【ニューヨークIDN/UN News Feature=ムヒディン・リバア】
ケニアで国連が支援する難民キャンプで何年か過ごしたのち、約220人の元ソマリア難民が、米国メイン州の農場でビーツやスティックセニョール(ブロッコリーに似た緑黄色野菜)等の作物を育てている。
アフリカの角地域に位置するソマリアで続いている迫害や内戦から逃れた数千人のソマリア人が、米国などの第三国への再定住を支援するプログラムの恩恵を受けている。
ムヒディン・リバアさんもそうした難民の一人だ。リバアさんは取材に対して、メイン州のルイストンに設立したソマリ・バンツーコミュニティー協会について語った。同協会は、新たに到着した元難民がソマリアバンツー族の文化を保持しながら、アメリカの生活様式に適応できるよう支援する活動を行っている。
「私は1991年にソマリア南部ジュバ渓谷の村が襲撃された際に、家を後にしました。故郷は内戦の当事者らによって、多くの人々が殺害されたり餓死に追い込まれました。また女性は強姦され、土地や財産は略奪されました。」とリバアさんは当時を振り返った。
迫害
私はソマリアの少数民族であるバンツー族に属します。バンツー族はソマリアに数世代前に奴隷として連れてこられた人々の末裔です。そうした背景から、ソマリアでは私たちは常に迫害されてきました。
私は父と共に国境を越えてケニア東部のダダーブ難民キャンプに収容されました。当時私は15歳で、通学経験もなく、知っていることと言えば畑で耕作することぐらいでした。銃を持った少年達が至る所にいたので、もしあのままソマリアに留まっていたら、とっくに殺されていたと思います。
国連の子
私はダダーブ難民キャンプで10年暮らしましたが、現地の気候は冬でも緑豊かだった故郷のジュバ渓谷とは全く異なる乾燥して砂埃が舞う大変熱い気候で、そこでの生活は大変厳しいものでした。
ダダーブ難民キャンプは、いわば屋根のない広大な刑務所のようなところで、あまり活動ができませんでしたが、国連が学校を設立してくれたおかげで、初めて勉強をすることができました。故郷では同世代の子どもたちが銃を持たされている状況でしたから、難民キャンプで教育を受けることができたのには大変感謝しています。国連はまた、食料や水を配給してくれました。こうしたことから、私は国連の子だと思っています。ムヒディン・リバアさんは、ここダダーブ難民キャンプで10年を過ごした。
ケニアでは国連に頼りきりだったので、米国に再定住してからは、農家のための自給自足のコミュニティーを創りたいという夢を持つようになりました。ソマリ・バンツーコミュニティー協会は、大半の人が英語を話せないバンツー族の同胞たちをエンパワ―する一つの手段です。
農業生活
私たちは最近メイン州ルイストンで長期にわたる土地所有権を確保し、ここで将来を切り開いていけると確信できる新たな段階に入りました。私たちはこの新天地を、私たちに自由をもたらす地という意味合いを込めて自由農場(Liberation Farm)と呼んでいます。
220人からなる農業コミュニティーの4分の3は女性で、それぞれが10分の1エーカー(約120坪)の農地で様々な農作物(モロヘイヤ、茄子、アフリカトウモロコシ、アマランサス、各種豆等)を伝統的な手法で耕作している。また、点滴灌漑や列作といったアメリカの新しい農業技術も学んで、新たにビーツやフエンネル、スティックセニョール等を栽培している。多くの家庭は、こうした有機栽培の収穫からなんとか家庭内食料と収入を確保できているため、食料配給券に頼らず暮らせている。
バンツーの文化では一生を通じて、土地が私たちの生活に深いつながりをもっているので、農業はこの協会における活動の中心を占めています。私たちはまた、紛争の調整や健康アドバイス、青年団といったコミユニティー支援活動も行っています。
ルイストンとその双子の街オーバーンには7000人のソマリア人が暮らしており、その内3000人がソマリアバンツー族です。私たちのコミュニティーがアメリカの生活スタイルに適用するスピードは遅く、その理由として、英語が話せないことに加えて、外国から来た異質な人々に対する米国人の理解不足が挙げられると思います。しかし、食は世界共通ですので、元難民コミュニティーの人々の農業活動が、この地元住民との差異を埋めていく一助となると思います。農業は異なるコミュニティーを結びつける役割があり、既にその兆候は地元の生産者直売所で私たちの農作物が売れていることに表れていると思います。
今の子どもたちが米国の学校を卒業する次の世代になれば、この元難民コミュニティーも米国社会に完全に統合できるようになっていると思います。
私たちは従来の伝統を可能な限り保持したいとは思っていますが、この社会で多才にうまく立ちまわれる次世代の子ども達を育てていけるよう、ソマリバンツー族とアメリカ文化の最も良いところを身に着けながら米国社会にもうまく適応していきたい。(原文へ)
INPS Japan
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