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│コーカサス│平和を求める、くぐもった声

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【ステパナケルト(コーカサス・ナゴルノカラバフ共和国)IPS=エンゾー・マンギーニ】

イリーナ・グリゴリアン(60)さんの声は、お昼ご飯を待ちわびた230人の子どもたちの叫び声にかき消された。彼女は、コーカサス地方ナゴルノ・カラバフ共和国の首都ステパナケルト(人口50,000人)で幼稚園の園長を務めている。グリゴリアン先生は、子どもたちの喧騒にもにこやかに笑いかけている。

しかし、「平和にチャンスを与えよ」という、グリゴリアン先生のデスクの後ろの壁に貼られたポスターの標語は、モスクワから2400キロ南の霧深い山岳地帯に位置するこの街をとりまく環境が、決して望ましい状態ではないことを示唆している。

ナゴルノ・カラバフ共和国は、アゼルバイジャンとアルメニアとの間の長く忘れ去られた紛争の中心に位置している。

旧ソ連時代、ヨシフ・スターリン(当時ボリシェヴィキの民族問題担当人民委員)がナゴルノ・カラバフを自治州としてアゼルバイジャンの下に置くことと決定して以来、アルメニア人口の多い(当時住民の94%)同地では自治権拡大を求める声が絶えることがなかった。

ソ連崩壊間近の1980年代末から、ナゴルノ・カラバフ自治州では隣国アルメニアへの統合を求める市民の活動が活発になり、ステパナケルトでも大規模なデモが発生した。これに対して、アゼルバイジャン政府は自治州を廃止し、ナゴルノ・カラバフを直轄統治下に置いた。

1991年末、ナゴルノ・カラバフ側は人口19万1000人(この時点で75%がアルメニア系住民)をもって「ナゴルノ・カラバフ共和国」としての独立を宣言、これに対して、アゼルバイジャン政府は翌92年1月、分離主義運動鎮圧を名目に軍事介入に踏み切り、93年までの戦闘で一時はナゴルノ・カラバフ全土の7割近くを制圧することに成功した。しかし、このことがナゴルノ・カラバフ側を支援するアルメニアの軍事介入を招くことになった。

アルメニアとアゼルバイジャン間の戦闘は本格化し、1994年にロシアとフランスの仲介による停戦が合意されるまでに双方で約30,000人の死者と1,000,000人を超える難民を出した。停戦時に引かれた現在のナゴルノ・カラバフ共和国とアゼルバイジャンの境界線はソ連時代のものよりも数キロ東側(=アゼルバイジャン側)にシフトしており、緩衝地帯はアルメニア軍が支配している。

今日、アルメニアとアゼルバイジャン両国は、公式には引き続き戦争状態にある。一方、ナゴルノ・カラバフ共和国(人口150,000人)は、事実上、独立状態を維持しているものの、アルメニア以外に独立を承認している国はない。こうした不安定な状況から、紛争を生き延びた人々は、停戦から20年近くたった今でも、戦争の影に怯えながら、日々ストレスと不安を抱えて生きていくことを余儀なくされている。

「戦時には地元の中学校(ギムナジウム)で教えていましたが、私が受け持った男子生徒のうち80%は戦闘で死んでしまいました。」とグリゴリアン先生は当時を振り返って語った。

「私はあのような悲劇を二度と繰り返してほしくない。だからこの幼稚園では、戦争のことについて話しませんし、子ども達に憎しみについて教えないのです。」

グリゴリアン先生は戦争の記憶について多くを語らないが、1992年当時、ここスケパナケルトの街を包囲したアゼルバイジャン軍が、郊外の町(シュシャ)の高台にグラッドミサイル発射台を配置して、連日市街にロケット攻撃をしかけていた際の街の様子を鮮明に覚えている。

当時、スケパナケルトの市民は、アゼルバイジャン兵がグラッドミサイルの装填に1回につき18分かかる事実を知ると、(攻撃が中断される)18分の時間を利用して、街を移動したり、僅かな時間ながらも日常に平静を取り戻そうとした。

「(街が包囲された当時)隣の教室から子供たちの父兄が制限時間18分のサッカーの試合をしている音が聞こえてきたのを覚えています。」とグリゴリアン先生は語った。

またグリゴリアン先生は、現在、アルメニアのNGOと、かつてナゴルノ・カラバフ地域に居住していたアゼリー人難民をつなぐ団体「公共外交研究所」の活動にも積極的に参加している。

グレゴリアン先生は、長年にわたって共存してきたアルメニア人とアゼリー人コミュニティーが引き裂かれている現状は嘆かわしく、双方の民衆と平和活動家らが直接対話を重ねることで、再び関係を構築していきたいと希望している。

グリゴリアン先生は、同胞のアルメニア系市民に対しては、「もし平和を願うのならば、ナゴルノ・カラバフ共和国周辺にも設けられた緩衝地帯を放棄するとか、難民化したアゼリー人の帰還を認めるとかいった譲歩が必要だ。」と説いている。

「次の世代の子ども達まで、戦争で失いたくありませんから。」グレゴリアン先生は、現在もアルメニアが占拠しているナゴルノ・カラバフと、アゼルバイジャンとの軍事境界線では小競り合が頻発しており、アゼルバイジャン政府が定期的に脅迫じみた声明を発していることに、このままでは近い将来本格的な軍事衝突が再発するのではないかと懸念を深めている。

また、グレゴリアン先生のようなNGOや平和活動家らによる国境を越えた民間外交の努力は、2009年ごろまでは、インターナショナル・アラートミンスク・グループをはじめとした国際社会からの支援が行われてきた。しかしその後、いずれの対話イニシアチブも行き詰まりを見せてきている。

地政学が平和の機会を妨げる

ナゴルノ・カラバフ共和国には議会も外務省もあるが、国際的にはほとんど承認されていない。アゼルバイジャン政府も、同共和国を「占領」しているアルメニア政府を交渉相手とはしても、ナゴルノ・カラバフ共和国政府を相手にしようとはしない。

