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国連SDGs地域センター、アルマトイに設立 トカエフ大統領とグテーレス事務総長が協定署名

【アスタナThe Astana Times】

カザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領と国連のアントニオ・グテーレス事務総長は8月3日、中央アジアおよびアフガニスタンを対象とする「持続可能な開発目標(SDGs)」のための国連地域センターをカザフスタンのアルマトイに設置するホスト国協定に署名したと、アコルダ(大統領府)が発表した。

署名式は、国連とのパートナーシップにおけるカザフスタンの新たな節目となり、地域全体における持続可能な開発推進に向けた重要な一歩となった。

グテーレス事務総長のカザフスタン訪問は、ニューヨークで開催される国連総会第80回会期を前に実現した。トカエフ大統領は、多忙な日程の中での訪問に謝意を示し、次のように語った。

「国連総会第80回会期を前にした多忙な時期にもかかわらず、グテーレス事務総長がわが国を訪問されたことは、われわれにとって特別な意義を持ち、持続可能な開発目標に対する国連の強いコミットメントを改めて示すものです。」

Tokayev and Guterres during bilateral discussion on Aug. 3. Photo credit: Akorda

トカエフ大統領は、中央アジア初のSDGsセンター開設が「地域全体にとっての画期的な成果」であると強調した。

「私自身、そしてカザフスタン国民を代表して、この取り組みに対する貴殿および国連チームの揺るぎない支援に心から感謝申し上げます。また、国連80周年に向けた貴殿の先見的なイニシアティブも高く評価いたします。カザフスタンは国連改革への取り組みを全面的に支持し、多国間主義、外交、協力という国連の基本原則に対する揺るぎないコミットメントを改めて表明します。」

グテーレス事務総長は温かい歓迎に謝意を示し、国際協力と持続可能な開発促進におけるカザフスタンの貢献を称賛した。

Guterres said his visit highlights not just the agreement signing but global support for “a very important project.” Photo credit: UN in Kazakhstan

「カザフスタンは平和と対話の象徴であり、多くの場面で信頼される仲介者、橋渡し役としての役割を果たしてきました。その出発点は、数十年前に核兵器を放棄するという歴史的な決断にあります。これは国際社会に対する模範となるものでした。文明間の衝突が語られる今日にあって、カザフスタンは、自国の存在とイニシアティブを通じて、異なる宗教や文化を持つ人々の対話と協力に希望があることを示してきました。貴国は常に、人々を結びつけるメッセージを発信し続けてきた中心的存在です。」

アコルダが公開した会談映像によると、グテーレス事務総長は今回の訪問について、「単なるホスト国協定への署名にとどまらず、この極めて重要なプロジェクトに世界的な注目を集めることにある。」と述べた。

会談では、国連地域センターの今後の活動、国連改革の展望、国際的および地域的な主要課題についても協議が行われた。(原文へ

INPS Japan/ The Astana Times

Original URL: https://astanatimes.com/2025/08/tokayev-guterres-inaugurate-un-regional-sdg-center-in-almaty/

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核兵器への盲信を支える神話

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ラメシュ・タクール】

戦争で原子爆弾が初めて使用されたのは、1945年8月6日の広島である。最後に使用されたのは、その3日後の長崎だった。1980年代には米国とソ連の保有弾頭数がピークに達し、数万発に上ったにもかかわらず、1945年以降80年間、核兵器が再び使われなかった最も単純な理由は、それらが本質的に「使えない」兵器だからである。

Ramesh Takur/ ANU
Ramesh Takur/ ANU

現在、核兵器は9か国に拡散しており、さらに多くの国の指導者や科学者がその「魔力」に魅了され続けている。その根底にはいくつもの神話があり、最初の神話は、第二次世界大戦の太平洋戦線で連合国が勝利したのは原爆によるものだというものである。政策立案者、分析家、論評者の多くは、日本が1945年に降伏したのは広島と長崎への原爆投下によるものだと信じ込んできた。

ロバート・ビラード氏は最近、当時の米国の複数の政策立案者や高級軍人が、原爆投下は戦争終結において軍事的価値が疑わしく、極めて非倫理的であると考えていたことを簡潔にまとめている。とはいえ、重要なのは米国人がどう考えたかではなく、日本の政策決定者が何に動機づけられて降伏したかである。別の分析枠組みによって、原爆が日本の降伏の決定的要因ではなかったというビラード氏の見解が強く裏付けられている。原爆投下に加えて、ソ連は8月9日に日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。東京は8月15日に降伏を発表している。

原爆投下と日本の降伏の時系列が近いのは偶然だった可能性が高い。8月初めの時点で、日本の指導部は敗戦を認識していた。無条件降伏の決め手は、ソ連が防備の手薄な北方から参戦し、降伏しなければスターリンのソ連が占領国となるという懸念であり、米国に先に降伏することでそれを回避することだった。この運命的な決断が、日本をどの国が占領するかだけでなく、冷戦終結まで続く戦後太平洋の地政学的地図全体を決定づけた。

"Hiroshima Aftermath - cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website
"Hiroshima Aftermath – cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website

第2の神話は、冷戦期の緊張を核兵器が維持したというものである。しかし、冷戦期においてソ連陣営もロシアと北大西洋条約機構(NATO)も互いを攻撃する意図を持っていたが、相手の核兵器によって抑止されたという証拠は存在しない。冷戦期の平和をもたらした要因として、核兵器、西欧統合、西欧の民主化のいずれがより重要だったのかは検討に値する。だが確かなのは、米国が原子力を独占していた1945~49年の間に、ソ連が赤軍の支配下で東欧・中欧に大規模に勢力を拡大したこと、そして戦略的均衡を得た後にソ連が崩壊し東欧から撤退したことである(もっとも、均衡達成が直接の原因ではない)。

冷戦後も、双方の核兵器保有は米国がNATOの国境をロシアの国境まで拡大することを止めず、ロシアが2014年にクリミアを併合し、昨年ウクライナに侵攻することも防げなかった。また、それはNATOによるウクライナ再武装や、ウクライナがロシア本土奥深くを攻撃することも阻止できなかった。

第3の神話は、核抑止が万全とはほど遠いというものである。世界がこれまで核惨事を回避できたのは、賢明な管理と同じくらい「幸運」による部分が大きい。1962年のキューバミサイル危機はその最も顕著な例である。ロシアとNATOの戦争は5つの潜在的核紛争の1つに過ぎず(ただし最も深刻な結果を伴う可能性が高い)、残る4つはすべてインド太平洋地域(米中、印中、朝鮮半島、印パ)である。北大西洋における二国間の枠組みをそのまま多層的なインド太平洋の核関係に当てはめるのは分析的に誤りであり、安定管理の政策面でも危険を伴う。

核による平和を維持するには、抑止と安全装置が常に100%機能しなければならない。だが、核による終末は一度の破綻で起こりうる。抑止の安定は、常に全ての側で理性的な指導者が政権にいることに依存しているが、金正恩、ウラジーミル・プーチン、ドナルド・トランプの時代において、それは心もとない前提条件である。さらに、暴発、人的ミス、システム障害が一度も起きないことが必要だが、それは不可能に近い。実際、誤解や誤算、偶発的事態によって、世界は何度も核戦争寸前まで迫ってきた。

第4の神話は、核兵器が核による脅迫からの必要不可欠な防御であるというものだ。核兵器がなければ得られない強制的交渉力を国家にもたらすという信念も、歴史的証拠に乏しい。核攻撃の明示的または暗黙の脅しによって、非核兵器国が行動を変えた明確な事例は一つもない(ウクライナも含む)。

核兵器は、史上最も無差別かつ非人道的な兵器であるため、非核兵器国に対して使用すれば政治的代償が大きすぎ、補うことは不可能だ。米国民の間で、この兵器使用に対する規範的禁忌が弱まっているとする研究もあるが、核政策に関わる世界の意思決定者の間では依然として強固な禁忌が維持されているとの見方が根強い。

核保有国は、ベトナムやアフガニスタンで非核兵器国に敗北しても、核使用による戦闘エスカレーションは選ばなかった。領土が非核兵器国に侵攻された例もあり、1980年代のフォークランド紛争や最近のウクライナによるロシア・クルスク州侵攻がそれにあたる。北朝鮮の挑発に対して最大の抑止要因となっているのは、核兵器ではなく、ソウルを含む韓国の人口密集地を攻撃できる強力な通常戦力と、中国の反応への懸念である。

第5の神話は、核抑止の絶対的効力を神聖視するものである。相互確証破壊が成り立つ二次攻撃能力を持つ核保有国同士では、核兵器は防衛手段として使用できず、相互破滅をもたらすだけである。実際、核・中堅・小国のいかなる組み合わせにおいても、抑止は必ずしも成立しない。核兵器保有は、相手国による核使用やその脅威のハードルを上げるかもしれないが、完全に排除することはできない。核保有国イスラエルが、イランの核兵器取得を存亡の脅威とみなすのはそのためだ。逆に、核抑止の論理を信奉する者であれば、中東の平和と安定のためにイランの核武装を支持するはずである。

