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バルカン半島情勢、民族主義が生み出す言葉の壁

【ベオグラードIPS=ヴェスナ・ペリッチ・ジモニッチ

セルビア南部サンザックに住む少数派ボスニア人イスラム教徒は、長年にわたるセルビア人政府当局との交渉の末、先月やっとボスニア語で教育を受ける権利を勝ち取ったと述べた。
 
「言語はすなわち国民のアイデンティティですから、私たちにとって重要な問題なのです」とサンザックボスニア語全国協議会のザケリヤ・ドゥゴポリャッチ氏はIPSに語った。サンザックはボスニアと国境を接するセルビア南部の地域である。しかしここに在住する約30万人に及ぶスラブ系イスラム教徒の大半は、自らをボスニア人と考えている。

しかし、この「新言語(=ボスニア語)」は、旧ユーゴスラビアにおいて何百万人ものセルビア人、クロアチア人、ボスニア人が話していた「旧言語」とほとんど変わりはない。それでも、ドゥゴポリャッチ氏や地元のイスラム系政治家は、敢えてボスニア語を公用語として導入したことを妥当と考えている。「つまり、少数民族の権利に関わる問題なんですよ」とドゥゴポリャッチ氏は言う。

ボスニア語は、1991年の旧ユーゴスラビア崩壊後に導入された「新言語」の1つである。旧ユーゴスラビアでは、連邦崩壊に伴って6つの旧連邦構成国の間で血みどろの内戦が繰り広げられた。その結果、今ではイスラム系ボスニア人は「ボスニア語」、カトリック系クロアチア人は「クロアチア語」、ギリシャ正教徒のセルビア人及びモンテネグロ人は「セルビア語」を話すようになった。

この奇妙な言語区分は、国連がハーグに設置した旧ユーゴスラビア国際犯罪法廷においても採用されており、同法廷の全ての書類にはボスニア語、クロアチア語、セルビア語をそれぞれ意味する“B/C/S”のマークが付けられている。これらの言語は実質的には同じものであるにもかかわらずだ。

この現象について、ランコ・ブガルスキ教授は、有名な著書『平和の言語から戦争の言語へ』の中で次のように述べている。「連邦崩壊に伴う内戦の結果、それまでの言語は地域に帰属するものではなく、新たに国家に帰属するものであるとする考えが台頭してきた」。そして「戦争当事者間には歴史も言語も何一つ共通点はないという考えに基づいて、言語は他民族に対する『武器』として使われるようになった」

旧言語は19世紀に共通語として確立され、セルビア-クロアチア語と呼ばれていた。違いといえば多少のアクセントと地域的な表現程度で、旧ユーゴスラビアではどこでも容易に通じる言語であった。比較して例えるならば、イギリス英語とアメリカ英語の違いといったところだ。

旧ユーゴスラビアにおいては、地域的な違いは「方言」として認識され、様々な民族的背景を持つ人々が、各々民族特有の言語ではなく、その地域の方言を同じように話していた。一方、今日の言語区分の動きは、一部で滑稽な事態も引き起こしている。

クロアチアの映画配給会社は、今やハリウッドやフランス映画と同様、セルビア映画に対しても字幕を付けるようになっている。ザグレブ(クロアチアの首都)の映画館では、「こんにちは」といった表現に対してさえ字幕が付けられる始末で、このような字幕がスクリーンに映し出される度に、観客の失笑を買っている。

今日、クロアチアの言語学者は、クロアチア語の独自性を出すために新たな単語の導入を試みているが、ほとんどのクロアチア人に理解されていないのが現状だ。例えば、FAXは新表現では“dalekoumnozitelj(長距離コピー用機械)”となる。

このことに関して、ザグレブの銀行家ミリアナ・トンチッチ氏(36歳)は、「公的なコミュニケーションでFAXという単語を使えないとは信じられない状況です」「新しい単語を使うことにはなっているけどどうやって発音していいかさえ分からないのよ」とIPSに語った。

他にも、ヘリコプターは今では“zrakomlat (空を切る機械)”、ハードディスクは“kruzno velepamtilo (大きな記憶容量を持った円形機械)”といった具合だ。

しかし政界のエリート達は、それでも異なる民族がそれぞれの言語を持っていくべきだと主張している。

クロアチアの国営テレビは、最近スティーブン・スピルバーグ監督作品『シンドラーのリスト』の放映に際して同作品に収録されていた「セルビア語」のまま放映したことを謝罪するという出来事があった。その際、同テレビ局は、米国の映画配給会社が何年も前に(セルビア語での)翻訳を要求し、その後変更を全く認めなかった、と本件の経緯を説明した。

最近ザグレブで、著名な外交官ネヴェン・スチマッチ氏がコメントの中で「クロアチアとセルビアが欧州連合に加盟した際には、行政上の問題を緩和するため『クロアチア-セルビア語』を再導入するという示唆がブリュッセル(=EU本部)にある」と語ったことから、政治的な抗議運動へと発展した騒ぎがあった。両国の欧州連合加盟はまだまだ先の話であるが、そのような可能性が語られるだけでクロアチア民族主義者の間で公然と抗議の声が上がるのが現状だ。

一方、多くの一般市民にとって、言語の分裂も新国家も永遠に続く障壁を意味するものではない。共通言語とケーブルテレビの存在は、すなわち何百万人もの人々が、ボスニアテレビであれクロアチアテレビであれ、セルビアテレビであれ、同じ番組を見られることを意味する。

最も人気があるドラマの1つにクロアチアの『ヴィラ・マリア』という番組があるが、その内の多くのエピソードはベオグラードの有名な作家スタンコ・クルノブリニャ氏の手によるものである。クルノブリニャ氏は言う「これはやり易い仕事ですよ。なぜならザグレブの古い友人でプロデューサーのゼリコ・サブリッチ氏が私に監督をしないかと声をかけてくれて引受けた仕事だからだ。私たちは今でもお互いを完全に理解しあえる間柄だ」(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

