【ローマINPS Japan=浅霧勝浩】
人類は今、二つの巨大な力を同時に手にしている。
一つは、都市を瞬時に消滅させ、文明そのものを破壊しかねない核兵器である。もう一つは、社会、経済、戦争、教育、医療、情報空間、そして人間の意思決定そのものを急速に変えつつある人工知能(AI)である。|英語版|
この二つは性質こそ異なるが、重大な共通点を持つ。いずれも科学技術の成果でありながら、その運用を誤れば、人間が制御できない規模の被害を引き起こす可能性があることだ。
核兵器の危険は、爆発、放射線、気候変動、長期的な環境破壊という形で目に見える。一方、AIの危険は、より静かに社会へ入り込む。偽情報、監視、差別的なアルゴリズム、雇用の喪失、自律型兵器、軍事的誤算、人間の判断力の空洞化。AIがもたらす危機は、一度の爆発ではなく、制度や価値観を内側から変質させる形で現れる。

写真:浅霧勝浩/ INPS Japan
この二つの文明的リスクを同じ場で論じ、人類共通の倫理的課題として位置づけようとしたのが、7月14日から15日、16日にかけて開催された「人工知能と核戦争に関する世界ノーベル賞受賞者会議」であった。
会議には、ノーベル賞受賞者、元国家元首、科学者、AI研究者、核軍縮の専門家、宗教指導者、市民社会の代表、若者、ジャーナリストらが集った。会場となったのは、ローマ郊外カステル・ガンドルフォの教皇庁施設内にあるボルゴ・ラウダート・シと、ローマ市庁舎が置かれるカンピドーリオの丘である。
ボルゴ・ラウダート・シは、教皇フランシスコの環境回勅『ラウダート・シ』の精神を具体化する教育・対話の拠点として整備された場所である。自然、科学、宗教、社会正義を一つの枠組みで捉え、人間と地球の関係を問い直すことを目的としている。
そこで議論されたのは、単なるAI規制の技術論ではなかった。
問われたのは、人間の尊厳を守るために科学をどのように統御するのか、軍事的効率性の追求をどこで止めるのか、そして人類は自ら生み出した技術に対して道徳的責任を引き受けることができるのか、という根源的な問いであった。
会議最終日の7月16日、参加者はカンピドーリオの丘に集まり、「非武装かつ軍縮を進める平和のためのローマ宣言」を採択した。しかし、この宣言を単なる国際会議の成果文書として読むだけでは、その意味を十分に捉えることはできない。ローマ宣言の重要性は、AIと核兵器を別々の政策課題としてではなく、人間の判断を機械と軍事論理に明け渡してよいのかという共通の倫理問題として結びつけた点にある。
本稿では、この宣言の内容と会議全体の議論を検証するとともに、ローマで始まった対話を一過性の催しに終わらせず、国際的な制度、教育、市民社会、宗教、科学、メディアを結びつける長期的な取り組みへ発展させる必要性を論じたい。その継続的な実践を、本稿では「ローマ・プロセス」と呼ぶ。ローマ宣言を出発点として、AIの統治、核軍縮、科学者の責任、宗教的倫理、市民社会の行動、若者の参加、そして公共的ジャーナリズムを一つの流れへと結びつけていくための分析概念である。
AIと核兵器が交差する場所

人工知能と核兵器は、一見すると異なる問題に見える。
核兵器は20世紀の産物であり、AIは21世紀を象徴する技術である。核兵器は国家が保有する軍事力であるのに対し、AIの開発は民間企業、大学、研究所、軍、情報機関が複雑に関与する分散型の競争として進んでいる。
しかし、両者はすでに交差し始めている。
AIは、衛星画像の解析、ミサイル探知、標的選定、サイバー防衛、潜水艦の追跡、情報収集、戦場での意思決定支援などに導入されつつある。軍事機構において処理速度が重視されるほど、人間が考える時間は短くなる。
核危機において、その危険は極めて大きい。
過去の核兵器史では、誤警報、機器の故障、通信の混乱、訓練用データの誤認、政治的誤解によって、核戦争の瀬戸際にまで至った事例が繰り返されてきた。それでも最終的に破局を回避できたのは、現場の人間が警報を疑い、自動的な手続きを止め、判断を保留したからである。(例:ペトロフ事件)
では、AIがその判断の一部を担うようになった場合、同じ抑制が働くだろうか。

