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|国連|紛争地の性暴力に対処するため「女性保護アドバイザー」を派遣へ

【国連IPS=タリフ・ディーン】

性暴力をけっして許さないとの国連の方針にも関わらず、南スーダンやコンゴ民主共和国、ウガンダ北部、ソマリア、中央アフリカ共和国といった紛争地帯において、そして最近では、政治的に問題を抱えたエジプトやシリアなどにおいて、性暴力関連の犯罪が多発している。

国連の潘基文事務総長は、昨月、安全保障理事会の会合において、レイプは「戦争の武器」であり、紛争があるところ必ず性暴力が多発し、「被災者を物心両面で打ちのめし、地域社会の構造そのものを破壊してきました。」と指摘したうえで、「こうした紛争下の性暴力は、国際人道法及び国際人権法に違反する犯罪であり、国際の平和と安全に対する脅威にほかなりません。」と訴えた。

国連は、この許すべからざる犯罪の大半が、国連が平和維持活動を実施している紛争地帯で発生していることから、紛争地帯で性暴力防止を任務とする「女性保護アドバイザー」の一団を派遣することを決定した。まずは、南スーダン、中央アフリカ共和国、コートジボワール、コンゴ民主共和国、マリ、ソマリアに派遣される予定である。

派遣先がアフリカ大陸に限定されることになるのかという記者の質問に対して、国連平和維持活動局/フィールド支援局のアンドレ=ミシェル・エスング広報官は、「派遣先について特定の地域に限定するという決まりはありません。たまたま当面の派遣先がアフリカ大陸の平和維持活動地域となっただけです。」「現在、女性保護アドバイザーの採用プロセスを進めています。」と語った。

人道支援団体「難民支援協会」で女性や少女の権利擁護に取り組んできたマーシー・ハーシュ氏は、「私たちは、国連に対して、女性保護アドバイザーを現地派遣する前に、十分な訓練を実施し、現地では既に活動を展開している諸団体と積極的に協力するよう促すような緊急対策をとるよう要請しています。また、紛争地で性暴力事件の捜査を担当する女性保護アドバイザーには、犠牲者の安全と尊厳を守っていくために、確固たる倫理・安全基準が備わっていなければならないと考えています。」と語った。

またハーシュ氏は、6月24日に国連安保理にて全会一致で可決された決議2106号(戦時下の性的暴行及び暴力禁止に関する新たな決議案)にも、「女性保護アドバイザー」に関連して、適切なタイミングでの派遣、適切な訓練の実施、様々な分野を跨った調整の必要性といった、「難民支援協会」の要請内容と一致する文言が含まれている点を指摘した。

ハーシュ氏は、この安保理決議に加えて、複数の国連加盟国からも、全ての政治・平和維持活動に対して「女性保護アドバイザー」を派遣すべきとの意見が出ている点を考えれば、「国連は、女性保護アドバイザーの展開に際して、必ず緊急に質的な向上をはかる措置をとるだろう。」と語った。

またハーシュ氏は、国連は、「女性保護アドバイザー」が性暴力事件の防止及び対策プログラムの基礎となる、時宜を得た、客観的かつ正確で、信頼のおける情報を収集するとともに、性暴力事件の被害者の安全と尊厳を守るような体制を構築していくだろうと期待している。

潘基文事務総長は、U.N. Women(ジェンダー平等と女性のエンパワーメントのための国連機関)と国連平和維持活動局(PDKO)が、UNアクション(紛争下の性暴力問題に取り組む国連13機関のネットワーク)を代表して「史上初の具体的なシナリオに基づいた国連平和維持部隊向け訓練プログラム」を作成した、と語った。これは、これまでに国連平和維持部隊の一部(具体的には南スーダン、コンゴ民主共和国、ハイチに派遣された隊員の一部)による現地住民に対する性的虐待が確認された事態への対応策である。

国連はまた、紛争当事国の法制度と法的枠組みを強化する目的で、「法の支配・紛争下の性的暴力専門家チーム」を設立しており、同チームはこれまでに中央アフリカ共和国、コロンビア、コートジボワール、ギニア、ソマリア、南スーダン政府に対して、法律面における技術的なアドバイスを行っている。

紛争時における性暴力に関する国連事務総長特別代表のザイナブ・ハワ・バングーラ氏は、「国連は20年前に旧ユーゴスラヴィア諸国の広範な地域でレイプが組織的に行われている『決定的な証拠』を提供しました。」と指摘したうえで、「最近その内の一つで、内戦中に5万人の女性が性暴力の被害にあったとされるあるボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪問したが、同国では今日に至るまでに、性暴力の容疑者が起訴されたケースはほんの僅かに過ぎないことがわかりました。」と語った。

「こうして、性暴力の被害者らは、過去に折り合いをつけて前に進むこともできず、引き続き恥辱に苛まれながら、人目を避ける生活を余儀なくされているのです。」

つい最近では6月下旬に、コンゴ民主共和国で幼い少女らが犠牲となったいくつかのレイプ事件について、国連は「全く受け入れられない。」との声明を出している。コンゴ民主共和国の南キヴ州では、生後18か月から12歳までの9人の少女が性暴力にあい、体中に深刻な傷を負った状態で病院に運び込まれ、そのうち2人が死亡した。

国連コンゴ民主共和国ミッション(NUMOC)のロジャー・ミース特別代表は、これらの事件について、「こうした虐待は、村々から幼い子供を誘拐して結婚する(誘拐結婚)という有害な伝統的慣習と関わりがあると言われています。」と指摘したうえで、「しかし、このような暴力と虐待は全く受け入れられないものであり、終止符が打たれなければなりません。」と、語った。

また2012年には、コンゴ民主共和国東部のミノヤにおいて、135人の女性・少女が政府軍の兵士によって集団レイプされたとの報道が広範囲でなされている。

フランスのナジャット・バロー・ベルカセム女性権利相は、先月国連本部で開いた記者会見において、(性暴力のような)犯罪については、非難するだけでは不十分であり、犯人は起訴されるべきだ、と記者らに語りかけた。

「フランス政府は、こうした犯行が反乱軍兵士によるものか政府軍兵士によるものかに関わらず、このような残虐行為が起こっていることを深く憂慮しています。」とベルカセム女性権利相は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【国連IPS=スデシュナ・チョウドリ】

マララ・ユサフザイ(16歳)さんと、ムハンマド・カシム(23歳)さんには多くの共通点がある。いずれも、長年過激主義とテロが蔓延ってきたパキスタンの最辺境地(ユスフザイさんは北西部のスワット渓谷、カシムさんは北部パンジャブ州チャクワル)の出身者だ。

ユスフザイさんは、女子教育を否定するタリバンの圧力に屈することなく、公然と教育の権利を追及した。カシムさんも、ユスフザイさんのように自身が教育を受ける権利を追及するとともに、村の少女らにも教育を受けさせようと、友人らと寄付を募り、村に女子中学校を建設した。

UN TV

ユスフザイさんは、7月12日に国連本部で行ったスピーチの中で、「過激主義を信奉する人々は、昔も今も本とペンを恐れます。それは、彼らが教育の力を恐れているからなのです。」と語った。

カシムさんも同意見だ。「都市部の住民がタリバンの標的にならないのは、文盲率が高い辺境地とは違い、住民が教育を受けているからです。」と、カシムさんはIPSの取材に対して語った。

ユスフザイさんとカシムさんの主な共通点は、両者とも紛争地に生まれ育ち、教育への熱い情熱を抱いている点である。

ユサフザイさんは、女性にも教育の権利があることを主張したことが原因でタリバンに銃撃され、頭にけがを負ったが奇跡的に回復した。中学生が標的となったこの襲撃事件とその後の経緯については、世界中で報道された。

