ホーム ブログ ページ 102

トランプのカオスが投げかけた唯一人の核発射権限というリスク

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

この記事は、2021年1月12日に「The Strategist」に最初に掲載されたものです。
【Global Outlook=ラメッシュ・タクール 】

核兵器を批判する人々は、ずっと以前から二つのリスクを指摘してきた。第1は、核抑止の安定性は、全核保有国のすべてのフェイルセーフ(安全制御)機構がいつ何時も機能していることに依存しているということだ。それは、核による平和をいつまでも維持するにはあまりにも高いハードルである。第2は、世界の9核保有国において、理性的な意思決定者が政権を握る必要があるということである。(原文へ 

過去4年の間に、特に問題の9人のリーダーのうち2人の性格的特徴により第2のリスクが高まっている。ドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮のリーダーである金正恩(キム・ジョンウン)が、国連の核兵器禁止条約のゴッドファーザーと評されたのもそのためである。かつて核ミサイル発射管理官を務め、尊敬される反核運動家であった故ブルース・ブレアは、2016年にこう述べている。「ドナルド・トランプに核兵器を持たせることを考えると、心底ぞっとする」

この問題は、2020年大統領選の勝利者としてジョー・バイデンが正式に承認された後、議会内外で醜悪な事態が展開する中、予想外の緊急性を帯びた。1月8日、ナンシー・ペロシ下院議長がマーク・ミリー統合参謀本部議長と、「不安定な大統領が軍事攻撃を開始する、あるいは発射コードにアクセスして核攻撃を命令することを防ぐ」予防措置について協議した。ミリーの執務室は「ニューヨーク・タイムズ」紙に対し、核発射命令権限に関するペロシの質問にミリーが回答したことを認めた。

米国には現在、ペロシの懸念に対処できる法的メカニズムはない。ジョージ・W・ブッシュ大統領の任期終盤の2008年12月22日、ディック・チェイニー副大統領が、大統領権限に歯止めがないことを認め、こう述べた。50年間にわたり、米国大統領には「常時、1日24時間、フットボール(最初の核攻撃計画を指すコードネームが「ドロップキック」だったことによる通称)を携帯する武官が同行しており、その中には、大統領により使用を承認される核兵器発射コードが収められている……彼は、誰にも相談する必要はない。議会を招集する必要もない。裁判所に相談する必要もない。大統領は、われわれが住むこの世界の性ゆえにその権限を有する」と。

米国の核体制は高度警戒状態で核兵器の警報即発射態勢を取っているため、最高司令官の発射命令に即応するようにできている。攻撃を承認する大統領命令が発せられたわずか4分後にはミサイルがサイロから出され、敵のミサイルに破壊される前に発射され、発射から30分以内に標的を捉えられるようになっている。

大統領の絶大な権力が問題視された唯一の歴史的出来事は、ウォーターゲート事件の渦中にあったリチャード・ニクソンの政権末期に起こった。ジャーナリストのガレット・グラフは、2017年に政治誌「Politico(ポリティコ)」に寄稿した際、ジェームズ・シュレシンジャー国防長官が前例のない命令を発した件を振り返った。それは、ニクソンが核兵器発射命令を出したら、軍司令官らはそれを実行する前に国防長官に確認するか、またはヘンリー・キッシンジャー国務長官に確認するよう命じるものだった。それに先立ち、アラン・クランストン上院議員がシュレシンジャーに電話し、「逆上した大統領がわれわれをホロコーストに陥れるのを防ぐ必要」について警告していた。どうやらニクソンは会議の際、「私が執務室に入って電話をかければ、25分後には何百万人も死ぬんだ」と発言して、議員たちを震え上がらせたようである。

1973年、核ミサイルサイロの制御訓練を行っていた米空軍ハロルド・ヘリング少佐は、「受け取ったミサイル発射命令が正気の大統領から出されたものであるかどうか、どうしたら分かるのですか?」と尋ねた。良い質問である。答えを得る代わりにヘリングは除隊させられ、1975年に上告が退けられて、長距離トラックの運転手に転職することになった。ジャーナリストのロン・ローゼンバウムは著書‘How the end begins: the road to a nuclear World War III’ の中で、ヘリングの「禁断の質問」を回想し、このように述べている

そのような疑問、つまり核兵器発射命令を出す大統領が正気かどうかという問いは、とりわけ厳密に精査するべきことだと思われるかもしれない。しかし、ヘリング少佐の不都合な質問は、歴史上最も恐ろしい決定が、15分もかからず、1人の人間によって、考え直す時間もないままに下されるという事実を如実に浮かび上がらせた。

法学教授のアンソニー・コランゲロ(Anthony Colangelo)によれば、武官は「違法な核攻撃命令に従わない法的義務」があり、核兵器の使用は、国際人道・人権法のもとでは合法性の基準を満たさないという。しかし、2020年12月3日付けの議会調査局覚書は、「米国大統領は、米国の核兵器の使用を承認する唯一人だけの権限を有する」という、支配的なコンセンサスを繰り返し述べるものだった。

元米戦略軍司令官のロバート・ケーラー大将は、武官は統一軍事裁判法により、「命令が合法で、権限ある機関から発せられたものならば、命令に従う」義務があると述べている。世界の紛争地域を主な関心分野とする国際危機グループでさえ、2021年1月7日の声明でトランプからバイデンへの混乱に満ちた政権移行に伴う様々な危機の中から大統領の「核兵器を発射する自由な権限」を特に指摘している。

選挙の結果を認めず、怒りと報復心に燃え、しかし核のボタンに指を置いたままの大統領。しかも金正恩より「大きく、強力だ」と自慢するような大統領が、人心に緊迫感をもたらす役割を果たした。1962年のキューバミサイル危機において、悪名高いカーティス・ルメイ大将のような大統領軍事顧問らが核兵器の展開とキューバ侵攻を望むなか、ジョン・F・ケネディ大統領は冷静さを保った。

2017年1月のトランプ就任以来、世界は戦略面で弱みのある大統領の予測不可能性と信頼性の欠如を考えると、政権内の大将経験者が危機的な状況で手綱を握ってくれることを心から願ってきた。トランプの最初の国務長官であったレックス・ティラーソンが、トランプを「とんでもないバカ」と評した有名な発言は、大統領が核の本質的な現実を把握していないことを踏まえてのものだった。

大統領だけが持つ核の発射権限は、あまりにも強大であまりにも抑制不能であるために、大きな恐怖を抱かせる。ブルース・ブレアは、短期的には先制不使用政策を採用し、中期的には「グローバルゼロ」を通してすべての核兵器を完全に廃絶するという2段階の提言を行った。バイデンは大統領就任後、核攻撃が合法であることの承認を得るために、自分以外に少なくとも1人の政権幹部の合意を求めるように、核兵器の指令体系を変更することができる。また、そうするべきである。

米国に関してこれが単なる理論的懸念にとどまることがないとすれば、核のボタンに指を置く他国のリーダーたちにより核兵器が無責任に使用される可能性について、より深刻な懸念をわれわれが抱くのも無理はないといえる。「核兵器を発射する……米国大統領のみ唯一人の権限をガードレールで取り囲む」ことによって、バイデンは、世界の核リスクを減らす緊急の必要性に焦点を当てることができるだろう。

ラメッシュ・タクールは、オーストラリア国立大学クロフォード公共政策大学院名誉教授、戸田記念国際平和研究所上級研究員、核軍縮・不拡散アジア太平洋リーダーシップ・ネットワーク(APLN)理事を務める。元国連事務次長補、元APLN共同議長。