AIは高速である。しかし、速度は智慧ではない。AIは大量の情報を分析できる。しかし、分析は責任ではない。AIは確率を提示できる。しかし、核兵器を発射するか否かという決断の道徳的重みを理解することはできない。会議では、AIを核兵器の指揮・統制・通信システムに組み込むことの危険性が繰り返し指摘された。とりわけ懸念されたのは、AIへの過信によって人間の確認手続きが形骸化し、危機時の意思決定が加速されることである。
核抑止は、合理的な国家指導者が正確な情報に基づいて行動するという前提に立っている。しかし現実には、国家指導者も軍事組織も、恐怖、時間的圧力、誤情報、先入観、政治的計算の影響を受ける。
そこへ不透明なAIシステムが加われば、抑止の安定性が高まるとは限らない。むしろ、相手の意図を誤認し、先制攻撃への圧力を強め、偶発的なエスカレーションを引き起こす危険がある。

ノーベル物理学賞受賞者で、パグウォッシュ会議事務総長を務めるカレン・ホールバーグ博士は、科学と技術そのものを敵視するのではなく、その社会的帰結に対して科学者が責任を負う必要性を強調した。
科学の発見は人間の知識を広げる。しかし、その知識が兵器、監視、抑圧、差別に利用される可能性を科学者が無視することはできない。AI研究者もまた、同じ岐路に立たされている。核兵器の開発に関わった科学者たちの多くが、後に核軍縮運動へ身を投じた歴史は、その責任の重さを物語っている。
「技術的に可能である」ということと、「社会として許される」ということは同じではない。
ローマ会議が示した第一の教訓は、AIの問題を技術者だけに任せてはならないということである。同時に、政治家だけに任せてもならない。
科学、倫理、法、宗教、市民社会、教育、メディアを横断する統治が必要なのである。
ローマ宣言が提示した倫理的転換

ローマ宣言の基底にあるのは、技術中心の安全保障から、人間中心の安全保障への転換である。
従来の軍事政策では、国家の安全は兵器の性能、抑止力、情報優位、迅速な意思決定によって測られてきた。しかし、兵器が高度化し、AIが戦争を加速させる時代において、その発想自体が人類の安全を損ないかねない。
国家が安全になろうとして兵器を増強すれば、相手国も対抗する。一方がAIを軍事利用すれば、他方も追随する。その結果、すべての国が技術的には強くなりながら、世界全体はより不安定になる。
ローマ宣言は、この安全保障の逆説に対し、人間の尊厳、国際法、対話、軍縮、倫理的責任を中心に据えるよう求めている。
その核心は、単に「危険なAIを規制する」ということではない。人間の生死を決定する権限を機械に委ねてはならないこと、核兵器を含む大量破壊兵器の使用を正当化してはならないこと、科学技術は公共善に奉仕しなければならないこと、そして平和は軍事的均衡ではなく信頼と協力によって築かれなければならないことにある。
これは技術政策の宣言であると同時に、文明の進路に関する宣言である。
ローマ宣言は、人類にこう問いかけている。私たちは、より速く判断する機械を求めているのか。それとも、より賢明に判断できる人間社会を築こうとしているのか。
ユヌス博士が問いかけた「AIは誰のためのものか」

