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ハンマド・アブ・ザイード議長インタビュー(Vatican Conference on SDGs)

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan.

INPSは、ローマ教皇庁の人間開発のための部署と諸宗教対話評議会が主催した「宗教と持続可能な開発目標(SDGs)に関する国際会議:地球と貧者の叫びに耳を傾ける」(3月7日~9日)を取材した。会議期間中、INPS Japanの浅霧勝浩マルチメディアディレクターがラメシュ・ジャウラ編集長と共に、レバノンの「スンニ・サイーダ法廷」のムハンマド・アブ・ザイード議長にインタビュー取材した。

ザイ―ド議長は、今回のバチカン会議の意義について、「この地球を守るという共通の目標に向けた宗教間パートナーシップこそが会議の肝であり、私たちが成しうる最も重要なことです。」と指摘するとともに、この会議が宗教間の対立を解消する一助となるかどうかという問いに対して、「ええ。対立の解消にきっと役立つことでしょう。しかし、会議だけでは十分ではありません。有言実行を積み重ねていかねばなりません。私たちは(地球を守るための)旅を共に歩みながら、それぞれの教えと理論をもっと実践的なものに変える行動計画を持つ必要があります。」と語った。

Shaikh Muhammed Abu Zaid Chairman of the Sunni Court of Saida in Lebanon talked about his expectation of the ‘International Conference on Religions and Sustainable Development Goals (SDGs): Listening to the cry of the earth and of the poor’, held in Vatican City, from March 7-9, 2019. He is of the view that the conference has brought together people of different faiths together, to talk to each other and work out an action plan to preserve the planet Earth, an important aim of the SDGs.

INPS Japan

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混迷の度が深まるアフリカ東部・「アフリカの角」地域

【ニューヨークIDN/GIN=リサ・ヴィヴェス】

米国が、10年以上にわたるソマリア内戦を軍事的に解決しようと乗り出す一方で、スーダンと南スーダンは混迷の度を深めている。米アフリカ軍司令部によると、ソマリア中部のヒラーン州で、最近米軍が国際テロ組織アルカイダ系のイスラム過激派組織「アル・シャバブ」に空爆を加え、35人の戦闘員を殺害している。

こうした空爆作戦には、武装した無人機(攻撃型ドローン)が投入されている。地元のオンラインメディア「ハルガン・メディア」によると、米軍によるドローン攻撃は、今月になって12回目となる。米国防総省は近年、ドナルド・トランプ大統領がテロ容疑者に対する米軍の行動の制限を緩和させたことなどから、ソマリアでの空爆の割合を拡大している。

An MQ-9 Reaper unmanned aerial vehicle flies a combat mission over southern Afghanistan/ By Lt. Col. Leslie Pratt - commons file, Public Domain
An MQ-9 Reaper unmanned aerial vehicle flies a combat mission over southern Afghanistan/ By Lt. Col. Leslie Pratt – commons file, Public Domain

まだ武装ドローンは使用されていないものの、スーダンではオマル・アル・バシール大統領が一連の非常事態宣言を発して、各地に広がる民衆の抗議活動を抑え込もうとしている。バシール大統領は、これまでの30年に亘る統治の中で、最も長い反政府抗議活動に直面している。

首都ハルツームでは、機動隊が催涙弾やスタングレネードを群衆に向かって発砲したが、数千人の群衆が街路を埋め尽くした。デモに参加しているエリジさん(本人の安全確保のため偽名)はアルジャジーラの取材に対して、「私たちは政権交代を成し遂げようとしています。非常事態宣言など怖くはありません。」「私たちの要求はただ一つ、大統領の退陣です。」と、語った。

機動隊は、学生たちが座り込みのデモを始めたアハファド女子大学の構内へも、催涙ガス弾を打ち込んだ。

スーダン当局は、これまでに抗議行動に関連した暴力沙汰で31人が死亡したとしているが、人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、犠牲者の数は51人にのぼると発表している。

一方、アフリカで最も若い南スーダンでは、政府と反政府勢力との間で4年に亘った内戦の末に昨年ようやく停戦合意がなされたが、国土は荒廃し、想像を絶する規模(シリア、アフガニスタンに次ぐ世界3番目)の難民危機が生じている。南スーダンに関する国連の報告書には、ありとあらゆる人権侵害の事例が報告されており、英国のガーディアン紙は、「200頁以上に及ぶこの報告書の内容は、読者を最も陰鬱な気持ちにするもの」と報じている。

