【ウランバートル/アスタナIDN-INPS=ジャルガルサイハン・エンクサイハン】
核兵器の廃絶は、この大量破壊兵器をなくそうという70年におよぶ人々の熱意と希望を反映した、野心的な目標だ。ポスト冷戦期のパラドックスは、核兵器の数自体は削減されたものの、核兵器を保有する国の数は増えたという点にある。
また、核抑止ドクトリンをはじめ、冷戦期のレトリックや時代精神の復活、超音速の核兵器運搬手段の実験、(核使用)決定までに僅かな時間しかない高度な警戒態勢、核使用のハードルを引き下げる「爆発力調整」技術の導入によって、核使用のリスクは高まっている。
核兵器は人類を破滅させる兵器であり、従ってすべての人々にとっての脅威である。過去の記録を振り返れば、人類が核の破滅を逃れることができたのは、抑止政策のためではなく単なる偶然によるものであったことがわかる。人類の将来を、運や一部の人間の政策に委ねることはできない。
「人道主義的アプローチ」は、そうした核兵器のごく一部分でも使用されれば、医療、環境、人道の面で壊滅的な帰結を引き起こすことを、あらためて強調した。核兵器は人類にとって危険な自爆爆弾であり、核を保有する国々は、いってみれば潜在的な「自爆テロ犯」だとみなしてよいだろう。従って、核兵器の廃絶を目指す闘いにおいては、核保有国やその同盟国だけではなく、あらゆる国の積極的な参加が必要となる。
モンゴルの意義
冷戦期、モンゴルはある核兵器国(=ソ連)と同盟を組み、軍事基地を置くことを許していた。そのためモンゴルは核兵器国間の緊張関係の人質となり、その軍事紛争に容易に引き込まれる構造になっていた。
しかし冷戦が終焉し国際情勢が変化すると、モンゴルはそうした同盟に依存することを止め、共通の安全保障の論理と要請に従って、もっぱら政治的・外交的手段によって安全保障を確保する選択をしてきた。
こうして、1992年、モンゴルは「一国非核兵器地帯」の地位を宣言した。一貫性のある継続した政策、そしてそれへの広範な国際的支持を得て、今日のモンゴルは、国際的に認められた非核地位を享受している。
2012年、核保有五大国(P5)はその共同宣言で、モンゴルの非核地位を尊重し、それに違反するような如何なる行為も行わないことを誓った。この共同宣言は、モンゴルの地政学的な位置を反映して、モンゴルに特化した保証を与えたものである。それは、将来の地政学的な核の対立状況においてモンゴルを手駒として使うことはないと宣言したものであった。
実際上は、それは、150万平方キロという広大な領域が、「グレーゾーン」あるいは不安定要素になるのではなく、信頼と安定の地帯になるということを意味する。このことは、一国および地域の安全保障を強化するうえで国際社会のそれぞれのメンバーの役割が大変大きいことを示している。地理あるいはその他の要因によって、既存のあるいは新規の非核兵器地帯の加盟国になることができない約25の国や地域が、モンゴルの経験から利益を得て、「グレーゾーン」になることを避けることができるかもしれないのである。ここに、モンゴルの貢献と経験の実際上の重要性がある。
モンゴルの立法
モンゴルの非核地位は、単にP5による政治的了解、あるいはP5との取り決めであるにとどまらない。それは、国益と国の立法を基盤としたものでもある。こうして、2000年、モンゴルは一国レベルで非核地位を定義する立法を行い、その地位を犯すような行為を犯罪化した。モンゴル政府は、議会に対して定期的にその実施状況を報告しなくてはならない。この報告を基礎として、モンゴル政府は2015年、非核地位を地域安全保障の取り決めの不可欠の一部とすることを目的とした決議を可決した。
北東アジア非核兵器地帯
モンゴルは、自らの経験をもとに、北東アジアに非核兵器地帯を創設することが可能か、そしてそれはいかにして達成可能か、を検討する非公式ベースの作業を北東アジアの国々と行う用意があるとの意思表示をしてきた。これは、このデリケートで予断を許さない北東アジア地域において、安全保障の包括的なアプローチの本質的な要素となるものである。モンゴル大統領が2013年の核軍縮に関するハイレベル会合で既に指摘していたように、北東アジア非核兵器地帯の創設は決して容易な課題ではなく、勇気と政治的意志、忍耐を必要とするものだ。それは実現可能だが、いますぐできるというわけでもない。この地域の地政学と地域的な軍拡競争の可能性を考えると、北東アジア非核兵器地帯創設の道筋と手法を編み出すには特別の努力が必要とされるだろう。
「ブルーバナー」の活動
2005年に創設された独立の市民組織である「ブルーバナー」は、政府と協力して、モンゴルの地位を国内的にも国際的にも高める取り組みを進めてきた。今日、ブルーバナーはいくつかの問題に関する研究を進めている。ひとつには、モンゴルの地位を東アジア地域の安全保障や安定とつなげる適切な措置の策定について検討している。また、北東アジア非核兵器地帯創設への包括的アプローチについて、長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)のような域内の他のNGOやシンクタンクと協力している。
ブルーバナーは、今日において、ある国の領土に核兵器が単に存在しないということは、核の対立関係や紛争に巻き込まれたり、その状況の中で利用されたりする、ということにはならないと考えている。軍事計画において時間と空間が決定的な要素である場合には、非核兵器地帯の領域は、軍事の計画や準備、実行において利用されることになるかもしれない。
従って、ブルーバナーは、非核兵器地帯の意味合い(たとえば、単に核兵器が物理的に存在しないということだけではなく)を理解・解釈するための、より広範なアプローチの実行可能性について研究している。それはまた、核兵器使用インフラの追跡への関与、自国内への設置、あるいはそれへの関与を排除するという意味も含むだろう。
ブルーバナーは、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」の一員として、北東アジアの他の市民団体と協力して、最近立ち上げられた「トラックII(=民間対話)ウランバートルプロセス」の枠組みにおいて、包摂的な地域のトラックII対話に向けた空間と場を作り出し、実践的な考え方を生み出すための取組みを行っている。すなわち、朝鮮半島の状況や、北東アジア非核兵器地帯の創設といった問題への対応に貢献する有益な考え方や提案の「実験室」として機能したいと考えている。
要するに、核兵器なき世界を作り出すためにはすべての国々の貢献が必要なのである。(原文へ)
翻訳=INPS Japan
※ジャルガルサイハン・エンクサイハン博士は、モンゴルを国内外で代表する政府の一員として印象的な経歴の持ち主である。2013~14年、多国間問題担当大使。モンゴルで2013年に開かれた「民主主義国共同体」の閣僚会合に向けた組織委員会の顧問。2008~12年、モンゴルの駐オーストリア大使、国際原子力機関(IAEA)大使。1996~2003年、モンゴルの国連大使(駐ニューヨーク)。1978~1986年、外交官として国連代表部に勤務。
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