写真:浅霧勝浩/ INPS Japan
ローマ会議では、核軍縮やAIの軍事利用だけでなく、人工知能が社会や経済にもたらす影響についても活発な議論が交わされた。
その中心人物の一人が、2006年ノーベル平和賞受賞者であり、バングラデシュ暫定政府首席顧問を務めるムハマド・ユヌス博士である。
グラミン銀行の創設者として世界的に知られるユヌス博士は、長年にわたり「経済は人間のために存在する」という理念を訴えてきた。ローマでの発言でも、その視点は一貫していた。
AIそのものを否定するのではない。問題は、「AIが誰の利益のために設計され、誰がその恩恵を受けるのか」である。
現在のAI開発競争は、一部の巨大IT企業や国家による莫大な投資によって急速に進められている。その一方で、技術の恩恵は必ずしも社会全体へ公平に行き渡っているとは言えない。生産性が向上しても、その利益が少数の企業や投資家に集中すれば、格差はさらに拡大する。
AIによる自動化が進めば、多くの職種が代替される可能性もある。だからこそユヌス博士は、「AIは人間に奉仕するために存在しなければならない。」と繰り返し強調した。経済成長だけでは社会は豊かにならない。人間の尊厳を守る技術であるかどうかが問われているのである。
この視点は、今回のローマ宣言とも深く響き合っている。
AIガバナンスとは単なるリスク管理ではない。誰一人取り残さない社会を築くという、持続可能な開発目標(SDGs)の理念そのものでもある。
「AIは決断しない。決断するのは人間である」

今回の会議では、AIの急速な発展に対する警鐘も数多く鳴らされた。
ノーベル平和賞受賞者でフィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサ氏は、AI時代に最も危険なのは、人間が自ら考える力を失うことだと語った。
AIは膨大な情報を瞬時に処理できる。しかし、その情報が真実かどうかを判断する能力は持たない。生成AIが生み出す文章や画像は極めて自然になり、一般市民が真偽を見分けることはますます難しくなっている。
レッサ氏は、「民主主義は事実を共有できる社会で初めて成立する」と指摘した。事実が崩れれば、対話も合意形成も成り立たない。その意味で、AI時代の最大の課題は情報技術ではなく、市民が主体的に考える力を維持できるかどうかにある。
AIは判断材料を提示することはできるが、善悪を決めることはできない。またAIは、選択肢を示すことはできるが、その結果に責任を負うことはできない。会議全体を通じて繰り返し共有された認識は、「AIは決断しない。決断するのは人間である」という極めてシンプルな原則だった。
記者会見で示されたローマ宣言の実像
最終日の記者会見では、登壇者たちはローマ宣言の意義について改めて説明した。印象的だったのは、誰一人として、この宣言だけで世界が変わるとは語らなかったことである。むしろ繰り返し強調されたのは、「ここから対話を続けること」の重要性だった。
ローマ宣言は法的拘束力を持たない。各国政府に義務を課すものでもない。AI企業を直接規制する権限もない。しかし、科学者、政策決定者、宗教者、市民社会、若者が共通の倫理的基盤を確認したこと自体に大きな意味があると、登壇者たちは口をそろえた。
その姿勢は、1955年のラッセル=アインシュタイン宣言が、直ちに核軍縮を実現したわけではなく、その後のパグウォッシュ会議や国際的な対話の出発点となった歴史とも重なる。ローマ宣言もまた、一度限りの文書ではなく、継続的な国際協力へ発展させることが期待されているのである。


