ホーム ブログ ページ 226

|視点|パリの大量殺傷事件―欧州にとって致命的な落とし穴(ロベルト・サビオIPS創立者)

0

【Othernews=ロベルト・サビオ】

かつて文明の揺籃の地であった欧州大陸が、イスラム教に対する聖戦という落とし穴へと、やみくもに突き進んでいる様を見るのは辛い。しかも僅か6人のイスラム過激派テロリストがその引き金になるのに十分だったという現実に、思わず暗澹たる気持ちになる。

Je suis Charlie/ Wikimedia Commons

しかしそろそろ、世界を席巻した「私たちはシャルリー・エブド」という熱狂から目を覚まし、事実を検証するとともに、私たちが実は少数の過激派の術中にはまり、彼らと同じような思考に染まろうとしている現実を理解すべき頃合いだろう。なぜなら、「西側欧米諸国とイスラム教の間の対立が今後さらに先鋭化すれば、その先には世界を巻き込むより悲惨な結末が待っているからだ。

まず一つ目の事実は、イスラム教が全人類の23%にあたる16億人の信徒を擁する、世界で2番目に大きな宗教という点だ。その内、アラブ人の信徒数は僅か3億1700万人に過ぎない。世界でイスラム教徒が人口の大半を占める国は49カ国にのぼるが、その3分の2近く(62%)がアジア・太平洋地域に位置している。事実、中東・アラブ地域のイスラム教徒よりもインドとパキスタンのイスラム教徒(3億4400万人)の方が多いのだ。また、インドネシア一国だけでも、2億900万人のイスラム教徒がいる。

ピュー・リサーチ・センターは、イスラム世界に関する調査報告書の中で、イスラム教の戒律の順守や見解については、中東よりもむしろ南アジア地域の方が、より過激な傾向にあると指摘している。例えば、「犯罪者に対して厳しい刑罰で臨むべき」と回答した者は、中東・北アフリカで57%だったのに対して南アジアでは81%であった。また、「イスラム教を棄教したものを死刑にすべき」と回答した者は、中東では56%だったのに対して、南アジアでは76%にのぼっている。

従って、今日欧米諸国との紛争にとりわけアラブ人が関与している特異性の背景には、明らかに(イスラム教そのものというよりも)中東の歴史が関っている。以下にその4つの理由を解説しよう。

一つ目の理由は、全てのアラブ諸国が(かつての欧州植民地帝国或いは列強諸国による)人工的な創造の産物であるという点だ。第一次世界大戦中の1916年5月、フランスの外交官フランソワ・マリ・ドニ・ジョルジュ=ピコ氏と英国の中東専門家マーク・サイクス卿が、ロシア帝国とイタリア王国の支持のもとに会談を重ね、大戦終結後のオスマン帝国領(現在の中東地域を含む)の分割に関する秘密協定をとりまとめた(サイクス=ピコ協定)。

French diplomat Francois Georges-Picot and Mark Sykes/ Wikimedia Commons
French diplomat Francois Georges-Picot and Mark Sykes/ Wikimedia Commons

従って今日のアラブ諸国は、フランスと英国が中東地域の民族、宗教、或いは歴史的背景を一顧だにすることなく地図上に国境線を引き、互いの勢力圏を分断定義した結果誕生した国々なのだ。中にはエジプトのように歴史的なアイデンティティを保持できた国もあったが、イラク、サウジアラビア、ヨルダンアラブ首長国連邦といった国々ではそれさえ叶わなかった。今日、人口3000万人におよぶクルド人が未だに自らの国を持てず中東の4カ国(トルコ、シリア、イラク、イラン)に分断された状態に置かれている問題のルーツは、まさに、この欧州列強による中東分割にあることを、想起しておく価値はあるだろう。

2つ目の理由は、欧州列強が、そうして打ち立てた新国家に、息のかかった人物を王や首長に据えた点だ。当時、こうした人工国家を経営していくには、強権による支配を必要とした。そこで、これらの国々では、当時欧州で進行していた民主主義のプロセスとは全く合わない政治体制が敷かれ、民衆の政治参加は建国当初から完全に欠如することとなった。つまり中東諸国では、欧州列強の承認のもと、「時」が事実上「封建時代」で凍結されたのである。

さらに3つ目の理由として、欧州列強がこれらの国々に対して、産業開発や地元民衆の真の発展に資するような事業に一切投資を行なわなかった点が挙げられる。一方、欧州列強は石油採掘権については、外国企業に独占させた。その結果、石油輸出の恩恵がアラブ人に享受されるようになったのは、第二次世界大戦後の、非植民地化プロセスが進展してからのことだった。

こうして第二次大戦後に欧州列強が去った時、アラブ諸国には、いかなる近代的な政治体制もインフラ設備も、地元の管理体制も皆無な状態だった。

最後に、より現在の問題に関る点だが、4つ目の理由として、欧州列強が残していった中東の支配者らが一般民衆に対する教育や医療を顧みなかった中で、代わりに敬虔なイスラム教徒らが、政府が提供しないサービスを提供する役割を担ってきた点が挙げられる。そうしたイスラム系慈善組織が設立した神学校や病院のネットワークは、その後中東各国で大きく発展したことから、複数政党制が導入されると、こうした草の根の実績がイスラム系政治団体の正当性と民衆支持の基盤となっていったのだった。

それだけに、中東の2カ国を例に挙げると、エジプトやアルジェリアでは、イスラム系政党が選挙で勝利し、その勢いを止めるには、欧米諸国の黙認のもとで軍事クーデターを引き起こすしか手段がなかったのである。

もちろん長年に亘る歴史をこの限られた紙面に凝縮して説明しようとすれば、当然ながら内容は表面的なものとなり、欠落している点も多々出てくることは避けられないだろう。しかし、今日の中東地域全体を覆っている民衆の怒りと不満がどのようなものか、そして、それらがいかにして貧困層の人々の「イスラム国」への関心を惹きつける結果となっているかを理解するには、この容赦なく要約した中東の歴史プロセスが役に立つだろう。

私たちはこうした歴史的な背景を忘れてはならない。なぜなら中東では、たとえ歴史に疎い若者でも、イスラエルによるパレスチナ占領という現実から、欧米によるアラブ支配の歴史を常に思い知らされる構図があるからだ。とりわけ米国のイスラエルに対する無条件の支援は、アラブ人の間では屈辱の歴史を永続化する行為と受け止められている。また、歯止めがかからないイスラエルによるユダヤ人入植地の拡大は、パレスチナ国家樹立の可能性を事実上不可能にしている。

Map of Israel
Map of Israel

昨年7月から8月に勃発したイスラエル軍によるガザ空爆に際して、欧米諸国の反応は形式的な抗議に終始するものだった。このことはアラブ世界では、「欧米の意図は結局のところ、アラブ民衆を抑えつけ、本来排除されるべき腐敗して正当性が疑われている中東の支配者らとの同盟関係のみに関心がある」という明らかな証左だと受け取られた。また、ピュー・リサーチ・センターも指摘しているとおり、欧米諸国のレバノン、シリア、イラクへの絶え間ない干渉や、各地で展開している無人攻撃機による爆撃作戦は、イスラム教徒の間では、イスラム教を抑え込もうとする欧米諸国の歴史的な政策の一環だと広く受け取られている。

また私たちは、イスラム世界にはいくつかの内部対立があること記憶にとどめておくべきだ。なかでも最大のものが、スンニ派シーア派の対立である。しかし中東アラブ地域ではスンニ派イスラム教徒の少なくとも40%がシーア派を同じイスラム教徒とはみなしていないのに対して、アラブ地域以外ではこの傾向が希薄になる。インドネシアでは、自身をスンニ派と自認した人々は僅か26%にとどまり、実に56%の人々が自身を「ただのイスラム教徒」と回答していた。

アラブ世界で、人口の大半を占めるスンニ派住民がシーア派住民を同じイスラム教徒として認め、両者のコミュニティーが共存してきた国は、イラクレバノンのみである。中東地域における両派対立の構図は、全イスラム教徒の僅か13%にあたるシーア派が多数を占めるイランと、スンニ派が多数を占めるサウジアラビアを軸に展開しており、両国の指導者が対立を掻き立てている。

「イスラム国」の前身組織でイラクを活動拠点とした「メソポタミアの聖戦アルカイダ機構」は、当時の指導者アブムサブ・ザルカウィ(1966~2006)の指揮の下に、シーア派住民への攻撃を執拗に繰り返すことで、イラク社会の二極化(それまで共存してきたスンニ派住民とシーア派住民間の対立と暴力の連鎖)と、首都バグダッドのスンニ派住民(約100万人)に対する民族浄化の悲劇を引き起こした。その際、シーア派の住民や武装組織による報復の対象となり、家族や財産を奪われたスンニ派住民の多くは、同じスンニ派の「イスラム国」(そもそもシーア派住民を攻撃してこの悲劇を引き起こした張本人)に保護と求めた。過激なカリフ制の復活を謳い欧米のみならずアラブ世界全体と対立している「イスラム国」がイラクで多くのスンニ派住民を引き付けている背景にはこのような皮肉な事情がある。

さて、オタワロンドン、そして今回のパリと、欧米で発生した全てのテロ事件には、奇妙な共通点がある。つまり、実行犯はいずれもアラブ地域出身者ではなく犯行が行われた国出身の若者で、居場所を転々とし、職につかず社会から孤立していた人物であった。また、いずれも10代を通じで全くと言っていいほど信仰心に篤い人物ではなかった。さらに、犯人のほぼ全員が、過去に司法当局の世話になっていた。

犯人がイスラム教に改宗し不信心者を殺せという「イスラム国」の要求を受け入れたのは犯行の僅か数年前のことだった。現世の将来に絶望していた若者は、これにより自分の人生に意義を見出し、殉教者として天国で重要な位置を得られると考えたのだ。

こうしたテロ事件をうけて、近年欧米諸国では、イスラム教そのものを敵視する動きが高まってきている。1月7日版の「ニューヨーカー」誌は、「イスラムは宗教ではなくイデオロギーだ」とする感情的な記事を掲載した。イタリアでは、右派で移民排斥を訴えている政党「北部同盟」のリーダーであるマッテオ・サルビーニが、イスラム世界との対話を進めているとしてローマ法王を公然と批判したほか、政治評論家のジュリアーノ・フェッラーラがテレビ番組の中で「我々は聖戦を戦っている」と宣言した。

パリの大量殺傷事件に対する欧州(と米国)の全般的な反応は、フランソワ・オランド大統領が言う、「極端なイデオロギー」が引き起こした結果として非難するものだ。

しかし一方で、アンゲラ・メルケル首相が先般反対の立場を表明した、右派ポピュリスト団体「PEGIDA(西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人)」がドレスデン(イスラム教徒の人口は2%)で行った反移民デモ行進も、高まる反イスラムの潮流という「極端なイデオロギー」を示すものだ。Pegidaの標的はドイツへの亡命を希望している200万人の難民(大半がイラク人とシリア人)で、「彼らの真の意図は戦争からの逃避ではない」等と主張して、昨年10月から毎週ドイツ各地で反移民集会を開いている。

一方で欧州各国を網羅した調査報告書によると、移住者の圧倒的多数が、移住先の経済にうまく溶け込んでいる。国連の報告書も、欧州における人口減少問題との関連から、今後欧州諸国が今日の社会福祉体制を維持し、国際社会において競争力を維持していくためには、2050年までに少なくとも2000万人の移民を受け入れる必要があると結論付けている。しかし、今日欧州各地で発生している現実は、それに逆行するものである。

また今日欧州では、政府を解散に追い込んだスウェーデン民主党や前回の地方選で25%の得票率を獲得し、更なる躍進を狙うフランス国民戦線の例にみられるように、排外主義的なナショナリズムを掲げる右派諸政党が、英国、デンマーク、オランダ等、各地で勢力を伸ばしている。

Marine Le Pen/ Wikimedia Commons
Marine Le Pen/ Wikimedia Commons

今回パリで発生したテロ事件は、言うまでもなく極悪非道の犯罪であり、如何なる意見の表明も、民主主義に欠かせないものだが、一方で、今回の事件以前にシャルリー・エブド紙を実際に読んでその挑発の程度を確認したことがある者は極めて少なかったという事実も、踏まえておくべきだろう。ガーディアン紙のタリーク・ラマダン氏が1月10日付の論説の中で指摘しているように、シャルリー・エブド紙は、「表現の自由」を主張する一方で、2008年に社員の漫画家がニコラ・サルコジ大統領(当時)の子息とユダヤ人女性の結婚を風刺した作品を反ユダヤ的だと非難された際には、その社員を解雇している。

シャルリー・エブド紙は、世界におけるフランスの優越性とフランス文化の優位性を擁護する声であり、読者数はごく限られたものだった。そしてそうした読者も(異なる文化や宗教間の尊重と協力を基礎とした世界観とは真逆の)挑発的な内容を売りにして獲得したものだった。

そして今、「私たちはシャルリー・エブド」の大合唱が起こっている。しかし、世界の二大宗教間の衝突を先鋭化させれば、決して些細な出来事では終わらないだろう。私たちは、犯人がイスラム教徒であろうがなかろうが、テロと戦わなければならない(私たちは、ノルウェー人でキリスト教原理主義者のアンネシュ・ベーリン・ブレイビクが、イスラム教徒がいない祖国を訴えて同胞のノルウェー市民91人を殺害した事件のことを忘れてはならない。)

しかし私たちは今や致命的な落し穴にはまり込み、イスラム教への聖戦を押し進め、結局は圧倒的な大多数を占める穏健なイスラム教徒までが追いつめられ、やむなく武器をとって戦う…という、まさにイスラム過激派が望むシナリオへと突き進んでいるのだ。

欧州諸国の右派諸政党が、こうした社会の急進化から恩恵を被る状況は、実は、イスラム過激派らにとっては歓迎する事態なのだ。イスラム過激派は、世界を戦いに巻き込み、その中で独自のイスラム教(つまりイスラム教であれば何でも良いわけではなく、スンニ派の教義を彼らが独自に解釈したもの)を唯一の宗教として打ち立てることを夢見ているのだ。これに対して、私たちは、本来ならこうした過激派を孤立させる戦略を採用すべきなのに、(彼らが望む)対決策に手を染めているのだ。

さらに言えば、アラブ世界で現在起こっていることと比べれば(例えば、シリア一国だけでも昨年だけで50,000人が命を失った)、これまで欧米諸国で命を失ったテロの犠牲者の数は、ニューヨークの9・11同時多発テロ事件のケースを除いて、ごく小さい規模でとどまっている。

私たちは、実は「世界規模の悲惨な衝突を創り出そうとしている」ということに気づくことなく、なぜこうもやみくもに落し穴に向かって突き進んでいこうとするのだろうか?

翻訳=INPS Japan

translated by Katsuhiro Asagiri

関連記事:

危ういスンニ・シーア間の宗派対立(R.S.カルハ前駐イラクインド特命全権大使)

すべての形態の平等に銃を向けた男(ウテ・ショープ)

|オプエド|ガザに盲いて(ジャヤンタ・ダナパラ元軍縮問題担当国連事務次長)

|オーストラリア|核兵器のない世界を求める核実験の被害者たち

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

先住民族コカタ・ムラ(Kokatha-Mula)の女性スー・コールマン=ヘーゼルタイン氏は、オーストラリア西岸沖のモンテベロ島や南オーストラリアのエミュフィールドマラリンガで英国が大気圏内核実験を始めたころ、まだ3才だった。

1952年から63年にかけて行われた12回の核実験は、スーの家族や近所の人々が住んでいたクーニッバを含む広範な地帯を汚染した。

Wikimedia Commons
Wikimedia Commons

「核実験が始まった時、地域にはアボリジニの人々が住んでいました。実験場近くでは多くの人々が死に、様々な重病に侵されました。『トーテム1』と呼ばれた最初の原爆被害は広範囲にわたり、『黒い霧』についての証言が数多くあります。このせいで多くの人が死に、視力を失い、重い病気に罹ったのです」とスーは語った。核実験が始まる以前は、獲物を獲り自然の果物を採集する健康的な生活を送っていたと、お年寄りたちが語っていたことをスーは覚えている。

オーストラリア非核連合(ANFA)の会合に出席した際に放射性降下物について知ったスーは、「地域のお年寄りたちは、『ヌラーボー(Nullarbor)』という雲のことについて話してくれましたが、それはマラリンガでの核実験による放射性降下物だったのです。私たちは爆心地にいたわけではないのですが、雲はひとところにとどまっていませんでした。風に乗ってどこへでも運ばれていたのです。癌になって亡くなった人たちもいましたが、それ以前私たちは癌などというものは知りませんでした。」と、当時を思い出して語った。

アボリジニの人々はANFAの前身にあたる「反ウラン連合」を1997年に立ち上げた。オーストラリア、とくに先住民族の居住地域において進行中あるいは予定されている核開発に懸念を持つNGOがこれに加わった。

Sue Coleman-Haseldine/ MFA

アボリジニにとって土地は彼らの文化の基盤である。低木の食物がおそらくは汚染されていると聞いてスーはショックを受けた。スーはIDNの取材に対して、「自然は食べ物を得るスーパーマーケットであり、薬を手に入れる薬屋であり、それを維持することは私たちの信条なのです。アボリジニであるかどうかは関係ありません。この国のこの地域に住んでいる全員が、家族の中での早すぎる病気や死についての悲しい経験を抱えているのです。癌はその最たるものですが、甲状腺疾患を患っている人々も少なくありません。」と語った。

不妊、死産、先天性異常等の問題は核実験時の方がよく起こっていたが、今日でも、スーのような人々は、その地域で現在もある放射能汚染や世代間で引き継がれる遺伝子の変化と、自分たちの健康状態の間には何かの因果関係があるのではないかと疑っている。スーは、核兵器が永遠に禁止され、核兵器を製造できるウランを地下に埋めたままにしてほしいと考えている。

Uran/ Wikimedia Commons
Uran/ Wikimedia Commons

昨年、諸政府や国連機関、市民社会からの参加者がオスロ(ノルウェー)に集い、「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)を初めて開催した。その成果を受けて、2月にはメキシコ政府が主催し、ナヤリットで146か国が参加した第2回会議が開かれた。10月には、国連加盟193か国のうち155か国が国連総会に提出された「核兵器の人道的帰結に関する共同声明」を支持した。そして、第3回「核兵器の人道的影響に関する国際会議」は12月8日・9日にウィーン(オーストリア)で開かれ、158ヵ国の政府と市民社会の代表が、スーの心を打ち砕くような証言に耳を傾けた。

識者によれば、核兵器を違法化し廃絶する法的拘束力のある国際条約の交渉を始めるべきだとの機運が高まっている。核兵器が人間に及ぼす影響に関する意識を高め、核兵器が二度と使われないようにするための世界的な取組みが近年再び広がりをみせている。

冷戦の終結以来、米国とロシアは核弾頭の数をかなり削減してはいるが、現在でも推定1万7000発の核兵器が存在している。

「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)豪州支部のティム・ライト支部長は「核兵器禁止条約を支持すると誓約した圧倒的多数の国々に、今こそオーストラリアも加わる時だ」と語った。

ICAN豪州支部は「核の傘はいらない」というユーチューブのビデオを制作して、核兵器の容認を止め防衛政策における核兵器を拒絶するよう全ての「核の傘国家」に求めるメッセージの発信を始めている。ビデオは1万6000回再生された。「とりわけ、冷戦を知らない若い世代の人々のために、面白く、分かりやすい形で拡大核抑止について議論を始めたかったのです。」と、ICAN豪州支部キャンペーン拡大担当のゲム・ロムルド氏は語った。

オーストラリア国民の8割が核兵器禁止条約を支持

赤十字が最近行った調査によると、8割のオーストラリア国民が核兵器の使用を禁止する法的拘束力のある条約を支持しているという。実に88%が、核兵器が人間に及ぼす壊滅的な被害を考慮に入れれば、核戦争における勝者はいないと回答している。

ICRC
ICRC

国際赤十字・赤新月運動は、1945年8月に核兵器が広島・長崎で初めて使用されて以来、核兵器に対する深い憂慮を表明してきている。

核兵器が人間に及ぼす影響は、ある空間や時間に限られるものではない。放射線被ばくは、広い範囲にわたる健康や農業、天然資源に対して、数世代に及ぶ影響を及ぼす。

アデレード(オーストラリア南部)で1970年に生まれたローズマリー・レスター氏は、寝たきりになっていた自分の父親が、オーストラリア放送協会(ABC)のラジオで核物理学者のアーネスト・ティタートン卿がマラリンガについて語ったインタビューを聞く姿を覚えている。

アリニジャラ・ウィルララ(北西)天然資源管理委員会の理事であるローズマリーはIDNの取材に対して、「声を荒げる父の声が聞こえてきました。部屋に入っていって、どうしたのと聞くと、私が生まれるよりもずっと前、父がまだ少年だった頃に起こったことについて話してくれました。マラリンガの核実験について聞いたのは、その時が初めてでした。」と語った。

彼女は、核実験の結果として自分の父親や祖父母、親族が病気になったことを、自分の経験として知っている。彼女自身も2005年、強皮症と呼ばれるごく稀にしか発生しない全身性自己免疫疾患だと診断されている。

「その頃、ウラン採鉱やそれが環境に及ぼす被害、そしてそれが何に使われるのかということについては、認識がありませんでした。父と祖父母が活動家になり、核産業に対して積極的に抗議・発言・教育して活動を進め、『ヌガナンパ・ヌグル』(私たちの国)を守る必要性を感じていたことが今ではよく理解できるのです。」とローズマリーは語った。彼女は今、将来の世代のために、英語とピジャンジャジャラヤンクニジャジャラ語の両方で記録・提供できるオーラル・ヒストリーが必要だと考えている。

1984年、オーストラリア政府は、放射線被ばくと放射性物質・毒物の処理から人々を守るために取られた措置について地域で懸念が高まっていることを受けて、マラリンガ王立委員会を設置し核実験について調査することにした。

「秘密のファイルは、核実験から50年後の2003年まで開示されませんでした。プルトニウム239をはじめウラン、ベリリウムといった有毒物質が核実験場周辺一帯に散らばっていることがよく知られています。毒物は土壌に含まれており、その塵はあらゆる方向に舞い散り、周辺住民は呼吸を通じて体内に取り込んでしまっているのです。また、人々が摂取するこの地域の低木の食物すら汚染されているのです。」とローズマリーは語った。彼女は、これだけ汚染されているにもかかわらず、この地域は安全であり、観光を促進すべきだと言う人たちがいることに、愕然としている。

元核実験場を浄化する責任はオーストラリア連邦政府にある。原子力エンジニアで、政府によるマラリンガ浄化事業の元顧問であるアラン・パーキンソン氏はABCテレビの取材に対して、「浄化基準以上の汚染が未だに見られる地帯は100平方キロを超えます。プルトニウム239がそれで、2万4000年経過してもその内の半分は依然として存在しているでしょう。」と語っている。

責任を取る

ローズマリーは、核実験の遺産である深刻な影響に関してオーストラリア連邦政府に責任を取ってもらいたいと考えている。「多くの人々が(核実験の)直後に亡くなりましたが、慢性的な健康問題や癌、障害を抱えたまま生きている人々もいます。鬱は言うまでもなく、精神的な喪失感とトラウマがあり、心理的・社会的障害を患い、愛する人たちの命が失われていくのを目の当りにしてきているのです。核実験は、私たち(アボリジニ)の文化を破壊し、民衆をさらに社会の端に追いやってきたのです。」とローズマリーは語った。

核廃絶を主張する人々は、諸政府に対して、こうした被害状況における政府の役割を認識し、ウラン採鉱を止めるよう求めている。ANFAの最近の会合では、約4万発の劣化ウラン弾がオーストラリア軍の訓練で使われたと報告された。核実験による世代を超えた健康被害だけではなく、劣化ウラン兵器の使用記録やその影響についても、ANFAは認識している。

「オーストラリア政府は、核実験・放射性物質降下地帯における環境被害に関する調査に資金を供出すべきです。そして、ファースト・ネイションズの人々(アボリジニ)に謝罪し、被害を受けた個人に賠償し、健康に問題のある人々を支援するためにパイリング・トラストのあり方を再検討すべきです。」とローズマリーはIDNの取材に対して語った。

マラリンガ・パイリング・トラストは、核実験によって土地への立ち入りができなくなったマラリンガおよびスピニフェックスの旧来からの地主に対して、オーストラリア政府が準備した補償金を管理するために設置された機関である。

識者らは、将来の「核兵器なき世界」の実現を目指す(核実験の被害を受けた)生存者らの正義を求める闘いに、ウィーン会議が新たな弾みを与えたと考えている。(原文へ

※ニーナ・バンダリは、シドニーを活動拠点にする特派員。国際通信社IPS及びIDNをはじめ、オーストラリア内外の様々な出版物に寄稿している。

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

核保有国、ウィーンで批判の嵐にさらされる

言語に絶する負の遺産を残す核兵器

|軍縮|「核兵器をターゲットに」

|コラム|ケネディ大統領とカストロ首相の秘密交渉を振返る(ロバート・F・ケネディ・ジュニア)

0

【ニューヨークIPS=ロバート・F・ケネディ・ジュニア】

1963年11月のジョン・F・ケネディ大統領(当時)がダラスで暗殺された日、大統領特使の一人が、キューバのバラデロ・ビーチでフィデル・カストロ首相(当時)と秘密裏に会談を行っていた。米国による対キューバ禁輸中止の条件と両国間の関係修復について話し合うのが目的だった。

これは50年以上前のことだが、最近になってついに、バラク・オバマ大統領が、キューバとの国交回復という故ケネディ大統領の夢の実現に向けたプロセスを再開した。

米大統領特使とカストロ首相の秘密交渉は、バラデロ・ビーチにある首相の夏の公邸を舞台に、(ケネディが暗殺された時点で)既に数か月にわたって行われていた。この交渉は、1962年のキューバ危機後、米ソ間の関係改善と並行して進められていたものである。

PX 96-33:12 03 June 1961 President Kennedy meets with Chairman Khrushchev at the U. S. Embassy residence, Vienna. U. S. Dept. of State photograph in the John Fitzgerald Kennedy Library, Boston.

キューバ危機を通じて、各々の国内の軍部強硬派と相容れなかったケネディ大統領とソ連のニキータ・フルシチョフ首相(当時)は、互いに相手に対するある種の尊敬と好感を抱くようになった。それが、互いの体面を保つ落としどころとして、ソ連によるキューバからの中距離弾道ミサイル撤去と、米国によるトルコからのジュピター中距離弾道ミサイルの撤去という秘密合意につながった。

一方、カストロ首相は、ソ連がキューバを頭越しに何の相談もなく核ミサイルの撤去を決めたことに激怒した。これに対してフルシチョフは、危機後にカストロをソ連に招いて6週間を共に過ごし、ケネディ大統領との対話を通じて米国との関係改善を図るよう粘り強く説得を試みている。のちにフルシチョフの子息であるセルゲイが、当時の様子について「父とカストロは、師弟のような関係にありました。」と述べているが、フルシチョフは、ケネディは信頼に足る人物だと、カストロを説得したかったようだ。

この点についてカストロ自身は、「(フルシチョフは)何時間にも亘ってケネディ大統領からの多くの書簡を(中には弟のロバート・ケネディ司法長官経由のものもあったが)私に読んで聞かせた。…」とのちに振り返っている。カストロ首相は、米国との関係改善の道を探る決意をしてキューバへの帰途に就いた。

米中央情報局(CIA)は、両首脳をはじめ全ての当事者の動きを監視していた。(のちの1966年にCIA長官になる)リチャード・ヘルムズは、同僚に宛てた1963年1月5日付極秘メモに、「カストロは、フルシチョフの要請により、当面の間はケネディ政権に対して和解に向けた融和政策を進める方針を固めたうえで、キューバへの帰国の途に就こうとしている。」と記している。

ケネディ大統領も、そうした動きには乗り気だった。1962年秋、大統領とその弟で私の父にあたるロバート・ケネディ司法長官(当時)は、ニューヨークの弁護士ジェイムズ・ドノバンと父の友人で顧問であったジョン・ドランをキューバに派遣し、ピッグス湾侵攻作戦でキューバ側の捕虜になった1500人の解放について交渉にあたらせた。

Map of Cuba/ Wikimedia Commons
Map of Cuba/ Wikimedia Commons

ドノバンとドランは、カストロ首相と良好な関係を築くことに成功し、カストロは自ら2人をキューバ各地に案内している。カストロは彼らをピッグス湾の戦場跡に案内したあと、自らのゲストとして多くの野球試合に連れて行ったため、のちにドランは私に、「将来スポーツは二度と観戦しないと誓ったよ。」とこぼしていた。

カストロ首相は1962年のクリスマスに最後の1200人を釈放したうえで、ドノバンに対して、米国との国交正常化についてどうするのかを尋ねた。するとドノバンは、「山嵐のジレンマと同じで、慎重に進めることが肝要です。」と応えたという。

カストロという人物に深い関心を抱いていた父と大統領は、ドノバンとドランにカストロ個人に関する詳細な報告をするよう指示を出した。

それまで米国のメディアは、カストロ首相のことを、飲んだくれで、不潔で気まぐれ、さらに行儀が悪い人物などと書きたてていた。しかしドランは、「私たちが受けたカストロの印象は、米国で一般的に受入れられているイメージには当てはまりません。彼は私たちの前で苛立つことも、酒を飲むことも、また下品なそぶりも一度として見せたことはありません。」と報告している。ドランとドノバンのカストロ評は、「世知に長け、機知に富み、好奇心旺盛で、博識の、非の打ちどころのない身なりをした人物であり、人を惹きつける魅力を備えた会話の達人。」というものだった。

ドランとドノバンは、カストロ首相とともにキューバ各地を旅行した際、首相が少数ながらよく訓練された警護を伴って野球場に入場すると、群衆から自発的に喝采が広がったのを目の当たりにした経験から、「キューバ国民の圧倒的な支持を得ている」としたCIAの内部レポートの正しさを確認した。

ケネディ大統領は直感的にキューバ革命に対する同情の念を抱いていた。大統領の特別補佐官で伝記作家のアーサー・シュレンジンガーは、「ケネディ大統領は、ラテンアメリカ諸国が置かれてきた実情に同情的で、米国に向けられてきたラテンアメリカ地域の広範囲にわたる民衆の怒りを理解していた。」と記している。

シュレジンガーは、「カストロは、当初は西側を支持する可能性もあったが、米国の長年に亘る介入と搾取の歴史から、米国に背を向けソ連に支援を求めた。一方、ケネディ大統領がキューバに対して抱いていた異議は、ソ連に利用されてラテンアメリカ各地にソ連の影響力を広げ革命を扇動するためのプラットフォームとしての役割を担わされている点にあった。」と述べている。

Lisa Howard/ Wikimedia Commons
Lisa Howard/ Wikimedia Commons

カストロ首相も、とりわけキューバ危機の後になると、民族主義的な諸理由から、こうしたソ連への過度の依存は好ましくないと思うようになっていた。カストロは、ケネディ大統領の非公式な特使をつとめたABC放送のリサ・ハワード記者との非公式な面談の中で、米国との関係改善を望んでいることを明言している。

ハワード記者は帰国後、ホワイトハウスに対して「非公式面談のなかで、(カストロ首相は)キューバ領に駐在しているソ連政府関係者や軍用装備、キューバ政府が接収したアメリカ人所有者の土地や投資資産に対する補償、そしてキューバが西半球における共産勢力による破壊工作の拠点と見られてきた問題について協議する用意があると明確に述べていた。」と報告している。

キューバ人捕虜が解放されると、ケネディ大統領は、カストロ首相との関係改善の可能性を真剣に模索するようになった。しかし、これは危険水域へと漕ぎ出す行為にほかならなかった。当時は、1964年の大統領選を控え、カストロとの緊張緩和を口にすること自体が、政治的爆弾とみなされていた時期だった。

バリー・ゴールドウォーター(1964年大統領選の共和党候補者)やリチャード・ニクソン(アイゼンハワー政権の副大統領で1960年大統領選時のケネディの対立候補)、ネルソン・ロックフェラー(ゴールドウォーターと共和党候補の座を争った)にとって、キューバ問題は共和党にとって最も利用しがいがある話題だった。また、一部の殺気立ったキューバ亡命者や彼らを支援していたCIA関係者は、キューバとの共存を模索することなど全く許容できない裏切り行為とみなしていた。

1963年9月、ケネディ大統領は元記者で外交官のウィリアム・アトウッドに、キューバとの国交回復交渉を進めるよう秘密裏に指示した。アトウッドは「ルック・マガジン」記者当時にキューバ革命を取材し、米国に敵対するようになる以前のカストロをインタビューして以来既知の間柄だった。

同月下旬、父はアトウッドにカストロとの秘密会談が可能な安全な場所を確保するよう指示している。

10月、カストロはアトウッドがキューバに密かに入国して関係改善交渉ができるよう段取りをつけて、これに応えた。1963年11月18日(ケネディ大統領が暗殺される4日前)、カストロは側近のレネ・バジェホを通じてアトウッドと電話で協議し、秘密会談の議題に同意した。

同じく11月18日、ケネディ大統領はキューバとの関係改善への道筋を開くメッセージを用意していた。キューバからの移民が最も多いフロリダ州マイアミにある「インターアメリカン報道協会」において、米国の政策は、「如何なる国に対しても自国の経済活動をどのように構築するかについて指図するものではありません。あらゆる国家は、その国家のニーズと意思に従って、自らの経済的仕組みを作る自由があります。」と発言した。

またケネディ大統領は、その一か月前にも、フランス人ジャーナリストでル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥールの編集長であるジャン・ダニエルをキューバに派遣し、カストロ首相との間に、もう一つの秘密交渉チャンネルを開いていた。ダニエルは1963年10月24日のカストロとの面談に赴く途上、ホワイトハウスを訪ね、ケネディ大統領から米国とキューバの二国間関係に関するブリーフィングを受けている。

その際ケネディ大統領は、カストロ首相に伝えるメッセージの中で、カストロがキューバ危機を引き起こした責任を激しく非難している。しかしそのあとトーンを一転し、(ソ連との核実験停止条約の早期締結に向けた交渉に入ると発表した)アメリカン大学での演説でソ連国民に示した共感と同じ心情を、キューバ国民に対しても示した。

Fulgencio Batista y Zaldivar

またケネディ大統領は、(カストロが打倒した)腐敗し専制的なフルヘンシオ・バチスタ政権との米国の長年に亘る関係に言及した。ケネディはそのうえで、ダニエルに対し、カストロがキューバ革命の開始に当たり発表した臨時革命政府綱領(シェラマエストラ宣言)を支持していたと語った。

1963年の11月19日から22日にかけて、カストロ首相は、ケネディの秘密特使ダニエルと会談した。カストロは慎重に、予定されるケネディ大統領との会談の詳細、とりわけ、キューバ革命に対する大統領の考え方について、ダニエルに質問した。

カストロ首相はダニエルの回答を一通り聞くと、暫くじっと物思いにふけった。そしてついに、慎重に言葉を選びながら、「私はケネディが誠実な人物だと思う。そして今日の、この誠実さの表明は、政治的意味合いも持つことになるだろう。」と語った。

そしてカストロ首相は、アイゼンハワー政権及びケネディ政権が「共産主義の名目やアリバイが見出されるずっと以前から」キューバ革命を攻撃したことについて詳細な批評を展開した。

Fidel Castro/ Wikimedia Commons

しかし、「(ケネディは)困難な状況を引き継いだのだと思う。米国の大統領はあまり自由ではなく、ケネディも現在、この自由の欠如を実感しているのだと思う。彼はまた、とりわけピッグス湾襲撃の際のキューバ側からの想定される反応について、これまで自分がどれほど欺かれてきたのか今では理解しているだろう。」と付け加えた。

カストロ首相はダニエル特使に対して、「私は、不人気をものともせず、組織と戦い、真実を語り、そしてここが最も重要な点だが、様々な国々が、自らが定めた体制を構築していく自由を認める指導者が北米大陸に現れるのを待ち望んでいる(その点でケネディ大統領はそうした人物に当てはまるのではないか!)」と語った。

さらにカストロ首相は、「歴史的観点からすると、ケネディは、アメリカ大陸においても資本主義と社会主義の共存があり得ることをついに理解した指導者として、米国史上で最も偉大な大統領になる可能性がある。そうなれば、エイブラハム・リンカーンよりも偉大な大統領にかもしれない。」と語った。(原文へ

本記事の中で紹介されている見解は著者個人のものであり、インター・プレス・サービスの編集方針を反映したものではない。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:

収奪と殺しのライセンスをキャンセルする(ジュリオ・ゴドイ国際協力評議会理事・人権ジャーナリスト)

|視点|「懸念の共有から行動の共有へ―ウィーン会議への期待」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

インド洋大津波から10年、今も貧困と恐怖に苦しむ人々

【コロンボIPS=アマンサ・ペレラ

2004年のスマトラ沖地震により発生した大津波が押し寄せてから僅か30分で35万人の命が奪われ、50万人が住居を失った。そして、1時間もしないうちに10万戸の家屋が破壊され、20万人が暮しを奪われた。

南アジアの多くの人々にとって、クリスマス休暇は、今後も同時に2004年12月26日に襲来した大津波の犠牲となった人々を追悼する記念日として記憶に刻まれていくだろう。

インド洋に位置する島嶼国であるスリランカは、被災者が人口の3%にのぼり国内総生産の5%が影響を受けるなど、この大津波で最悪の被害を被った国の一つである。

大津波がスリランカ南西海岸を襲った際に被害を受け、コロンボ湾入り口で座礁し傾いたままの船舶。(2004年12月26日。IPSアマンサ・ペレラ撮影)

IPSアマンサ・ペレラ撮影
By Amantha Perera

12月26日早朝、同国最大の都市コロンボの南に位置するハミルトン運河に沿ってスリランカの内陸部に侵入してくる津波の第一波。(2004年12月26日。IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

南部ペラリア村で大津波に押し流された鉄道車両の前に軍人とともに立つ僧侶。同地では1000人以上が犠牲となった。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

南部ペラリア村に設けられた集団墓地の近くで悲嘆にくれる女性。被災から10年が経過したが、数千人の遺族が引き続きトラウマと鬱病に苦しんでいる。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

東部バッティカロア県パニチチャンケルニ村の臨時収容所に避難している人々は、スリランカ内戦(1983年~2009年)の矢面に立たされてきた人々でもある。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

スリランカ国家災害管理局(DMC)によると、100万人を超える人々(その大半が貧しい家庭)が沿岸地域から避難しなければならなかった。

北東部は収まる気配のない長引く内戦に巻き込まれて疲弊していたが、大津波被害の大半がこの地域に集中した。

長びく内戦で、住民は、政府軍と反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」間の戦闘の板挟みとなって苦しんできたところに、さらに大津波に被災した。政府統計によると、大津波被害の実に6割がスリランカの北部と東部の沿岸地帯に集中している。

By Amantha Perera

炎天下のなか、被災した鉄道車両に取り残された遺体から発する臭気から身を守るためにハンカチで鼻と口を覆う男性。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

被災した東部アンパラ県カルムナイ市に拾ったトタン板を運ぶ女性。東部海岸沿いのこの付近の3つの村における大津波による死者は3500人で、スリランカにおける全死者数の実に10分の1を占める。犠牲者の大半は海岸沿いの慎ましい家に居住していた貧しい漁師達だった。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

東部サイナティマルス村は大津波により完全に破壊された。さらに沿岸の漁師らは、スリランカ政府が実施した海岸から100m以内(北・東部では200m以内)をバッファーゾーンとして居住を禁止するという浅はかな政策により、もう一つの障害に直面した。この政策は後に撤回されている。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

東部バッティカロア県パニチチャンケルニ村の浜辺で、大津波で命を失った人々の焼け焦げた遺体を撮影するカメラマン。当時、この地は「タミル・イーラム解放のトラ」の支配地であったため、被災者への支援物資は遅配が続いた。政府軍と「タミル・イーラム解放のトラ」間の配給食糧を巡る諍いの犠牲になったのである。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

大津波で破壊された南部ハンバントタの街を歩く男たち。この街の復興作業はこの後、急ピッチで進められた。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

大津波から10年が経過したが、この大災害の犠牲者を追悼した大きな記念碑は建てられていない。犠牲となった人々を記録した国の公式文書すら作成されていない。一方、沿岸部に沿って所々に小さな記念碑が建立されているが、そのほとんどは風化しており、ペンキの塗り直しが必要だ。

スリランカはこの10年で大きな変貌を遂げた。30年近くに及んだ内戦が終結し、国内避難民は新築や修理した家に帰還した。そして国民の大半にとって、大津波の記憶は過去の悪夢として記憶の彼方に埋没しつつある。

しかし、2004年の大惨事を実体験した数万人におよぶ被災者にとって、あの日の記憶は一生忘れられないものになるだろう。島には復興の槌音が鳴り、高級観光リゾート地へと続く真新しい道路があちこちに敷かれる一方で、多くの被災者は、近親や友人を失った悲しみやトラウマ、そして大津波がもたらした貧困生活から未だに脱することができないでいる。

By Amantha Perera

大津波で破壊された南部ハンバントタの街の瓦礫に立つ幼児。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

大津波から5年後、東部カルムナイ市では当初一年間を想定して建設された一時収容施設に、依然として数百人の避難民が生活していた。この施設から避難民の土地へのアクセスが困難だったことが、被災者の自立支援を進めるうえで、大きな障害となった。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

大津波で破壊された東部カルムナイ市のカラシユ地区をバイクで通過する男性。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

民間資金で復興村に建設中の3軒の家(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

2012年4月11日に発令された津波警報を受けて自宅を後にし、道路際で待機している、コロンボ郊外ラトマラナ沿岸地区の住人。自然災害には沿岸に住む貧困層が最も被害を受けやすい。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

宗教が防災と出会うとき

減災には弱者に配慮した救援計画が不可欠

津波が来たらツイートを

|視点|「核兵器に保有されている」(ザンテ・ホール核戦争防止国際医師会議ドイツ支部軍縮キャンペーン担当)

「核兵器の保有は、国際紛争の発生を防ぐどころか、紛争の危険度を高めます。核戦力を警戒態勢に置いても安全は得られず、逆に事故の可能性が高まります。核抑止の原則を標榜しても、核の拡散に対応することはできず、兵器を保持したいという欲求が高まるだけです。」―潘基文国連事務総長

【ベルリン/ウィーンIDN=ザンテ・ホール】

約1000人の人々がウィーンの荘厳なホーフブルク宮殿の会議室に集って、「核兵器の人道的影響」という、筆舌に尽くし難く想像を絶するテーマについて丸2日間に及ぶ議論を行った。国際連合の枠外で国が主催して行われた一連の国際会議の3回目であり、最初の2回はノルウェーとメキシコで開催された。

会議への参加国数は回を追うごとに増えてきており(127ヵ国→146ヵ国→158ヵ国)、このことは、核兵器がいかに容認しがたいものであるかについて意識を高め、核軍縮に向けた圧力を強める意味において会議参加が効果的であることの証拠だと考えられている。

Austrian Chancellor Sebastian Kurz/ Készítette: Kremlin.ru, CC BY 4.0
Austrian Chancellor Sebastian Kurz/ Készítette: Kremlin.ru, CC BY 4.0

一貫して参加を拒否しているロシアとフランスにとっては困ったことに、今回の会議には158か国が代表を送り、米国と英国が今回初めて参加した。会議の最後にオーストリアが、核兵器の禁止と廃絶につながるような「法的ギャップ」を埋める努力をすると誓約し、他国にもそれに参加するよう促した。

オーストリア外務省はこの会議のために最大限の努力を払った。開会セッションにおいて若きセバスチャン・クルツ外相(28歳)は、グローバルな核軍縮を具体的に進展させる新たな推進力を生み出すよう呼びかけた。

国連事務総長やローマ教皇ら影響力のある人びとからのメッセージが、会議の雰囲気を決定付けた。フランシスコ法王は核兵器の被害者らに対して、「彼らが私たちと文明を滅ぼす核兵器の危険性を世界に自覚させ、人類をより深い愛と協力、友愛に導く声となるように。」と励ました。

数多くの著名人がオーストリア外相に書簡を送り、核兵器によるリスクは過小評価されており削減されねばならないとの考えを明らかにした。赤十字国際委員会の会長は、最新の研究によって、「核爆発が起きれば適切な支援や救援は不可能」との既に出されている結論が改めて確認された、と述べた。

サーロー節子氏は、被爆者としての喪失と苦難の体験を語り、会場全体が彼女と悲しみを共にした。

Aは原子(atom)、Bは爆弾(bomb)、Cはガン(cancer)、Dは死(death)

開会セッションでは会議の主要なテーマが紹介され、その後のセッションで、核爆発の影響や核実験、核爆発のリスク、そのシナリオについて詳しく議論された。

Nevada Nuclear Test site/ Wikimedia Commons

科学的なプレゼンテーションの合間には、「風下の人々」(核実験の被害者)による証言があった。米国ユタ州セントジョージの団体「ヒール」(HEAL)から参加した車椅子のミシェル・トーマス氏は、(ネバダ核実験場で50年代から60年代にかけて実施された)100回以上の地上核実験による放射性物質の中でいかに生き、自分たちのコミュニティーが癌、甲状腺障害、白血病等の疾病にいかに侵されてきたかについて熱く語った。生まれた年の核実験で母親の胎内で被爆し現在は4種類の癌を患っているトーマス氏だが、幼少期は「自分たちに原爆被害と死をもたらしているのが冷戦時の敵ではなく、自国の政府であることが理解できず」、核実験に抗議していた母親の行動を恥ずかしく思っていたことを打ち明けた。今では母親の遺志を継いで核実験の被害と政府の責任を追及しているトーマス氏だが、人々から「政府をそれほど厳しく批判して怖くはないのか?」と尋ねられるという。そんな時彼女は、「すでに私は殺されていますから」と答えることにしているという。

女性ら3人による土地や生活、健康の破壊に関する被爆証言に続いて行われた質疑応答の時間で、米国のアダム・シャインマン大統領特別代表(核不拡散問題担当)は重大な判断ミスを犯した。議長が各国の代表に対して、翌日までは発言しないようにと明確に念を押していたにもかかわらず、米国代表は、あえて発言に踏み切ったのだ。その際米国代表は、核実験の被害者に謝罪しなかったばかりか、核軍縮への推進力を生み出すために米国が独自に設定している「やるべき仕事(to do list)」を今後変更するつもりはないと会場の全参加者に対してあえて明言したのである。

Michelle Thomas/ IPPNW
Michelle Thomas/ IPPNW

あまりに残酷で容認できない核兵器

会議の2日目に行われた国際人道法に関するパネルでは、核兵器の使用に関して明確に禁止する条約はないものの、既存の国際人道法や環境法には違反するとの結論が出された。オスロ大学の林伸生氏による発表は、倫理的・道徳的次元まで議論を掘り下げ、拷問と同じく(12月9日に米国上院報告書が発表された際に誰もが思ったように)、核兵器は「あまりに残酷で容認できない」ものであると主張するものだった。「自らの生存のために自身を人質に差し出さなくてはならないと人類が考えていたような時代を私たちはもはや生きているわけではないのだから、今こそこの不必要な苦難から自らを解き放つ好機です。」と林氏は語った。

政治的な意見表明の時間は、100か国の代表が、各々の主張や結論を発表したため、休憩なし、時には通訳なしでも実に5時間を要した。この退屈に時間が経過しがちな雰囲気は、時折市民社会の発表によって破られた。なかでもジュネーブを拠点にした核軍縮イニシアチブ(通称「野火」)の「主席煽動官」を自称しているリチャード・レナン氏の発表が最たるもので、非核兵器国に対して、「いつまでも泣き言をいうのは止めて、自ら核兵器禁止に踏み出すべきです。」と訴えかけた。

いわゆる「イタチ国家」(米国の核の「傘」の下にある国々:原文「weasel states」のweaselには「ずるい人」という意味もある:IPSJ)の代表らは、休憩のためにロビーに出てくると、巨大なイタチ(=米国代表)に迎えられた。レナン氏は、核兵器に「保有されている(憑りつかれている)」核兵器保有国をアルコール依存症の患者に例え、非核保有国に対してそうした習慣を支持しないよう訴えた。また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)オーストリア支部のナジャ・シュミット代表は、ICANの声明を発表し、その中で核兵器禁止につながるような、「誰に対しても開かれ、誰によっても妨害されない」プロセスの開始を呼びかけた。

Vienna conference main hall/ Xanthe Hall

人道的なアプローチは、核兵器使用がもたらす影響を国家安全保障上の利益よりも議論の中心に置くものであり、一連の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、この目的を達成するうえで概して効果的であった。

Nadja Schumidt/ ICAN Austria
Nadja Schumidt/ ICAN Austria

しかし、ウクライナは現在の(ロシアとの)紛争に囚われており、箱の中から飛び出すことができなかった。その代りにやったことは、ロシアに対する口を極めた言葉の攻撃であった。

英国は、核兵器が人間に及ぼす影響は1968年には既に明らかになっていることであり、核兵器の禁止や廃絶のスケジュールを設定することは戦略的な安定性を損ねるとさえ語り、「必要な限り」核ミサイルを維持し続ける意向を明らかにした。

オーストリアの誓約」が、この会議の主要な成果文書である。これが、核兵器の禁止と廃絶につながるようなプロセスを開始する用意を各国が示すためのツールになる。

これ以上のことが2015年春の核不拡散条約(NPT)運用検討会議の前に達成できたとは思えない。しかし、今回のNPT運用検討会議で何の成果もなければ(成果があることを予想している人は少ないが)、オーストリアは、核兵器保有国の参加があろうとなかろうと、「オーストリアの誓約」を通じて固められた支持を利用する形で、[核兵器を禁止する]条約の交渉を開始することになるかもしれない。広島・長崎への原爆投下から70年を迎える2015年は、核兵器禁止の交渉を開始するのに適当な年と言えるかもしれない。(原文へ

※ザンテ・ホールは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部の軍縮キャンペーン担当。

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

核保有国、ウィーンで批判の嵐にさらされる

2015年―核軍縮の成否を決める年

|視点|「懸念の共有から行動の共有へ―ウィーン会議への期待」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

核保有国、ウィーンで批判の嵐にさらされる

【ウィーンIPS=ジャムシェッド・バルーア】

「無神経でタイミングが悪く、不適切で外交的技量に欠ける発言」で、核兵器の人道的影響に関する国際会議への「参加決定によって米国がせっかく得ていた参加者からの善意の大部分を思わず台無した米国代表」に向かって、ある市民社会組織の代表が「賛辞」を述べると、会場に失笑がこだました。

Richard Lennane

発言したのはリチャード・レナン氏。ジュネーブを拠点にした核軍縮イニシアチブ(通称「野火」)の「主席煽動官」を自称している人物だ。2013年のオスロ会議(ノルウェー)、今年初めのナヤリット会議(メキシコ)に続いて12月8日と9日にウィーン(オーストリア)で開催された通算3回目となる「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)の最終セッションでの席上でのことである。

以前の2回の会議とは異なり、フランス、ロシア、中国と並んで「核クラブ」の一員である米国と英国が、今回の会議に初めて公式参加した。

しかし、米国代表による外交的修辞は、広島・長崎の被爆者や、オーストラリアカザフスタン(旧ソ連時代のセミパラチンスク)、マーシャル諸島での核実験の被害者の証言が会場の参加者の心を大きく揺さぶったのとは対照的に、まったく的外れのものだった。被爆者らは、核兵器の悲惨な影響について力強い証言をし、その内容は他のデータや研究結果を発表するプレゼンテーションを補完する形となった。

米国のアダム・シャインマン大統領特別代表(核不拡散問題担当)は、「数十年に及ぶ我が国の取り組みの基礎にあるのは、核兵器の使用が人間に及ぼす影響に関する明確な理解です。」と断言した。

Ambassador Adam Scheinman/ US State Department
Ambassador Adam Scheinman/ US State Department

しかしこうした主張は、大多数の会議参加者に何ら好印象を与えず、来年開催予定の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で何らかの成果がありうるとの希望ももたらさなかった。

会場の落胆は、米国の軍備管理協会エネルギー環境研究所米国科学者連盟核情報プロジェクト社会的責任を求める医師の会憂慮する科学者同盟共同声明で、「2010年NPT運用検討会議の成功から5年近くが経過しているにも関わらず、全会一致の行動計画、とりわけ相互に関連を持った22項目の軍縮措置の実施状況はきわめて残念なものだ」と指摘していることから、なおさらのことであった。

さらに共同声明は、「新戦略兵器削減条約(新START)が2011年に発効して以来、ロシアと米国は、合理的な抑止に必要なレベルを遥かに上回る膨大な核備蓄の削減交渉を開始できていない。」と指摘している。

また2015年は広島・長崎への原爆投下から70年にあたる。広島平和大使であり1945年8月6日の核爆発を生き延びたサーロー節子氏の熱のこもった語りからも明らかなように、被爆者やその家族は依然として原爆投下の帰結を肌で感じている。

「いかなる核兵器の使用も、破滅的で長期に亘る、そして許容できない結果をもたらします。各国の政府がこうした証拠と被害者の証言を聞いたら、行動をしないではいられないはずです。」「唯一の解決策は、核兵器の禁止と廃絶。そして、それを今すぐ始めなければなりません。」と日本のNGO「ピースボート」の川崎哲共同代表は語った。

米国のシャインマン特別代表は一般討論で発表した声明の中で、こうした不安を打ち消そうとして、「米国は核兵器使用の重大な帰結を十分に理解しており、核使用を避けることに最大の優先順位を置いています。米国は、核兵器なき世界の平和と安全保障を追求するここにおられる全ての人々と、共にあります。」と指摘したうえで、「米国は、核不拡散条約体制も含め、さまざまな道具立てや条約、協定の助けを受けながら、そうした世界の条件を創りだすために努力してきたし、これからもそうするつもりである。」と語った。

米国政府の主張の信憑性にかかわらず、シャインマン特別代表のドライでむしろ紋切り型の発言は、158の参加国中44か国の代表が「核兵器が存在し続けるかぎり、意図的、計算違い或いは狂気、技術的・人的ミスによる核使用のリスクが現実にありうる」と情熱的に訴えかけた姿とは対照的なものであった。

ICAN
ICAN

ウィーン会議の場で核兵器禁止条約への賛同を示した国は次の通り。オーストリア、バングラデシュ、ブラジル、ブルンジ、チャド、コロンビア、コンゴ、コスタリカ、キューバ、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、ガーナ、グアテマラ、ギニアビサウ、ローマ教皇庁、インドネシア、ジャマイカ、ヨルダン、ケニア、リビア、マラウィ、マレーシア、マリ、メキシコ、モンゴル、ニカラグア、フィリピン、カタール、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、サモア、セネガル、南アフリカ、スイス、タイ、東ティモール、トーゴ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、ウルグアイ、ベネズエラ、イエメン、ザンビア、ジンバブエ。

フランシスコ法王は、世界的な世論を反映して、会議に寄せたメッセージの中で、「核兵器は完全に禁止されるべき」と訴えた。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

国連の潘基文事務総長は、アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表が代読したメッセージのなかで、オスロ、ナヤリット、ウィーンでの取り組みは「人道的な配慮を核軍縮問題の全面に押し出し、市民社会と各国政府の双方に活性を与えるとともに、私たちに対し、核兵器が使用されれば恐ろしい結果が待っていることを否応なしに認識させました。」と語った。

また核軍縮に熱心に取り組んでいる人物として知られている潘事務総長は、核兵器を正当化する理由に疑問を呈し、「核兵器を世界的な緊張の高まりへの合理的な対応と考えたり、国家威信の象徴とみなしたりする人々に対峙するうえで、核兵器の恐るべき帰結を考慮に入れることが不可欠です。」と語った。

さらに潘事務総長は、「貧困や気候変動、過激主義、情勢を不安定化させる通常兵器の蓄積が、提起する課題に対応できないでいるなかで、私たちを相互に破壊する手段の近代化に資金を費やすことの愚かさ」を批判した。

潘事務総長は、「私たちが核の時代に突入してから70年目を迎えようとしています。」と指摘したうえで、「核兵器の保有は国際紛争の発生を防ぐどころか、紛争の危険度を高めます。」と語った。

潘事務総長はさらに、『軍を警戒態勢に置いても安全は得られず、逆に事故の可能性が高まり核抑止の原則を標榜しても、核の拡散に対応することは出来ず、兵器を保有したいという欲求が高まるだけです。』と語った。

「核兵器保有国が増えれば、世界の安定は確保されるどころか、根底から損なわれてしまいます。」と潘事務総長は語ったが、この見解は、ウィーン会議に参加していた信仰に基づく諸団体の間でも広く共有されていた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

*議長総括はこちらへ(英語版日本語暫定訳

*会議報告書はこちらへ(by Reaching Critical Will)

関連記事:

共通の未来のためにヒロシマの被爆体験を記憶する

反核兵器で連合する宗教

|2014IPS国際貢献賞|IPSが核廃絶の主唱者を表彰

|視点|エボラ出血熱、人権、貧困―そのつながりを見い出す(アリシア・エリー・ヤミン米ハーバード大学公衆衛生大学院グローバル・ヘルス専任講師)

【ケンブリッジ(マサチューセッツ)IPS=アリシア・エリー・ヤミン】

西アフリカで発生した壊滅的なエボラ危機は、とりわけ世界的な貧困撲滅活動に対して数多くの教訓を与えている。こうした活動は、2015年に国連で合意予定の「持続可能な開発目標」(SDGs)として知られる一連の目標にまとめられることになっている。

第一に、保健に関する近年の世界的な議論の一部にあった「勝利宣言」的な雰囲気が今回のエボラ危機によって見直されることになるだろう。中には、「感染症などを原因とする予防可能な死をなくすこと」を基礎にして、「北」と「南」、富裕国と貧困国との間で「大規模な収束現象(=健康格差の解消)が一世代の間に起きる」と予測する向きすらあった。

Alicia Ely Yamin
Alicia Ely Yamin

第二に、現実に公的医療や効果的な治療へのアクセスに結びつかない国民皆医療保険も、機能するシステムとの接続を欠いた送金も、エボラ出血熱や、それが引き起こしている社会的破壊を止めることにはつながらない。しかし、この両者ともグローバルな貧困への解決策として高く評価されているものであり、SDGの中に入ってくるものと思われる。

また、医療関係者が割り当てと成果に関連づけて給料を支給されることによって、より生産的に振る舞うインセンティブを与えるとされている「質に応じた医療費の支払い(P4P)」制度も機能しないだろう。

これらすべてを見ていくと、危機の第三の教訓にたどり着く。短期的な成果に囚われ、いわゆる「垂直的な」介入(広い文脈からは切り離された介入のこと)を伴う特効薬的な解決策は、実際見てみると、長期的には、あるいは危機に直面した状態では機能しない、ということだ。

人権活動家らは、より公平性を確保し、組織強化に投資し、保健・開発政策によって影響を受ける人々が意味のある参加を果たせるような空間を開き、効果的かつ利用可能なアカウンタビリティ制度(責任を明らかにする仕組み)を構築するように、力関係を変える必要性について議論してきた。

こうした議論は、主流の公衆衛生や開発援助関係者の間では、現実味に欠け、効果が測定不能でユートピア的だとしばしば批判されるが、今回のエボラ危機は、まさにこうした投資がいかに重要かを示している。

保健医療システムは、単に物品やサービスを技術的に提供するための手段というわけではない。保健医療システムは諸社会における中心的な社会構成要素の一部なのである。つまり保健医療制度はその質次第によって、連帯や平等といった社会規範を表現するものにもなれば、社会的疎外を加速するものにもなりえるのである。

西部アフリカで最もエボラ危機の影響を受けている3カ国(シエラレオネギニアリベリア)は、保健医療システムがエボラ出血熱発生以前から機能不全に陥っており、人々(とりわけ女性と子ども)がしばしば貧困と阻害に苦しんできた国々でもある。

不適切で、いまや壊滅的な状況にある保健医療システム、そして今回のエボラ危機が教育・住宅・食料の危機に及ぼす波及効果は、基本的な経済的・社会的権利へのアクセス、そしてその享受の問題へとつながっていく。これらは、エボラ出血熱の拡大によって起こりかねない違法な移動制限などの市民権の侵害と並んで、重要な問題である。

CDCによる2014年10月1日時点の流行状況/CDC
CDCによる2014年10月1日時点の流行状況/CDC

一方で、人権(市民権及び政治的・経済的・社会的権利)の大規模な侵害がいかにしてエボラ出血熱のような感染症を拡大させているのかを認識することも、同じように重要である。

私たちがこうした西アフリカの国々で目の当たりにしている想像を超えた規模の被害は、単純に疾病の「自然」な病理生理学・流行病学の不可避の帰結というわけでは決してない。

リベリアやシエラレオネが、植民地主義的な搾取の遺産や、近年の腐敗した非民主主義的な政府による収奪に加え、残虐な内戦によって破壊されてきた国であることは、偶然ではない。こうした紛争は、これらの国々における希少鉱物資源を求める強欲な国際需要によって扇動されてきた経緯がある。そして紛争は、共同体を破壊し、家族の単位を壊し、農業や生計、移住のパターンに混乱を生じさせてきた。

また、エボラ出血熱の深刻な影響を受けているこれらの国々の人口の半数以上が厳しい貧困下に生きているのも偶然ではない(シエラレオネで53%、ギニアで55%、リベリアで64%)。先に指摘したように、これらの国々でとりわけ女性と子供が経済的・社会的権利を剥奪されている現実がこうした数字によく表れている。

私がシエラレオネにいた頃は、人間の腸が繋がれていた路上の障害物や暴徒によって手を失った人々が街角で物乞いする姿など、まだ内戦中の恐るべき惨劇のあとが町中の至る所にみられた。

私は内戦終了後にも同国にとどまっていたが、既に人道支援団体はほとんどが脱出しており、取り残された保健医療システムではもっとも基本的な保健上のニーズすら満たすことができない状態にあった。政府施設には基本的な供給や医薬品がなく、医療関係者には縫合用の糸や手袋、流水や石鹸さえなく、手術の際には携帯電話を明り取りに使っている始末だった。

|モンゴル|北東アジア非核兵器地帯は可能

【ジュネーブIDN=ジャムシェッド・バルーア】

北東アジアでは、既存の緊張関係が引き続き悩みの種であり、緊張を緩和し有意義な協力関係を生み出す緊急の行動が求められている。しかし、北東アジア非核地帯の構築は可能であり、優先課題とすべきである。」11月26日にモンゴルのウランバートルで開催された国際会議において、このような提言が出された。

GPPAC

国際会議「核兵器なき北東アジア構築のための諸側面」(GPPAC北東アジア地域会合)の最終文書には、「モンゴルの1国非核地帯化はこの地域において同国が傑出したリーダーシップを発揮した実例であり、核兵器とそれがもたらす危険に対して行動を起こすことを望んでいる国々にとって良き前例となるものである。」と述べられている。

この国際会議は、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)東北アジアネットワーク」、モンゴルのNGO「Blue Banner(蒼い旗)」、GPPACウランバートル支部が共催し、モンゴル外務省及び経済開発省の後援のもとに開催された。

この会議には、GPPAC事務局本部があるオランダのハーグをはじめ、広州、香港、京都、平壌、ソウル、台北、東京、ウランバートル、ウラジオストックから、市民社会組織の代表や学者を含む60人以上が参加した。

会議では「モンゴルの非核地位と同国が北東アジアにおける信頼醸成、地域の安定、核不拡散を推進するうえで果たしうる役割について」協議が行われ、参加者はこれまでのGPPAC東北アジア地域プロセスにおける声明文(2005年東京アジェンダ、2006年金剛山地域行動計画、2007年・2010年ウランバートル声明)で謳われている、地域における紛争予防、平和構築、核不拡散へのコミットメントを再確認した。

参加者は、事故か故意かに関わらず核爆発の人道的影響に焦点をあてる取組みは重要かつ時宜を得たものであり、核爆発の破滅的な影響への理解を深めることによって、核軍縮の緊急性に対する国際社会の認知を高いレベルで維持するという見方で一致した。そうした観点から、2013年にノルウェーのオスロ、続いて2014年にメキシコのナヤリットで開催された「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)と両会議への市民社会組織の関与を歓迎した。

オスロ会議は核兵器爆発の影響を人道的な観点から焦点を当てたのに対して、ナヤリット会議は核爆発の人道的影響について、その長期的な影響及び公衆衛生、環境、気候変動、食料安全保障、強制移転、開発への影響にもさらに踏み込んで協議した。

参加者は「第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」(12月8日・9日にウィーンで開催)が、被爆者の証言に耳を傾け、核実験がもたらした人道的影響と核兵器に付随する人的・技術的ミスというリスクを検証することで、核廃絶の緊急性について一層焦点をあてるとともに、核兵器の廃絶に向けた交渉開始に寄与することを期待していると語った。

ICAN

そこで参加者は市民社会組織に対して、ウィーンで開催される政府間会議と核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が12月6日と7日に主催する市民社会フォーラムの双方に積極的に参加するよう呼びかけた。

核兵器の廃絶

参加者はまた、核兵器の使用又は使用の威嚇に対する唯一の効果的な保証は、国際的に法的拘束力のある関連条約を締結し核兵器を完全禁止・廃絶するほかに方法はないとの信念を再確認した。

この観点から、参加者は(核保有国が進めている)既存の核兵器の近代化及び新型核兵器の開発を、核軍縮の目的と義務に矛盾する行動であるとして拒絶した。

また参加者は、9月26日を「核兵器廃絶のための国際デー」とした国連総会の決定と、2013年の「核軍縮に関するハイレベル会合」の開催及び結果を歓迎するとともに、各国に対して、核兵器を廃絶するための具体的な方策と活動を特定するために遅くとも2018年までに「核軍縮に関する第二回ハイレベル会合」を開催するよう呼びかけた。

また国際社会に対して、消極的安全保障に関する普遍的かつ法的拘束力のある取り決めについて交渉を開始し、遅滞なく採択するよう呼びかけた。また同会議は、マーシャル諸島政府が9つの核兵器保有国が核不拡散条約(NPT)の核軍縮義務に違反しているとして国際司法裁判所に提訴した「核ゼロ裁判(Nuclear Zero Lawsuit)」への支持を表明した。

2015年NPT運用検討会議

また参加者は、これまで核軍縮及び核不拡散体制の拠り所となってきたNPT運用検討会議(次回は来年4月~5月にかけて開催予定)に向けた準備について詳細に協議した。そして、核兵器保有国に対して、NPT第6条の核軍縮義務を完全に順守するとともに、2000年NPT運用会議で合意された(NPT第6条履行のための)実効的措置13項目と2010年NPT運用検討会議で採択された最終文書(行動計画)、とりわけアクション5を、実行に移すよう呼びかけた。

会議は、非核兵器地帯が地域および国際の安全保障体制を強化するうえで重要な役割を果たしていることを再確認するとともに、既存の非核兵器地帯の強化への支持を表明した。さらに関連して、1995年、2000年、2010年のNPT運用検討会議において加盟国間の合意が成立しているにも関わらず、「中東非核兵器地帯の創設に関する国際会議」が依然として実現していないことに懸念を示すとともに、同会議が2015年NPT運用検討会議より前に開催されることに期待を表明した。

"Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012" by Spiff - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia
“Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012” by Spiff – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia

最終文書によると、参加者は、朝鮮半島とその周辺を含む北東アジア地域で緊張関係が続いていることに懸念を表明し、6者会合(韓国、北朝鮮、中国、ロシア、日本、米国)は、依然として重要な役割を果たすことが可能で、同地域の恒久平和実現に資する他の対話の枠組みが真摯に追及されると確信している。

「参加者は、関係改善に向けた信頼醸成措置や北東アジア非核兵器地帯創設の実現可能性を含むこの問題への幅広い取り組みを行うことは、実質的に有益であり、『核の傘』或いは『拡大核抑止政策』は放棄する必要があると確信している。」

また同会議は、域内国家間の不信感を減らし、相互理解と信頼を促進する効果的な方法として、モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が提唱している「北東アジア安全保障に関するウランバートル対話」を歓迎した。

Tsakhiagiin Elbegdorj/ Wikimedia Commons
Tsakhiagiin Elbegdorj/ Wikimedia Commons

さらに同会議は、域内の相互理解と対話を促進するうえで市民社会が重要な役割を果たしており、平和で安定した北東アジアを目指す共通のビジョンを強化発展させるために、市民社会組織が引き続き協力していくことを再確認した。

GPPAC北東アジア地域会合では、今後の議題について、従来の平和と安全保障分野へのフォーカスに加えて、経済、環境、持続可能性、災害救援、ジェンダー、人間の安全保障、市民社会の潜在的な役割等についても焦点をあてる予定である。

参加者は、モンゴル政府の一国非核兵器地帯政策を、地域の安定に対する具体的な貢献として、また、核の脅威に取り組んでいくための革新的なアプローチとして歓迎した。また、核5大国が、モンゴルの非核地位を尊重しそれを侵害する行動をしないと誓約した共同声明を歓迎するとともに、モンゴルの実例が今後同様の問題に取り組む際に良い前例となることに期待を寄せた。

参加者はさらに、市民社会が重要な役割を果たせる核軍縮と紛争予防を推進する世界的な取組みへの支持を再確認した。参加者はその観点から、ICAN、平和首長会議、朝鮮戦争を終わらせるための各国・国際レベルの様々なキャンペーン、日本国憲法第9条を保護・促進するキャンペーンなど市民社会主体の様々な取り組みを支持した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

核兵器に対峙するマーシャル諸島を支援する市民社会

北東アジアに非核兵器地帯?(ジャヤンタ・ダナパラ元軍縮問題担当国連事務次長)

依然不透明な中東非核地帯化への道

核兵器に対峙するマーシャル諸島を支援する市民社会

【ウィーンIPS=ジュリア・レイナー】

「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が12月8日から9日までウィーンで開催されるのに先立って、世界各地から活動家らがこのオーストリアの首都に集まり、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が開催した市民社会フォーラム(12月6~7日)に参加した。

議論された喫緊の課題の一つが、今年4月にマーシャル諸島政府が米国および他の8つの核兵器保有国に対して国際司法裁判所(ICJ)で起こした訴訟である。同国政府は、1946年から58年にかけて米国政府がこの小さな島嶼国の領内で60回以上の核実験を実施したことを非難している。

Flag of Marshall Islands
Flag of Marshall Islands

マーシャル諸島が当時米軍の核実験場に選ばれたのは、単にそこが世界から孤立している場所だったからということだけではなく、米国が実効支配する「太平洋諸島委任統治領」の一つだったからである。その後マーシャル諸島では1979年に自治が始まり、1986年には米国との自由連合盟約国として独立した。

マーシャル諸島の人々は(核実験について)何も知らされず、同意をとることもされず、長い間、核実験によって地域社会にどのような害がもたらされるかについて知らされていなかった。

その結果は非情なものであった。人々は、核実験で放射能汚染され数千年にわたって住めなくなった島から移住させられた。奇形児やガンも発生した。一方、度重なる核実験を実施した米国政府は、核実験が及ぼす害などないと主張し、適切な医療を提供することさえ拒否した。

キャッスル・ブラボー」は、1954年に米国がマーシャル諸島のビキニ環礁ウェトニク環礁で行った計6回の核実験の第一弾に与えられたコードネームであり、1945年に広島に落とされた原爆よりも1000倍強力なものであった。

 Marshall Islands politician Tony deBrum/ By U.S. Department of State - This file has been extracted from another file, Public Domain
Marshall Islands politician Tony deBrum/ By U.S. Department of State – This file has been extracted from another file, Public Domain

ICAN市民社会フォーラムで発言したマーシャル諸島政府のトニー・デブルム外相は、核兵器なき世界に向けて立場を明確にするためにICJへの提訴を決意したと説明した。

デブルム外相は、「米国はすでにマーシャル諸島に数百万ドルを支払っており、マーシャル諸島政府としては補償を請求する意図はありません。私たちはそのうえで、核保有国に、核不拡散条約(NPT)が定める軍縮義務や国際慣習法に違反している責任を取らせたいのです。」と語った。

1970年に発効したNPTは、核軍縮と原子力の平和的利用を核兵器国に義務づけている。現在核兵器を保有している9つの国は、米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルである。

冷戦終結以来、ある程度の軍縮は実施されてきたが、この9か国で依然として約1万7000発の核弾頭を保有し、世界全体で年間1000億ドルを核戦力に費やしている。

David Krieger/ NAPF
David Krieger/ NAPF

数多くの組織から世界的な注目と支持を集めたマーシャル諸島の事案は「ダビデ対ゴリアテ」としばしば形容されている。マーシャル諸島の訴えを支持している著名な団体の一つが核時代平和財団である。同団体のデイビッド・クリーガー会長は、「マーシャル諸島は、小さくとも肝が据わった国だ。いじめを受けるような国でも、あきらめるような国でもありません。」と語った。

クリーガー氏はさらに、「核兵器で何が問題になっているのかをマーシャル諸島政府は熟知しています。そして人類の生存のために法廷で闘っているのです。マーシャル諸島の人々が米連邦裁判所と世界最高位の裁判所である国際司法裁判所にこの闘いを持ち込んだことに対して、支持と理解を与えなくてはなりません。」と語った。

もうひとつの強力な支持団体が創価学会インタナショナル(SGI)である。仏教団体であるSGIは平和や文化、教育を主唱し、世界中で1300万人の会員を擁する。創価学会青年部は「Nuclear Zero(核兵器廃絶)」署名運動を支持して、核兵器なき世界を求める500万を超える署名を日本で集めた(512万8259人分の署名用紙が集まったほか、多数の賛同者がインターネットによる署名を行った)。

このキャンペーンは、広島・長崎への原爆投下から70年を迎え、核不拡散条約(NPT)運用検討会議が開かれる2015年に向けて行われたものである。

Seikyo Shimbun

ICAN市民社会フォーラムで発言したデブルム外相は、「これまで長年に亘って、(核実験によって)自分たちに起こった出来事について訴えるマーシャル諸島の人々の声は、国際社会に届けるには、十分に強く大きなものとは言えませんでした。しかし彼らは、自分たちに起こったことが地球上の誰の身にも起こってほしくないと必死に訴えているのです。」と語り、マーシャル諸島の主張を支持するよう参加者らに訴えた。

デブルム外相は続けて、「『核兵器の狂気』を止めるための訴訟を提起する機会が生まれた時、我が国はそうした手続きを踏む決意をし、その訴訟の中で『我が国がやらねば誰がやるのか、今でなければいつやるのか?』と宣言しました。」と語った。

またデブルム外相は、多くの人びとから、人口わずか7万人の国が世界最強の国々を相手に議論を醸し出している問題について訴訟に踏み切るなど馬鹿げて見えるし意味をなさないとして決断を踏みとどまるよう説得しようとするアプローチがあったことを認めた。

しかしデブルム外相は、「度重なる核実験の影響を全く受けなかったマーシャル諸島国民は誰一人としていません……私たちは核兵器の影響を直接に経験してきたことから、今回自分たちが行動に踏み切ったことを実行する責任があると感じていたのです。」と語った。

今月ウィーンで開催された「核兵器の非人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)は通算3回目の会議である。第1回はノルウェーのオスロで2013年3月に開催され、2回目はメキシコのナヤリットで2014年2月に開催された。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

|視点|なぜ核軍縮が依然としてもっとも重要な問題なのか

世界の大国に挑戦する核爆発証言者

言語に絶する負の遺産を残す核兵器

反核兵器で連合する宗教

【ウィーンIPS=ジュリア・レイナー】

「すべての宗教が連合して自らの英知を引き出し、その結合した巨大な知の宝庫の利益を国際法と世界に提供することが今ほど必要とされている時はありません。」

これは、元国際司法裁判所(ICJ)判事で1997年から2000年までは副所長を務めたクリストファー・ウィラマントリー氏の言葉である。オーストリアの首都で核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)主催で12月6日・7日に開催された「市民社会フォーラム」の一環で開かれた宗教間会議「希望を灯し勇気を奮い起こす―核兵器廃絶へ宗教者の連帯」での発言だ。

Christopher Gregory Weeramantry, born 17 November 1926 in Colombo, Sri Lanka/ By Henning Blatt - Own work, CC BY-SA 3.0
Christopher Gregory Weeramantry, born 17 November 1926 in Colombo, Sri Lanka/ By Henning Blatt – Own work, CC BY-SA 3.0

ウィラマントリー氏は、核兵器が過去50年において世界を戦争から救ってきたと主張する人々の議論を批判した。

ウィラマントリー氏は核兵器により絶えず存在する危険について指摘し、多くの場合において、破滅的な核事故や壊滅的な核戦争の勃発が防がれてきたのは幸運に過ぎないと語った。

この宗教間会議には、「核兵器は宗教のあらゆる原則を侵害する」と指摘したウィラマントリー氏のほか、ムスタファ・チェリッチ氏(ボスニア・ヘルツェゴビナ・イスラム共同体最高指導者)、エラ・ガンジー氏(マハトマ・ガンジーの孫で平和活動家)、アケミ・ベイリー=ヘイニー氏アメリカ創価学会インタナショナル婦人部長)など、様々な宗教指導者がパネリストとして登壇した。

様々な問題に関連して宗教団体の間にはしばしば立場の違いがあるようだが、パネリストの全員が、道徳的な義務を明確に打ち出し、全ての宗教に本質的に備わっている類似した価値観を宣言した。

Mufti Mustafa Ceric
Mufti Mustafa Ceric

ムスタファ・チェリッチ氏によると、「信じるかどうかという問題ではなく、地球の破壊を座して待つつもりなのかどうかという問題なのです」という。

チェリッチ氏はまた、「人類の目標と価値は共通の道徳的・倫理的基準によって特徴づけられます。その意味で、今日の宗教団体の役割はかつてないほど高まっています。」と強調するとともに、「社会における恐怖と不信に直面して、宗教団体には、世界の平和と安全をもたらす責任があります。」と語った。

アケミ・ベイリー=ヘイニー氏は、母親が1945年の広島の被爆者であるという自身の経験から、感動的な発言をした。

Akemi Bailey-Haynie, national women’s leader of the Buddhist organisation Soka Gakkai International-USA. Credit: SGI
Akemi Bailey-Haynie, national women’s leader of the Buddhist organisation Soka Gakkai International-USA. Credit: SGI

「核兵器が抑止力あるいは戦争における実行可能な選択肢とみなされているとき、すべての人間が無限の可能性を有していることが根本的に否定される発想があるように感じます。他者の尊い命を奪う権利など誰にもないのです。」

ベイリー=ヘイニー氏にとって、核兵器は大量破壊以外に何の目的も達しない。ヘイニ―氏は、「核兵器は人間や環境に壊滅的な影響をもたらし、核事故や核テロの可能性は否定できません。」と指摘した上で、「(核問題に関して)異なったあるいは反対の見解を持つ人々の間での対話が、この問題に変化をもたらす第一歩となるのです。」と語った。

「被爆二世として、最も非人道的な兵器である核兵器が禁止されている時代にまだ生きることができないのは、悲しくもあり、怒りも覚えます。」

ノーベル平和賞受賞者で南部アフリカ聖公会のケープタウン元大主教であるデズモンド・ツツ氏は参加者に送ったビデオメッセージで、ICANの市民社会フォーラムの取り組みに深い連帯と支援を表明した。

広島・長崎原爆の犠牲となった人々を追悼する最良の方法は、核兵器を完全に禁止して同じようなことが二度と起きないようにすることです。」とツツ氏は語った。

"Hiroshima Aftermath - cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website
“Hiroshima Aftermath – cropped Version” by U.S. Navy Public Affairs Resources Website

エラ・ガンジー氏とムスタファ・チェリッチ氏の2人のパネリストは、12月8日・9日に開催された「第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」にも出席した。

Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons
Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons

そこでエラ・ガンジー氏は自身の祖父マハトマ・ガンジーの精神においてスピーチを行った。そして「もし彼がまだ生きていたならば、核兵器廃絶運動に加わっていたでしょう。」と語った。

マハトマ・ガンジーは、紛争に対処するために非暴力的な方法があると人類に説くことに人生を捧げたが、1946年に核兵器を非難して「原爆の精神性は不道徳的で、非倫理的で、中毒性で、唯一悪のみがそこから生まれるものだ。」と述べている。

核兵器が存在するだけでも、ライバル国による同様の軍備につながると指摘したエラ・ガンジー氏は、こうした核戦力は将来の世代が生き延び豊かな生活を送るチャンスを奪いかねないものだと警告した。

第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、160か国以上の政府代表と核の犠牲者、市民社会の参加者による、活発でしばしば心を動かされるような議論の場であった。とりわけ、米国と英国がはじめてこの会議に公式参加し、両国の核兵器が討論と批判の対象となった。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

宗教は会議において重要な役割を果たした。多くのロビー集団が宗教的背景を持ち、開会式ではフランシスコ法王のメッセージが伝えられた。

「人間の心に深く根付いている平和と兄弟愛への思いが具体的な形で実を結び、私たち共同の家のために核兵器が完全に禁止されるようになると信じています。」とフランシスコ法王は語りかけ、「核兵器なき世界は真に可能だ」との希望を述べた。

SGI平和運動局のプログラムディレクターである河合公明氏は、2日目の一般討論の席上、核兵器廃絶を求める宗教コミュニティーを代表して共同声明を発表した。「核兵器の廃絶は道徳的義務であるだけでなく、人類の種としての価値を決定づける究極の指標であります。」

「核兵器の存在を容認し続けることは、私たちが人間としていかなる存在であり、どれほどの潜在力を有するかについて、より広く温かい心で考える能力の発揮を妨げます。人類は、紛争解決のための新たなる方途を見つけなければなりません。」と河合氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:

各宗派の指導者が共同で核廃絶を呼び掛け

国連、都市に対する核攻撃を禁止するよう迫られる

|米国|宗教的進歩主義が「未来への道」