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|エチオピア|「紛争回避のためにも隣国と話し合いを」とUAE紙

【アブダビWAM】


エチオピアは5月28日、巨大ダム建設のために、青ナイル川の流れを変える作業を始め、セレモニーを行った。しかし、この世界最長の国際河川を一カ国が独占することは許されることではないし、流れが変わればナイル川流域に暮らす多くの住民が直接的に影響を受けることから、流域7カ国政府は、紛争を回避するためにも、一刻も早く集まり、この問題について真剣に協議すべきである。」とアラブ首長国連邦(UAE)の地元英字日刊紙が報じた。

ドバイに拠点を置く「ナショナル」紙は、論説のなかで、「エチオピア政府の一方的な決定により、下流のエジプトとスーダンの経済と社会秩序が寸断される恐れがある。」と報じた。

「アフリカの北東部に位置する両国は広大な乾燥地帯と大きな人口を抱えた隣国である。従って、水はこの地域の最重要資源として、友好的に分かち合わなければならない。さもなければ水を巡る隣国間の紛争へと必然的に発展していくだろう。」

また同紙は、「エチオピアはナイル川を構成する2つの支川のうち同国を源にする青ナイルへのダム建設を計画しており、エジプトとスーダンはその影響を最も受けることとなるだろう。」と報じた。

「エジプト政府は、エチオピアの措置によってナイル川から取水できる量が減れば、農業に悪影響を及ぼし、水不足がさらなる社会不安を増幅する事態を恐れている。」

一方、エチオピアを含むナイル川上流に位置する5カ国(エチオピア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、タンザニア)は、英国統治時代に定められたナイル川の取水割合の90%を下流のエジプトとスーダンに振り分ける協定は植民地時代の遺物とでも言うべきものだとして、上流諸国への分配量を増やすよう要求を強めている。

「確かに8300万人の人口を抱えるエチオピア(しかも世界最長の川であるナイル川の水量の84%は同国を水源としている:IPSJ)に正当な取水量を認めないままにすべきではないだろう。」

「ザ・グレート・エチオピアン・ルネッサンス・ダム」という豪奢な名称が物語るとおり、この水力発電ダム計画は、エチオピアの地位を再び東北アフリカで秀でたものへと復活させようとする国家計画の一部である。またこのダム建設計画は、アフリカでトップクラスの電力輸出国を目指すエチオピア政府が、国内各地の河川の力を利用しようと進めている大規模な開発計画の第一弾に位置付けられている。」とナショナル紙は報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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│書籍│中東における正義追求の歴史

【ワシントンIPS=バーバラ・スラビン】

エジプトが、ムバラク独裁体制崩壊後の廃墟の中からより民主的なシステムを作ろうと、四苦八苦している現状は驚くにあたらない。

新たに刊行された中東の政治活動家に関する歴史書には、正義の追求がこの地域に深く根差している一方で、それがしばしば外国勢力の介入によって危機にさらされてきた事実を浮き彫りにしている。

バージニア大学教授で中東の歴史が専門のエリザベス・トンプソン氏は、新著『妨げられた正義:中東における立憲体制を求める闘争』の中で、2011年のアラブの春は「それまでは考えられなかった、しかも現在進行中の出来事」と記している。

タハリール広場に集い、米国が支援するホスニ・ムバラク独裁政権を退陣に追い込んだ若者たちは、1882年に大英帝国軍の軍事介入で革命が頓挫し流刑に処せられたアフマド・オラービー大佐(「エジプト民族主義の父」)の後継者である。しかし一方で、これまでのところ、その「2011年アラブの春」の恩恵に浴しているのは、女性、少数派宗教の信者、世俗派グループの権利抑制を正義と考える「ムスリム同胞団」の創設者ハサン・アル・バンナー氏の後継者たちである。

4月23日、ムハンマド・モルシ大統領自身の法律顧問が、モルシ氏をはじめとするイスラム主義政党の政治家の勢いを挫くためにムバラク大統領(当時)が任命した3000人を超える判事を強制的に引退させる法律に抗議して辞任した。

米国はモルシ新政権による人権侵害を批判しつつも、同政権がイスラエルとの平和条約を維持し続けることをより重視しているようだ。

バラク・オバマ大統領は、マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の「歴史の弧は正義に向かってしなっている」という言葉を好んで引用するが、だとするならば、中東におけるこの「弧」はきわめて長いものだ。第一次世界大戦後にオスマン帝国が崩壊したことで、立憲体制に向けた運動は頓挫させられ、欧米列強の植民地主義とつながりを持った自由主義は汚された。そして軍事独裁者やナショナリスト、イスラム集団が権力の座を奪った。

トンプソン教授は、19世紀にエジプトの腐敗問題について批評したオスマン帝国の官僚ムスタファ・アリ氏から、グーグル社の幹部で、2011年にフェイスブックによって民主化闘争を組織したワエル・ゴニム氏まで、中東で正義を求めて奮闘した人々の歴史を書き連ねている。ゴニム氏が2010年にエジプト官憲に撲殺された青年を悼んで開設したフェイスブックには30万人がフォローし、そのうちの多くが、後にタハリール広場に集まった。

他には、トルコ共和国のムスタファ・ケマル・アタトゥルク初代大統領による独裁体制に当初は支持したものの後に抵抗した「トルコのジャンヌ・ダルク」として知られるハリデ・エディブ氏や、イラクの近代史上最大の政治的運動を組織したイラク共産党の創立者ユースフ・サルマーン・ユースフ氏、イランイスラム革命時に若者に大きな影響を与えた(しかし彼の理想はその後の聖職者による政権に乗っ取られた)アリー・シャリアティ氏などが取り上げられている。

新著の販売に際して、IPSは、「この書籍は『敗者の歴史』に関するものなのか?」、「一歩進んで二歩後退という悪循環から抜け出し、中東に機能する代議政治をもたらす方法があるのか?」という2つの質問をトムソン教授にぶつけてみた。

するとトンプソン氏は、最近の中東蜂起を、失敗に終わったもののその後の民主運動の重要な先駆となった欧州の1848年の革命(「諸国民の春」)と比較して、「長期的観点から見なければなりません。アラブの春についての楽観的な見方は、これによってアラブの政治文化に、数十年後にはその成果が実を結ぶような抜本的な変化がもたらされたというものです。」と語った。

またトンプソン氏は、「エジプトの現在の状況が好ましいものではない。」と指摘したうえで、「2011年のムバラク大統領追放の象徴であった女性達は、今では暴漢に襲われるのではないかとタハリール広場に集うことに恐怖を感じています。一方、イスラム政党『ムスリム同胞団』出身のモルシ大統領はイスラム法の厳格な適用を求めるサラフィー主義者に気兼ねしている。」と語った。