ICAN
ICAN

結論として、核兵器の極端な破壊力は軍事的・政治的有用性には直結しない。むしろそれは、他の兵器とは質的に異なる政治的・道義的性格を持ち、事実上「使えない」ものにしている。核兵器使用を容認不可能で非道徳的、かつ状況によっては違法とするのは抑止ではなく規範であり、この規範的障壁は2017年の核兵器禁止条約(TPNW)によってさらに強化されている。(原文へ)

INPS Japan

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終戦80年に寄せて「不戦の世紀へ 時代変革の波を」(原田稔創価学会会長)

8月15日の「終戦の日」を前に、創価学会の原田会長が「不戦の世紀へ 時代変革の波を」と題する談話を発表した。その中で原田会長は、第2次世界大戦による犠牲者に哀悼の意を述べた上で、現在も各地で紛争による一般市民の犠牲が広がっている状況に対し、深い憂慮の念を表明。ウクライナや中東のガザ地区を巡る紛争の早期終結とともに、国際人道法の遵守を強く呼びかけている。  
 また、創価学会の平和運動の源流が、戦時中に軍部政府の弾圧によって投獄された、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の獄中闘争にあることに言及。二人の師の信念を受け継いだ第3代会長の池田大作先生が、戦時中に日本が甚大な被害をもたらしたアジア太平洋地域の国々との友好を広げる努力を重ねてきた歴史を振り返りつつ、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の意義に触れて、創価学会の社会的使命は世界の民衆の生存の権利を守り抜くために「核兵器のない世界」を築くことにあると訴えている。  
 その上で、「青年交流」「宗教間対話」「グローバルな民衆の連帯の拡大」の三つの取り組みを基軸にしながら、192カ国・地域に広がるSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーと共に「不戦の世紀」の建設を目指すことを表明している。(英語版

【東京INPS Japan=原田稔】 

多くの国の民衆を巻き込む総力戦が広がる中で、6000万人以上に及ぶ犠牲者を出した第2次世界大戦が終結して、本年で80年になります。
 犠牲者は当時の世界人口の3%を超えたともいわれ、しかも、その大半が女性や子どもを含む一般市民にほかなりませんでした。
 第2次世界大戦によって尊い生命を失ったすべての国の方々に、哀悼の意を表するとともに、仏法者として衷心より追善の祈りを捧げます。
 また、日本人の一人として、アジアと太平洋の国々に甚大な被害と苦しみをもたらした歴史への反省に立って、アジア太平洋地域の平和はもとより、世界の平和を築くために行動を続けることを、改めて固く誓うものです。

三代の会長を貫く「平和への信念」

8月15日の長編詩

Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun
Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun

 日本にとっての「終戦の日」である8月15日を前にして、私が思い起こすのが、創価学会の第3代会長である池田大作先生が、長編詩「黎明の八月十五日」で綴っていた言葉です。
 10代の頃に戦争に巻き込まれ、兄を亡くし、家も2度失った池田先生は、21世紀が開幕した年の夏(2001年8月)に、戦時中の悲惨な体験を歴史の証言として詩に残す中で、こう叫ばれました。
 「一家を滅茶苦茶にされ
  一族を不幸のどん底に
  陥れられた。
  いな
  無数の方々が
  不幸と地獄と慟哭の
  涙を流した。
  この八月十五日を
  迎えると
  怒りの心が燃える」

 その上で池田先生は、民衆が経験した塗炭の苦しみは「世界のあらゆる天地」に広がっていたものであり、“世界中の民衆の苦しみを、指導者たちは永遠に断じて忘れてはならない”と長編詩で訴えたのです。
  私たち創価学会の平和運動の源流は、日蓮大聖人の仏法の「生命尊厳」の思想に基づいて平和と人道の主張を貫き、軍部政府の弾圧によって1943年7月に投獄された、初代会長の牧口常三郎先生と第2代会長の戸田城聖先生の獄中闘争にあります。
 日本が太平洋戦争に突入する前月(1941年11月)に生まれた私にとっても、戦時中の体験は決して忘れることができません。
 東京の下町である浅草橋に生まれた私は、3歳の時に約10万人が犠牲となった東京大空襲に遭いました。
 1945年3月10日の未明に大量の焼夷弾が投下されて、あたり一面に火災が広がる中、母に守られながら逃げ回った時の恐ろしさは今も胸に焼き付いています。

紛争の早期終結を

Photo: The Ukraine Refugees Response Moldova - IsraAID
Photo: The Ukraine Refugees Response Moldova – IsraAID

 第2次世界大戦が終結してから、第3次世界大戦のような最悪の事態はかろうじて防がれてきましたが、戦争の惨劇は何度も繰り返されてきました。
 また今日においても、ウクライナや中東のガザ地区を巡る悲惨な情勢をはじめ、各地で武力衝突や紛争が続いており、一般市民の犠牲の拡大や人道状況の悪化が強く懸念されます。
  
 国や民族は違っても、愛する家族や大切な人の命を奪われる悲しみに変わりはない――。この事実は、第2次世界大戦で各国の民衆に襲いかかった悲劇であっただけでなく、次元は異なりますが、近年に起きた新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)を通じて、多くの人々が痛感した思いだったのではないでしょうか。
 戦火に巻き込まれて命を失った方々と、そのご家族のことを思うと胸が痛んでなりません。
  
 6月に勃発し、世界を震撼させたイスラエルとイランの戦闘は、拡大することなく収束をみました。
 紛争が長引くウクライナやガザ地区を巡る情勢においても、関係諸国を含めた対話と外交努力を粘り強く重ねる中で、本格的な停戦と紛争終結への道が一日も早く開かれることを心から願うものです。
  
 二度にわたる世界大戦の反省に基づいて、1945年に創設された国連の憲章の前文には、次のような誓いが刻まれています。

 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う――と。
 しかしながら、この80年間において「戦争の惨害」と無縁であり続けることができた国は、いったい、どれだけあったでしょうか。
 その意味では、国連憲章が目指す平和な世界の建設は、いまだ道半ばと言わざるを得ません。

「人間革命」の冒頭の一節
「戦争ほど、残酷なものはない
 戦争ほど、悲惨なものはない」

近隣諸国との友好

 思い返せば、第2次世界大戦後の紛争において極めて多数の犠牲者を出した、ベトナム戦争が激化し始めた1964年12月――。
 聖教新聞の記者であった私は、池田先生から、ある原稿を手渡されました。
 小説『人間革命』の最初の13回分の原稿です。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
  戦争ほど、悲惨なものはない」

 日本における“地上戦の最大の激戦地”となった沖縄で、池田先生が小説の冒頭に書き起こした言葉を目にした時、池田先生の戦争に対する強い憤りが胸に迫ってきました。
 翌1965年の元日から始まった、小説の新聞掲載にあたり、私は挿絵画家との窓口などの仕事に携わりました。小説の行間ににじみ出る“「戦争のない世界」への道を開くために、崩れざる民衆の連帯を何としても築かねばならない”との池田先生の深い覚悟を、連日のように感じてなりませんでした。
  
 私がその仕事を担当したのは第3巻まででしたが、連載が第5巻の「戦争と講和」の章に入る前(1969年4月)、池田先生が雑誌に寄せた一文に、次の言葉が記されていたことを鮮烈に覚えています。
 「あの泥沼のごときベトナム戦争の報道をみて、数ある写真の中で、銃弾を避けて逃げまどう母と子の姿ほど痛ましく、胸に迫るものはない」
 「戦争さえなければ、おそらく幸福な毎日を送っていたであろうに、なんのために、何の目的で、その幸福を奪おうとするのか――」

 写真に写っていた“母と子”の姿は、まさに私自身も戦争で体験し、周囲で起きていた光景と重なるものだったからです。
 当時、池田先生は、ベトナム戦争の即時停戦と和平実現を求めて提言を行っていました。提言を通して、国際政治の面から外交努力を通じて解決を図ることを呼びかけるだけでなく、何よりも一人の人間として、“戦争下の民衆の苦しみ”に目を向けて、悲劇を終わらせることを訴えてやまなかったのです。
  
 池田先生は、日本が戦時中に多くの民衆を苦しめた国々を訪れ、犠牲者に追善の祈りを捧げてきました。第3代会長就任の翌年(1961年)に訪問したビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジア、インドをはじめ、中国、韓国、フィリピン、シンガポール、マレーシア、オーストラリアに足を運び、友好を結ぶことに全魂を傾けました。
 こうした国々に加えて、ベトナムやインドネシア、太平洋地域の国々の識者と対話を重ねる中で、日本が引き起こした悲劇に対する思いを真摯に受け止め、その言葉の一つ一つを歴史の証言として聖教新聞の記事や対談集に残す努力を続けられてきたのです。
  
