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|視点|世界市民への長い旅(カルロス・アルベルト・トーレスUCLA教授、パウロ・フレイレ研究所所長)

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ヴォルテールは私の観点に近いことを言ったように思います。彼は、『自分が信ずることのために死ぬ用意はあるが、自分が信ずることのために人を殺す用意はない。』と語った。原理主義を見てみれば、それはひとつの問題だし、社会において個人の利益追求のために引き起こされる暴力を見てみれば、それもひとつの問題です。世界がバラバラに分断され、誰かが誰かを支配しようとすれば、また紛争が生まれ、戦争に巻き込まれるのです」―カルロス・アルベルト・トーレス教授

【名古屋IDN=モンズルル・ハク】

世界市民教育とりわけ金融投機に対する課税を資金源としたそれは、健全な愛国主義を促進するだけではなく、平和の大義を育み、国家主義や原理主義的な傾向に対抗するものとなる、とカルロス・アルベルト・トーレス教授が独占インタビューで語った。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教育・情報学大学院の教授(社会科学・比較教育学)であるトーレス氏は、世界市民に関連した問題の専門家である。この10年間トーレス教授は、グローバルな視点から、人権や多元主義、市民権といった問題に取り組むとともに、世界市民教育に関する理論的観点を定義づけるうえで重要な貢献を果たしてきた。1991年、同僚とともにパウロ・フレイレ研究所を立ち上げ、現在その所長を務めている。

11月に名古屋で開催された「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」に参加したトーレス教授は、IDNインデプスニュースに対して世界市民の概念-その次元、可能性、そして理念を現実に変換する際の困難などについて語ってくれた。以下はインタビューの抜粋である。

IDN:近い将来における世界市民の実現について、どの程度楽観視しておられますか?

トーレス:もし楽観視していなければ、このテーマについて話していないでしょう。かつてパウロ・フレイレ氏(ラテンアメリカにおける民衆教育という伝統を切り開いた先駆者とされるブラジル人教育者で、教育を通じた社会変革の象徴とされる人物)は、よく「自分たちの夢の実現に取組まなくてはなりません。夢には、今日の夢もあれば明日の夢もあります。」と言ったものです。私の目標は、私たちが今日の夢を持てるようにすることです。

世界市民という考え方は、概念としていくつかの異なる側面を持っています。一つは、批判的な見方を明確に示すということが挙げられます。次に、新自由主義というグローバルモデルの概念に替わるものという位置づけです。新自由主義は実際、教育に有害な影響を及ぼしてきたと考えています。その影響はとりわけ、「ハイステイクス・テスト(大学入試や資格試験など合否の結果が受験者に極めて大きな影響を与えるような類のテスト)」や「成績責任モデル(学業成績に応じて学校への予算配分が決定される方式)」の領域に表れています。通常それらは、実際に起こっていることと、世界市民教育とどう繋がっているかを把握するというよりも、むしろ権力を操作する手法と結びついているのです。

とはいえ、この(世界市民と言う)概念が成功を収めるには、明確な概念化が必要です。第二に、法的な拘束とでも言うべきものが必要です。つまり国際法の中に、この概念において提案されている定義を擁護する法的要素がなければなりません。第三に、私たちの活動の根拠を明確に示し定義するような原則、つまりこの場合、地球を守り、人々を守り、平和を守るような原則が必要です。

非物質的な価値として平和という言葉を使うとき、私は本気で言っているのです。たとえ個人でも、何らかの平和が達成されるとき、私たちは前進できるからです。あなたが信仰心のある方かどうかは存じ上げませんが、「精神性」に関する私自身の考え方は、内なる平和を達成することと関係しています。そして、内なる平和を達成することで、「成就」の感覚を達成することができるのです。さもなければ、それを手にすることはできません。それは、現実から逃げていることを意味しません。それは、現実に取り組み、自らの闘争を推し進めるためにこの新たに見つけた平和を使おうということを意味するのです。それはパラドックスのように見えるかもしれませんが、そうではありません。平和は社会の非物質的な価値であり、それをグローバルな運動として推進していく必要がある、とでもいいましょうか。

これらを手に入れることができれば、あとは何らかの革命を起こす、ということになるのです。これらの革命はいくつかのレベルにおいて使うことができます。一つ例を挙げましょう。なぜ世界にはこんなに不平等が広がっているのか、ということについてです。それは、平和が必要であるこということを言わずに、システムを巧みに利用して利益を得、蓄財している人達がいるからです。それではこの問題について考えてみましょう。トービン税という考え方があり、欧州では支持されています。トービン税は投機と通貨取引に対して懸けられる極めて低率の課税で、もし誰かが投機行為を行ったら、各取引毎に税を支払わなくてはならない、というものです。課税される額は極めて少額ですが、金融資本主義の循環速度を考えると、全体の額はとても大きなものになり得ます。では、その莫大な税収益をどう使えばいいでしょう? 私なら教育に使います。それは何故でしょう? それは、世界市民を育む教育が必要だからです。これでおわかりのように、これは革命の一つの例であり、他にも例を挙げることができます。

それは、容易かつ即時に受け容れられる概念になるでしょうか? もちろんそんなことはありません。だから、この概念の重要性やその含意、それが日常生活においてどう適用可能かを人々に理解させるような知的説得のモデルを作らなくてはならないのです。最後に、最大のジレンマの一つは、世界市民というこの概念が国民としての市民権の助けとなる方法を見出すことができるか、というところにあります。その答えはイエスだと思います。この点について、私は現在同僚らと取り組んでいるところです。

IDN:この考え方(=世界市民)はナショナリズムとぶつかることになりませんか?


トーレス:
ある意味ではぶつかることはありません。なぜなら私たちは地域とグローバルの両方のレベルを見ているからです。もしグローバルなものが地域で作動し、地域的なものがグローバルなレベルで作動するならば、両方がぶつかることはありません。しかし、世界市民は民族的ナショナリズムとはぶつかるでしょう。なぜなら、それは特定の民族集団だけを特権化するようなナショナリズムのモデルだからです。また、誰も収奪すべきではない環境資源を収奪するようなナショナリズムのモデルともぶつかるでしょう。公害が容認されるようなナショナリズムとはぶつかるでしょうし、こうしたナショナリズムは概して一方的で、.環境をまったく顧慮することなく資本蓄積するモデルを手放したくない経済的エリートによってコントロールされたものだと言えるでしょう。

では、愛国主義の点で「世界市民」はナショナリズムとぶつかることになるでしょうか。答えはノーです。どんな種類の愛国主義について私たちは語っているのでしょうか。ここに、政治的・哲学的観点からのこの言説のジレンマの一つがあります。では、これはどうでしょう。パトリア(patria)は、母国(motherland)を意味します。愛国主義とは母国に対する愛です。ですから、母国を愛するということは、他者の母国に対する攻撃を促進することに本質的に熱心になるように人びとを仕向ける可能性があります。したがって、世界市民と平和を推進するという考え方は、全てではないにせよ、一部のナショナリズムのモデルにおける非合理的な傾向を抑えるということなのです。第二の要素は、ナショナリズムとは常に、建国の文書(founding document)、つまり成文憲法の源と結びついているということです。米国憲法は、数多くの他国の憲法に刺激を与えた最も成功した憲法でした。では、米国において愛国主義を定義するものは何でしょうか? 唯一の解答は、自由の理念です。では、どのようにしてその理念に感情的に結びつくのでしょうか?

IDN:アメリカ的な生活様式を通じてですか?

トーレス:しかし、どのようにして自由の理念を定義するのでしょうか? より限定的に、「わかった、このアメリカ的な考えはひとつの例外に過ぎない」と言いたいことでしょう。しかし、自由の理念と結びついた愛国主義の概念を説明するある種の物語を作る必要があると思います。また別の例が欧州諸国の一部で熱心に議論されていて、米国にも広がりを見せています。それは「憲法愛国主義」と呼ばれるもので、憲法をよく観察し、憲法の原則によって生きていこうとする試みです。しかし、ナショナリズムが憲法を抑え込んだらどうなるでしょうか?あるいは、ナショナリズムが、ある一国の内部で基本的な社会化(=社会の規範や価値観を学び、社会における自らの位置を確立すること:IPSJ)にとってきわめて有害となるような愛国主義の政治的な形をとるようになったらどうなるでしょうか? そうしたすべての想定への答えは、私たちには「世界市民」が必要だということです。それは、媒介項として機能するのです。

IDN:この概念は現実にどう機能するのでしょうか?

トーレス:ある種のグローバルな法が必要だと申し上げました。私たちがなさねばならないのは人々を説得することであり、このこと(=世界市民)に関心を持つ集団を作り上げる必要があります。一方で、世界には既に多くの世界市民が存在するのです。

IDN:しかし、他方では、原理主義やナショナリズムの傾向が存在しますね。

トーレス:こうした傾向に向き合い、こうした傾向に平和的に対峙し、説得を試みなくてはなりません。しかし、すでにこの世には世界市民権が存在するのです。環境闘争に関連がある全ての人々のことを考えてみてください。彼らは世界市民です。彼らは私やあなたとは関係のない利益を追求しているのでしょうか。そんなことはありませんね。彼らは、地球の独立した利益を追求しているのです。他にも例えば、飛行機で暮らしているような、今日は大阪で取引をし、明日はマレーシアで別の取引をし、またロンドンに戻ってくるようなビジネスマンがいます。3週間も経たないうちに5つの異なる大陸を股にかけてこうした取引を結ぶのです。彼らもまた世界市民です。彼らには、ビジネス倫理ではなく世界市民倫理に従ってほしいのです。それは長い道のりですが、どこかから始めなくてはなりません。私が最初にこのことに取り組み始めたのは2002年のことでした。学者はこの間、このことに関する矛盾やら、ありとあらゆることを書いてきました。今こそ、いかにして私たちが世界を変えるかに目を向け始めてほしいのです。

私は、「批判理論」という観点から出発しました。批判理論においては、世界を再現するために教えたり研究したりするのではありません。世界を変えるために、教え、研究するのです。これは根本的な原則です。そして、一部でもそれを達成し、もっともっと平和のうちに暮し、地球をもっともっとよく守ることができるならば、私が「グローバル・コモンズ」と呼ぶもの、すなわち、地球や人々、平和を達成することになるのです。

IDN:世界市民を理解するうえで直面する困難のひとつは、軍隊の存在ではないでしょうか。軍隊は通常、仮想敵から「母国」を守るという狭い国家的な観点から訓練を受けています。脱軍事化を行わずして真の世界市民になることが可能でしょうか?