国連がインターネットに望むもの(シャシ・タルール)

2003年の末にジュネーブで開かれた「世界情報社会サミット」の第1段階においては、サミットが報道の自由を抑圧する方向へ進むのではないかとの懸念の声が一部のメディアから聞かれた。彼らによれば、情報の自由な流れを制限する内容を一部の国がサミットの最終文書に押し込もうとしている、というのである。

しかし、実際にジュネーブで確認されたことは、国際社会が、インターネットの世界を含めて、報道と情報の自由を守るということであった。

にもかかわらず、2005年11月にチュニスで開かれるサミット第2段階において、表現の自由を制限する国々に、インターネット管理権の一部が与えられることになるのではないかと心配する意見が出ている。

 
しかし、心配するには及ばない。国連は、インターネットの管理権を奪うことには関心を持っていない。むしろ国連は、インターネットの運用に関してすべての利害関係者が討論を行うことのできる場を提供することを目的としている。

他方で、報道の自由への脅威は現実のものである。「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)によると、今年は、これまですでに29人のジャーナリストが殺害されている。

「テロとの闘い」の中で、報道の自由を制限しようともくろむ一部の国々がある。国家安全保障と独立した批判的報道との間に適切なバランスが保たれねばならないというのが我々の立場だ。メディアが重要な役割を果たして、情報を手にした世界の人びとが参加できるようでなければ、「テロとの闘い」に勝つことは難しいだろう。

また、報道の自由は社会経済的発展の前提条件にもなる。環境を守り、教育を発展させ、HIV/AIDSのような健康問題を解決するためにも、報道の自由は重要なのである。

翻訳/サンプルサマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

*シャシ・タルール氏は、作家で前国連広報担当事務次長(2007年2月まで在任)。

核なき世界へ向けた次のステップ(モハメド・エルバラダイ)

50年前、世界の指導者たちは、いまだかつて経験したことのないような危機に対処しようとしていた。

核兵器の脅威である。広島・長崎で恐るべき惨禍をもたらした原子の力をさらに多くの国々が手に入れようとしていた。

[米国のアイゼンハワー大統領による]「平和のための原子力」構想が生まれ、国際原子力機関(IAEA)が創設されたのはこうした状況下においてであった。

さらに、1970年、核不拡散条約(NPT)が発効した。この条約の内容は以下の3つである。まず、非核兵器国は核兵器保有を断念すること。それと引き換えに、当時の5つの核兵器保有国は完全核軍縮に向かって努力すること。最後に、核技術を保有している国家は、他の条約加盟国と核の平和利用技術を共有することである。


途上国は、非核兵器地帯創設に努力することでこのNPT体制を強化している。これまでに、ラテンアメリカ・カリブ海地帯、南太平洋、東南アジア、アフリカの4ヶ所に非核兵器地帯ができている。

他方、1990年初頭にイラクの秘密核兵器計画が露見して以来、IAEAは保障措置を強化するための創造的手法の開発に努力してきた。これらの手法は、多くの意味において成功を証明してきている。イラクやイラン、リビアにおける最近のIAEA活動の経験は、きわめて難しい状況下においても、IAEAの検証措置が有効であることを示してくれた。もっとも、我々に適切な権限が与えられていること、あらゆる入手可能な情報を利用できること、信頼できる遵守メカニズムに裏付けられていること、国際的なコンセンサスの支援があることなどの条件が必要ではあるが。

21世紀は、核兵器をなくすという使命に対して新たな難題を投げかけている。我々は、子供たちにどんな遺産を残そうとしているのだろうか。

翻訳/サンプルサマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

モハメド・エルバラダイ氏は、国際原子力機関(IAEA)事務局長で2005年ノーベル平和賞受賞者。IPSコラム=モハメド・エルバラダイ

|ボリビア|峻険な山河を超えて学校へ

【ミスカマユ(ボリビア)IPS=マリザベル・ベジード】

14才になるレイナルドは、まだ暗いうちから家を出発し、小さな先住民の部落にある学校まで片道2時間かけて登校する。峡谷を抜ける通学路は急峻で狭く、途中にはいくつも川を渡らなければならない。

また放課後、教科書やノートでいっぱいのリュックを背負って、石と荊棘だらけの道のりをサンダル履きでとぼとぼと歩いて帰宅することには、もう暗くなっている。

 しかし、ボリビア高地の先住民族居住地帯で遠距離通学している子どもたちにとって、レイナルドのように過酷な通学条件をこなしているケースは珍しいことではない。

 レイナルドの学校は最も近い街から7キロ離れたところにあるが、道らしき道は整備されていない。記者はこの学校に取材で2日間過ごしたが、朝になると、この粗末な施設で勉強する決意にあふれた生徒たちが岩だらけの道を乗り越えて各地から登校してきた。

彼の通うミスカマユ統合学校は、ボリビア各地に散らばる辺鄙な土地にある学校のひとつで、他の多くの学校と同じように、殆どの場合、連邦政府や地方政府からの支援を得ていない。

校舎の中には、かつて古い大農場(ハシエンダ)の建物を学校用に改装したものなどがある。多くの場合、基本的な設備さえ整っておらず、中にはドアがないものや、窓にガラスが入っていないもの、ひどいものになると屋根がなく教室が雨ざらしになるものもある。また電気が通っている施設はほとんどない。

ミスカマユ統合学校も例外ではない。何年も前、この学校がボリビアで著名な民族音楽グループ「ロス・マシス」による資金援助を得ていた当時は、この地域でも有数の有名校だったが、今ではボリビア政府の管轄下におかれている。しかし政府が管理義務を怠っているのは、荒れ果てた校舎を一目見れば明らかである。

レイナルドは義務教育の最後の年を終えようとしている。彼の家族はミスカマユから12キロ離れたモレ・ウアタに住んでおり、この地域の大半の家族と同様、農業と世界的に有名なハンドメイドの織物で生計を立てている。

両村落とも、ボリビア南東部チュキサカ県(県都はスクレ)タラブコ市郊外の標高約3300メートルの山間に位置している。

スクレ市(ボリビアの憲法上の首都で最高裁判所の所在地)とタラブコ市間の距離は65キロメートルだが移動には車で2時間を要する。また、ミスカマユ村にたどり着くには、タラブコ市から徒歩でさらに2時間歩かなければならない。

貧困に伴う未就学の問題(学校に全く通ったことがないか、通っても1年以内に退学)も、先住民族の子どもたちにとって、重くのしかかっている。レイナルドの場合、8人の兄弟姉妹のうち、5人しか学校に行っていない。国際連合児童基金(ユニセフ)が今年発表した調査によると、ボリビア先住民の子どもの平均12.3%が、未就学児童である。

農村地帯では、この数値が17.5%にまで跳ね上がる。ボリビアでは人口の35%が農村部に居住しており、貧困率が最も高いのも農村部である。公式統計によると農村人口の75%が貧困層で、その内64%が1日あたり1ドル以下の生活を送っている。

ユニセフ他の国際機関が指摘しているように、ボリビアの義務教育制度は8年制で授業料も無料である。さらに文部省も就学率100%に向けた努力を行っているが、依然として学校に通わない先住民の子供たちがあとを絶たない。

ミスカマユ統合学校で教師をしているカルメン・ローザ・サンチェス氏は、ボリビアの先住民の間でドロップアウト率が高い原因として、農村部における3つの要因(インフラの問題、人口流出も問題、高い貧困レベル)を挙げた。

またサンチェス氏は、中でも農村部の先住民の子ども達が直面している最大の障壁として、言語の問題を挙げた。ボリビアでは、1060万人の人口のうち6割以上が、36の先住民族に属している。

ミスカマユ統合学校では120人の児童のほとんどがヤンパラ・スユ族であり、すべての児童の母語がケチュア語である。しかし、教室では彼らにとっての第2言語であるスペイン語で授業が行われている。

初等教育の最初の3年間では母語を使っているが、中等教育に近づくにつれ、スペイン語を使う頻度が高くなってくる。教員たちにはスペイン語しか理解できない者や農村部の生徒やコミュニティーに対する理解が低い者も少なくなく、次第に教員と児童との間のコミュニケーションが難しくなってくる。他方、スペイン語を母語とする児童が多い都市部では、あまりこのような問題は生じていない。

もうひとつの問題は、農村部の生徒たちは母語に流暢だが、一般的に母語で書かないため、スペイン語を加えた2カ国語で読み書きを覚えるのが至難の技となっている。

文部省は農村部における教育環境を改善し、ドロップアウト率を抑えるため、全ての教師がスペイン語に加えて先住民の言語を扱えるよう訓練するプログラムを導入した。しかし、ミスカマユ統合学校の教師らによると、いまのところその効果は限定的だという。

また、8人の子どもを持つニコラス・フェルナンデス氏によると、農村部の生徒たちが直面している今一つの大きな問題は、如何に進学して中等教育や大学教育を受けるかだという。

「うちの子供たちは、当初はここで学校に通わせましたが、中等教育レベルで教えられる先生方は5人しかおらず、やむを得ずスクレの学校に入れました。その他は、高校卒業後に就職したり大学に進学しています。」とフェルナンデス氏は語った。しかしこの地域よりももっと僻地に行けば、一人の先生が全ての学年と教科を教えている一教室しかない学校もある。

また、レイナルドのケースのように、農村部では小学校や中学校が、生徒たちの自宅から遠く、10キロメートルを超える場合も少なくないという問題がある。この問題に対応するために、学校によっては宿泊施設を備えているものもある。そうした宿泊施設を併設した学校は、ケチュア語で「yachaywasis(知識の家)」と呼ばれて

「yachaywasisは自宅が遠い生徒に宿泊先を提供しています。そうした生徒たちは、日曜日の夜に施設に来訪し、金曜日の午後に自宅に向けて帰ります。そして学校では、講師が生徒たちの支援をしています。」とセラート・ミランダ氏は語った。

また文部省は、ボリビアが多民族国家であり、教育制度も多文化・多言語に基づくものでなくてはならないとした2009年の憲法改正の内容を実施に移すべく、取り組んでいる。

具体的には、ボリビア国内の先住民のニーズを最優先し、レイナルドのような多くの先住民の若者らが直面してきた障害を克服するような新たな教育法の実施に取り組んでいる。

14才の苦学少年レイナルドは、「あなたは英雄だ」と言われて首を横に振った。「僕は単にもっと勉強をして卒業し、いつか大学に行きたいだけなのです。」――彼は静かに、しかし決然とそう言った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アックスブリッジ(カナダ)IPS=スティーブン・リーヒ

私は、私の先般の訪米がバラク・オバマ大統領の再選を手助けすることになったということを知っています。私のような巨大な嵐は、政治には関与しないものですが、あなたがたが地球温暖化問題にきちんと取り組まなかったことで、深刻な結果が生まれていることは今や明らかです。海面の上昇、私のような巨大嵐の発生は、そうした結果の一部に過ぎません。

残念ながら、石炭や石油、天然ガスを燃やすことと引き換えに支払わなければならない代償は極めて大きいものだと申し上げねばなりません。何億トンにも及ぶ二酸化炭素(CO2)を大気中に放出し続ければ、ますます多くの太陽の熱エネルギーが地球に吸収されることになります。CO2は地球にとって天然の毛布のような役割を果たしていますが、こうした数億トンに及ぶ過剰CO2は、この毛布をさらに厚いものにしており、しかも年を追ってますますその層は分厚くなっているのです。

 私がジャマイカからカナダまでを10日間で通過する間に、200人近くが亡くなりましたが、そのほとんどは米国通過時の犠牲者です。その米国は、引き続き圧倒的に世界最大のCO2排出国であり続けています。1860年から2009年における世界のCO2総排出量の実に約30%を、米国が一国で占めているのです。また一人当たりのCO2排出量でも、米国市民は世界最大レベルです。

みなさんの中には、CO2の危険性について長年認識してきた人々もいるでしょう。石炭、石油、天然ガスの燃焼が気候に及ぼす悪影響について話し合った最初の国際会議(大気変動に関する国際会議、G7トロントサミットの直後にカナダ政府が主催。46カ国と国連から科学者、官僚、政治家、産業界、環境NGOなど300人以上が参加:IPSJ)が開催されたのは、24年前のことでした。その際参加者らは、「変化する地球大気:地球規模の安全保障に対する密接な関係」と題されたその会議の決議声明の中で、「人類は、意図しない抑制不能の地球大の実験を行っている。その実験が招く最終的な結果の重大さを上回るものは,世界的な核戦争だけであろう。」と結論づけています。

また彼らは、二酸化炭素排出量を削減する努力をしなければ、生態系にとって極めて危険な地球温暖化が進行することになるだろう、と的確な警告を発しています。

しかし各国政府はこのことを知りながら、石油・石炭・ガス産業を世界でもっとも強力かつ利益の上がる産業に育ててきました。そして地球を住みづらい場所にしてしまっているこうした企業に対して、数十億ドルの税金を補助金として投入し続けているのです。

その結果、今日における大気中のCO2の量は増し、地球全体の気温は0.8度上昇してしまいました。また、こうしたCO2が捉える熱は、1日当たり、広島型原発40万発分のエネルギーを持っています。そのエネルギーが、破壊的で極端な天候を生むのです。そしてこの「新しい日常」でさえも、さらなるCO2の排出によって、一層悪化していくのです。

人類が、これまで地球温暖化問題にまともに取り組んでこなかったために、毎年40万人近い人々の命が犠牲となっているほか、主に気候変動に伴う極端な気象や食糧生産への被害等により、1.2兆ドルの損失が生じています。また、化石燃料の使用による大気汚染だけでも、年間少なくとも450万人の死亡原因になっています。こうした犠牲者数と損失額は、CO2の排出量が1トン増加する毎に確実に上昇していくのです。

人類にとってCO2排出量の問題は、時空を超えて遠い将来に深刻な影響を及ぼす問題です。つまり今日ある国で排出されるCO2は、ただちにどこかに影響を及ぼすものではなく、数年後或いは数十年後の子ども、孫、曾孫の時代の気候に害を及ぼすものなのです。もし人類が、将来における洪水、旱魃、破壊的な嵐、穀物の不作などの被害を最小限に抑えるとすれば、向こう数十年の間にCO2排出量を減少させ、最終的には代替エネルギー等への転換によりゼロに持っていく必要があります。

近年、米国におけるCO2排出量は減少傾向にあります。その背景には、長引く経済不況、老朽化した石炭火力発電所の相次ぐ閉鎖と天然ガスへの転換等が挙げられます。その他の国々においてもCO2排出量の削減努力が進められています。英国は、1990年比で18%の排出量削減に成功しており、さらに2020年までに34%に削減する目標をたてています。しかし、米国の場合、CO2排出量は依然として1990年レベルをはるかに上回っており、積極的にCO2削減努力を行おうとしないこれまでの姿勢に対して、「世界のリーダーとして相応しくない」という厳しい批判が国際社会から向けられています。

ある研究によると、米国は2030年までに再生可能エネルギーを100%導入した21世紀型の先進低炭素社会を実現することが可能とのことです。また、2050年までには、地球全体を再生可能エネルギー源のみでまかなうことも可能との研究報告もあります。

しかし、国際社会はそうした道を選びとろうとはしていないようです。化石燃料産業の力はあまりにも強大で、既得権益を守るため多くの消費者に対して変化に対する恐れを醸成してきました。しかし今日人々が本当に恐れなくてはならないのは、ますます強大化して人命を容赦なく奪う嵐や、甚大な破壊をもたらす洪水、そして、次代を担う子どもたちやその子供たちに飢餓をもたらす旱魃なのです。

人類が未来をそのような事態から救うには、自ら蒔いた種は自ら刈り取るしかないのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan

|インタビュー|紙媒体は墓場に向かっているのか?(シェルトン・グナラトネ博士・ミネソタ州立大学名誉教授)

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【ニューヨークINPS=タリフ・ディーン】

デジタル革命がコントロールを失って久しい中、米国の新聞の中には、発行をやめたりオンライン版に移行したりするところが出てきている。

149年の歴史を持つ『シアトル・ポスト・インテリジェンサー』紙(ワシントン州)は、2009年3月、プリント版の発行を停止し、オンライン版のみに移行した。その4か月後、174年間発行を続けた『アンアーバー・ニュース』紙(ミシガン州)もプリント版をやめ、オンライン版に移行した。

2006年に公共サービスに関する報道でピューリッツァー賞を受賞した日刊紙『ニューオーリンズ・タイムズ・ピカユーン』(ルイジアナ州)は、今年9月、発行を週3回に減らした。また同じくピューリッツァー受賞紙『パトリオット・ニュース』(ペンシルバニア州ハリスバーグ)も、来年1月から週3回発行となる。

 
そして昨月、世界で最も有名なニュース雑誌の一つである『ニューズウィーク』も、1991年の発行部数330万部から昨年6月には150万部と減少する中、79年の印刷版の歴史に終止符を打ち、デジタル版に完全移行することになった。

こうした状況を見ると、紙媒体は墓場に向かっているのかと考えたくなる。

シェルトン・グナラトネ博士(ミネソタ州立大学名誉教授/マスコミ学)は、インターネットは、誰もがジャーナリストになれる状況を作り出すことで、寡占的な報道産業に革命をもたらした、と述べている。

また、インターネット革命は、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ウォール・ストリート・ジャーナル、ロサンゼルス・タイムズ、USAトゥデイの「傲慢な虚勢を叩きのめした」と博士はいう。これらの新聞も、遅かれ早かれ、『シアトル・ポスト・インテリジェンサー』のたどった道をゆくことになるだろうと博士は考えている。

『シアトル・ポスト・インテリジェンサー』紙と『ロッキー・マウンテン・ニュース』紙が倒産した後、『アンアーバー・ニュース』が、印刷版を週2回発行しながら基本的にはオンライン版とする「ハイブリッド」型になった、とグナラトネ氏は述べている。同氏には、『40年代の村落生活――あるスリランカ人海外居住者の記憶』(アイユニバース、2012年)、『村の少年からグローバル市民へ 第1巻――あるジャーナリストの人生』『同第2巻――あるジャーナリストの旅』(エックスリブリス、2012年)の3部作がある。

INPSのタリフ・ディーン記者とのインタビューで、グナラトネ氏は、米国の多くの新聞がハイブリッドに移行している要因について語った。以下がインタビューの抜粋である。

Q:プリントメディアが苦境に陥っている理由は何でしょうか?

A:ウェブサイトやブログ、ポッドキャストなどで多くの人が雑誌タイプの記事に触れるようになったことが原因です。さらに、ニュースを読むためにスマートフォンやワイヤレスタブレットを使うようになってきているという事情もあります。

Q:広告の減少が新聞に影響を与えているでしょうか?

A:米国の新聞の製作・配布コストのおよそ8割を広告収入がカバーしています。しかし、1980年代のデジタル革命で、広告産業は、オンラインメディアの拡散によって特定の商品やサービスの対象となる消費者により低コストで情報を届けることができることに気づいたのです。

Q:ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の役割はどういうものでしょうか。

A:1990年代に情報化時代が始まり、インターネットの一部としてWWWが一般にも利用できるようになりました。ウェブは、マスメディア、メディアの消費者、広告産業にとって恵みとなったのです。三者はいずれもサイバースペースに救いを見出し、彼らの共存にとってより適した環境であることを発見するのです。

ニューヨーク・タイムズの標語「印刷に適したすべてのニュース」よりも多くのものをウェブは抱えていくことになるでしょう。先進国においては、急速に減少する広告収入は新聞雑誌ジャーナリズムを脅かす中心的な問題になっています。

Q:若い世代がますますデジタル情報に傾く中、今後25年でこの状況はどう動くと思いますか?印刷版の新聞の終わりの始まりとなるでしょうか?

A:米国の若い世代は、デジタル革命がプリントメディアを貶めるようになってのちに生まれた世代です。私のクラスには、スポーツ面以外には新聞を読まない子が多いですよ。課題にした本の章ですら読まないんですから。デジタル革命で彼らの関心は電子メディア、バーチャルメディアで読み書きすることに移ってしまいました。

アナログの機械・電子技術をデジタル技術に移行させるこの革命は、情報時代の始まりにおいて歓迎されたデジタルチップによって可能となりました。

2000年代に入って、最初は先進国で、次に途上国で急速に広まった携帯電話もまた、印刷版の新聞の経済性を奪っていきました。

世界のインターネット利用者は加速度的に増えています。現在、インドネシアには人口よりも多い台数の携帯電話があります。2010年代初めには、クラウド・コンピューティングが主流になっています。2015年までには、インターネット利用においてタブレット型のコンピューターや電話がパソコンを凌駕するであろうと見られています。

Q:この現象は米国(と西側社会)だけに限られたものでしょうか。それとも、途上国にも同じく影響をあたえそうでしょうか。

A:『ニューズウィーク』の発行者であるティナ・ブラウン氏は、同誌印刷版(デジタル版ではない)の発行ライセンスは、日本やメキシコ、パキスタン、ポーランド、韓国のような国では「きわめて強い」と語ったとされています。

国際電気通信連合(ITU)のデータによると、2006年の世界のインターネット利用者は人口の18%、2011年には約35%(20億人)になったということです。この速度だと、先進国と途上国との間のデジタル格差は、米国が崩壊する前に消えてしまいそうです。私は、米国崩壊は2043年までに起こると書いたことがあるのですが。

ティナ・ブラウン氏が挙げた5か国のうち、印刷媒体に対する儒教的影響が依然として強い日本と韓国、それからポーランドでは、『ニューズウィーク』印刷版を含めた伝統的な新聞・雑誌が、しばらくは勢力を保つでしょう。

ニュースが商品のひとつでしかない米国と違って、他の多くの国では、ニュースは社会的な財だと考えられています。

カナダ、英国、米国における有料紙の60年間にわたる発行部数を調査し、部数が減少していることを明らかにしたコミュニケーション・コンサルタントのケン・ゴールドスタイン氏は、新聞はいつの日か消えてなくなるものだと述べています。(原文へ

INPS Japan 

「性産業」犠牲者の声なき声:Chantha(仮名)の場合

【INPSメコン地域HIV/AIDS研究事業現地取材からの抜粋】

プノンペン近郊のこの売春街(Svay Park)では、売春婦のほとんどが私も含めてヴェトナムからの貧しい移民とその子孫です。私は建設現場の季節労働者の父と専業主婦の母、そして兄弟姉妹6人の大家族の中で育ちました。その他、叔母が私たちと同居してましたが、実は私はその叔母に売春婦として売られました。

当時、私の家は多額の借金を抱えており、17歳になった私を売ることで借金を返済しようと勧める叔母に、両親は反対できなかったのです。私は叔母に売春宿へ連れていかれた日のことを今でもよく覚えています。売られていく先への道中、『これから自分がどんな目にあうのだろうか』という恐怖心で頭がいっぱいで体の震えがとまりませんでした。

売春宿に到着すると、そこには私よりさらに幼い14、15歳位の少女達がいるのを見て驚きました。尋ねてみると、私と同じ境遇で、借金のかたに売られてきたとのことでした。叔母は、私を売春宿に残して去るにあたって、『売春宿のオーナーのいうことに歯向かわず、おとなしく何でも言うことをよく聞くように』と諭していきました。私は到着した日に早速オーナーから接客を命じられましたが、それまで性経験がなかった私は、顧客にどのように接しればよいのかわかりませんでした。それが、私の売春婦としての新たな人生の始まりでした。

その後半年間、私はその売春宿で連日男性の相手をさせられました。しかし、ある日病に倒れ、とても接客ができる状態ではなくなってしまいました。すると売春宿のオーナーは、これでは借金が返済できないと言って私の実家に連絡をとり、叔母が私を引き取りにきました。

残りの多額の借金を返済する手段のない両親は、再び叔母の勧めで、今度は私に代わって16歳の妹が売春宿に差し出されることになりました。私は愛する妹に私と同じような地獄を経験させたくなかった。できればそのまま私が犠牲になれればと思ったけれど、自分の体がいうことをきかないし、他の多くの兄弟姉妹を食べさせていくためにはどうしようもない決断でした。

後で知ったことですが、私たちのような処女を売春宿に売ると、50ドルから100ドル程になるとのことです。叔母は多分、男性経験のない私たちを売って余計に稼いでいたのではないかと思います。その後、妹はずっと売春宿で働かされています。

一方、私は国境なき医師団(国際NGO)のピア教育者として働くことになり、他の売春婦たちの中に入って、STD/HIV/AIDSや健康に関する諸問題について彼女達に語りかけています。また、一時は売春婦としての生活から脱皮しようと、あるNGOが提供する職業訓練プログラム(裁縫)を受講しながら、プノンペン市内で民家の掃除婦としてがんばってみました。

しかし、市街まで毎日通うための交通費は大きな負担で、一方、ピア教育者活動と掃除婦としての収入では、私と家族を養うには到底足らないのが現実でした。結局、現実的な選択として、家に接客用の小部屋を設けてそこで売春(Indirect Commercial Sex)をして、家計の足しにしていくしか生きていく道はなかったのです。売春婦として家計を助けながらなんとか貯金して将来的には他の選択肢を持てるようになりたいです」

Svay Park:カンボディア市内から北へ車で20分程のところにあるヴェトナム人移民が居住する売春村で、100メートルほどの村のメインストリート沿いに「置屋」が林立し、その中から16歳から20歳までのヴェトナム人少女が道行く男性客に声をかけている。

カンボディアは今や世界的に有名なぺドファイル(子供性虐待者)のメッカと言われるほど、「性産業」によって年少者の性的搾取が盛んに行われている国であるが、ここSway Parkも例外ではない。「置屋」の向かいは全て簡素なバーとなっており、男性顧客はここでビールを飲みながら売春婦の「品定め」をできる仕組みになっており、幼い少年が「もっと若い娘がよければ案内する」と声をかけてくる。

取材班が潜入取材を実施した際には最低年齢の売春婦は9歳であった。料金は、14歳から20歳が5ドル、10歳までが30ドル、9歳未満はさらに年齢が下がるほど値段が高くなり、処女の少女には数百ドルの値段がつけられていた。

村の入口の看板には「コンドームをつけましょう」という日本語の表記があるのには驚いたが、この売春村を訪れる外国人顧客の主要な一角を日本人が占めている。日本では1999年に「児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」が施行され、18歳未満の児童を買春した日本人が罰則の対象となったが、現地専門家、NGOによると、多くの欧米人犯罪者と同様、逮捕されても多額の賄賂を渡して国外逃亡してしまうケースが少なくなく、現地官憲の腐敗の問題を含めて、今後の再発を防止するための効果的な対策を検討していく必要がある。

カンボジア取材班:浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア)

ハリケーン「サンディ」対応で文化の壁を乗り越える人々

【国連IPS=ベッキー・バーグダール】

ハリケーン「サンディ」は、一夜にして米東海岸の広大な地域に深刻な被害をもたらした。しかし、長期的に見れば、様々な宗派の人々が、被災後の試練にともに立ち向かい行動することを学ぶなど、プラスの効果ももたらされたかもしれない。

「異なる宗派の人々が寄り合って対等な立場で議論を尽くすのは時に難しいことです。しかし、ここでは誰もが率先して協力し合っています。」と「ニューヨーク災害救援宗教横断奉仕会(NYDIS)」のピーター・グダイティスさんは語った。

 NYDISは、ニューヨークを拠点に災害救済に取り組んでいる「信仰を基盤とした団体(FBO)」の連合組織で、現在ハリケーン「サンディ」への対応で、ニューヨーク市南東部のロッカウェイズや南西部のスタテン島などで被災者支援にあたっている。

グダイティスさんは、「人びとは、災害支援というと連邦政府や赤十字がやるものだと思っています。しかし、実際には様々な宗教団体による支援活動が実は最大のものなんです―もっとも、それは財政面ではなく人間の参画という意味においてですが。」と語った。

NYDISには80以上の様々な宗派の団体が加盟しており、多様性に富むニューヨーク市の団体の中でも、宗教的に最も多様な災害支援団体である。メンバーには、仏教徒、シーク教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、様々な宗派に属するキリスト教徒など、多数を抱えている。グダイティスさんは、「全ての宗教団体が団結して被災支援に参画しています。こうした信仰を基盤にしたコミュニティーは、危機に際して、人々の心に希望をもたらす存在になるのです。」と語った。

とはいえ、異なる宗派に属する様々な団体を調整して協力させるのは、決して容易な仕事ではない。「9・11同時多発テロを契機に設立されたNYDISも、それなりの内部対立を経験してきた経緯があります。」とグダイティスさんは、指摘した。

「いくつかの宗教間には、歴史的な背景から互いに協力しにくい状況があります。そうした明らかな例の一つにユダヤ教徒とイスラム教徒の対立構図があります。従来中東地域におけるイスラエルとアラブ諸国間の対立が、ここニューヨークにおいても両教徒間の対立構図に反映されてきたのです。しかし米国で大災害が起こると、彼らは一転して協力し合う傾向があります。」「また従来は、いくつかのキリスト教徒のコミュニティーの協力を得るのも、容易ではありませんでした。」とグダイティスさんは付け加えた。

グダイティスさんは、(ニューヨークを直撃した)ハリケーン「サンディ」後の災害支援を経験して、こうした異なる宗教コミュニティー間の絆が強まるのではないかと感じている。

ニューヨークのイスラム教徒コミュニティーの連絡調整組織であるムスリム協議ネットワークのデビー・アルモンテイサー代表も、グダイティスさんとほぼ同様の見解を持っている。

「私たちのネットワークに属する学生団体をボランティアに行かせています。避難所や地域の公民館にユダヤ教徒やキリスト教徒のボランティアとともに向かうのです。2001年の9.11同時多発テロに際しては、宗教間協力が活発に行われました。今回のハリケーン被害に対しても、人々は再び宗教の違いを乗り越えて、ともに立ち上がり協力し合っているのです。」

またアルモンテイサー代表は、災害支援にイスラム教徒が参加することは在米イスラムコミュニティー全体にとって利益になると指摘した上で、「米国内にイスラム排斥の風潮があるなかで、実際にイスラム教徒が被災者を支援している姿が伝えられれば、彼らに対するネガティブなステレオタイプを変えることにつながるのです。」と語った。
 
現在「ムスリム協議ネットワーク」は、電子メールで被災者支援に参画するボランティアを募るようメンバーに呼びかける一方、被災者に食事を提供する調理施設の設置についてスタテン島のイスラム礼拝所と連絡調整をおこなっている。

「ニューヨーク市民に今必要なものは助け合いの精神です。つまり黄金律の実践なのです。私たちは、9・11同時多発テロ以来、これほどの大災害に直面しませんでした…今が一番厳しい時期ですが、今後も復興までには長い時間を要します。私は、今後様々なコミュニティー間で、息の長い協力がなされていくものと考えています。」

また現在ハリケーン「サンディ」の救援活動に熱心に取り組んでいる「信仰を基盤とした団体(FBO)」に「ユダヤ災害対応隊」という復興支援活動を全米で展開している団体がある。

「今現在は、被災地コミュニティーの支援に全力を尽くしています。このような試練の時に、人々に生きる力を与えられる信仰の力には、計り知れないものがあります。」と、この団体の創設者で代表のエリー・ローウェンフェルドさんはIPSの取材に対して語った。

「ユダヤ災害対応隊」は以前にも大災害後の救援事業で他宗教団体との協力を行ったことがある。昨年4月に米国に嵐が襲った際には、「北米イスラムサークル」という団体と協力して被災者支援を行った。

ローウェンフェルドさんによると、この経験が宗派間の対話を加速し、今後ハリケーン「サンディ」の対応でも有益になるであろう連帯が強まったという。「今や私たちは、(宗教の壁を乗り越えて)手を取り合っています。」とローウェンフェルドさんは語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|バーレーン|GCC外相会議、テロ事件を非難

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|マナマWAM|

6日からバーレーンの首都マナマで開催していた第125回湾岸協力会議(GCC)外相会議は、11月5日に同地で発生した連続爆破テロ事件(5ヵ所で爆弾が爆発し外国人労働者2名が死亡、インド人一人一名が重傷)について、犯人を最も厳しい口調で非難する声明を発した。

同声明は、バーレーン国王、政府と国民、および犠牲者の遺族に対して哀悼の意を表するとともに、重傷を負った犠牲者の早期回復を祈念した。

また同声明は、バーレーン治安当局のテロ事件への対応を賞賛するとともに、国民及び在留者の生命と財産を保護するため国家の結束と安全・安定維持に努力するバーレーン王国及びその国民と連帯していくことを再確認した。

 また同声明は、バーレーン王国の安全は、GCC加盟国全体の安全保障と不可分であり、同国への脅威は湾岸地域全体への脅威と見做されると強調した。また、あらゆるテロ活動を断固として拒否し、これまで国際社会が取り決めたあらゆるテロ対策を発動して協力して対処していくことを呼びかけた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

再生可能エネルギーの導入を図る太平洋諸国

【ブリスベンIPS=キャサリン・ウィルソン】

南太平洋のトケラウ諸島(ニュージーランド領)では、化石燃料から太陽光発電を中心とする再生可能エネルギーへの大胆な転換政策が実施され、国際社会に対して、持続可能な開発政策として成し遂げられる新たな基準が示されている。

トケラウ諸島は3つの環礁(アタフ島・ヌクノノ島・ファカオフォ島)から成っており、人口は1411人である。また、標高はいずれも海抜3メートルから5メートルで、総面積は12平方キロである。

 「地球市民としての私たちのコミットメントは、気候変動の影響緩和に向けて貢献していくことです。私たちは今回の成果(再生エネルギー150%)を誇りに思っていますし、他の太平洋島嶼国の国々も同様の政策をとるよう、励ましていきたいと思います。」と、トケラウ連絡事務所(サモア)のジュビリシ・スベイナカマ部長は語った。

これまでトケラウ諸島では、エネルギー源の多くを化石燃料の輸入に頼っており、年間コストは81万9500ドルにも及んでいた。

2004年、トケラウ政府は、再生可能エネルギーを中心に、省エネとエネルギー自給のための戦略を策定した。

そして今年、ニュージーランド政府の経済援助を受けて実施に移された世界最大の太陽光発電を用いた独立電源システムを擁する「トケラウ再生可能エネルギープロジェクト」がようやく実現の運びとなった。

この3ヶ月の間に、アタフ、ヌクノヌ、ファカオフォの3つの環礁に、4032枚の太陽光発電モジュール、392機のインバータ、および1344機のバッテリーが設置された。また、悪天候に備えて設置された発電機の燃料には、トケラウ諸島内で生産されるココナッツバイオ燃料が用いられる予定である。