INPS Japan

関連記事:

|視点|トランプ大統領とコットン上院議員は核実験に踏み出せば想定外の難題に直面するだろう(ロバート・ケリー元ロスアラモス国立研究所核兵器アナリスト・IAEA査察官)

バイデン政権がとり得る対北朝鮮三つの政策

単独行動主義の傾向を強める米国政治

|米国|暴動と人種差別的な例外主義の基盤

【ニューヨークIDN=ラヴィ・アービンド・パラト】

連邦議会議乱入事件を経て米国の民主主義に関する議論が高まる中、米国内の多くの政治家やコメンテーターが主張する「民主主義の模範」の実態について、米国の対外活動の実例を挙げながらその二重基準を検証したラヴィ・アルヴィンド・パラトNY州立ビンガムトン大学教授による視点。比較事例として、ロシアのエリツィン大統領による議会議事堂砲撃事件や、イランやラテンアメリカの指導者を失脚させたクーデターに際しての米国の反応や関与を挙げている。(原文へ

INPS Japan

関連記事:

|視点|トランプ・ドクトリンの背景にある人種差別主義と例外主義(ジョン・スケールズ・アベリー理論物理学者・平和活動家)

国連の最新報告書が地球との調和のとれた生活を求める

【ニューヨークIDN=J・ナストラニス】

国連のアントニオ・グテーレス事務総長が繰り返し指摘するように、人類は「決定的な時」に直面している。これは、人間開発報告書(HDR)30周年を記念した『新しいフロンティアへ:人間開発と人新世』で強調された警告である。人類は目覚ましい進歩を成し遂げてきたが、私たちは地球の存在を当然のものと考え、自分たちが生存のために依存しているシステムそのものを不安定化している。

動物から人間に広がったとみてほぼ間違いないと思われる新型コロナウィルスは、不平等と、社会・経済・政治システムの脆弱性をすぐさま白日の下にさらし、それに寄生する形で拡がった。また、人間開発の成果を反転させる脅威が訪れている、と報告書は指摘した。

Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en
Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en

「人間開発の新しいフロンティアとは、人間と木のどちらかを選ぶことではない。それは、大量の炭素排出を引き起こす不平等な成長によって牽引される人間の成長が行き着くところまで行ったという認識を持つことを意味する」と述べるのは、国連開発計画(UNDP)人間開発報告書室長で、同報告の主著者であるペドロ・コンセイソン氏である。

「不平等に取り組み、イノベーションを活用し、自然と協調することにより、人間開発は社会と地球をともに支えるという目標に向け、大きな転換を遂げることができる」とコンセイソン氏は語った。

報告書は、人間の活動が地球に重大な影響を及ぼす支配的な力となった歴史上前例のない時代に私たちが生きていることを示している。こうした影響は、既存の様々な不平等と相互作用しあって、開発上の重要な成果を反転させかねない。

私たちの生活や労働、協力のあり方に関して、私たちがたどっている道筋を変えるのに必要なのは大きな変革に他ならない。報告書は、そうした変革に向けていかに飛躍できるかについて検討している。

実際、今回の人間開発報告書は、より公正な世界において地球と調和をとって生きようとするならば、人々をエンパワーすることで必要な行動をもたらすことができるという信念を強調している。

気候危機。生物多様性の崩壊。海洋の酸性化。リストはますます長くなっている。こうした現状に多くの科学者たちが、地球が人類に影響を及ぼしているのではなく、どうやら人類の方が意図的に地球の地質や生態系に重大な影響を及ぼしているらしいということを初めて認めた。これこそが、人新世、ヒト中心の時代であり、新たな地質学的時代を画するものだ。

Achim Steiner/ UNDP

UNDPのアヒム・シュタイナー総裁は「人間は地球に対し、かつてなく大きな力を振るっている。新型コロナウィルスや記録的な気温の上昇、拡大する一方の不平等を受け、私たちの炭素と消費によるフットプリントを隠すことなく、進歩というものが何を示すのか定義し直すことに、その力を使うべき時が来ている。」と語った。

シュタイナー総裁はさらに、「この報告書が示すとおり、地球に大きな重圧をかけることなく、高度な人間開発を達成した国は地球上に一つもない。しかし、私たちはこの間違いを正す初めての世代となることができる。それこそ、人間開発の新しいフロンティアだ」と語った。

報告書は、人間と地球が人新世、すなわちヒト中心の時代という、まったく新しい地質時代に足を踏み入れる中で、人間が地球に及ぼす危険な圧力を十分に考慮することにより、各国が進歩への道のりを描き直し、変化を妨げる力と機会の不均衡を解消すべき時が来たと論じている。

私たちは、この新しい時代にどう対応すべきか。 地球への重圧を軽減しつつ人間開発を継続しつづける大胆かつ新しい道を見つける選択をするだろうか。あるいは、いつものやり方に回帰しようとして結局は失敗し、危険な未知状態へと押し流されてしまうのだろうか。

人間開発報告書が明確に採るのは第一の選択だ。しかし報告書は、何をすれば目標が達成できるのかということについて、よく知られたことをリスト化するに留まっていない。報告書は、その年次人間開発指数(HDI)に実験的な新しい観点を導入している。

地球への圧力が、社会が直面している圧力を反映しているような将来が、この報告書によって垣間見える。コロナ禍の破壊的な影響が世界の注目を集める中で、気候変動や拡大する不平等といったその他の危機への注目が犠牲になっている。地球と社会の不均衡という難題はお互いに関連し合っており、互いを悪化させる負のスパイラルに陥っている。

30年前、国連開発計画は、進歩を定義し測定する新たな方法を生みだした。開発の唯一の指標であった国内総生産(GDP)を用いるのではなく、人間開発によって、すなわち、各国の人々が価値のある生活を送っているかどうかによって、各国を順位付けしたのである。

Photo Credit: climate.nasa.gov
Photo Credit: climate.nasa.gov

調整済みHDIは、国民の健康、教育、生活水準を測定し、さらに、二酸化炭素排出量とマテリアルフットプリント(=消費された天然資源量を表す指標)という2つの要素を新たに付け加えている。この指数は、民衆の福祉と地球の健全性のいずれもが人間の進歩を定義するにあたって中心的なものであると想定して、世界の開発の展望がどのように変わるかを示すものだ。

結果として生み出されたプラネタリー圧力調整済みHDIにより浮上した世界像は、人間の進歩について楽観視はしておらず、より明確な評価を下すものとなっている。例えば、この指数によって化石燃料とマテリアルフットプリントへの依存度を勘案した結果、人間開発最高位グループから転落する国は、50カ国を超えている。

この調整にもかかわらず、コスタリカやモルドバ、パナマといった国々が30位以上も順位を上げていることは、地球への圧力緩和が可能であることを示唆している。

Stefan Löfven efter slutdebatten i SVT 2014 den 12 september 2014./ By Frankie Fouganthin – Own work, CC BY-SA 4.0

報告書発表のホスト国となったスウェーデンのステファン・ロベーン首相は、「人間開発報告書は、国連の重要な成果物です。行動が必要とされる時代に、新世代の人間開発報告書は、気候変動や不平等といった、現代を特徴づける問題をさらに重視することで、私たちが望む未来に向けた取り組みの舵取りを助けてくれます。」と語った。

人間開発の新しいフロンティアでは、自然を敵に回すのではなく、これと協力しながら、社会規範、価値観、政府や財政のインセンティブを転換することが必要になると、報告書は論じている。

例えば、新しい推計によると、世界の最貧国は2100年までに、気候変動による異常気象に見舞われる日が年間でさらに延べ100日も増加するおそれがあるが、気候変動に関するパリ協定を全面的に履行すれば、この数を半減させることができる。