 私自身、そうした対話の場に立ち会わせていただいたことが何度もあります。
 池田先生が中国を初訪問した時(1974年5月~6月)にも同行しました。
 訪中団の秘書長として準備にあたった私に池田先生が教えてくださったのが、過去の歴史に対する痛切な反省を忘れることなく、隣国との友好を築いていかなければ、世界平和への道も開けないとの信念でした。
 その信念を胸に、香港を経て北京に向かい、表敬訪問した中日友好協会で池田先生が提案したのが、青年や女性による交流を進めるための計画だったのです。

Portrait of Chinese Premier Zhou Enlai (1898-1976)/ By unknown author, Public Domain
Portrait of Chinese Premier Zhou Enlai (1898-1976)/ By unknown author, Public Domain

 第2次訪中(同年12月)で周恩来総理と会見した時、病身の周総理が強く望んでいたのも、世々代々の友好を築くことでした。
 「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展はどんなことをしても必要であるということを何度も提唱されています。そのことが、私には、とても嬉しい」と。
 この2度の訪中が淵源となって、現在にいたるまで両国の間で青年交流をはじめ、文化交流と教育交流が重ねられてきたのです。

民衆の生存の権利を断じて守り抜く

国際人道法の遵守

 戦争の悲劇を地球上からなくし、どの国の民衆も平和に生きられる世界を築きたい――。池田先生のこの信念は、小説『人間革命』で浮き彫りにされていたように、戸田先生から受け継いだものでした。
 1957年の9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表した時、高校1年生だった私もその場に参加していました。
  
 競技場に集まった5万人の多くは青年でしたが、周囲を見渡すと、子ども連れの母親をはじめ、あらゆる世代の人たちがいました。そこで戸田先生は、“世界の民衆の生存の権利”を守り抜くために、いかなる理由があろうと核兵器の使用を絶対に許してはならないと訴えました。
 その後、歳月を経て、この宣言を読み返すたびに胸に去来するのは、次のような思いであります。
 広島と長崎で起きた核兵器による惨劇を、地球上のどの場所であろうと絶対に起こしてはならない。「核兵器のない世界」を築く行動を貫くことに創価学会の社会的使命がある――と。

The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0
The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0

  翻って現在の世界でも、紛争や内戦に加えて核兵器の脅威が再び高まる中で、一人一人の「生命の尊厳」がなし崩し的に脅かされようとしている現実が広がっていることに、憂慮を感じてなりません。
 第2次世界大戦がもたらした甚大な被害を踏まえて、国際人道法が整備されたのは、“一般市民をいかに戦争から保護するか”という強い共通認識が背景にあったからでした。
  
 池田先生は2019年の平和提言で、この国際人道法の中核をなすジュネーブ諸条約が採択に至った経緯に言及しながら、こう強調していました。
 「多くの人々が目の当たりにした戦争の残酷さと悲惨さが、交渉会議の参加者の間にも皮膚感覚として残っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決意をもって採択されたのではないでしょうか。
 私は、この条約の原点を常に顧みることがなければ、条文に抵触しない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強く警告を発したい」

 極めて遺憾なことに、現在の紛争においては、“国際人道法の条文そのものに抵触する”との懸念の声も上がるような事態が、しばしば起きています。
  
 この世界から一切の戦争を即座になくすことは困難であるとしても、“子どもや女性、高齢者や病人を保護する安全地帯の設置”を求めることからジュネーブ諸条約の検討が始まった歴史の重みを想起しつつ、終戦80年を機に、各国が共に国際人道法を遵守することを改めて誓約すべきではないでしょうか。

悲惨をなくす誓い

 その上で、私たちが強く呼びかけたいのは、分断や対立が生じても、それを軍事力による全面衝突という事態にまで至らせないための「不戦の防波堤」を、民衆の連帯によって堅固にしていくことの重要性であります。
 池田先生が、1983年から2022年まで40回にわたって平和提言を続ける中で、繰り返し訴えていたのも、この点にほかなりませんでした。
  
 先生は2回目の平和提言(1984年)で、「軍縮への努力と同時並行的に『世界不戦』という意志の流れを深く、大きくしていく」ことが重要であると力説したことがあります。
 当時、こうした二つの潮流――国際政治のレベルにおける“軍縮の機運の高まり”と、各国の民衆レベルでの“平和を求める声の高まり”が相まって、冷戦終結に向けた流れが急速に生み出されていきました。
 世界で今、一般市民を巻き込む軍事力の行使が半ば日常化しつつある中で、再び押し上げていく必要があるのは、この二つの潮流ではないでしょうか。
  
 池田先生がこの「不戦」の重要性を巡って、終戦70年の2015年に創価学会青年部に呼びかけた印象深い提案がありました。
 広島・長崎・沖縄の青年部が「3県平和サミット」の名で継続的に開催してきた青年平和連絡協議会を、新たに「青年不戦サミット」との名称で行っていくことを提案したのです。
  
 なぜ「平和」ではなく、「不戦」という言葉をあえて掲げたのか――。
 その真意を示すような言葉を、池田先生は同年1月に発表した平和提言の中で述べていました。
 「差別に基づく暴力や人権抑圧が、自分や家族に向けられることは、誰もが到底受け入れられないもののはずです。
 しかしそれが、異なる民族や集団に向けられた時、バイアス(偏向)がかかり、“彼らが悪いのだからやむを得ない”といった判断に傾く場合が少なくない。事態のエスカレートを問題の端緒で食い止めるには、何よりもまず、集団心理に押し流されずに、他者と向き合う回路を開くことが欠かせません」
 「(相手の立場を互いに理解する)努力を欠いてしまえば、緊張が高まった場合などに、自分たちにとっての『平和』や『正義』が、他の人々の生命と尊厳を脅かす“刃”となる事態が生じかねません」
と。
  
 つまり現代の世界では、「平和」という言葉が、本来そこに込められていた意味から離れて、“攻撃や暴力を正当化するための口実”のように用いられてしまう場合も少なくない。
 そうではなく、“戦争が引き起こす悲惨事を地球上の誰にも経験させてはならない”との信念を骨格に据えながら、「不戦」という明確な誓いを立てることによって、「平和」を求める思いをさらに強固なものにしなければならないというのが、池田先生の主張の眼目だったのです。
 まして、核兵器の脅威が常態化している今、「核兵器の不使用」を求める国際世論を高め、そこから「核兵器の禁止と廃絶」への流れを力強く生み出していく努力とともに、人類が共に「不戦の世紀」の道へ踏み出すことが急務となっていると思えてなりません。

「青年交流」と「宗教間対話」を促進し
地球的課題に取り組む連帯を拡大

三つの挑戦を推進

 私たち創価学会は、「不戦の世紀」の建設を民衆の手で進めるために、以下の三つの挑戦に今後も全力を注ぐことを、ここに宣言するものです。

 第一の柱は「青年交流」です。

Future Action Festival convened at Tokyo's National Stadium on March 24, drawing approximately 66,000 attedees. Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.
Future Action Festival convened at Tokyo’s National Stadium on March 24, drawing approximately 66,000 attedees. Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.

 戦争を起こすのも人間であれば、対立や分断を食い止めて、戦争を防止するのも人間です。
 そこで大切になるのが、集団心理や暴力的な扇動に押し流されない社会を築くことです。
 私たちは、中国や韓国などの隣国をはじめとするアジアの国々との間で、民衆レベルでの交流――なかんずく青年交流を重ねてきました。次代を担う青年たちが友情を結ぶことこそ、何よりの「不戦の防波堤」の礎となるものと信じてやみません。
 そうした交流を体験した「世代」の厚みを増していくことが、他国との戦争を戒める社会の構築につながると考えるのです。

 第二の柱は「宗教間対話」です。

 人類の歴史を振り返れば、残念ながら、宗教の違いがしばしば深刻な分断を生む原因となってきた面があることは否定できません。
 しかしその一方で、多くの宗教が、平和と尊厳を求める人々の精神的支柱となってきたことも事実です。
 この両面を見据えながら、より良い世界を築くために宗教者が行動することが求められており、分断の轍を踏まないためにも、相互理解を深める対話を広げることが欠かせません。
 私も昨年5月、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(当時)と会見し、“戦争と核兵器のない世界”の実現が強く求められることについて語り合いました。
 また本年6月には、マレーシア国際イスラム大学の国際イスラム思想・文明研究所のアブデルアジズ・ベルグート所長と、仏法とイスラム教の平和思想を巡って意見を交換しました。
 創価学会やSGI(創価学会インタナショナル)としても、国連の活動に関わる会議などの場で、さまざまなFBO(信仰を基盤にした団体)と対話を進め、宗教者としての共同声明をいくつも発信してきました。
 今後も、こうした宗教間対話に積極的に取り組んでいく決意であります。

7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress
7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress


 そして第三の柱は、地球的な諸課題の解決を目指して共に行動する「グローバルな民衆の連帯」の輪を広げていくことです。
 同じ目標に向かって一緒に行動することは、国や民族の違いを超えて信頼関係を築く上での最良の土台となるものです。
 私たち創価学会とSGIは、国連の取り組みへの支援を軸に、人権や気候変動の問題をはじめ、地球的な諸課題を巡る活動を進める中で、このことを強く実感してきました。
 今こそ、国際社会の流れを、“互いの国が不信を募らせて軍事力を強化する時代”から、“人類共通の脅威や課題を取り除くために協力し合う時代”へと転換する必要があります。
 そのための努力を重ねる中で、おのずと「不戦の世紀」への道も、眼前に大きく見えてくるのではないでしょうか。
  
 かつて池田先生は、釈尊の「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との言葉を通しながら、こう訴えられました。
 「私たちには、同じ人間である以上、『己が身にひきくらべて』他者の苦しみに思いをはせることができる『内省』という名の心の音叉があり、誰に対してもどこにでも架けることのできる『対話』という名の橋がある。そして、どんな荒れ地も耕すことのできる『友情』という名の鍬があり、鋤がある」と。
 この精神に基づいて、私たちは世界192カ国・地域の同志と共に、すべての人々が平和で尊厳をもって生きられる「不戦の世紀」を建設するために行動を続けることを、終戦80年の節目に改めて強く決意するものです。

INPS Japan

Original Link: https://www.seikyoonline.com/article/F271B9C86FC46126C12192AFB5549FBA

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古代カザフスタンの秘密が明らかに:東西を結ぶ新たな発見

【アスタナThe Astana Times=ナジマ・アブオワ】

カザフスタン各地で進められている考古学調査により、古代から中世にかけての文明の痕跡が次々と明らかになり、同地域が東西を結ぶ文化と交易の要衝であったことが改めて浮き彫りとなった。セルジューク朝時代の陶器や、サカ族ウスン(烏孫)族の時代にさかのぼる金の装飾品など、発見された遺物は広範な時代と地理にまたがっている。

サライシュク:中世交易の交差点
An array of gold ornaments dating back to the Early Iron Age. Photo credit: Kazinform
An array of gold ornaments dating back to the Early Iron Age. Photo credit: Kazinform

カザフスタン西部のアティラウ州に位置する古代都市サライシュクでは、セルジューク様式の貴重な陶器や中国産青磁の破片が発掘されたと、カザフスタンの報道機関24.kzが伝えた。

1950年代後半、トルコの学者たちは、1243年のモンゴル侵攻以前、アナトリア地方にクバダバードという主要な交易都市が存在したことを証明している。そこには中国、ペルシャ、キプチャク草原からキャラバン(隊商)が到来していた。

トルコの研究者ムハレム・チェケン氏によれば、サライシュクはジョチ・ウルス(黄金の大オルド)時代、中国、アナトリア、ビザンティウム、ホラズムなどと交易関係を維持していたという。発見された陶製のパイプや複雑な給水システムは、この都市に高度な都市インフラが存在していたことを示している。

13世紀のジョチ・ウルス 出典:Wikimedia Commons
Saray-Jük By Yakov Fedorov - Own work, CC BY-SA 4.0
Saray-Jük By Yakov Fedorov – Own work, CC BY-SA 4.0

「シルクロード沿いの都市の建築には多くの共通点があります。中世のセルジューク宮殿では飲料水や排水のために陶製のパイプが使用されていたことがすでに証明されており、今回サライシュクでも同様のシステムの破片が発見されました」とチェケン氏は語った。

また、ロシアの考古学者ヴィャチェスラフ・プラホフ氏は、「中国の陶磁器からクリミア沿岸由来の品々に至るまで、多様な遺物が発見されていることから、サライシュクが広範な交易と文化ネットワークに組み込まれていたことがうかがえる」と付け加えた。

現在、専門家たちはサライシュクを単なる交易所ではなく、東西を結ぶ「黄金の架け橋」と表現している。今年後半には、トルコの研究者チームも発掘の次段階に参加する予定だ。

カラガンダ州:手つかずの鉄器時代の墓が発見

カザフスタン中部カラガンダ州シェット地区の「タルディ歴史・考古公園」では、ブケトフ・カラガンダ大学の考古学者たちによって、初期鉄器時代の極めて保存状態の良い埋葬遺構が発見されたと、Kazinform通信が報じた。

An untouched Iron Age burial in the Shet district of the Karaganda Region. Photo credit: Kazinform
An untouched Iron Age burial in the Shet district of the Karaganda Region. Photo credit: Kazinform

この遺構は「コルガンタス型」と呼ばれる石積みの墳墓で、初期鉄器時代の遊牧文化と関連している。仰向けに埋葬された人骨、酸化した鉄製工具、小型家畜の頭骨3つが確認された。

「この種の埋葬は当地域では非常に珍しく、重要な点は遺構が手つかずで残っていることです」と研究者は述べている。

この墓は青銅器時代の石造墳墓の上に後から築かれたもので、紀元前4世紀から1世紀頃と暫定的に推定されている。

タルディ渓谷には約200の考古学的遺跡が存在し、中でも有名な「ステップ・ピラミッド」がある。この地域の発掘調査は州文化局の支援を受け、来年まで継続される予定だ。

アルマトイ州:サカ族とウスン族の金装飾が出土

カザフスタン南東部アルマトイ州ウイグル郡では、アル・ファラビ・カザフ国立大学の考古学者たちが、初期鉄器時代にさかのぼる数々の金の装飾品を発掘した。中でも注目されているのが、ライオンの顔、女性の顔、あるいは牡牛や雄羊の顔を象ったと解釈される複合的な意匠が刻まれた8グラムの金の指輪である。これらのシンボルは、古代部族にとって重要な意味を持っていたとされる。

発掘は「トギズブラク1号・2号墓地」で行われ、そこには50基以上の墳墓が存在する。第3・第4号墳墓からは、陶器、鉄製工具、金製の小板、金の鎖の一部、人骨などが発見された。

A ring cast from a gold ingot, featuring a design where one can discern a human face. Photo credit: Kazinform

科学・高等教育省によれば、これらの埋葬遺物は初期鉄器時代に属し、現在のウイグル地区がサカ文化の中心地の一つであったことを裏付けている。

ウイグル郡の副アキム(副首長)であるエラシル・トリムベクウリ氏は、アルマトイ州の歴史的・地理的に重要な集落チュンジャから10〜12キロの地点に位置するこの遺跡には、紀元前2世紀にさかのぼるウスン文化の痕跡も含まれている可能性があると指摘した。

「鋳造された金の延べ棒から作られた人の顔を描いた指輪や、“黄金人間”の衣装を思わせる金の装飾品、古代の金の鎖の破片なども見つかりました」と彼は語った。

トリムベクウリ氏はまた、周辺地域、すなわちチュンジャ、チャリン国立公園、周辺の墳墓地でも発掘が継続されていると述べた。研究者たちは、ウスン(烏孫)族の首都と推定される「チグチェン」がチャリン渓谷のサリトガイ周辺に存在していたという仮説についても検討を進めているという。(原文へ

INPS Japan/The Astana Times

Original URL: https://astanatimes.com/2025/06/ancient-kazakhstan-revealed-new-finds-link-east-and-west/

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|視点|広島からガザへ──大量死を正当化する論理の連鎖(サクライン・イマーム元BCC記者)

【ロンドンLondon Post=サクライン・イマーム】

1945年8月6日、第2次世界大戦が終結に近づき、日本の敗北がほぼ確実となっていた時、米国は戦争史上最も恐るべき決断を下した。民間人を標的に、人類史上最悪の破壊兵器を投下するという選択である。パイロットの母の名にちなんで「エノラ・ゲイ」と名付けられたB29爆撃機が、初の原子爆弾「リトルボーイ」を広島に投下したのは午前8時15分だった。爆弾は志摩病院上空600メートルで爆発し、15,000トンのTNT火薬に相当する威力で都市を火と灰の海に変えた。即死者は7万人にのぼり、ほとんどが罪なき民間人だった。その後数か月で、放射線障害や熱傷、負傷により死者は14万人に達した。爆心地から半径1.5マイル以内は完全に破壊され、活気ある都市は数秒で巨大な墓場と化した。3日後の8月9日には長崎に2発目の原爆が投下され、傷口はさらに深まった。日本はまもなく降伏したが、真の勝者は放射能の灰に刻まれた新たな世界支配の時代だった。

これは軍事的必然ではなく、技術力と帝国的威光を誇示するための冷徹な演出であった。人類を絶滅させる力を誰が握っているかを示すための「地政学的メッセージ」として行われた虐殺である。死を政治の道具とする「死の政治学(ネクロポリティクス)」──国家が生と死の選別権を握り、誰が生き、誰が死ぬのかを決める行為──の最も鮮烈な実演であった。広島と長崎は単なる悲劇ではなく、国家権力が死を政策に変える冷酷な宣言であった。

