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国連の査察機関、2003年以前のイラン核兵器研究について詳述する

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【ワシントンIPS=バーバラ・スラヴィン】

イランの核開発疑惑に関する最新の国際原子力機関(IAEA)報告書は、2003以前にイランが核兵器製造に関する幅広い研究を行っていたとする有力な証拠を提供している。しかしその後どの程度作業が継続されたかについては明確に示していない。

IAEAは11月8日、10以上の加盟国やイランの核開発事業に関与したことがある外国人科学者から提供された情報を含む「幅広い独立情報源」を引用しながら、「イランは、1990年代末から2003年まで、『核起爆装置の開発に関する』様々な活動を行っていた。」と述べた。

 通常のIAEA報告書に添付された14ページに亘る付属文書に詳述されている内容は、IAEAや国際社会がイランに対して、(核兵器開発疑惑に関する)より明確な回答や、核関連施設への一層のアクセスを要求するうえで、十分な攻撃材料となるものである。しかし、イランが実際に核兵器を製造したことを示すものは、記されていなかった。
 
今回のIAEA報告書には、新たな情報として、「イランは、核弾頭製造に必要なウランメタルの製造実験や、高性能爆薬を使った起爆実験、さらに中距離弾道ミサイル(ハジャブ3)に装着する小型核弾頭の研究を行った。IAEAが入手した衛星写真によると、イランはテヘラン郊外の(パルチン軍事)施設に、起爆実験を行うための鋼鉄製大型コンテナを設置している。」と記されている。

「こうした活動は、核不拡散条約(NPT)の規定の下で平和的な核利用に専念するとしてきたイラン自身の公約に違反するものであり、イランには説明責任がある。」とIAEAは主張している。

一方報告書は、イランが、ナタンツにウラン濃縮工場、さらにアラクに重水製造プラントと原子炉の建設を進めていることをIAEAに説明し、少なくとも一時的に核開発計画を停止したとされる2003年以後の状況については、あまり触れていない。

この点について報告書は、「IAEAがイランの核開発の状況を把握できる能力は、2003年末以降、イランに関する情報入手がより困難となったため、限定的なものとならざるを得なかった。」と認めている。

従って、IAEA最新報告書の内容は、批判が強い2007年の米国家情報評価(NIE)の内容に概ね一致するものである。NIEは、米政府の各省庁にまたがる16情報機関が、外交安全保障の主要課題について総意をまとめたもので、2007年半ばの段階で、イランが核兵器計画を再開していない見込みは「中程度の信頼性がある」と分析していた。

今回のIAEA報告書を受けて、早速保守派グループは、イラン中央銀行に対する制裁と「全てのオプション‐つまり軍事攻撃を意味する‐」を視野に入れた、より厳格な対策を新たにイランに対して講じるべきとの要求をはじめた。

主要ユダヤ組織会長会議のリチャード・ストーン議長とマルコム・ホーンライン副議長は、「(IAEA報告書によって)核兵器開発に関するイランの意図や方向性について、もはや疑念の余地はなくなりました。イランは核兵器開発を急速に進めているのです。」「報告書の内容は明らかであり、『全てのオプション』を含んだ迅速、かつ包括的な対応策を求めています。」と語った。

しかしイラン核開発計画に関する主要な側面については、何年も前から知られているものであり過去のIAEA報告書においても議論されてきている。

元IAEAの査察官で、現在は、米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)の所長を務めるデイビッド・オルブライト氏は、IPSの取材に対して、「『イランに対する圧力が功を奏し』、IAEAが『構造化された』プログラムと呼んでいた核兵器開発を、イランが2003年段階で停止していたとの新たな証拠に接し、勇気づけられました。イランが自国のミサイルに装着可能な信頼性が高い核弾頭の開発に成功しなかったと知ることは、重要なことです。なぜならその時点で実際に開発が停止していたということは、私たちの立場をずっと安泰なものにするからです。」と語った。

さらにオルブライト氏は、「しかし、イランは核兵器の製造方法やそれを信頼性の高いものにするために克服しなければならない問題点も知っているのです。」と付加えた。

報告書の主張の中で、2003年以降のイランによる核開発疑惑とされる部分については、論拠に乏しいものである。例えば、「イランは2004年以降に、核爆発につながる連鎖反応を引き起こすために必要な『中性子起爆装置』の製造を試みた。」との情報を提供したのは、IAEA加盟の僅か匿名の1か国にすぎない。

また、「イランは2008年と2009年に、信頼性が高い核爆弾を製造するための次のステップとなる、核装置のコンピュータ・シュミレーション(通常の爆破による衝撃波が、核装置の中核部にある球状燃料をどのように圧縮するかを検証するもの)を行った」との情報提供をおこなったのは、IAEA加盟の匿名の2か国であった。