ボルゴ・ラウダート・シの会場には、その理念を具体的な市民運動として実践してきたイタリアの核軍縮・平和教育プロジェクト「センザトミカ(Senzatomica)」の関係者も多数参加していた。
センザトミカは、「核兵器のない世界」を若い世代へ伝える展示会や対話プログラム、教育活動を長年展開してきた。今回の会議でも、専門家だけでなく市民や若者を議論へ結び付ける重要な役割を果たした。
ローマ宣言が社会に根付くかどうかは、政府間外交だけでは決まらない。こうした市民社会の継続的な実践こそが、その生命力を支えるのである。
「同苦」がAI時代にもつ意味
今回の会議で最も深い印象を残した発言の一つは、創価学会渉外局長の長岡良幸氏によるものであった。長岡氏は、AIを単なる技術や規制の問題としてではなく、「人間とは何か」を問い直す契機として捉えるべきだと語った。
AIは、人間を映し出す鏡である。その技術が人類に幸福をもたらすのか、それとも破壊をもたらすのかは、AI自身ではなく、それを設計し、運用し、利用する人間の価値観によって決まる。
「問題はAIではありません。最終的には、人間自身の問題なのです。」長岡氏はそう語り、人類には利己的になる自由もあれば、思いやりを選ぶ自由もあると指摘した。
その象徴的な例として紹介したのが、日本で報じられた一つの出来事だった。86歳の女性が、重病の夫の延命治療を続けるべきかどうかという人生最大ともいえる決断について、家族や医師だけではなく、ChatGPTにも相談したというニュースである。
長岡氏は、この女性を批判したわけではない。むしろ、この出来事は、人間が人生の最も重い倫理的判断においてまでAIへ助言を求める時代がすでに到来していることを示している、と受け止めた。
AIは医学論文を要約できるし、治療法を比較することもできる。さらに統計的に最も合理的な選択肢を提示することもできる。
しかし、家族を失う悲しみを共有することはできない。責任を引き受けることもできない。
だからこそ、人間に必要なのは、情報量ではなく、「人間性」なのである。長岡氏は、AI時代だからこそ教育が重要になると強調した。
知識を増やす教育ではなく、「人間の尊厳を理解し、他者への責任を育む教育」である。
この視点は、創価学会が長年掲げてきた人間教育の理念とも重なっている。

「同苦」という人類共通の倫理
長岡氏の発言を聞きながら、筆者は会議に先立って行った、IPS(Inter Press Service)創設者であり国際ジャーナリズムの先駆者でもあるロベルト・サビオ博士へのインタビューを思い起こしていた。

サビオ博士は、人類が直面している危機はAIそのものではなく、人間が他者への感受性を失いつつあることだと語った。博士は、「シンパシー(sympathy)」と「エンパシー(empathy)」を区別する。
シンパシーは、相手を気の毒に思うことである。一方、エンパシーとは、自分自身を相手の立場に置き、その苦しみを自らのものとして感じようとする姿勢である。このエンパシーに最も近い概念として、仏教の「同苦」の精神がある。同苦とは、他者の苦しみを自らの苦しみとして受け止めることである。それは単なる感情的な共感ではない。
相手の置かれた状況を理解し、その苦しみを軽減するために自ら行動しようとする倫理的態度である。
今回のローマ会議を通じて筆者が感じたのは、この「同苦」の精神こそが、AI時代における最も重要な倫理的基盤ではないかということである。
AIは情報を処理できる。しかし、痛みを感じることはできない。核抑止は恐怖によって均衡を維持できる。しかし、信頼を生み出すことはできない。
結局のところ、人類を結びつけるのは、効率でも技術でもなく、「他者の苦しみを自らの課題として受け止める力」である。
ジャーナリズムという「知のインフラ」

この会議を取材して改めて感じたのは、AI時代におけるジャーナリズムの役割である。
AIはいわゆる記事を書くことができ、ある程度の翻訳も要約もできる。映像さえ生成できる。しかし、「何が社会にとって本当に重要なのか」を判断することはできない。
ローマ会議では、科学者、宗教者、政策担当者、市民社会が、それぞれ異なる立場から議論を重ねた。
それらを結び付け、市民が理解できる形で伝えることこそ、ジャーナリズムの本来の使命である。
INPS Japanは長年にわたり、創価学会インタナショナル(SGI)との共同メディアプロジェクトを通じて、核兵器廃絶、人間の安全保障、持続可能な開発目標(SDGs)、平和教育などを継続して発信してきた。
その目的は単にニュースを届けることだけではない。
読者が世界で起きている出来事を自分自身の課題として考え、行動へ結び付けるための「知のインフラ(Knowledge Infrastructure)」を築くことである。
AIが情報を大量に生成する時代だからこそ、人間には情報を意味へと変換する営みが求められる。その役割を担うのが、責任あるジャーナリズムなのである。

