その生命軽視の思想に楔を打ち込むものであり、交渉会議で議長を務めたコスタリカのエレイン・ホワイト・ゴメス大使が述べたように、そこで打ち立てられた規範には「21世紀の新たな安全保障のパラダイムを発展させる」という歴史的な意義が込められている。
禁止条約では、核保有国や核依存国の状況を踏まえた制度設計がなされている。つまり、「加盟前の核兵器全廃」を必ずしも前提とせず、「核兵器配備の解除と廃棄計画の提出」をもって条約に加わる道も開かれているのだ。
交渉会議でオーストリアの代表が指摘した通り、「国々や人々の安全を損ないたいと思っている者など誰もいない」はずだ。
どの国にとっても平和や安全はかけがえのないものであり、その意味で問い直すべきは、核兵器の非人道性を踏まえてもなお、自国を守る方法が、“核兵器を必須とする安全保障であり続けるしかないのか”との点ではないだろうか。
その意味でも私は、唯一の戦争被爆国であり、非核三原則を掲げる日本が、“自分たちの生きている間に核兵器のない世界の実現を見届けたい”と命を懸けての行動を続けてきた被爆者の方々の思いをかみしめて、条約への参加に向けた検討に踏み出すことを、強く訴えたい。
核兵器がひとたび使用され、その応酬が始まってしまえば、壊滅的な結果が生じ、救援活動や対応能力の確立が不可能であるばかりか、その影響は国境を越え、長期にわたるものになるということは、核保有国であるアメリカやイギリスも参加した「核兵器の人道的影響に関する国際会議」で、明確になったところである。
そうした議論の積み重ねの上に採択された核兵器禁止条約が問うているのは、「核保有の継続と安全保障とを同一視するような認識を改める必要性」ではないだろうか。
核兵器の問題は、一国の安全保障の観点からのみ判断され続けて良いものでは決してない。人類全体の平和と世界の民衆の「生存の権利」に軸足を置き、「21世紀の新たな安全保障のパラダイム」を見いだす努力を傾ける中で、廃絶への道を共同作業として開かねばならない。問題の本質は、核保有国と非核保有国との対立にあるではなく、「核兵器の脅威」と「人類の生存の権利」の対立にこそあるのだ。
私は、その意識転換を促す最大の原動力となるのが、グローバルな市民社会の声を結集することだと考える。
「平和首長会議」に加盟する都市が、今や162カ国・地域、7400近くに及んでいるように、核兵器のない世界を求める声は、核保有国や核依存国の間でも広がっている。
条約づくりの作業も、被爆者の方々をはじめとする市民社会の力強い後押しがなければ、前に進めなかったものだった。
交渉会議の場で市民社会の席は後ろ側であったが、採択後にエジプトの代表がいみじくも、その情熱と献身ゆえ市民社会は“尊敬の最前列にある”と語った通りの大きな役割を担ってきたのだ。
核兵器禁止条約の採択により、核兵器廃絶への挑戦は新たなステージに入った。条約の意義を普及させ、その支持をいかに幅広く堅固なものとしていけるかが、これからの課題となろう。
条約の第12条には、「条約を普遍化するための努力」が規定されている。そのためには、被爆者の方々が訴え続けてきた原爆被害の実相に対する認識が、国や世代を超えて幅広く共有され維持されることが必要だ。その鍵を握るのは、平和・軍縮教育である。
それは、核保有国や核依存国が、「核兵器のない世界」という地球的な取り組みへの歩みを共にするために欠かせない基盤ともなる。
そして、市民社会の参加と貢献を得て採択された条約の特質に鑑みれば、平和・軍縮教育の推進をはじめとする「条約を普遍化するための努力」を後押しすることが、市民社会の重要な役割となってくる。
ICANなど多くの団体と協力しながら、条約の普遍化のための取り組みを進め、「核兵器のない世界」への道を力強く開いていくことを、この9月20日の署名開放の日に固く誓うものである。(原文へ)
https://www.daisakuikeda.org/sub/resources/works/essays/op-eds/heed-the-voices-of-the-hibakusha.html
INPS Japan
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