カシムさんは、友人からの携帯メールで、ユスフザイさんが襲われたニュースを知ったという。以来、カシムさんは友人らとともに、タリバンによるこの襲撃に抗議する集会を組織し、ソーシャルメディアを駆使して、パキスタンにおける女子教育への一般民衆の理解を高める運動を展開してきた。

カシムさんとユスフザイさんは、数日前、ニューヨークで初めて直接対面した。カシムさんが空港でユスフザイさんを見かけたときには、嬉しさで胸がいっぱいになったという。「私は彼女の健康状態について尋ねました。すると彼女は、元気で暮らしており、学校では主要テーマとして地理と歴史を選択する予定だと言っていました。」とカシムさんは語った。

黄色のTシャツとジーンズ姿で取材に応じたカシムさんは、しっかりとした自己の信念を持った青年だ。パキスタンの辺境地で育った彼には、一つの夢があった。「それはエンジニアになることです。」とカシムさんは言う。

カシムさんは、「マララ・デー」を記念するイベントに出席するためにニューヨークの国連本部に世界中から集まった若者1000人のうちの一人だ。

国連の潘基文事務総長は、女性にも教育の権利があると主張してタリバンの圧力に屈しなかったユサフザイさんの勇気を称えて、7月12日を彼女のファーストネームを冠した「マララ・デー」とした。

今回カシムさんは、女性教育への支持を表明するためにこの国連イベントに参加した。パキスタンの著名な権利擁護団体「子供の権利保護協会(SPARC)」が発行する2012年版「パキスタンの子ども白書」によると、同国では2500万人近い青少年が学校に通えない状況に置かれている。

カシムさんにとっても、彼が望んでいたような教育機会を得ることは容易ではなかった。彼は小学校に5年間通った後、父親の指示で村のマドラサ(イスラムの宗教学校)に編入させられた。

「マドラサの教師たちからは、公立学校の通常教育など受ける必要はないとよく言われたものです。マドラサからの圧力は父にもかかっており、父もついに抗しきれず、私を公立学校から辞めさせてマドラサで宗教教育を受けさせることにしたのです。」

しかしカシムさんは、それでエンジニアになる夢を諦めたわけではなかった。当初彼は、マドラサでの宗教教育と普通教育の学習をうまく調整してやっていけると考えていた。

カシムさんは、「マドラサでの生活は厳しいものでした。」「マドラサには週に6日通いました。しかし金曜日はイスラム教の休日にあたるので、この日に(以前の)学校に行って1週間分の遅れを取り戻そうとしたのです。」と当時を振り返った。カシムさんが村のマドラサに編入したのは、米国同時多発テロ事件(2001年9月11日)が勃発する数か月前のことであった。

「当時私は11歳か12歳の少年で、タリバンは私たちのヒーローでした。誰もが尊敬していたのです。」

「タリバンが、実は人間にやさしくなく、愛国的でもないということに気付いたのは、もっとあとになってからでした。」

「タリバンは罪のない女性や子どもを殺しており、人々は次第に、タリバンは支持するに値しない連中だということに気づき、離反していったのです。また、彼らは(本来あるべき)イスラム教徒ですらなかったのです。」とカシムさんは語った。

結局、カシムさんは、マドラサでの勉学から得るものはないと確信した。

「世間では、マドラサでは、生徒らは体罰にさらされ気がおかしくなるという噂が流れていました。現実は、噂通りというわけではありませんでしたが、生徒たちが教師に殴られたり洗脳されたりするという事実はありました。しかし私の場合、ここでの教育が私の求めているものではないということは、当初からはっきりと分かっていました。」

カシムさんは両親との口論の末、なんとか説得し、公立学校に通うことを許してもらった。

「将来の夢を叶えるには、それが唯一の方法だったのです。」とカシムさんは語った。

カシムさんは10年生(高校1年に相当)になるまでは村の公立学校に通い、近隣の都市の学校に転校した。その後奨学金を獲得し、現在は首都イスラマバードの工学系大学に通いながら、パートタイムで企業に勤めている。近年パキスタンが大洪水に見舞われた際には、積極的に被災地を回って救援活動にも従事した。しかしカシムさんは、将来もっと大きなことを成し遂げたいと、さらに研鑽を積んでいる。

「私は故郷の村の子どもたちが勉強できるような短期大学を村の近くに設立し、それを数年で総合大学にしたいという夢があります。」

カシムさんは、教育を受けることができた自分の経験を、故郷の村のすべての少女たちにも分かち合いたいと決意している。

またカシムさんは、今回の国連イベントへの参加について、自分が地元を代表して国連まで旅することができたことは、故郷の人々にとって大いに刺激になるだろうと想像しつつも、「リスクも孕んでいる」側面もあることを率直に認めた、

「(国連イベントが終わって)故郷のパキスタンに帰国し再び現実に直面した時のことが心配です。しかし、これはまたとない機会ですから、私は是非国際社会の前で自分の思いを述べたかったのです。」

またカシムさんは、パキスタン政府の役割について、「政府は教育問題に取り組もうとはしていますが、やはり腐敗の問題が大きな障害となっています。ぺキスタンの教育状況を変えるには、深刻な資金問題と並んで、政策レベルで抜本的な改革が断行される必要があります。」と指摘した。

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)最新のグローバルモニタリングレポートによると、世界中で学校に行けない児童の約半数にあたる2850万人が、紛争地帯に住んでいるという。また同レポートは、人道支援援助のうち、教育分野に充当される割合は、2009年の2.2%から2012年には1.4%まで低下していると指摘している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】


タメル・マンスール駐UAEエジプト大使は、7月17日、ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領に対して、UAE赤新月社が大統領の指示のもとに「エジプトは私たちの心の中に(Egypt in our Hearts)」キャンペーンを同日開始したことについて、心からの感謝の意を表明した。このキャンペーンは、(軍による事実上のクーデターでムハンマド・ムルシー政権が崩壊して以来)移行期にある現在のエジプトにおいて経済的な困難に直面している国民を支援することを目的としている。

マンスール大使は、声明の中で、このキャンペーンは、困難に直面した際の「誠実なアラブの連帯」を示すものであり、友情と歴史的な絆で結ばれたエジプトとUAE両国民を繋ぐ素晴らしい実例です、と語った。

またマンスール大使は、「UAE政府は、6月30日革命後にいち早くハイレベルの政府・投資家からなる代表団を派遣して暫定政権への信任を国際的に示すととともに、エジプト国民が直面している差し迫った経済状況に鑑みて、5億ドルの燃料購入資金に加えて30億ドルの支援を表明してくれました。今回のキャンぺーンは、エジプト国民を支援するUAE指導部の賢明な立場を引き続き反映したものを理解しています。」と語った。

両国の歴史的な関係と絆を深めてきたUAE指導部への感謝の念を強調しつつ、マンスール大使は、「エジプト国民は、この「エジプトは私たちの心の中に」キャンペーンが、UAE国民がエジプト国民に対して深い敬愛の念を抱き、この困難な局面にあって隣に寄り添ってくれている真実を示すものとして、歓迎しています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】
 

1995年の「スレブレニツァ虐殺事件」から18周年目となる11日、近郊のポトチャリの記念墓地では、昨年遺骨が発見されたうち新たに身元が判明した14歳~18歳の少年44人を含む409人の犠牲者の埋葬式典が行われた。これらの犠牲者についてアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙「ガルフ・ニュース紙」は13日付の論説の中で、「イスラム教徒の男性や少年らが、ラトコ・ムラジッチ司令官指揮下のセルビア人勢力によって虐殺されてから18年が経過したが、不屈の調査が実り、彼らの遺骸がやっと確認された。」と報じた。

