【サンチアゴIPS=グスタボ・ゴンザレス】
パラグアイの元独裁者アルフレド・ストロエスネル氏の死去は、チリで新たな論争を呼び起こした。元独裁者アウグスト・ピノチェト(1973~1990年)が死去した場合、政府と軍はいかなる対応を取るのか、という問題である。
この問題を公の場で持ち出したのは、チリ陸軍司令官オスカル・イズリエタ将軍だった。ストロエスネル氏がブラジルで亡命生活の末に93歳で死亡したとの報道を受け、イズリエタ司令官は水曜夜、もしピノチェトが死亡時になお法的訴追の対象となっていたとしても、軍は「最大限の栄誉」をもって遇すると語った。その理由として同氏は、有罪が確定するまでは法的に「無罪と推定される」からだと説明した。
これは、パラグアイのニカノル・ドゥアルテ大統領が、ストロエスネル氏の遺体の帰国は認める一方で、逃亡中の身で死去した以上、いかなる栄誉も与えないと述べたことについて、テレビ局Chilevisiónの記者から見解を問われたことに答えたものだった。
現在90歳のピノチェトは、糖尿病や心血管系の疾患を抱え、常時医療管理下に置かれている。だが、こうした健康問題は同時に、人道に対する罪をめぐる訴追を免れる盾ともなってきた。
人権団体は、とくに「軽度の認知症」とされる症状が、ピノチェトに事実上の免責を与える役割を果たしてきたと批判している。裁判所は、1973年のクーデター直後に政治犯を各地で殺害した「死のキャラバン」事件や、1974年にブエノスアイレスで起きた前陸軍司令官カルロス・プラッツ将軍暗殺事件に関し、ピノチェトには裁判に耐えるだけの精神的能力がないと判断してきた。
もっとも、これらの事件が再び審理対象となる可能性はなお残されている。活動家やアナリストの間では、高齢の元独裁者が本当に認知症なのか、それとも裁きを逃れているだけなのか、疑問視する声が絶えない。しかも現在は、ピノチェト本人とその家族について、脱税や公金の不正流用に関する捜査も進められている。
昨年チリの裁判所に持ち込まれた事件によれば、米国のリッグス銀行やその他の海外金融機関に、ピノチェト、その妻、5人の子ども、さらに側近らの名義による秘密口座が存在していたことが判明しており、そこから脱税と不正蓄財の疑いが浮上している。
現在は引退したフアン・グスマン判事はかつて、「死のキャラバン」による57件の殺害と18件の「拉致」(強制失踪)について、ピノチェトには法的責任があり、裁判にかけられるべきだと判断した。だが2002年7月、最高裁は下級審の判断を支持し、ピノチェトには公判に耐える精神的能力がないと結論づけた。
さらに2005年3月には、最高裁は、それ以前に控訴裁判所が下していた免責特権剥奪の判断を覆した。この剥奪判断は、ピノチェトの「認知症」を根拠としていた。結果として、元独裁者が被告とされていたプラッツ将軍夫妻の爆弾テロ暗殺事件も打ち切られることになった。この暗殺は、独裁政権の秘密警察DINAによって組織されたもので、当時その長官だったマヌエル・コントレラス大佐は、ピノチェトに直接報告する立場にあった。
重要なのは、これら2件の事件でピノチェトの無罪が認定されたわけではない、という点である。論争を呼んだ医療鑑定に基づき、「軽度の認知症」のため裁判に耐えられないと判断されたにすぎない。
それにもかかわらず、イズリエタ司令官は、軍が将来ピノチェトの葬儀に全面的な軍の栄誉を与える方針を正当化しようとした。退役将軍であるピノチェトは、有罪判決を受けない限り無罪と推定されるべきだ、というのがその論拠である。「判決が出ていれば話は別だ。しかし訴追の途上にある限り、法の下では無罪と推定される」と同司令官は述べた。
だがこの主張は物議を醸している。「死のキャラバン」事件やプラッツ事件で無罪判断が出ていないことに加え、ピノチェトは認知症とされた後も、リッグス銀行事件の捜査によれば、海外銀行口座の管理を続けていたからである。本人や家族、側近らは、秘密口座に少なくとも2000万ドルを蓄えていたとみられている。
軍は、1973年から1998年まで陸軍総司令官を務めたピノチェトに対し、死去の際には軍葬の栄誉を与える用意があるだけでなく、現在も高額の年金、護衛、さらには複数の裁判における弁護費用の負担といった特権を与え続けている。
もっとも、極右組織「祖国と自由(Patria y Libertad)」の創設者で、現在ピノチェト弁護団を率いるパブロ・ロドリゲス氏は、自らの弁護活動は政治的信念に基づくものであり、無報酬で行っていると繰り返し述べている。
多くの国際的な観測筋にとって、人権侵害と汚職の双方で数々の訴追を受けているピノチェトが、なお軍人恩給や退役将軍としての地位を保持していることは理解しがたい。だが、同じことはDINA元長官マヌエル・コントレラスにも当てはまる。コントレラスは、1976年の元外相オルランド・レテリエル暗殺事件で7年間服役し、現在も別の人権侵害事件で収監されているにもかかわらず、軍から除隊も降格もされていない。
ストロエスネルとピノチェトの共通点は、高齢の元独裁者であることにとどまらない。両者は権力の座にあった時代、一定の結びつきも築いていた。ストロエスネルは、国際社会がチリ独裁政権を孤立させる中にあって、数少ない例外的な存在だった。1974年9月、サルバドール・アジェンデ政権を打倒したクーデターから1年後、ストロエスネルはサンティアゴを訪れ、「陸軍栄光の日」の式典に主賓として出席し、ピノチェトと勲章を交換している。
さらに、パラグアイ独裁政権(1954~1989年)は、DINA工作員アルマンド・フェルナンデス・ラリオス少佐と、米国出身のマイケル・タウンリーに偽造旅券を提供し、反カストロ派キューバ亡命者らと連携してレテリエル暗殺を計画するため、米国入国を可能にしたとされる。
チリの被拘禁・失踪者家族会は声明で、「ストロエスネルは、アウグスト・ピノチェト、ラファエル・ビデラ(アルゼンチン)、フアン・マリア・ボルダベリー(ウルグアイ)、ウゴ・バンセル(ボリビア)らと並び、邪悪な『コンドル作戦』の責任者の一人だった」と指摘している。
この秘密裏の「コンドル作戦」によって、「南米南部地域の独裁政権は、政治的反対者、とりわけ左派活動家を、組織的かつ協調的に排除することが可能になった」と声明は述べている。さらに同人権団体は、「元独裁者の死は、ストロエスネルがパラグアイに対して犯した犯罪と汚職を調査・解明し、裁くことができなかった国際社会に空白を残した。それは、また一人の独裁者が、政治亡命の目的を誤って解釈した保護のもと、まったくの不処罰のまま死んでいったという感覚を残す」と批判している。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
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