Map of South Sudan/ Wikimedia Commons

南スーダン人権委員会のヤスミン・ソーカ委員長は、今回3回目となる報告書をナイロビで公表し、「戦闘員が村々を襲撃する際、家々を略奪し、女性を性奴隷として略奪したうえで、しばしば住民を中に閉じ込めたまま家屋に放火するという行動パターンが確認されています。」と語った。

「南スーダンでは、殺人のほか、住民の強姦、輪姦、性器切除、誘拐、性奴隷化が横行しています。これまで不処罰がまかり通ってきたため、あらゆる規範が崩壊し、このような犯罪が蔓延したことは、疑いの余地がありません。」

南スーダンの独立闘争時代の説明責任の欠如が、今日に続く内戦を助長してきたが、報告書は、持続可能な平和を実現するには、犯罪行為に対して具体的かつ信頼に値する説明責任と公正な裁きが確保されなければならない、と強調している。

「政府が著しい人権侵害や深刻な国際人道法違反を犯した者等の責任を問おうと努力している点は認めます。」「しかし、不処罰の風潮が依然として常態化している事実を指摘せざるを得ません。」と同委員会のアンドリュー・クラパム委員は語った。

国連人権委員会が2016年に設立した南スーダン人権委員会は、政府、地域、国際社会に対して、5か月前に復活させた新たな停戦合意の履行と「戦闘行為の完全停止」を実現すべく、「緊急の対策」を講じるよう強く要請している。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

南スーダンは世界で最も若い国の1つだが、7年前の独立から大半の期間を政情不安と紛争に見舞われてきた。

2018年9月、南スーダンのサルバ・キール大統領と長年の政敵で反政府勢力を率いるリヤク・マシャール氏は、エチオピアの首都アディスアベバで新たな和平協定に調印した。この合意は、最終的に危機を克服し、内戦によって住処を奪われ貧窮している数百万の人々に、安全でより良い環境を提供するとの高い期待が寄せられている。

南スーダン人権委員会が発表した今回の国連報告書は、戦争犯罪者の追訴へと至るプロセスの第一歩を踏み出したものとなっている。同人権委員会は、引き続き犯罪の責任者を訴追するための証拠収集を継続していくと発表している。(原文へ

INPS Japan

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専門家らが朝鮮半島の平和の見通しを討議

【東京IDN=浅霧勝浩

朝鮮戦争(1950~53)における「戦闘行為と武力行使の完全停止」をもたらした休戦協定から66年が経過した。休戦協定の一年後、中国の周恩来首相兼外相は和平条約を提起したが、米国のジョン・フォスター・ダレス国務長官が拒否したため、朝鮮半島の最終的な平和解決は未だに成立していない。

休戦協定が署名されたことで、南北朝鮮の事実上の国境である非武装地帯(DMZ)が設定されて停戦が発効し、戦時捕虜の本国送還を終了した。非武装地帯は38度線に沿って置かれ、1953年の休戦協定発効以来、北朝鮮と韓国を分断している。

米国のドナルド・トランプ大統領と金正恩北朝鮮最高指導者がシンガポールで昨年6月に行った初の首脳会談では、和平協定の問題は重視されていなかった。このことは、ベトナムのハノイで2月27・28両日に開催予定の2度目の首脳会談でも同様であろう。

ハノイ会談を目前にして、「朝鮮半島における平和の構築――休戦協定から恒久的平和協定への転換」と題するシンポジウム(第3回東京会議)が開催された。

戸田記念国際平和研究所とニュージーランド・オタゴ大学国立平和紛争研究所が主催したこのシンポジウムでは、南北朝鮮間の平和宣言の是非や、停戦協定に代わる恒久的な平和協定への転換のあり方について、韓国・米国・中国・ロシア・日本の観点から議論がなされた。

しかし、5か国からの様々な観点が明らかにしたように、朝鮮半島に安定的な平和をもたらすのは困難な課題になるだろう。米朝両国は、朝鮮半島の非核化が実務的に意味するところについて合意を見ていない。また、韓国・米国・中国・ロシア・日本の5か国の国益や外交上の利益は互いに一致していない。

Photo: Chung-in Moon (South Korea) Credit: Yukie Asagiri
Photo: Chung-in Moon (South Korea) Credit: Yukie Asagiri

そのような中で、金正恩最高指導者は新年の辞の演説でとりわけ重要なことを述べている。金最高指導者は、休戦体制を平和体制に転換するための「多国間交渉」を呼びかけたのである。