「第二次世界大戦以来、欧州の地で起こった最悪の虐殺事件の犠牲者を埋葬・追悼するこの式典には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナや世界各地から、犠牲者の家族や親戚ら15,000人を超える人々が集った。」

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期の1995年7月、国連により「安全地帯」と指定されていたボスニア東部のスレブレニツァにおいて、イスラム教徒の男性と少年およそ8000人が、スルプスカ共和国軍セルビア人民兵によって、5日間に亘って殺害された。事件前、スレブレニツァには少数の国連保護軍とオランダ軍PKO(国連平和維持活動隊)が派遣されていたが、圧倒的なセルビア軍勢力の前になす術がなかった。1999年、コフィ・アナン国連事務総長(当時)は、民族浄化に十分な対応を行わなかった責任は、国際社会全体が負わなければならないと述べた。また、虐殺事件から10周年となった2005年には、「私たちは、どんなに時間がかかろうとも、犯人に完全かつ適切な罰が下されるまで、引き続き真相解明に努力していかなければならない。」と述べている。

こうした発言には行動が伴う必要がある。このような残虐な大量殺戮は、人類の汚点であり、私たち全てに影響を及ぼしている。
 

「この事件は、人間はそこまで残虐になりうるという歴史の教訓を示しており、我々人類はそれを決して忘れず、再発防止に取り組んでいかなければならない。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。

翻訳=INPS Japan

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│バングラデシュ│子ども時代を奪う「幼年婚」と闘う少女たち

【ロンプールINPS=ナイムル・ハク

シリン・アクタルさん(18歳)の両親が彼女の結婚を決めた時、彼女はまだ13歳だった。

バングラデシュ北部ロンプール管区の貧しく保守的な家庭で長女として育ち、教育や就労機会に恵まれないシリンさんにはほとんど選択の余地はなく、31歳になる従兄弟と結婚するのは、貧困から脱け出す最善の選択のように思われた。

柔らかな語り口のシリンさんは、取材に対して、両親からは結婚について何の相談もなかった、と語った。父親には定職がなく、家族には持ち家もなかった。両親にとって、比較的裕福な実業家からの求婚依頼を受け入れることが、娘にとって明らかに最良の選択肢に思えた。

しかし、シリンさんは大学に通うという夢をなんとか叶えたいという決意を心に秘めていた。そこで彼女が支援を仰いだのが、社会の不正義に反対し、子どもの権利向上を目指して活動していた地元の少年少女からなる「子どもジャーナリスト」の仲間たちであった。

アラジェモン村(首都ダッカの北方約370キロ)の借家の自宅で取材に応じたシリンさんは、夫の親族からの暴力、厳しい家事労働など、若すぎる結婚ゆえに苦しんできた友人や親せきの少女らをたくさん目の当たりにしてきた、と語った。そして自分には彼女たちが辿ったような境遇にはとても耐えられないと考えていた。

しかし、シリンさんにとって、両親の決定に逆らうことは容易なことではなく、勇気を振り絞るとともに、同世代の友人らによる大きな支援が必要だった。

「子どもジャーナリスト」のリーダーを務めているレザさんは、取材に対して、「大人の問題に首を突っ込むとトラブルになうことは分かっていましたが、シリンさんに対する両親の仕打ちはあまりにも不当だと思いました。そこで私たちが彼女のために反対してあげないといけないと思ったのです。」と語った。

機略に富んだ少年少女たちは、村の長老をはじめ、宗教指導者、影響力のある学者、地元の経営者らに近づいてシリンさんの窮状を訴え、彼らからシリンさんの両親に掛け合ってもらえるという確約をとった。

しかし、こうした少年少女たちによるコミュニティーのほぼ全体を巻き込んだ説得工作も、国際連合児童基金(ユニセフ)がバングラデシュで展開している「青少年エンパワメント・プロジェクト」(「キショリ・アブヒジャン」)からの後押しがなければ、シリンさんに結婚以外の選択肢が与えられることはなかっただろう。このプロジェクトは、少女たちが人生の選択ができるよう必要な技術や教養を習得する支援を行っている。

このプロジェクトは、人口1億5000万人のバングラデシュにおいて幼年婚の件数が驚異的に多い事態に対応するため2001年から導入された事業である。残念ながら、その後バングラデシュでは、こうした支援プログラムへのニーズがますます高まってきている。

全人口の約3分の1にあたる人々が1日当たり1ドル以下の生活を強いられている中で、多くの家庭が、娘の結婚を厳しい労働に追われる生活から逃れる手段として頼りにしたとしても不思議ではない。つまり娘の結婚相手を見つけるということは、扶養家族を一人減らし、さらには彼女の配偶者からの財政補填も期待できることを意味している。

バングラデシュでは、少女の就学率が向上し、出生率が大幅に低下し、若い女性が益々自らの権利を要求する自由を獲得したにもかかわらず、依然として多くの女性が幼年婚の風習に縛られている。最近の調査では、20歳~24歳の女性の場合、法的に認められる最低年齢にあたる18歳になる前に結婚した者が68%にも上っている。また、他の諸研究によると、こうした少女たちの大半が結婚されられたのは、実際には16歳の誕生日を迎える前であった。

政府統計によると、バングラデシュの少女人口1370万人のうち、19歳になる前に出産する女性の数は半数以上に上るという。

都市部よりもさらに貧困が広範囲に広がっている農村部では、貧しい家庭の少女は、思春期の開始とともに結婚資格があるとみなされている。つまり、13歳や14歳の幼い少女たちが妻になることも少なくないのである。

貧困家庭では、一部には花嫁持参金の出費を引き下げるため、また一部には、(不特定多数の男性からの)性的な嫌がらせから未婚の娘たちを「守る」ため、親がほとんど躊躇することなく、娘たちを年配の男性に嫁がせる傾向がある。

人権活動家らによると、こうした慣習は社会に悪影響を及ぼすのみならず、少女らの健康にとっても危険だという。出産の80%が自宅で、しかも、熟練した医療関係者が立ち会わない状況で行われているこの国において、妊娠した幼い少女と体内の胎児は、出産に至るまでの期間に、肺炎や、低出生体重など様々な合併症に侵されるリスクを負うことになる。

子ども時代を奪う「幼年婚」が、バングラデシュ社会に悪影響を及ぼしているのは、この国の妊婦死亡率が米国の10万人あたり21人と比べると、320人と極めて高いことからも明らかである。

こうした中、ユニセフをはじめとした国際機関と連携して「幼年婚」対策に取り組んでいる各地の活動家の努力は、少しずつだが実を結びつつある。

「キショリ・クラブ」として知られる自助グループには、単位ごとに約30人の若者たちが2週間に1度集まって、性と生殖に関する健康(リプロダクティブヘルス)、栄養、性的役割分担、女性への暴力といった問題について話し合っている。

そして、ユニセフによる訓練を受けたグループリーダーたちは、少女らが自ら生計を立てていくための手段となる、裁縫や陶芸、家禽の飼い方などの技術習得を支援している。

また、「キショリ・クラブ」は、バングラデシュの何百もの郡(Sub districtで、貧困家庭を対象にコンピューター技能や木工技能等の基礎研修を実施し、大きな成果を上げてきた科学大衆教育センター(CMESのような草の根関連団体と連携して活動を展開している。

「キショリ・クラブ」はまた、青少年をはじめ地域社会を対象に実施されている「幼年婚」に関する啓発活動の調整団体としても機能している。

シリンさんの経験は、こうしたローカル組織の実力を証明するものといえるだろう。シリンさんの父親が村の結婚登記所に申し入れをした際、登記官は、シリンさんの出生証明書を確認できない限り、婚姻登記はできないと回答した。この出来事は、役人たちが18歳未満の少女らの婚姻を黙認してきたこれまでの実態とは一線を画す、重要な転機を示している。

しかし、活動家らは、教育のみではこの悪習を永続化させる「旧来の思考」を変えるには十分ではないことを認識している。「幼年婚」を根絶するには、貧困家庭を取り巻く経済環境を変える必要があるのだ。

バングラデシュで児童保護の問題を担当しているユニセフのローズ-アン・パパヴェロ氏は、取材に対して、「ユニセフではバングラデシュ政府と協力して、貧困家庭を対象に、

(法定婚姻年齢未満の)娘を嫁に出さない、児童労働に使わない、体罰を行わないなどの条件に親が同意することを前提に、現金支給(年間472ドル)を行うプログラムを展開しています。」と語った。

こうした取り組みの効果は明らかに表れている。過去25年の動向を分析した2007年版「バングラデシュ人口統計と健康調査 (BDHS)によれば、40代後半の女性の平均婚姻年齢が14歳だったのに対して、20代前半の女性の場合は16.4歳と、ゆっくりではあるが着実に改善している。

翻訳=INPS Japan

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オバマ・マジックは消えた―熱意を上回った警戒心

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【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ

4年前、「『核兵器なき世界』の平和と安全を目指す」というバラク・オバマ大統領の約束は世界を駆け巡り、ただ一筋の閃光(=核爆発)によって人類が破滅することはなくなるという希望を生んだ。6月19日、オバマ大統領はこの「プラハ演説」につづく演説をベルリンで行おうとした。しかし今回は、オバマ・マジックが会場を席巻することはなかった。

Kate Hudson
Kate Hudson

核軍縮キャンペーン(CNDのケイト・ハドソン事務局長は、この理由について28日付のブログに、「オバマ大統領は明らかに、世界的な核廃絶という目標に引き続きコミットしているものの、今回の演説からは、2009年のプラハ演説で掻き立てられたようなとてつもない希望と感情の迸りを感じることはできなかった。」と書き込んでいる。

またハドソン事務局長は、オバマ大統領がベルリンで語った内容の大半は、既にプラハ演説で語られていたが、進展は極めて遅々としている、と指摘している。「CTBT(包括的核実験禁止条約)の批准や核分裂性物質生産禁止(カットオフ)条約への前進といった話題は、『プラハ演説』にもあったが依然として解決していないし、核保安と民生原子力へのアクセスの問題についても同様です。振り返ってみると、米ロそれぞれの核戦力を多少削減した新戦略兵器削減条約(STARTの批准が、オバマ大統領の2009年構想の唯一の成果と言えるでしょう。」

さらにハドソン事務局長は、「(ベルリン演説にこのような印象を持った)理由は恐らく、オバマ大統領が『プラハ演説』以降、自身の意図はどうあれ、核軍縮を呼びかけながら、同時に自国の核兵器については近代化推進を謳い、仮想敵国の核兵器の『抑止』効果を無効化する新システムの開発を進めた経緯を私たちが目の当たりにしてきたからだろう。」と述べている。

またハドソン事務局長は、オバマ大統領にとって(ベルリン演説後の)国内状況も決して芳しいものではないと指摘している。「ベルリン演説以降、ケリー・アヨット上院議員(共和党、ニューハンプシャー選出)が、大統領の意図には誤解があり危険なものだと評するなど、多くの共和党上院議員が大統領に容赦ない批判を浴びせている。もっとも、金融危機が世論と安全保障上のニーズに関する国民認識にどのような影響を及ぼしているかを見極めないことには全体像を判断することはできないが、控えめに見ても、核軍縮をさらに進展させるには多くの障害がある。」

「米国であれ英国であれ、核兵器に予算を費やすことへの反発が強まってきている。つまり、無駄遣いであり時代遅れだと広く見なされるようになってきているのだ。人々は、テロやサイバー戦争気候変動といった21世紀の脅威に核兵器で対処することはできないと考えているのです。」

ICAN
ICAN

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、オバマ大統領のベルリンでの「核兵器なき世界」への呼びかけと、米ロ核戦力のさらなる削減を図るとの意向を歓迎しつつも、「…核兵器に関する世界的な運動の関心事となりつつある、核兵器の使用がもたらす人道的帰結の問題をみれば、核兵器の禁止と廃絶が当然の結論となる。」との声明を出した。

ICANはさらに、「オバマ大統領の演説は、核兵器は使えない兵器であり、今日の世界の安全保障環境において何の現実的な有用性もないという広がりつつある認識をさらに強化することに寄与しました。にもかかわらず、核兵器はひとたび使用されれば、恐るべき人道的帰結をもたらすことになります。核兵器は条約で禁止されていない唯一の大量破壊兵器であり、ICANは核廃絶の枠組みを定める条約の締結を呼びかけています。」と述べている。

オバマ大統領は、かつて東西ドイツを分けていた歴史的なブランデンブルク門の東側から演説し、「我々は、もはや世界絶滅の恐怖の中で生きてはいないかもしれません。しかし、核兵器が存在し続けるかぎり、我々は本当に安全とは言えません。」と宣言した。この文脈において重要なことは、オバマ大統領が核兵器を平和と正義に結び付けて次のように語ったことである。「その夢がいかに遠く見えようとも、正義のある平和とは、『核兵器なき世界』という安全を追求するということです。」

Hirotsugu Terasaki/ SGI
Hirotsugu Terasaki/ SGI

創価学会の副会長であり、創価学会インタナショナル(SGI)平和運動局長でもある寺崎広嗣氏は、「この目標は果てしなく遠く、また非現実的であると考える人もいるかもしれませんが、手の届かないものではありません。」と指摘したうえで、「21世紀の真の安全保障を考えるにあたり、私どもは変わりゆく現実を直視し、それを望ましい方向へと導くべく、さらに新しい現実を生み出す想像力を持たねばなりません。」という池田大作SGI会長の言葉を引用した。

東京に本部を置き世界に会員を擁する在家仏教組織SGIは、核兵器廃絶の必要性を世論喚起する上で先頭を走ってきた。

寺崎局長はIDNに寄せた声明の中で次のように述べている。「オバマ大統領のベルリン演説は、核兵器のない世界を目指すことを再確認するという意味では歓迎すべきものです。米ロ両国が保有する核兵器の一層の削減努力への決意は、この目標に向けての具体的なステップを示すものです。」

「表明された公約を実現するためには、米国政府は、世界における核兵器のリスクを減少させるだけではなく、さらに核兵器廃絶への具体的な行動の道筋を確立する必要があります。オバマ大統領が明確にしたように、核抑止というドクトリンは、もはやいかなる国の安全に役立ちうるものではありません。これは、世界の一般の人々がすでに感じていたことでもあります。核による破滅を盾に人類を人質にとっても、誰一人安全にはなりません。」

まだ多くの作業が残る

オバマ大統領はベルリン演説で「まだ多くの作業が残っている」と認めたうえで、「さらなる措置について発表する」と述べた。そしてこう続けた。「私は、包括的な再検討を経て、米国の配備済み戦略核兵器を3分の1削減しても、米国とその同盟国の安全を確保でき、強力で信頼性の高い戦略的抑止力を維持できるとの結論に至りました。私は、ロシアとの交渉によって削減を追求し、冷戦期の核態勢からの脱却を目指す所存です。」

「同時に、北大西洋条約機構(NATO)同盟国と協力して、欧州における米国とロシアの戦術核の大胆な削減を図ります。そして、原子力平和利用の新しい国際枠組みをつくり、北朝鮮とイランが追求しているとみられる核保有を阻止することは可能です。」

オバマ大統領はさらに、「米国は2016年、世界中の核物質の保全を図るため2年毎に開催している『核安全保障サミット』の第4回目を主催し、包括的核実験禁止条約の米国批准への支持調達のために努力し、核兵器用の核分裂性物質生産を禁止するための条約交渉を開始するようすべての国家に呼びかけます。」と語った。

寺崎局長はまた、核兵器のリスク、影響、コストに鑑みる時、世界からこの破滅的な兵器をなくす実際的必要性と道義的要請の双方が存在すると指摘し、「核兵器を禁止する条約について、交渉を始めなければならない時がきたのです。」と述べている。そのうえで、「核兵器廃絶への取り組みは、全人類家族全てによる共同事業でなければなりません。核兵器国、核兵器開発を行わなかった国、そして最も重要である人類の一人ひとりが、それぞれの役割を果たさなければなりません。SGIは、核兵器の禁止と廃絶に向け人々が立ち上がるよう、草の根の意識啓発に尽力していきます。」と強調している。

すべての核爆発を禁じている包括的核実験禁止条約(CTBT)は183か国が署名し、そのうち158か国が批准を済ませているが、核能力を持った残り8か国(中国、北朝鮮、エジプト、インド、イラン、イスラエル、パキスタン、米国)が批准をしないかぎり、発効しない。

グローバル・ゼロに向かって

予想されたとおり、6月19日のドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相の反応は、慎重な楽観論と、ドイツ領土からの米戦術核撤去やロシアとの真の対話といったドイツ政府の関心についての間接的な言及がない交ぜになったものだった。「核軍縮に関するオバマ大統領の提案は、ドイツがその外交政策において支持している方向への大胆なステップです。」

「核軍縮に関するオバマ大統領の計画を我々が共同で実現することができれば、世界はより安全でより良い場所になるでしょう。核兵器の数を減らし、核不拡散に関する効果的な世界的ルールを構築することは、『グローバル・ゼロ』、すなわち核兵器なき世界への決定的なステップとなります。」

「私たちはこの機運を活かして協力していくことが必要です。とりわけ、ロシア政府との対話は、この機を逃してはなりません。また、欧州の戦術核も削減しようという提案は、我々にとっては特に重要なテーマです。ドイツ政府はオバマ大統領の計画を支持し、最大限の努力をする用意があります。」

6月20日、ヴェスターヴェレ外相は、ニュルンベルクで開催された安全保障に関する会議において、「依然として世界には1万7000発の核弾頭があります。もしこの数を減らすことができれば、世界はより安全な場所になるでしょう。そういう理由から、オバマ大統領の軍縮構想は、平和と安全に向けた大胆な措置なのです。」

「オバマ大統領が彼の提案に欧州戦術核を明確に含めたことは、ドイツ領に残る最後の核兵器の撤去を実現するために我々が行っている取り組みに弾みをつけることになるでしょう。」

「オバマ大統領の構想は、核軍縮をドイツ外交政策の最優先事項に据えるという我々の決定を大いに後押しするものです。もちろんこの構想を実現するには、その他の核大国、とりわけロシアも役割を果たさねばなりません。我々は、オバマ大統領の構想支持を念頭に、ロシア政府との対話を強化していきます。今後ドイツ外交政策の焦点は、核軍縮をもたらすための架け橋を築くことに置かれるでしょう。」

「核兵器なき世界は一つのビジョンであって、幻想ではありません。もちろん、それは一夜にして実現するものではありません。我々には、政治的意思、機敏な外交、そしてとりわけ、根気と戦略的忍耐が必要となります。」

チャンスは過ぎた

ドイツ連邦議会軍縮・軍備管理・不拡散小委員会のウタ・ツァプフ委員長は6月27日、ロシアの安全保障上のニーズに考慮を払わないかぎり、核兵器のさらなる削減というオバマ大統領の提案をロシアが受け入れることはないだろう、と述べた。

またツァプフ委員長は、「なぜ、軍縮がなされるまで、米国の戦術核兵器が欧州そしてドイツに存在しなくてはならないのでしょうか?むしろこうした兵器が米国に置かれていたほうが、もっと軍縮はやりやすいのではないでしょうか?」と疑問を投げかけた。

実際、戦術核撤去のチャンスは過ぎてしまったようだ、とツァプフ委員長は言う。「おそらくはシカゴでの決定(NATOサミット)の結果として出された2013年6月12日の米国の『核兵器の運用指針』は、欧州に戦術核を展開すると明記している。B61核弾頭の近代化は、同盟国を守る米国の戦略の不可欠の一部を成しているようだ(いわゆる「拡大抑止」)。」

ロシアの反応を見れば、ツァプフ委員長の意見は外れていないようだ。グローバル・セキュリティ・ニューズワイヤによると、新START合意ではすでに、両国が配備済み[戦略核]弾頭の数を2018年までにそれぞれ1550に制限することを義務づけているが、オバマ新提案の上限は、配備済みの戦略核弾頭を約1000に引き下げるということになっている。

「ロシアは、能力を強化したミサイル防衛システムを今後5年間で欧州に配備するというオバマ政権の計画に反対している。ロシア政府は、ミサイル防衛システムはイランからのミサイル攻撃から防御することのみを目的としているという米国政府の説明を受け入れず、迎撃ミサイルの使用に条件を付ける法的拘束力のある合意を米国に要求している。これまで米ロ政府間でミサイル防衛に関する多くの協議がなされてきたが、中核的な部分の相違を埋めるに至っていない。」とグローバル・セキュリティ・ニューズワイヤは報じている。

一方、ITARタス通信は6月20日、ロシアのドミトリー・ロゴジン副首相がミサイル防衛問題が未解決であることを考えると、ロシア政府はオバマ大統領の協議提案に疑念を持っていると発言した、と伝えている。

 「米国がロシアの戦略的潜在戦力を迎撃する能力を高めている時に、戦略核の潜在戦力を削減するという提案をどうして真剣に受け止めることができるだろうか?我が国の政治指導部がこの約束を真剣に受け入れることができないのは明らかだ。」とロゴジン副首相は記者団に語った。

また、ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務次官はRIAノボスチの取材に対して、「ロシア政府は他の国が核兵器とミサイル能力を強化している状況の中で、核兵器の削減・制限について米国と二国間協議を延々と続けることはできない。」「核兵器のさらなる削減の必要性を議論する前に、(ミサイル防衛)の問題についての容認可能な解決に至らねばならない。」と語った。

冷戦期の態勢

グローバル・セキュリティ・ニューズワイヤのエレーン・M・グロスマン氏は、6月21日付の分析記事の中で、「オバマ大統領は、米ロそれぞれの配備済み核兵器をさらに削減する交渉をロシアに提案して新聞の見出しを飾る一方で、冷戦期の重要な柱を手放さないよう、密かに国防総省に指示を出していた。」と記している。

「オバマ大統領のベルリン演説からわずか数時間後、国防総省は(ウタ・ツァプフ委員長も言及している)『核兵器の運用指針』に関して大統領がこの数日の間に出した議会向け報告を公表した。これは、米国が核兵器をどれほど必要としているかを定める際の、広い範囲を対象とした指令である。」