それでも、化石燃料への補助は続いている。報告書で引用されている国際通貨基金(IMF)の数字によると、公金による化石燃料補助金が社会に及ぼすコストは、間接的費用も含む合計で年5兆米ドルと、全世界のGDPの6.5%に達している。

植林と森林管理の改善だけでも、地球温暖化を産業革命以前の水準から2度未満の上昇に抑えるために私たちが取らねばならない行動の約4分の1を占める。

ジャヤトマ・ウィクラマナヤケ・ユース担当国連事務総長特使は次のように語っている。「人類は信じられない進歩を実現したものの、私たちが地球を当たり前のものとみなしていたことは明らかです。こうした行動が私たち皆の将来を危険に陥れていることを認識した若者たちは、世界中で声を上げています。2020年版人間開発報告書が明らかにしているとおり、私たちは地球との関係を転換する必要があります。それは、エネルギーと物的消費を持続可能なものにすること、そして、健全な世界が作り出す素晴らしさを享受できるよう、一人ひとりの若者の教育とエンパワーメントを確保することに他なりません。」

報告書は、植民地主義と人種主義に根差した国際的、国内的な不平等により、持てる者が自然の恩恵を独占し、そのコストを他に押し付けていることを示している。このことによって、より持たざる人々の機会が押しつぶされ、対応する能力も最低限にまで削られている。

例えば、アマゾンの先住民が管理する土地は、1人当たりのベースで、世界の最富裕層1%が排出する二酸化炭素を吸収している計算になる。しかし、報告書によると、先住民は苦難や迫害、差別に直面し続け、政策決定に対する発言力もほとんど持っていない。

また、民族性を理由とする差別で、有毒廃棄物や過度の汚染といった、高い環境リスクに晒され、深刻な影響を受けるコミュニティも多くあるが、報告書の著者は、こうした傾向がどの大陸の都市部でも広がっていると論じている。

報告書によると、この新しい時代にすべての人が豊かさを享受できるようにする形で地球への圧力を緩めるためには、転換を妨げている力と機会の巨大な不均衡を解消する必要がある。

報告書は、公的なアクションで、こうした不平等に取り組むことができると論じている。そして、その例として、課税の累進性強化のほか、予防的な投資と保険を通じた沿岸コミュニティの保護により、全世界の沿岸部で暮らす8億4000万人の暮らしを守れることを挙げている。「しかし、対策によって人間が地球とさらに敵対することのないよう、協調的な努力も行わなければならない。」(原文へ

INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

持続可能な開発目標採択から5年、貧富の差が広がる

子どもたちのために、2021年をより公平で安全で健康的な世界に

|新型コロナウィルス|生物多様性と野生動物の保護につながる可能性も

ティグレ人として、エチオピアとの絆は修復不可能なところまできたようだ(ノルウェーリーダーシップ・神学大学准教授)

【オスロIDN=テメスゲン・カサイ】

私たちはこの戦争(連邦軍が北部ティグレ州に武力侵攻したエチオピア内戦)は一般のティグレ人を対象にしたものではないと聞かされていたが、実際には多数の一般民衆が苦しめられており、同胞たちは沈黙を守っている。

私は1980年代に(当時エチオピア領で現在はエリトリアの首都)アスマラで子供時代を過ごした。両親は「大きくなったら何になりたい」とよく聞いてきたものだ。私の答えはいつも決まっていて、戦闘機のパイロットか陸軍の将軍になりたいと答えた。理由は単純で、父が当時エチオピアを支配していたメンギスツ政権下で軍人だったことから、自分も将来兵士になって国家の「敵」をやっつけたいと思っていた。

Temesgen Kasai

戦時下に育った私にとって、ミサイルや弾丸が飛び交う音は日常の一部で、国の支配下にあるメディアは政権にとって都合のいい世界観を国民に垂れ流していた。例えば、当時の内戦については、正義のエチオピア人愛国者と憎むべき反乱軍の間の戦いという対立構図でみるように教えられた。

当時の私は軍歌を暗記し、戦争の英雄を礼賛する詩を書く軍国少年だった。残酷なメンギスツ政権の末期には、緑と黄と赤色のエチオピア国旗を掲げて叫んでいたのを今でも鮮明に覚えている。

当時私が知らなかったのは、父が戦っていた「敵」には、彼の従妹や隣人の子供たちも含まれていたという事実だ。内戦は、エチオピアを構成していた多くの異民族間の社会的文化的絆に深い亀裂をいれることになった。北部ティグレ地域出身の父は、当時反乱軍であったティグレ人民解放戦線(TPLF)やエリトリア解放戦線人民解放軍(EPLF)に参画していた同民族出身の兵士らと戦っていた。

当時は私の家族のようなティグレ系エチオピア人にとって危険な時代だった。メンギスツ政権の支持者の間では、私たちは信用ならない存在でTPLFのスパイではないかという疑いがかけられていた。一方、ティグレ人の間では、私たちは中央政府側についた民族の裏切者とみられていた。他の何千もの家族同様、私たち一家は(ティグレ人としての)民族的なアイデンティティーとエチオピア人としてのアイデンティティーの間で折り合いをつけようともがく中で、双方から虐げられた。

1991年、抑圧的なメンギスツ政権が崩壊し、ティグレ人民解放戦線(TPLF)がエチオピアの政権の座に就いた。一方、エリトリア解放戦線人民解放軍(EPLF)はエリトリア州を掌握してエチオピアから独立した。その結果、私の家族は(エリトリアの首都となった)アスマラからアジスアベバに移り、そこの難民キャンプで10年間を過ごした。ティグレ人主導の新政府は、かつて自分たちと戦った兵士の家族を急いで救済しようとはしなかった。

この政変でエチオピアでは全て変わってしまったが、私たちの帰属の問題はますます複雑なものとなった。まず故郷のエリトリア州が独立したため私たちは外国からの難民とみなされた。同時に、ティグレ人としては、同胞が多数派を占める新政府から恩恵を受けていると見られた。

それから27年間に亘り、ティグレ人民解放戦線(TPLF)が率いる与党連合がエチオピアを支配した。新政権は統治形態として多民族による連邦制を敷いたため、各グループ毎の民族意識が助長された一方でエチオピア人としての共通のアイデンティティーは薄れていった。しかし時間が経つにつれ、ティグレ人主導の非民主的な統治に対する諸民族の抵抗が次第に盛んとなり、各地で大規模な抗議活動が行われる中で求心力を失っていった。

2018年、与党連立政府は、希望、平和、統一を公約に掲げたオロミア州出身のアビー・アハメド氏を新たな指導者を選んだ。しかし連立与党間の協力関係は長くは続かず、それまで権勢をふるっていたTPLFとの関係が破綻、TPLFは本拠地の北部ティグレ州に引き上げていった。そして2020年11月4日、アビー首相はティグレ州に対して宣戦を布告した。

現在の内戦により、ティグレ人たちは再びエチオピア政局の中で翻弄されることとなった。今次の内戦は、TPLFを最大の敵に据えた汎エチオピア主義の復興という文脈の中で進行している。アビー政権は、(ティグレ州に侵攻した)エチオピア連邦軍の行動について、一般のティグレ人を対象としたものではなく、あくまでのTPLFに対する「法執行作戦」であると説明している。しかし、多くのティグレ人が被害に苦しんでいるのが現実だ。

Photo: Ethiopian federal government's "final offensive" against Tigray regional forces. Credit: Ethiopian News Agency
Photo: Ethiopian federal government’s “final offensive” against Tigray regional forces. Credit: Ethiopian News Agency