これは、文正仁韓国大統領特別補佐官(外交・国家安全保障担当)が、核問題の当事国間が信頼を醸成し問題に対処していく必要性を強調したことに近い。文特別補佐官は、合意は「履行」されてこそ意義があるとし、アジアにおける全ての当事国と米国が参加するサミット開催を提案した。

ジョセフ・Y・ユン元米国国務省北朝鮮政策特別代表は、北朝鮮は自国の安全保障上の懸念について米国から特別な保証を得ない限り、自ら非核化することはないだろう、という見解を示した。ユン元特別代表は、「北朝鮮の核は(長年にわたる)苦労の末に作り上げたものだ」と指摘したうえで、平和協定を結び、核兵器の解体と検証を行う「体系的なアプローチ」の必要性を訴えた。

楊希雨中国国際問題研究院上級研究員(六者会合交渉官)は、朝鮮半島の動向を深読みしすぎることに対して警告を発した。楊上級研究員は、具体的な事例として、1991年から92年と1994年から2002年にかけて米朝が21のテーマについて協議し、うち17件に関して合意に達したが、結局その後危機が訪れた事例を挙げた。

Photo: Yang Xiyu (China) Credit: Yukie Asagiri
Photo: Yang Xiyu (China) Credit: Yukie Asagiri

にもかかわらず、2018年に行われた3回の南北朝鮮首脳会談、米朝会談と中朝会談を目の当たりにして、これらを「歴史的機会」だとみなす傾向がある。2019年には、米朝首脳会談が1回、中朝会談が1回以上、それに南北首脳会談も実施されるだろう。

楊上級研究員は、「事態を複雑にしているのは、北朝鮮にとっての関心事が和平協定にあるのに対し、米国の関心事が北朝鮮の非核化にある点です。」と指摘したうえで、「平和の基盤としての勢力均衡という構造を完全に」取り除く必要があると強調した。

ロシア科学アカデミー経済研究所・朝鮮問題研究室長であり、ロシアBRICS研究委員会の委員長でもあるゲオルギー・トロラヤ氏は、「利害のバランス」を取ることを求めた。

トロラヤ研究室長は、ロシアが2018年に2つの提案をしていることを指摘した。ひとつは「凍結には凍結を」の原則で、具体的には、米韓が合同軍事演習を停止する代わりに、北朝鮮は核実験を凍結するというもの。そしてもうひとつは、南北朝鮮間で「多くの合意と取り決め」につながるような二国間交渉を行うというものである。

Photo: Georgy Toloraya (Russia) Credit: Yukie Asagiri
Photo: Georgy Toloraya (Russia) Credit: Yukie Asagiri

トロラヤ研究室長はまた、国連軍を代表した米陸軍のウィリアム・K・ハリソン中将と、中国人民志願軍も代表した北朝鮮人民軍の南日(ナム・イル)大将との間で締結された1953年の休戦協定は、今回のシンポジウムのテーマが示唆するような平和体制の基盤にはなりえない、と主張した。なぜなら、韓国はこの休戦協定の当事者ではないからだ。休戦協定の唯一の目的は、戦闘行為の停止と捕虜の送還といった技術的な問題であった。休戦協定では、協定が署名され発効してから3ヶ月以内に政治的諸問題を清算するための会議を開くこととされていたが、この会議は失敗に終わった。

「私たちは、朝鮮半島の実情を前提とした平和を構築する必要があります。この問題がグローバルな性格を帯びていることを考えると、当然ながら、南北朝鮮のみならず、米国、中国、そして日本やロシア、さらには国際社会全体も巻き込まなくてはなりません。これは、二国間あるいは地域の問題ではなく、核拡散と平和愛好というグローバルな問題なのです。」とトロラヤ研究室長は語った。

トロラヤ研究室長はまた、「平和体制のためのある種の法的基盤を構築しなくてはなりません。たとえば、多国間宣言、あるいは、条約、北東アジア6カ国サミットのようなものが考えられます。9月に国連総会が開催される際に、6カ国外相が宣言をすることでこのプロセスを始めることができるかもしれない。」と語った。

トロラヤ研究室長の見方では、多国間合意、あるいは、交戦当事国間で締結される法的拘束力がある一連の二国間協定を通じた多国間プロセスが必須である。中でも重要なのは、それぞれの義務の履行を監視するメカニズムを作るべきだとしている点である。

結果的に、そのメカニズムは、朝鮮半島とその近隣諸国を包含する「地域協力と安全保障体制の核」になっていくかもしれない。「北朝鮮が、トランプ大統領の言うような経済的ロケットになるかどうか分からないが、この国には大きな可能性があります。」と、トロラヤ研究室長は語った。