ナゴルノ・カラバフ共和国のカレン・ミルゾヤン外務大臣は、「我々はアゼルバイジャン側と交渉のテーブルにつく用意があるが、問題は先方に当政府関係者と交渉する意思がないことです。」と語った。

ミルゾヤン外務大臣は、昨年7月の大統領選挙で2期目の再選を果たしたバコ・サハキャン大統領(投票率64%)によって数か月前に任命された。

「私たちは(今回の選挙で)国民から明確な信任を得ました。国民は自由と独立を求めているのです。私はその目標を達成するためには、必要な譲歩をする用意があります。」と語った。

ただし外務大臣の言う「譲歩」が現実的に何を意味するのかは明確ではない。

ナゴルノ・カラバフ共和国政府は、イルハム・アリエフ大統領が率いるアゼルバイジャン政府が国際的に反アルメニアキャンペーンを展開する一方で、国内においても反対者の口を封じていると非難している。

専門家らは、こうした批判の根拠を裏付ける多くの事例を指摘しているが、コジャリ虐殺事件についてアゼルバイジャン当局の発表内容の信頼性を疑わせるような調査報道をおこなったとして8年半の禁固刑を言い渡された同国のエイヌラ・ファトゥラーエフ記者の件もその一つである。なお、ファトゥラーエフ氏は、その後2011年5月に無罪判決を受けている。

コーカサス南部の独立系シンクタンク「地域研究センター」のリチャード・ギラゴジアン氏は、緩衝地帯からのアルメニア軍の全面撤退など、(現状を転換するには)大胆かつ想像力に富んだ政治的信頼醸成措置がとられなければならないと考えている。

「アルメニアとアゼルバイジャンは政治的な膠着状態に陥っており、このことが両国の利益を損なう結果となっているのです。また両国の対立は、トルコや西欧諸国をはじめとした多くの国々のエネルギー安全保障を確保する上で地政学的な要となるカフカス地域全体の安定を脅かしかねないのです。」とギラゴリアン氏は語った。

アゼルバイジャンからトルコに石油・天然ガスを運ぶ、バクー・トビリシ・エルズルムパイプラインの他、トルコとグルジアの港まで伸びているバクー・トビリシ・ジェイハンパイプライン及びバクー・トビリシ・スプサパイプラインは、いずれもナゴルノ・カラバフ共和国の境界からわずか数マイル離れたところを通過している。

こうしたことから、専門家らは、国際社会がナゴルノ・カラバフ問題をこのまま放置していれば、紛争が勃発した場合、ロシア・トルコのような近隣の大国が巻き込まれたり、欧州諸国に深刻なエネルギー危機をもたらすような深刻な波及効果が生じかねないと警告している。また、両国は大型の最新兵器で軍備の増強を行ってきており、勢力も拮抗しているため、有事の際には数年前のグルジア紛争のような短期間の戦闘で終わらないリスクが指摘されている。

「長年にわたって、ナゴルノ・カラバフの帰属問題がアルメニア、アゼルバイジャン双方にとって国家の誇りや国のアイデンティティーの問題とされてきたため、ますます譲歩を難しくしてきた経緯があります。」とギラゴシアン氏は語った。

ギラゴシアン氏は、両国と堅固な外交関係を有し、軍事基地さえ構えているロシアが、より積極的に仲裁の役割を果たすべきだと考えている。(原文へ

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過去の残虐行為の歴史を政治利用してはならない(トーマス・ハマーベルグ)

|UAE|外務省、スリランカ難民のその後について声明を出す

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のサイード・アル・シャムシ国際機構担当外務次官は、以下の声明を発表した。「2012年10月14日、貨物船『ピナクル・アビス号』が航行中に沈没しかけた船から45人のスリランカ国籍の人々(タミル人)を救出し、UAEのジャベル・アリ港に移送した。」

「UAE政府が国連難民高等弁務官事務所(UNHCRによる接見をアレンジしたところ避難民全員が政治亡命を願い出た。審査の結果38人には亡命が認められたが、拒否された7名はその後自らの意志でUNHCRと国際移住機関(IOMを通じて本国に帰還した。

「UAEは彼ら難民(その後1人が出産し総計39人)に住宅・食糧・医療支援を提供、これまでにUNHCRは20人の受け入れ先を確保し、一部は既に再定住を終えている。残りの19人については、UNHCRが引き続き受入国の確保に努めるとともに、安全を確保した形で本国に帰還させる可能性についても検討している(一方、人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは迫害の恐れがあるためUAEに本国送還をしないよう求めている:IPSJ)。UAE政府は引き続きUNHCRと協力して解決策を模索するとともに、国内滞在中の待機難民への支援を継続していく。」

UAEはUNHCRと長年に亘る協力関係を有しており、最近では今年3月末に高等弁務官がUAEを訪問している。またUAEは、世界最大規模の緊急支援物資をドバイの国際人道シティに擁しており、UNHCR災害救助プログラムを構成する緊急支援物資の主要補給基地を提供している。

シャムシ外務次官は、「UAEは世界各地の人道災害に積極的に援助の手を差し伸べており、難民危機に際しても、国際社会の一員として引き続き積極的かつ責任ある役割を果たしていく。」と語った。(原文へ

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情報不足で困難に陥る難民支援

|人権|映画が明らかにするスリランカ内戦最後の数ヶ月

ポテンシャルを発揮する人権教育

|ルワンダ|「100日間の虐殺」から立ち直ろうとする人々

【キガリIPS=エドウィン・ムソニ】

ルワンダ西部州カロンギ区のバーナード・カユンバ区長は、19年前にたった100日間で約100万人もの命を奪った虐殺のことを忘れることができない。

犠牲者の規模については確定的な数字は明らかとなっていないが、1994年4月6日に発生したルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領の暗殺(首都キガリ上空で両者が搭乗した航空機が撃墜された)からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧する7月までの約100日間に、少数派のツチ族80万人と、穏健派のフツ族が虐殺されたと見られている。

