以下は、核兵器禁止条約第2回締約国会議のサイドイベントにおける、セミパラチンスク核実験場での核実験3世被爆者アイゲリム・イェルゲルディ氏の証言である。このサイドイベントは、国際安全保障政策センター(CISP)、創価学会インターナショナル(SGI)、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、カザフスタン国連代表部の共催で行われた。
【国連INPS Japan=アイゲリム・イェルゲルディ】
私、アイゲリム・イェルゲルディは35歳、カザフスタンのセメイ(セミパラチンスク)の出身です。この街は、多くの著名な文化人、政治家、芸術家を輩出した地として有名です。しかし、残念なことに、全世界にとってこの街は、カザフスタンが独立する前のソ連時代に40年間に亘ってこの地域で核実験が行われたことでも知られています。記録によると、セミパラチンスク核実験場では1949年から89年まで、18,500平方キロメートルの面積(日本の四国に相当)で、空中90回、地上26回、地下354回の計473回の核爆発が行われました。また核実験に加え、ここでは175回の化学爆発が行われ、そのうち44回は10トン以上の装薬で行われました。
地域の環境は回復不可能なほど破壊され、動物や鳥が影響を受け、水資源は汚染されました。しかし、最悪だったのは、住んでいた人々に影響を与えたことです。
もちろん、1989年に核実験場で最後の爆発が起きたとき、私はまだ1歳だったので、核実験の数々を目にしたわけではありません。しかし、私を含む多くの地域住民にとって、核実験は跡形もなく過ぎ去ったわけではないのです。私は核実験の影響を受けた第3世代の一人です。
私は2015年8月、医師から左鎖骨上のリンパ節腫大と診断されました。しばらくの間、抗菌剤による治療が行われましたが、必要な効果は得られませんでした。リンパ節は大きくなり続け、体調は悪化しました。常に気分が悪く、記憶力が低下し、精神的な影響もありました。自分がこの病気に直面していることを受け入れるのは、非常につらい経験でした。
その後、私は核医学腫瘍学センター(セメイ)に送られ、追加検査を受けました。その結果、胸郭内リンパ節と鎖骨上リンパ節に病変を伴う結節性硬化症と診断されました。今年に入ってから、放射線治療と化学療法を何度も受け、リンパ節を切除し、そのせいで左腕が上がらなくなりました。
2022年に再発し、左側の腸骨部分のリンパ節の増加が再び観察されました。現在、免疫療法を受けています。数カ月前には、頸部、腹腔、左肺にもリンパ節ができました。
私は8年以上、この病気と闘っています。絶え間ない関節痛、腫れ、絶え間ない脱力感、めまい、眠気などに苦しみながら、生活面においても多くの制限があります。重いものは持てず、運動することもできません。また普通の人のように自由に日光を浴びることもできません。
最も辛かったのは子供を諦めざるを得なかったことです。私が母親になることで、子供たちが同じ痛みや苦しみを味わう危険性があることを理解しているからです。しかし母になれないことは、私にとって大きな心の痛みです。
私には父、母、兄弟、姉妹という大家族がいます。私を支え、ずっと助けてくれる配偶者に感謝しています。父と母は精神的な支えをたくさんくれ、その後、同じく私を支えてくれる配偶者に出会いました。私がうつ病を克服し、再び人生を生きられるようになったのは、彼の感受性、気遣い、サポートのおかげです。核医学腫瘍学センターの先生方にも感謝しています。
私や家族にとって、癌の問題は目新しいものではありません。過去には、1999年に叔母が、2004年には母が癌と診断されました。もちろん、癌の起源については、科学的な論争が続いていますが、私の住む地域で癌の病気が増えているのは、核実験の直接的な影響だと思っています。残念ながら、私のように核実験の影響に直面している家族は何十万といます。
今日、癌にまつわるあらゆる苦難を経験した私は、同じように癌に直面したすべての人々をサポートしようと努めています。私たちは、同じような問題に直面する人々を精神的にサポートし、アドバイスや経験を共有し、人々が絶望や恐怖に屈しないよう、できる限りのことをしています。
最も重要なことは、私の同胞が核実験によって経験し、今も経験し続けている悲劇と苦痛を、二度と起こしてはならないと心に決めています。今世紀の人々は、原子のエネルギーの使用を人類の進歩と発展のために平和目的にのみ限定して使用すべきです。(原文へ)
INPS Japan
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