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|アルゼンチン|これまでで最大の人権裁判が開廷

【ブエノスアイレスIPS=マルセラ・バレンテ

アルゼンチンの軍事独裁政権時代(1976年~83年)に行われた人権犯罪を審理するこれまでで最大規模の裁判が10月28日にブエノスアイレスで始まった。68人の被告は、海軍工兵学校(エスマ)における約800人の犠牲者に対する犯罪に関与した嫌疑がかけられている。

また今回の公判では、当時政治犯を上空から生きたまま海に突き落として捨てたとされる、いわゆる「死のフライト」に関与した6人のパイロットの罪についても、初めて審理される予定である。

軍事独裁政権時代、最大の秘密刑務所となっていたエスマには、約5000人の政治犯が収容されたとされているが、68人の被告は、その内数百人の誘拐、拷問、強制失踪に関与した罪で起訴されることになる。

 被告の大半は海軍関係者(56人)が占めているが、その他、沿岸警備隊関係者(5人)、陸軍軍人・警察官・刑務官のOB、民間人2人(弁護士のゴンザーロ・トレス・デ・トロサとフアン・アレマン元財務大臣)も含まれている。この内、5人は逃亡中で、政府当局は指名手配犯として逮捕につながる情報を提供した者に10万ペソ(約2万ドル)の懸賞金を支払うとしている。

アルゼンチンでは、最高裁が2005年に恩赦法と人権侵害者の訴追免責を憲法違反と判断して以来、軍事独裁政権時代の人権侵害を巡る裁判が復活したが、今回の裁判はこれまでで最大規模のものである。
 
法廷では、被告と(被告の)弁護団、被害者の家族、事件の生存者と弁護士が一堂に着席したが、今回は一般市民がこの公判の行方を見守れるように、事件の舞台となったエスマ(2004年に人権団体の手に渡り、「人権博物館」に改装された)に巨大スクリーンが設置された。

「被害者や被告の数と、目撃者の規模を考えれば、今回の裁判はこれまでで最大の規模になるでしょう。」と公判に参加している人権擁護団体「法と社会研究センター」(CELS)の訴訟担当カロリーナ・ヴァルスキー氏は語った。

ヴァルスキー氏は、当時エスマで行われた大量殺戮の全容は依然として深い闇の中だが、これまで開かれたエスマ関連の公判を通じて、断片的ではあるがその真相が明らかになりつつある、と語った。

「エスマ事件」が動き出したのは、元沿岸警備隊員のエクトール・フェブレスが公判にかけられた2007年のことである。しかしフェブレス被告は、判決が下る4日前に収監先で自殺した。

その後2011年、再びエスマ関連の公判が開かれ、18人の被告のうち16人に有罪判決が下された。

従って今回の公判は、「エスマ事件」の「第三弾」或いは事件の全体像が明らかにされる「エスマ事件の総決算」となるのではないかとみられている。

元海軍大佐のアルフレッド・アスティス被告とホルヘ・アコスタ被告は、既に他のエスマ関連の公判で有罪判決を受けている。さらにアコスタ被告は、今年に入ってからの別の公判で、収監した政治犯に生まれた或いは両親とともに拉致してきた子どもらを親から取り上げる犯行に関与したとして、有罪が確定している。その後、両親らは殺害されるか「失踪」させられ、子供たちは主に軍人や警察官の家庭で育てられた。

事件の生存者や遺族40人のグループを代弁するロドルフォ・ヤンツォン弁護士はIPSの取材に対して、「私たちはこれまで『エスマ事件』を複数の公判に分けて審理することに反対してきました。なぜなら、(公判毎に)証人に何度も同じ証言を繰り返させる事態を避ける方が賢明ですし、被告にも時宜を得た方法で公判と判決を受ける権利があるからです。」と語った。

原告側からのこうした要求に加えて、審理の迅速化を求める上級裁判所からの勧告もあり、今回の公判を担当する裁判所は、同一被告に対する証言については、他の公判で行った証言の映像記録を法廷で使用することに同意した。

これまでの「エスマ事件」公判で、最も頻繁に証言を行ったのがフロリダ州マイアミ在住の物理学者マリオ・ヴィラーニ氏(73歳)である。ヴィラーニ氏は1977年に拉致され、3年と8ヶ月に亘って5箇所の秘密刑務所・拷問センターに収監された。彼にとってエスマは最後に収監された施設だった。

ヴィラーニ氏は、収監中、拷問され、様々な労働を強制された。彼は、軍事独裁政権崩壊後の80年代、「失踪者に関する国家委員会」(1983年~84年)や関連裁判で積極的に証言を行ったが、当時は恩赦法と軍事政権関係者の訴追免責の壁に阻まれる結果となった。ヴィラーニ氏は、それでも諦めず、同じ犯罪について、アルゼンチンのみならず、フランス、イタリア、スペイン、ドイツ、イスラエルで開かれた裁判で証言し続けた。

今回の「メガ裁判」開始について、米国から電子メールで取材に応じたヴィラーニ氏は、「正義に向けた今一歩の前進です。」とコメントしたうえで、「これらの人権犯罪を裁く公判を実現するための一助になれたことを誇りに思っています。しかし、世界に自らの支配を維持するために拷問を必要とする政治体制がある限り、私たちの闘いは終わることはありません。」と語った。

ヴィラーニ氏をはじめとする事件を生き延びた人々が行ってきた証言は、軍事独裁政権崩壊後30年に亘って、人権犯罪に対する法の正義を求める民衆の声を後押しし、当時の責任者を法定に引き出し、(政権崩壊後)身分を変えて潜伏してきたかつての拷問者を特定するうえで、重要や役割を果たした。

ヴィラーニ氏は、フェルナンド・レアティ氏との共著「失踪:囚われの記憶」の中で、「もし誰かが寝ている私を起こすと、私は無意識に身を守ろうと両手を上げて顔を覆う仕草をするだろう。」と記し、未だに悪夢に苛まれていると告白している。他の政治犯と同じく、ヴィラーニさんは、自身が拷問に苦しんだのみならず、恐ろしい犯罪を目の当たりにした。中でも彼の脳裏を離れないのが、ある共産党員のユダヤ人教師が殺害された記憶である。この教師の名前は、未だにわからないという。

ヴィラーニ氏は、秘密刑務所で『トルコ人ジュリアン』と名乗っていた連邦警察官エクトール・シモンを裁く公判で証言に立ち、「被告は彼(ユダヤ人教師)に服を脱がさせると、下半身がぶら下がるような状態で彼の上半身を机に縛り付けました。そして、肛門に電極となっている棒を差し込むと、スイッチを入れて電気ショックを与えたのです。」と語った。すでにいくつかの罪状で有罪が確定しているシモンは、極端なユダヤ人嫌いで知られた人物だった。ヴィラーニ氏は、そのユダヤ人教師が死亡した際、シモンが「あのユダヤ人野郎は死んだよ。いいことだ。そうでなければ釈放せざるを得なかったからな。」を言っていたのを覚えている。

政府の公式発表によると、軍事独裁政権時代に14,000人が強制的に失踪させられたとされているが、人権擁護団体は犠牲者の数を30,000人とみている。今回の裁判は少なくとも2年以上審理が続くと見られているが、公判期間を通じて、一週間に3回の公聴会が開かれ、さらに7日に一度のペースで、事件の生存者や犠牲者の親族による証言を収録したDVDが公開されることとなっている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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