同じ論理が今日、ガザで繰り返されている。イスラエルの現政権は「自衛」の名の下に、230万人のパレスチナ人に対して体系的な破壊作戦を展開している。住宅地は破壊され、病院、学校、難民キャンプまでも爆撃されている。国連のデータによれば、死者は3万8千人を超え、その70%が女性と子どもである。国際司法裁判所ではジェノサイド(集団虐殺)の訴えが審理されているが、主要な大国は沈黙、あるいはこの残虐行為への共犯関係にある。1945年、原爆投下が道徳的正当化の衣をまとっていたように、ガザの破壊も「テロとの戦い」として合理化され、その背後にあるネクロポリティクスの現実──命を取捨選択する傲慢な意志──が覆い隠されている。

Hiroshima aftermath/ Wikimedia Commons
Hiroshima aftermath/ Wikimedia Commons

1998年、筆者がラホール記者クラブ会長を務めていた時、1人の若い日本人女性と出会った。彼女は広島の被爆者を祖母に持つ3世で、放射線被害による苦しみを受け継いでいた。彼女は日本のNGO「ピースボート」の一員として、同年にパキスタンが核実験を行った後、核廃絶を訴えるためにラホールを訪れていた。1945年に日本が経験した原子戦争の惨禍を世界に伝えるのが彼女の使命だった。しかし、パキスタンの主要な公的機関のいずれも、彼女らを歓迎しようとはしなかった。筆者は自ら彼女らを受け入れ、広島・長崎の破壊を記録したオリジナル写真展を一般公開した。それは単なる被害記録ではなく、世界の良心に突き付ける挑戦であった。

広島、長崎、そしてガザ──これらは、未解決の惨禍が世紀の両端を刻む暗い碑である。瓦礫と化したこれらの地は、文明も道徳も人間性も、死が政策として武器化される時にいかに灰燼に帰するかを証言している。原爆投下は戦争の終焉ではなく、帝国的権力が殲滅によって支配を刻み込む世界秩序の始まりだった。ガザでの民間人の標的化、インフラの破壊、共同体の消滅は、同じネクロポリティクスの論理を反響させている──大量死を常態化させて支配を強化するという発想である。広島の被爆者とガザの生存者は、命を使い捨てにされた者同士として、悲劇的な連帯を分かち合っている。

これらの出来事は、人類がいつまで「死によって統治する」支配者を許容するのかという切迫した問いを突き付ける。広島の灰とガザの瓦礫は、一部の命が軽んじられてよいという虚構を拒否し、次なる惨禍を生み出し続けるネクロポリティクスに対する断固たる裁きを求めている。(原文へ

INPS Japan

*INPS Japanでは、ガザ紛争のように複雑な背景を持つ現在進行中の戦争を分析するにあたって、当事国を含む様々な国の記者や国際機関の専門家らによる視点を紹介しています。

Original URL: https://londonpost.news/from-hiroshima-to-gaza-the-reign-of-death/

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欧州には戦略的距離が必要だ──米国への盲目的同調ではなく

【ロンドンLondon Post=シャブナム・デルファニ博士】

スペインのペドロ・サンチェス首相は、「欧州の意思決定に対する米国の覇権を断ち切らなければ、我々は共に燃え尽きることになる」と警告した。これは誇張ではなく、ヨーロッパが自らの独立性を確保しなければ、ワシントンの無謀な外交政策に巻き込まれ、破滅的な結果を招くことになりかねないとの危機感に基づく発言である。現在進行中のイラン・イスラエル間の緊張は、地域戦争に発展する可能性をはらみ、ヨーロッパが米国の中東政策に過度に依存していることの危うさを示している。ヨーロッパがワシントンに過度に歩調を合わせれば、制御も利益も及ばない危機に巻き込まれるおそれがある。これは政治的脆弱性を露呈させ、大陸全体を火の海にしかねない。

イランとイスラエルの対立は、ヨーロッパが米国の政策に従属してきたことの危険性を浮き彫りにする典型的な事例である。ワシントンがイスラエルへの支持を一貫して強める一方で、外交よりも軍事的な手段が優先され、イランはヒズボラやフーシ派といった地域の代理勢力を動員して応じている。これにより、より広範な戦争へと発展する危険が高まっている。ヨーロッパは地理的にも経済的にもこの危機の影響を強く受ける立場にありながら、米国の方針に縛られ、独自の対応が難しい状況にある。

この構図は過去にも見られた。2015年のイラン核合意(JCPOA)を、トランプ政権が一方的に離脱した際、EUはこれを維持しようとしたが成果を上げられなかった。米国の制裁を回避してイランとの貿易を継続するために設立されたINSTEXも、アメリカの圧力に屈し、機能しなかった。現在の情勢下でヨーロッパが同様の受け身の姿勢を続ければ、過去の失敗を、さらに深刻な代償を払って繰り返すことになる。

すでに、米国に追随することによる代償は顕在化している。紅海での攻撃により、重要なエネルギー輸送路が脅かされており、イランを巻き込む広範な戦争が起きれば、ホルムズ海峡を通る石油輸送が遮断され、原油価格は急騰する可能性がある。これによりヨーロッパ経済の不安定化が進むおそれがある。南欧諸国では、ガザやレバノンからの難民流入への備えが求められ、各国の治安機関は、欧州がイスラエルの軍事行動に関与しているとの印象によって、国内の過激化が進む可能性を警告している。

一方で、EU内の分裂が対応を困難にしている。スペイン、アイルランド、ベルギーなどはイスラエルの軍事行動を非難し停戦を求めているが、ドイツなど一部の国は依然としてワシントンの立場を支持している。このような分裂により、ヨーロッパは統一的な外交力を発揮できず、地政学的な傍観者にとどまっている。

フランスのエマニュエル・マクロン大統領はかねてから「戦略的自律性」の必要性を訴えてきたが、具体的な行動が伴わなければ、その主張は空疎なスローガンに過ぎない。ヨーロッパが真に地政学的な主体を目指すのであれば、ワシントンの軌道から脱却し、自らの利益を基準とした政策を構築する必要がある。

そのためには、米国が対決姿勢を強める場合であってもイランとの外交的対話を継続し、中東地域の安定とエネルギー安全保障の確保を図ることが求められる。また、イスラエルを含むすべての当事者に対して国際人道法の遵守を求めることで、原則に立脚した姿勢を内外に示すべきである。さらに、いくつかの欧州諸国が提案しているように、パレスチナ国家の承認を進めることで、中東における信頼と均衡を回復し、偏向しているとの見方を払拭する必要がある。

これらの措置は、NATOからの離脱や反米姿勢を意味するものではなく、ヨーロッパの経済安定、エネルギー安全保障、そして平和の維持といった基本的利益が、常に米国の政策と一致するとは限らないという現実を踏まえた冷静な判断である。

ヨーロッパはこれまで、イラクやリビアへの米国主導の軍事介入に加わってきたが、こうした関与は地域の不安定化、難民流入、テロの拡大を招く結果となった。そこから得られた教訓は重い。現在の中東情勢では、さらに深刻な危機へと発展する懸念がある。戦火は地域にとどまらず、エネルギー市場の混乱、ヨーロッパ経済の不安定化、社会の分断、さらには域内での暴力の発生につながる恐れもある。

スペインの首相による警告は、今まさに決断の時であることを突きつけている。ヨーロッパは、ワシントン主導の危険な路線に受動的に従い続けるのか、それとも独自の声と価値観、そして平和に向けたビジョンを持つ主権的な主体として歩み出すのか、重大な岐路に立たされている。時間は限られており、燃え広がる危機の炎は、すでにヨーロッパの足元に迫っている。(原文へ

INPS Japan/London Post

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長崎原爆から80年──唯一の道徳的選択肢は廃絶である(アハメド・ファティATN国連特派員・編集長)

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

2025年8月9日、世界は長崎への原子爆弾投下から80年を迎え、人類史上最も暗い日々の一つ、そしていまだに無視され続けている警鐘に思いを致している。1945年のこの日午前11時02分、広島に3日前に投下されたものよりも強力な爆弾が、一瞬にして町の一角を消し去り、およそ7万4千人を殺害した。生き延びた被爆者たちは、白血病やがんなど放射線による病に長年苦しみ、目に見えない傷を抱えて生き続けた。

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

今朝、国連のアントニオ・グテーレス事務総長は長崎平和祈念式典に寄せたメッセージで、被爆者の証言を「世界の永遠の道徳的羅針盤」と呼んだ。その声が時とともに減っていくほどに、その真実はより鮮明になる──核兵器は安全をもたらすのではなく、破滅しかもたらさない。

私自身、彼らが警告するものを目にした。2019年、私はカザフスタンのセミパラチンスクとクルチャトフ──旧ソ連の核実験の中心地──を訪れた。(ドキュメンタリー映像はこちらへ

研究機関や老人ホーム、孤児院の静かな廊下で、放射能汚染の代償を目の当たりにした。重い障害を抱えて生まれる乳児、がんで壊滅した村々、何十年経っても汚染されたままの大地──それは過去の話ではなく、今まさに起きている現実だった。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Atomic bombed Agnes of Urakami, displayed at United Nations Headquarters.Photo: Katsuhiro Asagiri、President of INPS Japan.
Atomic bombed Agnes of Urakami, displayed at United Nations Headquarters.Photo: Katsuhiro Asagiri、President of INPS Japan.