元陸上自衛官(陸将)で国際大学教授の山口昇氏は、当事者間に見解の食い違いや優先順位の違いがあることを指摘した。しかし、北朝鮮が核兵器や核技術の拡散という手段に訴えることは、間違いなく危険なシナリオになると語った。

さらに、もし北朝鮮が核保有国として容認されることがあるならば、北朝鮮が2003年に脱退したNPT体制にも深刻な影響を及ぼすことになるだろう。北朝鮮の核武装は、他の国々がそれにつづくインセンティブを与えることになる。

一人あたりのGDPが韓国の20分の1しかない国が米国と対等の立場で交渉でき、米国に到達する核弾頭の取得したことで報奨を得ることができると「100余の」国々が気づいたならば、非核保有国が核武装に突き進む道が開けるだろう。「そのような事態は防がねばなりません。」と山口教授は語った。

山口教授はまた、脅威認識の違いについて、日本は中距離ミサイルを危険視しているのに対し、韓国では、短距離ミサイルや大砲すら十分脅威として認識されている、と指摘した。他方で、米国では大陸間弾道ミサイル(ICBM)が最重要問題とみなされるかもしれず、それが全面戦争の引き金になりかねない、と語った。

Photo: Q&A Session Credit: Yukie Asagiri
Photo: Q&A Session Credit: Yukie Asagiri

山口教授は、「しかし、多様な脅威認識のその先を見すえ、物事が正しい方向に進むかどうか準備をしておくことが必要です。たとえば、もし北朝鮮が平和的な方法で非核化する完璧なシナリオに乗ってくるのならば、日本をはじめ他の国々も、北朝鮮の経済成長に対する技術的・資金的インセンティブを準備しておかねばなりません。」と語った。(原文へ

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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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世界社会フォーラムから遠き道のり

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【ローマIDN=ロベルト・サビオ】

INPSの顧問で世界社会フォーラムの創設にも関わったロベルト・サビオ博士による視点。新たに台頭している国家主義やポピュリズムの背景にある格差問題(世代格差・都市農村部の格差)やメディアの問題点(プロセスよりもイベントを重視する傾向)、活動家らが陥りがちな「蛸壺問題(インターネットを幅広い議論が可能な参加の手段とするのではなく、同様な考えを共有する内向きなコミュニティーを形成)」等指摘しながら、現在の傾向を変えていこうする多くの人々を結びつけるコミュニケーションの大切さを訴えている。(原文へ

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食用に栽培された固有品種の減少が深刻な脅威となる

【ローマIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

食料として特定の品種が栽培・飼育される一方で多くの固有品種が急速に減少しつつあり、生物多様性の喪失が人類を含む食物連鎖にも深刻な影響を及ぼしている実態を明らかにした国連食糧農業機関(FAO)の報告を分析した記事。いくつかの国ではこうした実態に危機感を募らせた市民(Citizen Sceientists)らが農家からの直接購入やフードロス対策をはじめ、持続不可能な食料品を避ける等の行動を起している。(原文へ

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第二次世界大戦時のアフリカ人従軍兵士等が英国政府に公式謝罪と補償を求める

【ニューヨーク|ロンドンIDN=リサ・ビベス】

英国政府は、第二次世界大戦(1939年~45年)を英国人兵士とともに戦ったアフリカ人兵士で今日存命している人々に対して、謝罪と補償を行うよう迫られている。

大戦期間を通じて50万人以上のアフリカ出身者が英軍に加わって戦ったが、新たに発見された資料から、当時アフリカ人兵士に支払われた給与が白人の兵士と比較して3分の1以下だったことが明らかとなり、政府に対して真相究明と生存者に対する補償を求める声が高まっている。

Propaganda poster promoting the joint war effort of the British Empire and Commonwealth, 1939./ Public Domain
Propaganda poster promoting the joint war effort of the British Empire and Commonwealth, 1939./ Public Domain

英国公文書館で発見されたその資料には、当時の英国政府が、アフリカ人兵士を組織的に差別していた実態が克明に記録されている。例えば、白人兵であれば、アフリカの植民地で黒人兵士と同じ部隊で勤務していた場合でも、黒人兵よりもはるかに多くの給与が支給されていた。

英国議会の3名の議員が、テレサ・メイ首相に対して、こうした差別的な慣行が行われていた事実を認めて真相究明に着手するとともに、元従軍兵士に対して公的な謝罪と補償を行うよう要求している。