虐殺の犠牲者の大半はツチ族で、殺害に加担した人々の大半がルワンダで多数を占めるフツ族(フツ系の政府とそれに同調する過激派、一般住民)だった。しかしヒューマン・ライツ・ウォッチが1999年に発表した報告書『誰ひとり生かすな:ルワンダ大虐殺』には、「多くのツチ族が、虐殺を生き延びたが、それは見知らぬフツ族住民による勇気ある行動や、隠れ家や食糧を何週間にも亘って提供してくれたフツ族の親族、友人による支援による賜物だった。」と記されている。2005年までキブエ県として知られていた西部州カロンギ区は、1994年当時わずか数日の間に多数の命を奪った虐殺2件の舞台となった地である。

多くの人々がキブエ市街地の教会や学校に逃げ込んだ一方で、約30,000もの人々が、街から40キロほど離れたビセセロ丘陵地帯に逃げ場を求めた。カユンバ氏もその一人だった。犠牲者数に関する公式統計はないが、この丘陵地帯で数万人が虐殺されたと考えられている。当時19才だったカユンバ氏はこの虐殺を生き延びたが、当時のことを片時も忘れたことがない。

「私は、学校にいけないことや空腹であるということがどういうことか、当時の経験から良くわかります。だからこそ、区長として地区で困っている人々に支援の手を差し伸べるとき、私は誰よりも公平でいられるのです。」と、カユンバ区長はIPSの取材に対して語った。ルワンダでは、今年も4月7日から13日を「虐殺記念週間」とし、様々な追悼行事が行われた。

カユンバ氏は、「私が今日こうして区長でいられるのは、ルワンダ政府が行っている『ジェノサイド生存者支援援助基金』(FARG)によって、大学授業料の補助を受けることができたからです。もしそれがなければ、私はどうなっていたか、想像できません。」と語った。

FARGは1998年に設立され、およそ30万人の虐殺生存者への支援を行ってきた。これまでに1億2700万ドルが投じられ、年間予算のおよそ6%を使っている。中等教育の6万8367人、高等教育の1万3000人以上が教育費の支援を受けた。国民の約60%が一日当たり1.25ドルの貧困ライン以下の生活を送るルワンダで、初等・中等教育が無償化されたのがようやく2010年に入ってからであり、FARGの支援は大いに役にたった。また、FARGは、医療、住居、社会扶助などの支援も行っている。

もっとも、FARGの運営に問題がないわけではない。2011年に地元紙『ニュー・タイムズ』が報じたところでは、FARGは、本来なら受益者であるべきでない1万9000人への支援を打ち切ったという。これは、当時の支援対象者の実に3割にも及んでいた。

また住宅供給プロジェクトの質についても、FARGは現在厳しい視線に晒されている。

2011年、ルワンダの会計監査院長官は、FARGが供給した住宅は、実際に執行した予算に見合う品質ではない、と語った。また、2006年から2007年にかけて実施された監査報告書には、「本来住宅供給を受けるべき虐殺の生存者や貧困層の多くが実際には支援を受けられておらず、依然として多くが住宅支援を必要としている状況にある。」と記されている。

それに対してFARG関係者は、これまでに500家族を除いて300,000人の虐殺経験者に対する住宅供給は完了しており、残りも今年12月までに完成予定であること、また、こうして建設された住宅40,000戸のうち、15,000戸がFARG資金によるもので、残りがNGO、各国大使館、教会を含む政府支援プログラムを通じて建設されたことを明らかにした。

またFARGのテオフィル・ルベランゲヨ事務局長は、「住宅品質に問題アリ」とした会計検査院長官の指摘について、「(虐殺事件から間もない)1995年当時、雨露を凌げるシエルターを供給することが最大の課題であり、住宅建築を請け負う業者の質について十分な注意が及ばなかった側面があります。」と説明した。また、「2003年当時、FARG資金の建設物件について、請負業者が適切なサービスを提供できなくなり、結果的にFARGが騙された形になった事例があったことは認めます。」と弁明した。

ジェノサイド生存者団体「イブカ」(「記憶」を意味する)のジャン・ピエール・ドゥジンギゼムング代表は、「多くの生存者は勇気と決意を持って虐殺の経験から立ち直ろうとしている」と指摘したうえで、「生存者たちは憎しみと差別が死をもたらすことを学びました。ですから人々は、この国の未来のためにもそうした分断を乗り越えたコミュニティーの調和を築き上げていく選択をしたのです。」と語った。

しかし虐殺の体験がトラウマとなり未だに怒りと恐怖に苛まれながら暮らしている人々も少なくないのが現状である。ルワンダ西部ムランビに住むジョセー・ムニャギシャリさん(51)もそうした一人だ。彼女は、1994年のジェノサイドの時に首に槍が刺さって体が麻痺し、さらにマチェーテ(山刀)で襲われた右足の傷が感染症を引き起こし切断せざるを得なかった。

「事件後、私は治療を受け、住宅も手に入れ、息子は無料で教育を受けられるようになりました。しかし私の足が返ってくるわけではありませんし、自分の足で再び立てないという現実は何も変わらないのです。」とムニャギシャリさんはIPSの取材に対して語った。彼女はFARGが提供する住宅と学資支援を受けているが、こうした支援を得ても、彼女の過去の傷を癒せていないのは明らかである。

しかもムニャギシャリさんは、現在恐怖の中に暮らしている。というのも、彼女に傷を負わせた人々が刑務所から出所し、自宅からわずか100メートルのところに住み始めたのだ。「私はそれ以来、彼らが再び私を殺しにやってくる悪夢に苦しめられています。」と、彼女は元加害者宅を指さしながら語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

津波が来たらツイートを

【コロンボIPS=アマンサ・ペレラ

2011年3月11日に巨大な津波が宮城県気仙沼市を襲ったとき、避難先の中央公民館の屋根に上った内海直子さん(59)の手元にあった外界との連絡手段は、電池切れ寸前の携帯電話のメールだけであった。