グロスマン氏は、「指針は一方で、配備済み戦略核弾頭の追加削減の追求と、先制核攻撃準備への依存を減らすよう指示している」という核兵器専門家ハンス・クリステンセン氏のブログ記事(6月20日)を引用している。「他方で同指針は、対兵力目標選定(=戦略核戦力を攻撃目標として選定すること:IPSJ)、戦略核戦力三本柱の保持、欧州への非戦略核(=戦術核)前進配備の保持といった、冷戦期の核態勢の中核的な特徴を維持することを再確認している。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【カイロWAM】
 
アラブ連盟は声明を発表し、国際社会、とりわけ国連、国際赤十字委員会、人権擁護団体に対して直ちに介入し、イスラエル占領下の収容所や監獄でハンガーストライキを行っているパレスチナ人囚人の命を救済するとともに、彼らに対する非人道的な扱いを止めさせるよう強く求めた。

ナビール・エルアラビー・アラブ連盟事務総長は、この声明の中で、「我々は、きわめて深刻な健康状態にありながら無期限のハンガーストライキに入っているパレスチナ人囚人、とりわけ5月末以来のハンストで危険な状況に陥っているとされるアブドゥラ・バグーチ氏が置かれている状況について、重大な懸念をもって見守っています。」と述べた。

エルアラビー事務総長は、そのうえで、国際社会に対して、イスラエル占領当局によるパレスチナ人囚人への虐待を止めさせるよう、強く訴えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【チュニスIPS=ルイス・シャーウッド】

チュニジアの人々は、2011年1月のジャスミン革命で長年同国に君臨してきた独裁者ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーを追放し、やっとの思いで新たな自由を勝ち取った。しかし、革命後の社会は、伝統的な世俗主義と新たに台頭してきた政治的イスラム主義がせめぎ合う緊張を孕んだ過渡期にあり、このことは自由に関する女性の認識の違いにも現れている。つまり、イスラム教の慣習を実践できる「自由」を喜ぶ女性たちがいる一方で、女性の権利が制限されるのではないかと危惧を深める女性たちもいるのである。

「私たちは、チュニジアのアラブ系イスラム教徒の女性として、前の2つの政権のもとで多くの利点を享受してきました。しかし革命以来、私たち女性の権利がどうなるのか心配しています。事態は流動的ですが、私たちはこれまでに勝ち取ってきた権利を諦めるつもりはありません。」とシンダ・ガージズさん(22歳)は語った。

チュニジアでは、他の中東・北アフリカ諸国と比べて、女性の権利が遥かに保障されている。この背景には、革命前の政権が、教育や政策において男女平等を積極的に推し進めたことと、活発な女性解放運動が1930年代から展開されてきたという事情がある。 

2010年下旬にチュニジアで「アラブの春」の端緒となったジャスミン革命が起こったとき、女性たちも男性同様に抗議活動に参加した。しかし、2011年10月の選挙で穏健派イスラム主義政党「アンナハダ(「再生」の意)」が政権の座につき、サラフィストのような急進派イスラム主義勢力が活動を活発化させる中、政治的には左派に属する多くのフェミニストたちは、今後社会のイスラム化が進むのではないかと危惧している。

「私は、宗教そのものやイスラム教の教えを実践している人々に問題を感じているわけではありません。問題視しているのは、政治と宗教をリンクし、精神的な領域のものと政治的な領域のものを融合させようとする動きです。チュニジア国民の大部分はイスラム教徒ですが、この国に宗教政党を認めるべきではありません。」と弁護士・女性人権活動家で、2月に暗殺された野党指導者ショクリ・ベライド氏の未亡人ベスマ・カルファウィさんは語った。

しかし、こうした懸念は政治レベルを超えて、社会領域に広がっている。「チュニジアにおけるイスラム運動について私たちが懸念しているのは、彼らが人々の考え方を変えようとしていることです。彼らはチュニスの(他の地区より失業率が高く、教育が普及していない)貧しい地区に赴き、モスクで男性たちに家庭における夫婦の行動規範について説いているのです。このような動きは政治より危険で、時が経つほど対応が難しくなるでしょう。」とガージズさんは語った。

こうした懸念を背景に、女性活動家らは、向こう数か月以内に取りまとめられる予定のチュニジア新憲法草案の内容を注意深く監視している。昨年8月には、新政権が作成中の憲法草案の中で女性の位置を「家庭における男性の補佐」と明記されていることに彼女たちが激しく抗議したため、のちに当該部分は「男性と対等」に訂正されている。

「私たちは女性として、新憲法の内容が、チュニジア個人身分法(Personal Statue code)の規定のとおり私たちの権利を守るものであること、さらに、国際法を順守し、女性にも個人としての諸権利を認めるものであることを確認したいのです。これまでに、変更を加えさせることに成功しており、この運動を心強く思っています。しかし、引き続き監視の目を光らせていかなければなりません。」と、チュニジア女性同盟のラドヒア・ジェルビア代表は語った。

与党アンナハダ党は、女性の権利を奪おうとしているとする主張を強く否定しており、政策の柔軟性と反対意見にも積極的に耳を傾ける姿勢を示すことが今後の重要な課題としている。「中には自身の権利が失われるのではないかと危惧する人々がいるようです。しかしわが党は、自由を保障する憲法の制定を目指しているのです。つまり、今日のチュニジア社会をそのまま維持したいと考えています。」と、憲法制定議会議員で与党アンナハダ党のアッシア・ナファティさん(27歳)は語った。

アンナハダ党は、メーレジア・ラビディ・マイザ女史を憲法制定議会(定数217人)の副議長に任命した。同議会定数の半分は、女性の参画と貢献を確保するため、新たな暫定政府発足に向けた合意に基づき、女性に振り分けられることとされている。

一方、革命後のチュニジアでは、敬虔なイスラム教徒の女性が、以前よりも宗教上の教えを実践する自由を謳歌しているのも事実である。チュニジア独立後最初に大統領になったハビーブ・ブルキーバは、チュニジア個人身分法の制定を通じて女性に数々の権利を認めたが、とりわけイスラム教徒の女性が被るヘッドスカーフには批判的で「醜悪なボロ布」と呼んだことが知られている。

ブルキーバの後を継いだベン・アリーも、イスラム系反対勢力の存在を恐れ、信仰の自由に様々な制限を設けた。そして女性たちは、ヒジャーブ(髪を覆うヘッドスカーフ)やニカブ(目の部分を除いてすべてを覆い隠すヴェール)を着用しないよう奨励された。しかし、ベン・アリー政権崩壊後、ニカブやヒジャーブを被った女性の数が増加している。

主婦で2人の子供の母であるサルワ・ホスニさん(34歳)は、ジャスミン革命以前からニカブを着用している。「ベン・アリー政権時代、私は多くの問題に直面しました。警察は私がニカブを着けているのを見つけると、早速呼び止め、警察署に連行し、二度とニカブを身に着けないという誓約書に署名を強要したものです。しかし、コーランには、頭は覆うべきと説かれています。(革命後の)今日、ニカブを自由に纏えるようになったことを大変嬉しく思っています。今私は自由を謳歌しています。」

主婦で3人の子供の母であるモニア・モフリさん(44歳)も、ホスニさんと同じ意見である。「ベン・アリー政権期、ヒジャーブの着用について当局とトラブルになった経験があったので、3年間着用をやめた時期があります。しかし、ヒジャーブなしで外出すると、胸が締め付けられる感覚を覚えたものです。今は、外出時はいつもビジャーブを身に着けることができるので、快適ですし、大変嬉しく思っています。」

しかし、ヘッドスカーフの着用を巡る緊張は依然として続いている。左派系の学府として知られるマノウバ大学では、ニカブを着用した生徒が登校して試験を受けることを認めるか否かの議論が進行している。先月も、ニカブを着用して登校した2人の女子学生を叱責したとの容疑をかけられた教授に無罪が言い渡されたばかりである。