当時の英軍におけるアフリカ人兵士に対する差別的な慣行は、カタールの通信社「アルジァジーラ英語版」が製作したドキュメンタリーで浮き彫りにされている。英国政府による公式発表では、当時、軍への参加はあくまでも自発的なものであったとされているが、このドキュメンタリーに登場する元兵士や未亡人らの証言は、そうでなかったことを物語っている。

かつて英軍の通信兵としてエチオピアやソマリランドに送られたケニア人のガーソン・フンディさん(93歳)はガーディアン紙の記者に対して、「英国は私たちを奴隷として扱いました。任地には私たちの意志ではなく、強制されて行ったのです。もし軍を脱走して故郷に戻ったとしても、族長に逮捕されて任地に連れ戻される運命にありました。こうした状況下で、はたして誰に苦情を訴えることができたでしょうか。私たちには全く発言権が認められていませんでした。」と語った。

African Troops in Burma during the Second World War/ Public Domain
African Troops in Burma during the Second World War/ Public Domain

こうした証言内容は、第二次世界大戦を研究している代表的な歴史家たちによる研究内容とも一致している。「(英国は)当時、植民地の族長達に圧力をかけて村から供出する兵士の数を決めさせ、彼らを通じて村の青年たちを強制的に入隊させていました。」「この制度に巻き込まれた人々の経験は、実に悲惨なものでした。」と、ゴールドスミス大学のデイヴィッド・キリングレイ名誉教授(近代史)は語った。

こうして徴兵されたアフリカ人の兵士達には、士官になる道が閉ざされていたうえに、白人の下級兵士を規律に従わせる権限も剥奪されていた。また、当時英軍では既に数十年にわたって兵士に対する体罰が公式に禁止されていたにもかかわらず、アフリカ人の兵士に対しては体罰が横行していた。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

「英軍では私たちは日常的に殴られていました。私たちの体はこうした殴打により膨れ上がっていました。言われたことを全て受け入れるまで、殴られたり平手打ちに晒されるのです。反論は一切許されませんでした。当時、誰に不平をもらすことができたでしょうか。こうした体罰を加えてきたのは、上官自身だったのですから。」と、当時日本軍と戦うために英軍兵としてビルマ戦線に従軍したユーセビオ・ムビウキさん(100歳)は語った。(原文へ

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*第二次大戦中、英国政府はアフリカ各地の植民地から招集(事実上強制動員)した兵士たちを枢軸国(ドイツ、イタリア、日本)との戦場(欧州・中東・アジア)に投入した。しかし1945年に戦争が終結すると、除隊後、白人兵に対して提供された戦後補償の対象から外され、彼らの貢献自体が歴史の闇に葬り去られてきた。

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【マコウムIDN=ヴィンセント・オージェ】

ロヒンギャ難民危機:ミャンマーのラカイン州でアラカン軍(仏教徒少数民族ラカイン族の武装勢力)とミャンマー国軍の衝突が再燃するなか、増え続けるロヒンギャ難民対策に追われるバングラデシュと国連機関の動向を分析したヴィンセント・オージェ西イリノイ大学教授の視点。難民キャンプのベンガル湾の島への移設案やラカイン州内に安全地帯を設ける案が出ているが、いずれも国際社会の関心の低さがネックになっている。(原文へ

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【国連IDN=エロール・アブドフ】

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ガーナの首都アクラの中心、米国大使館からわずか数メートルのところに、偉大なるアフリカ系米国人の公民権運動指導者W・E・B・デュボイス氏と妻シャーリーの墓がある。「全国有色人種向上協会」の創設者であるデュボイス氏はアクラに1961年に移住して閑静な住宅街ラボネに居を構え、1963年8月に亡くなるまで暮らした。

デュボイス氏のガーナへの転出は、自らのルーツを辿りアフリカ大陸へ回帰したいとのアフリカン・ディアスポラ(新世界の各地に連行されたアフリカ人奴隷の子孫)の切なる願いの表れだったかもしれない。ガーナは、16世紀から19世紀にかけて大西洋奴隷貿易の中心地であった。

W.E.B. Du Bois/ Public Domain
W.E.B. Du Bois/ Public Domain

ワシントンDCでは2018年9月、ガーナのナナ・アクフォ=アド大統領が2019年を「ガーナ帰還年(Year of Return, Ghana 2019)」にすると宣言した。アフリカ大陸の人々と、各地に離散したアフリカに起源を持つ同胞たちを結びつける試みをさらに加速させるものだ。

立ち上げイベントでアクフォ=アド大統領は、「私たちは、(アフリカン・ディアスポラが)米国人の生活に与えた多大なる成果や貢献について知っています。それから400年というこの象徴的な年に、彼らの存在と犠牲を記念することが重要です。」と語った。