内海さんからメール(「火の海 ダメかも がんばる」)を受けた夫は次に、9500キロ以上離れたロンドンにいる息子の直仁さんにメールを打った。直仁さんがロンドンからこの緊急事態をツイッターで発信(「『拡散お願いします!』障害児童施設の園長である私の母が、その子供たち10数人と一緒に、避難先の宮城県気仙沼市中央公民館の3階にまだ取り残されています。下階や外は津波で浸水し、地上からは近寄れない模様。もし空からの救助が可能であれば、子供達だけでも助けてあげられませんでしょうか。」)したところ、このメッセージが猪瀬直樹副知事(当時)の目に留まり、急遽、東京消防庁による、屋根に避難した彼の母親を含む400人以上の救出が始まったのである。この話は、メディアや情報拡散に関する国際NGOインターニュース」の報告書『最後の1マイルとつながる:東日本大震災における通信の役割』で紹介されている。

報告書は、津波発生後に効果的に通信を行う上で、新しいメディア、とりわけツイッターフェイスブックといったインターネット・ベースの形態が果たした役割について検証している。

「インターニュース」人道情報プロジェクトの責任者ジャコボ・キンタニーラ氏は、「ツイッターやフェイスブックのような新しいメディアは、ハイチの例や、現在シリアでまさに起こっている事態に見られるように、災害対処の準備や緊急事態への即応において果たす役割が大きくなってきています。自分の生存を他人に知らせたり、生存者に対して食料配給所位置を教えたりできるのです」とIPSの取材に対して語った。

日本南部のツイッターユーザーたちは、津波が襲った最初の1時間のうちにハッシュタグを作成し、それがのちに、支援を求めたり支援活動の指示を行ったりする人にとって、ツイッター上のキーワードとして機能した。

「ツイッター・ジャパンは特定の情報に関するタグを作成した。ツイッターの世界的ネットワークは、津波によって取り残された生存者の捜索・救援を促した。」と、インターニュース報告書は指摘している。

グーグルは津波から90分後に安否確認サービス「パーソンファインダー」を立ち上げた。このツールには、5000人のボランティアが参加し、90日後の公開までに60万人以上の被災者の個人情報が入力された。また、「インターニュース」の報告書は、フェイスブックの情報が生存者と彼らを探す人々との間で個人の情報を素早く交換することに役立ったとしている。

3・11から6年前の2004年12月26日、インドネシアからスリランカ、インド南部沿岸を大きな津波が襲った(インド洋大津波)。それ以来、3月11日14時46分の地震発生から毎分1万1000件以上発せられたツイッターのメッセージのようなものが強く求められていた。

スリランカ東部マラダムナイの生存者らは記者に対して、津波から2週間たっても、誰に支援を求め、誰に死亡・行方不明者の情報を尋ねたらよいかわからなかった、と話していた。

このアジアの津波によって引き起こされた死と破壊は、スリランカのような被災諸国に、早期警戒情報伝達システムの再考を促した。災害時と被災後における新しいメディアの役割が、注目されるようになったのである。

スリランカの専門家らは、数百万人とは言わないが、数千人に早期警戒情報を伝える最善の方法は携帯電話だと指摘している。

スリランカ赤十字協会(SLRCで早期警戒システム・即応問題に関するプログラム責任者を勤めるインドゥ・アベヤラタネ氏は、「伝播力の強い携帯電話がもっとも効果的だ」とIPSの取材に対して語った。

また、スリランカのような国では、携帯電話とインターネットによる通信が、早期警戒と予報に関する大きな空白を埋めるかもしれない、と考える専門家もいる。

「次々と明らかになったのは、『予想あるいはリスクアセスメント上の失敗』ではなく『通信の失敗』でした。ユーザーが情報を深く知り、情報発信者に到達する可能性を持った、タイムリーで個別ニーズに応じた情報が必要となっているのです。」と、「環境気候技術財団」のラリーフ・ズベアー主席研究員(気候変動問題専門家)は語った。

全国規模の災害対応を監視するため2005年に設置された「災害管理センター」(DMC)は、今ではスリランカ最大の携帯電話企業「ダイアローグ」と接続され、数百万人の契約者にメッセージを送ることができる。このシステムが前回使用されたのは2012年4月12日。この日、津波の警戒情報により一部の海岸で住民が避難した。

DMCのサラト・ラル・クマール副所長は「ある条件の下だと効果を発揮します。」と語った。ツイッターやフェイスブックといったより高度なメディアの効果は、地理的な位置関係や、誰がもっとも大きなリスクに晒されているかといったことなど、さまざまな条件に依存している、という。日本ですら、犠牲者の多くが新しいメディアをほとんど使わない高齢者が占めた東日本大震災(死亡者の65.8%が60歳以上の高齢者)では、こうしたソーシャルメディアの効果も限定的なものにならざるを得なかった。

「インターニュース」の報告書によると、インターネットや携帯電話を使った通信は大きな能力を持ってはいるが、その効果は、電気が使えるか、それらがどの程度浸透しているかといったことによって決まるという。

インターネットの浸透率が11%であるスリランカでは、その効果は都市圏以外ではほとんど期待できない、とクマール氏はいう。スリランカ政府は、警官を動員したりハンドマイクを使ったりと、早期警戒情報を伝えるためにさまざまな方法を使っている。2012年4月には、早期警戒タワーやDMCの地域職員派遣、赤十字など他団体の利用が試みられた。

SLRCのアベヤラタネ氏は、「どの方法が他の方法よりも効果的だったか判断するのは難しい。」と指摘したうえで、「スリランカのように技術へのアクセス状況が土地によってかなり異なっている国では特に、従来の方法と新しい方法を組み合わせることが重要です。」と語った。

アベヤラタネ氏もクマール氏も、タワーを設置したり携帯電話で知らせたりして早期警戒の能力を高めることは結構なことだとしつつも、テレビやラジオといった伝統的なメディアの能力を高めることも同様に重要だと語った。

「インターニュース」のキンタニーラ氏は「結局、多くのプラットフォーム、多くのチャンネルを使ったアプローチが必要だということです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

INPS Japan

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オバマ政権、自動車排気ガス削減の新方針を発表

【ワシントンIPS=キャリー・バイロン】

バラク・オバマ政権は、より無害なガソリンと効果的な技術によって、乗用車から排出される有害ガスを40~80%削減する提案を行った。(米国では40年間地球温暖化や自動車の排気ガス規制の必要性が叫ばれていたが、京都議定書への加入を頑なに拒んできたジョージ・W・ブッシュ政権の8年間に、進展は見られなかった:IPSJ)環境保護論者や公衆衛生擁護者らは、この長く待ち望まれた提案を歓迎している。

米環境保護庁(EPAは3月29日、遅れていた提案を発表し、新しい規制措置によって毎年約2400人の死亡と児童の呼吸器系障害2万3000件を避けることができる、と述べた。ガソリン中の硫黄成分を3分の2削減する主要措置をとると、米国の道路から3300万台の自動車(全体の8分の1)を削減することに相当するという。

President Barak Obama
President Barak Obama

「第3次排ガス規制(Tier 3)」基準として知られるこの新提案は、公示期間を経て正式に採用されると、2017年までに発効することになる。EPAは、この措置によって2030年までに得られる健康上の利益は、米国だけでも230億ドル分に上ると推定している。つまり、1ドル投資するごとに7ドルのリターンがあることになる。

EPAのボブ・パーシアシープ長官代理は29日、「この常識的なクリーン燃料・乗用車基準は、財政的に問題がなく、実行可能な方法で環境と公衆衛生を守る模範を新たに示したものだ。」と語った。

「本日提案された基準は数千人の命を救いもっとも弱い人たちを守るものであり、公衆衛生を守る我々の新たな取り組みとなります。またこれによって、全米50州すべてにおいて同じ自動車のモデルを提供する必要があるという確実性が自動車産業に与えられることになります。」と語った。

実際、自動車産業もこの新規制の主要な推進者である。というのも、現在の連邦規制は全米で最も厳しいとされるカリフォルニア州の規制(2002年当時の温室効果ガス排気レベルを2016年までに30パーセント削減。2020年までに販売される車の50%以上がマイレージ42.5マイルper gallonの基準に達することとなっている。全米基準は35mpg:IPSJ)よりも緩いために、自動車メーカーは異なったモデルを提供する必要があったからだ。先週、ホワイトハウス関係者と会談したメーカー側はこの点を強調し、新基準が「きわめて重要」だと訴えていた

EPAの新基準はカリフォルニア州の基準にかなり近づいた、と評価されている。日本と欧州連合はすでに、硫黄に関するほぼ同等の基準をそれぞれ適用している。

「これは、クリーン乗用車に関するオバマ大統領の2度目の満塁ホームランと言ってよいでしょう。大統領はすでに燃料経済性を2倍にする規則を適用していますが、今回は、自動車から排出された大気汚染物質が大幅に減らされることになると思います。」と語るのは、監視グループ「憂慮する科学者同盟」(UCS)のクリーン乗用車プログラム副責任者であるデイビッド・フリードマン氏だ。

「さらに、大統領がついに石油産業に対してさらなる措置を要求したのです。自動車産業がこの問題で支援を約束したのに対して、石油産業は責任を果たそうとしていない点には注意しておくべきです。」とフリードマン氏はIPSの取材に対して語った。

1ガロン当たりわずか1セント

新しい提案の賛成派は、最近数か月の言葉の上では高い目標を掲げた約束に引き続いて、これをオバマ政権第2期の最初の主要な環境政策だとみている。また、規制の強化という形をとることで、オバマ政権は、環境問題に関する対立が続いている米議会をバイパスしてこれらの公約実行を開始することができる。

自然保護団体「シエラ・クラブ」のマイケル・ブルーン執行役員は29日、「期待されていたこれらのよりクリーンな排出基準によって、オバマ大統領は、我々の公衆衛生を守り、彼自身のクリーンエネルギーに関する業績に傷をつけない強力な一歩を踏み出したと言える。」と指摘したうえで、「こうした清潔な大気の保全に乗り出したということは、公衆衛生を改善し、我々の自動車をクリーンにする常識的なステップであると同時に、汚染を続ける強大な石油産業に責任を取らせることになるだろう。」と語った。

遅れていた「第3次排ガス規制(Tier 3)」基準の導入に強く反対していた石油産業は、新提案にあくまで反対し続けることをすでに明らかにしている。29日、通商団体である「米国石油研究所」(API)は、既存の規制は十分機能しており、新しい基準を要求することで消費者に相当のコストが転嫁されると警告した。

APIのボブ・グレコ氏は声明で「新基準を実行すれば、エネルギー集約的な機器を改修する必要があり、実際には温室効果ガスの排出は増えてしまうだろう……不必要な規制を行えば、単にコストが増加し、雇用は失われるだけだ。」と語った。

APIの委託した調査の推定では、新提案によって[ガソリン価格が]1ガロン当たり9セント増加する可能性があるが、EPAではもっとコストは抑えられるものと予想している。EPAによれば、たとえば、精錬方法を変えるために発生するコストは1ガロン当たり1セント以下であるが、他方で、新技術によって2025年までに車両価格は130ドル上昇するという。

UCSのフリードマン氏は、「石油会社が言うことを聞いていると、まるで、人びとを清浄な空気から遠ざけようとしているかのようだ。彼らの出す数字は科学やデータに基づいていない」と話す。「1ガロン当たり1セントぐらいなら消費者に転嫁されることはないだろうし、もしそうだとしても、それに気づく消費者がいれば驚きだ」。

フリードマン氏は、この10年ほどで米国のガソリン価格は2倍になったという。今年の初めの3か月だけでも、1ガロン当たり40セントも上昇している。

「これこそまさに、自動車産業が賛成に回っている理由です。」「ガソリン価格が上昇し、経済が右肩下がりに急落したこの数年で、彼らは大きな警告を受け取ったのです。多くの自動車メーカーが、ガソリンの浪費というこの国の問題に消費者が対処できるような製品を生み出してこなかったことに気づきだしているのです。」とフリードマン氏は語った。