トーレス:軍人などもう必要ないと言える日がいつか来るといいですけど。そう言えたらいいですよね。でも、そんなことは起こらないでしょう。心理分析的に言えば、個人は圧力の上に成り立っています。それを修正したり、コントロールしたり、補ったりすることはできます。しかし、それは私たちの中にあるのです。圧力をいくらか弱めることはできるかもしれませんが、それは私たちの中にあるのです。ひとつは性的刺激であり、それは良いもの、悪いものから暴力にいたるまで数多くのものと関係していますが、同時に、良いもの、悪いものからも関連して起きるのです。なぜなら、もし誰かが突然にあなたやあなたの妻、娘を襲ってきて、あなたが誰かを守るために暴力で対抗したならば、対抗するあなたの能力は明らかに前向きなものとみなされるでしょう。しかし、もしあなたが、挑発も受けておらず特に理由もないのに誰かを襲ったりしたら、それは良いことだとはみなされないでしょう。しかし、あなたも私も、そして誰もが、リビドーと暴力という二つの部分を持っているのです。このために、暴力というオプションを完全になくしてしまうことは無理なのです。

革命は、自分たちが否定されているような状況を終わらせると民衆が決意したときに起こります。革命は暴力的なこともあれば非暴力的なこともあるでしょうが、変化は起こります。私の見方は、市民権について考えるときに直面する真の問題は、あなたは自分の市民権のために死ぬ用意があるか、ということです。あなたは、自分の「母国」への帰属のために死ぬ用意があるか? もしあなたがそうした仕事、たとえば国防軍にでも属していないならば、きっと「イエス」と答えることでしょうね。でももし、徴兵で軍に入れられ、自発的な入隊ではないとしたら、「ノー」ということになるかもしれません。しかし、むしろ、そこまで大胆にはならないでしょう。

ヴォルテールは私の観点に近いことを言ったように思います。彼は、「自分が信ずることのために死ぬ用意はあるが、自分が信ずることのために人を殺す用意はない。」と言いました。原理主義を見てみれば、それはひとつの問題だし、社会において個人の利益追求のために引き起こされる暴力を見てみれば、それもひとつの問題です。世界がバラバラに分断され、誰かが誰かを支配しようとすれば、また紛争が生まれ、戦争に巻き込まれるのです。

しかし、欧州で起こったことを考えてみてください。歴史的に思考してみてください。信じられない数の戦争が、欧州の国民国家の構成と関係があるのです。現状を見てみてください。何の保証もありません。クリミア共和国(今年ウクライナから事実上分離し、ロシア連邦に編入された国家)があり、ロシアがあります。何の保証もないのです。しかし、それでもここまでやってきたのです。(原文へ

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|視点|なぜ核軍縮が依然としてもっとも重要な問題なのか

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フィンランドの環境活動家兼科学者で、小説が数か国語に翻訳されているTähtivaeltaja賞受賞作家のリスト・イソマキ氏はこのコラムで、世界中に現存する核施設に備わっている、実際には想像を超える破壊能力について述べ、核技術を元のパンドラの箱に戻すという不可能に挑戦すべきだと論じている。

【ヘルシンキIPS=リスト・イソマキ】

冷戦たけなわの頃、世界全体の核兵器の爆発能力は、広島型爆弾の300万発分にも相当した。米国だけでも広島型の160万発分の破壊能力を保有していた。

ICAN
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それ以来、こうした兵器の多くが解体され、数千発の核爆弾に含まれていたウランは原子炉用燃料に転換された。

将来の歴史家たちは、20世紀の諸政府が数兆ドルにのぼる莫大な費用を投じてガス遠心分離器で天然ウランを兵器級ウランにまでいかにして濃縮し、そしてその兵器級ウランを希釈して再びいかにして天然ウランに戻したかについて、あまり積極的にコメントしようとはしないだろう。

このような傾向から、多くの人びとや諸政府は、核軍縮はもはや重要な問題ではなくなったと考えるようになってしまった。

確かに核戦争が勃発する可能性は、1962年のキューバミサイル危機の時や、冷戦期のその他の身の毛もよだつような危険な瞬間よりも、現在では相当に低くなっている。

にもかかわらず、核戦争の危険が永遠に過ぎ去ったと考えるのは重大な誤りである。

私たちはまだ悪の魔人(ジニー=核兵器)を瓶の中に戻すことに成功したわけではない。米国とロシアが依然として保有している核戦力は、広島型原爆8万発相当の威力を有しているとみられている。これは、冷戦期の軍拡競争の最中と比べると約40分の1に過ぎないが、それでも世界を破壊するのに十分すぎる量である。

世界の核戦備蓄量は以前より小さくなっているが、(破棄されずに)残っている核兵器は以前よりも命中精度が高く、総じて小型化されている。これによって、いつの日か核兵器が使用されるハードルが下がることになるかもしれない。

さらに、あらゆる種類の核兵器の破壊能力を私たちはひどく過小評価してきたようだ。

広島でも長崎でも、核爆弾は大規模な火災を引き起こし、その半径内に入った人間を全て焼き殺した。しかし、米軍の科学者は、火災による影響は予測不能とみなし、50年間にわたって爆風の影響ばかりを分析してきた。

これは、スタンフォード大学国際安全保障協力センターのリン・エデン博士が『全世界が火の手に(Whole World on Fire):組織、知識、核兵器による破壊』という重要な書物の中で明晰に述べているところだ。

Whole World on Fire: Organizations, Knowledge, and Nuclear Weapons Devastation
Whole World on Fire: Organizations, Knowledge, and Nuclear Weapons Devastation

2002年、パキスタンとインドとの間に核戦争が勃発する可能性があると危惧した米国は、両国に対して、南アジアの核戦争で1200万人が死亡する可能性があると警告した。

しかし核爆発の爆風のみを考慮に入れて出されたこの「1200万」という数字は、ばかげたほど低いものだ。近年の研究によれば、核爆発によって引き起こされる火災の半径は、爆風の影響を受ける半径よりも2~5倍長いとされている。従って実際には、爆風の影響を受ける地帯よりも火災によって破壊される地帯は4~25倍広いということになる。

第二次世界大戦時の広島や長崎ハンブルクドレスデンでの大火災は、極めて強力な上昇気流と、火の周縁から中心に向けたハリケーン並みの速度の強風(火災旋風)を生み出した。

近代都市における核爆発は、都市がアスファルトやプラスチック、油、ガソリン、気体の形で大量の炭化水素を含むため、より激しい大火災を引き起こす。

ある研究によれば、ニューヨークのマンハッタンで小さな広島型の核爆発があった場合に起きる火災でも、毎時600キロメートルという、火に向かって吹く強力なスーパーハリケーン並みの風が発生する。ほとんどの高層ビルは、毎時230~250キロの風に耐えられるようにしか設計されていない。

ICAN
ICAN

最悪のシナリオは、地上から遠く離れた高高度で核爆発が起きるケースである。米国議会の設置したいわゆる「電磁パルス(EMP)攻撃による米国への脅威評価委員会」(EMP委員会)によれば、米本土の上空160キロメートルでメガトン級の核兵器を爆発させた場合、1年以内に米人口の7~9割が死亡する可能性があるという。

核爆発は常にきわめて強力な電磁パルス、より正確に言うと3種の異なった電磁パルスを発生させる。これらは、見通せる範囲内にあるすべての防護されていない電子機器を透過する。160キロメートルの高度からだと、米本土のあらゆるものが見通せる範囲にある。あらゆるものが電気で作動しており、実際には電磁パルスから防護されているものなどない。

The Heritage Foundation
The Heritage Foundation

言い換えれば、一発の核兵器が、とりわけ、医療や水供給、下水処理施設、農業生産、医薬品・ワクチン・肥料を製造する工場・研究所を破壊しつくす可能性があるということである。

欧州も同様に(核爆発が引き起こす電磁パルスに)脆弱であり、インドや中国のようなその他多くの国々も、旧来からの工業先進国が既にそうであるように「脆弱な国」になるべく専心している最中である。

EMP委員会によれば、電子機器を電磁パルスから防護するために強化してもその価格は3~10%上昇するだけであり、電器製品のうち主要な10%を防護するだけで、組織化された社会の主要機能を保護するのに十分だという。しかし、実際には、どの国においても、このような対策はとられていない。

私たちは核軍縮のことを忘れるわけにはいかない。なぜなら、それは依然として最も重要なことであるかもしれないからだ。

核戦力をさらに削減し、原子力発電へのよりよい代替案を生み出すために、比較的平穏な時代をできるだけ効率的に利用するのがおそらく賢明というものだろう。さもなくば、没落する大国と勃興する大国との間での緊張がいつか再び新たな核軍拡競争を生み、壊滅的な結果を生むことになるかもしれない。

原子炉の拡散もリスクを増している。原子炉を建設する能力を獲得した国はいずれも、核兵器を製造する能力を獲得したことになる。

原子炉は元々、核兵器のための原料をうまく作るために開発されたものだったが、あらゆる原子炉は、毎秒ごとにプルトニウムを製造している。

核爆弾に使用される兵器級ウランは、原子力発電所用の燃料を製造するのと同じガス遠心分離器によって濃縮されている。

第四世代原子炉、すなわち増殖炉を私たちが製造し始めたら、危険はより増すことになるだろう。増殖炉の場合、原子炉の一部として、15%、20%、あるいは60%にまで濃縮された容易に核分裂する放射性同位体を含んだ核燃料を必要とする。この種の燃料は、さらに濃縮することなしに初歩的な核兵器製造に使用しうる。

いったん技術が開発されてしまったら、「パンドラの箱」の中にそれ(=核兵器)を戻すことはできないとよく言われる。しかし、核技術に関しては、それをやってみなければならないのだ。人類の長期にわたる生存は、この選択にかかっているのかもしれない。(原文へ

翻訳=IPS Japan

 translated by Katsuhiro Asagiri, Japanese editor of IPS and its partner (IDN) articles, providing additional information of relevance for Japanese readers.

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【国連IPS=ロジャー・ハミルトン・マーチン】

政治、経済、紛争、文化が益々相互に関連を持つようになるなか、個人のアイデンティティーも国境を超えるようになるだろうか?

ニューヨーク市の国連スリランカ政府代表部で11月18日に開催された「地球市民に関するIPSフォーラム」において、パリサ・コホナ国連大使は「地球市民」の捉えどころのない特性について言及した。

Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten
Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten

「地球市民の概念は、その正確な定義は具体化したことがないものの、かなり長きにわたって議論の対象になってきました。」とコホナ大使は語った。

この考え方は英国のトニー・ブレア首相が1999年にシカゴで行った演説における次のような発言が良く知られている。「私たちは今や好むと好まざるとにかかわらず皆が国際人なのです。私たちはもし成功したいならば世界市場に参加することを拒否できません。また私たちが革新を望むなら諸外国における新たな政治思想を無視できません。」とブレア首相は語った。

コホナ大使は、「ウェストファリア体制から生み出された帝国が崩壊した後も、国民国家の発展が、真のグローバル体制の発展を促すことはありませんでした。」と指摘したうえで、世界市民の原則を掲げる機関として国連の重要性を強調した。

「国連の設立によって、人類は共通の問題にグローバルな視点から共に取り組むために努力する公開討論の場(フォーラム)を得ました。国連は全ての国民国家が利用できる最も効果的なフォーラムなのです。国連及びその関連諸機関は、今日直面している多くの諸課題に加盟国が協力して臨んでいくことの有用性に共感を生むことに成功しています。」

このフォーラムは、1999年の国連総会決議「平和の文化に関する国連宣言及び行動計画」の採択に際して中心的な役割を果たした元バングラデシュ政府国連常駐代表のアンワルル・K・チョウドリ大使が議長を務めた。

Ambassador Anwarul Chowdhury/ Hiro Sakurai, SGI
Ambassador Anwarul Chowdhury/ Hiro Sakurai, SGI

「世界市民についてお話しする際、ある考えが思い浮かびます。まず最初に理解すべきことは精神性(スピリチュアリティー)、つまり、私たちの価値観や人間としてのコミットメントが何なのかということです。そして2つ目は、人類は一つであるとする信念です。私たちは自分自身やコミュニティーの狭い境界から飛び出さなければなりません。」とチョウドリ大使は語った。

様々な困難はあるものの、パネリストの多くは、世界市民を推進する動きは文明の衝突や資源の減少、異文化に対する不信が広がっているとされる逆風の中にあっても、前進している、という点で見解を同じくした。

IPS理事長のウォルター・リッヒェム大使は、「ウィーン会議で多国間外交が始まってからおよそ200年が経過し、私たちは、多国間外交が次第にグローバルガバナンスに取って代わられているのを感じています。」と指摘した。

リッヒェム大使は、「世界市民は『保護する責任(国民の保護に関して、最終的な責任の所在を国民国家ではなく国際社会に置く原理)』等の規範を支持する思想体系の文脈から理解する必要があります。」と語った。

Global Education First Initiative
Global Education First Initiative

またリッヒェム大使は、「世界市民は、人権尊重を人生の基調とする市民と理解すべきです。」と語った。

潘基文国連事務総長は、2年前に立ち上げた運動『グローバル・エデュケーション・ファースト』の中で、『地球市民の育成』を3つ目の柱に掲げており、生徒が自国で試験に合格したり就職したりする方策を単に学ぶのではなく、文化、国、地域を越えて尊敬や責任の重要さを理解する点を重要視している。

「世界市民とは、誤解や、純然たる事実を無視したり、ひどい場合は操作したりする行為との戦いです。」と国連特派員協会のエロール・アブドヴィッチ副会長は語った。

国連「文明の同盟」(UNAOC)のナシル・アブドゥルアジズ・アルナセル上級代表のニハール・サード広報官は、「世界市民教育には、持続可能な未来とより良い世界を形作る力があります。」と指摘したうえで、教育政策は、平和や相互尊重、そして環境に配慮する資質を育むことに焦点を置くべきです。単に読み書きと計算ができる個人を育成するだけの教育では、十分とは言えません。教育は人生に共通の価値観をもたらすべきですし、そうしなければなりません。」と語った。

Nihal Saad: Katsuhiro Asagiri (IPS Japan)
Nihal Saad: Katsuhiro Asagiri (IPS Japan)

ジョフィ氏は、インドビハール州のパトナーで、「スーパー30」という教育プログラムを実施していることで著名な数学者のアナンド・クマール氏について語った。このプログラムは、恵まれない家庭出身の若者たち30名を集め、技術大学として世界的に著名なインド工科大学(IIT)への全員合格を目指して一年間に亘って教材・宿泊費を負担して猛特訓するもので、大成功を収めている。

ジョフィ氏は、「このプログラムは世界市民教育の素晴らしいモデルになります。」と指摘したうえで、「教師は、『目の前の生徒達とともに、ここから直ちに始めます。』と言うべきでしょう。」と指摘した。

国連広報局アウトリーチ課のラム・ダモダラン氏もまた、教師の声が国連に反映されるよう、より多くの機会が与えられることが重要だと語った。(原文へ

Monte Joffee of SGI USA(left): Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
Monte Joffee of SGI USA(left): Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

アメリカSGIのモンテ・ジョフィ氏もサード女史の意見に賛同し、「米国の教育カリキュラムは、生徒達が『他者に』共感できる資質を育めるよう、グローバルな分野の話題をもっと多く取り入れる必要があります。」と指摘するとともに、「しかしそれが今日の教育危機の核心部分に触れるものではありません。米国の教育についてのみ言えば、教育基金の不平等や、あまりにも多くのコミュニティーにおいて絶望や失意の感情が広がっているというのが厳しい現実であり、世界市民に関する教育を、従来のカリキュラムに追加するだけでは、解決策にはなりません。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ヨハネスブルクIPS=アンソニー・ジョージ

内部の硬直した組織と、遅々として進まない飽き飽きするようなプロセス、そしてドナーに対する説明責任に縛られている組織化された市民社会は、不公正と不平等を長らえさせているグローバルな仕組みのひとつの層になってしまったのであろうか?

DEEEP
DEEEP

市民社会組織(CSOs)は、市民を引き込み、代表し、動員する広範な運動を、いかにして作り出せるのか、そして、漸進的な変化というところで妥協するのではなく、いかにして根本的な体制転換を起こせるのだろうか?

このような内省が、11月19日から21日にかけて南アフリカ共和国のヨハネスブルク市で開催された国際会議「世界市民運動に向けて―草の根から学ぶ」に世界各地から集まったCSOsによる交流プロセスの中心にあったものである。

CSOsのキャパシティビルディングを行い、世界市民および世界市民教育に関するアドボカシー活動を推進している欧州市民社会の統括組織「CONCORD」内のプロジェクトである「グローバル正義のための市民のエンパワーメント(DEEEP)」が主催したこの会議には、200人の参加者が集まった。

CIVICUS

主要な協力団体は、CIVICUS(世界最大かつ最も多様な世界市民社会ネットワークのひとつである「市民参加のための世界同盟」)とGCAP(グローバルな貧困根絶キャンペーン)である。

3日間の会議は、CIVICUSが主催した「2014国際市民社会ウィーク」(11月24日まで)に合わせて行われた会議や活動の一環である。

the “Toward a World Citizens Movement: Learning from the Grassroots” conference.

世界市民は、国連システムにおいて認知を得つつある概念であり、このことは、フィンランドの「NGDOプラットフォーム」事務局長で世界市民教育の主唱者である、リリ・ラッパライネン氏にとっても嬉しい話だ。

ラッパライネン氏は、「この概念の中心にあるのは民衆のエンパワーメントです。」と指摘したうえで、「民衆が世界レベルでインターリンケージ(相互連携)について理解することが重要です。つまり、民衆一人一人がシステムの一部であり、変化をもたらし生活をより良いものにするために、自らの権利を基盤としてシステム全体に影響を及ぼす行動を起こせるということを理解することが重要なのです。そうすることで、民衆の名の下に他の誰かに物事を決められてしまう状態をなくすことが可能となるのです。」と語った。

Rilli Lappalainen

そうした変化に繋がるような効果的な市民社会運動の構築をめぐる内省のプロセスは、1年前に同地で開催された第1回国際会議「ヨハネスブルク会議:世界市民運動を構築するで始まっていた。

そこでの議論は、自重によっていつまでも無知という望ましくない期間が続かないように、相互理解と共有、討議のプロセスに向けた新しい視点と活動方法の必要性に焦点を当てた。

今年の会議の創造的で相互作用的な形式にも明確に表れているたように、この洞察と関与の新たな精神は、「今は緊急事態です。-(だからこそ)ここはじっくりと冷静に考えよう」という、ナイジェリアの思想家バヨ・アコモラフェ氏による警句に要約されている。

アコモラフェ氏による基調講演は、プロセスにおける変化の必要性を追求したものだった。「私たちは、変化の理論を変化させなくてはならないことに気付いています。ここはじっくりと冷静に考える時です。なぜなら、暗闇の迷宮の中で疾走したところで出口を見つけることには繋がらないからです。」とアコモラフェ氏は語った。

「今こそ、じっくりと冷静に考えなくてはなりません。なぜなら、もし私たちが遠くまで共に歩んでいくならば、お互いに(同じコミュニティに存在することでもたらされる曖昧さの中に)安らぎを見出さねばならないからです。私たちはじっくりと冷静に考えなくてはなりません。なぜならそれが、私たちに対して緊急に開かれようとしている新たな可能性の輪郭を見出す唯一の方法だからです。」

2日目のパネル「世界観に挑戦する」では、相互の学びと討議の場が参加者に提供された。

ローズ大学(南ア)環境学習研究センターのロブ・オドグノー教授は、「ウブンツ」の思想について検討を加え、ブラジルの活動家で地域オーガナイザーのエドゥアルド・ロンバウアー氏は、水平的な組織活動(horizontal organising)について語った。また、仏教団体「創価学会インタナショナル」(SGI)のニューヨーク国連連絡所の桜井浩行所長は、同会の中心的な思想である「創価」について語った。

DEEEP

パネル討論にブータンから参加予定だった女性活動家がビザが発給されず参加できなかった。CSOsが活動する空間が世界でいかに狭められているかについてのCIVICUSのダニー・スリシュカンダラジャー代表による検討はまさにこうした状況に注目するものであった。

パネル討論に女性が参加しなかったことは問題だと指摘された。ある男性参加者は、「女性の声なしに、きわめて家父長制的なグローバルシステムを効果的に問題化することが、いったいどうやって可能なのか。」と問いかけた。この意見を受けて、聴衆の中から一人の女性が自発的にパネル討論に参加することとなった。

「知らないことを受け入れる」という精神の下、パネリストらは、民衆が問うべき問いを投げ掛けるよう求められた。その結果、「私たちは、自身の力をどう理解し、それをどう手に入れるか? 私たちは、民衆の関与をどう促し、よりシステム的な思考に導くためにいかにして特定の利益を打ち破ることができるのか? 複数の世界観がいかにして出会い、道徳的な指針を共有することができるのか?」といった問いが会場に投げ掛けられた。

オドノグー氏は、「ウブンツの哲学は『人は他者を通じて人になる』という言明によって定義できます。」と語った。

Hiro Sakurai/ DEEEP
Hiro Sakurai/ DEEEP

こうした観点が現在の諸問題に対して持つ含意は、社会の周縁で人々に影響を与えている問題への解決策は、外部から事前に特定できるものではなく、連帯と、闘争のプロセスを通じて見出さなければならない、ということだ。つまり、答えを持ってくるのではなく、他者との繋がりの中で問題を共有することで、はじめて解決策が社会の周縁から生まれ出てくるのである。

「創価」哲学の中心的な観点は、どのような状況下であれ、建設的な変化を生み出すために個々人が価値を作り出す内なる能力を持っているということである。桜井氏は、「数多くの人々がそれぞれの置かれている環境下でこうした理念の妥当性を証明しており、これこそが創価運動の本質です。」と指摘した。

その日の夜に開かれたCIVICUSのレセプションで故ネルソン・マンデラ氏の妻グラカ・マシェル氏が行ったスピーチでも、同じような点が指摘された。貧困や不平等が広がり、世界の指導者らが民衆の声にますます耳を傾けなくなったと思えるこの時代にあって、市民社会が直面している根本的な問題についてマシェル氏は語った。

そしてスピーチの終わりごろに彼女は、「我が友マディバ(マンデラ氏の氏族上の名前)」の晩年と、「物事は今や自分たちの手中にある」というマンデラ氏の一貫したメッセージを穏やかに回想した。

「マンデラ氏が自ら範を示すことによって私たちに教えてくれたことは、各人が自らの内に多大なる善の源を持っている、ということです。私たちがやるべきことは、自分がどこにいようと、どのような方法であろうと、毎日この内なる善を引き出し、世界でそれを実践することです。」とマシェル氏は語った。

マシェル氏の話に耳を傾けていた人々は、故ネルソン・マンデラ氏のメッセージを、明日の世界市民運動を創り出す自分たちの取り組みに対する励ましだと受け取っていた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|世界市民|徐々に展開する新しい概念

【名古屋IDN=モンズルル・ハク】

「世界市民」の概念は、国連が近年積極的に唱えている新しい考え方の一つである。今日の相互に繋がった世界では、私たちが直面している問題には、国境の枠を越えた新しい思考と、国籍に基づくアイデンティティに関する従来の理解を超えるような理念を基礎とした解決策が求められている。

従来の教育システムは、読み書きができ、従って狭い観点の中での生活の現実に対処できる能力を持つ個人を作り出してきた。しかし、より広範な認識を要する要素や現象と相互に繋がった多様な問題に今日の世界が直面する中、国際社会は、21世紀の相互に繋がった諸課題を解決するプロセスでより意味のある貢献ができる市民を必要としている。これが、世界市民の育成という考え方が、持続可能な開発のための教育における優先事項の一つと考えられるようになってきた理由だ。

11月10~12日に名古屋市で開催された「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」は、持続可能性に関連した広範なトピックを議題として取り上げ、世界各地から参画した政策決定者、専門家、利害関係者、市民団体の代表らがこれを討論した。

United Nations Decade of Education for Sustainable Development
United Nations Decade of Education for Sustainable Development

議論の焦点は、今年終了予定の「国連持続可能な開発のための教育の10年」という時間的枠組みを超えて、貧困削減や環境保護、経済成長のための取り組みを強化することに資する教育を促進のための新たな方法を見つけることにおかれた。

また、持続可能な開発という究極の目標を達成する手段の一つとしての世界市民に関する詳細な議論も行われた。世界市民、エコ教育法、持続可能な開発に関するワークショップが会議2日目に開催され、それに新時代におけるESDと世界市民教育に関するパネル討論からなるサイドイベントが続いた。ワークショップもパネル討論も、世界市民に関連した新しい問題、とりわけ、より意味のある方法で世界市民の概念を定義する必要性に関して焦点をあてていた。

世界市民の概念は全く新しいというものではない。それは、かなり長い間にわたって、社会科学の分野で議論されてきたテーマであった。ワークショップの2人の主要な発言者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校パウロ・フレイレ研究所のカルロス・アルベルト・トーレス所長と、欧州評議会南北センターグローバル教育責任者のミゲル・シルバ氏であった。

Carlos Alberto Torres Director of the UCLA Paulo Freire Institute
Carlos Alberto Torres Director of the UCLA Paulo Freire Institute

カルロス・トーレス所長は基調報告で、今日の相互依存の世界において社会的公正を実現するために世界市民教育が必要であることに着目し、世界市民の核をなす3つのグローバル・コモンズ(地球的公共財)について指摘した。

・私たちの地球は私たちの唯一の故郷であり、保護する必要がある。

・グローバル平和という発想は、非物質的な価値を持つ、目には見えない文化財である。

・すべての人間は平等である。

要するに、この地球と平和、民衆は、諸民族間のより良い理解を求めるグローバル・コモンズを構成している、ということである。トーレス氏はまた、「しかしながら、経済的市民権は最低限の必要が満たされなければ達成できないことから、世界市民は、私たちが社会的公正をもたらす公共圏を拡大しない限り、達成できないだろう。」と指摘した。従って、曖昧さを払拭することが、(シビック・ミニマムとしての寛容のような)公益と共通の美徳により焦点をあてる世界市民教育のための理論的枠組みの必須の前提条件となる。

ユートピアは「少なくとも歩く助けにはなる」

この崇高な目標が達成できるかどうかは、私たちが夢を現実に変えるために何を成すかにかかっている。一部の人々とって、それはユートピア的に響くかもしれないが、カルロス・トーレス所長は参加者に対して、「ユートピアは私たちが到達しようとする地平線です。私たちが2歩進めば、ユートピアも2歩先に進んでしまう。…しかし、少なくとも歩く助けにはなるのです。」と語りかけた。従って、世界市民に向けた人類の旅は、過去の夢が先送りされてきたという現実にも関わらず、前を目指した旅でもあるのです。」と語った。

他方、ミゲル・シルバ氏は、グローバル教育がいかにして、世界市民を育成することにつながる持続可能な開発のための教育の戦略と能力構築(キャパシティ・ビルディング)を発展させることに資するかについて語った。シルバ氏によれば、公式及び非公式部門の組織や実践者、学習者を対象にしたグローバル教育は、地域の現実と国際社会の現実との相互の繋がりに対処するための総合的な教育の場であり、学習者が世界の問題を理解できるようになり、世界市民がさまざまなグローバルな問題に直面する際に望ましい知識やスキル、価値、態度を習得させることを可能にする。

Miguel Silva North-South Centre of the Council of Europe
Miguel Silva North-South Centre of the Council of Europe

グローバル教育には、学習者が世界の複雑さを理解し、矛盾や不確実性に気づき、複雑な問題に単純な解決策などないと明確に理解するのを支援する効果がある。この点についてシルバ氏は、「それ(=グローバル教育)には、相互理解が達成可能だと学習者に認識させるような、言語の文化的多様性を理解させる働きがあります。」と指摘したうえで、重要な課題の一つは、「複数の視点と、対処しなければならない問題への批判的なアプローチを育むことです。」と語った。

要するに、グローバル教育とは、コミュニケーションにおいて、共感(感情移入)と文化横断的なスキルを含み育むものであると同時に、その方法論は、対話やアクティブ・リスニング、他者の意見や建設的な断言に対する尊重を基礎とした学習環境を作り出すことを可能とするものだ。従ってシルバ氏によれば、グローバル教育は、多元性や非差別、社会的公正といった原則を推進し、共通の(人間的、社会的、経済的)価値観を共有しながら、グローバルな現実を理解し対話と協力を基礎とした持続可能な世界に向けて努力する世界市民の基礎を形づくるものである。

ワークショップの司会は参加者に対して、持続可能な開発に向けた教育の前進に関する実践的な経験を共有し、世界市民の前進に向けた問題点を指摘するよう促した。ワークショップの発表とグループ討論の成果は後にまとめられ、議長は、民主主義的な諸価値が教育理論・実践の指導原理として機能しなければならない、そして、世界市民を育成するための質の高い教育を改善するために必要なことは、思慮に満ちた対話と批判的思考の余地を広げることである、と総括発言の中で語った。

Workshop credit: Monzurul Huq/ IPS Japan
Workshop credit: Monzurul Huq/ IPS Japan

ワークショップに続いて、「新時代における持続可能な開発のための教育と、世界市民教育」に関するパネル討論が行われ、パネリストたちは、世界市民の概念に対するさまざまなアプローチを検討し、「国連の10年」の終わりにあたって持続可能な開発のための教育というコンセプトの実行においてどの程度の成果があったかについて評価した。

名古屋大学の山田肖子氏が司会を務めたパネル討論は、日本と韓国それぞれから2人ずつのパネリストが参加した日韓共同の学術的取り組みであった。パネリストはESDに焦点を当て、「持続可能な開発」と「世界市民」という2つの相互に関連した哲学的概念を結び付けようと試みた。

比較的新しい

広島大学の吉田和浩教授によれば、世界市民と持続可能な教育という概念は長らく議論されてきたが、教育のための世界市民という合体した概念は比較的新しいものだという。また吉田教授は、「世界市民教育と持続可能な開発のための教育を合体するというのは新しい現象であり、それまでなされてきた取り組みを継続する必要と感じています。」と語った。

吉田教授は、持続可能な開発のための教育という文脈の中での世界市民教育の重要性について、「重なっている領域を見つけ、その重なった領域がポスト2015年の教育の将来的な作業に向けて基本的なメッセージのコアとなるようなものにしようとするうえで、当然の選択というものが出てきます。私は、幸いESDが持続可能な開発目標の時代の根本的な基礎になると考えています。ESD概念の再定義がなされねばならないと考えているのはそのためです。私たちはこれまで教育の枠内で、それがどう解釈され自らの地域でどう実践されるべきかというところで動いてきました。しかし今や、それは開発というより広範な文脈においてなされねばなりません。」と語った。

Kazuhiro YOSHIDA.  Director of CICE at Hiroshima University
Kazuhiro YOSHIDA. Director of CICE at Hiroshima University

韓国教育開発院のキム・ジンヒ氏は、持続可能な開発のための教育と世界市民は、グローバル教育という同じ領域の課題に属していると考えている。「社会的公正・公平は、両方の概念に適用できる鍵となる次元です。教育とは、世界市民を伴った持続可能な社会のための基礎であると言えます。従って、世界市民の基本的な考え方とは、より平等で、より平和的で、或いはより持続可能なやり方で私たちは世界を変えうるということです。」キム氏によれば、世界市民教育においてもっとも重要なことは、市民権の理解について従来の概念を転換することである。世界市民は、その概念を世界レベルで適用するような形で、あるいは地球の市民となるような形で教育されねばならない。

比較的最近まで、世界市民の概念は、西側欧米諸国の理念を世界中で適用したものだと一部では考えられていた。そして、新しい独立国家は、世界市民キャンペーンに関与する人々の真意について多少の疑いを持っていた。

しかし、誤解あるいは留保が時間の経過とともに少しずつ薄れ、世界市民教育が途上国においても受入れられ広く実行される余地が広がってきた。

名古屋会議では、76のユネスコ加盟国の閣僚レベルが参加し、150か国から1000人以上の参加者が集った。国の代表を率いる教育大臣の中には、バングラデシュのヌルル・イスラム・ナヒド氏の姿もあった。ナヒド氏は世界市民教育について、「地球温暖化のような国境を超える問題について学校の教科書の中で指摘することに並んで、私たちは『バングラデシュと世界の理解』という名前の新しい教科書を初等教育に導入しました。この新しい教科書は我が国の歴史的、文化的、伝統的側面の文脈の中でグローバルな問題に焦点を当てています。グローバルな労働力の一翼を担うべくバングラデシュ国民の多くが世界に羽ばたいている時代にあって、世界市民を育成することは重要なのです。」とコメントした。

Nurul Islam Nahid, Education Minister of Bangladesh
Nurul Islam Nahid, Education Minister of Bangladesh

「国連持続可能な開発のための教育の10年」が終わりに近づくなか、より意味のある形でグローバルな問題に対処することを可能にする世界市民の概念は、単に教科書的な概念にとどまることを運命づけられたユートピア的な考え方とはもはやみなされなくなってきた。ある参加者は、「私たちの相互依存的な世界は、世界を真の意味において人類共通の家にするために様々な問題に取り組む用意のある市民をもっと必要としています。名古屋で開催された『持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議』は、このユートピアを達成不可能でない目標に変えるためのさらなる一歩を踏み出したと言えるでしょう。」と語った。(原文へ

※モンズルル・ハクは、バングラデシュのジャーナリストで、日本などのテーマに関するベンガル語の著作が3冊ある。ダッカの国連広報センターとロンドンのBBCワールドサービスで勤務したのち、1994年に日本に移住。バングラデシュの主要全国紙2紙(『プロトム・アロ』と『デイリー・スター』)の東京支局長で、バングラデシュのその他の重要発行物に定期的に寄稿している。日本や東アジアの問題について英語およびベンガル語で手広く執筆。東京外大、横浜国立大学、恵泉女学園大学で客員教授を務め、日本政治、日本のメディア、途上国、国際問題などを教える。NHKラジオにも勤務。2000年より外国人特派員協会のメンバーで、理事を2期務めたのち、同協会会長も歴任した。

Aichi-Nagoya Committee for UNESCO World Conference on ESD

翻訳=IPS Japan

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|国際貢献賞|IPSが核廃絶の主唱者を表彰

【国連IPS=ロジャー・ハミルトン-マーチン】

ジャヤンタ・ダナパラ氏が17日、ニューヨークの国連本部で「IPS核軍縮国際貢献賞」を受賞した。

2003年まで国連事務次長(軍縮担当)だったダナパラ氏は、職を辞してからも核兵器のない世界という目標に向けて取り組みを続け、2007年以降は、ノーベル賞を受賞した「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議」の会長も務めている。

honoree Jayantha Dhanapala credit: Katsuhiro Asagiri/ IPS Japan
honoree Jayantha Dhanapala credit: Katsuhiro Asagiri/ IPS Japan

「核兵器のない世界は、私が生きている間に実現できるし、そうしなくてはなりません。」と、仏教団体「創価学会インタナショナル(SGI)」が後援した公式セレモニー(授与式・レセプション)の場でダナパラ氏は語った。

「科学的な証拠が示しているのは、限定的な核戦争―ただしそんな限定が可能ならばの話だが―でさえも、前例のない規模で、不可逆的な気候変動を引き起こし、人間生活とそれを支えている生態系の破壊を引き起こす、という現実です。私たち民衆には、検証可能な核兵器禁止条約を通じて核兵器を違法化することで、世界を核兵器から『保護する責任』があります。それは、その他全てのいわゆる自称『保護する責任』の適用に優先するものなのです。」

Sam Kahamba Kutesa, President of the 69th  session of the UN General Assembly Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
Sam Kahamba Kutesa, President of the 69th session of the UN General Assembly Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

授与式には、サム・カハンバ・クテサ第69回国連総会議長をはじめ各国の国連大使も参加していた。クテサ議長は、「ダナパラ氏が会長を務める『科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議』、今夜の授与式の主催団体であるインター・プレス・サービス、そしてこの賞のスポンサーであるSGIは、核兵器の危険性に対する世界の人々の意識を高め、その完全廃絶を主唱することに貢献しています。」と語った。

クテサ議長は、グローバルな核不拡散・軍縮をさらに推し進めるための来たる機会の重要性について、「2015年のNPT運用検討会議は、グローバルな核軍縮・不拡散体制をさらに強化する機会となるでしょう。」と語った。

CTBTOへの支持

包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会のラッシーナ・ゼルボ事務局長をはじめとした他の発言者もクテサ議長と同様の見方を示した。ゼルボ事務局長は、「ダナパラ氏が生まれたのは、ドイツの物理学者オットー・ハーン氏フリッツ・シュトラスマン氏がウランの原子核分裂を発見したのと同じ1938年12月である」点を指摘したうえで、「1995年にジャヤンタは、画期をなす核不拡散条約運用検討・延長会議の議長を務めました。そして彼は、一見したところ妥協不可能に思われた核保有国と非核保有国の間の利害を調整する一連の決定を中心になって取りまとめたのです。」と語った。

Lassina Zerbo, Executive Secretary of the CTBTO Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
Lassina Zerbo, Executive Secretary of the CTBTO Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

この作業の結果が、ジュネーブでは対立の的になっていたCTBTを国連総会で1996年に採択したことだった。ダナパラ氏は、CTBTの発効促進を図る専門家グループの一員として、その後もCTBTOを支持しつづけた。

ゼルボ事務局長は、CTBTに反対するインドの立場に対するダナパラ氏の批判に注意を向けた。インドによるCTBT批判とは、「それ(=核実験禁止)によって軍縮を十分に前進させることにはならない」というものだった。これに対してダナパラ氏は、「完全軍縮につながらないからCTBTに反対というのは、交通事故を完全に防げないから道路の速度制限に反対するというのと同じことだ。」と指摘してインドの姿勢を批判した。

インドは、「附属書2」国家として知られるCTBT発効前に条約批准が必要とされる8か国のうちのひとつである。インドやパキスタン、北朝鮮はCTBTに未署名であるが、他の5か国(中国・エジプト・イラン・イスラエル・米国)は署名したものの、依然として批准をしていない。

ゼルボ事務局長はまた、軍縮や不拡散を主唱するうえでのダナパラ氏の出身国(スリランカ)が意味を持つとして、「ジャヤンタも私も途上国の出身だ」と指摘したうえで、「彼が一貫して提示してきた最も説得力のある議論のひとつは、大量破壊兵器の開発計画に途上国が乗り出した時の機会費用の問題です。とりわけ、核兵器開発計画には、本来ならば自国の開発やインフラ整備のために割り当てられるはずの莫大な資源を必要とします。」と語った。

IPS創始者のロベルト・サビオ博士からのメッセージを代読したラメシュ・ジャウラIPS事務総長は、この賞の起源と重要性について、「1985年にできたこの賞は、グローバルなレベルでの国連の活動と、その行動を体現するような人びとをつなぐという目的で作られたものです。」「国連の仕組みの中では個人が表彰されることはありませんから、この賞の狙いは、理念と実践に橋を架けることにあるのです。6年ぶりに復活したこの賞は、来年も核軍縮をテーマに著しい国際貢献を成し遂げた人物に贈られることになっています。そして2016年と17年の賞は、持続可能な開発目標に焦点を当てる予定です。」と語った。

向こう数か月、核不拡散・軍縮における成果を達成するいくつかの機会が訪れる予定である。とりわけ、来月オーストリアのウィーンで開催される「第3回核兵器の非人道的影響に関する国際会議」は注目に値するだろう。

IPS International Achievement Ceremony Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
IPS International Achievement Ceremony Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

またダナパラ氏は受諾演説の中で、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とオランダの平和団体「IKVパックス・クリスティ」が行っている『核兵器に投資するな』(Don’t Bank on the Bomb)キャンペーンへの支持を呼び掛けた。「ここ(=授賞式会場)におられる全ての皆さんに、この投資引き揚げキャンペーンに参加することで、核軍縮への現実的な貢献をするよう呼びかけたい。核兵器なき世界を求める2009年4月のバラク・オバマ大統領のプラハ演説のレトリックは消えかかっており、成果を見せていません。今こそ市民社会が行動を起こす時なのです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

2014IPS国際貢献賞に寄せた、ロベルト・サビオIPS共同創始者のメッセージ

ICAN
ICAN

1985年にできたこの賞は、グローバルなレベルでの国連の活動と、その行動を体現するような人々をつなぐという目的で作られたものです。国連の仕組みの中では個人が表彰されることはありませんから、私たちは「IPS国連賞(=現在のIPS国際貢献賞)」を作って、理念と実践に橋を架けようとしたのです。IPSはハイレベルの選定委員会を設置して5大陸を網羅するIPSネットワークから推薦を受け付けます。受賞者は同伴者とともにニューヨークに招かれ、国連事務総長の歓迎を受けました。そして、自らの活動と、それがいかに国連の課題の一部を成しているのかということについて説明する機会を与えられたのです。さらに、国連広報局の事務次長が主催するセレモニーに招かれ、水晶でできた地球の形をした賞が授与されました。

セレモニーに続いて、今や国連のスケジュールの一部となり、毎年のイベントの一つとなった大規模なレセプションが開かれました。受賞者は、ペレストロイカの主唱者から環境問題のリーダー、女性活動家から人権活動家、米国の黒人運動の指導者、グローバル市民社会のリーダーまで様々です。国連本部におけるこの賞の授与式は、国連で策定された行動計画の現実の体現者を国連に招待することで、現実と接点を持つ理念と目標を、国連に持ち込む手段として始められたものなのです。

1992年にリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)」以前には、国連と市民社会との関係はごくわずかであったことを思い出す必要があります。それまでは国連経済社会理事会(UNECOSOC)に認証されたごく少数の団体のみが、国連施設への出入りを許されていたのです。この賞によって私たちは、国連官僚と現場で活動する人々との交流の場を設けたのです。この関係は徐々に拡大し、今日では、国連の課題の最大の同盟者は、グローバルな問題に関して世界中で活動する無数のNGOなどの団体となりました。IPSはこうした団体によって好んで利用される情報源です。なぜなら、IPSは有機的かつ分析的にグローバルなテーマを追求する唯一の国際通信社であり、従って彼らにとって国連への窓口となっていたからなのです。

グローバル化のガバナンス機構が悲しいまでに存在しないこの時にあって、市民社会と国連の橋渡し役としてのIPSの機能は、その重要性を増しています。IPS国際貢献賞は、SGIの平和への貢献と、その世界的なネットワークを認識し、こうした機能のシンボルとなりうるものです。

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

Filmed by Katsuhiro Asagiri, President of IPS Japan

|視点|「懸念の共有から行動の共有へ―ウィーン会議への期待」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

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【IPS東京=池田大作

広島と長崎への原爆投下から70年となる明年を前に、核兵器に関わる議題の中心に「非人道性」の観点を据えるべきとの声が高まっている。

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

10月に発表された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」には、国連加盟国の8割を超える155カ国が賛同した。「いかなる状況下でも」核兵器が使用されないことが、人類の生存にとって重大な意味を持つとの認識が、今や国際社会で大きな潮流を形成しつつあるのだ。

12月にはウィーンで「核兵器の人道的影響に関する第3回国際会議」が行われる。私は、この会議での討議を足かがりに、核兵器に安全保障を依存する「核時代」から脱却するための挑戦を、市民社会の行動と連動した“人類の共同作業”として進めることを呼び掛けたい。

この“人類の共同作業”を促す視座を提起するものとして、私は、ウィーン会議で討議される議題のうち、次の二つのテーマに特に着目をしている。

第一は、何らかの人為的ミスや技術上の欠陥、またサイバー攻撃などによって、「意図せざる形で起きかねない核爆発の危険性」である。

思い返せばキューバ危機の際(1962年)、世界中の人々が、核戦争の勃発という最悪の事態が現実になりかねない恐怖に直面した。それでもあの時は、米ソ首脳が危機の回避を模索し、熟慮を重ねる「13日間」という時間があった。

A US Navy P-2H Neptune of VP-18 flying over a Soviet cargo ship with crated Il-28s on deck during the Cuban Crisis/ Wikimedia Commons

一方、何らかの理由で偶発的に核ミサイルが発射されるような事態が生じた場合、攻撃目標に達するまでに残された時間は「13分」ほどしかないと言われる。その結果、多くの人々が避難もままならず、尊い命を容赦なく奪われ、攻撃目標となった地域の営みは丸ごと破壊されてしまうことになる。

まして、意図せざる発射をきっかけに核攻撃の応酬が始まれば、それが限定的なものであったとしても、地球全体の生態系に悪影響を及ぼし、20億人もの人々を飢餓状況に陥れる「核の飢餓」が発生することが指摘されている。

どれだけ人々が幸福な人生を歩むために努力を重ねようと、どれだけ社会が豊かな文化や歴史を育もうと、無意味なものにしてしまう――この言語に絶する“理不尽さ”にこそ、私は、核兵器が持つ絶大な破壊力という数値だけでは推し量ることのできない「非人道性」の核心部分があるように思えてならない。

第二に、他の兵器とは根本的に異なる核兵器の特質を浮き彫りにするのが、ウィーン会議で初めて焦点が当てられる「核実験の影響」である。

Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force
Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force

核兵器の誕生以来、その爆発によって甚大な被害を受けてきたのは、広島や長崎の人々だけではない。「ヒバクシャ」という共通語の存在が示している通り、世界各地には、2000回以上にわたって行われてきた核実験の実験場にされ、またその影響を受けたために、苦しみ続けている人々は決して少なくないのだ。

加えて保有国でも、核兵器の開発に取り組んできた施設の周辺で深刻な放射能汚染がみられ、施設に関わる人々や地域住民への影響が懸念されている。

このように、核兵器はたとえ使用される事態に至らなくても、核態勢の維持を図るだけで、多くの人々の生命と尊厳を現実に脅かしてきたのである。

また、世界全体で核兵器の関連予算は年間で1050億ドルにものぼるが、その莫大な資金が、保有国の福祉向上のみならず、貧困や劣悪な保健環境に苦しむ他の国々の支援に充当されれば、どれだけの人々が救われるか計り知れない。

Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons

核態勢の維持に莫大な予算を投じ続けることは、世界の経済資源や人的資源の軍備目的への転用を最少にすることを求めた国連憲章の精神――NPTの前文でも想起が促されている精神――に反するだけでなく、本来、助けることが十分可能な人々の窮状が続いてしまう結果を招いているという意味で、地球社会の歪みを半ば固定化するような「非人道性」を生じさせてはいないだろうか。

これら二つのテーマを討議するウィーン会議は、核態勢の維持――即ち、今後も「核時代」を続けることで世界が背負わねばならない脅威の本質を浮かび上がらせるとともに、脅威にさらされる民衆一人一人の目線に立って「核兵器に依存する安全保障」のあり方を見つめ直す重要な機会になると思われる。

Mr.Josei Toda, 2nd President of Soka Gakkai/ Seikyo Shimbun
Mr.Josei Toda, 2nd President of Soka Gakkai/ Seikyo Shimbun

核開発競争が激化した冷戦の最中(1957年)に、この民衆の目線に立って、核兵器は「世界の民衆の生存権」を根本的に脅かすものであり、一切の例外なく使用を許してはならないと訴えたのが、私の師である戸田第2代会長であった。

私どもSGIが、他のNGOと協力して核兵器の廃絶を目指してきたのも、この宣言が原点となっており、その眼目は、核兵器の問題と向き合うことを通して、地球上から悲惨の二字をなくすための民衆の連帯を築き上げることにある。

広島と長崎をはじめ、世界のヒバクシャの願いも、155カ国が賛同した共同声明を支持する市民社会の声の底流にあるものも、“核兵器による壊滅的被害は、どの国の人々にも、決して引き起こしてはならない”との思いに他ならない。

核兵器の不使用を求める共同声明に対し、安全保障上の理由から賛同できないとしても、核兵器にひそむ「非人道性」に懸念を抱く国は少なくないはずだ。

その“懸念の共有”を、ウィーン会議を機に更に拡大しながら、広島と長崎への原爆投下から70年となる明年に向け、核兵器をめぐる膠着状況を打破する“行動の共有”を力強く生み出していくべきではなかろうか。(原文へ

IPS Japan

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共通の未来のためにヒロシマの被爆体験を記憶する

|核兵器ゼロ|前途に横たわる果てしない旅路

青年の力で国連の改革を(英文)(PDF版

台風「ハイヤン」から1年、フィリピン住民は街頭へ

【マニラIPS=ダイアナ・メンドーサ】

身体に泥を塗って犠牲者に扮することで政府の無策と責任放棄に抗議の意志を表す人々、紙の灯籠とロウソクを灯し、白い鳩と風船を空に放って死者を追悼する人々、白い十字架を掲げて市内の広大な墓地へと行進し、犠牲者に花を手向けて今一度涙を流す人々…。

これらは、台風「ハイヤン」の直撃を受けた「グラウンドゼロ」として知られるフィリピン中部のタクロバン市で11月8日に見られた光景である。

最大瞬間風速105メートルの強風と7メートルの高潮がタクロバン市の中心部と周辺地域を直撃し、想像を絶する被害をもたらした。死者は6500人以上、1年が経過した現在も数百人が行方不明のままである。

11月8日、陸地に上陸した台風としては人類観測史上最大の「ハイヤン」(フィリピンでは「ヨランダ」として知られる)がタクロバン市に上陸して1周年を迎えた。

この日、フィリピンのメディアポータルサイトには、被災一周年に関連した多数の記事が見受けられたが、その大半が、被災による喪失、絶望、孤独、飢餓、病気、そしてさらなる貧困の深みに追いやられている被災者の苦境を報じたものだった。一方で、英雄的行為や苦境に立ち向かう被災者の尋常ならざる強さについて報じた記事も多数あった。

災害の規模を把握する

マニラ南東580キロに位置するタクロバン市には復興の兆しのようなものがみられる。しかし、以前のような状態には戻っていない。国際支援コミュニティーの関係者によると、この地が元の活況を取り戻すには、さらに6年から8年、或いはそれ以上の時間がかかるかもしれないという。

それでも、この一周年記念は(インド洋沿岸の国々に壊滅的な被害をもたらした)2004年アジア津波の被害を受けたインドネシアのアチェ州のような他の被災地の経験と比べて、フィリピンがこれほど大規模な災害に見舞われたにもかかわらず、「迅速な第一段階の復興」を成し遂げたことに、各方面から称賛の声が寄せられる機会となった。

フィリピンに拠点を置くアジア開発銀行(ADB)は、被災一周年を前に発表した救援・復興状況を評価した報告書の中で、「復興の取り組みは引き続き困難を伴うものであるが」、数多くの成果があった、としている。

7 September, 2011, Portrait, Stephen Groff, DCD OECD headquarters, Paris, France, Andrew Wheeler/OECD

アジア開発銀行のスティーブン・グロフ副総裁(東アジア・東南アジア担当)は、先般開催された記者会見において「アジア開発銀行はフィリピンを拠点に50年以上活動していますが、その経験から言えることは、これほどの大規模な危機に直面して、フィリピンほど力強く対応している国はないだろうということです。」と語った。

カナダのニール・リーダー駐比大使も同じように、「(フィリピンが)災害から立ち直る能力は、私たちがこれまで目の当たりにしてきた他の如何なる人道危機よりも迅速なものでした。」と語った。

また専門家によると、「バヤニハン」と呼ばれる伝統的に地域住民の間に息づいている相互扶助の慣行が、気が遠くなるような復興プロセスにとって大きな助けになった、という。

ヨランダは上陸した史上最大かつ最も強力な台風で、フィリピンの最もまず貧しい地域を含む広大な地域に被害をもたらしました。ヨランダ襲来から1年が経過した今、私たちはこの災害の規模や範囲をしっかり検討することが重要です。」とグロフ副総裁は強調した。

グロフ副総裁は、「この台風では1600万人或いは340万世帯が影響を受け、100万以上の家屋と、3300万本のココヤシの木、60万ヘクタールの農地、248本の送電塔、そして役場や公設市場といった公共の建物が甚大な被害を受けました。」と語った。

さらに、農地と市場を繋ぐ道路が305キロにわたって寸断されたほか、2万にわたる教室や、病院・保健所など400件にわたる医療施設が被害を受けた。

合計で、9地域、44州、171都市の1450万人以上が台風「ハイヤン」の被害を被った。今日においても、依然として400万人を超える人々がホームレスの状態のまま取り残されている。

Aerial view of Tacloban after Typhoon Haiyan. Credit: Russell Watkins/ UK Department for International Development/ CC by 2.0
Aerial view of Tacloban after Typhoon Haiyan. Credit: Russell Watkins/ UK Department for International Development/ CC by 2.0

フィリピンのベニグノ・アキノ3世大統領は被災者からの批判に直面している。8日の一周年記念日は、被災者が復興プロセスにおける政府の無策に対して怒りをぶつける場となった。

台風被災者グループ「民衆の波」の指導者の一人であるエルフレダ・バウティスタ氏は、ジャーナリストにこう述べた。「私たちはこの1年、政府の悪辣な棄民政策、汚職、詐欺、抑圧を目の当たりにしてきました。私たちはこの1年、この状況を確認するようなニュースや調査に接してきました。」

抗議参加らは、台風「ハイヤン」被災一周年のこの日、アキノ大統領を模った高さ9フィート(約274センチ)人形を燃やした。

11月8日の早朝、台風の犠牲者を追悼するために、風船や灯籠やロウソクを手にした5000人を超える人々が、タクロバン市を行進した。

カトリック教会はこの記念日を国民的な祈りの日と定めた。3000人以上が埋められている墓地におけるミサの開始にあたっては、鐘の音が鳴り、サイレンが悲しく響いた。

また数百人の漁師が、政府に対して新しい住居と仕事と生活を要求するとともに、政府の役人が援助資金や復興資金を流用していると非難した。

フィリピンのネット市民らは、テレビやコンピュータのモニターに映し出された台風に襲われているタクロバン市の様子をなす術もなく見ながら泣き続けたことを思い出した。

彼らは、英雄として賞賛されたフィリピン人たちの写真を投稿し共有した。この英雄たちは、軍用航空機から降りた生存者たちをマニラなどにいる親戚のところへ送り届ける役目を果たした。

新しい家屋や仕事、生活を与えるよう政府に要求した数百人の漁民が、支援と復興のためのお金を政府の役人が流用したと非難し、抗議活動を行った。

被災地域一帯の「災害前」「災害後」の写真も、ウェブの世界をめぐった。

多額の国際支援

被災1周年の前に近隣の被災地サマール島を訪問したアキノ大統領は、「私は復興作業を加速できればと望んでいるし、関係者に一層作業を早めるよう叱咤していくつもりです。しかし、悲しい現実は、復興に必要な膨大な作業量は、とても一夜にしてできるものではないのです。復興作業の成果が恒久的なものとなるように、作業を正しく進めていきたいのです。」と語った。

Benigno Aquino III/ Wikimedia Commons
Benigno Aquino III/ Wikimedia Commons

フィリピン政府は、今後災害が起こった時にさらなる被害を防ぐために27キロにわたって海岸線に高さ4メートルの堤防を築く計画を含め、被災地の再建のために1700億ペソ(約4446億円)が必要と算定している。

タクロバン市アルフレッド・ロムアルデス市長は記者団に対して、依然として200万人がテント住まいであり、恒久住宅に移れたのはわずか1422世帯に過ぎないと語った。

台風から数か月で電柱が立ち、黒い泥は緑地に変わり、作物が素早く植えられ、ふたたび稲穂が実り始めたという点では、復興プロセスは成功している。

また政府や民間、国際援助関係者らは、災害後に公衆衛生対策を立て直している。

ADBは、復興プロセスの始期にあたって無償援助や無利子融資の形ですでに供与している9億ドルに加えて、ヨランダの被災者に対してさらに1億5000万ドル相当の公的支援を行うことが適当かどうか検討していると発表した。

米国国際開発庁(USAID)には、フィリピン全土で1万8400件のプロジェクトを行うために1000万ドルの技術支援を行う計画がある。これによって、タクロバン市以外で大きな影響を受けた地域がカバーされる。たとえばサマール東部のギワンは、アラブ首長国連邦からの復興支援で1000万ドルを受け取ることになる。

またカナダ政府は、レイテ州イロイロ州の被災地の生活と水供給を復活させるため、375万カナダドルを支援するとしている。

フィリピン政府は、国際社会から寄付、提供、約束された資金については、透明性をもって確実に説明できるようにし、監視され、保全され、報告されるとしている。

復興計画を担当するよう指名されたパンフィノ・ラーソン上院議員は、「既に、タクロバンとサマール東部のいくつかの宿泊所が基準以下の資材で建設され、キックバックをもらうために基準以下の資材を使うよう業者と共謀した者がいるとの報告を受けている。」と語った。

「私はまさにこの報告を受けて、援助資金の流れを監視しなければならないと痛感しました。」とラクソン議員は語った。

復興のために国家やドナー機関から提供された数十億ペソ規模にのぼる資金の管理と運営の実態に関して不審な点がある場合には情報を提供するよう、ラーソン議員は国民に呼びかけている。(原文へ

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【ニューヨークIDN=バレンティナ・ガスバッリ】

気候変動は今日国際社会が直面している最も深刻な問題の一つであり、地球温暖化が人類社会や自然生態系に及ぼす影響を緩和するため、二酸化炭素排出削減に向けた取組みが、世界各地の政府、民間部門、市民団体や個人によって進められている。

なかでも自動車産業界は、この脅威に対して積極的かつ建設的に対応している主要なステークホールダー(利害関係者)のひとつだ。幅広い分野の技術革新に対する巨額の投資を通じて、自動車産業界は、新車の二酸化炭素排出量を着実に削減することに成功している。

Eco Driving
Eco Driving

しかし、車からの二酸化炭素排出削減を通じて、世界的な低炭素社会の実現を目指すということが、そのまま、より燃費効率に優れた車を製造し続けるということにはならない。ましてや、自動車製造業者のみがそのような責任を負っているとは言えないだろう。

自動車産業の現在の投資傾向は、環境の変化に対して技術的解決策に焦点を当てているが、二酸化炭素排出の削減は、こうした車両性能の向上だけではなく、ドライバーの運転行動を見直すことによっても、達成することが可能である。

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

これが、エコドライブの概念や運用をめぐる主要な議論である。エコドライブは、より効率的な燃費を意識した運転マナーを実践することにより二酸化炭素の排出を削減するという、ドライバーの行動変化に主眼をおいた、ユニークな成功例である。

エコドライブの概念は、この数年で急速に注目を浴びるようになった。それは、気候変動と地球温暖化の影響がより危険なものであり地球全体に広がってきたとの認識が高まってきたためである。

世界各地で行われている様々な実践プログラムや研究事例から、エコドライブには個々人の燃料消費と二酸化炭素排出を20%程度削減する可能性があることが明らかになってきている。10月17日にニューヨーク市の国連本部で初めて開催された「国連エコドライブカンファレンス(正式名称:地球環境、二酸化炭素削減と持続可能性に向けた解決策としてのエコドライブに関する国際会議」(主催:国連WAFUNIF、株式会社アスア、ルーマニア国連代表部。協力:日本自動車工業会、米国自動車工業会。特別協力:環境省)では、多くの政府や国際機関、地方自治体、学術団体、民間部門等、気候変動の問題に第一線で取り組んでいる専門家が一堂に会し、エコドライブの可能性と今後の見通しについて議論した。

グリーン・エコプロジェクト

エコドライブ概念の重要性を強調したのは、東京都トラック協会の遠藤啓二環境部長である。遠藤氏は、日本で9年前から実施され大きな成果を挙げてきた「グリーン・エコプロジェクト」について、プログラムを開発・運営してきた当事者の立場から発表を行った。

Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA
Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA

「グリーン・エコプロジェクトは2006年に始まりました。今日、約700の企業と2万台のトラックがこの環境に優しいプロジェクトに参画しています。」と遠藤部長は語った。

本プロジェクトでは、「走行管理表」という一枚の紙にドライバーが毎回の給油量と走行距離を手書きで記入する燃費データを収集・データベース化することで、エコドライブがいかにトラックの燃費と二酸化炭素排出削減に効果があるかを数値で検証できるシステムを実現している。プロジェクト開始以来8年間の取組み実績では、燃料効率は平均で15.6%向上し、6万3000トンの二酸化炭素排出削減がなされた。

「この成果を植林に換算してみますと、ニューヨーク市のマンハッタン地区全体に等しい58.8平方キロ(=東京の山手線の内側にほぼ相当)を森林に変えたことと同じになり、節約された燃料を金額に換算すると約3400万ドル(38億1000万円)にのぼります。」と遠藤氏は語った。グリーン・エコプロジェクトはまた、交通事故も30%削減し、事業者の保険などの損害金額を54%軽減することにつながった。

グリーン・エコプロジェクトには4つの重要な側面がある。すなわち、①コスト削減、②持続可能性、③収拾したデータの正確性、そしてなによりも、④ドライバーのやる気を持続する活動であるという側面である。

さらに、グリーン・エコプロジェクトの特徴は、二酸化炭素排出対策を共有する機会を積極的に捉え、世界に情報発信を行ってきた点である。これまでに、2009年の「第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)」のサイドイベント(コペンハーゲン)をはじめ、2010年の「アジアEST地域フォーラム第5回会合」(バンコク)や2011年の第1回低炭素サミット(大連)で発表を行ってきた。また2011年には、ドイツの「ベルリン・ブランデンブルク交通・物流協会(VVL)」を訪問し、エコドライブに関する経験や知識に関する情報交換を行っている。

Audience of the UN Eco-Drive Conference/ TTA
Audience of the UN Eco-Drive Conference/ TTA

エコドライブは、ほとんど費用をかけることなく、環境、財政、安全面における利益が期待できることから、会議に参加した幅広いステークホールダーの間で、そのポテンシャリティーを注目する発言が相次いだ。つまり、政策責任者にとっては環境・安全面の目標達成に寄与する有効な手段と見なされている。またコスト削減(燃料費や保険料の節減等)につながる点は、企業の間で評価が高い。一方個人は、コスト削減だけでなく、よりリラックスした安全な運転スタイルに満足している。さらに自動車製造業者は、公的な燃費目標が単に技術的な問題にとどまらず、ドライバーの心掛け次第で達成可能な点を評価している。

このプロジェクトの重要な要素は、先述の「1枚の紙と鉛筆によるアプロ―チ」でドライバーが自分の燃費と安全運転について意識を高められる点と、継続的なエコドライブ教育が組み込まれている点である。遠藤氏は後者について、「優良ドライバーは表彰され、やる気を引き出すよう配慮されています。またプロジェクトには管理者もドライバーと同等の立場で参加し、セミナーに参加する機会もあります。」と語った。

Cargo Transport Evaluation System/ TMG
Cargo Transport Evaluation System/ TMG

さらにグリーン・エコプロジェクトは、2013年より東京都の「貨物輸送評価制度」(運送業者の燃費効率と二酸化炭素削減に関する継続的な努力を東京都が評価し、優れた成果を挙げた業者名を荷主や消費者に幅広く公表する世界初の評価制度)」に協力している。この評価制度は同プロジェクトが開始以来蓄積してきた600万件データの一部を利用して構築されている。

全米トラック運送協会(ATA)のグレン・ケジー副会長は、グリーン・エコプロジェクトに対する会場の熱意と前向きな反応を代弁して、「グリーン・エコプロジェクトの実践と哲学は、この会議に有益な付加価値をもたらしたと確信しています。」と語った。