私はまだ広島や長崎を訪れたことはないが、長崎はいつも心の中にある。ニューヨークの国連本部で、軍縮パビリオンにある「聖アグネス像」の前を通るたびに思い起こす。長崎市民から贈られたその像の静かで悲しげな姿は、あの日の影が歴史書の中だけにとどまらず、今も私たちの現在に伸びており、行動を促していることを思い出させる。

長崎では今日、爆心地の記憶を共有するため、原爆投下以来初めて鐘の音が一斉に響いた。犠牲者の「水を…」という叫びをなぞるように、献水の儀が厳かに行われた。被爆当時3キロの地点で体験した93歳の西岡宏さんは、外傷がないように見えた人々でさえ、やがて歯ぐきから血を流し、髪が抜け、次々と命を落としていったと語った。

1946年に国連が最初に採択した決議が核兵器廃絶を求めたのは偶然ではない。それから80年経った今も、核の影は消えていない。核兵器は再び各国の安全保障ドクトリンの中心に据えられ、威嚇や強制の道具として振りかざされている。世界の軍事支出は過去最高を更新し、平和と開発のための資金は後退している。

それでも希望の火はある。昨年、広島・長崎の被爆者を代表する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が、数十年にわたる活動の功績でノーベル平和賞を受賞した。2024年には、国連加盟国が「未来のための協約」を採択し、核兵器のない世界の実現への再コミットメントを誓った。

しかし、行動なき再コミットメントは裏切りである。核不拡散体制の枠組み──核兵器不拡散条約(NPT)を基礎とし、核兵器禁止条約(TPNW)によって強化された制度──は守り、拡充し、履行させねばならない。そのためには、
・ 信頼と透明性を回復するための軍縮外交の復活
・ 核実験モラトリアムの再確立と包括的核実験禁止条約(CTBT)の全加盟国による批准
・ 検証可能な合意による核兵器備蓄の削減
・ 抑止ドクトリンを廃絶への誓約に置き換えること
が必要だ。

Photo: Atomic Bombing in Nagasaki and the Urakami Cathedral. Credit: Google Arts&Culture
Photo: Atomic Bombing in Nagasaki and the Urakami Cathedral. Credit: Google Arts&Culture

被爆者、セミパラチンスクの犠牲者、そして長崎の人々は、同じ悲劇と警告を共有している。追悼だけで行動を伴わないのは偽善である。

長崎を焼き尽くした火炎から80年、私たちは1945年と同じ選択に直面している──核の影の下にとどまるのか、それともその影を抜け出し、核のない世界という光の中へ進むのか。

選ぶべき時は今である。そして唯一の道徳的選択肢は、廃絶である。(原文へ

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/80-years-after-nagasaki-the-only-moral-choice-is-abolition

INPS Japan/ATN

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世界の先住民の国際デー2025

【INPS Japan/IPS】

人工知能(AI)は、私たちの暮らし方、学び方、働き方──そして誰の声が届くのか──を変えつつある。

AIは人類に希望をもたらす可能性を秘めているが、保護策がなければ、新たな支配の道具となる危険がある。

先住民族にとって、この問題は抽象的なものではない──それは祖先から受け継いだものであり、現実的かつ緊急の課題である。

先住民族の知識、画像、言語、そしてアイデンティティは、すでにAIシステムの学習に利用されている。

その多くは同意も協議も利益分配もないまま進められている。

2023年、研究者は先住民族の文化的コンテンツを含む1,800件以上のAI学習データセットを確認した。

その大半に、自由意思に基づく事前かつ十分な情報提供に基づく同意(FPIC)の証拠はなかった。

これは包摂ではない──デジタル形式での搾取である。

同意なしにAIシステムが先住民族のコンテンツを吸収すると、植民地主義の論理がコードを通して再生産される。

危険は文化面だけではない──領土や環境にも及ぶ。

AIにはデータセンター、レアアース鉱物、そして膨大な電力が必要であり、それらはしばしば先住民族の土地から供給されている。

世界の重要鉱物プロジェクトの54%以上が、先住民族の領土上またはその近くに位置している。

チリでは、AIによって最適化されたリチウム採掘が、アタカメーニョの水源と聖地を脅かしている。

AIの環境コストには、有害な電子廃棄物、土地の劣化、資源の枯渇が含まれる。

先住民族の参加なしに構築されたAIは、追放や収奪を加速させる「力の増幅装置」と化す。

一方で、先住民族はAIのガバナンス、倫理、政策に関する決定から排除されている。

ほとんどの場合、彼らは意見を求められることはない──しかし深刻な影響を受けている。

だが、先住民族はこの物語の受動的な被害者ではない。

ニュージーランドでは、マオリ主導のチームがAIを活用してテ・レオ・マオリ語の復興に取り組んでいる。

北極圏では、イヌイットのコミュニティがAIを用いて氷のパターンを監視し、気候変動への適応を進めている。

ポリネシアでは、先住民のサンゴ礁モニターが伝統知識と機械学習を組み合わせて海洋生態系を保護している。

これらの事例は、AIが権利、文化、同意を基盤に構築されるとき、何になり得るかを示している。

先住民族は、デジタル主権、倫理的枠組み、文化主導の革新に向けた資金提供を求めてきた。

彼らはAIの「共創者」でなければならず、その犠牲者であってはならない。

AIの未来は、単なる技術の問題ではなく、正義の問題である。

8月9日、世界的な対話に参加しよう。権利を守り、未来を形作ろう。(原文へ

INPS Japan

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無駄をなくせば、欠乏もない

ネパールの電気・電子廃棄物管理には政府のリサイクル政策が不可欠

【カトマンズ NepaliTimes=ソニア・アワレ】

今週、The New York Times紙が報じたネパールの電気自動車(EV)ブームに関する記事が広く共有された。世界がようやく、ネパールのエネルギー転換に注目し始めている。

だが、この成功は新たな課題も生んでいる。バッテリー駆動の自動車、スクーター、三輪車の普及により、ネパールはまもなくリチウムイオン電池の廃棄物処理という危機に直面することになる。さらに、携帯電話用バッテリー、重金属、レアアースといった問題も控えている。

「以前はノートパソコンや携帯電話が中心だったため、それほど関心を持たれていませんでした。しかし、電気自動車1台で最大500キロの廃棄物が発生します。それが積み上がっていけば、私たちの手には負えなくなります」と、カトマンズの電子廃棄物管理会社「Doko Recyclers(ドコ・リサイクラーズ)」のパンカジ・パンジヤール氏は警鐘を鳴らす。

同氏によれば、「当初は2027年以降、年間3500トンのリチウムバッテリー廃棄が発生すると見込んでいましたが、EV市場の拡大により、実際の数値はそれを大きく上回る見込みです」。

ネパールは新車販売の76%が完全電動車であり、その割合はノルウェーに次ぐ世界第2位に位置している。
ネパールは新車販売の76%が完全電動車であり、その割合はノルウェーに次ぐ世界第2位に位置している。

EVだけでなく、携帯電話、玩具、太陽光パネル、全国9000基の通信塔から発生するリチウムイオンバッテリー廃棄物もすでに相当な割合を占めている。

リチウムに加え、コバルト、ニッケル、マンガンなどの重金属は、空気、土壌、水を汚染する可能性があり、レアアースも含まれる。ネパールは昨年、約190万台の携帯電話を輸入しており、これは前年度比で40%の増加である(これは公式統計上の数字に過ぎない)。

リチウムイオン電池のリサイクルは技術的に可能だが、コストが高い。一方、金を含む重金属の回収率は95%以上に達する。中国はこの分野で先行しており、世界全体の重金属リサイクル能力のうち半分以上、年間約50万トンを占めており、米国や欧州を大きく上回っている。

ネパールにはリチウムイオン電池のリサイクル施設が存在せず、鉛蓄電池用の施設すらない。鉛やその他の金属、プラスチックは非公式セクターによって回収されるか、インドへ輸送されている一方、硫酸はそのまま廃棄されている。

「バッテリーのリサイクルは教科書通りの工学技術で、難しいことではありません。しかし、市場が存在しない場合、政治経済の原則として国家がそれを創出する必要があります。米国、英国、中国はそうやってリサイクル産業を育てました」と、エネルギー経済学者のディパク・ギャワリ氏は最近の気候会合で語った。

カトマンズのDoko Recyclersでは、今週、スタッフが電気廃棄物の仕分け作業に従事している。
カトマンズのDoko Recyclersでは、今週、スタッフが電気廃棄物の仕分け作業に従事している。

Doko Recyclersはリチウムイオン電池のリサイクル施設設置に向けて取り組み、シンガポール拠点のTotal Environment Solutions(TES)から4000万ルピーの投資を受ける直前までこぎつけた。しかし、ネパールには電子廃棄物(e-waste)政策や投資ガイドラインが整備されておらず、TESは投資回収の見通しが立たないとして撤退した。

ネパールには、製品の廃棄責任をメーカーや流通業者に課す「拡大生産者責任(EPR)」制度も存在しない。

「リチウムイオン電池のリサイクルには、技術移転さえあれば対応可能です。ただ、それには政府のEPR政策に基づいた投資が必要です。また、抽出されたリチウムのような原材料の扱いに関する規定も必要です。ネパールにはバッテリー製造の仕組みがないため、回収した原材料は輸出するしかありません。しかし、その輸送費は誰が負担するのでしょうか」と、パンジヤール氏は問いかける。

リチウムや重金属、レアアースの採掘は、その倫理性や環境負荷の高さが世界的に問題視されている。リチウム1トンの採掘で約15トンのCO2が排出され、塩水や鉱石からの抽出には水源の汚染や枯渇のリスクがある。ニッケルやコバルトの採掘も、生態系の破壊や労働搾取と密接に関係している。

電子機器の修理や再生は、電子廃棄物の削減に貢献できる。
電子機器の修理や再生は、電子廃棄物の削減に貢献できる。

より安全で安価、持続可能なナトリウムイオン電池の開発も進んでおり、EVは将来的にグリーン水素燃料への橋渡し的な技術となる可能性がある。

「これらの金属を使用するのであれば、少なくとも公共の利益のために活用すべきです。例えば電動バスの導入などです。最終的には、私たちの消費パターンが問われます。そもそも不要な携帯電話や車を買わないことの方が、リサイクルよりはるかに容易です」と、プラスチックなどの廃棄物リサイクルを手がけるAvni Center for Sustainabilityのシルシラ・アチャリャ氏は指摘する。

使い終わったあなたのスマートフォンはどこへ行くのか

Global E-waste Monitorの世界調査によると、ネパールが2024年に排出した電子廃棄物は4万2千トンに達し、10年前の1万3千トンから大幅に増加した。2026年には6万9千トンに達すると予測されている。

この数字は他国と比較すれば控えめだが、増加傾向とリサイクル施設の欠如は深刻な懸念材料である。

家庭用電化製品(洗濯機、冷蔵庫、ガスレンジ、オーブンなど)は、ネパールの電子・電気廃棄物の約半分を占めている。次いで携帯電話、ノートパソコン、タブレット、ハードディスク、ルーター、モデムが9%、コンシューマーエレクトロニクスが17%、照明機器が14%、スクリーン・モニターが8%、おもちゃが9%を占めている。

「過去10年ほどでe-wasteの性質も変化しました。以前はCRTモニターやCFL電球が中心でしたが、今では多くの電子機器、太陽光パネル、光ファイバーなど、リサイクル価値がマイナスのものも増え、さらに今後はEVバッテリーが中心になります」と、Doko Recyclersのパンジヤール氏は述べる。

e-wasteの構成は、人々の消費パターンの変化によっても変わっている。現在では、製品が寿命を迎える前に買い替える傾向が強まっている。

ネパールにおける携帯電話の平均使用期間はわずか2年、ノートパソコンは4年、テレビやパソコンは8年、冷蔵庫と洗濯機は10年である。直近の会計年度だけでも、ネパールは1千9百万台近いスマートフォンを輸入しており、その総額は240億ルピーにのぼる。

「最近では、電子機器メーカーが“交換キャンペーン”を展開しており、問題なく使える製品でも新機種に交換させる仕組みができています。製品を寿命まで使い切らないことで、存在しなかったはずの問題を自ら作り出しているのです」と、Avni Center for Sustainabilityのシルシラ・アチャリャ氏は述べる。「電子機器の使用量は飛躍的に増えていますが、それに見合う廃棄物管理能力は整っていません」

生ごみすら管理できていない自治体にとって、電子廃棄物は想定の範囲外だ。したがって、電子・電気廃棄物の大部分は非公式セクターに依存している。

カトマンズには約1200のスクラップ業者が存在し、電子廃棄物のうち約20%が正式な流通経路を経ずにリサイクルされていると推定されている。そしてその大部分はインドへ流れていく。

この非公式なリサイクルでは、プラスチックやアルミニウム、銅などの素材は一部回収されるが、貴金属や重金属の回収は行われていない。鉛バッテリーからの液体廃棄物(硫酸など)は埋立地に投棄され、地下水や河川を汚染している。

ネパールには、いまだ適切なe-wasteリサイクルインフラが存在せず、貴金属や重金属の抽出は不可能な状態だ。
ネパールには、いまだ適切なe-wasteリサイクルインフラが存在せず、貴金属や重金属の抽出は不可能な状態だ。

一方で、使用済み電子機器の再生市場も小規模ながら拡大しつつある。たとえば、Sabko Phoneのような企業は、中古スマートフォンを買い取り、ほぼ新品同様に再整備して、安価な端末として再販売している。

「当初はこの活動に賛同を得るのが非常に難しかったですが、ここ数年で意識が変わりつつあります。人々が再生スマホを買うようになれば、将来的には再生洗濯機なども選択肢になるかもしれません」と、Sabkoのウッタム・カフレ氏は語る。

2023年に販売された携帯電話12億2千万台のうち、14%が再生品であり、これにより1億9千万台分の新機種が不要になったという。

カフレ氏は次のように述べる。「再生や“アップサイクル”(使い終わったものをより価値ある形に作り替えること)が環境保護につながるという意識を社会全体に広げることができれば、大きな前進になります」

専門家たちは、e-waste問題に取り組む第一歩として、不要な電子製品の消費を抑えることを勧めている。
専門家たちは、e-waste問題に取り組む第一歩として、不要な電子製品の消費を抑えることを勧めている。

そのうえで、修理、再利用、アップサイクルと段階を踏み、最後の手段としてリサイクルに頼るべきだと指摘している。なぜなら、ネパールにはまだ、十分なリサイクル施設も法的枠組みも整っていないからだ。

ネパールの「廃棄物管理法(2011年)」には、e-wasteに関する記述がない。法改正案はすでに準備され、複数の省庁を回っているが、まだ確定していない。しかも、改正案にも電子・電気廃棄物の具体的な管理ガイドラインはなく、定義づけの域を出ていない。

一方、インドでは「拡大生産者責任(EPR)」と「バッテリー廃棄物管理規則2022」が整備されており、製造業者、リサイクラー(廃棄物の再資源化を担う業者)、再生業者の責任が明確に規定されている。

「ネパールでも、全国レベルのe-waste法制化とEPR導入が不可欠です。地方自治体単位でも、回収ルートの構築とリサイクルインフラへの支援が必要です。そして、こうした施策は同時並行的に実施されるべきであり、一般市民への意識啓発も重要な鍵となります」と、パンジヤール氏は語る。

EPR制度の導入は、信頼できない事業者を市場から排除し、不良品の流通を抑制する効果も期待できる。また、それは無制限で無秩序な消費の抑制、そして倫理的で持続可能な開発を優先する社会への転換にもつながる。

これは、現在ネパールで進むEVブームにも深く関係している。2024年度、ネパールは2万2907台の四輪車(総額508億8千万ルピー)を輸入し、そのうち1万6701台(412億3千万ルピー相当)が電気自動車だった。輸入された電動車の中で、公共バスの割合は非常に低く、同サイズのディーゼル車より高額であることが理由だ。

本来であれば、トロリーバスや路面電車のような「送電網直結型モビリティ」が導入されるべきだが、それが難しい現状では、政府が電動バスへの補助を拡充する必要がある。これにより、水力発電による余剰電力を活用し、大気汚染を抑え、石油輸入コストの削減にもつながる。

ラリトプールでは電動バスと自転車専用レーンの設置が進められている。(写真:Gopen Rai)
ラリトプールでは電動バスと自転車専用レーンの設置が進められている。(写真:Gopen Rai)

「ネパールのEV普及は、一面では成功物語ですが、同時にバッテリー廃棄問題という“次の災害”の引き金にもなっています。問題を一つ解決したと思ったら、別の問題を作り出していたということです」と、アチャリャ氏は警告する。

Sabko Phoneのカフレ氏は、再利用・修理・再生・リサイクルを軸とする「循環型経済」こそが、今後の進むべき道であると語る。

「電子機器は、人々の生活をより良くするために最大限活用されるべきです。まだ多くの地域や人々がそれらにアクセスできていない現状があります。しかし、使用後の管理や廃棄を含めた倫理的な使用こそが、将来の深刻な問題を防ぐ鍵となるのです」(原文へ

This article is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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世界的な水の破綻とイランの危機

【ロンドン London Times=シャブナム・デルファニ】

政治的不安や軍事衝突に世界の注目が集まる一方で、静かに進行する破局がある。それが「水の破綻(water bankruptcy)」──需要が不可逆的に供給を上回り、生態系と人類の生存を脅かす危機である。イランはこの破綻の震源地にありながら、その影響は干上がる河川流域や枯渇する帯水層を通じて、世界中に広がっている。

Shabnam Delfani,is Green Ambassador for the MENA Region and World Women Peace Ambassador.
Shabnam Delfani,is Green Ambassador for the MENA Region and World Women Peace Ambassador.

イランでは、再生可能な淡水資源の85%以上が枯渇しており、国連の持続可能性基準を大きく上回っている。かつて中東最大の塩水湖だったウルミエ湖は、その水量の90%を失い、今やひび割れた塩の荒野に変わった。古都の生命線だったザヤンデ・ルード川は、現在では数か月間にわたり干上がり、イスファハンでは抗議運動が起きている。イラン31州のうち28州で、約9000万人が深刻な水ストレスに直面しており、干ばつ、食料不安、生態系の崩壊が進んでいる。

120万基以上の違法な井戸が、何世紀もかけて形成された帯水層を汲み上げ、砂漠化を加速させている。これは単なる環境破綻にとどまらず、結果として水と食料の権利を脅かす、人権上の緊急事態である。水と食料の安全保障は、国連決議64/292および世界人権宣言第25条に明記された権利である。それにもかかわらず、こうした権利が侵されているのだ。世界中で、水の破綻はさまざまな形で、しかし同様の構造で現れている。

2018年、南アフリカのケープタウンは、干ばつと過剰消費により「ゼロデー(Day Zero)」──蛇口から水が出なくなる日──の到来が現実味を帯びていたが、同市は極端な節水政策を導入し、市民1人あたりの使用量を1日50リットル以下に制限。家庭や農業への厳しい給水制限を課し、市民の協力を得た大規模な節水運動と、幸運にもその後訪れた降雨により、最悪の事態を土壇場で回避した。

オーストラリアのマリー・ダーリング流域では、農業の過剰割当と気候変動に起因する干ばつによって河川流量が減少し、生態系が破壊されている。米国のカリフォルニア州では、地下水の過剰汲み上げが原因で地盤沈下が発生し、地域によっては地下水位が最大100フィートも低下している。

インドのパンジャブ州は「穀倉地帯」として知られるが、過度な灌漑により地下水が枯渇し、井戸の78%が「過剰利用」に分類されている。

メキシコシティでは過剰な地下水の採取により、都市全体が最大10メートルも沈下している。また、米国とメキシコが共有するコロラド川は、上流での取水の影響でデルタ地帯に達しないことも多い。これらの事例は、世界共通の構造的課題──管理の失敗、気候変動、無制限な需要──が水システムを崩壊の瀬戸際に追いやっていることを示している。

イランでは、自然的な水不足に加え、国内の政策的失敗が事態を悪化させている。何十年にもわたるガバナンスの欠如により、乾燥地帯でもコメやサトウキビといった水を大量に消費する作物が優先され、貴重な水資源が浪費されてきた。流域間の水移送、時代遅れの灌漑技術(農業用水の90%が非効率に失われている)は、危機をさらに深刻化させている。「ダム建設マフィア」は、計画性を欠いたダムを乱立させ、河川の流れを断ち、地域社会を移転させてきた。環境専門家の声は無視され、政策決定の場から排除されている。

さらに、国際制裁は、最新の水処理技術や革新的な灌漑技術、気候資金へのアクセスを阻み、危機を深刻化させている。制裁が環境そのものを直接標的にしているわけではないが、その影響は否定できない。復元プロジェクトは停止し、研究は頓挫し、持続可能な開発の取り組みは完全に麻痺している。イランは、必要な適応手段を奪われたまま取り残されている。

農村部の女性たちは、この危機の影響をとりわけ不均等に受けている。家庭における水と食料の管理を担う彼女たちは、水を汲むための過酷な労働、食料価格の高騰、資源の枯渇による家庭内のストレス増加に苦しんでいる。それにもかかわらず、女性たちは水資源のガバナンスから事実上排除されており、この構造的な見落としが持続可能な解決策を妨げている。女性の知識とリーダーシップを活かすことは、単なる正義の問題ではなく、持続可能性を実現するための不可欠な要素である。

SDGs Goal No. 6
SDGs Goal No. 6

イランの水危機は国境を越えて波及し、地域の安定を脅かしている。ヘルマンド川、チグリス川、アラス川といった国境を越える河川の干上がりは、アフガニスタン、イラク、トルコとの間での緊張を高めている。農村から都市への人口流入も都市部に圧力をかけ、社会的不安や人口構成の変化を引き起こしている。対策を講じなければ、食料不足と気候難民の発生が中東全域を不安定化させ、世界的な影響をもたらす可能性がある。国際社会は、もはやこの危機を見過ごしてはならない。

世界的に、国境を越えた水資源の紛争が増加している。ナイル川における「グランド・エチオピア・ルネサンス・ダム(Grand Ethiopian Renaissance Dam)」の建設は、エジプトおよびスーダンとの間で流量の減少を懸念する緊張を生んでいる。中央アジアでは、アムダリヤ川の過剰利用がウズベキスタンおよびトルクメニスタンの生活に深刻な影響を及ぼしている。こうした事例は、協調的な水管理の必要性を浮き彫りにしており、イランの隣国もこの教訓に学ばなければならない。

水の破綻に対処するには、緊急かつ協調的な行動が求められる。

イランにおいては、政府が「国家水緊急事態」を宣言し、国際的な支援を呼び込んで改革を迅速化する必要がある。農業慣行の抜本的な見直しも不可欠であり、水を多く必要とする作物の30%を干ばつ耐性のある品種に置き換え、500万ヘクタールにわたる灌漑を近代化し、再生農業に資金を投入すれば、年間数十億立方メートルの節水が可能になる。

違法な水の汲み上げは衛星監視を活用して取り締まり、無許可の井戸を封鎖し、各州ごとに地下水の使用枠を設定して厳格に運用すべきである。

女性と若者のエンパワーメントも不可欠である。水管理委員会への女性の30%参画を義務づけ、気候データの収集と革新を担う「ユース・クライメート・コープス(Youth Climate Corps)」を創設することで、未開拓の力を引き出すことができる。

また、水外交の再活性化も急務である。地域条約と独立監視機関を通じて、共有河川の公平な管理を実現するべきである。イランにおける国連開発計画(UNDP)は、象徴的なプロジェクトにとどまるのではなく、透明性と公正性を重視する役割へと転換し、成果の数値よりも気候レジリエンス(適応力)を優先する必要がある。こうした措置は、世界各地においても求められている。

オーストラリアのマリー・ダーリング流域管理局(Murray-Darling Basin Authority)は、水資源の過剰割当を是正するため、水の買戻し政策(water buybacks)を導入しており、持続可能な配分モデルとして注目されている。イスラエルの点滴灌漑(drip irrigation)システムは、従来の方法と比べて60%の水を節約し、高効率の一例となっている。ヨルダンでは、乾燥地に適した低コストの雨水収集(water harvesting)技術が普及しており、これも有効なモデルだ。

UN Photo
UN Photo

これらの成功事例が示すのは、解決策が存在するという事実である。ただし、それを実行に移すには、政治的意思と資金投入が不可欠である。

水は政治的な武器ではなく、食料も制裁の対象ではない。環境正義は交渉の余地がない原則であり、それは国連憲章、持続可能な開発目標(SDGs)、そして国際人権文書に明記されている。SDG6(安全な水と衛生)およびSDG13(気候変動対策)は、水の安全保障が政治化され、無視される限り達成不可能である。

イランの崩壊は、遠い未来への警告ではない。それはすでに始まっている現実である。現在、世界で約20億人が水ストレス地域に暮らしており、この数は2050年までに35億人に達すると予測されている。国連は、世界人口の40%が水不足に直面し、2030年までに700万人が干ばつによって移住を余儀なくされると推定している。

Map of Iran. Wikimedia Commons.

これらの数字は抽象的な統計ではない。そこには人々の生活、生計、そして崩壊寸前の生態系がある。イランの水危機に対する国際社会の沈黙は、もはや共犯といっても過言ではない。官僚的な遅延や政治的な慎重さを捨て、大胆な行動へと踏み出す時である。

国連、各国政府、市民社会は、水を取引材料ではなく「人権」として扱うべきである。

イラン国内では、政府、国連開発計画(UNDP)、国際パートナーが迅速に行動し、さらなる崩壊を防がなければならない。世界全体としても、イランの危機から学び、持続可能な水資源管理への投資を加速させなければ、自らのシステムが崩壊するのを待つだけとなる。

国連憲章に刻まれた「平和・尊厳・正義」という原則は、水の安全保障なしには成り立たない。世界が、最後の川が干上がるのを見届けるまで動かないという選択は、許されない。

イランの「水の破綻」は道徳的・地域的な失敗であり、今こそ、無策の代償がいかに大きいかを突きつける警告である。私たちは今、行動しなければならない。地球規模の水危機が、人類の破滅につながる前に。(原文へ

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