圧倒的支持

しかし、石油産業は依然としてワシントンにおけるきわめて強力なロビー集団であり、すでに賛成・反対入り乱れて、議員らによる議論が始まっている。しかし、最近の調査では、米国の世論はかなりの差で強力な規制を支持している。

米国肺協会(ALA)が1月に行った世論調査では、よりクリーンなガソリンと車両を要求するEPAの目的に対して、62%対32%の割合で支持が集まった。ALAは3月29日、新規制を今年末までに実施するようEPAに訴えた。

ALAが行った米国の大気状態に関する昨年の調査によると、40%以上の米国市民が、連邦の基準で呼吸に有害な汚染レベルであると考えられる地域に住んでいることがわかっている。

他方、石油は米国の地球温暖関連排出の最大の源泉であり、交通部門はそのうち約7割を占める。UCSのフリードマン氏によると、米国の軽量乗用車・トラックからのCO2排出だけでも、インド経済全体の排出量に匹敵するという。(原文へ)

翻訳=IPS Japan

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|中東|アラブ議会、アブハムディヤ受刑者の死亡はイスラエルの責任と主張

【カイロWAM】

アラブ議会のアーメド・アルジャルワン議長は、4月4日、マイサラ・アブハムディヤ受刑者(63歳)の死について哀悼の意を表するとともに、同氏の死とそれに抗議して3日からハンガーストライキ中のパレスチナ受刑者らの安全については、イスラエル占領当局に全ての責任がある、との声明を発した。

アブハムディヤ氏は、2002年にエルサレムで発生した爆破未遂事件に関与したとして殺人未遂の罪に問われ、終身刑判決をうけて同年から服役していたが4月2日、咽喉がんのため病院で死亡した。同氏の死が報じられた2日以降、イスラエル各地で同氏の死を悼む抗議デモが発生し、北部アナブタでは、イスラエル軍の発砲で10代のパレスチナ人青年2名が死亡した。

アルジャルワン議長は、同声明の中で、「アブハムディヤ受刑者に対して適切な医療措置が受けられるよう求めるアラブ諸国をはじめとする国際社会からの要求に、イスラエル政府は応じなかった。」と指摘するとともに「イスラエル占領当局は、引き続き受刑者の人権や取扱いについて規定したジュネーブ条約やその他の国際法規を無視し続けている。」と強く非難した。

またアルジャルワン議長は、アラブ議会はパレスチナの人々と収監中の受刑者との連帯を改めて表明するとともに、国際諸機関に対して、イスラエルの監獄で健康状況を悪化させているパレスチナ人受刑者の状況に責任を負うよう呼びかけた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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「バシール大統領の提案に期待が高まる」とUAE紙

【アブダビWAM】

「スーダンのオマル・アル・バシール大統領の政治・経済における実績は惨憺たるものであり、彼が支配する民兵組織「ジャンジャウィード」は西部ダルフール地方の住民に深刻な被害(非アラブ系住民に対する民族浄化で1万人~3万人を虐殺:IPSJ)をもたらした。」とアラブ首長国連邦(UAE)の政治日刊紙が報じた。

「それだけに、4月1日の議会の開会演説で、全政治犯を釈放するとしたバシール大統領の提案は、驚きとともに大いに歓迎すべき一歩として迎えられた。」とガルフ・ニュース紙は4月3日付の社説の中で報じた。

またバシール大統領は、「スーダン政府は、問題の解決へと導く国民対話の実現に向けて、何者も排除することなく、反政府武装勢力を含む国内の全ての政治・社会勢力との連絡を継続することを再度確認する。」と述べた。

「バシール政権は、(南スーダンと帰属を巡って争っている)南コルドファン州青ナイル州の反政府勢力と野党勢力に対話を呼びかけるとともに、南スーダンとの和平合意(スーダンと南スーダンは、今年3月初旬に緊張緩和に向けた協議に合意:IPSJ)をより強固なものにしようとしているようだ。」と同紙は報じた。

またガルフ・ニュース紙は、「もし政治犯の釈放が実際に実行され、国民対話の呼びかけが本物であった場合、和平に向けた本当の進展がそこから開けてくるだろう。しかし、現実はバシール大統領の美辞麗句のとおりにならないかもしれない。従って、スーダンのために国民がこの呼びかけに積極的に応じることは望ましいことだが、同時に不測の事態に対する警戒も必要である。」と結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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アフリカに新天地を見出す中国人労働者

【ナイロビIDN=マーク・カプチャンガ】

中国人にとってアフリカ大陸が新たな故郷になりつつある。4年前にケニアにきたリュウさん(3児の父)は、暫くは中国福建省の故郷に帰ることはないだろうという。

最近完成したばかりのティカ高速道路の建設に従事していたリュウさんは、今後はケニアで小売業を始めるか、違う仕事を探すつもりだという。

現在アフリカには新たな中国人移民の波が押し寄せているが、リュウさんの声はそうした中国人労働者の心情を代弁したものといえよう。今日までに中国からアフリカに渡航した労働者は81万人以上にのぼっている。そして彼らの大半が、アフリカ諸国では本国と比較して多くの収入が期待でき、ビジネスチャンスも多いことから、労働ビザの期限が切れた後も不法滞在を続けているのである。

また中にはアフリカの広大な耕作地に目をつけ、土地と農業ビジネスへの投資で一儲けを企図して渡航してくる者もいる。


中国輸出入銀行の李若谷総裁はかつて、「中国人農民が国を離れてアフリカで農民になることを認めても差し支えない。当銀行は、投資志向の農民の海外移住を支援する用意がある。」と発言したことがある。

それからばらくの間、中国のアフリカ進出に関する話題は大いに注目された。もっとも欧米諸国の見方には、中国の進出をアフリカにとっての機会というよりは脅威と受け止めているものが少なくない。