米議会のグウェン・ムーア下院議員(ウィスコンシン州)やシェイラ・ジャクソン・リー下院議員(テキサス州)、アフリカ系アメリカ人の外交官や著名人などがイベントに参加した。

リー議員は、ガーナ政府の取り組みを、2017年に米議会で通過した「アフリカ系アメリカ人の400年の歴史を記念するための立法」と結びつけた。同法の条項には、「英植民地であったバージニア州のポイント・コンフォートに1619年にアフリカ人が到着」してから400年を記念する活動を実施し財政的に支援する歴史委員会の設置に関する条項が盛り込まれている。

ガーナの歴代の指導者は、1957年の独立以来、アフリカ出身者をガーナに帰還させる政策を採ってきた。

Kwame Nkrumah during a state visit to the United States/ Public Domain

ガーナのクワメ・エンクルマ大統領(当時)は、独立後初の演説で、アフリカの解放を、世界中のアフリカ人がアフリカに帰還するという考え方の中に位置付けた。

ハーバード大学「ハッチンズアフリカ人・アフリカ系米国人研究センター」のヘンリー・ルイス・ゲーツ・ジュニア所長は、「エンクルマ大統領は、アメリカの黒人はアフリカ人の先駆者と考え、ガーナが従来の植民地制度から独立国へと移行していく中で、アフリカ系アメリカ人の奉仕心と能力を活用しようとしていました。」と語った。ゲーツ氏自身、20歳の時に、エンクルマの精神に燃えて初めてガーナを訪れている。

ガーナ議会は2000年に市民権法を成立させて、二重国籍を可能にした。つまり、外国で市民権を獲得したガーナ起源の人々が、希望するならガーナ国籍を取得できるようにしたのである。

同じ年、ガーナ政府は移民法を制定し、「海外に離散したアフリカ人の子孫」はガーナと「妨害されることなく」行き来できるとする「居住権」を定めた。

ヨゼフ・プロジェクト

独立から50年にあたる2007年、ガーナ政府は、奴隷制廃止200年を記念して、アフリカ出身者のガーナへの帰還を推進する「ヨセフ・プロジェクト」を開始した。

Map of Ghana
Map of Ghana

かつてイスラエル政府がホロコースト後に、欧州などに居住していたユダヤ人に対してアプローチしたのと同じく、ヨセフ・プロジェクトは、エジプトで奴隷として売られた後に家族と再会してエジプトの宰相として国を治めた旧約聖書に登場するヨセフにちなんだものである。

アフリカ系アメリカ人社会はアクフォ=アド大統領の取り組みに興奮を隠せない。SNSには、多くの人々が初めて訪れるアフリカへの期待を投稿している。その一人が、メディア関係者で2019年に祖先の故郷を訪ねる予定にしているアンバー・ウォーカー氏である。

ウォーカー氏は、「アフリカ系アメリカ人であることの矛盾は、市民として考えられていない所に自分たちが存在していることにあります。こうしたアフリカ系アメリカ人が祖先の地に自分たちが帰属意識を持てる場所を取り戻すことを支援するガーナの取り組みは素晴らしいと思います。これは、正しい方向への一歩だと思います。」と指摘したうえで、「西側社会の抑圧者たちが、こうした異例の厚遇(=レッドカーペットを敷いて迎える)をこれまでにアフリカ人に差し伸べたことがないことを踏まえれば、(ガーナの取り組みには)胸がすく思いがします。」と語った。

アクフォ=アド大統領はプロジェクトの発表にさいして、「高度な技術を持った一握りの人々がアフリカに進出して、民衆を略取し奴隷として売り飛ばすことが今後二度とないように、大西洋の両岸でともに協力していかねばなりません。これを私たちの決意としようではありませんか。奴隷制は二度と蘇らせない。二度と蘇らせてはならないのです。」と語った。

Nana Akufo Addo/ Wikimedia Commons
Nana Akufo Addo/ Wikimedia Commons

しかし、ウォーカー氏は、「奴隷貿易で一部のアフリカ人が果たした役割を大統領が控えめに話しているようだ。」と指摘したうえで、「大統領の言い方では、武器を持って進出してきて黒人を連れ去った白人だけが悪いように聞こえてしまいます。しかし、歴史の真実はそれだけではありません。だからそのこと(=黒人も奴隷制に関与したこと)も認識することが大事なんです。」と語った。