アビー政権が違法とみなしている昨年9月に実施されたティグレ州の地方選挙でみられたように、多くのティグレ人が同州を率いてきたTPLFを支持している。さらに、TPLF指導部を捕獲するために開始された「法執行作戦」の下で、何千人ものティグレ人住民が連邦軍に殺害され家を追われている。一方で、エチオピアのティグレ人以外の諸民族の多くは、連邦軍によるティグレ州の首都メックエル占領を祝い、政府が同胞であるはずのティグレ州の一般住民に援助物資が届かないように妨害しても沈黙を守っている。また、エチオピア各地で、人種に基づく選別とティグレ人を標的にした嫌がらせが増えてきている。

この内戦により無数の家庭に計り知れない破壊と苦難がもたらされているにも関わらず、長年の友人や家族の中にも、この戦争を支持すると表明するものが出てきている。私の社会的な絆は希薄になっていく一方だ。一般のティグレ人が人道危機に直面しているにも関わらず、政府が意図的に援助物資の搬入を拒否し、そうした政府の所業を大半のエチオピア人が暗黙のうちに認めているという現実に、私がかつて持っていたエチオピア人としての帰属意識は次第に遠のいていった。

中でも最も悲しいのは、常にエチオピア人であることを誇りにしてきた父が、人生の28年間を犠牲にして尽くしてきた国によって、再び差別され孤独に苦しんでいる現状だ。私自身は、今のエチオピアの状況下で、ティグレ人とエチオピア人の双方でいられるのは不可能だと思っている。今回の戦争とティグレ人の苦難に対する多くの同胞の反応を目の当たりにして、かつて私が抱いていたエチオピアとの絆は、もはや修復できないほど壊れてしまったと感じている。(原文へ

INPS Japan

関連記事:

EEPA(アフリカに関する欧州海外プログラム)アフリカの角地域状況報告(12月20日現在)

サバクトビバッタ大発生:「アフリカの角」地域への脅威続く

|新型コロナウィルス|国連事務総長のグローバル停戦の呼びかけが支持を集める

核軍縮で前進を求められる核兵器国

【アンマンIDN=バーナード・シェル】

(新型コロナウィルスの感染拡大のために2021年8月に延期されている)核不拡散条約(NPT)再検討会議は、核兵器国どうしや、核兵器国と非核兵器国との間の深い分断で特徴づけられたものになるであろうと見られている。非核兵器国は、NPTそのものと過去のNPT再検討会議で公約された核軍縮に前進が見られないことに深く失望している。

こうした状況を背景に出された16カ国の共同声明は「すべての核兵器国が、NPTの下における公約を履行するための意味のある措置を取ることにより、リーダーシップを発揮し、核のリスクを低減し、核軍縮を前進させるべきだ」と訴えた。これらの国々は、ヨルダンの首都アンマンで開催された「核軍縮とNPTに関するストックホルム・イニチアチブ」第3回閣僚会合に参加した国々である。

ヨルダンは、アラブ諸国で同グループに唯一参加している国であり、アラブ世界で軍縮外交をリードし、核兵器国に対して、世界の安全保障を強化する建設的なプロセスに参加するよう求める機会を持っている。

Map of Middle East

声明は「(2020年2月25日にベルリンで採択された)宣言『核軍縮を前進させ、我々の未来を確保する』を想起しつつ、その宣言の中に盛り込まれた、核兵器なき世界に向けた道筋において前進を勝ち取るための22項目の具体的な提案が『足場』になるということを再確認する。」と述べた。

ヨルダンのアイマン・サファディ副首相兼外相は、世界(とりわけ中東)は、核兵器の脅威がそこに加わらなくとも、「既に十分な危機や緊張、騒乱を経験しています。」と語った。

「我が国は、引き続き核軍縮及び核不拡散条約を支持していきます。隣国との良い関係を基盤とした核兵器のない中東地域を構想しています。」とサファディ外相は述べ、アラブ諸国はおしなべて「イランとの友好的な関係を構築する意思を表明してきました。」と語った。

他方で、ドイツのハイコ・マース外相は、「イランは最近、ウランの濃縮レベルを20%に引き上げたが、こうした行動で効果的な不拡散条約のもつ可能性から遠ざかるような賭けをすべきではない。」と語った。

マース外相はさらに、「イラン政府は態度を軟化させて、ウラン濃縮という危険な決定を取り下げるべきだ。」と述べ、米国のジョー・バイデン新政権のリーダーシップによって「2021年は非核世界への道筋が開かれる年になるかもしれない。」との見方を示した。

マース外相は、この数年間の技術的進歩により「核兵器生産は減速するどころかむしろ加速されてきた。」と指摘し、1月6日の閣僚会合で16カ国が行った作業は「多国間主義の最善のあり方であり、核の秩序が正しい方向に向かいつつある兆候に他ならない。」と語った。

スウェーデンのアン・リンデ外相は、同国が共催した今回の閣僚会合は「軍縮をめぐる協議に女性と若者を巻き込むための方法」でもあったと語った。

リンデ外相は「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)と、同機関がパレスチナ難民に提供している事業へのスウェーデンの支持」を強調した。

Ayman Safadi/ Public Domain

ヨルダンのサファディ外相は、ドイツとスウェーデンの外相による同国訪問は「ヨルダンとの二国間関係や、ヨルダンがシリアやパレスチナの難民を受け入れる取り組みに関する協議を行う機会でもあった。」と語った。

サファディ外相は『ヨルダン・タイムズ』の取材に答えて、今回の閣僚会合では、国家による核不拡散をめぐる議論を行ったが、このイニシアチブでは、非国家主体による核兵器取得予防にも取り組んでいると語った。

「私たちは、テロ組織が、混乱と、希望の欠如に乗じていることを知っています。もし核の危機の脅威を取り除こうとするのならば、すべての当事者を満足させ、混乱を終結させるような形で中東地域の危機を解決しなくてはなりません。」とサファディ外相は語った。

国連のアントニオ・グテーレス事務総長はビデオメッセージで、「信頼の欠如という危険な状態」を乗りこえようとするストックホルム・イニシアチブを称賛した。

「核軍縮のためのストックホルム・イニシアチブ」はスウェーデンが始めたもので、2019年6月に16の非核兵器国がストックホルムで第1回閣僚会合を開き、核兵器の問題に効果的に対処しうる建設的で革新的、創造的なアプローチを用いて「いかにして核軍縮外交を前進させるか」を討議した。

安全保障問題アナリストで「ジュネーブ安全保障政策センター」OGであるディナ・サアダラー氏が指摘するように、この会合の主な目的は、NPTの価値を再確認し、NPT再検討会議を建設的なものにする可能性を高めることにある。

イニシアチブに参加した16カ国は、NPTをとりまく様々な難題についても認識しているが、あえて「NPTの否定しえない成功」について注目することとした。すなわち、第一次戦略兵器削減条約(START I)を通じて世界的に核戦力の規模を縮小し、中央アジアやアフリカなどで非核兵器地帯を創設して緊張を緩和し、「原子力供給国グループ」設立のように、核物質の拡散を抑える諸条約に署名してきたNPTの成果である。ストックホルム・イニシアチブは「私たちはともに、この画期的な条約(=NPT)の将来を確実にしなくてはならない。」と述べている。

このイニシアチブによれば、現在の真の危険は、世界の安全保障環境にマイナスの影響を与える「潜在的な核軍拡競争」の存在にあるという。米国は2019年初め、1987年に締結された中距離核戦力全廃条約から離脱した。ストックホルム宣言は、軍備管理をめぐる他に3つの主要な懸念について触れている。

第一は、2021年2月と間近に迫った新戦略兵器削減条約(新START)が失効する問題がある。同条約は、米露間に残る唯一の軍備管理条約である。

第二は、イラン核合意(正式には「包括的共同作業計画:JCPOA」)である。米国が2018年に同合意から離脱し、欧州の同盟国を含む他の当事国との間に摩擦が生じた。また、同合意に定められた核活動の制限に関するイランの遵守が一時停止されたことは、中東に核拡散を引き起こしかねない。

第三は、1974年以来国連で議論されながら、遅々として進展しない中東非大量破壊兵器地帯創設の問題である。

閣僚らは、2020年2月にベルリンで、さらに同6月にはオンラインで会合を持っている。

NPT Memebers/ ILPI

その間に、多くの国が核兵器禁止(核禁)条約に加わった。核兵器なき世界に向けた願望の表明でもあり、NPTとともに、この願望を定式化し履行する法的枠組みが必要であるとの考えの表明でもある。

核禁条約は2021年1月22日に発効する。

核兵器国は、核禁条約はNPTプロセス内におけるコンセンサスを危険にさらすと非難している。また、中東非大量破壊兵器地帯構想がながらく停滞していることも、不満の原因のひとつとなっている。

中東非大量破壊兵器地帯化は、1995年に開催された NPT 運用検討・延長会議で決定されたもので、NPTの無期限延長と同地帯創設の不可分のつながりが生み出された。国連総会は、NPTに並行して、同地帯創設に関する協議の枠組みを設定しているが、2019年11月に一度だけ協議の開催に成功しているに過ぎない(2回目の会期は2021年に延期されている。)(原文へ

INPS Japan

関連記事:

|視点|広島・長崎への核攻撃75周年を振り返る(タリク・ラウフ元ストックホルム国際平和研究所軍縮・軍備管理・不拡散プログラム責任者)(前編)

再び非大量破壊兵器地帯への軌道に乗る中東諸国(セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮問題担当上級代表、パグウォッシュ会議議長)

イランが中国・ロシア・EU・フランス・ドイツ・英国と共に核合意の有効性を再確認

核依存国はTPNW発効にいかに対応し得るか

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アレクサンダー・クメント】

1945年に核の時代が幕開けして以来、核兵器に対する各国の認識や戦略的立場には常に相違がある。2017年の核兵器禁止条約(TPNW)は、このような既存の分断を白日のもとにさらした。この条約は、核兵器の人道的影響やすべての人類にもたらす持続的リスクを、非核兵器国がますます重大視するようになった結果である。また、TPNWは、核不拡散条約(NPT)のすべての締約国が全会一致で約束した、信頼できる核軍縮措置および行動が欠如していることへの懸念の表れでもある。TPNWを通して、支持国は核兵器問題に対する明確な態度を示した。すなわち核兵器の爆発がもたらす人道的影響は、あまりにも重大で受け入れ難く、そして恐らく全世界に及ぶものであり、核兵器と核抑止態勢の実行のリスクはあまりにも大きいと考える態度である。したがって、このような事態を防ぐために、また世界が核兵器に基づく安全保障の概念から脱却するための概念的前提条件として、核兵器は禁止されなければならない。(原文へ 

驚くには当たらないが、核武装国はTPNWを手厳しく批判しており、核兵器を手放す意思はまったく見せていない。過去数十年にわたってこれらの国が主導してきた核兵器をめぐる議論は、核抑止を維持する“必要”を前提条件とし、優先させるものである。核抑止は価値があり必要であるとされ、それが当然と見なされている。これまでのところ、核抑止の前提概念の信ぴょう性に疑問を投げかける考え方や取り組みは、ナイーブであるとか異端であるなどと反論され、それ自体の真価をもって考慮されていない。核抑止のドグマの壁を突破することは、これまでのところ不可能だった。2013年にオスロで開催された核兵器の人道的影響とリスクに関する第1回国際会議以降、提起された実質的な議論に核兵器国が参加することができない、あるいは参加する用意がないという事実も、それを示している。そのような議論はまさに核抑止論の信ぴょう性に異議を唱えるものであるため、核武装国と依存国は、代わりに核兵器禁止という考え方、ひいてはTPNW自体を批判することによって矛先をかわす策を講じてきた。

TPNWを支える論理的根拠も、核依存国すなわち核武装国との拡大核抑止の取り決めを結んでいる国を難しい立場に追い込む。核依存国がうわべの核軍縮支持を主張しながら、同時にTPNWを批判し核兵器の“必要性”と核の現状維持を擁護することは、いっそう難しくなっている。2016年の国連オープンエンド作業部会や2017年のTPNW交渉会議といったTPNWに至るプロセスには、いずれの核武装国も参加していないため、これらの会議で核兵器の安全保障上の価値と核兵器を保持する必要性を声高に訴える役目は核依存国に委ねられた。そのためTPNWは、核依存国が核軍縮や広義には多国間主義を支持しながら、同時に、自国が属するNATOのような軍事同盟の現行の核兵器と核抑止政策を黙認するという、信頼性の問題をあらわにする。この状況は今後さらに厳しいものになるだろう。なぜなら、TPNWが法的に発効すれば、必然的に彼ら自身の国でTPNWとその論理的根拠に関するより幅広い、より市民参加的な議論が湧き起こり、市民社会の関与へとつながっていくからである。

とはいえ、核依存国がこの課題を認め、TPNWの支持に向けて建設的な準備を進めるために取り得るステップはある。例えば核依存国は、核リスクや現行の核抑止政策のせいで非核兵器国の大部分が感じている脅威に対し、理解を表明することができる。彼ら自身も核抑止に基づく安全保障構造からの脱却を望んでおり、それが長期的に持続可能な安全保障政策ではないと理解していることを表明することができる。核依存国は政治的な理由により、今すぐにはTPNWに署名できないと考えているかもしれないが、核抑止への依存を減らし、そこから脱却し、他の形の抑止に置き換えることを明確な政策目標として、また緊急の優先事項として掲げることができるだろう。核依存国は個別に、または集合的にそのような政治目標を設定し、核抑止の持続可能性に関するより建設的な対話への門戸を開くことができるだろう。そのような対話の中で、すべての人類に対する核兵器の人道的影響とリスクを、安全保障上の利益と知覚されているものと比較検討すればよい。

 核兵器と集団安全保障に関して、このようなより広範かつ包括的な議論が必要であり、核兵器が構成する世界的脅威に見合ったペースでその議論の重要性を認識し、国際レベルで追求されるべきである。

2010年、NATOはその戦略概念において、「核兵器が存在する限り、NATOは核同盟であり続ける」と表明した。これは、TPNWに反対するNATOの姿勢を強調するために、しばしば引用される文言である。この声明の論理的帰結は、当然「NATOが核同盟であり続ける限り、核兵器は存在する」である。しかし、NATOの戦略概念でその前に書かれている文は、「核兵器のない世界のための条件を創出するという目標に向けて、NATOは全力を尽くす」である。核兵器への依存と核抑止から脱却する信頼性のある動きを開始することが、恐らくほかの何よりも、その条件を創出すると言っていいだろう。これまでのところ、より軍縮賛成派の核依存国の間で、核抑止に関するそのような幅広い議論を開始する、または参加するような動きはあまり見られない。それは、この大西洋を横断する同盟の未来や米国による安全の保証といった、核兵器問題にとどまらない政治的理由による部分もある。ワシントンにおけるさまざまな政治的状況や、TPNW発効を受けていくつかの核依存国がいわゆる橋渡しの努力を行うことで、より大きな可能性を見いだせるかどうかは、今後を待たねばならない。

アレクサンダー・クメントは、オーストリアの外交官であり、同国外務省軍縮・軍備管理・不拡散局長を務めている。軍縮・不拡散問題に関する幅広い取り組みを行っており、核兵器の人道的影響に関するイニシアチブや核兵器禁止条約(TPNW)の立案者の1人である。2016年よりEU政治・安全保障委員会のオーストリア常駐代表を務めた後、サバティカルで2019~2020年にキングス・カレッジ・ロンドンで上級客員研究員を務めた。著作 ‘The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons: How it was achieved and why it matters’ が2021年春に Routledge Taylor & Francis Group から出版される予定である。

本論説に表明された見解は執筆者の見解であり、オーストリア外務省の立場を必ずしも反映するものではありません。

INPS Japan

関連記事:

核兵器は国際法の下で非合法となる – 国連にとって画期的な勝利(ソマール・ウィジャヤダサ国際弁護士)

仏教指導者が核兵器なき安全保障の実現を呼びかける

未来に向けて国連とその創造的進化を強化する(池田大作創価学会インタナショナル会長インタビュー

国連総会決議第1号が採択されて75年

【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ】

Ambassador Sergio Duarte is President of Pugwash Conferences on Science and World Affairs, and a former UN High Representative for Disarmament Affairs. He was president of the 2005 Nonproliferation Treaty Review Conference.
Ambassador Sergio Duarte is President of Pugwash Conferences on Science and World Affairs, and a former UN High Representative for Disarmament Affairs. He was president of the 2005 Nonproliferation Treaty Review Conference.

創設間もない国連が、核軍縮を最優先目標であると確認した総会決議第一号から75年後の現在までの核軍縮を巡る系譜を振り返るとともに、パンデミック後の世界が核兵器による人類滅亡の結末を迎えることがないよう、核兵器が人類に及ぼしている厳しい現実を認識し、警戒心を怠らず連帯を広めていく重要性を訴えたセルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表による寄稿文。著者は、主流メディアや核兵器国・依存国の媒体が、引き続き核兵器が第二次世界大戦以来の世界平和を守ってきたという「誤ったイメージ」を拡散することで、一般市民の核兵器に対する危機感を薄めている現実に警鐘を鳴らしている。創価学会インタナショナルとIDNが2009年以来推進している核廃絶メディアプロジェクトは、核兵器が実際に及ぼす脅威と核なき世界を目指す世界各地の活動を継続的に取材・配信して、ドゥアルテ氏が期待する「世界市民」に真実を提供し続けるイニシアチブである。(原文へ)

INPS Japan

関連記事:

兵器を鋤に、危機を機会に(セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表)

核兵器は国際法の下で非合法となる – 国連にとって画期的な勝利(ソマール・ウィジャヤダサ国際弁護士)

持続可能な開発目標採択から5年、貧富の差が広がる

【ニューヨークIDN=J・ナストラニス】

2020年は、伝染性の強いウィルスが世界をシャットダウンし、貧富の差が広がり、この数十年で初めて貧困が急拡大し、より平等な社会を作るという国連の取組みが押し戻されて、2015年9月に国際的に合意された「持続可能な開発目標」が危機に瀕した年として記憶されることになるだろう。

12月初めの時点で、2億3500万人という記録的な数の人々が2021年に人道支援を必要とすることになるだろうと国連は警告していた。2020年からは40%近い増加になるが、そのほとんどがコロナ禍による影響と言えるだろう。

国連のマーク・ローコック事務次長(人道問題担当)兼緊急援助調整官は、「私たちが今見ている光景は、来たる時期の人道上のニーズに関して言えば、これまでで最も厳しく暗いものです。新型コロナウィルスの感染拡大が、最も脆弱な国々で数多くの人命を奪ってきました。」と語った。

Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en
Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en

ローコック事務次長は、「各地で赤信号が灯り、警告音が鳴っています。もし2021年を大きな飢餓を引き起こさずにやり過ごすことができたなら、それは大きな成果ということになるでしょう。」と述べ、人道支援関係者を待ち受けている問題は極めて大きく、さらに状況は悪化しつつあると警告した。

児童の貧困を削減する取り組みも、2020年は壁にぶつかった。国連児童基金(ユニセフ)と世界銀行は、約3億6500万人の児童が、新型コロナウィルスの感染拡大以前から貧困下にあり、コロナ禍によってこの数値はさらに拡大するものと見ている。このことは、児童の貧困を削減する取り組みにとって大きな試練となっている。

これは深刻な影響を及ぼすことになる。つまり、極度な貧困は、身体・認知面の発達に関連して何億人もの子どもたちから真の能力を発揮する機会を奪い、成人してから良い仕事に就く能力を脅かしてしまうのである。

「これらの数値を見るだけでも誰もがショックを受けることでしょう。各国政府は、長年見られなかったレベルの貧困が無数の子どもたちやその家族を襲う事態を防ぐために、子どもたちを対象にした救済計画を急いで策定する必要があります。」と、ユニセフの事業責任者であるサンジェイ・ウィジェセカラ氏は語った。

国連開発計画(UNDP)のアヒム・シュタイナー事務局長は、この状況の別の側面に着目して、「女性がコロナ危機の矢面に立たされています。つまり、(男性よりも)女性の方が、収入源を失ったり、社会的保護の措置から漏れてしまうことが起こりやすいのです。」と、9月時点の統計を念頭に指摘した。

統計によれば、女性の貧困率は9%(4700万人相当)以上上昇している。この結果は、この数十年に及ぶ、極度の貧困を根絶するための取り組みの成果を反転させてしまうものだ。

UNウィメンのプムズィレ・ムランボ=ヌクカ事務局長は、女性の中で極度の貧困が増えていることは、現在の社会や経済の構造に「根本的な欠陥があることを明確に示したものです。」と語った。

UNWOMEN
UNWOMEN

他方、シュタイナー事務局長は、この危機の現状にあっても、女性の生活を大幅に改善するための方法は存在すると指摘した。例えば、もし各国政府が、女性の教育機会を増やし家族計画を強化し、賃金を男性と比較しても公正かつ平等なレベルに保てるようにできるのであれば、1億人以上の女性・女児が貧困から抜け出すことが可能だという。

4月に国連が作成した報告書は世界の被害状況を明らかにし、貧困と飢餓が悪化しつつあること、食糧危機にすでに見舞われている国々は新型コロナウィルスの感染拡大に極めて脆弱な状態にあることを指摘した。

「私たちは、重要なフードサプライチェーンを稼働させ続け、命を救う食料に人々の手が届くようにしなくてはならない。」と報告書は述べ、「危機に直面している人々に食料を与え、命を繋ぐ」人道支援を維持する緊急の必要性を強調した。

地域社会は、感染予防のための移動制限がある中で、公共交通機関(市営バス)を移動フード・ハブとして利用したり、旧来からの宅配サービスや移動市場などを利用したりすることで、貧者や弱者に食料を与える革新的な方法を模索してこなければならなかった。

「これらはすべて、ラテンアメリカの諸都市が国連食糧農業機関(FAO)の警告を考慮しながら人口を支えている事例である。FAOは、多くの都市住民にとっての健康上のリスクはコロナ禍において非常に高く、とりわけ、スラムなどの無認可居住区に暮らす12億人が特に危険な状態にあると警告している。」とUNニュースは指摘している。

国際労働機関(ILO)は2月、非正規部門の20億人の労働者が特に感染リスクに晒されていると宣言した。さらに3月の追加発表では、数多くの人々が職を失うか、ワーキングプアの状況に陥りかねないとの見通しを示した。

「これはもはや、単なる世界的な健康上の危機であるというだけではなく、人々に大きな影響を及ぼす労働市場や経済面での危機でもあります。」とILOのガイ・ライダー事務局長は語った。ILOは、職場における労働者保護、経済・雇用刺激策、企業・雇用・収入の支援など、人々の生活へのダメージを軽減する提言を行っている。

コロナ渦はこの数十年で初めて極度の貧困を押し上げて、開発をめぐる重要な成果をわずか数カ月で台無しにしてしまったが、他方で、このパンデミックが、より強力な社会的保護のしくみを構築するのに必要な変革の起爆剤にもなりうる、と国連のアントニオ・グテーレス事務総長は語った。

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

これは昨年12月に開催された「世界社会開発サミット」25周年記念のイベントでの発言で、グテーレス事務総長は、危機の長期的な影響を軽減するために指導者たちが大胆かつ創造的なアクションを取るよう呼びかけた。

グテーレス事務総長は、「コロナ禍は、不適切な社会保護のしくみ、医療など公共サービスへのアクセスの不平等、ジェンダーや人種、そして私たちが現在目の当たりにしているあらゆる不平等の拡大からもたらされる社会的・経済的リスクへの関心を高めました。」と語った。

そして、「従ってそれは、21世紀の課題に見合った形で、各国レベルでの『新たな社会契約』を構築するために必要な変革への扉を開きうるものです。」と付け加えた。

グテーレス事務総長は、コロナ禍発生前の1年前に行った、不平等に関する自身の発言を振り返って、「国際的な意思決定の場で権力や資源、機会がより適切に配分され、統治のメカニズムに今日の現実がより反映される新たなグローバル・ディールを世界は必要としています。」と語った。(原文へ

INPS Japan

関連記事:

国連開発計画、新型コロナウィルス感染症の影響から最貧層を保護するため臨時ベーシック・インカム(最低所得保障)の導入を訴える

|国連|「新たな大分岐」を引き起こす格差の拡大に警告

|視点|新型コロナウィルスで悪化する東南アジアの人権状況(チャンパ・パテル王立国際問題研究所アジア太平洋プログラム代表)

タガが外れたリーダーたちと核兵器:今こそ行動を

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=タニヤ・オグルヴィ=ホワイト博士 】

私は、核兵器がもたらすリスクの研究に人生を費やしてきた。いつか核兵器保有国に、タガが外れた、そして核攻撃を開始する権限を持つリーダーが現れるのではないかとずっと心配だった。私にとっては常に、核兵器保有国のリーダーが理性的に行動するという前提は根本的に欠陥があり、危険なものだと思われた。かつて米国の国防長官を務めたロバート・マクナマラはこの問題を訴えて、「誤りを犯しがちな人類が核兵器をいつまでも持ち続ければ、国々の破滅をもたらす」と警告した。今日、私はこれまで以上にこの点を危惧している。そして、もっと多くの人が問題に目を向け、変化を強く求めることを願っている。(原文へ 

ドナルド・トランプが大統領に選出されるまで、私の核リスク評価において米国がこれほどまでに突出するとは思いもしなかった。確かに、核に関する米国の意思決定はこれまでもムラがあったが(事故や危機一髪の事態も含め)、相対的な核リスクという点では、他の核保有国のほうが危険な兆候を示していた。しかしここ数年、ドナルド・トランプ大統領の行動を見るにつけ、彼の野放図なナルシシズムが米国内と世界に及ぼす影響を考えると私の懸念は膨らむ一方である。

彼が大統領であることは多くの理由から不安を呼ぶ。パンデミックに対する無責任な態度。人種差別、過激主義、性差別、汚職。政治的暴力の目に余る扇動。陰謀説を焚きつけ、真実をあからさまに無視する姿勢……枚挙に暇がない。しかし、おそらく最も不安を呼ぶのは、普通なら無分別で無責任な行動を阻止するはずの人々が彼に権能を与えたことだろう。しかもそれは、トランプが米国で唯一、核兵器を発射する権限を持つと承知のうえである。

トランプの奇矯な行動を別にするとしても、冷戦時代の遺物である核に関する意思決定を「ただ一人の権限」に委ねるという手順が、いまだに米国に存続していることは私にとって信じがたい。これは、攻撃の警報を受けて数分以内に、他者に相談する必要なく大統領が核兵器を使用できるようにするために導入された。この手順は、数十年を経てもなお存続し、米国の核兵器はいつでも即時発射できる態勢にあり、大統領の核権限を制限する法規は存在しない。分かりやすく言うと、米国大統領は、議会に説明することなく、また、国防長官、国務長官、統合参謀本部議長、米戦略軍司令官、司法長官などからなる行政府に通知する必要すらなく、核攻撃を命令することができるのである。突き詰めれば、米国の核兵器を使用する決定は大統領が下し、かつ、大統領のみが下すということである。

この専権事項という手順が導入された時、ならず者の米国大統領が就任し、大統領権限を後先考えずに濫用するかもしれないという考えは、「ブラックスワン」的(予想外で非現実的)な事象、あるいはSFとさえ思われていた。しかし、そのような信頼はこれまでも揺らぐことがあったが(ウォーターゲート事件の際は、大統領顧問団がニクソン大統領の正気を疑い、彼の核権限を制限しようとした)、トランプ大統領の任期中に史上最低まで落ちたと言ってよいだろう。彼の多くのひどい教訓の中で、何も当たり前のものはないということを、われわれは思い知らされることになった。つまり、予想外のことが現に起こっている。政治指導者は、現に非合理的に振る舞っている。そして、タガが外れたリーダーの無謀な行為が野放しにされる恐れがあり、現に野放しになっている。例えば、かつて世界を導く光として掲げられた民主主義においてそれが起きている。

こういったことはすべて、世界の安全保障に深刻な影響を及ぼしている。私は、世界が米国による差し迫った核の脅威に直面していると主張しているわけではない。私が言いたいのは、急速に変化する現代社会において、冷戦時代の遺物が重要な特徴であり続けることを許してきた、いわば核をめぐる現状維持への安住から目を覚ます必要があるということである。今日、戦略的安定性を維持するというわれわれの共通の責任を政治的意思決定に反映すること、そして、戦略的安定性を脅かすものに対しては、人類と地球の未来を念頭に置いて対処することがかつてないほど重要になっている。

核兵器禁止条約(TPNW)が1月22日に発効することは、核軍縮に向けた長い道のりに踏み出すタイムリーかつ重要な一歩であるが、それは、もっかの核リスク、例えばタガが外れたリーダーたちがもたらす核リスクにはほとんど影響を及ぼさないだろう。より重大なことは、ジョー・バイデン次期大統領による大統領の発射権限への法的制限の導入決定だろう。トランプの権力濫用を考えると、新政権がこの一歩を踏み出すことはきわめて重要である。もしそうなればメディアの関心が高まり、当事者たちにとっては核リスク低減の問題にかつてない世界的注目を集めるチャンスとなるだろう。例えば、核兵器警戒態勢の緩和と先制不使用の誓約による安全保障上の共通利益を促進する、強力な基盤となり得る。また、核兵器保有国とその同盟国に対し、この予測不可能な世界における核抑止の論理と倫理を見直すよう促すものとなるかもしれない。

退任するトランプ大統領とワシントンDCにおける混乱に満ちた政権移行について、最後にひと言。米国のリーダーシップでさえ、混乱への突入を阻止する当てにならないのであれば、それは間違いなく、核兵器が存続し続けていることのリスクはあまりにも大きいため、それを禁止し廃絶する以外にないという主張の説得力を高めるものである。

タニヤ・オグルヴィ=ホワイト博士 は、ニュージーランド・グローバル研究センター(New Zealand Centre for Global Studies)の所長であり、オーストラリア国立大学戦略防衛研究センターの上級研究員である。過去には、核不拡散軍縮センターの研究理事、およびオーストラリア戦略政策研究所のシニアアナリストを務めた。直近の発表物に、“The Logic of Nuclear Deterrence: Assessments, Assumptions, Uncertainties and Failure Modes” (UNIDIR, 2020) がある。

INPS Japan

関連記事:

|視点|核兵器禁止条約がもたらす希望(ジョセフ・ガーソン平和・軍縮・共通安全保障キャンペーン議長)

|視点|トランプ・ドクトリンの背景にある人種差別主義と例外主義(ジョン・スケールズ・アベリー理論物理学者・平和活動家)

2020年代は恐怖・貪欲・憎悪の時代になるか(ロベルト・サビオINPS評議員、Other News代表)

|視点|新型コロナウィルスで悪化する東南アジアの人権状況(チャンパ・パテル王立国際問題研究所アジア太平洋プログラム代表)

【ロンドンIDN=チャンパ・パテル】

東南アジアの人権状況は、新型コロナウィルス感染症(新型コロナ)の発生前から決して良くはなかった。民主主義と人権の価値を重んじるというASEAN諸国の建前に反して、自由のない民主主義国が増え、基本的な自由が危険にさらされてきた。東南アジアのほとんどの国々が、一部が植民地時代に端を発する圧政的な法律や、新たな弾圧立法を通じて、異議申し立てを犯罪化している。コロナ禍はこの傾向を強化している。

国際的な基準では、公衆衛生を理由にして人権に制限を加えるには明確な目的がなくてはならず、目的と均衡がとれ、非差別的で、時限的なものでなくてはならない。しかし、多くの東南アジア諸国が、時限がなく、広い解釈を許す曖昧な条項を持った緊急措置を通している。為政者たちは、通常のチェック・アンド・バランスの手続きを飛ばした緊急の権限をますます利用し、新しい措置の是非を検討する可能性を狭めている。

フィリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、大統領府が停止あるいは撤回しない限り公衆衛生に関する緊急措置が有効であるとする布告922号を成立させた。また、緊急措置を執行するために警察と軍隊を派遣し、ロックダウンに違反する者に対しては射殺を軍に認めている。

東南アジアの他の国々では、情報公開や表現の自由、集会の自由を制限する数々の法を通過させている。タイでは、3月末から4月末まで戒厳令が発せられた。タイ軍政は、移動と集会の制限を含む特別な権限を行使し、情報の自由な流れを制限した。これらの措置はしばしば、新型コロナ対策においては逆効果となる。バンコクでは、食料や衛生用品を配布しようとした人々が逮捕された。

新しい措置を採ってはいないが、単に既存の弾圧的な法律を利用している国もある。インドネシアが2008年に制定した「電子情報・取引法」は、サイバー空間上のコンテンツを検閲する権限を広く政府に与えている。そうした法はしばしば、必要な措置を越えて、信じられないような使われ方をしている。カンボジアのあるジャーナリストは、フン・セン首相の新型コロナに関するコメントを正確に引用しただけで逮捕された。ミャンマーでは、新型コロナとそれが社会にもたらす影響に関する壁画を描いたことで、ストリートアーティストが逮捕された。

東南アジア各国の政府は、「フェイクニュース」の取り締まりを口実に、政府に批判的な人々をターゲットにしている。ベトナム政府は、政府に批判的な書き込みをフェイスブックに投稿したとして数百人に対して罰金が科し、フェイスブック社が反政府的な内容をブロックすることに応じるまでの7週間にわたって、サイトへのアクセスを遅らせた。インドネシアでは、政府を批判した人々が各種の通信法違反のかどで逮捕されている。

From insider a Cell/ Aliven Sarkar

インターネットへのアクセスを制限するという戦術もある。ミャンマーでは接続が遮断されてラカイン、チン両州の140万人が影響を受け、新型コロナに関して必要な情報を入手することができなかった。

新型コロナ対策の緊急措置を巡っては、データ収集や監視、プライバシーの懸念も出されている。危機管理を専門とするコンサルティング会社ベリスク・メープルクロフトの「プライバシー権インデックス」は、新型コロナ関連の監視措置によってプライバシー権をめぐる状況が悪化しているアジアは、世界で最もリスクの高い地域の一つだとしている。また、カンボジアやタイ、フィリピンは、問題のある監視措置を採っている国だと指摘している。

権威主義的な為政者たちが自らの権力の拡大・深化・確立目指そうとする政治的なご都合主義は、懸念すべき動向だ。マレーシアは、感染拡大以前から、パカタン・ハラパン連立政権の解体後の難しい政治的舵取りを強いられている。2020年11月、2人の閣僚が同国議会に対して、選挙の一時停止を検討していると述べた。他方、シンガポールの与党・民衆行動党は、権力を維持しようとして感染拡大の中で選挙を強行したことを批判されている。

東南アジアにおけるもう一つの流れは、立場が弱く社会の片隅に追いやられた人々に対する汚名や差別の問題であり、彼らの人権を擁護する取り組みが不在であることだ。2020年3月、カンボジア保健省の報告書は、クメール・イスラムなどの集団が新型コロナに感染したと発表し、少数派のイスラム教徒コミュニティーに対する差別につながってしまった。

SDGs Goal No.10
SDGs Goal No. 10

新型コロナのパンデミック対策として一見積極的な措置と思われるものであっても、しばしば難民や亡命申請者の立場を無視しているものもある。タイは、非正規部門への景気刺激策を発表したが、タイ政府の発行するIDカードを保有していることが要件であった。つまり、ほとんどの難民や亡命申請者はここから排除されてしまうのである。これらの措置はまた、こうしたコミュニティーに対する支援を難しくしてしまった。難民たちは、逮捕や脅迫、差別を恐れて、必要な医療サービスを利用しなくなっているからだ。

こうした措置の全てが、すでに縮小している市民団体による活動の余地を狭めている。ウィルスの拡散を防ぐための行動の制限策は、基本的なサービスを提供し、草の根レベルでの対応を支援する市民団体の役割を考慮に入れた条項を欠いている。東南アジアの数多くの市民団体が、立場が弱く社会の片隅に追いやられたほとんどの人々の医療や社会、福祉の上でのニーズを制限的な環境の下で実現しようと努力している。

ロックダウン(都市封鎖)と集会の禁止によって、平和的な異議申し立てもまたやりにくくなっている。集会の制限は、医療危機への対処という目的に見合ったものでなくてはならない。東南アジアの多くの国々が集会を完全に禁止し、ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)を保ったうえでの平和的な抗議を行うことさえ認めていない。こうした施策は、反対勢力や批判的な声、活動家、その社会の片隅に追いやられた集団を封じる目的で用いられている。

ASEAN member countries/ Astore international

人権の擁護は、自由で開かれた、説明責任が果たされる社会において必須のものだ。コロナ禍は、人権を危機にさらす抑圧的な傾向を加速し、強化している。これらの分断線は感染拡大の前から存在したが、人権擁護に反するさまざまな措置を各国政府が取るようになってから、深化したと言える。

各国政府が、新型コロナのパンデミック対応から経済回復へと関心を移しつつある中で、民主主義やよい統治、人権を危機に陥れる措置を強力に跳ね返すことが肝要だ。東南アジアの傾向は、今後厳しい闘いが待ち受けていることを予示している。(原文へ

INPS Japan

関連記事:

|新型コロナウィルス|生物多様性と野生動物の保護につながる可能性も

|アフリカ|新型コロナウィルスを巡るフェイクニュース、ショッキングなニュース、良いニュース

新型コロナウィルス感染症が拡大するなか「二重の脅威」に直面する移民たち