なかでも大きな懸念となってきたのが、中国ビジネスが現地の雇用に及ぼす影響である。巨額の中国資本が流入してきた結果、アフリカで数千におよぶ雇用が創出されたが、一方で地元の企業や労働者は、中国人企業家や中国人労働者に付随して持ち込まれる低価格製品や低く抑えた賃金体系との厳しい競争に晒されている。

中国人移住者や建設プロジェクトに従事していた元労働者(多くが不法滞在者)らは、本国とのコンタクトを梃に安い中国製品を仕入れて各地で商店を開業している。

こうした中国人労働者の進出は、既にアフリカ各地で不安材料として大きな懸念が浮上してきている。つまり彼らの進出が、地元では現地の企業の閉鎖や失業率の悪化とリンクして捉えられるようになってきているのである。

とりわけレソトザンビア、アンゴラ、南スーダンでは、反中国感情が高まっており、極端なケースでは、対立が暴力的なものに発展し、既に数名の中国人が殺害されたり重傷を負わされたりしている。

2012年8月、ザンビアの炭鉱労働者が、低賃金に対する抗議行動のさなか、中国人の炭鉱管理責任者を殺害するという事件があった。その2年前には、同じ鉱山で中国人監督2人が、低賃金と労働条件の改善を求め抗議したザンビア人炭鉱労働者に向けて銃を乱射し、ザンビア当局によって13人を殺害しようとした罪で起訴されていた。

中国人の人口増加に対して抵抗が大きいのは、中国人による小規模ビジネスが増えるとともに不十分な労働慣行が顕在化している経済規模が小さな国々に集中している。しかし、より経済規模が大きく安定している国については、様子が異なっている。

アフリカ最大の経済規模をもつ南アフリカ共和国(南ア)の場合、反中感情はそれほどでもない。この国では、むしろ中国製品が幅広く、多くの国民がより手ごろな値段で市場に流通していることを歓迎している。南アでは、アジア人が移民人口の大きな部分を占めており、現時点で約20万人の中国人が暮らしているとみられている。

こうしたなか、アフリカ各国では中国人の投資に対する国民感情に配慮して、地域住民のニーズを汲み取った労働法の改正作業が進められている。つまり改正内容の趣旨は、国内における中国人の就労を、労働許可証を保持した者に限るよう徹底するというもので、ガーナやタンザニアでは、中国人不法滞在者に対する厳しい取り締まりが既に実施に移されている。とりわけ、「ジャカリ(juakali)」と呼ばれる無許可の露天商など非公式経済で労働に従事している中国人移民は起訴されることになる。

昨年、タンザニア政府は、数百人におよぶ中国人違法滞在者に対して、彼らは投資家として滞在が認められていたにもかかわらず、実際には市場で露天商や靴磨き等の副業に勤しんでいるとして、30日以内に国内の労働市場から撤退するよう命令を出した。

また、アフリカ大陸全域に亘って、社内の労働力に占める中国人労働者の割合を減らすよう求める声は依然として大きい。

アフリカで中国の進出がもっと著しいアンゴラでは、アンゴラ人労働者が全体の労働力に占める割合は約75%である。しかし平均すれば、中国人労働者の方がアンゴラ人労働者よりも勤労意欲が高く、社内で同じ部署に配置されても生産効率が高い傾向にある。しかし興味深いことにこうした中国人労働者の生産性の高さには、それなりのコストが伴っているようだ。

つまり中国人労働者の所得レベルはアンゴラ人労働者のものよりも平均で6割高く、その他にも住宅、少なくとも年一回の中国帰郷の保障、労働許可証の取得手続き費用、医療費など雇用主に追加の負担がかかっているのである。

企業側でも政府の対応を受けて、新たな労働法のガイドラインのもとで、主に地元労働者の生産性を上げて雇用しやすくするなど、中国人労働者にかわって積極的に地元労働者をと採用する動きが出てきている。また中には、中国人に代わってアンゴラ人の管理職を積極的に登用して事業の統合や生産性の向上を図っている企業もある。

翻訳=IPS Japan

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被災地支援の取り組み:一冊の会『雪香灯』プロジェクト

【東京IPS=浅霧勝浩

今年1月26日、国会議事堂の向かい側にある憲政記念館(永田町1-1-1)で、ある女性の生誕100年を祝う集いが開催された。その女性とは、日本における「難民の母」「NGOのパイオニア」と呼ばれ、2008年に95歳で亡くなった相馬雪香(そうま・ゆきか)氏である。没後5年を経た今も、彼女の信念や生き方に励まされる者は多い。

相馬氏の父は、「憲政の神」「議会政治の父」と呼ばれた政治家・尾崎行雄(号は咢堂(がくどう):1858―1954)である。彼女自身は政治家にはならず、民間の立場で数々の平和・社会活動を展開した。「生誕100年を祝う集い」は、父・咢堂の名を冠した「咢堂塾」とその卒塾生団体「咢志会」が催したものである。そこでは、相馬氏の秘書を長年務め、彼女と共に「咢堂塾」を立ち上げた石田尊昭氏(尾崎行雄記念財団事務局長)による講演も行なわれた。

相馬氏は1979年、ボートピープルを支援する「インドシナ難民を助ける会」(現在の「難民を助ける会」)を立ち上げた。同会はその後、世界の難民・避難民支援、障害者支援や対人地雷廃絶などに取り組み、今や世界有数のNGOとなっている。97年には、同会が調整委員団体を務めるICBL(地雷禁止国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した。その他にも、アジア・太平洋地域の女性交流による平和促進を目指した「アジア・太平洋女性連盟」(FAWA)や、紛争地域の和解を促進する国際NGO「IC」(旧MRA)の日本協会、また日韓両国の草の根交流を通じて友好親善を促す「日韓女性親善協会」などを次々と設立し、自ら行動を起こしてきた。

去る3月11日、東日本大震災の発生からちょうど2年が経過した日、東京に事務所を置くNPO法人「一冊の会」を訪問した。同会は1965年、現在の大槻明子(おおつき・あきこ)会長が始めたボランティア団体で、相馬氏が晩年最も力を注ぎ、精力的に活動を共にした団体の一つである。一冊の会は、人権・平和・女性をテーマにした本の輪読・勉強会の開催、途上国や被災地への本・文房具・物資の寄贈などを行なっている。また、同会が母体となり「国連女性機関UN Women さくら」を設立し、途上国女性の地位向上やドメスティック・バイオレンス撲滅、さらには核兵器廃絶に向けた啓発に取り組んでいる。会の運営は、大槻会長と小山志賀子(こやま・しがこ)理事長を中心に、全国に広がるサポートメンバーとボランティアスタッフが行なっている。相馬氏は生前、同会の最高顧問として彼らと直接行動を共にしてきた。

2011年3月11日の震災発生以降、「一冊の会」と「UN Womenさくら」は協力・連携しながら被災地支援を積極的に行なっている。


「震災発生直後、相馬さんの顔が浮かびました。そして、相馬さんなら何をするだろうか…と。相馬さんが生前よく言っていた『あなたに出来ることから始めなさい』という言葉が浮かび、すぐに全国のメンバーに支援を呼び掛け、物資を集め、私と小山理事長で車に積み込んで東北に出発しました。相馬さんは今でも、私たちメンバー全員の精神的支えなんです。」と大槻会長はIPSJの取材で語った。震災発生直後から今日まで、大槻氏自らが車を運転し、小山理事長と共に「0泊2日」で55回にわたり東北に物資を届けている。

「(一冊の会とUN Womenさくらが)届けてくれる物資は、本当に私たちが必要としている、きめ細かなものが多く、とても助かっています。特に、支援者の顔やメッセージがわかる形で贈られるものが多く、単に物というよりも温かい心を感じられて元気が出ます。」と福島県相馬市内の仮設住宅に住む女性はIPSJの取材で語った。「本や図書カードの寄贈も、子供たちがとても喜んでいます。」

一冊の会が今最も力を注ぎ、UN Womenさくらがバックアップしている支援活動の一つに、相馬雪香の名を用いた『雪香灯』プロジェクトというものがある。それについて大槻氏は次のように語った。「これまで、福島県、宮城県、岩手県、青森県・八戸まで沿岸600キロをただひたすら走り回りました。悲惨な捜索活動、想像を超えた破壊…。思い出しても辛く悲しい。それでも、被災地で触れ合う人たちは、私たちに笑顔をつくってくれる。涙をこらえて復興に立ち上がろうとしている被災者の尊い姿を見るたびに、次に何かもっと役に立てることはないか、真剣に考えました。」大槻氏は震災発生直後から、文字通り「道なき道」を昼夜を問わず走り続けた。「真っ暗な東北の夜道を走っていて、つくづく思ったこと。『街路灯があれば…』『光が欲しい…どんなときにも消えない光が…』。それは本当に切実な願いでした。そして誕生したのが『雪香灯』プロジェクトなんです。」

雪香灯は昨年9月、福島県の災害公営住宅「相馬井戸端長屋」に第1号が設置された。送電インフラ(発電所)を必要とせず、風力と太陽光エネルギーのみで作動し、効率的な蓄電技術を備えた街路灯で、地球環境に配慮したものとなっている。「この『雪香灯』が世界に広まれば、被災地はもちろん、送電インフラの無い途上国にとっても希望の光になるでしょう。困っている人のため、そして世界の人々のために尽力した相馬雪香さんの名前と信念を広めつつ、その志を実現していきたい。」と大槻・小山両氏は語った。
 
相馬氏の遺志を継ぐ者は、彼女たちだけではない。前述の難民を助ける会をはじめ、相馬氏が設立したり、関わってきた多くの団体、また繋がりのあった多くの個人が、『出来ることから始める』をモットーに、さまざまな形で東北復興・被災地支援に乗り出している。相馬氏が亡くなって5年が経つが、その信念と行動は、今なお生き続けている。(IPS Japan)

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|UAE|大統領が出席して世界最大のCSP方式による発電所の操業が始まる。

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領は、3月17日、アブダビ市の南西約120キロの砂漠地帯に建設した集光型太陽熱発電(CSP)としては世界最大となる発電所「シャムス1(Shams 1)」の操業開始を祝う式典に出席し、「この施設は、経済と依存するエネルギー源の多様化を推進するUAEのビジョンを体現した素晴らしい成果である。」と語った。 

また式典には、UAE首相でドバイ首長国のアミール(首長)であるムハンマド・ビン・ラーシド・アール=マクトゥーム殿下と、アブダビ首長国皇太子で連邦軍副最高司令官のムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン殿下が出席した。

 6億ドル(約570億円)を投じて建設された「シャムス1」発電施設(サッカーコート285面分に相当する敷地に放物面鏡が放射状に広がる:IPSJ)の発電規模は100メガワットで、UAE国内の2万世帯にクリーンエネルギー(年間で二酸化炭素17万5000トン(車両111万5000台分の排出ガスに相当)が削減)による電力を供給する計画である。 

「再生可能エネルギー源開発への進出は、世界有数のエネルギー供給国としての位置を維持していこうとするUAEのコミットメントの表われです。また、シャムス1の操業開始は、経済の多様化と長期に亘るエネルギーの安全保障に向けて邁進しているUAEにとって、大きな一里塚となります。」と大統領は語った。 

また大統領は、本発電所の建設に携わった若きUAE技術者らについて、「このような大規模プロジェクトにおける多国籍企業との協働作業を通じて体得した専門知識は、今後エネルギー分野においてUAEの長期的なリーダーシップを支える人的資源のバックボーンを形成していくでしょう。」と語り、彼らの活躍を称賛した。 

さらに大統領は、「シャムズ1発電所は、我が国の経済、社会、環境各方面における繁栄を目指した戦略的な投資である。…再生可能エネルギーを国内で生産することで、貴重な炭化水素資源(=石油、天然ガス等)の使用をセーブすることが可能となるほか、有望な新産業の成長を支援することになります。」と語った。式典では、国歌斉唱とコーランの朗読が行われた。

翻訳=IPS Japan 

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