ウォーカー氏は、アパルトヘイト後の南アフリカで実現した和解の形が、かつて祖先が奴隷として売られていった数多くのアフリカの人々を満足させる真実追究と和解のプロセスに示唆するところが大きいのではないかと考えている。

国連は2013年、2015年から24年を「アフリカ系の人々のための国際の10年」と定め「アフリカに起源を持つ人々の基本的人権と自由の尊重、保護、達成の促進」をめざすことになった。

この10年の取り組みのテーマは「アフリカに起源を持つ人々:理解、正義、開発」である。

「2019年ガーナ帰還年」は、「パナフェスト」と呼ばれる2年毎の「汎アフリカ歴史劇場フェスティバル」と軌を一にして開かれる。会場となるケープ海岸には、ケープ海岸城と近隣のエルミナ城があり、いずれも奴隷貿易時代を象徴するものとして国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されている。(原文へ

Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site
Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site

INPS Japan

ウィリアム・エドワード・バーガート・デュボイス氏(1868年~1963年)は、南北戦争後のフレデリック・ダグラスやブッカー・T・ワシントンと20世紀のマーティン・ルーサー・キング牧師やマルコムXをつなぎ、1950年代から60年代の公民権運動の礎を築いた人物。

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核軍縮の行き先はなお不透明(セルジオ・ドゥアルテ元国連軍縮問題担当上級代表、パグウォッシュ会議議長)

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【ニューヨークIDN=セルジオ・ドゥアルテ

人類は時代の夜明けから、戦争による悲哀や惨めさ、破壊の程を知っていたが、歴史上もっとも破滅的な軍事紛争は最近の現象だ。

1914年7月から18年11月まで続いた第一次世界大戦では、民間人や戦闘員を含めて約4000万人の命が奪われた。1939年から45年までの第二次世界大戦では7000~8500万人が亡くなった。こうした戦死者の推計には、捕虜としての死、病死、餓死など戦争関連の原因で亡くなったと考えられる人々も含まれている。

核兵器が初めて使用されたのは1945年のことである。今日の基準で言えば広島・長崎型原爆は「低出力」ということになるが、一瞬にして広島・長崎合計で12万人が殺害され、さらに多くの死者がその後に続いた。

しかし、歴史は重要な教訓を私たちに与えてくれる。18世紀の啓蒙哲学者らは、諸国間の理解を通じて戦争を避けるべきことを教えてくれている。1899年と1907年のハーグ平和会議と1949年のジュネーブ諸条約は、戦闘行為と武力紛争における人道支援活動についていち早く規定した多国間条約の事例だ。

第一次世界大戦終結後、平和の維持と軍備制限の達成を使命とした国際連盟が1920年1月に設立された。第二次世界大戦の戦勝国が1945年10月に設立した国際連合にこれは引き継がれたが、勝者の特権的な地位を維持するものでもあり、「戦争の惨禍」の予防と世界平和・安全の維持のために同時にこれらの国々が持っている責任を確認するためのものでもあった。

国連が設立された当初の数年間は、核兵器開発の企図が議論の中心を占めていた。国連総会で1946年1月24日に全会一致で採択された最初の決議は、「原子力の発見によって提起された問題に対処するための」委員会を設置するものだった。

この委員会は特に、「平和目的のために、全ての国々の間で(原子力に関する)基礎的な科学情報が交換できるよう支援」し、「各国の軍備から、原子爆弾と大量破壊に適用しうるその他全ての主要兵器を廃絶する」ための、特定の提案を行うことが任務とされた。1957年、「全世界における原子力の平和利用、健康と繁栄に貢献することを加速かつ拡大する」ことを目的として国際原子力機関(IAEA)が設置された。

その後、米ソ両大国間の根深い対立により、核兵器の削減は進展を遂げられなかったが、大量破壊兵器の残りの2つのカテゴリーにあたる、生物兵器化学兵器については1972年と1997年にそれぞれ違法化された。

冷戦期の数十年、米ソ両大国間では不信と敵意の雰囲気が満ち満ちていたが、国際社会は人が住んでいない領域への核兵器の拡散予防を目的としたいくつかの多国間取極めの交渉・採択に成功した。例えば、南極、宇宙、月やその他の天体、海底といった領域がそれに該当する。また、ラテンアメリカ・カリブ海地域は1967年、人が住んでいる地域としては初めて核兵器禁止ゾーンとなり、のちにそれが他の大陸でも模倣されて現在では核兵器禁止ゾーンは114カ国を包摂するに至っている。