人々が憲法草案の完成と年末か来年初頭に予定されている総選挙を待ちわびるなか、チュニジアの女性の未来が今後どのようになるかは、依然として不透明である。しかし一つ明らかなことは、チュニジア女性たちは、政治観や宗教観が何であれ、明確な意見を持っており、自身の権利を守るためには喜んで戦うであろうということだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ルワンワンジャ難民キャンプ(ウガンダ)IPS=アミ・ファロン】

もしあなたが、生き延びるために突然家から逃れなければならないとしたら、何を持っていきますか?あるいは、何を持ち出すことができるでしょうか?ジャン・クロード・ンドンジマナさん(20歳)の場合、コンゴ民主共和国東部の自宅から逃げたときに手にしていたものはミルクの売上金を入れた黒い袋と僅かな衣服のみだった。

ンドンジマナさんは、2か月前にツチ族系反政府武装組織「3月23日運動(通称:M23)」の兵士が村を襲撃し、彼を兵士に徴用しようとしたため、逃げ出した。そして彷徨の末、隣国ウガンダ南西部カムウェンゲ県のルワンワンジャ難民キャンプにたどり着いた。同難民キャンプでは、現在40,000人を超えるコンゴ難民が収容されている。

彼は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCRが開催している新たな写真展示会に登場する9人の難民のうちの一人である。これらの写真には、難民と彼らが自宅を後にした際に持ち出した所持品が写っている。

ンドンジマナさんの写真は、芝生に座り黒い袋を頭の上に載せている彼の姿を捉えている。もう一つの写真には、フローレンス・ムケシマナさん(30歳)が5人の子供と古い片手鍋とともに写っている。片手鍋は、夫が地雷で死亡し、とっさに子供たちを引き連れて家から逃れる際に手に取ったものだった。「夫が亡くなったと知った時、私の目の前から望みが消え伏せました。そして祖国を(コンゴ民主共和国)を後にすることにしたのです。」とムケシマナさんは語った。

この展示会はカンパラ市内のミシュ・マシュレストラン/アートギャラリーで7月2日から3週間に亘って開催される予定で、UNHCRは、戦争や迫害から逃れるために世界各地で毎日数千人もの人々が難民になっている現実に注目を集めたいとしている。

ンドンジマナさんは、青色のレインコート、ぶかぶかの茶色のズボン、足底がぼろぼろの運動靴という、2か月前に故郷を後にした際のいでたちで取材に応じた。「僕はサッカーが大好きなんです。」と言う彼が被っているお気に入りの白黒チェックの帽子には、FAプレミアリーグ・アーセナルFC所属のバカリ・サニャ選手のシールが貼られていた。そのシールは、ンドンジマナさんがウガンダに越境してまもなくして入手したチューインガムのパッケージに入っていたオマケとのことだった。

UNHCR
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コンゴ民主共和国では、内戦や和平合意が繰り返されてきたが、2012年4月に東部の北キヴ州で起こった(「M23」、国軍、FDLRマイマイ等の武装集団間の)新たな武力抗争を受けて、膨大な数の地域住民が難民になることを余儀なくされている。UNHCRによると、約220万人が国内避難民となり、約700,000人が近隣のウガンダとルワンダに逃れている。こうした中、ウガンダ政府は新規難民を収容するためルワンワンジャ難民キャンプを再開した。

5月には、数百人におよぶコンゴ難民がM23による軍への強制徴用から逃れるべく、国境を越えてウガンダに流入した。ンドンジマナさんの場合、難民キャンプにたどり着くまでに3週間を要した。

ンドンジマナさんは当時を振り返って、「私たちは、時には土砂降りの雨の中を、ひたすら逃げては見知らぬ場所で眠り、また目が覚めては逃げるという日々を過ごしました。そうした中で、服はぼろぼろになりました。」と語った。

ンドンジマナさんは、故郷の両親と兄弟の身に最悪の事態が起こっているのではないかと心配しているが、コンゴに平和が回復するまでは、このままウガンダに残りたいと語った。

先月、南アフリカ政府はコンゴ民主共和国東部北キヴ州ゴマにおいて、南ア軍の部隊の展開を開始した。これらの兵士は、既に現地に展開しているタンザニア軍部隊、マラウィ軍部隊とともに、新設の国連攻撃軍(U.N. Intervention Brigade)の一部を構成するものである。3月28日、国連安全保障理事会はPKOの中立の原則から踏み出し、武装勢力への攻撃を任務とする部隊の創設を全会一致で認めた。3,000人規模この新設部隊は、7月中旬までには、部隊の展開を完了する予定である。

「国連攻撃軍の活動が本格化すれば、確かに状況は変わるでしょう。」「国連攻撃軍がM23を攻撃した場合、(北キヴ州)マシリとルツル地区の治安状況が悪化し、同地からウガンダに逃れる難民の数がさらに増えることが予想されます。」とUNHCRゴマ事務所のクアシ・ラザール・エティエン所長はIPSの取材に対して語った。

6月20日、ルワンワンジャ難民キャンプで国連が定めた「世界難民の日」の記念行事が行われる中、コンゴ民主共和国政府は数百名規模の国軍兵士と戦車部隊をM23との勢力境界線に沿って展開し、反乱軍に対する攻勢を伺う構えを見せた。

コンゴ政府と反政府勢力間の和平交渉は、大湖地域国際会議(ICGLR議長のヨウェリ・カグタ・ムセベニ(ウガンダ)大統領の仲介で、カンパラにおいて行われてきたが、合意には至っていない。

「もし和平交渉が頓挫し、国連攻撃軍が武装勢力、とりわけM23に対して攻撃を加えるような事態になれば、ウガンダに向けて大量の難民を生み出すことになるでしょう。」とエティエン所長は語った。

オックスファム・インターナショナルのDRC人道プログラムコーディネーターのタリク・リーブル氏は、IPSの取材に対して、「北キヴ州各地で発生している戦闘で、家を追われる人々が後を絶たず、また、戦闘に巻き込まれる懸念があることから、人道援助団体も支援を必要としている人々のところまで援助の手が届かないのが現状です。」と語った。

またリーブル氏は、「この20年間、コンゴ東部は絶えず戦火に巻き込まれ、住民は先が見えない苦境に喘いできました。現在北キヴ州には900,000人以上が国内難民として各地の難民キャンプに身を寄せていますが、彼らのニーズを満たせるだけの資金が不足しているのが現状です。」と指摘したうえで、「難民の人々は、安全と保護、そして清潔な水、保健サービス、避難施設、食料を含むベーシックニーズへのアクセスを緊急に必要としています。」と語った。

ガブリエル・セルトックさん(75歳:上のカウボーイハットを被った写真の人物)は、コンゴ民主共和国で、伝統舞踊の踊り手として生計をたてていたが、ある日、兵士が彼の家に乱入し発砲したことから、家を飛び出し、裸足で3日間彷徨した末にウガンダの難民キャンプにたどり着いた。彼の写真もUNHCR主催の写真展の一部を構成している。

セルトックさんは当初妻と2人の子どもを連れて逃避行をはじめたが、途中ではぐれてしまい、今では難民キャンプで一人暮らしをしている。彼は、大切にしている7年物のカウボーイハットとネービージャケット、ベージュ色のTシャツ、そして4年前に市場で買った茶色のズボンといういでたちで、住み慣れた家を後にした。

