【キエフIPS=パボル・ストラカンスキー】
ウクライナの首都キエフがソ連崩壊後の独立時代(1991年~)最悪の暴動を経験する中、一部の抗議参加者は、現在の危機を招いたヴィクトル・ヤヌコヴィチ政権に対する募る不満は、今回の難局を打開する方策が見出されたとしても消えることはないだろうと警告している。
11月に反政府デモが始まった時、その表向きの理由は、ヤヌコヴィチ大統領が欧州連合(EU)加盟に向けた第一歩となるはずだった連合協定の署名を突然棚上げし、ロシアとの関係を強化する道を選択したというものであった。
しかし抗議デモの様相はまもなくして、大統領による特定の政治判断に対する抗議から、ヤヌコビッチ政権そのものに対する嫌悪と不満を爆発させるものへと変質していった。
「反政府デモはEUとの連合協定を突然棚上げした大統領の決定に抗議する活動として始まりましたが、本当の理由はそれだけではありませんでした。誰もがヤヌコビッチ体制にうんざりしていたのです。」とデモに参加していたヴァレリー・ドロレンコ氏(45歳)はIPSの取材に対して語った。
ウクライナ内外の人権擁護団体によると、2010年にヤヌコヴィチ氏が大統領に就任以来、治安や内政の主要ポストを側近が占め、市民の自由は侵害され、反体制派は厳しい弾圧に直面し、法執行機関の独立と信頼性はほとんど失われたという。汚職監視組織「トランスペアレンシー・インターナショナル(TI)」の最新調査書「腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index)」によると、ウクライナの腐敗度ランキングは、調査対象の世界177カ国・地域の中で144位に落ち込んでいた。
このあいだ、ウクライナ国民の間では、政権内部に汚職や縁故主義が蔓延ったとの認識が広がった。批評家は、ヤヌコビッチ氏が自らの手に権力を集中するとともに、自らの周辺に親族や側近をとりたて「ファミリー(家族)」と呼ばれる裕福な利権集団を作った、と指摘している。
一方でウクライナの経済は、2008年の金融危機以来、深刻な苦境の中にあり、国民は貧困に喘いできた。通貨フリブナは崩壊寸前、貿易・財政赤字は急拡大し、18カ月連続の不況となった。
キエフ在住で現在は失業中の経済学者マーシャ・コーシン氏(34歳)は、IPSの取材に対して、「民衆はヤヌコビッチ体制にうんざりしているのです。抗議デモへと民衆を突き動かしているものは、ヤヌコビッチ氏が招いた政治腐敗と経済不振に対する怒りなのです。もし経済状況が改善していれば、抗議デモの様相もより穏やかなものになっていたでしょう。しかし現状からはさらなる混乱と怒りしか生まれない状況にあります。」と語った。
切迫した経済状況に加えて、外国投資の誘致に失敗したことから、ウクライナ経済、とりわけ重工業の大半が集中する東部地域の経済は、ますますロシアとの貿易に依存するようになった。さらに、ウクライナの6分の1を占めるロシア系市民(ウクライナ東部・南部に多い)の存在は、ロシアがウクライナに対する影響力を強める手段となった。
しかし専門家によると、このことから、伝統的に親欧傾向が強いウクライナ中部・西部の市民たちを中心に、ヤヌコビッチ大統領離れの傾向が徐々に強まっていったのである。
昨年11月にEUとの連合協定署名を突然棚上げし、親露路線へと舵を切ったヤヌコビッチ氏の動きは、ウクライナがロシア型国家資本主義と信奉し、政治・社会が抑圧されるロシアの傀儡国家になるのではないかと恐れる民衆にとっては、許容の限界点を超えるものだった。
ここ数カ月におよぶ暴力と殺戮、とりわけ2月20日前後の恐るべき流血の惨事は、ヤニコビッチ政権に対する民衆の怒りを深めただけであった。(ヤヌコビッチ大統領は22日にキエフを脱出してロシアに亡命、ウクライナ議会は大統領解任を決議したが、ヤヌコビッチ氏はクーデターであるとして辞任に同意していない:IPSJ)
抗議活動参加者の多くは、反体制派がヤヌコヴィチ体制に取って代ったところでそれへの信頼はほとんど生まれてこないだろうと語る。主要な野党である全ウクライナ連合「祖国」も、現政治体制の腐敗した部分に過ぎないとの見方もある。
ドロテンコ氏はIPSの取材に対して、「当局は生来犯罪的な存在です。つまり野党も(ヤヌコビッチ政権と)同じコインの表と裏の関係に過ぎないのです。」と語った。
ドロテンコ氏は、「野党議員らは、与党議員と同じく新興財閥(オリガルヒ)のカネを受取り、『傀儡』或いは『お飾り』野党という快適な役割を演じつつ、ヤヌコビッチ大統領と同じように民衆の声を無視してきたのです。」と指摘したうえで、「民衆の反政府デモに交じってキエフの街頭に出てきた野党議員らは、実際のところとても熱心な民衆支持者とは言えないのです。」と語った。
また反政府デモの主要勢力に極右過激派「スボボダ(全ウクライナ連合『自由』)」が含まれていることを問題視する指摘もある。
また抗議参加者の中には、野党指導者が言動において一貫性を欠き、昨年下旬の抗議活動の初期段階において事態の収拾に動かず状況を悪化させた責任を指摘する声もでてきている。
「事態を悪化させた責任は、もちろん愚かで違法行為を犯したヤヌコビッチ氏にあるが、抗議活動が始まった初期段階に早急かつ断固とした対応をとらなかった野党勢力にも責任の一端があります。」とドロレンコ氏は語った。
治安部隊とデモ隊の衝突が恐ろしい流血の事態に発展したのを受けて、EU・米国・ロシアが活発な外交交渉に乗り出し、2月21日にはヤヌコビィチ政権、野党、ロシア、EU間で危機打開のための合意がなされた。早期の総選挙実施がこの合意における主要要件となっている。
しかし、このような外交的な取り組みがやっと今になってなされていることには失望の声も聞かれ、根本にある緊張はなかなか解けそうにもない。
キエフで教師をしているオルガ・コヴァチャック氏(37歳)はIPSの取材に対して、「おそらく今回の混乱が流血の惨事に発展する以前の純粋な政治闘争の段階であれば、EU或いはロシアからの何らかの働きかけで事態の収拾を期待できたかもしれません。しかし事態がここに至ってはそれも期待できません。EUとロシアは機会を逸したのです。」と語った。(原文へ)
翻訳=IPS Japan
関連記事: