【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ】
キューバミサイル危機から60年、核兵器使用の危機が再び人類を脅かしている。当時の場合、ジョン・F・ケネディ米国大統領とニキータ・フルシチョフソ連書記長が直接交渉を通じて、ソ連の核兵器をキューバから撤去する代わりに米国が核兵器をトルコから撤去することに合意し、危機は13日で回避された。
当時、国連事務総長もこの危機を解決に導くうえで積極的な役割を果たした。しかし、核武装したソ連潜水艦の司令官が、米ソ超大国間の戦争開始を懸念して、モスクワとの連絡もないまま、核ミサイルを発射しないことを決定し、運良く核戦争は回避されたのである。
現在、核兵器の使用につながりかねない重大な対立が、平和的解決の兆しが見えないまま、何カ月も続いている。1962年の危機とは異なり、今日、主要国のトップ同士の迅速な意思疎通は図られていない。現代のメディアは交戦当事国間の敵意と不信感を増大させ、既存の政治的・法的な枠組みはこの状況に対処できないように思われる。
先日ポーランド領内にミサイルが着弾して2人の死者と若干の破壊をもたらしたことについて、ロシアではなくウクライナの責任が確認されるまで、全世界が数時間息を潜めた。この事件は、ロシア・ウクライナ間の戦争当事国のいずれかによる事故あるいは誤算によって予測できない結果をもたらすエスカレーションの引き金になるかもしれないという恐怖のレベルを高めることとなった。
この戦争における核兵器使用のリスクは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が自国の安全保障に対する脅威と見なされるものに対してあらゆる手段を用いると宣言して以来、依然として高いままである。ロシアの間接的な敵である北大西洋条約機構(NATO)は、ロシアほど強硬ではないが、同様に鋭い口調で反応した。
ロシアと核兵器を保有する西側諸国の核ドクトリンのいずれもが、必要とする状況で核兵器を先行使用することを想定している。現在の微妙な情勢では、火花が散るだけでも壊滅的な火が燃え上がるのに十分であり、紛争当事国に限定されない悲惨な結果を招きかねない。
核不拡散条約(NPT)が認める5つの核保有国のうち、核兵器の先制使用をしないと明らかにしているのは中国だけである。多くのアナリストや市民団体が、すべての核保有国がこの姿勢を採用するよう提唱している。通常、「先制不使用」(NFU)の原則は、核兵器の廃絶を予見していないため、核兵器やその他の潜在的侵略を抑止し、それに対抗する目的で核兵器を維持することを正当化するために使われることもある。
もし、現在のすべての核保有国が先制不使用を採用し、軍縮のための明確な約束と効果的なフォローアップ行動なしに国際社会が受け入れた場合、核兵器使用のリスクを減らすことはできても、完全になくすことはできないだろう。さらに、核兵器保有を永続させる根拠となり、その結果、核兵器がもたらすリスクも永続させることになる。
核兵器禁止条約(TPNW)の出現に対する核保有国の激しい否定的な反応は、核軍縮に具体的な進展をもたらすためにこの条約を利用することにこれらの国々が関心を持っていないことを明確にした。核保有国は、条約起草の準備作業や実際の交渉への参加を拒否したのみならず、同語反復的で利己的な理由とともに、この条約では軍縮をもたらすことはないと主張し、正式に拒否したのである。
明らかに、核保有国の参加がなければ、核兵器の廃絶につながるような効果的な措置を取ることは不可能だろう。だが、明確な反対があっても、国際人道法に根差したこの新条約は、核兵器を永久に保有し続けることに対する重要な法的・道徳的な障壁として、すでに重要な役割を果たすに至っている。
核保有国が核禁条約への署名や批准を阻止するために脅しをかけ強制しようとしたにも関わらず、国連加盟国のほぼ半数がすでに署名し、批准国の数も徐々に増えつつある。世論調査は、核兵器国やその同盟国の国民を含め、核禁条約に対する高い支持を示している。
世界の核兵器の総数は推定およそ1万3000発というレベルにまで削減されてきたにも関わらず、核兵器使用のリスクは増し、すべての人の安全保障が低下しているという逆説的な状況がある。冷戦時代のように、最大数の核弾頭や最大の爆発力を持つ核兵器が決定的な優位性を持つとは考えられなくなったのである。
今日、そのように困難な軍事的優勢を確保するために、絶え間ない技術改良が追求されている。核保有国、とりわけ全体の95%を保有する米露二大国は、極超音速ミサイル、衛星による発射・誘導システム、低出力の「戦術」核兵器、人工知能(AI)、無人機などの最先端の戦争技術を開発し続けている。
この種の技術革新は、既存の核兵器の殺傷力をより高める。場合によっては、そのような先進的な兵器がその使用効果を最小に抑えることができるがゆえにより「容認」できるという考え方が広まることさえある。
核保有国は、この終わりなき革新が自らの安全確保に役立つと信じているようだ。しかし、仮想敵が技術的革新を遂げれば、その敵手は新たな能力の開発によって不均衡を埋め合わせようとし、相互に与える脅威によるエスカレーションの繰り返しが導かれてしまう。この状況は、安全を生み出すことからは程遠く、この競争に関わる国々だけではなく、その他すべての国々の安全を損なう。
核兵器保有国の増加、いわゆる「水平」拡散は、世界をより不安定にする。それを防ぐために、NPTや多国間・地域間協定、国連安保理による制裁など、効果的な手段は多く存在する。
52年前のNPT発効以来、核保有に至った国は、条約で定められた5カ国のほかに4カ国しかない。この核クラブに新たに加わろうとする国があれば、国際社会からの激しい反発にあうことになる。これまでも核開発の試みは、外交的圧力や武力による威嚇、あるいは実際の行使によって阻止されてきた。
しかし最近になって、西側諸国の「核の傘」の下にある国を含む一部の技術先進国では、独自の核兵器保有を容認する世論が前面に出てきた。また、かつて保有していた核兵器を廃棄することを決めた国々では、現実の脅威、あるいは認識されている脅威に直面して、その時の判断を悔やむ意見が出てきている。国連や国際原子力機関(IAEA)、地域的取り決めなどの既存の国際的管理手段によって、警戒を怠りなくする必要がある。
核兵器の存在そのものがもたらすリスクに対する一般的な懸念が高まっているにもかかわらず、核保有国の努力は核兵器への依存を減らす方向には向けられていない。むしろ、これらの国々は、他の国々による民生用原子力開発に対して多くの公式・非公式の障壁を設けることで水平拡散(=核兵器を保有する国が増えること)を防ごうとする一方で、自らが望ましいと考える形で核兵器を排他的に保有することを正当化してきた。
核保有国とその同盟国には、核兵器を最終的に廃絶するための政府の計画や構造、機構といったものは存在しない。核保有国がもっぱら関心を寄せているのは拡散のリスクである。核保有国にとって核拡散という用語は、自国の核戦力の増加・増強は該当しないが、軍事利用される可能性のある核技術を他の国々(=非核兵器国)が追求したり、実際に取得したりすることのみを指すと理解している。核保有国は、膨大な人材と資金に支えられた致死的な核技術拡散に寄与する一方で、核軍縮は遠い将来の困難な目標であるとみなし、様々な環境条件と結びつけてその達成は困難である、としているのである。
50年以上前、ブラジルの外交官ジョアン・アウグスト・デアラウホ・カストロ氏は、核兵器国とその同盟国の間に支配的な態度を正確に表現していた。NPTが発効した1970年に国連総会で行った演説で彼はこう述べている。
「権力への妄信と力への畏怖が尊重され、今や人間関係を律する一部の基本文書にまで影響を与えるに至っている。例えば、核不拡散条約という文書は、成熟した責任ある国家とそうでない国家との間を区別するという理論に基づいている。この文書の大前提は、歴史的な経験に反して、力こそが節度をもたらし、節度が責任をもたらすというものである。[…] つまり、危険は非武装の国々に由来するものであって、超大国の膨大で常に増加し続ける兵器庫に由来するのではない、という想定に基づいている。この条約は、核時代において成熟した国家に権力と特権を与えることによって、権力競争を阻止するのではなく、むしろ加速させるかもしれない。諸国から成る世界において、人間の世界と同じように、これからはあらゆる国が、あらゆる困難を排して、権力を持ち、力を備え、成功を収めようとするかもしれない。NPTは、権力に油を注ぎ、国家間の不平等を露骨に制度化したものである。」(原文へ)
INPS Japan
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