「しかし、エジプトのメディアはこれまでにない自由を謳歌しており、中東での情報流通は史上最も自由になりました。つまり、ベルリンの壁崩壊のニュースを国営メディアが国民に報じなかった1989年のシリアのような状況とは明らかに異なるのです。」とトンプソン氏は語った。

それでも、過去150年の間、安全保障と外国勢力からの独立を求める願望が、人権という自由主義的な観念に、幾度となく、優先されてきた。

トンプソン氏は新著の中で、外国勢力からの介入について、多くの興味深い「歴史のイフ」を提示している。

もしフランスが、第一次世界大戦後にシリアを占領することなく、ファイサル一世の下での立憲君主制を認めていたらどうだったであろうか?しかし現実には、フランスは誕生間もないシリア・アラブ王国を認めず、軍事力で圧倒し、第二次世界大戦後までフランス委任統治領シリアとして占領下に置いた。

もし、アラブ社会党のアクラム・ハウラーニー党首が1958年にエジプトのガマル・アブデル・ナセル大統領との間に、アラブ連合共和国の樹立(シリアとエジプトの合邦)に合意しなかったらどうなっていたであろうか?ナセル大統領はシリアの諸政党を非合法化し、エジプト人による強権的な支配を進めたため連合は間もなく解消。シリアでは63年にバース党がクーデターをおこし今日に続くアサド政権樹立へと繋がった。

また本書は、ヤーセル・アラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長のナンバー2でアブー・イヤードとして知られるサラーフ・ハラフ氏などの重要人物に光をあてている。ハラフ氏は1991年にアブ・ニダル派に暗殺されたが、かつてのテロ活動の首謀者からイスラエルとパレスチナ2国家解決の支持者へと変貌を遂げた人物である。かつてハラフ氏の助言を頼りにしていたアラファト議長は、1988年にPLO司令官のアブ・ジハード氏をイスラエルに暗殺されたのに続いて、ハラフ氏を失っていなければ、晩年の活動をより賢明に導いたかもしれない。

トンプソン氏が言うように、もしアラブの春が「二次の世界大戦と冷戦によって頓挫させられた闘争の反復」であるとしたならば、それは、いまだに勝利したとは言い難い闘争なのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

アジア諸国は静かに北朝鮮をなだめる方策を望んでいる

【シンガポールIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

北朝鮮の最高指導者である金正恩第一書記によるアジア・太平洋地域の米軍基地に対するミサイル攻撃の脅しについて、英米各紙が軍事衝突の可能性を盛んに報じる中、アジア各紙の時事解説には、この地域のいかなる国も戦争を望んでおらず、なんとか北朝鮮をなだめて事態の鎮静化を模索すべきとする論調の報道が多く見られた。

3月下旬、金正恩第一書記は、北朝鮮が攻撃を受けた場合、米国本土、ハワイ、グアムを攻撃する軍事計画を承認した。また与党朝鮮労働党の機関紙「労働新聞」は、攻撃対象となる可能性がある在日米軍基地として、神奈川県横須賀市、青森県三沢市、沖縄の基地をリストに掲載した。

これに対して、米国政府は、弾道ミサイルを追尾できる高性能Xバンドレーダーの海上配備型(SBX―1)と、高性能レーダーと迎撃ミサイルを装備したイージス艦2隻を、西太平洋と朝鮮半島近海(韓国南西沖)に派遣した。また米国政府は、数週間以内にグアムに最新式のミサイル迎撃システムを配備する決定をした。

今回の朝鮮半島を巡る舌戦と緊張の高まりは、改めてこの地域の調停者として中国が果たす重要な役割を浮き彫りにする結果となった。中国は、これまで長らくの間、北朝鮮の親密な同盟国とみられてきた。しかし、近年韓国は、中国との関係を、朝鮮半島の危機を共に解決に導く政治的パートナーにも発展しうる、地域の重要な貿易相手国と見做す立場を明らかにしてきている。

朴槿恵大統領は、就任まもなく、選挙対策委員長を務めた最側近の金武星元議員を特使とするハイレベルの政府代表団を北京に派遣した。朴大統領は、5月上旬に初の外遊先として米国を訪問予定だが、ここにきて韓国国内から、もし現在の北朝鮮との緊張関係の早期緩和につながるのであれば中国を先に訪問すべきとの声も上がっている。

韓国海洋戦略研究所主任研究員である尹碩俊(Sukjoon Yoon)韓国海軍退役大佐は、中国日報に寄稿した論文の中で、「朴大統領は、初外遊で訪米することで『米韓関係を強調する伝統的思考を機械的に踏襲する』のではなく、まずは中国を訪問すべき。」であり、「『朝鮮半島の信頼醸成プロセス』に対する韓国大統領のコミットメントが中韓関係の議題を設定することになるだろう。」と論じている。

北朝鮮に対して頑な姿勢で臨んだ前任者の李明博氏と異なり、朴氏はよりリベラルだと見られている。「そうしたことから中国は朴大統領の新たなアプローチに応じる構えを見せている。」「(北朝鮮が)この数か月に亘って展開した核の瀬戸際外交を受けて、人民解放軍高官を含む複数の中国政府高官が、韓国政府高官との会談の可能性を示唆している。」と尹氏は記している。

「北朝鮮に対して影響力を行使できるのは中国のみであり、このこと自体が、朴大統領が訪米前に訪中すべき十分な理由である。」と尹氏は主張している。

「中国の外交政策は新たな局面に差し掛かっている。」「王毅外相も、中国は自国の玄関口でトラブルを起こすことを決して許さないとの立場を明確にした。」と、沈丁立(SHEN Dingli)復旦大学国際問題研究院常務副院長は述べている。

自分勝手な利益追求ではない

王毅外相のコメントは、北朝鮮の若い指導者による瀬戸際外交について中国が不満を持っている兆候として、国際メディアに大きく取り上げられたが、沈副委員長は異なった見方をしている。「近年、一部の国々が中国周辺で騒動を引き起こしている。…(中国から遠くに位置する)域外の国が地域の同盟国と協力して軍事力を誇示している。こうした動きが、中国周辺地域に予断を許さない状況を作り上げているのだ。」と沈副委員長は、中国日報に寄せた論評の中で述べている。

「中国は自分勝手な利益を追求しない。しかしだからといって他国が自国の玄関口で問題を引き起こすのを傍観してはいない。周辺地域を平和的な環境に保つよう要求する中国の姿勢は、公海及びその領空の使用は平和利用に限定されいかなる国も問題を引き起こしてはならない、とする国際法に依っている。」「中国には外交政策の転換が求められている。」と語った。

今回の朝鮮半島危機は、他から切り離して考えるものではなく、バラク・オバマ政権によるアジア・太平洋地域への「ピボット(軸足)」政策あるいは「リバランス(再均衡)」政策の文脈の中で捉えられている。中国を含むアジア・太平洋地域の多くの国々が、この政策の発表以来、地域に緊張が高まっていると指摘している。地域における米国の伝統的な同盟諸国による敵対的な動向や、中国の領土主張に対する日本・フィリピンの反発と緊張関係の高まりは、紛争でなく平和を望むアジア・太平洋地域の多くの国々から肯定的に見られていない。

