昨年8月、チベット高原でマグニチュード4.5の地震が発生した数時間後、2つの小規模な氷河湖が決壊し、タメ村が壊滅的な被害を受けた。2023年2月に「Journal of Basic and Applied Geomorphology」で発表された研究は、地震が気候変動による氷河湖の崩壊をさらに悪化させることを強調している。
しかし、彼は率直さが持ち味で、民主党の予備選で対立したエドワード・ケネディ上院議員に対して「彼の尻を叩いてやる!」(I’ll whip his ass!)という田舎風の表現を使ったこともある。当時の多くの記者はこれをあまりに過激、あるいはほぼ卑猥だと考え、「彼のロバを叩いてやる!」(I’ll whip his donkey!)と書き換えて報道した。
U.S. nuclear weapon test Ivy Mike, 31 Oct 1952, on Enewetak Atoll in the Pacific, the first test of a thermonuclear weapon (hydrogen bomb). Source: Wikipedia.
Brother Peter Nguyen Viet Bao, age 32, on right, who took final vows with the Marist Brothers last year, talking to Bishop Emeritus Cosmas Hoang Van Dat (2008-2023) of Bac Ninh diocese in Northern Vietnam. Bishop Cosmas was the first Jesuit bishop in the country’s history. (Photo: Victor Gaetan)
Author and Father Renzo de Luca in front of the 26 Martyrs Museum in Nagasaki, Japan. The museum was built 1962 to commemorate the 26 Christians who got executed for preaching Christianity on the Nishizaka hill in 1597. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
ベトナムにおける中国系カトリック教徒の存在
Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.
St. Francis Xavier Church was built in 1900 for Catholic Chinese working in Saigon. Today it still has at least one Mass in Cantonese each day.(Photo: Courtesy photo)
驚くべきことに、ジェフリー・ショーというカトリックの軍事歴史家が執筆した『The Lost Mandate of Heaven: The American Betrayal of President Ngo Dinh Diem』(イグナティウス・プレス、2015年)などの書籍によれば、ジエム大統領の暗殺は、米国政府が承認したクーデターの不気味な結果であったことが示されている。ジエムの祖先は17世紀にベトナムで最初期にカトリックに改宗した人々の一部だった。彼は大統領に就任する前の1950年、聖年の際にローマを訪れ、ピウス12世教皇との謁見を果たしている。
ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。2024年4月、研究のためガエタン氏が初来日した際にINPS Japanの浅霧理事長が東京、長崎、京都に同行。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。
ドナルド・トランプ米国次期大統領は、ウクライナ戦争を1日で終わらせたいと考えている。それは、何度も強調してきたことだが、どうやって終わらせるかは口にしていない。ウクライナの地で交わされている激しい戦闘をよそに、交渉がうまくいく見込みが現在あるのだろうか? 交渉の「機が熟するとき」は近いのか? (日・英) IPS UN Bureau, Nepali Times
米国で最も影響力のある政治学者の一人であるジョセフ・S・ナイは近頃、「ウクライナにおける勝利とはどのようなものか?(What Would Victory in Ukraine Look Like?)」と題する記事で「朝鮮戦争式解決」を挙げた。「ウクライナが定義する勝利が、2014年以降ロシアに占領されている全ての領土の奪還であるなら、勝利の目途はつかない。しかし、最終的な領土返還を求める権利を留保しつつ、欧州と結び付きがある繁栄した民主主義国家として独立を維持することを目指すのであれば、勝利はなおも可能である」と、彼は書いている。朝鮮戦争も、1950年から1953年まで紆余曲折があった。現在ウクライナで起こっていることと同様、北側も南側も、それぞれの支援国も、軍事的勝利に希望を持っていたがゆえに戦争を早期に終結させる準備がなかった。1953年7月の朝鮮戦争休戦協定は、38度線で国を分割し、戦争前の状態を回復することを定めた。朝鮮は今もなお南北に分割された国であり、紛争は凍結されたままである。平和条約は締結されず、南北境界に沿ったいわゆる非武装地帯は、世界で最も重武装された国境の一つである。平和条約を結ぶことなく、恒久的停戦に至ったのである。