Glen P. Kedzie, Vice President of ATA/ TTA
Glen P. Kedzie, Vice President of ATA/ TTA

欧州委員会のヒューズ・ヴァンホナッカー環境交通局事務局長は、エコドライブ会議の開催とグリーン・エコプロジェクトの発表に対して謝意を表したうえで、代替燃料戦略に関する地球にやさしいプロジェクトの策定と実施に、近年欧州連合(EU)が取り組んでいることを指摘した。EUレベルでの主要な成果としては、EU全体での統一された基準や共通技術仕様の策定や消費者への情報提供、意識喚起活動などを挙げた。

グリーン・エコプロジェクトの理論的性質や原則につながる事例としては、欧州委員会がEUの「インテリジェントエネルギー・ヨーロッパ」計画と協力して、策定・実施している「エコウィル(ECOWILL)」と呼ばれるプロジェクトを挙げることができるだろう。このプロジェクトは、既存の自動車教習所を活用してエコドライブに関する講習を広めることを目的としている。エコウィルはさらに、e-ラーニングの手法を導入し展開している。また、受講するドライバーに対する自動車運転の教習や運転免許試験の共通化も目指している。

日本自動車工業会は、経済産業省や国土交通省自動車局と協力して、パンフレット『気になる乗用車の燃費~カタログとあなたのクルマの燃費の違いは?~』を作成した。エコドライブとは、ドライバーが燃料消費や車の排ガスを削減し、地球温暖化と交通事故を防止することができるような運転技術やマナーのことだとしている。

株式会社アスアの間地寛社長が会議の参加者に語ったように、「エコドライブ(=燃料を節約した運転法)は、燃料費を節約できるだけではなく、乗客に安全とクルマに乗る楽しさを与えることができる。リラックスして、急がずに運転するというのが大原則」なのである。(原文へ

翻訳/編集=INPS Japan浅霧勝浩

グリーン・エコプロジェクトと持続可能な開発目標(SDGs)

SDGs for All
SDGs for All

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Global Citizenship: Gradual Unfolding of a New Concept

By Monzurul Huq* | IDN-InDepth NewsAnalysis

NAGOYA, Japan (IDN) – The concept of global citizenship is one of the new ideas that the United Nations is actively promoting in recent years. In today’s interconnected world challenges we face need solutions based on new thinking transcending national boundaries and ideas whose outreach stretches beyond conventional understanding of identities based on nationality.

The conventional education systems are producing individuals who are able to read and write and thus are capable of coping with the realities of life within a narrow perspective. However, as the world today faces diverse challenges interconnected with elements and phenomenon of a much broader perception, the global community is in need of citizens capable of contributing more meaningfully in the process of resolving interconnected challenges of the 21st century. This is why the idea of fostering global citizenship has been recognized as one of the priorities of education for sustainable development.

UNESCO World Conference on Education for Sustainable Development (ESD) held in Nagoya, Japan, from November 10 to 12 had on its agenda a wide range of topics related to sustainability that policy makers, experts, stakeholders and civic group representatives from around the world discussed.

The focus of attention was to find new ways of promoting education that would help intensifying efforts for poverty eradication, environmental protection and economic growth beyond the timeframe of the United Nations Decade of Education for Sustainable Development that comes to an end this year.

There were also specific discussions on global citizenship as a means of achieving the ultimate goal of sustainable development. A workshop on global citizenship, eco-pedagogy and sustainable development was held on the second day of the conference, which was followed by a side event comprising a panel discussion on ESD and global citizenship education in the new era. Both the workshop and the panel discussion focused on emerging issues related to global citizenship, particularly on the necessity of defining the concept of global citizenship in a more meaningful way.

The concept of global citizenship is not a completely new idea. It has been on the agenda of social science discussions for quite some time. The two main speakers at the workshop were Carlos Alberto Torres, Director, Paolo Freire Institute of UCLA; and Miguel Silva, Global Education Manager of North-South Centre of the Council of Europe.

Carlos Torres, in his keynote presentation, focused on the need for global citizenship education for ensuring social justice in our interdependent world and identified three global commons that constitute the core of global citizenship:

– Our planet is our only home and we need to protect it.

– The idea of global peace is an intangible cultural good with immaterial value.

– People are all equal.

In short, this planet, peace and people constitute the global common that call for better understanding among nations. However, he also pointed out that, since economic citizenship cannot be accomplished without bare essentials, global citizenship would remain unattainable unless we multiply public sphere to ensure social justice. Removing ambiguities, thus, is the essential prerequisite of a theoretical framework for global citizenship education that would focus more on common good and common virtues like tolerance as a civic minimum.

Utopia “helps us at least to walk”

Weather this noble goal is achievable or not will depend much on what we do to transform our dream into reality. To some it might sound like a utopia, but Carlos Torres reminded the participants: “utopia is a horizon that we intend to reach. We take two steps forward, utopia moves two steps ahead . . . However, it helps us at least to walk.” Thus, the onward journey of humanity to global citizenship is also a journey forward, despite the realities of a deferred dream of our past.

Miguel Silva, on the other hand, focused on how global education can help develop strategies and capacity building for education for sustainable development leading to fostering global citizenship. Global education targeting institutions, practitioners and learners from formal and non-formal sector, according to Silva, is a school of holistic education dealing with the growing interconnection between local and global realities that can enable learners understand world issues while empowering them with knowledge, skill, values and attitudes desirable for world citizens to face various global problems.

Since it can help learners to understand the complexities of the world, be aware of contradictions and uncertainties, and to realize that there is no one-dimensional solution for complex problems. One of the critical issues, thus, according to Silva, “is to foster this multi-perceptivity and critical approach to the problems that we have to deal with, as this would help learners to understand cultural diversity of languages leading to the realization that mutual understanding can be achieved.”

To summarize, global education can comprehend and fosters empathy and intercultural skills in communication, while its methodology can create a learning environment based on dialogue, active listening and respect for other opinions and constructive assertiveness. According to Silva, global education, thus, promotes the principles of pluralism, non-discrimination and social justice, and creates the ground for global citizenship aware of global realities and working for a sustainable world based on dialogue and cooperation, while sharing common human, social and economic values.

The moderator of the workshop later asked participants to get involved in group discussions to share practical experiences for the advancement of education for sustainable development and also to identify challenges to the advancement of global citizenship. The outcome of workshop presentations and group discussions were later summarized and the concluding remarks of the chair outlined that democratic values should serve as guiding principles for educational theory and practice; and for improving quality education for fostering global citizenship what is essential is to make room for thoughtful dialogue and critical thinking.

The workshop was followed by a panel discussion on education for sustainable development and global citizenship education in the new era, where the panelists focused on various approaches to the notion of global citizenship and assessed the progress made so far in implementing the concept of education for sustainable development at the end of the UN decade.

Moderated by Shoko Yamada of Nagoya University, the panel discussion was a joint Japan-Korea academic initiative where two panelists each from Japan and South Korea participated in the discussions. The panelists focused more on ESD as they tried to link the two interconnected philosophical concept of sustainable development and global citizenship.

Relatively new

According to Professor Kazuhiro Yoshida of Hiroshima University, the idea of global citizenship and sustainable education has been in discussion for quite long, but the combined concept of global citizenship for education is relatively new. He also thinks it to be a new phenomenon to combine global citizenship education and education for sustainable development and feels the need to continue the endeavours that have been undertaken so far.

Commenting on the importance of global citizenship education within the context of education for sustainable development, Professor Yoshida said, “there has to be a natural choice in trying to find the areas of overlaps and to make sure the overlaps are nothing but to become a core of the fundamental message for future work of post 2015 education. I think, fortunately, ESD stands for fundamental foundation of the era of sustainable development goals. That’s why I mean that the definition or conceptualization of ESD has to be redone. It’s because so far we have been working within the boundary of education, how it should be interpreted and put into practice in your own community. But now it has to be done in a much broader context of development.”

Jinhee Kim of the (South) Korean Educational Development Institute thinks that education for sustainable development and global citizenship are in the same range of global education agenda. “Social justice and equity are key dimensions applicable to both the concepts. We can say that education is a foundation for a sustainable society with global citizenship. So, the mindset of global citizenship is that, we can change the world in a more equitable, more peaceful or in a more sustainable way,” she said. The most important thing in global citizenship education, according to her, is re-conception of the understanding of citizenship. Global citizens should be educated in a way to apply the concept at world level, or being citizens of the earth.

Not until long back, the concept of global citizenship was seen by some as a western idea being implemented around the world; and newly independent states had been a bit suspicious of the real motive of those involved in global citizenship campaign.

However, with the passage of time that misconception or reservation has gradually been eroding, paving the way for global citizenship education to be accepted and implemented widely across the developing world as well.

At Nagoya conference, 76 ministerial level representatives of UNESCO member states gathered along with more than 1,000 participants from 150 countries. Among Education Ministers heading their country representations was Nurul Islam Nahid from Bangladesh. Commenting on global citizenship education, Nahid said, “Along with focusing on problems transcending national boundaries like global warming in school textbooks, we’ve also introduced a new textbook for primary level education which has been named ‘Bangladesh and understanding the world’. This new textbook focuses on global issues in the context of historical, cultural and traditional aspects of our country. Fostering global citizens is important at a time when many of our citizens are spreading around the world as part of the global workforce.”

With the UN Decade of Education for Sustainable Development coming to an end, the concept of global citizenship capable of tackling global problems in a more meaningful way is no longer considered a utopian idea destined to remain a mere textbook concept. According to a participant, “Our interdependent world needs more of such citizens well prepared of tackling various issues to make the world a common abode of mankind in true sense. The Nagoya UNESCO World Conference on Education for Sustainable Development has taken one more step forward to turn the utopia into a goal not unachievable.”

*Monzurul Huq is a Bangladesh journalist, who has authored three books in Bengali on Japan and other subjects. He moved to Japan in 1994 after working at the United Nations Information Center in Dhaka and BBC World Service in London. He represents two leading national dailies of Bangladesh – Prothom Alo and the Daily Star – and contributes regularly to a number of other important publications in Bangladesh. He has written extensively both in English and Bengali on matters related to Japan and East Asia. He is also a visiting professor at the Tokyo University of Foreign Studies, Yokohama National University and Keisen University, teaching subjects related to Japanese politics, Japanese media, the developing world and world affairs. He also works as a radio broadcaster for NHK. A member of the Foreign Correspondents’ Club of Japan since 2000, he has served at the Board of Directors of the Club for two consecutive terms before being elected president of the Club. [IDN-InDepthNews – November 14, 2014]

Top Photo: Group photo at the UNESCO World Conference on Education for Sustainable Development (ESD) in Aichi-Nagoya, Japan. Photo Credit: UNESCO

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