シンガポールのザ・ストレーツ・タイムズ紙は、論説文の中で、米国がステルス戦略爆撃機B2を(グアムから)朝鮮半島に飛来させ(韓国に設置した模擬標的を使って)爆撃訓練を実施したことについて批判する一方で、大陸間弾道弾の発射実験を中止(5月に延期)する決断をしたことについては、歓迎する立場を表明した。

読売新聞は、「北朝鮮は脅迫的な言動を繰り返し、世界の平和と安全保障を脅かす核武装を進めており、許容できない。」と指摘したうえで、「日本と米国、韓国、中国がしっかり連携して北朝鮮に対処していくことが重要」と述べている。また同紙は、金正恩第一書記が中国の指導層との間に、父や祖父がかつて持っていたような信頼関係を築けていそうにない点について懸念を述べている。

アジア重視政策

一方、インドネシアのカッピー・ハキム元空軍参謀長は、ジャカルタポスト紙に寄せた論説の中で、米国によるいわゆるアジア重視(「軸足」移転)政策の動機及びそのタイミングについて、疑問を呈している。ハキム参謀長は、米国がアジア・太平洋地域の同盟国に武器を供給し、オーストラリアに新たに海兵隊を駐留させることで、アジア・太平洋地域に紛争を呼び起こそうとしていると捉えているようである。

「最も驚いたのは、米海兵隊が米軍機とともに災害対策の名目で、オーストラリアのダーウィンに駐留するというニュースだ(4月3日に第一陣駐留部隊が到着:IPSJ)。これは前代未聞の出来事で馬鹿げている。」「人々は、どうして今なのかと訝っている。南シナ海は既に数十年に亘って潜在的な紛争の原因でありつづけてきたが、米国はどうして今行動を起こす決断をしたのだろうか?それは中国の経済成長に対する米国の恐れが背景にあるのだろうか?」とハキム元参謀長は記している。

このように、地域の多くの観測筋は、北朝鮮による現在の脅しについて、「朝鮮半島危機」という観点よりも、むしろ中国がいかに平和裏かつ協力的な方法で(北朝鮮に対する)自らの影響力を行使するかを着目している傾向がある。

中国が北朝鮮指導部をなだめる意向を示している一方で、アジア・太平洋地域諸国は、北朝鮮との直接対話を呼びかけた朴大統領の提案を歓迎している。コリアンタイムズ紙はこの点について論説の中で、「…明るい面を挙げれば、朴大統領からの対談の申し出は、金正恩第一書記が体面を失うことなく、従来の戦争の脅しから一歩引く決断をする助け舟となるかもしれない。一方で、朴大統領も、南北対談にむけた緊張緩和が実現すれば、称賛されることになるだろう。」と述べている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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NPTへの圧力を強める市民社会

【ジュネーブIPS=ラヴィ・カント・デヴァラコンダ】

2015年核不拡散条約(NPT)運用検討会議に向けて、22日から5月3日まで第2回準備委員会の会合がジュネーブで開催されている。こうしたなか、市民社会やいくつかの国の代表らは、ますます深刻性を増す核兵器問題と、核兵器の使用がもたらす人道的帰結を議論の中心に据えようとしている。

核軍縮と核兵器禁止のために活動している圧力団体の世界的連合体で、ジュネーブを基盤にしている「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICANのレベッカ・ジョンソン共同代表は、「NPTには、それ自体のプロセスといつものやり方がこれまではあった」と語った。

今回の準備委員会会合では、ジュネーブで開催予定の2015年運用検討会議に向けた議題を準備するため、今後2週間をかけてさまざまな問題に焦点を当てることになる。

より重要なことは、この会議が、朝鮮半島の核をめぐる緊張の高まりと、イランのウラン濃縮計画という背景の下で開催されることである。また、いくつかの参加国は、核兵器がもたらす人道的影響に関する国際会議を先月オスロで開いたばかりである。

Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.
Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.

「私の希望は、多くの国が、核問題を人間のレベルに落とし込み、核兵器が及ぼす人道的帰結について理解することの重要性について(ジュネーブの会合で)議論するようになることです。」とジョンソン氏はIPSの取材に応じて語った。

またジョンソン氏は、今会の準備会合で南アフリカ政府が提出予定の、核兵器がもたらす人道的側面に関する声明に、多くのNPT加盟国が署名するものと期待している(77カ国が署名した:IPSJ)。

「(核兵器がもたらす)人道的影響についての対話を継続することで、NPTにおけるパワー・バランスを変えていきたいのです。」とジョンソン氏は語った。

NPTは1970年、各国が核兵器を製造することを防ぐという自認の目標を掲げて発効した。それ以降189か国が条約を批准したが、インド・イスラエル・パキスタンは加盟を拒否してきた。これら3か国は核兵器を保有し、その総計は50~200発と見られている。

「P5」として知られる公式の核兵器国、すなわち、米国・ロシア・英国・フランス・中国は、核軍拡競争を「停止」し、核「軍縮」を達成するため、条約上の措置を履行する義務を負っている。

国連安保理常任理事国でもあるこれら核兵器保有5大国は、先週会合をもち、核問題について対話を促進し相互理解を図る必要性について議論した。P5は、NPTの3本柱として知られる「不拡散」「原子力の平和利用」「軍縮」に関するさまざまな問題について意見を交換し、核軍縮目標へのコミットメントを再確認した。

しかし、この45年の間、核軍縮における進展はきわめて限定的あるいは些細なものであった。ICANの活動家マーティン・ヒンリッチ氏は「核軍縮にあまり進展はなく、この麻痺状態を脱する新しい動きを必要としています。さもなければ、新たな冷戦時代が訪れるでしょう。」と語った。16か国の代表が集まったICANの意見交換会(20日~21日に開催)では、NPT準備会合の期間中、どのようにキャンペーンを展開していくかについて話し合われた。

「彼ら(P5)には既得権があり、核兵器を配備・保有し、近代化する産業や防衛産業、軍隊を作り上げてきたのです。」とジョンソン氏は語った。

またジョンソン氏は、P5各国にとって「現状を維持し、新しい国が核クラブに参入してくるのを阻止することが国益を維持することになります。」と指摘したうえで、「P5は、この特別な地位に由来する数多くの特権を享受していることから、完全核軍縮に向けた実効的な措置を履行すると考えるのは間違っています。」と語った。

従って、核兵器廃絶実現に向けた「駆け引き」は、強力な核兵器を振りかざしているP5側から始まることはありません、とジョンソン氏は指摘した。

「核軍縮を実現するための変革は、非核兵器国の側から引き起こされなければなりません。」「彼ら(非核兵器国)には、核兵器は、たとえ国際法や国際政治のルールの中に埋め込まれていたとしても、同時に人道的な問題でもあると認識することで、変革を導く力と手段があるのです。」とジョンソン氏は語った。

従って、核兵器保有国がみずから核軍縮を進めてくれると信じて彼らに高い地位を与えることのないよう、注意しなくてはならない。ジョンソン氏は、「非核兵器国は補完勢力ではありません。こうした国々には、市民社会と力を合わせることで、政治に関与し、国際関係を変えることが求められているのです。」と主張した。

ICANは、核兵器に数十億ドルもの浪費をしなくてもよいように、誰であれ核兵器の保有に合法性を認めないという考え方を広めようとしている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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HIV/AIDS蔓延防止に向けたカンボジア仏教界の試み

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【HIV/AIDS研究事業現地取材からの抜粋】

カンボジア仏教界は、ポル・ポト政権下で僧侶の大半を虐殺されるなど壊滅的な打撃を受け、現在も再建途上の段階にある(カンボジアには約3,700の寺院があり、約50,000人の僧侶と9,000人の尼僧が仏教界と伝統的なモラルの再建に従事している)。

しかし、内戦後の価値観の混乱に伴う諸問題(拝金主義と人身売買の横行、性行動の早期化/カジュアル化とHIV/AIDSの蔓延等)に直面して、伝統的なモラルの体現者としての僧侶の役割が改めて見直されるようになってきている。

 
カンボジア政府も、かつて村落共同体の中核として人々の精神生活に大きな影響を及ぼし、青少年のよき指導者であったパゴダ(寺院)の僧侶の役割を再び重視するようになっており(カンボディア政府が仏教界の再建に実質的に着手したのは、1988年に55歳未満のカンボジア人が僧侶になることを禁止した法律を撤廃してからである)、1997年からは、国連児童基金(UNICEF)の支援も得てHIV/AIDSの蔓延防止に向けた仏教界との積極的な提携を模索している。ここでは、ポル・ポト時代の破壊の傷跡が深く残るカンボディア仏教界が、人心の救済を目指して、隣国タイ仏教界の活動を範としつつHIV/AIDS対策に取り組もうとしている現状を報告する。

性感染症と社会的/宗教的価値観 

 カンボジアは伝統的に仏教国(国民の95%が仏教徒)で、誠実さ、正直さ、謙虚さ、家族の絆が重視

Map of Cambodia
Map of Cambodia

されてきた。しかし、1975年~79年に政権を掌握したポル・ポト政権は原始共産主義を政治理念に掲げ、従来の家族の絆に代えてクメール・ルージュの指導者(オンカー)を頂点とする新たな秩序を基本とする社会体制の創造を試みた。

その際、知識層と共に僧侶も粛清の対象とされたため、その大半が虐殺された。僅か4年間のポル・ポト時代が、数千年に亘って受け継がれてきたカンボジアの人々の価値観を根本的に変革するまでには至らなかったが、従来の社会規範、道徳規範に深刻な傷跡を残したことは否定できない。

ポル・ポト政権崩壊後のカンボジアの極貧環境に洪水のように押し寄せた物質主義は、伝統的価値観に更に深刻な悪影響を及ぼした。現在のカンボジアでは、拝金主義と性情報の氾濫が若者の価値意識を混乱させている。一方、かつてないモラルの退廃とエイズの蔓延に危機感を募らせているカンボジア人も少なくなく、仏教の教えを根本とした伝統的な価値観への回帰を志向する人々も増えてきている。このように、カンボジア社会における社会的/宗教的価値観の位置付けは様々である。
   
国連機関の支援を得て隣国タイ仏教界の取り組みに学ぶ

カンボジア政府は2000年3月、HIV/AIDS対策について、従来の保健衛生セクターに限定せず仏教界を含む様々なセクターと連携したアプローチ(Multi-sectoral Approach)を採用する方針を発表した。これに対して、カンボジア仏教界は、パゴダを拠点とした(カンボジアでは、全ての人々がテレビやラジオにアクセスできるわけではないが、パゴダや僧なら全国のコミュニティーにあり、誰でも簡単にアクセスすることができる)アドボカシー活動や僧侶によるHIV/AIDS予防/感染者のケア等を視野に入れた協力をしていく方針を打ち出し、具体的な協力の可能性を隣国タイ仏教界の経験に学ぶ目的で、2001年4月、国連児童基金(UNICEF)の支援を得て仏教界の代表団をタイに派遣した。

カンボジアより早い段階でHIV/AIDSが深刻な社会問題に発展したタイでは、仏教界は当初からHIV感染者に対する差別を戒めたり、責任ある行動をとるよう促してきた。1993年頃より僧侶自身が率先してHIV感染者達の中に入り、説法の内容を具体的に実践していくことで人々にエイズ患者達との共存を訴えていく運動が、タイ北部及び東北部を中心に活発になった。

「宗教の戒律を説くのみでは差別に苦しむHIV感染者たちの救済にはつながらない。単なる言葉ではなく、私達の具体的な行動を通じてメッセージを発していくことが重要である。人々にHIV感染者の差別をやめるよう説くならば、まず私達がHIV感染者の人々と共に行動して仏教の教えを実践すべきである。」(Phra Phongthep, タイの僧侶)

僧侶達の活動内容はパゴダによって様々だが、エイズ孤児のケア、ホスピス運営、HIV感染者を対象とした瞑想センターの運営、NGOと協力したHIV感染者の収入向上支援、パゴダでのHIV/AIDS教育の実施、エイズ患者の家庭の巡回訪問等、多岐にわたっていた。

カンボジア仏教界の指導者達はその際のタイ訪問を通じて、いかに無数の僧侶や尼僧達が献身的にエイズ患者と接しているか、そしてその結果、いかに多くのエイズ患者が差別によって傷ついた心を癒され、人間としての尊厳と自尊心を取り戻すことに成功しているかを目の当たりに観察し、大いに勇気付けられた。

「仏教の教えとその実践者である僧侶達を有効に活用して、寺院や寺院経営の教育機関、大学などにおいてHIV/AIDS対策を実践しているタイの経験は、カンボジアにおいても大いに生かすことができる。カンボジアでは、仏教界も再建途上にあり僧侶、尼僧の大半が文盲で経験不足という状況にあるが、近い将来彼らに必要な知識と技術を訓練し、タイのように仏教界が率先してHIV/AIDSの予防とケアを実施し、カンボジア社会の進むべき正しい道を示していけるような体制を構築したい。」(H.H.Buo Kry, supreme patriarch of the Dhammayuth sect)

カンボジア政府としてはタイでの成果を踏まえて、再建途上ではあるものの農村部を中心に今なお民衆心理に大きな影響力をもつカンボジア仏教界の役割に期待しており、僧侶を性行動に関する自己抑制(Abstinence)のモデルとして活用することで、ますます低年齢化が進んでいる青少年の性行動を遅らせたいと考えている。

「宗教関係者、特に仏教の僧侶による支援は、草の根レベルにおけるHIV/AIDS対策を行う上で、大変効果的である。僧侶達は、忠義、誠実さといったポジティブなイメージを体現する存在であり、彼らがエイズ患者の救済に取り組む姿は、一般のカンボディア人のエイズ患者に対する偏見を払拭するのに大いに役立っている。」(Dr. Tia Phalla, NAA)

「以前は、HIV/AIDS患者が村ででると、その家族まで偏見の対象となったものだが、僧侶がHIV/AIDS感染の特性や安全に共存できること、そして差別ではなくコミュニティーで支えていくことの重要さを説いてまわった結果、HIV/AIDS感染者に対する村人の姿勢は変わってきている。」(Nhean Sakhen, Social Worker of Banteay Srei)

従来型の支援に加えて内面の癒しを伴う精神的な支援も必要:

「カンボジアでは大半の寺院がポル・ポト政権時代に破壊され、経験豊かな僧侶の大半が虐殺されたため、タイのようにパゴダを拠点とした病院やホスピスを組織的に運営できる状態ではない。現段階で最も効果的なアプローチは、僧侶を訓練し、エイズ患者を抱える家庭を巡回して患者の精神的なケアを行う体制を構築していくことである。このような、パゴダではなく家庭を拠点としたHIV/AIDSのケア体制の場合、その中核となるのは患者の家族であり、地域コミュニティーの協力と理解が不可欠である。HIV/AIDS対策において重要なのは患者の身体的な状態に留まらず、自分が家族やコミュニティーに受け入れられているかどうかといった精神面の健康が極めて重要となる。我々は、僧侶による巡回診療/カウンセリングと平行して、エイズ患者をとりまく人々に対する啓蒙活動を通じて、HIV/AIDSの問題を共通の課題として向き合える社会的土壌を育んでいきたい。」(Dr. Mey Nay, UNICEF) 

(カンボジア取材班:IPS Japan浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア)

|UAE|外相がトリポリで発生したフランス大使館テロ攻撃を非難

【アブダビWAM=4月24日】


 アラブ首長国連邦(UAE)のシェイク・アブダッラー・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン外務大臣は、4月23日にリビアのフランス大使館を標的にした爆弾テロ事件を強く非難するとともに、テロ行為に毅然と対峙するフランスとの連帯を表明した。

23日午前7時頃、首都トリポリにあるフランス大使館の近くで自動車爆弾が爆発し、フランス人警備担当者2人と近くの家にいた少女が負傷した。大使館の建物も大きく損壊した。

アブダッラー外相は声明の中で、「UAEは、今回のテロ事件の実行犯と犯罪行為を非難するとともに、国際社会は、犯行の動機や起源に関わらず、あらゆるテロ行為に毅然と対峙し、立ち向かっていく必要性を強調する。」と述べた。


 またアブダッラー外相は、負傷した大使館スタッフの早期回復を祈念するとともに、(カダフィ独裁体制崩壊後の)歴史的な過渡期にあって、治安の確立に努めているリビア政府に対する支援を再確認した。

翻訳=IPS Japan

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【メルボルンIDN=ティム・ライト】

3月初め、核兵器がもたらす人道的影響と、核攻撃に際して国際援助機関に効果的に対処能力がないという点に関する画期的な会議が、ノルウェー政府の主催によりオスロで開催され、120か国以上の政府、赤十字、複数の国連機関が参加した。この会議から発せられたメッセージは明確で、「核兵器が再び使われないようにする唯一の方法は、速やかにそれを違法化し廃絶する」というものであった。

外交官や専門家、市民社会によるこの初めての集まりは、2010年の核不拡散条約(NPT運用検討会議で採択された最終文書から生まれた、人道主義を基盤にした核軍縮への新しいアプローチの一環であった。2010年の会議では、核兵器国であるロシア・米国・英国・中国・フランスを含む189のNPT加盟国が、「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的帰結への深い懸念」を表明していた。

NPT加盟国は、2015年NPT運用検討会議の準備のため、2013年4月22日から5月3日までジュネーブにふたたび集う。核軍縮を前進させることに真の関心を持つ人々は、この会議を、オスロで生まれた勢いを前に進め、メキシコが今年後半か2014年初めに主催予定の「核兵器の人道的影響に関するフォローアップ会議」への支持を固める機会だとみている。また、多くの政府が、核兵器を禁止する普遍的な条約の交渉を開始するよう呼びかけを行うだろう。

人道主義という言説

Oslo Conference/ MFA
Oslo Conference/ MFA

とりわけノルウェー、スイス、オーストリア、南アフリカ共和国、メキシコなどの政府は、核軍縮に向けた人道主義を基盤にしたアプローチへの支持を明確にし、人間の健康、社会、環境に核兵器が及ぼす壊滅的な影響が、これらの兵器に関するあらゆる議論の中心に置かれるべきだと主張している。世界的な「赤十字・赤新月運動」や「核兵器廃絶国際キャンペーン」もまた、人道的な影響について強調しようとしてきた。

特に注目すべきなのが、オスロ会議が、68年に及ぶ核時代の歴史の中で、諸政府が純粋に人道主義的な視点から核兵器の問題に迫ろうとした初めての会議だったという点である。核軍縮や不拡散に関するこれまでの議論は、地政学や国家安全保障上の関心から論じられてきた。しかし、地雷クラスター弾の禁止に導いたプロセスが示しているように、人道的な言説が重要な第一歩となる。つまり、新しい政治的連合が形成され、長年の行き詰まりが乗り越えられる可能性があるのだ。

軍縮外交

9つの核兵器国のうち、オスロ会議に出席したのはインドとパキスタンの2か国だけであった(北朝鮮とイスラエルは欠席)。国連安保理の5つの常任理事国(=核兵器5大国)は、事前に示し合わせたうえで会議を欠席した。人道的な影響に焦点を当てることで、核不拡散や核軍縮に対する既存の「ステップ・バイ・ステップ・アプローチ」から関心が逸らされることになる、というのがその理由であった。しかし、核兵器なき世界を実現させるための多国間条約交渉は、既に15年以上にも亘って停滞している。この交渉における最後の主要な成果は1996年の包括的核実験禁止条約であるが、依然として発効に至っていない。

今日、しばしば「唯一の多国間軍縮交渉フォーラム」とされるジュネーブ軍縮会議の交渉上の優先事項は、兵器級核分裂性物質の生産を禁止する条約である(これは核不拡散のための措置であって、核軍縮措置ではないが)。一般的に、核兵器国は自国の核兵器を削減する法的拘束力のある約束事には消極的であった。しかし、ロシアと米国は、自国の作戦配備核弾頭の数を制限することに二国間で合意している。

Photo: UN Geneva
Photo: UN Geneva

NPT運用検討会議は、核兵器を保有する9カ国の内の4カ国(インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮)が不参加だが、依然として、軍縮と不拡散について議論するための主要な外交フォーラムである。しかし核兵器5大国は、NPT第6条の「核軍縮義務」の履行に繋がるいかなる期限設定も、一貫して拒否してきている。核兵器5大国は、「核兵器なき世界」という考え方に賛同する姿勢を示す一方で、今後数十年にわたって核戦力を維持するという明確な意思を持って、核戦力の近代化に数百億ドル規模の予算を投じているのである。

普遍的禁止に向かって

核不拡散条約は、核兵器を持たない184か国に対して、核兵器を取得しないよう義務づけている。この意味で、NPTは核兵器の部分的禁止に資するものであり、これを地域的な非核兵器地帯が補完している。しかし、NPTは核兵器の使用を明確に禁止していないし、核兵器5大国による核保有も禁じていない。むしろ、NPTは、核軍縮に向けて誠実に交渉を行うことをすべての加盟国に義務づけているのである。

この核軍縮条項にも関わらず、核兵器5大国は、核戦力を維持し近代化することは完全に正当な行為だという見方を打ち出している。これらの国々は、核兵器なき世界の実現までには数世紀かかるとみているのだ。そこで、非核兵器国が主導する核兵器禁止条約の交渉は、この既得権に対する強力な挑戦となるだろう。つまりそれは、あらゆる国家に対して核兵器を非正当化し、軍縮プロセスを加速させる一助となるだろう。

ICAN
ICAN

核兵器国からの支持がなかったとしても、核兵器禁止の効果は相当なものになるはずである。例えば、英国による核搭載潜水艦の更新に対抗する根拠を与えることになる。また、米国の核兵器配備を認めている5か国(ベルギー・ドイツ・イタリア・オランダ・トルコ)に対して、これを拒否するよう求める圧力が強化されることになるだろう。そして、オーストラリアや日本のような国々に対して、拡大核抑止への参加を再考させることになるだろう。また、核兵器を製造する企業に資金を提供しないよう、世界の金融機関に促すことにも繋がるだろう。

化学兵器や生物兵器、対人地雷、クラスター弾を禁止する条約はすでに存在する。これらすべての条約は、そうした兵器の備蓄を大幅に削減するうえで大きな影響力を持った。核兵器もまた、禁止されるべき時機がすでに熟しているのだ。ノーベル賞受賞者のデズモンド・ツツ師がオスロ会議で述べたように、「核兵器は、誰がそれを保有しようとも、嫌悪すべきものであり、深刻な脅威である。どんな国籍、宗教の人間が住んでいようとも、放射能に汚染された大火で都市を焼き尽くすと脅しをかけることは、許されるものではない。」(原文へ) 

翻訳=INPS Japan

※ティム・ライト氏は、核兵器廃絶国際キャンペーンの豪州代表。

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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非人道性の最たる兵器(池田大作創価学会インタナショナル会長)

│チュニジア│新しい抵抗としての文化

【チュニスIPS=ジュリアーナ・スグレナ】

ニカブでほとんど顔が見えないチュニジア人女性のエラは、大学当局によるニカブ禁止に5か月間反対してきたが「のれんに腕押し」だったと語る。他方、首都チュニスの別の場所では、チュニジアの伝統的な衣装を身にまといチュニジア国旗で肩を包んだ一団の学生が、ハーレム・シェイクと呼ばれる、起源は1980年代初期の米国だが、最近チュニジアにもオンラインで人気がでてきている踊りに興じていた。

この2つの光景は、過激な宗教的サラフィ―主義者と世俗的なチュニジア人との間の対立を表すものだ。後者は、イスラム主義者の台頭によって、独裁者ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーが追放されたジャスミン革命の成果が失われつつあると主張している。

頭の先から足先まで黒衣に包まれたエラは、宗教の尊重と従順を望む保守派の希望を体現するものであり、一方「抗議のダンサー」たちは、文化こそが革命後のチュニジア民主化に向けた新しい抵抗の形態だと見なす活発で多様性に富んだ新世代の登場を象徴するものである。

最近、“WELD EL 15”というラップ歌手が「Boulicia Kleb(警察は犬だ)」という歌をYouTubeにアップしたことを咎められ懲役2年に処されるという事件があった(動画は65万回以上再生されている)。またこの音楽ビデオの監督と主演女優も懲役6か月の判決を受けた。

「警察当局は、歌手、とりわけラップ歌手を逮捕するためにマリファナの使用容疑など麻薬取締法を適用しています。」と若き映画監督のアドネン・メデブ氏はIPSの取材に対して語った。同氏は2011年のジャスミン革命を国内からドキュメンタリー記録した人物として知られている。

また、貧者を意味する「ズウェルワ」という名前のグラフィティ(落書き)集団のオーサマ・ボアジラ氏とチャヒーン・ベリチェ氏は、「民衆は貧者への権利を求めている」という落書きを工業団地の壁に書いたという罪で、昨年11月3日に逮捕された。4月10日、2人に評決が下り、「公共物」を傷つけた罰金として、それぞれに50ドルの支払いと壁の掃除が命じられた。

これに対して、「ゼウェルワ」は、この裁判をベン・アリー時代の手法を髣髴とさせる「政治裁判」だと批判した。

また最近は、内務省前がこうした文化的な抵抗活動が行われる最も有名な場所の一つとして注目を集めるようになっている。毎週水曜日になると、左翼「民衆愛国党」党首であったチョクリ・ベレイド氏の暗殺(2月6日)に抗議する人々がこの地で座り込みの集会を開くのだ。画家でチュニジア芸術家組合のアモール・ガダムシ事務局長は、「誰がベレイド」氏を殺害したのかという我々の問いに内務省が応じるまで、毎週金曜日にここに座り込んで要求をし続けていきます。」とIPSの取材に対して語った。

ガダムシ氏は、「ベレイド氏の暗殺は暴力が悪化してきている環境の中で起こった最悪の事件で、国中がショックを受けました。私たちはチュニジア政府に事件の真実を究明し、犯人を見つけ出すよう求めています。」と語った。

芸術家らは、ベレイド氏の死を悼んで同氏が暗殺された自宅の前に建てた同氏の像がサラフィ―主義者によって破壊されたのを契機に、毎週水曜日の内務省前での座り込み抗議デモを始めた。ガダムシ氏は、国内各地に落書きや先の革命を讃える歌詞がついた政治的ラップ音楽が急速に広まっている現状を指摘して、「今や文化こそが私たちの抵抗の手段なのです。」と語った。

彼らがあえて政府の建物を選んで抗議活動を行っている現象は、与党「アンナハダ党」に対する不信感が高まってきていることを物語っている。穏健派イスラム政党である「アンナハダ党」は、2011年10月に行われた政変後初の制憲議会選挙において勝利を収め、左派の世俗派政党(共和国評議会とエタカトル)と連立政権を樹立した。

しかし連立政権は、その後宗教過激派による跋扈を許してしまっているとして、批判に晒されるようになっている。

こうした過激集団の一つに「革命擁護連盟」(LPR)という集団があり、政府と親密な関係や、野党やチュニジア労働総同盟(UGTT)の活動家らとの多数の衝突が広く知られている。

またLPRのメンバーは、2012年10月にチュニジア南部の都市タタウイヌで起こった地元政党党首ロフティ・ナクボウ氏の撲殺事件やベレイド氏の像の破壊に関与したことを認めている。

「彼ら(=LPRの構成員)は、アンナハダ党の名の下に活動しています。すなわち彼らはアンナハダ党出身あるいは党に近い者、ないしは、アンナハダ党が雇った元受刑者や同党に魂を売った者達なのです。」と、労働党のスポークスマンであるジラーニ・ハマニ氏はチュニジア・ライブ紙が1月に行った取材において語っている。

政府はこうした主張を退けているが、チュニスの人々はLPRはこれまで犯罪行為を犯しても当局に罰せられたことがないと指摘している。またUGTTも再三にわたってLPRの解体を求めているが、未だに実現していない。

政府が暴力を見て見ぬふりをする中、多くのチュニジア人は、想像力を駆使した非暴力の抗議活動に訴えるしか選択の余地がないと感じている。

こうしたなか、先の革命の際と同じく、インターネットが果たす重要な役割に注目が集まっている。活動家らは、サラフィ主義者の一団が、チュニスのメイン通りであるハビブブルキバ通りで「世界演劇デー」祝っていた芸術家らを攻撃した2012年2月25日を、今に続く文化戦争の発端と考えている。目撃者がIPSに語ったところによると、現場にいた警察官たちは、暴徒たちが芸術家らを襲う中、暴徒を支援するか、傍観を決め込んでいたという。

またハーレム・シェイクその他の文化的抗議を示す動画は、ネット上で急速に広まり、時には主流メディアからの関心さえも惹きつけてる。

一方、チュニジアの若者たちは、文化的抵抗運動を引き起こす発端となったハビブブルキバ通りを何度も封鎖し、治安部隊に対する抵抗意志を示すため、通りの真ん中に座り込んで読書をするなどの抗議行動を起こしている。

また同じような調子で、“Art Solution”を名乗る一団は、バーリ・ベン・ヤーメド監督のもと、ダンサーたちが、国立劇場の前や、ベルベデーレ庭園、カスバー広場、貧しいチュニスの郊外など、考え付く限りのあらゆる「公共の場所」で踊りを披露する抗議キャンペーンを開始した。

これには、しばしば見物人や通行人が踊りに加わり、先の革命初期段階に見られた自然発生的な抗議集会の雰囲気が作り出されている。

「踊りは単に非暴力的な抗議の方法であるというだけでなく、身体は解放とよき生(健康と幸福な状態)の表現でもあるのです。」と作家のジャミラ・ベン・ムスタファ紙は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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情報不足で困難に陥る難民支援

アラブの民主主義と西側社会(エミール・ナクレー:CIA政治的イスラム戦略分析プログラム元ディレクター)

|視点|鄧小平の中国とアラブの専制政治を混同してはならない(シャストリ・ラマンチャンダラン)

平和と戦争の種を持つ教科書

【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】

エルサレム旧市街にあるダル・エルエイタム・イスラム孤児院(イスラム基金が運営する中等学校)では、パレスチナの12年生たちが歴史の試験の準備をしている。教師たちの背後にある壁には、第二次インティファーダ(2000~05)で殺害された2人の「殉教者」の肖像画が掛けられている。

同じころ、テルアビブでは、ガザ地区との境界に接するユダヤ人集落エシュコル村から野外学習にきた6年生たちが、1948年5月14日にダヴィド・ベングリオン首相がイスラエル国家独立宣言を読み上げた「独立記念館」を見学している。

「国連が分割計画を採択しましたが、アラブ人がそれを受け入れなかったために実現せず、その翌日、独立戦争が勃発したのです。」とイスラエル人ガイドのリリー・ベン・イェフーダさんが、生徒たちに説明している。

再びエルサレムのダル・エルエイタム・イスラム孤児院。歴史担当のイヤド・エル・マリキ先生が「ユダヤ人は、パレスチナとイスラエルの2つの国家を望んでいました。しかし彼らは、20年後の1967年にヨルダン川西岸をパレスチナ人から奪い、入植したのではなかったでしょうか?」と生徒たちに問いかけている。

1947年11月29日、国連総会は、英国によるパレスチナ統治を終わらせ、ユダヤ人とアラブ人によるそれぞれの独立した国家を設立するために土地を分割することを認める決議を採択した。

この決定は、イスラエル人にとっては半年後の国家創設を意味し、一方、パレスチナ人にとってはイスラエルの建国によって自らの土地にいながら多数派から少数派に転落する「ナクバ」(大災厄の意)の前兆を意味した。

先日発表されたパレスチナとイスラエルの教科書を研究した報告書には、「(パレスチナ人とイスラエル人を各々対象とした)2つの教室で共通の歴史における基本的な瞬間がどのように教えられているかを観察すれば、「歴史的な出来事は、虚偽やでっち上げではないにしても、子ども達に国家史観を定着させるために、政府が恣意的に選別した内容が提供されていることが分る。」と記されている。

ベツレヘム大学のパレスチナ人助教授サミ・アドワン氏らが執筆した『自らの物語の犠牲者か?イスラエルとパレスチナの教科書における「他者」の描き方』という報告書によると、双方とも、紛争から生まれたそれぞれの民族的物語に拘束されているという。

「双方の教科書とも他者を否定的な固定観念で捉える一方で、他者の文化、宗教、日常生活に関する情報が含まれていません。」とアドワン助教授はIPSの取材に対して語った。

1993年のオスロ合意では、双方が「互いの正当な政治的権利を承認し」、二国家解決策に向けて交渉することが決められた。しかし、それから20年、二国家解決はおろか、相互の承認すらなされていない。

アドワン助教授は、こうした行き詰まりの原因は「子ども達を教育し将来大人として身に付けるべき政治信条を育む上で決定的な役割を果たす」教科書の地図に最も象徴的に表れているという。2009年~12年の間に出されたパレスチナ94種、イスラエル74種の教科書における3000以上の文章を分析した本報告書は、こうした地図に両者を分かつ国境が消されている点について、国境とともに他者の歴史的主張まで葬り去ろうとする双方の意図が読み取れる、と指摘している。

この報告書のもう一人の著者であるテルアビブ大学のイスラエル人教授ダニエル・バルタル氏(児童の発育と教育研究が専門)は、「こうした教科書により、パレスチナ人とイスラエル人双方の子ども達が、ヨルダン川と地中海に挟まれた地域全てが本当に自分の故国だと信じて育っているのです。」と語った。

また報告書は、「これらの教科書では、他者の行動は、自らのコミュニティーを破壊ないしは支配しようとするものとされる一方で、自らの行為は平和的で自衛のためのものだとしている。」と指摘している。

異なる両者の教育制度

イスラエルの教育制度(1948年設立)は、世俗の学校、国立の宗教学校、そしてユダヤ教超正統派の宗教組織が運営する学校(国家は干渉しない)からなり、それぞれが使用している教科書も多岐にわたっている。

一方、2000年初頭に設立されたパレスチナの教育制度は、同じ教科書を採用するなどイスラエルの精制度よりも、より均質なものである。

アドワン助教授は、双方の教科書は、各々の民衆が経験している現実を反映したものとなっていると指摘し、「イスラエル人は、パレスチナ人が自分たちを攻撃する機会を待っていると見ています。一方、パレスチナ人は、みずからの土地をイスラエル人に奪われていると見ているのです。」と、語った。

また報告書は、殉教や自己犠牲の美化に関する教えについても比較分析している。

パレスチナの6年生の言語の教科書には、過去の自爆攻撃を思い起こさせる禁止命令「降伏よりは死を、前に進め!」という表記が記されている。

一方イスラエルの2年生の教科書には、初期のシオニストであるジョセフ・トランペルドール氏(1880~1920)がアラブ人の攻撃からユダヤ人入植地を守って戦死した際の言葉とされる「祖国のために死ぬのはよいことだ(日露戦争にロシア兵として従軍した同氏が日本で捕虜生活を送っていた時に日本兵から聞かされて感動し、以後座右の銘とした言葉)」が紹介されている。

平和構築への影響

オスロ合意が締結されて暫くの間、イスラエルとパレスチナ両政府は慎重に歩み寄りを模索したが、当時バルタル教授は、来るべき平和な時代に備えて、イスラエルの国定教科書の編纂を統括する責任者だった。

バルタル教授は、「(政府が教科書に)国史観を明記する目的は、第一義的には、国民をその価値体系のもとに動員し、大義のために戦えるように養成することにあります。」と指摘したうえで、「しかし同じように、教科書によって人々を平和の方向に向かわせることもできるのです。」と語った。

1990年代、イスラエル政府はパレスチナ難民問題に折り合いをつけようとした時期があった。この時期、イスラエルの教科書に、「イスラエル独立戦争時、パレスチナ人は自らの選択で逃げたのではなく、多くの場合、逃亡を余儀なくされた」ことを公式に認める表記が初めて登場した。

また2007年には、リベラル派であったユーリ・タミル教育相は、イスラエルで使われるパレスチナ系イスラエル人の生徒たちが使用するアラブ語の教科書に、パレスチナ人の強制移住を示す「ナクバ」という言葉を使うことを認めた。

しかしその2年後、「ナクバ」という言葉は教科書から削除された。ベンヤミン・ネタニヤフ首相は、その言葉は「反イスラエルのプロパガンダである」として、削除決定を正当化した。

こうした背景を踏まえれば、「大人たちが作った教科書は、未だに子供たちを平和な時代精神へと育む内容となっていない」と指摘したこの研究結果は、今後のパレスチナとイスラエル間の平和構築を考える上で深い意味合いを持っていそうである。

その結果、この研究報告書の内容は、両者間の紛争と、互いに相違する双方の主張を小さく映し出す鏡のような存在として注目を集めつつあるが、パレスチナ側の教科書の内容を長らく批判してきたイスラエル政府は、この研究報告書の内容を全面的に受入れられないとしている。

従来からパレスチナ側の声明を監視してきた諜報部の上級将校でイスラエル戦略担当省のヨッシ・クーパーワッサー長官は、「我々の子ども達は平和を愛するように教えられています。しかしパレスチナ側は、私たちを憎むように教えているのです。」と、IPSの取材に対して語った。

またイスラエル教育省は、この研究結果が公表される1カ月も前の段階で、「研究結果は『あらかじめ決められていたものであり』、内容は偏見に満ち、専門性がなく、客観性に著しく欠けている。」と批判する声明を出した。

「これは学術的な研究ではなく、むしろイスラエルとその教育制度の名声を汚すことを意図した政治的な報告書に他なりません。」とクーパーワッサー長官は批判した。

アドワン助教授によると、一方でパレスチナ自治政府はこの報告書の内容をある程度評価している、という。

アドワン助教授は、「教科書にはもっと相手側の人間的な側面に関する表記が盛込まれる」ことを期待しているが、一方で「日々の現実もきちんと反映されたものでなければならない。」と考えている。

テルアビブでは、毎日数十人のイスラエル人少年少女が、国家創設の聖地である「独立記念館」を訪問し、歴史的なイスラエル国家の独立宣言を再現している。

一方、イスラム孤児院/中等学校が授業を行っているエルサレム旧市街では、パレスチナ人の子ども達が、国家建設はあたかもはかない夢であるかのように、大半が過度の期待を持つことなく、国歌を斉唱している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|UAE|家庭内労働者を保護する新法が間もなく施行される

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙は4月18日、家庭内労働者を人身売買斡旋業者による搾取から保護する法律の制定が約束された、と報じた。

「ナショナル」紙によると、外務省のアブドゥル・ラヒム・ユシフ・アル・アワディ法務担当局長は、この点について「立法手続きは時間を要するが、間もなく制定されます。」と述べた。
 アワディ局長の発言は、ドバイで保護された35人の人身売買の犠牲者についてまとめた報告書の発表の席で行われた。35人のうち4人を除いて全員が就労目的、うち19人が家庭内労働者としての職を約束されて渡航していた。

「斡旋業者に就労機会があると約束され、渡航したがUAEに到着してみると仕事はなく、大半が売春を強要されていました。」とドバイ女性基金のモナ・アル・バハール看護・リハビリ担当部長が語った。
 35人のうち27人はUAE到着一週間以内に(約束が嘘であったと告げられるか虐待に晒されることで)人身売買の犠牲になったことを知った。10人中9人の犠牲者が性的暴行を受けていた。
 アワディ局長は、「UAEはこれまで人身売買犯罪の防止に全力で取り組んできたが、今年は、ドバイを含む国内の空港で、啓蒙活動をさらに強化していきます。」と語った。
 人身売買の犠牲になった女性たちの教育レベルは概して低く、半数以上が全く教育を受けていないか小学校までの教育しか受けていない。
 

報告書をまとめたUAE人身売買対策委員会は、人身売買の犠牲者を保護するための訓練プログラムを、警察及び関連機関に提供している。また女性たちが助けを求められるホットラインも開設した。
 「今日、人身売買の犠牲者の間にも、どこに保護を求めればよいか認識が高まってきており、自ら保護を求めて訴え出るケースが増えてきています。」とアワディ局長は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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