終わりではなく、人類の選択の始まり
ローマ宣言は、AIがもたらすすべての課題を解決したわけではない。人工知能は今後も進化を続けるだろう。世界にはなお約1万2,000発の核兵器が存在し、核抑止への依存も依然として続いている。
さらに、自律型兵器(LAWS)の開発競争、AIによるサイバー攻撃、偽情報の拡散、監視社会の拡大など、新たな課題は次々と姿を現している。だからこそ、今回ローマで始まった対話の本当の意味は、宣言文そのものにあるのではない。
人類が初めて、AIと核兵器という二つの文明的リスクを、一つの倫理的課題として同時に議論し始めたことにある。この点にこそ、ローマ会議の歴史的意義がある。
ローマ宣言の成果と限界

ローマ宣言には明確な成果があった。
- 第一に、AIと核兵器を「人間の尊厳」という共通の価値の下で捉え直したことである。
- 第二に、科学者、AI研究者、宗教指導者、外交官、軍縮専門家、市民社会、若者が、分野を超えて共通の危機認識を共有したことである。
- 第三に、人類の未来を技術だけではなく倫理によって導かなければならないという方向性を国際社会へ示したことである。
一方で、その限界も明らかである。
ローマ宣言には法的拘束力はない。AI企業を規制する権限もない。核兵器保有国に軍縮義務を課すものでもない。宣言だけで世界が変わることはない。
しかし、歴史を振り返れば、大きな変化は必ず理念から始まってきた。
1948年の世界人権宣言も、直ちに人権侵害をなくしたわけではない。1955年のラッセル=アインシュタイン宣言も、その日に核軍縮を実現したわけではない。
それでも、それらは国際社会の価値観を変え、その後の制度や運動を生み出す原点となった。ローマ宣言もまた、そのような歴史の出発点として評価されるべきである。
「ローマ・プロセス」という新たな視座

私は、このローマ宣言を起点とした長期的な国際的取り組み(「ローマ・プロセス(Rome Process)」)は、今回の会議が示した方向性を表現する分析概念として、有効であると考える。
ローマ・プロセスとは、政府間交渉だけを意味しない。科学者が研究倫理を問い続けること。教育者が人間の尊厳を育むこと。宗教者が倫理的対話を広げ続けること。市民社会が平和への行動を積み重ねること。企業が社会的責任を果たし続けること。
そして責任あるジャーナリズムが事実を伝え、市民が熟慮できる公共空間を守りつづけること。それらすべてを含む継続的な国際的実践である。
AIガバナンスも核軍縮も、一つの会議や一つの条約だけで完成するものではない。社会全体が学び、対話し、修正し続ける不断の営みが必要なのである。
AI時代に人類が守るべきもの
今回の会議を取材して最も強く感じたことがある。AIの未来を決めるのは、AIではない。核兵器をなくすのも、AIを人類の幸福のために活用するのも、結局は人間自身である。
だからこそ、人類が最後まで失ってはならないものがある。
それは、仏教で「同苦」と呼んできた精神である。他者の苦しみを、自らの苦しみとして受け止めること。その共感力こそが、科学を人類の幸福へ導き、政治を平和へ向かわせ、AIを人間のための技術として位置づけることを可能にする。
サビオ博士によれば、「声なき人々に声を与える」という責任ある報道に不可欠な「共感」とは、単に相手を気の毒に思うことではない。相手の立場に身を置き、その苦しみを自らの課題として引き受けようとする姿勢である。
その「同苦」の精神は、核兵器にもAIにも置き換えることのできない、人間だけが持つ力である。ローマ会議は、そのことを世界へ静かに、しかし力強く問いかけた。AI時代に人類が守るべきものは、人工知能ではない。
人間そのものである。
そして、その未来は、一人ひとりが「同苦」の精神を選び取り、人間の尊厳をあらゆる技術や政策の中心に据えるところから始まる。
ローマで始まったこの対話が、一過性の国際会議に終わるのではなく、「ローマ・プロセス」として世界へ広がっていくならば、2026年のローマ宣言は、AI時代における新しい平和構築の原点として歴史に刻まれることになるだろう。
This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International in consultative status with UN ECOSOC.

INPS Japan
関連記事:















