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核廃絶にはオーストラリアとニュージーランドの協定では不十分

【IDNシドニー=ニーナ・バンダリ

Steven Leeper, Hiroshima Peace Culture Foundation

オーストラリアとニュージーランドは、国際的な包括的核実験禁止条約(CTBT)の枠組みの下で核爆発の検知強化と核実験の永久的かつ効果的な禁止の推進協力を行うための科学技術協力協定を締結した。

オーストラリアのボブ・カー外務大臣CTBTをサポートする新たな枠組みを歓迎して、「国際協力は、核実験が行われたかどうかに関して両国政府に助言を行う科学専門家の技能を強化するものです。このオーストラリアとニュージーランドの協力は、世界の他国に対するモデルとしての役割を果すことができ、CTBTの強化を図るものとなります。」と語った。

 二国間協力の枠組みは、オーストラリア外務貿易省保障措置・不拡散局(ASNO)とニュージーランド外務省間の合意覚書において定めたものである。そこでは、CTBTの検証に関するデータと情報について、オーストラリアとニュージーランドの担当部局による健全な科学技術分析を支援し、地域諸国の同様な能力開発を促進し、そしてCTBTの効果的な検証手段と方法論の開発を促進することが主要点として明記されている。

こうした動向の中で、オーストラリア放射能保護・原子力安全庁及びオーストラリア地球科学局は核爆発検知の能力を高めるために、ニュージーランドの環境科学研究所(ESR)と密接に協力していくことになるだろう。

カー外務大臣は声明の中で、「オーストラリアは、CTBTの早期発効を強く主張しており、我々はその時期に向けて技術的な準備を進めています。」と語った。オーストラリアとニュージーランドは2012年9月28日に科学技術協力協定を締結している。

しかし、公益財団法人広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は、CTBTに署名、批准を行ったオーストラリアのような国は、新たな枠組みに関する協議以上のことを行うべきだと感じている。 

「両国は核兵器の問題について何らかの対策を行っているように見えますが、実際のところは核兵器禁止条約への支持を拒否しているのです。両国が本来すべきことは、米国が(CTBTへの)条約批准を行うよう、本気で外交上かつ経済的な圧力をかけることなのです。」とリーパー氏はIDNの取材に対して語った。 

リーパー氏は、それを行う1つの方法として、米国及びその他の(CTBT)未批准国に対し、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会が構築した国際監視システム(IMS)が収集した地震活動、放射線放出及び実験に関する極めて貴重な情報の提供を拒否するという戦略を提案している。 

CTBTは、関係国が互いに協力し合って、核爆発が発生したかどうかを検証するための監視システムの活用能力を強化するよう求めている。 

CTBTO準備委員会は、核爆発から発せられる音波と放射性核種微粒子及びガスを把握するために環境を監視している300以上の施設からなるIMSの構築を完了している。こうした施設で収集されたデータは、どの事象(年間およそ3万件)が核爆発であるかを判断する最終的な責任を持つCTBT関係国に提供されている。

リーパー氏は、「CTBTはいわゆる段階的なアプローチの一部であり、それは、核兵器保有国が引き続き永遠に核保有の優位性を保持する一方で、核兵器非保有国に対して核不拡散条約の履行義務に従い続けるよう欺く取り組み以外の何物でもありません。日本とオーストラリアは、核保有国を刺激したくないために、この段階的なアプローチに献身的に取り組んでいます。我々は、CTBTを越えた核兵器禁止条約へと一刻も早く進む必要があるし、我々はこの包括的なアプローチの後ろ盾としてオーストラリアとニュージーランドを必要としています。」と語った。

CTBTは、1996年9月24日に署名開放され、183カ国が署名しているが、それが発効する前に発効要件国(いわゆる「付属書2諸国」44カ国)の批准待ちという状態である。今年(2012年)初旬に批准したインドネシアは36カ国目にあたり、あと8カ国(中国、韓国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、パキスタン及び米国)が批准しなければならない。

「付属書2諸国」とは、1994年から1996年までCTBTの交渉に参加していた「核保有の能力を有する」と指定され、当時、原発あるいは研究用の原子炉を保有していた44カ国である。過去16年間において、地球上のどこかで行われている核爆発の可能性を検知し、調査する検証システムと分析技術の開発は進展してきている。

「核兵器の全面禁止」

オーストラリア外務貿易省の報道官によれば、「CTBTを通じた核実験の永久かつ検証可能な禁止は、不拡散と軍縮に不可欠となる構成要素であり、オーストラリアは引き続きCTBTの早期発効を迫っていく。」としている。

しかしながら、世界では益々多くの国家、組織、著名人らが、核実験だけでなく、核兵器を完全に禁止する条約に着手する交渉を求めている。近年、多くの政府は核兵器の無い世界への支援の声を挙げているが、その目標に到達するための具体的な行動は殆どなされてこなかった。

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)オーストラリアのディレクターであるティム・ライト氏は、「CTBTは確かに、ある程度の核開発を抑制する上で役立ちましたが、核兵器の完全廃絶を達成することは言うまでもなく、核兵器の近代化を止め、核兵器不拡散を防止する必要な法的枠組みを提供してきておらず、また、提供する意図が全く無いものでもありました。」と語った。

「これは政府が外交努力を集中すべき点です。交渉はCTBTの施行を待つ必要がなく、待たなければならないものではないのです。我々は、核武装した国々が行動するのを単に待つのではなく、むしろ主要な役割を果す核兵器非保有国を必要としているのです。これは緊急な人道的必要性です。」とライト氏はIDNの取材に対して語った。

オーストラリア赤十字は、フリンダース大学南オーストラリア大学のボブ・ホーク首相記念センターと連携して、2012年11月の第1週にアデレードで国際会議を共催する予定である。そこでは、核兵器を禁止し、最終的には廃絶するための法的に拘束力のある手段を作るための緊急なニーズについて討議を深めることとなっている。 

国際赤十字・赤新月運動は、当初から核兵器を巡る議論の中心にあった。1945年から2011年まで、両組織は一貫して、こうした大量殺戮兵器に対する深い懸念とその使用禁止の必要性を訴えてきた。

2011年11月、国際赤十字と赤新月運動は、全ての国に対し、「法的に拘束力のある国際的な協定を通じて、核兵器の使用を禁じ、その全廃を行う交渉を誠意を持って行い、緊急性と決意を持って合意に達するよう」求める決議を採択した。この決議はその後、オーストラリア議会の支持を含む、世界の注目を集めた。

今日、少なくとも世界中に2万発の核兵器があり、その内3千発は発射可能な状態にある。この核兵器の潜在的威力は、広島型の原爆約15万発分に相当するとみられている。 

ICANオーストラリア諮問委員会メンバーのカトリオーナ・スタンフィールド氏は、「核兵器禁止の運動に最初に火を付けたのは市民社会であり、核兵器保有国が何もしようとしない中にあって、市民社会は、軍縮や核不拡散を最も声高々にサポートし続けているのです。」と語った。

「市民社会は私のような若者が核兵器禁止を推進する運動に関わる主たる舞台で在り続けています。私の世代では、市民社会が、通信と技術の急速な変化を追い風に、『核兵器のない世界』を求めて行動をおこすグローバルな連帯を構築することになると確信しています。」とスタンフィールド氏はIDNの取材に対して語った。 

この点は、核兵器全廃への前兆となるものである。
翻訳=IPS Japan

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|欧州|性産業に引き込まれる移民女性たち

【パリIPS=A・D・マッケンジー

昨月、フランス警察が、ナイジェリア人女性を取引して売春婦として使っていたとされる犯罪ネットワークを摘発したところ、ここフランスのみならず欧州全体に蔓延っている当局が呼ぶところの「現在の奴隷制」の実態に光が当てられることとなった。

警察当局は、「犠牲者の多くは、違法渡航を世話した者たちによって、数千ユーロの借金を負わされたナイジェリア人女性らで、イタリア経由でフランスに連れてこられていたのち、借金返済の名目で売春を強要されていた。」と発表した。

国際労働機関(ILO)によると、こうした女性たちは、欧州連合(EU)を含めた先進国において約150万人にのぼるとみられている人身売買の被害者の一部である。同機関は、全世界における被害者は2100万人近くにのぼると見ている。

 またILOは、欧州における人身売買の犠牲者の総数は、世界的な経済危機と各地で勃発している紛争を背景に増加傾向にあり、各国政府に対して人身売買と売春への取り組みを強化するよう働きかけていると述べた。

ジェンダー平等を目指す団体「欧州女性ロビー」(EWL、本部:ブリュッセル)は、この夏のロンドンオリンピックを前に売春反対のキャンペーンを開始し、欧州議会に対して売春防止に取り組むよう訴えかけた。

EWLは、「(ロンドン)オリンピック大会や2012年欧州選手権ポーランド・ウクライナ大会のような大規模なスポーツイベントが開催された影には、数千人の若い少女や女性が、売春需要を満たすために、人身売買や性的搾取に引き込まれるリスクに直面していた。」と語った。

なかでも経済的に不安定な立場にある移民女性は、ますます強制売春に引き込まれる危険に直面しているという。

「女性に対する様々な暴力形態の中でも、女性の人権を広範に侵害する強制売春が引き続き最も蔓延しています。」と、EWLのピエレット・パペ(プロジェクトコーディネーター)氏はIPSの取材に対して語った。


EWLは「売春のない欧州をともに目指そう」というキャンペーンを2010年に開始しました。EU最大の女性人権協会のアンブレラ組織として、EWLには欧州各地のメンバー団体からの情報提供や支援が集まっており、その多くが12月4日にブリュッセルで開催されるEWL欧州会議に参加する予定である。
 
「売春は女性の人権を根本から侵害するものであり、男性による女性に対する暴力の一形態です。また、欧州における現代の奴隷貿易、すなわち人身売買の主な牽引要因でもあります。もし私たちが、売春や女性や少女の性的搾取のない社会を実現することができれば、欧州連合域内における人身売買の大部分を取り除くことになるのです。」と、このキャンパーンを支持しているアンナ・ヘド欧州議会議員(スウェーデン)は語った。
 
EWLの友誼団体である「アイルランド移民評議会」で人身売買反対キャンペーンに取り組むヌシャ・ヨンコヴァ氏によれば、性取引に関与するようになった移民女性は、さまざまな問題に直面しているという。

たとえば、売春関連法に加えて移民法制への違反など移民としての不安定な地位、国家による犯罪化、友人の不在と孤立、各地の売春宿への頻繁な移動による方向感覚の喪失、強要や脅迫、売春業者による支配、医療サービスの欠如などである。

EWLによると、移民女性たちは、書類不足や亡命申請中であるなどの理由によってしばしば正規の労働市場から弾かれることが多いという。またそうした理由から長期に亘って就労の権利を拒否された場合、将来的にますます労働市場への参入が難しくなることも明らかになっている。

ヨンコヴァ氏によれば、数世代に亘って多くの移民を送り出してきたアイルランドにおいても、(外国からアイルランドへの)移民女性は「極めて不安定な状況」に置かれているという。

「労働許可を取得するには多額の費用が必要ですし、なによりも申請できる職種は全て、現時点で欧州連合内の国籍保持者以外は不適格とされるため、取得はほとんど不可能なのが実態です。」とヨンコヴァ氏は語った。

ヨンコヴァ氏によると、アイルランドでは売春業に従事している女性の大半は学生としての地位を確保しようと努力するという。しかし、実際には、授業料が高かったり、授業への出席を要求されたりして、この地位を維持することは容易ではない。その結果、多くの女性が「移民コンサルタント」と称する大学の偽IDや書類を手配するブローカーの餌食になっているという。

「アイルランド移民評議会」によると、アイルランドでは1日あたり平均1000人の女性が性産業で働いているという。ただし、その内のどの程度の女性が他人からの脅迫のもとで売春行為をしているのか、またどの程度の未成年者が含まれているのかといった内訳については把握できていないという。

活動家らは、「女性たちが売春でいくらかの現金を手に入れたとしても、生活をまかなうには到底及ばない程度のものです。」と語った。

「アイルランドには、移民の人権擁護を謳いながら売春を『生計の手段』として認めない移民団体があります。こうした団体は、生活のために体を売らざるを得ない貧しい移民の人権擁護を訴えますが、一方でそうした移民らに就労の可能性を提供しようとはしていません。ここには本質的に人種差別が見て取れます。」とヨンコヴァ氏は語った。

欧州で性産業に従事する移民女性の出身地は多岐にわたる。「アイルランド移民評議会」によると、アイルランドの場合、主な出身地はラテンアメリカ、東欧の最も貧しい国々等で、例えばブラジル、ルーマニア、そしてナイジェリアが挙げられるという。

EWLが本拠を構えるベルギーでは、性産業労働者の主な出身地は、ブルガリア、アルバニア、ルーマニアである。「最近では、新たにハンガリー、ギリシャ、イタリアからの移民売春婦を多く見かけるようになりました。ここにも、売春産業が、最も弱いところを搾取する構図が如実に現れています。」とEWLはINPSの取材に対して語った。

例えば、ギリシャとイタリアは両国とも近年の経済危機の影響で、前例のない規模の緊縮財政政策の導入を余儀なくされている。

他方、フランスでは、売春自体は違法行為ではない(ポン引き行為や売春宿の保有は違法)。国内2万人の売春婦のうち、約70%が外国人と推定されている。こうした外国人売春婦の出身地は主に中・東欧及びサブサハラアフリカ地域である。

こうした中、フランス議会では多くの国会議員が売春を非合法化する動きを見せており、性労働者らが反発を強めている。

この7月、性労働者や彼女たちの人権を求める活動家が、パリでデモを行った。新たに就任したナジャット・ヴァロー=ベルカセム女性権利大臣が、街頭における売春勧誘行為を犯罪化するという提案を行っており、これに反対する人々が集ったのである。

性労働者らは、売春を犯罪化すれば売春は地下化し、ただでさえ貧しい生活の糧を奪うことになってしまうと苦境を訴えた。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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中東非核化会議へのいばらの道

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【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

中東非核・非大量破壊兵器地帯の創設に関する会議の開催地がフィンランドに決まったとの発表が国連によって2011年10月14日になされて以来、沈黙と秘密のベールが会議の運命に覆いかぶさっているかのようだ。ベールの陰から少しずつ姿を現したものはイスラエルの「沈黙の壁」だが、同国の反核活動家シャロン・ドレフ氏が執拗に突き崩そうとしているのが、まさにこの壁であり、一定の成果を収めている。

ベルリン、ロンドン、ヘルシンキの確かな筋によると、中東会議は、フィンランドのベテラン外交官・政治家であるヤッコ・ラーヤバ氏をファシリテーターとして、12月14日から16日の日程で開催される。しかし、この会議に熱心に取り組んでいる人物はほとんど見当たらない。

 「核兵器廃絶キャンペーン」(CND)の事務局長で反核・反戦運動のリーダーであるケイト・ハドソン氏は、「この提案は絵空事だと多くの人が見ています。」「もちろん、この会議が成功する前に重大な障害を乗り越えなければなりません。しかし中東にとっての最大の脅威は、間違いなく、会議そのものが開催できないという事態でしょう。」と語った

2015年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議に向けて5月初めにウィーンで開催された第1回準備委員会において[中東会議実現への]障害について報告したラーヤバ氏は、中東の内外ですでに100回以上の会合をこなしているが、すべての関係国からの参加表明は未だに得られていない、と語った。

「『何の報告もない』というラーヤバ氏の報告を受けて、再び、失望や非難が噴出してきた。イスラエルとイランはどうやら参加を見合わせるようで、これによって、シリアの参加にも大きな疑問符が付されるようになってきた。」と書いているのは、『原子科学紀要(Bulletin of Atomic Scientists)』誌のマーティン・B・マリン氏である。

しかし、ハーバード大学ケネディ行政大学院科学・国際問題ベルファーセンターで「原子力管理プロジェクト」代表を務めるマリン氏は一方で、「イスラエルは、中東で大量破壊兵器の保有を制限するルールを策定するための近隣諸国との交渉は、比較的に最も受け入れやすいオプションだと考え、最終的には交渉のテーブルでその手腕を発揮するかもしれない。」との楽観的な見方を示した。

マリン氏はその根拠として、「非大量破壊兵器地帯化の協議を進めることで、イスラエルは、核兵器と大量破壊兵器のない中東への移行の条件について交渉する間、ほぼ批判を受けることなく、核兵器を独占している現状を引き伸ばすことが可能となります。また、地域の軍備管理に関するフォーラムを、中東の別の場所における拡散に関するイスラエルの懸念を伝える場として利用することもできるのです。」と語った。

またマリン氏は、「イランにも非大量破壊兵器地帯を追求せずにはおれない安全保障上の利益がある。」と指摘した上で、「イランには、イスラエルを非核化するという長期的な安全保障上の戦略目標があるため、イランの指導層にとっていかに不快に思えようとも、地域の安全保障と大量破壊兵器の禁止に関してイスラエルと直接協議を行うことが、そのための唯一の方法なのです。」と現状を分析した。

イランの通信社「ファーズ」によれば、ファシリテーターのラーヤバ氏は、イラン政府に対して、フィンランドで予定されている会議に参加するよう正式に要請したという。彼は、イランのメフディ・アクホンザデフ外務副大臣と9月10日にテヘランで会談した際に参加要請を行った。

予定の会議日程が急速に近づく中、ラーヤバ氏や市民団体は、非核兵器地帯が世界の多くの地域において大きな成功を収めてきた集団的安全保障の形態であることを主要参加者に納得させるという大きな課題に直面している。現在、115か国・18地域が、5つの[非核兵器地帯]条約に加盟しており、南半球のほとんどを含め、地球上の大部分が非核兵器地帯化されている。

構想はイランから始まった

中東地域にそうした地帯(非核兵器地帯)を創設することを1974年に初めて提案したのは、奇しくも今では核兵器開発疑惑のために国際社会で孤立状態にあるイランであった。エジプトは、1990年、中東地域に化学兵器・生物兵器を使用した戦争に関する重大な懸念があることを反映して、イランの提案にその他の大量破壊兵器(WMD)を含める拡大提案を行った。そして1995年には、核不拡散条約(NPT)運用検討会議において、中東非大量破壊兵器地帯化に関する決議が採択された。

その15年後、2010年のNPT運用検討会議では、中東非大量破壊兵器地帯創設の目標に向けて必要な5つのステップが確認され、その中に2012年に中東非大量破壊兵器地帯創設に関する国際会議(=中東会議)を開催し、そのためのファシリテーターを指名することが含まれていた。

「中東非大量破壊兵器地帯の創設に向けて前進できなければ、それはつまり、今後起こりうる紛争において失うものがより大きいものとなるということを意味します。しかもその『失われるもの』とは、常に人的な損失を意味するのです。」とCNDのハドソン事務局長は語った。

ハドソン氏は、非核兵器地帯は、こうした危険な状況とその後の紛争激化の問題にまさに対処するための根本的なメカニズムであると、いみじくも指摘した。トラテロルコ条約(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約)には、核兵器を開発する能力を持つ巨大な原発産業を擁するライバル国であるアルゼンチンとブラジルが、いずれも含まれている。条約には信頼醸成措置の枠組みがあり、核兵器システムを追求する能力と必要性を失わせる不拡散の規範が埋め込まれている。

エジプト外務省は、一般的な懸念を反映して、2012年5月の2015年NPT再検討会議準備委員会の会合に対して、アラブ連盟はフィンランドにおける会議を核政策に関する重要な岐路だと考えている旨を記した文書を提出した。エジプトは、大量破壊兵器軍縮に向けての現実的かつ実際的な措置に合意できない場合、核兵器の拡散が中東地域における危険な現実になりかねないとしている。従って国際社会は、そうした事態を避けるために最大限の努力を傾けなければならない。

中東非大量破壊兵器地帯の創設を成功させるために不可欠な安全保障上の懸念と兵器化の能力に関して、忌憚ない議論を行うことが火急である。そしてそれは、平和と真の安全保障の構成要素であるコミュニケーションの通路を開くことから始まる。

ICAN
ICAN

これこそが、前出のドレフ氏が、グリーンピースの名の下に、さらには、とりわけ核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)との協力の下で、多くの活動家とともに行ってきたことである。

「イスラエルが会議に参加するかどうか不確実な現在の状況では、トラテロルコ条約の進化が、フィンランドでの中東会議のロール・モデルとして役立つでしょう。」とベルリン訪問中のドレフ氏は語った。

かつてのアルゼンチンのように、イスラエル(とイラン)が当初はいかなる合意にも署名しないという可能性は否定できない。しかし、中東会議は、中東非大量破壊兵器地帯の創設にとって必要不可欠な歴史的な協力と協議の引き金になる可能性があり、地域内関係にとってポジティブな意味を持つことになるだろう。

「こうしたアプローチに警戒感を示す国もあるかもしれないが、これが平和共存にとっての重要な枠組みであると確信をもてるようになれば、もちろん支持するようになるでしょう。こうした警戒心は、強力で透明性を確保した検証措置と、強制力を持った法的拘束力のあるメカニズムを通じて、徐々に信頼へと変化していくことが可能だろう。」とハドソン氏は語った。

イスラエルへの直言が必要
 
ノーベル賞を受賞した「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)ドイツ支部で核軍縮キャンペーンを行っているザンテ・ホール氏は、ドイツはイスラエルの緊密なパートナーとして、イスラエルを真剣に説得して会議に参加させる最善の努力をしなければならない、と語った。

そのためには、イスラエルは核保有国であり、冷戦思考にこだわることでそれを抑止力として正当化していると直言することが必要になってくる。

ドレフ氏は、IPPNWドイツ支部が企画した「報道陣と語る」において、「世界ではイスラエルと核能力について始終議論していますが、イスラエル国内ではあいまいさが支配しており、この『問題』はタブー化されています。」「もし我々がひとつの社会として核問題を考えようとした場合、対象は未だに現実化していないイランの核兵器ということになってしまいます。もし中東における核兵器という課題が我々の間であがったならば、即座に(イスラエルと違ってNPT加盟国である)イランを名指すことになるのです。」と語った。

ドレフ氏は、今日支配的な状況について「自分の背中を見ることができない猫背の人と同じく、私たちは、自らの兵器について見聞きし、考えることをやめてしまっています。いつでもイランに対して核攻撃を仕掛けることができると時々口にすること以上に、核兵器の必要性について疑問を呈することをしていないのです。またそのような発言をする際、イスラエルが核兵器国であるという事実は一顧だにされていないのです。」と語った。

イスラエルの人びとは、大抵の話題についてはオープンに議論をするのだが、こと核の問題となると、タブー扱いしたり、反対意見を述べるにはあまりに複雑な問題だと考えたりする傾向にある。その結果、大多数のイスラエル人にとって、核の問題は、政治や軍のトップにある人間だけが、閉じられたサークルの中で議論すべき話題なのである。

「ヘブライ語で関連の情報が出されることは稀であり、一方、英語の関連情報なら豊富にあるが、分析するのは難しいのが実情です。」「議論するのが難しい雰囲気は、イスラエルが1950年代末に核開発を開始して以来、核兵器の保有について肯定も否定のしない『あいまい政策』に固執してきたことにも由来している。つまり、(イスラエルは)中東で最初に核兵器を導入する国にはならないというのが、この国の公式な建前なのである。」とジャーナリストのピエール・クロシェンドラー氏は述べている。

従って、イスラエルの「あいまい政策」の意味するところとは、イスラエル核開発の中心地だとみなされているディモナを国際社会が無視し、イラン核開発の中枢だと見られているナタンツにばかり注目し続けさせるということである。
 
イスラエル政府関係者は、その「あいまい政策」が大量破壊兵器と同等にイスラエルの安全を高めるものだとして、高く評価している。核軍縮活動家は、そうした政策の必要性を認めた上で、イスラエルの核能力を暴露しないという制約を尊重するような議論をオープンにすべきだと提案している。こうした議論が実現すれば、かえってイスラエル社会の民主的な性格を強化することになるだろう。
 
「核兵器の必要性や、それが中東および世界に及ぼしている危険、軍縮のさまざまな可能性について真剣な議論を行うことは、今でも可能なだけではなく、むしろ義務でもあるのです。」とドレフ氏は語った。
 
ドレフ氏の活動と彼女の支持者を貫く創造性は、広島の被爆者4人をイスラエルに招き、ホロコーストを生き延びた人々を含めて、幅広くイスラエルの人々と交流させたということにも現れている。こうした訪問は、核兵器の破滅的な性格に世間の注目を集めることに貢献した。

ドレフ氏の活動は、「あいまい性という壁の向こうに隠れるイスラエルのやり方は、むしろ脅威だと見なされており、(イスラエル政府が望む)非暴力のジェスチャーだとか、脅威を与える意図が存在しないものとはみなされていない。」という信念に導かれたものである。

「他方で、イスラエル国内外で自国の核政策にメディアの注目を集めようとするイスラエルの反核運動は、もっとオープンなイスラエル、話ができるイスラエル、さらに、多様な意見が存在し表現できる一枚岩的でない民主社会としてのイスラエルを世界に示すことになるでしょう。」とドレフ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|エジプト|貧困問題が新たな社会騒乱の導火線となる

【カイロIPS=カム・マックグラ

アハメド・ハサネインさん(37歳)は、カイロ西部の工業団地にある近代的な工場で勤務している。彼はきれいにアイロンがけしたユニフォームを着て、外国ブランドの乗用車用部品を製造するラインで精密機械を操作している。シフトが終わると、家族が待つ簡素なアパート(2部屋、風呂なし、水道と電気が時折とまる)に帰宅する。彼の寝室はベッドがやっと入るくらいの大きさで、2人の子供はかつてバルコニーだったスペースに備え付けた折りたたみ式ベッドを共有している。

  ハサネインさんは、現在の給料で、家賃、公共料金、食費(食卓に時折肉か魚が並ぶ程度)をなんとか賄っている。しかし事務のパートタイムに出ている妻の収入を合わせても、月末には現金収入の殆どを使い果たしているのが現状である。

ハサネインさんのケースは、工場で骨折って働いても、賃金があまりにも低いために、自らが生産に携わっている工業製品にはとても手が届かない、無数のエジプト人労働者の一例に過ぎない。

「父はフィアット(イタリア製自動車)を所有していたので、若い頃、私はその車が壊れるまで長年乗ったものです。しかし、私の代になって車を買ったことはありません。」と言うハサネインさんは、大半の同僚と同じくバスで通勤している。

ハサネインさんは貧しい家庭に生まれたわけではない。彼は、購買力の低下に伴い生活レベルを落とさざるを得なかった何百万ものエジプト中産階級世帯とともに、貧困に陥ったのである。
 
アンワール・サダト大統領(当時)が「Infitah(門戸開放)」政策を打ち出してから過去40年の間、政府による投資企業優遇政策(安価な土地、労働者の低賃金、エネルギー経費の補填等)に惹かれて諸外国から民間資本が殺到した。一方でエジプト政府は労働組合活動を抑圧し、労働基準を骨抜きにしていった。

政治経済学者のアミール・アドリィ氏は、「エジプト政府が導入した、市場開放と新自由主義政策は、海外からの進出企業と国内の富裕層にとっては大きな恩恵となりました。しかし、その結果生じた失業、腐敗、富の不平等な配分といった弊害が、ホスニ・ムバラク大統領(当時)を失脚に追いやった民衆蜂起の主要要因となったのです。」と語った。

またアドリィ氏は、「革命前、エジプト経済は7%から8%の経済成長を遂げていました。つまりトリクルダウン効果(社会の上層部に富が集まると、その波及効果で社会の下部層も潤うというもの:IPSJ)など全く機能していなかったのです。その結果、多くの産業分野が急激なインフレに全く追いつけない事態に陥ったのです。」と語った。

ムバラク時代の遺産は、人口8300万人の実に4分の1のエジプト国民が国連が定めた貧困ライン(一日あたりの収入が2ドル)以下の生活を余儀なくされている今日のエジプト社会の現状である。エジプトの労働人口2600万人のうち、13%が失業状態にあり、多くの人々がなんら職務保証を望めない巨大なインフォーマルセクターで生計を繋がざるを得ない状況に置かれている。

エジプトの賃金水準は世界でも最低水準に位置している。国が定めた月当りの最低賃金は、昨年新たに700エジプトポンド(115ドル)に改正されるまで、20年以上にわたって35エジプトポンド(約6ドル)に抑えられていた。

「私たちは賃金が上がることを望んでいますが、それを実現する具体的な道筋は全て塞がれているのが現実です。結局は、提示された賃金を受け取って、少なくとも自分には仕事があるのだと神に感謝するしかないのです。」とフサネインさんは語った。

ムバラク政権の下では、労働者は組合活動をしないよう様々な圧力を受けた。それでも組合活動をする場合は、エジプト労働組合総連合(ETUF)傘下の24組合の一つに加入しなければならなかった。活動家らによれば、この巨大な官製労働団体は、労働者によるストライキや集団交渉を阻止することで、政府と工場主の利益に奉仕したという。

ETUFの執行委員会は2011年の民衆蜂起の後に解散したが、不正選挙によりムバラク政権への忠誠を基準に選出された組合長の多くが今でも残っている。ETUFの会員は350万人を数えるが組合費が徴収される一方で組合からの支援や見返りはほとんど期待できないのが現状である。

織物工のカリム・エル・ベヘイリさんが賃金引き上げを求めるストライキに参加したとき、それを阻止しようとしたのが、国営工場の支配人と組んだ彼自身の労働組合だったのである。

「国の肝いりで作られた組合は、労働者の権利なんて尊重しようとはしませんでした。」と、今では労働者の組合活動を支援するNGOでプロジェクトマネージャーとして働いているエル・ベヘイリさんは語った。「労働者は毎月組合費の支払いを余儀なくされましたが、官製組合の関心は、常に政府と経営者の利益のみに向けられていたのです。」

エル・ベヘイリさんは、2006年12月にボーナス未払を巡って見せかけばかりの組合代表らを相手に立ち上がったエジプト北部のマハラ・エル・コブラの織物工場の労働者24000名のうちの一人である。このストライキがその後全国各地で相次いだ非合法ストライキを誘発したことから、今日では、昨年ムバラク支配に終止符を打った民衆蜂起の出発点になったと広く見られている。

このストライキの波は経済セクターをまたがってエジプト各地で今日も続いている。エジプトの人権擁護団体「Sons of Land」によると、昨年は過去最多となる1400件の労働争議が発生した。

こうして労働運動か高まった結果、意気盛んな労働者らが、労働組合活動を巡るETUFの支配に異議を唱えるようになっており、政府の利益ではなく自らの利益を擁護するための独立系組合を自主的に組織する動きが加速している。2011年の民衆蜂起以前に労働者が自主的に設立した独立系組合は4団体に過ぎなかったが、革命後の18ヶ月の間に800以上の独立系組合が設立され、加盟人数も約300万人と見られている。

エジプト独立労働連盟(EFITU)のカマール・アブ・エイタ代表は、「私たちは労働者の権利を守り、彼らに対して説明責任を負う民主的かつ独立した組合を構築しています。」と語った。

一方、ムハンマド・ムルシ新大統領の出身母体であるイスラム系団体「ムスリム同胞団」は、ビジネス分野に幅広い権益を有しており、労働運動には反対の立場をとってきた長い歴史がある。すでにモルシ政権内部のムスリム同胞団関係者から、前政権による経済政策を継続すべきと示唆する動きもでてきている。これに対して、批評家の間からは、そのような決定がなされれば、必然的に労働者の賃金と保障が犠牲にされることになると警戒する声が上がっている。

「ムスリム同胞団は強力な労働組合を望んでいません。彼らはストライキに参加する労働者をならず者呼ばわりしており、労働組合の増加を押さえ込みたいと考えているのです。」と地元の労働問題ジャーナリストのハデール・ハッサン氏は語った。

著名なムスリム同胞団メンバーで元ETUF幹部の新労働大臣は、労働者らが自らを代弁する労働組合を業種ごとに一つに限るよう義務付ける法案を提出している。労働者の人権問題に取り組んでいる活動家らによると、もしこの法案が議会で採択されれば、ETUFと並立してきた独立系労働組合の大半が排除されることになるという。

「そうなれば、私たちはムバラク時代に立ち戻ってしまうことになるでしょう。」とハッサン氏は語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩 

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震災・津波瓦礫と闘う日本


【仙台IDN=ラメシュ・ジャウラ、浅霧勝浩

福島原発事故は、エネルギー政策再考に向けていまいちど人々の目を呼び覚まさせた。他方、日本の北東部である東北地方を襲った巨大地震・津波は、苦痛と苦難の傷を残しただけではなく、絶望を乗り越え、自らの苦悶を強さに変えようとする被災者のあくなき闘志をも引き出した。

9月の最終週、IDNとIPSジャパンは、近親者や家庭、職場を巨大な津波で失った悲しみにめげることなく、地域の再建に向けて努力する老若男女の姿を目の当たりにした。

それから約2週間後、東京でのIMF・世界銀行年次総会に先立って、日本政府と世界銀行が主催して10月9~10日の日程で行われた「仙台会合(防災と開発に関する仙台会合)」に、世界中の財務・開発関連閣僚が集った。

直接的の経済的損害が16兆9000億円(2100億ドル)、沿岸部650キロメートルが破壊、いくつかの町や村そのものが流され、2万人近くが死亡もしくは行方不明と、世界史上被害が最大規模の震災であることを考慮して、「仙台会合」は被災地域の最大の都市で開催された。

会合の主催者は、世界の政策決定者らとともに、災害リスク管理を国家の開発計画や国際開発援助と統合するためのさらなる取り組みが必要であると呼びかけた。共同声明は、災害リスクをあらゆる開発政策や投資プログラムに統合することで、リスクを予防的に管理する取り組みを加速することを、各国政府と開発パートナーに要請した。

世界銀行のジム・ヨン・キム総裁は「我々には予防の文化が必要です。災害のリスクから逃れられる国はありません。しかし、災害への脆弱性を減ずることはできます。うまく計画すれば、災害による物的損害と人命の喪失を減らすことができるのです。予防は、災害救助や対応よりもはるかにコストのかからないものなのです。」と語った。

日本の城島光力財務大臣(当時)は、「長い歴史を持つ日本の災害管理の文化と、東日本大震災とその復興プロセスから得られる教訓が世界中で共有されること」、さらには、仙台会合によって「開発プロセスのあらゆる側面において災害リスク管理を主流化する必要についてコンセンサスを得るきっかけになることを望みます。」と語った。

各国政府は、救援・復興のための機関を、官僚機構の煩わしさを避けつつ構築せねばならない。しかし、仙台市の北東46キロメートルのところで進行している復興作業は、難局に直面してもなお、市民が事態を先取りすることの必要性を強く印象づけるものであった。

瓦礫の山の下から
 
仏教系NGO「創価学会」の案内でIDNとIPSジャパンが石巻市を訪問した際に話を聞いた一人が、黒澤健一さんである。その苦難の物語は、我々の胸を深く打った。なお石巻では、人口16万4000人のうち約46%が同様の津波の被害を受けている。

彼は、2011年3月11日に発生した巨大地震の直後に大津波が襲ってきた時、自宅のある石巻市に向かって車で戻るところであった。高さ10メートルにも達した巨大津波は、太平洋岸から内陸に5キロも達した途方もない規模のもので、この時、黒澤さんも危うく巨大津波に飲み込まれかけた。

「津波は恐ろしいスピードと勢いで襲ってきて、それ以上車で逃げることは不可能でした。幸いにも、近くに松の木があって、私はそれにしがみついて何とか助かったのです。」と黒澤さんは当時の様子を振り返って語った。

「月のないその日の夜は、雪が降りしきっていました。私は凍えるような寒さの夜をなんとか耐えました。夜が明けると、水が引き出したので、妻の加代子を探し始めました。私は泥や瓦礫に足を取られ、何度も滑ったり転んだりしました。また、津波後に発生した火災で煙があたり一面に立ち込み、前がほとんど見えませんでした。妻を探す間、緊張と不安で私の目にはずっと涙がたまっていました。そして、ついに妻を見つけたのです。彼女は生きていました!」

10日後、黒澤さんは、住居とキッチン関係のショールームを兼ねた店舗がかつてあった場所に、家財を探しに出かけた。瓦礫の下に、見慣れた(ドリルの)黒い取っ手があった。「私は、配管工として長い間使っていた手持ちドリルをそこで見つけました。ケースは割れ、中のドリルは泥まみれでした。私は、胸がいっぱいになりながらドリルを手に持ち、泥を落としました。その時、まるで瓦礫の山の下から希望が湧き上がってくる感覚を覚えました。」

不安な気持ちに押しつぶされまいとして、彼は、自分の足で再び立ち上がる決意を示すための大きな看板を作ることを決めた。「瓦礫の中から廃木とねじを見つけ組み立てるのを、2人の友人が手伝ってくれました。復興を真摯に祈願して、私たちは『がんばろう!石巻』と書いたのです。」

運命の日からちょうど1か月後の2011年4月11日、彼の住居の瓦礫の中に立つ、幅11メートル・高さ2メートルの看板が登場した。

「がんばろう!石巻」の看板を写真付きで掲載してくれた新聞がいくつもありました、と黒澤さんは嬉しそうに語った。この看板は、今回の大地震と津波の生存者に流れる不屈の精神を象徴するものとなった。彼らは、自分たちの家や街の再建に動き出した。そして、この世のものとも思えない荒涼とした風景を目の当たりにして目がうつろになり、依然として呆然自失の状態に陥っていた他の市民たちに救いの手を差し伸べた。

黒澤さんは、他の数多くの生存者と同じく、人間をのみこんでいった巨大津波によってもたらされた苦痛と苦難の瓦礫の下で慄きつづけるわけにはいかない、と考えている。「私は、必ず苦難を強さに変えたいんです。それが私の使命ですから。」と黒澤さんは語った。

命を再建する

主要日刊紙『聖教新聞』は、東北の地震・津波の被災地域における創価学会員による「復興」活動(福光プロジェクト)について報じている。創価学会自体は、3・11の東日本大震災の直後から被災者への避難所の提供、食料などの救援物資の分配、会員や友人、近隣の人々の安全を確保するための捜索・救助など、被災後の復興支援活動に多大な金銭的・人的資源を投じてきた。

被災地域では多くのボランティアのチームが、主に地域の創価学会の青年部員によって、自発的に結成された。

創価学会の学生部員は、地震・津波から約4か月後の2011年7月31日、仙台市で音楽フェスティバル「ロック・ザ・ハート」という斬新なイベントを開催した。この音楽フェスティバルは、仮設住宅に住む多くの被災者や、巨大地震・津波の余波と今なお闘い続けている人々に勇気と希望のメッセージを送ることとなった。

伝説のジャズ奏者ハービー・ハンコック氏とブラジルの著名なピアニスト、ホセ・カルロス・アマラウ・ビエイラ氏が、このイベントにメッセージを寄せた。ハンコック氏は、愛する者を亡くした人々、被災によって人生を変えられてしまった人々に心からの連帯と支援のメッセージを送った。また、勇気をもって前に進み、いかなる状況をも乗り越える元気を人間に与える音楽の力を称賛した。
 
国土交通省の雇った技師らによる優れた取り組みのひとつが、2011年9月17日に始まった宮城県石巻地区(石巻市•東松島市•女川町)の震災瓦礫処理プロジェクトである。2014年3月25日まで続く見込みである。それまでに、およそ43万立法メートルの津波堆積物と310万トンの瓦礫を、もっとも徹底的で、かつ可能な限り迅速なやり方で、分類・洗浄・処分することになる。
 
仙台市近郊で行われるプロジェクトのひとつであるこの事業の予想費用は1482億円(21億8525万ドル)に達する。「これは途方もない額であるし、瓦礫問題に対処する努力のレベルは並大抵のものではないが、5000人以上の住民が亡くなり、生存者の生活も決して震災以前と同じようなものではありえない石巻地区においては、人間を襲った惨害のコストに遠く及ぶものではない。」と正しくも指摘するのは、米国の『整地・掘削業者雑誌』の編集者ジョン・トロッティ氏である。これは、この地に訪れる人なら皆が納得する指摘であろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【東京WAM】

日本政府はアラブ首長国連邦(UAE)、とりわけアブダビ首長国との経済関係強化を通じてエネルギー安全保障の一層の充実を図ろうとしている。UAEは日本の原油需要の25%を充足しているほか、最近も再生可能エネルギー(太陽光、風力、バイオマス等)プロジェクトプラットフォームのパートナーになっている。

アブダビ首長国は2006年以来、再生可能エネルギーにますます着目するようになっており、一方、日本は環境、エネルギー分野において先進的な技術を持っています。こうした中で、両国が関係を一層緊密にしていくこと、そして、アブダビ首長国国営の再生可能エネルギー関連企業、マスダールがこうした技術を活用されることを願っています。」と、株式会社日本政策投資銀行(DBJ)企業金融第5部の加藤隆宏課長は東京で行われたWAMの取材に応じて語った。

 「日本の原油輸入の25%はアブダビ首長国からのものですから、UAEは日本のエネルギー安全保障にとって重要な国です。」と加藤氏は語った。

日本の政策金融機関であるDBJによると、とりわけ東日本が大震災と津波に見舞われた2011年3月11日以降、日本のエネルギー政策に対する見直しが進められており、殆どの原発が稼働停止している中、火力発電に必要な原油は引き続き重要な位置を占めている。

DBJに関連した民間企業やプロジェクトについて挙げれば、日本のコスモ石油株式会社の株式の20%はUAEの政府系投資機関、国際石油投資会社(IPIC)が所有しており現在筆頭株主である。

加藤氏は「ひとつにはIPICの株式所有の現状、またひとつには原油輸入の重要性を考えれば、アブダビにおける原油採掘権は、日本のエネルギー事情のみならず、コスモ石油のような民間企業にとりましても極めて重要な位置を占めています。」「DBJのミッションはコスモ石油のような民間企業に対して融資を行うことです。ビジネスの安定を考えれば、こうした民間企業がアブダビ首長国にビジネス利益を維持することが非常に重要です。」と語った。

また加藤氏は、「アブダビのマスダール社とDBJは既に具体的な協同関係を構築しています。2009年、私たちは、総投資額は公表しませんでしたが、マスダール社が運営するDB Masdar Clean Tech Fund(世界的ネットワークと技術審査力を持つ投資ファンド)への投資を行いました。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|UAE|マララ・ユサフザイさんへの治療と搬送作業が進められる

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の特別医療班が、パキスタンの人権活動家で9日に襲撃された(頭部と首に2発の銃弾を受けた:IPSJ)マララ・ユサフザイさん(14歳)の治療と今後の安全を期してパキスタン国外の医療施設への搬送を手配するために、10月14日、パキスタン入りした。

ユサフザイさんは、スワット渓谷で通っていた中学校から帰宅するためスクールバスに乗っていたところを複数の男に銃撃され、一緒にいた2人の女子生徒と共に負傷した。

UAEは、パキスタン政府当局との緊密な連携のもと、ユスフザイさんへの医療支援を実施するとともに、国外の病院施設への搬送手続きを進めている。

 「僅か14歳のユサフザイさんへの襲撃は、無防備な子どもを襲った卑劣な犯行というだけではなく、彼女を含む全ての子どもらが有している偏見や抑圧に左右されない未来への権利を踏みにじるものである。襲撃犯らはあまねく非難されるべきであり、法の裁きを受けさせなければならない。彼女は女子の就学を禁止させようとする原理主義者ら(タリバン)に勇気を持って立ち向かい、女性への教育の必要性や平和を訴え続けていた。私たちもユサフザイさんとともに寛容と尊敬のスピリットを育んでいかなければなりません。」と、アブダビのムハンマド・ビン・ザイード・アール・ナヒヤーン皇太子殿下は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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核実験禁止へ蝸牛の歩み

【ウィーンIDN=ジャムシェッド・バルアー】

インドのジャワハルラル・ネルー首相(当時)が1954年4月2日に核実験の「休止協定」を呼び掛けて以来、世界196か国のうち183か国が、地表、大気圏、水中、地中と、地球上のいかなる場所で誰が核爆発実験を行うことも禁じた包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名している。

核兵器国3か国(フランス、ロシア、英国)を含めた157か国が条約を批准している。しかし、CTBTが発効するには、核技術を保有した特定の44か国が条約に署名し、批准する必要がある。そのうち、中国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、米国の8か国がまだ手続きを済ませていない。インド、北朝鮮、パキスタンは署名すらしていない。

にもかかわらず、CTBTが3年間の集中的な交渉を経てニューヨークの国連総会で署名に開放された1996年9月24日以来、世界はわずかながら安全な場所になった。というのも、CTBTには、核実験が気づかれずに実施されることのないよう、独特で包括的な検証体制が備わっているからである。

 CTBT以前の50年間で、2000回以上の核実験が地球を揺るがし汚染してきた。しかし、包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会によれば、CTBT以降はほんのわずかの核実験しか行われていない。インドとパキスタンが1998年に、北朝鮮が2006年と2009年に行っただけである。

国際社会はこれに対して、国連安保理による制裁をかけるなど、漏れなく非難を加えてきた。ティボール・トート(ハンガリー出身)氏を事務局長とするCTBTO(本拠:ウィーン)は、「核実験を絶対に許さないというスタンスは、CTBTの署名国の多さに表れています。183か国、すなわち世界のすべての国の90%以上が署名しているのです。」と語った。

共同の呼びかけ

しかし、これで満足はしていられない。ニューヨークの国連本部で9月27日に会合を開いた各国外相・高級代表が、CTBT発効促進のための共同声明を発したのは、このためである。

外相らは、共同声明において、CTBTの早期発効は「核兵器の開発及び質的改善を抑制することで核兵器の削減及び究極的廃絶につながる重要なステップ」であると述べ、「依然として条約に署名・批准していない国々、とりわけ附属書2にある残りの8か国[中国、朝鮮民主主義人民共和国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、パキスタン、米国]は、すみやかに署名・批准を行うこと」を求めた。
 
国連の潘基文事務総長は、未署名・未批准国に対するこの声明に賛同し、「国際社会の一員としての責任を果たしていない」とこれらの国に呼びかけている

CTBTOのトート事務局長は、キューバミサイル危機50年という状況の下、歴史的経緯について会合で語った。核の危険を乗り越えるための政治的リーダーシップを呼びかけ、CTBTは核兵器なき世界に向けた道標であることを強調した。

国連本部での会合は、オーストラリア、カナダ、フィンランド、日本、メキシコ、オランダ、スウェーデンの外相が共催した。

レイキャビクでの出来事

演劇「レイキャビク」の作者でピューリツァー賞の受賞者リチャード・ローズ氏は、核絶滅の危機は人為的なものであり、したがって、1986年のレイキャビク・サミットが示すように、人為的な解決策を見つけることができると代表らに語りかけた。レイキャビクにおいてロナルド・レーガン米大統領(当時)とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長は核兵器廃絶に近づく合意を行った。これについてローズ氏は「核兵器なき世界はユートピア的な夢ではないのです。」と語った。彼はまた、同日夜にニューヨークのバルーク演劇アートセンターで行われる予定の「レイキャビク」の上演に代表らを招待した。

演劇は、リチャード・イーストン氏演じるレーガン大統領と、ジェイ・O・サンダース氏演じるゴルバチョフ書記長が、1986年10月にアイスランドのレイキャビクで開かれたサミットで、核兵器全廃に近づいた瞬間を描いている。この出来事から25年以上経過した今も、会合のもったドラマ性と、歴史の流れを根本的に変える可能性が、人々の想像力に火をつけ、未来への希望を掻き立てている。演劇はタイラー・マーチャント氏が演出し、プライマリー・ステージズ氏が製作している。

レイキャビク交渉の文書が公開された今、サミットの主要参加者は自由に発言することができる。観劇の後で開かれたパネル討論で、彼らは、この出来事の持つ教訓、失われた機会、核兵器廃絶に向けて今日何が必要とされているかについて議論した。

トート事務局長は、「依然として核の脅威に覆われた現在の政治的環境の下では、レイキャビク交渉を再考することで、政治的意思とビジョンを持った強力な指導によって、核軍縮の突破口を作り出せるという教訓を得ることができます。」「とりわけ、条約発効に必要な8か国にはそうしてもらいたい。」と語った。

他方、インドは、「最終的な(CTBTの)文言が、交渉で協議された義務に地位を与えていないことを遺憾に思う。CTBTは包括的な禁止ではなく、核爆発実験の禁止にとどまっている。それに、核軍縮への明確な誓約にも欠いている。」と主張している。

しかし、CTBTOによれば、CTBT交渉団の一員であったキース・ハンセン氏は、インドのCTBT署名拒否は、条約それ自体に対する不満もさることながら、核保有国の「核クラブ」に加入したいというインドの野望によるものでもあると考えているという。

翻訳=IPS Japan

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|UAE|15歳のUAE国籍の少年がキリマンジャロ山登頂に成功

【シャルジャWAM】

モアウィヤ・サレー・アル・シュナー君(15歳)が、キリマンジャロ山の頂に立ったUAE国籍最年少の人物として脚光を浴びている。

キリマンジャロ山(5,895メートル)は、アフリカ大陸でもっとも高い山で、山脈以外の山としては世界一の高さを誇る。また、世界七大陸最高峰の一つに数えられており、多くの登山家を魅了してきた山である。

ドバイ英語学院(DESC)の生徒モアウィヤ君は、8月に15人のチームで山頂に挑み、7日の行程を経て登頂に成功した。途中脱落したのは5名だった。

モアウィヤ君は帰国した際、記者に対して「山頂に到達した際の達成感は忘れられません。その際、とりわけ、山頂に至るまでの様々な障害や苦労が一気に脳裏に蘇りました。今回の旅は私にとってとても特別なものであり、この時に感じた様々な障害を乗り切ったという達成感こそが、山頂の光景よりもむしろ将来にわたって懐かしく思い出されるのだろうと思います。」と語った。

 
またモアウィヤ君は「最大の課題は、寒さ対策など何が起こるかわからない登山に備えて体を鍛えることでした。実際に到達した際の頂上の環境は、気温が零下15度から20度で、酸素レベルが海面の半分というもので、疲労困憊した体には過酷なものでした。そしてもうひとつの課題は、登山準備期間がラマダン月と重なったため日中断食をしながら登山訓練をしなければならなかったことです。」と付け加えた。

また今回キリマンジャロ山登頂に挑んだ動機について、モアウィヤ君は、父親の大きな励ましがあったと語った。父からこの話をされた時、モアウィヤ君は学校でちょうどオマーンの山々遠征を含むエジンバラ公賞(銅賞)プログラムを終えたばかりで、キリマンジャロ遠征は素晴らしい冒険であり挑戦の機会だと思ったという。

モアウィヤ君は、今回の成果を、祖国UAEといつも困難を克服するうえで手本となってきた同国の指導者らに捧げる、と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan 

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包括的核実験禁止条約批准へ核兵器国への圧力高まる

【国連IPS=ハイダー・リツヴィ】

米国とその他少数の核兵器国が、核実験を法的に禁止する国際社会の決意をすみやかに受け入れるよう、強い圧力を受けている。

スウェーデンのカール・ビルト外相は、包括的核実験禁止条約(CTBT)促進のために国連で開かれている高級閣僚会議において9月27日、「核兵器の廃絶は、核兵器を使用させないための究極の保証であり、最善の核不拡散メカニズムである」と演説した。

また、「核実験を終わらせることは、核軍縮に向けた重要なステップである」とも外相は述べ、これに、オーストラリア、オランダ、インドネシア、日本、フィンランド、カナダなども同調した。

CTBTは、「いかなる核兵器実験爆発、あるいはその他のいかなる核爆発」を世界のいかなる場所においても禁じている。1996年9月に署名開放されたCTBTは、これまで183か国が署名、157か国が批准している。しかし、CTBTが協議されていた時点で原子力を保有するか研究炉を持つ44か国の批准が発効に必要とされている。

 これらの国のほとんどがすでに批准しているが、米国、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル、イラン、エジプトが依然として批准していない。2009年、米国のバラク・オバマ大統領が上院で条約批准を目指す意向を明らかにした。しかし、明確な時限を示したわけではない。

条項の遵守を検証するために、条約では監視施設の世界的ネットワークを確立し、疑わしい行為に関しては現地査察を許容している。合意の全体は、前文、17か条からなる本文、2つの附属書、検証手続きに関する1つの議定書から成っている。

外相らは今回、共同声明において、依然として署名あるいは批准を済ませていない国に対して、これ以上履行プロセスを遅らせるべきでないないと呼びかけた。包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会のティボール・トート事務局長は、今年がキューバミサイル危機50周年にあたる背景を踏まえて、歴史的経緯について語った。

「50年前、ソ連と米国は世界を絶望の淵に陥れました。しかし、ワシントンやモスクワ、その他数えきれない世界の首都において緊張が沸点に達した時、そうした脅威が起こるのを防ぐ必要が認識され、明徴の時が訪れたのです。」とトート事務局長は語った。
 
危機のさなか、ソ連のニキータ・フルシチョフ首相は、米国のジョン・F・ケネディ大統領に対して、核実験の禁止を「同時並行的に」行うことでキューバミサイル危機を収めることを提案したのだった。トート事務局長は、「この(提案は)、人類にとっての大変な授け物であった」としたうえで、「(この出来事は)今日と同じように、当時にあっても、核実験によって自然環境及び政治的環境が毒されることを明白に示すものです。」と語った。

他方、国連の潘基文事務総長は、CTBT未加盟の国々に対して、「(あなたがたの国は)国際社会の一員としての責任を果たしていない。」と批判した。

演劇「レイキャビク」の作者でピューリッツァー賞の受賞者リチャード・ローズ氏は、核絶滅の危機は人為的なものであり、1986年のレイキャビク・サミットの先例が示すように、人為的な解決策を見つけることができる、と語った。

レイキャビクにおいて、ロナルド・レーガン米大統領とミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長が核兵器廃絶に近づく合意を行ったことに言及して、ローズ氏は「核兵器なき世界の実現は、決してユートピア的な夢ではないのです。」と語った。

日本の玄葉光一郎外務大臣は、国連総会に合わせて行われた日本のメディアとの会合で、監視システムを強化する必要について強調した。日本は、1945年の米国による核攻撃の結果、生命の大量破壊を実際に経験した唯一の国である。

今回の会合では、イランと北朝鮮が核関連活動に関して痛烈な批判にさらされたが、数百発の核兵器を保有しながらCTBTに加入する意志を示していないイスラエル、インド、パキスタンについてはまったく言及されなかった。

また、米国が核兵器の近代化を行っているという報告についての討論もまったく行われなかった。

CTBT以前の50年間で2000回以上の核実験が地球を揺るがし汚染したとされているが、CTBT後の世界では数えるほどしか行われていない。それらはすなわち、1998年のインドとパキスタンによるものと、2006年と2009年の北朝鮮による核実験である。

CTBTは、大気圏、宇宙空間、水中、地中と地球のあらゆる場所で誰が核実験を行うことも禁じている。とくに、核兵器廃絶という究極的目標をもって、核兵器を世界的に削減していく必要をCTBTは強調している。

条約の前文は、「核兵器の開発及び質的な改善を抑制し、並びに高度な新型の核兵器の開発を終了させること」によって、CTBTを核軍縮と核不拡散の効果的措置たらしめることを謳っている。

条約第7条では、条約発効後に加盟国が条約の改正を提起する権利を定めている。改正が提起された場合は、採択されるには、いかなる締約国も反対票を投ずることなく、締約国の過半数の賛成票が必要になる。

オーストラリア、日本、インドネシアの外相がいわゆる「平和的核爆発」に関連する修正プロセスについて見解を問われたが、答えを持ち合わせていないようであった。外相らは顔を見合わせて、沈黙を保った。

しかし、オーストラリアのボブ・カー外相は、のちにIPSの取材に対して、「確認してみる」と答えた。

CTBTO準備委員会によると、条約第8条において、条約発効から10年後に、前文も含め、条項の履行状況を確認するための会議を開くものとされている。この再検討会議では、いわゆる「平和的核爆発」(PNEs)の問題を議題に乗せることを提起する加盟国が現れるかもしれない。

しかしCTBTO準備委員会は、「ある実質的に乗り越えがたい障害を越えない限り」、平和的核爆発は禁止され続けるであろうとみている。その根拠はすなわち、「(第7条の規定に従って)再検討会議において、平和的核爆発が認められると異論なく決定し、次に、条約の改正が承認されなくてはならない」からである。

またCTBTO準備委員会は、そうした改正は「そうした爆発から軍事的利益が生まれないことを証明しなくてはならない。この二重のハードルによって、平和的核爆発が条約の下で容認される可能性は限りなくゼロに近いと言えるだろう。」としている。

CTBTO準備委員会によると、1960年代から80年代末にかけて、とくにソ連と米国が経済的理由から「平和的核爆発」の理念を追求したが、「結果はさまざまであった」という。

1945年から1996年にかけての2050回超(その内大気圏内は502回)の核爆発のうち、150回超(全体の約7%)が平和目的であったとされる。

専門家らは、平和的核爆発は人体や環境へのマイナスの影響の点で核兵器の実験と質的に何ら変わるところはないとしている。もちろん、爆発装置自体も、同じ技術的特徴を有しているのである。


翻訳=IPS Japan

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