軍備管理分野における主要な多国間協定である核不拡散条約(NPT)は、1970年に発効した。NPTは、軍縮に向けて努力することを誓約した5つの核兵器保有国の存在を認めている。NPTは、4カ国を除く全ての国々に受け入れられた。非核兵器国のすべてが、IAEAによる検証手続きに従った法的拘束力ある公約を通じて、核兵器保有という軍事オプションを放棄したのである。

包括的核実験禁止条約(CTBT)は1996年に締結され未発効であるが、あらゆる環境下における核爆発を禁じており、核不拡散体制を強化し新型の核兵器開発を抑制する、(事実上核実験はできないという)タブーを作り上げている。ほとんどの核保有国が、核戦力の規模と核兵器の使用条件に関して、自発的な公約をしている。現在世界に存在する核兵器の合計は、約1万5000発にまで減少してきたと言われる。

これらの、あるいはその他の望ましい動きによって、核軍縮に向けた進展がさらに促進されると期待する向きもあるかもしれない。しかし、現状は不確実な未来を指し示している。

20世紀末以来、国際的な緊張は高まり、米ロ両大国間の緊張を緩和しその核戦力を制限する合意は危機に立たされている。1972年の対弾道迎撃ミサイル(ABM)制限条約は効力をすでに失い、欧州の安全保障のカギを握ると考えられてきた1987年の中距離核戦力(INF)全廃条約はいまや、風前の灯だ。同じように、2011年の新START(新戦略兵器削減条約)も失効期限の2021年から延長されないかもしれない。

1970年にNPTが発効してから50年経つが、核兵器国はNPT第6条に明記された「核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、誠実に交渉を行う」との約束を、納得のいく形で果たしていない。まさにNPTそのものの信頼性が危機に直面しているのである。

この数十年間で採択されてきたどの取り決めも、それら取り決めの前文に明記された理想に反して、法的拘束力があり、時限を区切った核兵器廃絶の不可逆的な義務について定めていない。

しかし、核兵器の存在によって全ての国の安全保障に及んでいる脅威を削減するために、既存の多国間機関による行動が緊急に必要とされている。ジュネーブ軍縮会議は1996年以来、停滞したままだ。実際、核軍縮の効果的な措置は、同会議の実質的な論議のテーマとなったことはない。

進展の見通しが短期的にあったところで安心できるわけではない。あらたな問題が発生しているからだ。核兵器国は現在、核戦力の「近代化」に勤しみ、サイバー攻撃から超音波運搬手段、低出力の「使いやすい」核兵器から人工知能(AI)にいたる様々な技術を戦争に適用すべく努力している。軍事的な優勢を求める競争は、世界を絶滅の崖っぷちに追いやっている。

排他的な地位を強迫観念的に追い求める核保有国は、2017年に122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約の交渉と参加に激しく反発してきた。核保有国やその同盟国の政府とメディアは通常、同条約を無視するか、貶めている。彼らによれば、核兵器禁止条約はNPTが確立してきた体制にとってマイナスだというのである。

ニューヨークの国連本部で4月29日から5月10日まで開催される2020年NPT運用検討会議第3回準備委員会会合の帰趨にとって、これはよくない傾向だ。2015年の前回会議では、核兵器国と非核兵器国との間の長年にわたる意見に不一致のために、合意に達することができなかった。

UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariat Building/ Katsuhiro Asagiri

2回連続で会議が失敗に終わるのではないかとの懸念が、核不拡散体制の要とみられてきたこの重要な条約の加盟国の間で広がっている。2020年NPT運用検討会議の成功は、すべての国にとっての永続的な平和と安全を確実にする国際的な核の秩序に関する意見の一致を促進する能力にかかっている。

核軍縮の効果的な措置に関する建設的な討論と合意の必要条件はよく知られている。すなわち、確立された規範と国際法の原則を遵守し、諸国家間で一般的に認められた行動規範を尊重し、過去に受け入れた約束に誠実に従うことである。

核兵器国は、核軍縮を進展させる第一義的な責任を負っている。これが諸国全体の利益にかなうことだ。例外主義は、相互依存を深めている今日の世界には見合わず、安全を強化することはないだろう。(原文へ) |スペイン語

※セルジオ・ドゥアルテ氏は、1995年にノーベル平和賞を受賞した「科学と世界問題に関するパグウォッシュ会議」の議長であり、重要ポストを歴任したブラジルの元大使である。2005年には第7回核不拡散条約(NPT)運用検討会議の議長、2007~12年には国連軍縮担当上級代表(国連軍縮局長、UNODA)を務めた。

INPS Japan

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