システムの導入を担当したニュージーランドのパワースマート社は、公式発表の中で、「当初の入札仕様では、トケラウの電力需要90%をカバーする太陽光発電システムが求められていましたが、実際に設置されたシステムの発電能力は、従来の電力需要の150%を生成する能力を有しており、その結果、トケラウ諸島の住民は、ディーゼル燃料の消費を増やすことなく、電力使用量を上げることが可能になりました。」と述べた。

スヴェイナカマ部長は、「燃料の節約で浮いた費用は、開発の重点分野である医療や教育分野への投資、及び、本プロジェクト実施のためにこれまでの受けてきた借金の返済に充当していきます。」と説明した。

太平洋島嶼地域で再生可能エネルギー利用のポテンシャルが高いのは、トケラウ諸島だけではない。全ての島嶼国において、太陽光は非常に強く、フィジー、パプアニューギニア、ソロモン諸島バヌアツでは、太陽光の他に、風力、水力、地熱にも大きな可能性がある。

またこの地域には、クリーン開発への移行を加速化せざるを得ない、経済的、社会的に逼迫した事情がある。これらの島嶼国は、温室効果ガスの総排出量が世界全体の1%未満に過ぎないにも関わらず、気候変動が及ぼす厳しい悪影響に晒されている。多くの農村人口、とりわけ、最も人口が集中しこれ以上の送電システムの拡張が望めないメラネシア地域の農村人口は、十分な保健、輸送、教育サービスが届かない最も不利な状況に置かれている。

太平洋諸国における電化率は、サモアの98%からパプアニューギニアのように13%まで様々であるが、平均すると約1000万の域内人口の内、電力を利用できているのは僅かに30%にとどまっている。こうした中、化石燃料への依存からいかに脱却していけるかが、域内各国にとって重要な課題となっている。

南太平洋大学(フィジー)で物理学を教えているアニルダ・シン助教授は、IPSの取材に対して、「太平洋島嶼国は、主に国内の電力及び輸送需要を賄うために、化石燃料を輸入し続けなければならない深刻な問題を抱えています。これは少数の島民が各地に孤立し散らばって定住しているためです。化石燃料の輸入にかかる費用は莫大なものになっているため、エネルギー源の転換をいかに図るかということが、各国にとっての最重要課題となっているのです。」と語った。

エネルギー供給のための対外依存も大きい。石油が総輸入に占める割合は、フィジーで32%、トンガで23%にのぼるなどエネルギー供給のための体外依存度が髙い。事実、フィジー、バヌアツ、ソロモン諸島は、世界でも石油の価格変動に最も影響を受ける国となっている。さらに、二次離島の場合、輸送コストが20%から40%増になることも大きな負担となっている。

持続可能なエネルギーに関する国際会議が、今年5月にバルバドスで開催された際、小島嶼開発途上国の閣僚らは、いくつかの太平洋島嶼国による野心的な再生可能エネルギー目標を組み込んだ「バルバドス宣言」を採択した。

例えば、フィジーは2013年までに、また、クック諸島、ニウエ、ツバルは2020年までに。再生可能エネルギー100%を目指している。現在フィジーは、一次エネルギーの33.6%、電気の58.9%を再生可能エネルギー源に依っているが、クック諸島の場合、一次エネルギーで1.6%、電気で0.3%を再生可能エネルギーに依存しているに過ぎない。またソロモン諸島とミクロネシア連邦はそれぞれ2015年と2020年までに再生可能エネルギーで電力需要を賄うようにするという目標を発表している。

シドニーに本拠を置く太平洋諸島再生可能エネルギー産業協会(SEIAPI)のジェフ・ステープルトン氏は、「クック諸島は、2018年までに再生可能エネルギーの80%を達成できると自信を持っている。」と語った。

一方この地域の国々は、再生可能エネルギープロジェクトの導入に際して、インフラの未発達、脆弱な組織運営能力、財政不足など様々な共通の問題を抱えている。

ステープルトン氏はこの点について、「(再生可能エネルギー導入に際して)本当に難しい側面は、遠方の島々にいかに機材を運ぶかという点です。輸送コストは高く、運航が不安定なため、施設設置やその維持、修理に問題を引き起こすことになるのです。」と語った。

シン助教授は、この地域の人材の知識面における能力開発にも取り組まなければならないと指摘した。南太平洋大学は、小島嶼開発再生可能エネルギー知識・技術移転ネットワーク(DIRECT)のパートナー組織である。DIRECTは、ドイツ、フィジー、モーリシャス、トリニダード・トバゴの大学が共同して立ち上げったネットワークで、アフリカ・カリブ地域・太平洋地域の小島嶼開発途上国における科学的専門知識の向上に取り組んでいる。

また最近のイニシアチブの事例として、日本政府が6600万ドルを拠出し、太平洋諸島フォーラムが運営する太平洋環境共同体基金(PEC)がある。ここ一年で、フォーラム加盟国は、PECを活用して(最高4000万ドルまで利用可能)太陽光エネルギープロジェクトや農村部の電化事業を実施することができた。

ソロモン諸島では、PEC資金を活用したプロジェクトを通じて、1万人以上が新たに電化の恩恵を享受した。またサモアでは、年間135,000リットルの燃料が節約されることとなるだろう。さらにミクロネシア連邦では、500トンの炭素放出が抑制され、年間486,000ドル相当の燃料費の節約が見込まれている。

シン助教授は、今後の見通しとして、「小島嶼国はおそらく2050年までには電力供給の面で、自給自足を達成できるでしょう。その背景には、すぐに利用できる援助資金があり、近年太陽電池パネルの価格が大幅に下落したことで、近い将来、太陽光発電による送電システムの導入がより手頃な費用で、しかも、費用対効果も向上することが期待できるからです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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