「ある日、私がこの服を着ているとき、戦争が勃発しました。」「兵士たちは私の財産をすべて奪っていきました、服も、牛も、そして家もです。今は何もありません。私は故郷へは帰れません。どうしてかって?それは生活を立て直すにもそこにはもはや何もないからです。帰ったってしょうがないではありませんか。」とセルトックは語った。

翻訳=INPS Japan

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国連、放射線被ばくの健康への影響を過小評価

【国連IPS=ジョージ・ガオ】

残留放射線が地元住民に及ぼす影響について不正確な見解を示したとして、国連が医療関係者や市民社会からの批判にさらされている。

科学者や医者らが先週、国連のトップ級と面会し、日本およびウクライナにおける放射線の影響について議論した。国連は、国際原子力機関(IAEA)世界保健機関(WHO)原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEARなど複数の機関を、この問題に対処する機関として指定している。

UNSCEARは5月、2011年の福島第一原発事故後の放射線被ばくによる「健康上のリスクはただちにはなく」、長期的な健康上のリスクは「ありそうにない」との見解を発表した

この報告を受けて、批判的な見解を持つオーストラリアの医師ヘレン・カルディコット氏は「愚かなことだと思う」と述べた。

「実際に健康上の影響は出ており、多くの人々が、鼻血、髪の毛が抜ける、吐き気、下痢などの急性放射線障害にかかっています。」とカルディコット氏はIPSの取材に対して語った。

UNSCEARの報告書は2月のWHO報告に続くもので、こちらの方も、長期的な調査が必要だとしつつも、福島第一原発事故後の健康上のリスクは低く、がん罹患率も通常通りであろうと予測している。WHOはその代わりに、結果として人々に与えられた心理上の被害を問題視している。

医学的に見れば不正確であるにも関わらずUNSCEARやWHOがなぜそのような見解を示したのかという点についてカルディコット氏は、原子力推進機関であるIAEAに原子力事故の調査を行う権限を与えた1959年のWHO・IAEA協定の存在を指摘した。

2011年に『ガーディアン』紙のジョージ・モンビオット氏と論争したカルディコット氏は、「WHOはIAEAの侍女のような存在にすぎない」と語った。モンビオット氏は、原発は火力発電に現実的に代替しうるものだと主張していた。

カルディコット氏は、WHO・IAEA協定について「これは一般の書物でも言及されず、人びとにもあまり知らされていないスキャンダルだ」と指摘した。

国連総会が2006~16年を「被害地域の回復・持続可能な開発の10年」と定めた際、1986年のチェルノブイリ原発事故によって影響を受けた地域を原状復帰するために「開発アプローチ」が必要だとしていた。

国連の行動計画は2005年の「チェルノブイリ・フォーラム」における科学的研究を基礎にしていた。同フォーラムは、国連加盟国のベラルーシ、ロシア、ウクライナに、IAEAの専門家、世界銀行グループやWHO、UNSCEARなど世界でもっとも影響力をもつ開発関連7機関からの専門家を交えて開催したものであった。

「チェルノブイリ・フォーラム」は、チェルノブイリ原発事故は「低線量被ばくの事件」だと指摘し、「汚染地域に住む圧倒的多数の人々は放射線被ばくによる負の健康上の影響を受けるとはほとんど考えられず、現在の居住地において安全に子育てができる。」としている。

カルディコット氏はWHOについて、「彼らはチェルノブイリ原発事故について何らの調査も行わず、単に推定を行っただけです。」と指摘したうえで、別の見方を示したニューヨーク科学アカデミーによる2009年の報告に言及した。

ウラン採掘による被ばく

IAEAは、原子炉の燃料となり核爆弾の製造に使われる天然資源である「ウラン資源の安全で責任を持った開発」を推進している。

インド東部ジャドゥゴダ(ジャールカンド州)のホー族住民、アシシュ・ビルリーさんにとっては、彼の居住地における安全なウラン採掘など、あまりにも実態からかけ離れた夢物語である。彼が状況を記録するために撮ってきた写真からもわかるように、放射線被ばくが、地域住民の健康に悪影響を及ぼしているのは明らかである。

学生で報道写真家でもあるビルリーさんは、鉱滓池の近くに住んでいる。ここは、「インド国営ウラン公社」が操業するウラン精製工場からの放射性廃棄物で満たされている。

「肺がん、皮膚がん、腫瘍、先天的奇形、ダウン症、精神遅滞、巨頭症、婚姻したカップル間の不妊、サラセミア(貧血)、胃壁破裂などの珍しい先天的欠損症などは、この地域ではよく見られる病気です。」とビルリーさんはIPSの取材に対して語った。

政府がこの問題を無視しているというビルリーさんは、「我々はまるでモルモットのようです。」「私は毎日のように、放射性被ばくを経験しているし、人々がどのように苦しんでいるのかを目の当たりにしているのです。」と語った。

核実験による被ばく

冷戦期のソ連は、現在のカザフスタンにあるセミパラチンスク実験場で456回にわたって核実験を行った。

IAEAは、「調査団とその後の研究によって集められた情報から判断すると、カザフスタンにおける核実験を直接の原因とする残留放射能はほぼ全ての地域においてほとんど、あるいは全く存在しないことを示す十分な証拠がある。」と主張している。

しかし、このIAEAの見解は、セミパラチンスク周辺に実際に住んでいる人々のそれとは異なるものである。包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会によると、「ガンから性的不能、先天的欠損症、その他の奇形に至る、数多くの遺伝子障害や疾病は、核実験に起因するものと考えられる」という。

「かつての核実験場近くの最大の都市であるセメイにある地域医療研究所には、突然変異に関する博物館すらあるぐらいだ。」とCTBTOは指摘している。

核問題に43年間に亘って取り組んできたカルディコット氏は、「ガンマ線であれアルファ線であれベータ線であれ、放射線が行うことは、細胞を死滅させるか、DNA分子の生化学的組成を変えてしまうことです。」と指摘したうえで、「ある日、細胞が不規則な形で分裂し始め、文字どおり、数兆個もの(突然変異した)細胞を生み出す。それがガンなのです。」と語った。

「放射線に被ばくしたとは自分では気づかないものです。また、食事の中に放射能があるとは味や見た目ではわかりません。そして仮にガンが発達したとしても、もちろんその由来についてはわからないのです。」とカルディコット氏は付け加えた。

ハドソン川のフクシマ

他方、ニューヨーク国連本部から川上50キロのところにあるインディアンポイント原子力発電所にある2基の原子炉について、新規の免許取得が目指されている。このことは、この地域に居住し働いている国連の193の加盟国の外交官にとっては、健康や放射能の問題がより身に迫ったものとなるだろう。

2本の断層の上に乗っているインディアンポイント原発は、地震と津波によって引き起こされた日本の福島第一原発事故を引き合いに、「ハドソン川のフクシマ」と呼ばれている。

しかし、福島第一原発とインディアンポイント原発にはいくつかの違いがある。「ハドソン川スループ・クリアウォーター」の環境問題ディレクターであるマンナ・ジョー・グリーン氏は、「福島第一原発は海岸沿いに建設されており、(事故発生時の)風の状態がよかった。もちろん、残留放射能は依然として大きな被害を引き起こしているが、(事故発生時)放射能の大半は海の方向に流されたのです。」と語った。

しかし、ニューヨークの風は、放射能を含んだ雲を北から南へ、東から西へと流す。「(100キロ)以内に2000万人が住んでおり、インディアンポイント原発と、最も近い海との間には900万人がいるのです。」とグリーン氏はIPSに取材に対して語った。

「もしインディアンポイント原発に問題が起これば、放射能は南東方向に向かって流れ、大西洋に到達する前に何百万人に影響を及ぼす可能性が非常に高い。」とグリーン氏は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan