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名前に込められた意味とは? 「ボブ神父」から「教皇レオ14世」へ

新たに選出されたレオ14世教皇は、自身の名の由来となった偉大な先人から力を得て、祖国の人々に対峙できるだろうか?

【Religion News Service=ヴィクター・ガエタン】

米国のカトリック信徒からは「ボブ神父」、ペルーのカトリック信徒からは「パドレ・ロベルト」と呼ばれて親しまれてきたロバート・プレヴォスト枢機卿は、「レオ14世」という名を選ぶことで、近代カトリックの礎を築いたレオ13世教皇(在位:1878~1903年)の系譜に自らを結びつけた。

レオ13世は、カトリック社会教説の父として知られており、1891年に発表された回勅『レールム・ノヴァールム(資本と労働について)』は、労働者の権利と公正な賃金、労働組合の正当性を擁護しつつ、私有財産の重要性も説いた。

また、身長約158cmと小柄ながらも精力的な教皇であり、神学者、霊的指導者、外交官としても数々の貢献を果たした。特に当時の米国によるい勢力拡大に警戒感を抱いていたことでも知られる。

1878年に即位した当時、バチカンはイタリア政府との間で緊張状態にあり、1871年にイタリア軍がローマを占領し教皇領を奪取、ローマをイタリア王国の首都と定めた直後だった。前任者ピウス9世と同様、レオ13世も使徒宮殿に閉じこもり、「自ら望んだ囚人」と称し、バチカンの主権回復を静かに待ち続けた。

St. Peter's Basilica in Vatican City
St. Peter’s Basilica in Vatican City

行政的負担から解放された教皇は、祈りと執筆に専念できるようになり、25年の治世で実に85本もの回勅を発表。1879年の回勅『アエテルニ・パトリス(キリスト教哲学の復興について)』では、聖トマス・アクィナスの神学と哲学を再評価し、以後トマス主義が現代カトリック思想の中核をなすこととなった。

また、1888年にはブラジル司教団宛に『イン・プリュリミス』を発表し、奴隷制度の全面廃止を強く訴えた。これは教会が公に奴隷制廃止を支持した初の文書であり、同年ブラジルで奴隷制が正式に廃止される契機ともなった。

『レールム・ノヴァールム』は、貧困層への深い共感を示しながらも、社会主義や自由放任資本主義のいずれにも偏らず、正義を求めるカトリック信徒の社会参加を促す内容となっている。これは現在でもラテンアメリカを中心に多くの司教たちによって実践されており、かつてペルーで長年活動したプレヴォスト新教皇の歩みとも重なる。

プレヴォスト神父は1985年から1998年にかけてペルーで宣教活動を行い、経済危機と政治的不安(テロを含む)に直面。2018年に司教として帰任した際には経済は改善していたものの、格差問題は依然深刻だった。

外交面でもレオ13世は注目される。ヴァチカンの外交官養成学校(1701年設立)で訓練を受け、1843~1846年にベルギー公使(教皇大使)を務めた経験がある。領土を失ったバチカンにとって中立性は交渉力の源となり、1885年にはドイツとスペイン間のカロリン諸島領有問題で、オットー・フォン・ビスマルク宰相の要請により仲裁を行った。

1886年には中国(清朝)の光緒帝がバチカンとの直接外交を望んだが、フランスの干渉により実現しなかった。それでも当時の中国の新聞には「教皇は軍も領土も持たない、ダライ・ラマのような存在であり、政治的な罠の恐れなく開かれた外交が可能だ。」との評価が掲載された。

また、1898年のハーグ平和会議にあたっては、ロシア皇帝ニコライ2世もバチカンの仲介を求めた。

米国についてもレオ13世は深く注目していた。米国は1898年の米西戦争により、スペインの植民地支配を打ち破り、カリブ海のプエルトリコ及び太平洋のグアム、フィリピンを獲得し、キューバを保護国とした。この米国の軍事力を背景とした勢力拡大の動きは、カトリック諸国における教会施設や教育機関への直接的圧力となるとともに、反カトリック的性質も帯びていた。

バチカンを訪れた当時のフィリピン民生長官ウィリアム・ハワード・タフト(後の米大統領)との会談で、教皇は修道会の土地を米国に売却するという要求を拒否した。

レオ13世の時代に始まった米国の軍事的覇権に対する警戒心は、今日の教皇にも受け継がれる可能性がある。新教皇レオ14世は、同様の挑戦にどのように向き合うだろうか? 彼は自国アメリカの力に立ち向かう強さと独立心を示せるだろうか?

前任者の足跡を辿るなら、彼には模範がある。

レオ13世はあるミサの最中に衝撃的な幻視を体験し、これに衝き動かされて「聖ミカエルの祈り」を作り、1884年頃から世界中のミサ後に唱えるよう司祭に求めた。この祈りは今でも悪に立ち向かう者たちに推奨されており、世界中で復活の動きを見せている。

聖ミカエルの祈り:

大天使聖ミカエル、戦いにおいて我らを護り、悪魔の凶悪なるはかりごとに勝たしめ給え。
天主の彼治め給わんことを伏して願い奉る。
ああ天軍の総帥、
霊魂をそこなわんとてこの世を徘徊するサタンおよびその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉込め給え。アーメン

新教皇レオ14世の選出が発表された5月8日は、聖ミカエルの出現の祝日でもある。

彼は最初の演説でこう語った。「神は私たちを愛しておられる。神はすべての人を愛しておられる。そして悪は決して勝利しない!」

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。この記事の内容はRNSの公式見解を反映するものではない。

Original URL: What’s in a name? Father Bob becomes Pope Leo XIV

Religion News Service

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国連海洋会議(UNOC)に向けて、海洋保護の国際的機運が加速

【タンザニア・ダルエスサラームIPS=キジト・マコエ】

フランス・ニースで開催される第3回国連海洋会議(UNOC)に向け、海洋ガバナンスや保全資金、再生的なブルーエコノミー(海洋経済)への転換に向けた機運が高まっている。海洋保護を訴える活動家たちは、「今こそが海洋の未来を左右する分岐点」だと警鐘を鳴らしている。

「海は地球上すべての生命を支えている」と語るのは、自然と人々のための高い目標連合(HAC)』のシニア・プログラムマネージャー、リタ・エル・ザグルール氏。彼女は、海洋保護が食料安全保障や文化的遺産、経済、そして人々の暮らしの根幹に関わっていると強調する。

OECDの最新データによると、もし「海洋経済」が一国として扱われた場合、2019年には世界第5位の経済規模に相当していたという。海洋は32億人に食料を提供し、世界のGDPに年間2.6兆ドル貢献している。

しかし現在、海洋のうち正式に保護されている区域はわずか8.4%に過ぎない。活動家たちは、この数字を2030年までに少なくとも30%に引き上げる必要があると主張しており、これはグローバル生物多様性枠組みと2023年に合意された公海等生物多様性協定(BBNJ)でも再確認された目標である。

「この条約の議論は8年前から始まっていました。発効には60か国の批准が必要ですが、現在はまだ21か国にとどまっています。UNOCはこの流れを加速させる重要な節目です。」とエル・ザグルール氏は語った。

約束から行動へ――実施への転換が鍵

活動家と政策立案者の双方が「宣言」から「実行」への転換を訴えている。

「2030年まで、もう5年しかありません。もはやレトリック(言葉)だけでは不十分です」とエル・ザグルール氏は警告する。

実際、各地では有効な取り組みが始まっている。エクアドル、コスタリカ、コロンビア、パナマが連携する東部熱帯太平洋海洋回廊(CMAR)では、5つの海洋保護区が接続され、生態系の管理が強化された。マーシャル諸島はスイスよりも広い海域を禁漁区域に指定し、オーストラリアも2024年に国家海域の52%以上を保護区に拡大した。

「所得水準にかかわらず、進展は可能であることをこれらの事例が示しています。ただし、まだまだ不十分です。」と彼女は語る。

海洋保護のための資金――現場に届く資金を

最大の障壁のひとつが資金である。

「海洋保護に取り組む沿岸地域の人々に、直接資金が届く仕組みを整える必要があります」とエル・ザグルール氏。HACでは、2万5000~5万ドルの小規模助成金を迅速に提供する新たな仕組みを導入したが、「これは始まりに過ぎない」と話す。

モナコの「ブルーエコノミー金融フォーラム(BEFF)」を共催するDynamic PlanetのCEO、クリスティン・レクバーガー氏も、海洋保護における民間金融の役割を再考すべきだと強調する。

「これまでのビジネスモデルは、資源の採取と汚染に偏っていました。保護や再生への投資はほとんど行われていません。私たちは海洋再生型経済へとモデルを転換しなければならないのです。」

レクバーガー氏によれば、「30×30目標」を達成するには、今後5年間で19万か所の小規模海洋保護区を、各国の領海内に設置する必要があるという。

「海洋生態系を回復させつつ、経済的なリターンも生むスマートなプログラム、投資商品、スケール可能な取り組みが求められています。これは単なる環境問題ではなく、経済的な好機でもあるのです。」

彼女の主導する「Revive Our Ocean」は、海洋保護が沿岸地域の繁栄につながることを示すため、信頼あるパートナーと協働している。また、ニースで開催予定の「海洋・沿岸レジリエンス・リスク会議」では、市長や知事といった地方のリーダーたちも議論に参加する。

「すでに海岸線を保護し、気候レジリエンスや観光の恩恵を得ている自治体もあります。そうした成功例がさらに広がってほしいと期待しています。」と彼女は語った。

フランスの役割と今後の展望
Flag of France
Flag of France

開催国フランスは、UNOCに向けて強い政治的支持を打ち出している。フランス政府はHACや他の団体と連携し、会議の場で新たな海洋保護区の創設を各国に働きかけている。

「8.4%という現状を、30%に近づけていきたいと考えています。しかし、面積を拡大するだけでなく、その区域が効果的に管理され、包括的かつレジリエント(回復力のある)**ものであることが重要です」とエル・ザグルール氏は述べた。

そして、こう締めくくった。

「各国の閣僚と技術専門家が連携し、さらなる野心的な取り組みを推進できるよう、私たちは協力しなければなりません。今こそ、海洋保護を4倍に拡大し、それを誰一人取り残すことなく実現する時なのです」

太平洋諸国の声と行動

太平洋諸国代表のフィリモン・マノニ氏(Pacific Ocean Commissioner)は、海洋ガバナンスと気候変動へのレジリエンス構築に対するこの地域の揺るぎない姿勢を改めて強調した。小島嶼国が多くを占める太平洋地域だが、SDG14の推進やコミュニティ主導の海洋保全など、海洋保護において世界をリードしてきた。

Image source: Blue Pacific
Image source: Blue Pacific

「この会議は、私たち太平洋諸国にとって極めて重要な機会です。気候変動会議では脇に追いやられがちな海洋と気候の問題を、世界に向けて発信できる数少ない場です」とマノニ氏。

同氏の最重要課題は、BBNJ協定(国家管轄権を超える生物多様性保全に関する条約)の早期批准だ。これにより、法的空白の多い公海における無秩序状態を終わらせることができるとする。

「いま行動を起こさなければ、これまで各国の海域で築いてきた海洋保護の成果が無駄になる可能性があります」と警告するマノニ氏は、海洋プラスチック汚染に対処するための法的拘束力あるグローバル条約の締結や、海洋劣化を助長している国際貿易システムの見直しも訴えた。

「私たち小島嶼開発途上国(SIDS)は、いまもなおプラスチック廃棄物の重荷を背負わされ続けています。」と彼は述べ、抜本的な制度改革の必要性を強調した。

ニースでのUNOCは、今後の海洋保護の行方を占う極めて重要な転換点となるだろう。成功の鍵は、勇ましい声明だけでなく、その後にどれだけ具体的な行動を起こせるかにかかっている。

世界の海と、海に依存して生きる数十億の人々の未来が、今、問われている。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau

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|視点|イランと核不拡散体制の未来(ラザ・サイード、フェレイドン)

【ロンドン/テヘランLondon Post=ラザ・サイード・フェレイドン】

2025年、核外交が一層複雑化する中、イランは依然として核不拡散条約(NPT)をめぐる国際的議論の中心にある。かつて多国間主義の勝利と称賛されたNPTは、現在、制度的不平等と地政学的なダブルスタンダードによって存続の危機に直面している。イランの核計画は、西側諸国の長年の監視対象であり、平和的な核エネルギーを求める国家と、核保有国に有利な体制との間の緊張を象徴している。本稿では、NPTを存続させるには、歴史的な不正義を是正し、イランの国際的な査察順守を正当に評価し、非同盟諸国に過度な負担を強いる体制の改革が必要である。
歴史的背景:NPT下でのイランの核の歩み

イランが核技術に関与し始めたのは、1950年代の米国主導の「平和のための原子力」計画であった。これは、核拡散防止を条件に、民生用核技術の利用を促進するものであった。イランは1970年にNPTを批准し、国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れ、NPT第4条に基づき、平和的核利用の権利を主張し続けた。しかし、1979年のイスラム革命後、イランの核計画は国際的な対立の火種となった。

2002年にナタンツおよびフォルドウの未申告のウラン濃縮施設が明らかになり、イランが秘密裏に核兵器を開発しているとの疑惑が高まった。しかし、IAEAの査察でも決定的な証拠は得られず、2007年の米国家情報評価(NIE)は、イランが2003年に核兵器開発を中止していたと結論づけている。それにもかかわらず、制裁は強化され、イランの合法的な権利と国際的不信とのギャップが露呈した。

JCPOA:外交の成功とその破綻
Photo credit: Tasmin News Agency.
Photo credit: Tasmin News Agency.

2015年に成立した括的共同行動作業計画(JCPOA)は、歴史的な合意であった。イランはウラン濃縮を3.67%に制限し、在庫を98%削減、IAEAによる24時間監視を受け入れた見返りに、経済制裁解除を得た。2018年までに、IAEAは15回にわたってイランの順守を確認していた。

しかし、トランプ政権下で米国が一方的に離脱し、制裁を再開。これによりイランは2000億ドル以上の石油収入を失い、経済は大打撃を受けた。イランがその後、濃縮度60%への引き上げなどの対応を取ったことは挑発とみなされたが、イラン側はNPT第10条に基づき「最高国益が危機にある場合」に合法であると主張している。

2025年:停滞する外交と高まる緊張

2023年、バイデン政権のJCPOA復活の試みは、米国内の反対と、イラン側の制裁解除保証の要求により失敗。2025年現在もイランの核計画はIAEAの査察下にあり、60%濃縮ウラン142kgは、核兵器1発分に必要な250kgには遠く及ばない。

IAEA
IAEA
「グランド・バーゲン」の偽善

NPTは、「非核兵器国が核兵器を放棄する代わりに、核兵器国が核軍縮を行う」という約束に基づいていたが、実態はそうなっていない。米・露・中・仏・英の5か国だけで1万2500発以上の核弾頭を保有し、近代化を進めている。一方でイランは、NPT第4条に適合した民生用計画で過剰な監視を受けている。

元イラン核交渉担当のセイエド・ホセイン・ムサヴィアン博士はこう語る:
「NPTのダブルスタンダードは正当化できない。イランは合法的な濃縮を行っているのに罰せられ、核兵器国は軍縮義務を無視している。この偽善が不信を生んでいる。」

制裁という武器と人道的代償

米国およびEUの制裁は、核不拡散という名目から「集団的懲罰」に転じている。2025年、イランのインフレ率は約50%、失業率は30%に達し、金融封鎖による医薬品不足は多くの予防可能な死を招いている。このような圧力は、外交を主張するイラン国内の穏健派を弱体化させ、強硬派を利している。

地域の現実:核に囲まれたイラン

イランの安全保障環境には、米軍基地、NATO加盟国トルコ、核保有国パキスタン、そして推定90発の核を保有するイスラエルがある。さらに2023年、サウジアラビアは「イランが核兵器を持つなら、我々も追随する」と発言。にもかかわらず、西側諸国はこうした文脈を無視し、イランのみを脅威として描いている。

Map of Middle East
Map of Middle East
専門家の見解

ナデル・エンタサール博士(南アラバマ大学)
JCPOAは外交の成功例だったが、その崩壊は、より強力な検証制度と各国の誓約順守を保証する新たな枠組みの必要性を示している。

ロバート・リトワク(ウィルソン・センター)
軍事的選択肢ではなく、封じ込めと外交による対応を提唱。

トリタ・パルシ博士(クインシー研究所)
「JCPOAの崩壊はイランの失敗ではなく、米国のリーダーシップの欠如が原因。信頼回復には、合意の尊重とイランの正当な安全保障への配慮が不可欠。」

ナルゲス・バジョーリ博士(ジョンズ・ホプキンス大学)
「制裁はイランの体制を強化し、外交無力論を助長している。NPTは、公平性を軸とした改革が必要だ。」

イランが求める公正な枠組み

1. 平和的核利用の権利
60%の濃縮ウランは癌治療など医療用途に用いられる。NPT第4条に準拠しているにもかかわらず、イランは米国の同盟国とは異なる制約を受けている。

2. 安全保障の保証
外国の介入やイスラエルの核への懸念を解消するためには、1975年のヘルシンキ合意のような地域安全保障協定が必要。

3. IAEAの脱政治化
2020年、故天野之弥前事務局長は、米国の情報機関がイラン査察に強い影響を与えていたと認めた。中立性の回復が不可欠。

2025年に向けた道筋
  • JCPOAの復活と拘束力のある保証
    国連安保理による批准、INSTEX(欧州の対イラン決済手段)を通じた制裁回避などが鍵。
  • 中東非核兵器地帯(NWFZ)の設立
    1974年以来の提案。イスラエルの核とアラブ諸国の不安に対応。2024年に国連主導で再活性化したが、米国とイスラエルの抵抗が課題。
  • 核軍縮の世界的促進
    TPNW(核兵器禁止条約)は70か国が批准したが、核保有国は参加を拒否。
  • 経済的威圧の終焉
    制裁緩和は査察順守とセットで行うべき。EUによる2024年の医薬品・食料人道回廊は重要な先例。

結論:より公平な核秩序へ

NPTの未来は、理想と現実のギャップを埋める制度改革にかかっている。イランの経験は、懲罰的な対応、軍縮の偽善、地政学的偏見という制度的欠陥を浮き彫りにしている。トリタ・パルシ博士が述べるように:

「イランは問題そのものではない。NPT体制の欠陥を映す鏡である。」

NPTが存続するには、非核保有国の権利尊重、核軍縮の履行、外交重視の枠組みへの進化が求められる。そうでなければ、NPTは覇権の道具と見なされ、イランのみならず、国際的な核統治の崩壊を招く恐れがある。

参考文献

  • IAEA(2025)『イランにおける検証と監視報告』
  • 米国家情報長官室(2007)『イラン:核の意図と能力』
  • セイエド・ホセイン・ムサヴィアン(2024)『NPTのダブルスタンダード』カーネギー財団
  • トリタ・パルシ(2023)『制裁の影の下での外交』クインシー研究所
  • ナルゲス・バジョーリ(2024)『核武装地域におけるイランの安全保障ジレンマ』ジョンズ・ホプキンス大学出版
  • アームズコントロール協会(2025)『世界の核兵器保有国レポート』

This article is produced to you by London Post, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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包括的取引でサウジアラビアへの原子力提供を検討中の米国

【ワシントンDC IPS=イヴァン・エランド】

トランプ政権は現在、サウジアラビアにおける商業用原子力産業の発展、さらにはウラン濃縮の国内実施への道を開く可能性のある取引を模索していると報じられている。

だが、この取引は中止されるべきだ。なぜなら、米国にとっては負担とリスクが増すばかりで、それに見合う見返りはほとんど得られないからである。

2020年から21年初頭にかけて、トランプ政権は「アブラハム合意」に基づき、イスラエルとバーレーン、アラブ首長国連邦(UAE)、モロッコ、スーダンとの国交正常化を仲介した。しかし、サウジアラビアに対してもイスラエルを主権国家として認め、同様の関係を築くよう働きかけたが、成果は得られなかった。

バイデン政権はこの路線を引き継いだが、2023年のハマスによるイスラエル攻撃とそれに続くガザ戦争を受けて、サウジアラビアを巻き込むのは一層困難となった。民間人の死者の増加と人道危機の拡大により、パレスチナ問題の注目度が上昇し、地域全体でイスラエルに対する反感が高まったためである。

この状況下、サウジアラビアはイスラエルとの国交正常化の前提として、「独立したパレスチナ国家の創設に向けた意味ある措置」を取るよう要求した。2025年の現在に至るまで、サウジ政府はトランプ前大統領による「パレスチナ国家に関する要求を取り下げた」との主張を否定し続けている。

戦争終結への努力が実らない中、第2次トランプ政権は、まず米サウジ間の新たな合意を起点に、イスラエル・サウジ和解への取り組みを再始動しようとしているようだ。これは米国エネルギー省のクリス・ライト長官の発言からも示唆されている。

だが問題は、この「包括的取引」により利益を得るのが関係各国(イスラエルとサウジアラビア)であり、調整役を担う米国だけがコストとリスクを背負うことにある。サウジアラビアは以前から原子力発電の導入を切望しており、イスラエルにとっても、強力なアラブのライバルを封じ込め、新たな反イラン同盟国を得る好機となる(ただしサウジアラビアとイランは近年、一定の融和を模索しているため急ぐ必要があるだろう。)

さらにサウジアラビアは、かねてより正式な安全保障条約も求めている。この条約は、米国による防衛を見返りに安価な石油を提供するという、F.D.ルーズベルト大統領とサウジアラビアのイブン・サウード国王との間の非公式な取り決めを、制度化するものである。

しかしながら、米国の国家債務が37兆ドルに上る今、なぜ新たな“扶養国”を引き受け、しかも安全保障の対価を払おうとしない相手に肩入れする必要があるのだろうか(これはトランプ氏が他の同盟国にも頻繁に向ける批判である)。米国はもはやFDRの時代のように石油不足に悩まされておらず、シェールガス革命により再び世界最大の産油国となっている。

サウジアラビアとの正式な安全保障条約は、さらに財政的負担を増やし、米軍を中東に深く関与させ、もしサウジアラビアが近隣国と武力衝突すれば、米兵が戦場に送られるリスクをもたらす。

さらに、サウジアラビアに原子力技術を提供した場合、何が起き得るだろうか? 過去、イスラエル・サウジ合意の交渉が頓挫したのは、サウジアラビアが「商業用原子力プログラムを核兵器開発に転用できないよう制限する措置」に反対したためだった。つまり、イランの核能力に対抗するため、核兵器の開発や他国への技術移転の可能性を残したいという意図がうかがえる。

実際、サウジアラビアは長年、核燃料として輸入する低濃縮ウランではなく、自国でウランを濃縮し、場合によっては核兵器級まで高められる能力を保有したいと望んできた。

米国国内では「サウジアラビアはロシアや中国から技術を得るかもしれない」との懸念もあるが、同国が核拡散防止のためのセーフガードを拒むのであれば、どの国が技術を提供しても結果は変わらない。

したがって、トランプ政権は、イスラエルとサウジアラビアの和解という現時点では見込みの薄い目標のために、こうした取引に応じるべきではない。たしかに、両国の国交正常化は中東にとって望ましいビジョンである(それが単にイラン孤立化の手段でなければ)かもしれないが、その実現のために米国が法外な要求に応じることは、割に合わない。

結局のところ、国交正常化は両国にとって利益のあるものであるべきであり、両国政府の交渉によって達成されるべきだ。米国が過保護に手助けする必要はない。(原文へ

イヴァン・エランド氏は、インディペンデント研究所の上級研究員であり、同研究所「平和と自由センター」の所長。かつてCato研究所の国防政策部門ディレクターを務め、また15年間にわたり米議会で国家安全保障問題に従事していた。近著に『War and the Rogue Presidency: Restoring the Republic after Congressional Failure』がある。
原文出典:https://www.independent.org/person/ivan-eland/
出典:Responsible Statecraft
※本記事の見解は筆者個人のものであり、クインシー研究所およびその関係者の立場を必ずしも反映するものではない。

INPS Japan/IPS UN Bureau

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核兵器不拡散条約再検討会議に向けた軍縮対話の促進

【国連IPS=ナウリーン・ホセイン】

第二次世界大戦終結以来、核軍縮の重要性がこれほどまでに問われたことはなかったかもしれない。核兵器を保有する国(核兵器保有国)同士、また核兵器保有国と非保有国との間に広がる溝が深まる現在において、軍縮の必要性は一層切実なものとなっている。

2026年に開催されるNPT再検討会議に向けた準備委員会(4月28日~5月9日)のサイドイベントとして、専門家によるパネル討論が国連本部近くのチャーチセンターで行われた。このイベントは、創価学会インタナショナル(SGI)とカザフスタンの国連常駐代表部の共催によるもの。

William Potter, the director of the James Martin Center for Nonproliferation Studies
William Potter, the director of the James Martin Center for Nonproliferation Studies

新たな紛争が発生し、既存の紛争が長期化・激化するなか、核兵器の位置づけを含む安全保障の在り方について、国際社会が合意形成を目指す必要性は増している。ジェームズ・マーティン不拡散研究センター所長のウィリアム・ポッター氏は、核兵器をめぐる規範の「浸食」について懸念を表明。「世界は混乱状態にあります。従来の同盟国と敵対国の境界も曖昧になっています。」と語った。

ポッター氏は、核兵器保有国と非保有国の間で核軍縮に対する緊急性の認識に大きな隔たりがあると指摘した。

SGIの砂田智映平和・人権部長は、「本当の敵は核兵器そのものではなく、それを正当化し、使用を合理化する思考そのもの」と語る。「他者を脅威や障害とみなして排除しようとする思考、人間の生命の尊厳を軽視する考え方こそが危険なのであり、私たちはそのような思考に立ち向かわなければなりません。」と訴えた。

世界の一部の大国が核兵器の配備制限の緩和を検討するなかでも、核兵器禁止に向けた外交的手段は有効に機能している。その一例が、地域ごとの条約で定められた非核兵器地帯(NWFZ)の設立である。

Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA
Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA
Gaukhar Mukhatzhanova, Japan Chair for a World Without Nuclear Weapons (VCDNP)
Gaukhar Mukhatzhanova, Japan Chair for a World Without Nuclear Weapons (VCDNP)

アフリカ、中南米、太平洋、中東、中央アジア、東南アジアでは、各国が核兵器の保有や実験を行わないことに合意している。こうした非核兵器地帯は、核を保有しない国々が自らの地域安全保障の枠組みを主体的に定める手段にもなっていると、VCDNP(核軍縮・不拡散に関するウィーンセンター)の「核兵器のない世界」実現に向けた日本政府支援プログラム議長を務めるガウハル・ムハジャノヴァ氏は語った。

このサイドイベントでは、「核兵器の先制不使用(NFU)」政策にさらなる重みを持たせることの重要性も議論された。NFUとは、核保有国が他の核保有国との戦争で先に核兵器を使用しないという誓約である。

現時点でNFUを明確に掲げているのは中国のみであり、他のP5構成国(米、英、仏、露)、ならびにパキスタンや北朝鮮は、核兵器の先制使用を排除していない。インドもNFU政策を取っているが、生物・化学兵器攻撃への報復は例外とする条項がある。

Adedeji Ebo,Director and Deputy to the High Representative of the United Nations Office of Disarmament Affairs (UNODA)
Adedeji Ebo,Director and Deputy to the High Representative of the United Nations Office of Disarmament Affairs (UNODA)

このような先制不使用の誓約をより広く支持することで、誤解や誤算による壊滅的事態を防げる可能性がある。核関連の条約交渉においては、国連軍縮局(UNODA)副代表であるアデデジ・エボ氏が言及する「信頼醸成の対話」が不可欠だ。これは報告や透明性の強化を通じて実現される。

今年のNPT準備委員会(PrepComm)は、この問題に関する議論から始まった。オーストリア外務省軍縮・軍備管理・不拡散局のアレクサンダー・クメント局長は、NPTに関する協議の中で、核保有国は核兵器の保有によって安全保障が確保されていると感じているため、現状維持を優先する傾向が強く、政治的にも優位に立っていると指摘した。これは明らかなパワーバランスの不均衡を示している。

Alexander Kmentt, Director of the Disarmament, Arms Control, and Non-Proliferation Department of the Austrian Ministry of Foreign Affairs photo credit: OPANAL

今年のNPT準備委員会や核兵器禁止条約(TPNW)締約国会合のような会議は、各国代表団やその他の関係者が十分な知識を持ち、自信をもって発言できる環境を整えることが求められている。

エボ氏は、「核軍縮を実質的に前進させるためには、非核保有国の存在が不可欠です。」と強調した。

また、核の傘の下にある国々(核保有国との間で核による安全保障の取り決めを結んでいる国々)は、自らの立場を活かし、非核保有国の非拡散方針を支援すべきだと述べた。  

また、核をめぐる議論を「専門的な領域に閉じ込めず、誰もが関われるようにする」必要性についても述べた。外交官をはじめとした核問題に関与する人々には、正確な知識が求められる。同時に、エボ氏は、一般市民や草の根運動によって、選挙で選ばれた指導者に核軍縮の責任を問い、行動を促すことができる可能性にも言及した。この問題を政治家の関心事項に押し上げることで、「無視するのが難しくなる」と語った。

彼は最後に、「核の問題は、国家だけに任せておくには重要すぎます。」と語った。

Chie Sunada, SGI’s Director of Disarmament and Human Rights

SGIのようなNGOや市民社会団体を通じた軍縮・非拡散教育も進められている。1957年以降、核軍縮はSGIが推進する「平和の文化」の広範な取り組みの一環として位置づけられてきた。砂田氏は、教育が「力強く、国境を越えた連帯意識」を育む上で重要な役割を果たすと語った。

そのためにSGIは、広島・長崎の原爆被害を体験した被爆者による証言を国内外で共有する講演や、年間1万人以上に届けられるワークショップなどを実施している。

パネルでは、国際的な外交努力と草の根運動の両面から核軍縮の取り組みを評価した。核関連の条約が尊重され、順守されるためには、根本において「核兵器に対するタブーとは何か」についての共通認識(例えば、先制不使用や完全禁止など)が必要である。

ムハジャノヴァ氏は、政策決定者、外交官、研究者、そして一般市民の間でも、この「核兵器に関する理解」が異なっている点を指摘し、2026年のNPT再検討会議(2026年4月27日~5月22日)に向けて共通の基盤を探る議論の必要性を訴えた。(原文へ

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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悲しみから行動へ―バルカン半島における民主主義刷新への要求

【モンテビデオIPS=イネス・M・ポウサデラ】

バルカン半島で起きた3つの壊滅的な出来事が、体制改革を求める力強い運動を生み出した。ギリシャで57人が死亡した列車衝突事故、北マケドニアで若者59人が命を落としたナイトクラブ火災、そしてセルビアで15人の命を奪った鉄道駅屋根の崩落―これらの悲劇は、単なる偶発的な事故ではなく、放置された安全規制、違法に発行された許認可、そして監視の形骸化といった「構造的失敗」の帰結であり、共通の要因は“腐敗”であった。

こうした運動の先頭に立っているのは、若者、特に学生たちである。そして被害者の家族も、変革を求める強力な声となっている。ギリシャでは「テンピ事故の遺族協会」が、説明責任を求める正統な声として台頭した。北マケドニアでは、抗議運動が経済的・政治的分断を超えて市民を結びつけ、若者の将来への希望のなさと蔓延する腐敗に対する広範な幻滅感が集約された。セルビアの運動は、約400の都市や町に広がり、犠牲者への黙祷後に「30分間の騒音」を鳴らすなど、革新的な抗議手法を生み出している。

3か国はいずれも、国民の記憶に新しい時期に民主化を果たしている。ギリシャは約50年前に軍事政権が崩壊し、北マケドニアとセルビアは1990年のユーゴスラビア解体を経て共産主義から脱した。だが現在、これらの社会には深い幻滅が広がっている。縁故主義、腐敗、パトロネージ(政治的見返り)は蔓延し、国家機能は国民のためではなく、エリートの利益のためにあるかのようだ。特にセルビアでは、北マケドニアほどではないにせよ、政府が権威主義的な方向に傾いている。最も大きな失望を抱いているのは、民主化後に育ち「もっと良い社会」を期待してきた若者たちだ。

2023年2月にギリシャで起きた鉄道事故は、慢性的な投資不足と維持管理の欠如により崩壊した鉄道システムの姿を露呈した。これは腐敗した契約慣行と密接に関係している。政府の否定や無反応に対し、遺族が雇った民間調査員は、衝突直後に多くの乗客がまだ生存していたものの、その後の火災――おそらくは申告されていなかった可燃性化学物質の積載によって引き起こされた火災――によって死亡したことを突き止めた。

北マケドニアでは、3月に火災が発生した「パルス」ナイトクラブがまさに“事故を待つ時限爆弾”だった。工場跡地を改装した建物で、実質的に出口は1つのみ。非常口は施錠され、可燃性素材が多用され、消防設備は皆無。しかも、営業許可証は違法に発行されていた。

セルビア・ノヴィサドの鉄道駅で2024年11月に起きた屋根崩落事故も同様だ。同駅は中国企業との秘密契約で改修されたばかりだったが、安全よりも利益が優先されていたことが悲劇を招いた。

3か国に共通しているのは、過剰な民間資本の影響力が行政を支配し、安全性が私益の犠牲になったことだ。市民社会団体、ジャーナリスト、野党政治家らが警鐘を鳴らし続けていたにもかかわらず、警告は無視されてきた。北マケドニアの抗議スローガン「私たちは事故で死んでいるのではない、腐敗で死んでいる」には、その怒りが凝縮されている。ギリシャでは「彼らの政策が人命を奪った」、セルビアでは「お前たちの手は血で汚れている」と政府に訴える声が上がった。セルビアの「私たちは皆、あの屋根の下にいる」というスローガンには、腐敗が生み出す構造的脆弱性への共通の恐怖が表現されている。

3か国の抗議者は、共通する要求を掲げている。直接的な加害者だけでなく、安全規則違反を可能にした行政官への責任追及、政治的干渉のない透明な調査、そして腐敗の根本的原因に対処する制度改革だ。彼らは、選挙だけでなく、制度化された監視機構と公共の関与による説明責任の確保が、民主主義に不可欠であると理解している。

政府の対応は、予測可能なパターンを辿っている。小さな譲歩を見せたあと、怒りの本質的な解決ではなく、事態の“管理”に動くのである。

北マケドニアでは、内務大臣がナイトクラブの営業許可が違法であったことをすぐに認め、クラブ経営者や公務員など20人の身柄を拘束した。しかし抗議者たちはこれを“スケープゴート探し”であり、制度的改革ではないと捉えている。ギリシャでは列車事故の原因を「悲劇的な人的ミス」として片付けた後に運輸大臣が辞任したが、調査は遅々として進まず、証拠隠蔽や政治的責任回避が指摘されている。セルビア政府は一時的に一部の機密文書を公開し、要求に応える姿勢を見せたが、抗議が継続するとヴチッチ大統領は一転し、抗議者を「西側諸国の諜報機関の傀儡」と非難し始めた。

象徴的なジェスチャーのあとに本質的改革への抵抗が続き、時に抗議の弾圧まで伴うこの対応は、政府と市民の間に深い「信頼の欠如」があることを示している。改革の実行が、そもそも腐敗した機関に依存している限り、改革を信じることはできない―それが、なぜ市民たちが国際基準と市民社会による監視の導入を重視しているかの理由である。

これらの悲劇による感情的な衝撃は、通常なら政治に関心を持たない市民をも動員し、改革への圧力を高める「政策の窓」を生み出した。だがその窓が、目に見える変化のないまま閉じてしまうのか、それとも持続的な圧力が意味ある制度改革を導くのかは、今後にかかっている。

これらの運動が直面する課題は多い。感情的な高まりが落ち着いた後も動員を維持できるか、政府の表層的な改革アピールに取り込まれずに済むか、そして明白な過失への批判から、実現可能かつ変革的な制度提案へと舵を切れるかどうか――である。歴史が示すように、真の改革は稀であり、政府が行動しなければ、怒れる民意はポピュリスト政治家に取り込まれ、逆に反動的な目的に利用される危険性もある。

それでも希望はある。今回の抗議運動には、既存の政治的分断を越えて広範な市民連携が見られる。要求は抽象的ではなく、具体的で文書化された行政の失敗に基づいており、的を絞った制度改革の提案に繋がっている。犠牲者の記憶を尊重するという倫理的重みは、運動のエネルギーを持続させる資源となる。そしてこの運動は、経済的苦境のなかですでに正統性を問われていた腐敗エリート層の統治に追い打ちをかけている。

バルカン半島各地の広場に集まり続ける抗議者たちは、「市民のための民主主義」という力強いビジョンを体現している。繰り返し裏切られてきた民主主義の約束を取り戻そうとするその姿は、「本来、民主主義における権力とは、全ての人のために存在するべきものだ」と私たちに改めて気づかせてくれる。(原文へ

イネス・M・ポウサデラは、市民社会国際連合(CIVICUS)の上級研究員であり、「CIVICUS」の共同ディレクター及びライター、「世界市民社会レポート」の共同著者。

INPS Japan

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2025年4月22日、カシミール地方のインド支配地域で観光客26人が惨殺された。その後数日のうちに、インド軍とパキスタン軍の間で銃撃戦が勃発した。カシミールに今再び戦争が迫っているのだろうか?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】

「抵抗戦線(TRF)」が攻撃を実行したと主張した。インド治安当局は、TRFをパキスタンが支援する武装組織と分類している。襲撃犯らは非ムスリムの男性を選んで襲った。犠牲者は1人を除く全員が非ムスリムで、インド国内からの観光客である。彼らは、インドで人気の行楽地、カシミール地方のパハルガムを訪れていた。パキスタン政府は犠牲者遺族に哀悼の意を表明したが、襲撃を非難することはなかった。()

インドとパキスタンは両国とも、この係争地域を自国領土と主張している。カシミールは、1947年に亜大陸がインドとパキスタンに分離したとき以来の係争地である。一部の地域はパキスタンが支配し、別の地域はインドが支配しており、カシミールの分離主義者らは長年にわたって独立を求めている。1971年に両国間で合意された一種の停戦ラインである「管理ライン」が、事実上の国境となっている。しかし、軍事衝突が頻繁に起こっている。

1947年から1949年まで、インドとパキスタンはカシミールをめぐって戦争を行った。その後は1965年に第2次印パ戦争が、1971年には東パキスタン(現バングラデシュ)をめぐる第3次印パ戦争が起こった。最後は1999年に、敵対する二つの隣国はカシミール地方の係争地カルギル地域で4度目の戦争を行った。これらの戦争のほとんどにおいてインドが軍事的に優位であったが、カシミール紛争に対する永続的解決はいまだ図られていない。政治的にも外交的にも、山あり谷ありである。国境の開放や越境貿易による和解の試みの後には繰り返し、パキスタンやカシミールの武装グループによる野蛮なテロ攻撃が行われ政治的に疎遠な時期が続いた。例えば2008年には、最も大規模なテロ攻撃の一つとしてムンバイのホテルで武装ムスリム集団による攻撃が発生した。

近年ニューデリーの政府は、強硬な政策によってカシミールの事態を鎮静化させた。2019年、インドのナレンドラ・モディ首相は、ムスリムが多数派を占める地域が持つ憲法上の特別な地位を署名一つで廃止し、インドのジャンムー・カシミール州を連邦直轄領として中央政府の支配下に置いた。ニューデリーは約4万人の部隊を追加配備し抗議者らを容赦なく弾圧した。なぜなら政府が抗議者をテロリストと見なしたからである。何千人もの野党政治家やジャーナリストが投獄された。カシミール渓谷のインド支配地域は、長期にわたって外部からの通信が遮断されている。カシミールの数百万人の人々は、その圧倒的多数がインド国籍を拒絶し、数十年にわたり自決権を求めて闘ってきたが、軍により包囲され、占領された。

支配的な軍と警察の存在は、テロ攻撃の減少をもたらした。2025年4月初め、インドのアミット・シャー内相はジャンムー・カシミールを訪問した際に地域の「テロリストの生態系全体」が「機能不全に陥った」と宣言した。このような判断は、インド政府がいかに情報不足だったか、そして、先般のテロ攻撃がいかに寝耳に水だったかを示すものだ。

 ニューデリーは、今回の攻撃の背後にパキスタンの関与があると見ている。武装グループは、パキスタンの治安部隊の支援を受けているといわれている。モディ首相は、インドは「全てのテロリストとその支援者を特定し、追跡し、罰する。地の果てまで追い詰める。テロの温床に残っているものを徹底的に壊滅するべき時が来た」と述べた。当然ながら、パキスタンの見方は大きく異なる。つい最近、アシム・ムニール陸軍参謀長は、カシミールをイスラマバードの「頸動脈」と呼び、いわゆる「二国家論」を提唱した。それによれば、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒は二つの別個の国家に帰属する。従って、ムスリムが多数派を占めるカシミールはパキスタンに帰属することになる。

今回の襲撃と非難の応酬を受けて、両国のソーシャルメディアには報復措置を求める声が広がっている。政府は、安全保障の強化に対する国民の要求に応えるため、軍を動員しようという誘惑に駆られるかもしれない。

計算されたエスカレーション

ニューデリーの政府は当初、計算されたエスカレーションによって対応しており、パキスタンから外交官の半分を召還し、インドに駐在するパキスタン外交官を追放し、アタリ・ワガ国境検問所を閉鎖し、インダス川水利条約を停止した。同条約は世界銀行の仲介により両国間で締結されたもので、強力な武器になり得る。過去の紛争においても、インド政府は水の堰き止めをちらつかせてきた。もしニューデリーがこの措置を実行に移せば、パキスタンの農業と国民への水供給に深刻な影響を及ぼすことになるだろう。すでに惨状にあるパキスタン経済は、その収入の4分の1を農業に依存している。危機はさらに悪化するだろう。それに対し、インドが失うものはほとんどない。パキスタン政府は、水の堰き止めが行われた場合それは「戦争行為」であると述べた。

国内では、インド政府は水利条約を断固停止することによってポイントを稼げるかもしれないが、国際的には拘束力のある条約を破ることに対して批判を受ける可能性が高い。第5次戦争まではいかなかったものの、カシミールをめぐる前回の危険な衝突は2019年2月に発生した。自爆テロによってインド人兵士40人が死亡した。インド空軍は越境攻撃を行い、これに対してパキスタンは戦闘機をインド領空に飛行させた。インド空軍が狼狽したのは、インドの戦闘機がパキスタン領内で墜落したことだった。紛争は最終的に、ワシントンからの外交圧力によって終結した。しかし、今日、敵対する隣国間の外交関係は凍結したままである。両国とも、互いの首都から大使を撤退させて久しい。2014年にモディ首相が就任したとき、彼はパキスタンに歩み寄って関係改善を図った。しかし、これまでの多くの場合と同様、かつての姉妹国の間に培われた敵意が妨げとなった。

インドは今回、武力で対応するのだろうか? 世論の圧力は強烈である。これまでのところ、限定的な軍事的小競り合いが起こるにとどまっている。もしパキスタンが攻撃されれば、「わが国の軍はそれに対する準備ができている。(中略)適切かつ即時の対応が取られるだろう」とイスラマバードの政府は表明した。その裏では、軍事衝突がエスカレートして核兵器が使用される、あるいは少なくともその威嚇がなされるのではないかという懸念が常に存在する。

何が、この問題の持続可能な解決策となり得るだろうか? 75年以上にわたり、平和的解決を見いだそうとする過去の試みは全て失敗してきた。ニューデリーが強力な警察や軍の存在によって法と秩序を維持しようとした過去5年間の試みは、今回の攻撃によって失敗に終わったようだ。インド政府は長年にわたり、外交的駆け引きによってパキスタンを国際的にのけ者にしようとしてきた。これは、一方ではインドの経済力と政治的影響力、他方ではパキスタンの脆弱性のおかげで大いに成功を収めている。しかし、インドの国際的優位は、不穏なカシミール地方に平穏をもたらしてはいない。妥協するつもりは、どちらの側にもない。

インドの中央政府は、世論が強く求めるパキスタンに対する報復措置ばかりに目を向けるのではなく、カシミールの地元住民の不安や抗議を真剣に受け止めるべきだ。ただし、それは、モディと彼の政府が何年にもわたって追求している、社会のあらゆるレベルでヒンドゥー教を重視するという政策とは全く相容れないものである。(原文へ

ハルバート・ウルフは、国際関係学の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)元所長である。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学・開発平和研究所の非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所の研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会の一員でもある。

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都市の住宅危機が深刻化する中、アフリカの若者が都市生活から締め出される

【アブジャIPS=プロミス・エゼ】

2019年に大学を卒業したジェレマイア・アチムグは、より良い機会を求めてナイジェリア北西部のソコト州から首都アブジャへと移り住んだ。しかし、都市での生活は予想外の困難に満ちていた。中でも住宅費の高さは大きな障壁だった。

アチムグは当初、叔父の家に身を寄せ、月給12万ナイラ(約73米ドル)のマーケターとして働き始めた。しかし、この収入では生活費すら賄えなかった。

「ナイジェリアの急速に発展する首都の生活費が、すぐに私の給料を食いつぶしました」と彼は語る。「月末にはいつも金欠でした。交通費、食費、その他の支出があまりに多かったのです。」

独り暮らしを始めようと部屋探しを始めたが、提示された家賃に衝撃を受けた。辺鄙な場所の狭いワンルームですら、年間約50万ナイラ(約307米ドル)だった。

「その程度の部屋に、そんな金額を払うなんて無理でした」と彼は振り返る。

数か月後、アチムグは仕事を辞めて故郷ソコトに戻った。都市で人生を築くという夢は、高すぎる生活費によって断ち切られたのだった。

「ナイジェリアの都市部では、若者にとって生活費や家賃があまりに高い」と彼は嘆く。「それでも、こうした都市こそが仕事のチャンスにあふれている場所です。都市に出てくる若者を狙って、家主たちが家賃をつり上げているのです。」

アフリカ全土に広がる家賃危機

アチムグの経験は、ナイジェリア中の若者が直面するより広範な問題を反映している。ナイジェリアの人口の約63%は24歳以下であり、都市部の人口は急増している。国連は、ナイジェリアの都市人口の増加スピードが全国平均の約2倍であると警告している。しかし、住宅供給はこの成長に追いついておらず、わずかに存在する住宅は法外な価格に高騰している。世界銀行によると、ナイジェリアは1700万戸以上の住宅不足に直面している。

African Continent/ Wikimedia Commons
African Continent/ Wikimedia Commons

ラゴス、アブジャ、ポートハーコートといった主要都市では、立地や部屋の種類によって年間家賃は40万ナイラ(約246米ドル)から2500万ナイラ(約16000米ドル)にも及ぶ。

最低月給は7万ナイラ(約43米ドル)だが、支払いが遅れる、あるいはまったく支払われないことも多く、失業率も高いため、多くの若者にとってまともな住宅を借りることは不可能に近い。これは、定住や社会的つながりの構築、経済的安定を妨げている。

こうした傾向はナイジェリアに限らない。アフリカ各国の都市部でも、若者が家賃の高騰によって締め出されている。急速な都市化、人口増加、経済的困難が、手頃な住宅の供給を脅かしている。IPSがガーナ、ケニア、南アフリカ、ナイジェリアの若者にインタビューしたところ、どの国でも同様の課題が報告された。

フォーマルな住宅はアフリカの大多数の人々にとって手が届かず、わずか5〜10%の富裕層だけがアクセス可能だ。残された多くの人々は、電気や清潔な水、適切な衛生設備すらないインフォーマルな居住地で暮らすしかない。専門家は、手頃な住宅への投資を増やさない限り、若者の住居確保はますます困難になると警鐘を鳴らしている。

若者の夢を閉ざす家賃の壁

ガーナ・クマシのクワンタミ・クワメ氏は、都市部の家賃高騰を「資本主義と不動産業者の貪欲さ」によるものと指摘する。

「数週間前、アクラでワンルームを探していたが、2年分の前払いとして38275ガーナ・セディ(約2500米ドル)を要求された。その部屋は基準以下で、水道、電気、ごみ処理費も別途必要だった。とても不公平だ」と彼は語る。

月額最低賃金が539.19ガーナ・セディ(約45米ドル)に過ぎないガーナでは、都市に集まる若者のために政府が手頃な住宅を確保する仕組みが必要だと訴える。

政府による家賃規制を求めるクワメ氏に対し、ナイジェリア・ラゴスの不動産専門家オライタン・オラオエ氏は、「土地の不足と建築資材の価格上昇が主因であり、単純な価格統制では解決しない」と反論する。

「例えば、ナイジェリアでは燃料補助金の撤廃によって物価が急騰し、それが建設コストにも波及した。政府がその状況で家主に家賃を下げろと言うのは筋が通らない」と語る。

オラオエ氏も、一部の家主の強欲を否定しないが、今後は家を借りるどころか「持ち家を持つ夢すら非現実的になる」と懸念する。

社会住宅制度の不備

ケニア・ナイロビのフィービー・オティエノ・オチェン氏は、教育職に就いて首都に移住したが、月給18000ケニア・シリング(約140米ドル)では賃貸物件は到底無理だった。

「学校から提供された小さな部屋に住むしかなかった。ナイロビではワンルームですら月120000ケニア・シリング。生活は成り立たない」と彼女は語る。

ケニア政府は低・中所得層向けの「手頃な住宅プログラム」を打ち出しているが、実際には高額であり、住宅税の義務化にも国民の反発が強まっている。

ナイジェリアでも、住宅供給を目指した国家プログラムが幾度となく立ち上げられてきたが、資金不足、腐敗、ずさんな実施により多くが頓挫している。

南アフリカでは、急速な都市化と経済危機、アパルトヘイトの遺産が住宅危機を深刻化させている。かつて黒人が強制的に押し込められたタウンシップは今も十分なインフラを持たず、多くの若者が都市に移っても家賃が高すぎて生活基盤を築けない。

「夢を捨てるしかない若者たち」

南ア・ケープタウンのレセプショニスト、ンタンド・ムジ氏は「賃貸契約の際には3か月分の前払いを求められ、収入も厳しく審査される」と訴える。

SDGs Goal No. 11
SDGs Goal No. 11

「住宅開発を担っているのは商業目的の企業ばかり。だから家賃が高い。」と話すのはブフラ・マジョラ氏。学生エリアの安アパートに入居できるまでに1年かかったという。

「高すぎる家賃は若い専門職の可能性を奪っている。働ける場所の近くに住む選択肢すらなくなっている」と彼は警告する。

ナイジェリア南西部イバダンのピース・アビオラ氏も、貯金600000ナイラ(約369米ドル)を全て使って部屋を借りたが、収入が不安定なため更新できず、実家に戻ることを検討している。

「家賃高騰を抑える法律をしっかり施行することが一つの解決策だと思う」と語る彼女は、政府の対応を求めてデモに参加する市民の一人だ。

「政府はテナント保護の方針を何度も掲げてきたが、実現されたことは一度もない。私たちは毎日、生き延びることばかりを考えている。これが人生のあるべき姿ではない」と、アビオラ氏は語った。(原文へ

※本記事は、ECOSOC協が議資格を持つ創価学会インタナショナル(SGI)およびINPS Japanとの協力により、IPS NORAM提供しています。

INPS Japapn

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年齢制限なき権利──高齢者の権利条約への期待


【ベルギー・ブリュッセル/ウルグアイ・モンテビデオIPS=サミュエル・キング & イネス・M・ポウサデラ】

世界の人口は高齢化している。世界の平均寿命は1995年の65歳未満から、現在は73.3歳へと大きく伸びた。60歳以上の人は現在11億人に達し、2030年までに14億人、2050年には21億人に達すると予測されている。

この人口動態の変化は、公衆衛生の進歩、医療の発展、栄養状態の改善を反映した「勝利」とも言える現象だ。しかし一方で、人権の観点から新たな課題を突きつけている。

エイジズム(年齢差別)は、高齢者を「負担」と見なす偏見を助長している。家族、地域社会、ボランティア活動などで多大な貢献をしているにもかかわらず、多くの高齢者は差別、経済的排除、サービスの拒否、不十分な社会保障、放置、暴力といった深刻な人権侵害に直面している。

このような状況は、他の理由でも差別を受ける高齢者にとってはさらに深刻だ。高齢女性、LGBTQI+の高齢者、障がいを持つ高齢者、その他社会的に排除された集団の高齢者は、複合的な脆弱性を抱えている。紛争や気候災害が起きた際には、高齢者は特に深刻な被害を受けるが、その実態はあまり注目されず、保護も不十分である。

こうした課題は、日本のような高齢化が進んだ先進国だけのものではない。グローバル・サウス諸国でも、過去の北半球よりもはるかに速いペースで高齢化が進行しており、支援のインフラや社会保障が不十分な社会で老後を迎えるという現実がある。

にもかかわらず、現時点で高齢者の人権を特に保護する国際条約は存在しない。現在の国際法体系は断片的であり、急速に変化する人口構成にはもはや適合していない。

国際的な最初の重要な進展は、2015年に米州機構(OAS)が採択した「高齢者の人権保護に関する米州条約」だった。この画期的な条約は、高齢者を権利の主体として明確に認め、差別、放置、搾取からの保護を規定している。ただし、加盟国間での実施にはばらつきがある。

一方、世界保健機関(WHO)が推進する「2021〜2030年 健康的な高齢化の10年」は、年齢にやさしい環境や医療体制の促進に向けた前進ではあるものの、法的拘束力のない自主的枠組みに過ぎない。真に人権を保障するには、拘束力のある条約が必要だ。

そうした中で、2025年4月3日、国連人権理事会が「高齢者の権利条約の起草に向けた政府間作業部会の設置」を決定したことは、実現への大きな希望となる。地政学的分断が深まる昨今において、全会一致での採択は特に意義深い。

この動きは、2010年に国連総会で設置された「高齢化に関する公開作業部会」による10年以上にわたる粘り強い取り組みの成果である。これまで14回の会合を重ね、各国政府、市民社会、国家人権機関などが議論を重ね、2024年8月には条約起草を求める勧告が出された。AGEプラットフォーム・ヨーロッパ、アムネスティ・インターナショナル、ヘルプエイジ・インターナショナルなど市民団体による国境を越えたキャンペーンや連携も、今回の前進に大きく貢献した。

UN Photo
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今後は、原則を法的保護に変える重要な段階が始まる。人権理事会決議は、その具体的な手順を示しており、年内には作業部会の初会合が開かれる予定だ。条文が草案としてまとまれば、国連システムを通じて検討・採択へと進む。採択されれば、1989年の児童の権利条約、2006年の障害者権利条約に続く新たな保護枠組みとなる。

この条約は、高齢者が社会にどう評価されるかを再定義する稀有な機会でもある。宣言から実施までの道のりでは、市民社会による粘り強い監視と働きかけが不可欠となる。まずは、条文に実効性のある保護を盛り込むこと、次に採択後の履行で保護が骨抜きにならないようにすることが重要だ。

その努力が実を結べば、年齢を重ねることが人間の尊厳と権利を損なうのではなく、むしろ高める未来が実現するだろう。(原文へ

サミュエル・キング:EU資金による研究プロジェクト「ENSURED」の研究員。
イネス・M・ポウサデラ:市民社会連合CIVICUSの上級研究員、CIVICUS Lensライター、『市民社会の現状レポート』共同執筆者。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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【ニューデリーIPS=ステラ・ポール】

ブワン・リブー氏は、もともと子どもの権利活動家になるつもりはなかった。しかし、インドで数多くの子どもたちが人身売買され、虐待され、児童婚を強いられている現実を目の当たりにし、沈黙を選ぶことはできなかった。

「すべては“失敗”から始まりました。」とリブー氏は語る。「助けようとはしていましたが、問題を止めることはできなかった。そのとき気づいたのです──この問題は社会正義ではなく、刑事司法の問題なのだと。そして、解決には包括的で大規模なアプローチが必要だと。」

現在、リブー氏は世界最大級の子どもの権利保護ネットワーク「ジャスト・ライツ・フォー・チルドレン(Just Rights for Children)」を率いている。児童婚や人身売買と闘い続けてきた功績により、同氏はこのたび世界法曹協会(World Jurist Association)から名誉勲章を授与された。授与式は、ドミニカ共和国で開催された世界法律会議(World Law Congress)にて行われた。

しかし、リブー氏にとってこの賞は「栄誉」ではなく「責任の証」だ。「この賞は、世界が注目していること、そして子どもたちが私たちに希望を託しているということの証なのです」と、授賞後初のインタビューでIPSにの取材に対して語った。

原点─1つの会議が人生を変えた

弁護士としての訓練を受けたリブー氏の道のりは、長く困難ながらも輝かしいものだった。そのきっかけは、インド東部ジャールカンド州で開かれた小規模なNGOの会合だった。ある参加者が発言した──「私の村の少女たちがカシミールへ連れて行かれ、結婚相手として売られています。」

その一言が、リブー氏の心を強く打った。

「そのとき気づいたのです──州境を越える問題を、1人や1団体で解決するのは不可能だと。」そこで全国的なネットワークづくりを始めた。

こうして「児童婚のないインド(Child Marriage-Free India/CMFI)」キャンペーンが誕生。数十の団体が次々に加わり、その数はやがて262団体に拡大した。

これまでに2億6千万人以上がこのキャンペーンに参加。インド政府も「バル・ビバフ・ムクト・バラト(Bal Vivah Mukt Bharat/児童婚ゼロのインド)」という国家ミッションを立ち上げた。

現在、村や町、都市の至る所で「児童婚ゼロのインド」に向けた声が上がっている。

「かつては不可能と思われていたことが、今や手の届くところまで来ています」とリブー氏は語る。

法廷での戦い

弁護士であるリブー氏にとって、法律は強力な武器である。

2005年以降、彼はインドの裁判所で多数の重要な訴訟を提起し、勝訴してきた。これにより、児童人身売買の法的定義が明確化され、行方不明児童の届け出に対する警察の義務化、児童労働の刑事罰化、被害者支援制度の整備、有害な児童性的コンテンツのネット上からの削除など、数々の改革が実現した。

特に大きな転換点となったのは、「行方不明の子どもは、人身売買の可能性があるとみなすべきだ」と裁判所が認めたこと。この判断により、行方不明の児童数は11万7480人から6万7638人へと大幅に減少した。

「これこそが“行動する正義”の姿です」とリブー氏は語る。

宗教指導者の協力を得る

CMFIの最も画期的な取り組みのひとつは、宗教指導者への働きかけだった。

「なぜなら、どの宗教であれ、結婚を執り行うのは宗教指導者だからです。彼らが児童婚を拒否すれば、習慣そのものが止まるのです。」

キャンペーンのメンバーは全国の村々を訪れ、ヒンドゥー教の僧侶、イスラム教のウラマー、キリスト教の神父や牧師などに「児童婚は行わず、見かけたら通報する」という誓約を促した。

その効果は絶大だった。例えば結婚が多く行われる吉日「アクシャヤ・トリティヤ(Akshaya Tritiya)」でも、寺院が児童婚を拒否するようになった。

「信仰は、正義のための大きな力になり得るのです。宗教の教義も、子どもたちの教育と保護を支持しています」とリブー氏は話す。

世界へ広がる運動

このキャンペーンはもはやインド国内にとどまらない。2025年1月にはネパールがこの動きに触発され、「児童婚ゼロ・ネパール」イニシアチブをカドガ・プラサド・シャルマ・オリ首相の支持のもと開始。全7州が参加し、児童婚撲滅に取り組んでいる。

さらに、この運動はケニアやコンゴ民主共和国など39カ国へと広がっており、国境を越えた子ども保護のための法的ネットワーク創設への機運が高まっている。

「法制度は国や地域によって異なっていても、“正義”の理念は同じでなければなりません」と語るリブー氏は、2冊の著書『Just Rights』『When Children Have Children』の中で、PICKETと呼ばれる法的・制度的・倫理的枠組みを提唱している。「叫ぶだけではなく、子どもたちを日々守るためのシステムを築くことが必要なのです。」

犠牲と希望

リブー氏は、将来有望だった弁護士としてのキャリアを捨てた。当初は理解されなかったという。

「周囲から“時間の無駄だ”と言われました。でもある日、息子がこう言ったんです──“たったひとりでも救えたら、それで十分じゃない?” それが私にとってすべてでした。」

彼は“ガンディー的信託主義”──つまり、自分の才能や特権を、最も支援を必要とする人のために使うべきだという考えを信じている。

「私がイラクやコンゴで児童婚と闘うことはできないかもしれません。でも、必ず誰かが立ち上がります。そして私たちは、その人のそばに立ちます。」

勲章は“より大きな使命”への扉

世界法曹協会の勲章は単なる栄誉ではない。リブー氏にとってそれは“舞台”である。

「この賞が伝えているのは、『変化は可能だ』『すでに変化は始まっている』というメッセージです。共に歩もう、という呼びかけなのです。」

この受賞をきっかけに、新たなパートナーとの協力が広がり、活動地域もさらに拡大できることを期待しているという。

「2024年だけで2.6万件以上の児童婚が阻止され、5万6千人を超える子どもたちが人身売買や搾取から救出されました。これが、夢物語ではない“現実の変化”なのです。」

2030年までに、インドにおける児童婚の割合を5%未満に抑えることが目標だ。

しかし、世界にはまだ多くの課題が残っている。イラクでは10歳の少女が結婚できる法制度があり、米国でも35州で一定の条件下における児童婚が合法である。

「正義は“一時的”ではいけない。世界のどこであっても、“日常の一部”でなければならないのです。“正義”がただの言葉で終わらないように──それが私たちの使命です。」(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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