「新たに詳述された報告が含まれているものの、今回の報告書が伝えている全体像は、以前に聞いたことがあるものばかりです。(核兵器開発の兆候を示す)新たな場所だとか実験分野に関する情報は全く示されていません。」と、軍備管理協会のダリル・キンボール事務局長は語った。

この報告書はIAEA理事国(35ヶ国)に配布され、まもなく内容がメディアにリークされた。これに対しイランは現時点では反応を示していない(その後、マームード・アフマディネジャド大統領は、「イランは核兵器を必要としない。IAEAの報告は米国の主張の代弁に過ぎない。イランは核計画で絶対後退しない。」(イラン国営放送)と反論した:IPSJ)。イランは過去においても、IAEAが調査をある程度実施していることは認めつつも、「偽造文書を根拠にイランと対峙している」としてIAEAを非難したことがある。

バラク・オバマ政権は、報告書の内容を慎重に検討し、対イラン制裁のさらなる強化を含めて、外交的解決に一層努力していく意向を表明した。
 
この報告書の中で最も憂慮すべき個所は、保障措置の対象となるイランのウラン濃縮施設について記された冒頭の部分であった。報告書は、「イランはゆっくりではあるが着実に核濃縮作業を継続しており、今日では既に5%まで濃縮したウラン235を5トン近く、そして20%まで濃縮したウラン235を74キロ近く保有している。この備蓄量は、兵器級ウラン(濃縮度90%以上)に変換された場合、核爆弾数個を製造するに十分な量である。」と指摘している。

報告書は翌週に予定されているIAEA定例理事会を前に発表された。これをうけて同理事会は紛糾することが予想される(同理事会は18日、イランに対し核兵器開発疑惑の解明を強く求める決議を賛成多数で採択した。しかし欧米が主張した国連安全保障理事会への付託や、イランに対する強い非難は、ロシアと中国の反対で見送られた:IPSJ)。

「最も重要なことは、イランが核兵器開発疑惑について明らかにすることです。もしイランがこれに取り組むならば、核濃縮活動がこれほど問題視されることもなくなるでしょう。」とオルブライト所長は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のシェイク・アブダッラー・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン外務大臣によると、湾岸協力会議(GCC)の全加盟国(アラブ首長国連邦・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビア)は域内経済ブロックを創出すべく共同して経済システムの構築を進めており、来年までには成果を出したいと考えていると語った。

アブダッラー外相は12月6日・7日にアブダビで開催予定のGCC首脳会議に先立って開かれた第117回閣僚級会合の開会式で挨拶に立ち「今日私たちは、GCC各加盟国の国境の枠を超えて湾岸地域全体にとって脅威となっている諸問題に直面しており、問題解決には加盟各国が積極的に意見交換し健全な対応策が練られる必要がある。そのためにもGCCを通じて湾岸諸国として統一したアプローチがはかられる必要がある。」と語った。

同閣僚会議には他のGCC加盟国から外務大臣が出席した。

「湾岸地域は現在様々なデリケートかつ複雑な政治問題に直面しており、私達は地域及び国際情勢さらに各加盟国の指導者の意向を踏まえながら議論を尽くして問題解決のための共通の立場を見いだしていく必要があります。」と同外相は語った。

今回の閣僚級会合で協議された政治議題は、パレスチナ問題、イランが実効支配中でUAEが直接交渉か国際司法裁判所を通じた平和的な解決を求めているUAEの3島(大・小トンブ島とアブムサ島)領土問題、レバノン、イラク、スーダン、ソマリア問題である。また同会議では、バーレーンが提案している包括的GCC長期開発計画(2010~25)や域外諸国や他の経済ブロックとの自由貿易交渉、関税同盟、統一した都市開発戦略、災害対策センター構想、メディア戦略、イエメンとの協力問題、その他、閣僚級委員会から提出された報告や勧告について協議が行われた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|日中関係|環境対策で変貌を遂げたアジアの二都物語

【大連IDN=浅霧勝浩】

中国東北部の遼寧省に位置する大連市と、日本の北九州市は、公害抑制と環境浄化に、ともに積極的に取り組んできた自治体として知られている。かつて1960年代から70年代にかけて、両都市は、重化学工業を中心とする工場から排出される産業公害により、深刻な環境汚染に直面していた。しかしその後大きな変貌を遂げ、今日では、持続可能な開発のため、地球温暖化抑制にも協力して取り組むまでになっている。

従って、2007年、2009年、2011年の夏に世界経済フォーラム「ニュー・チャンピオン年次総会」の開催地となった大連市が、今年10月19日から26日にかけて、「第1回低炭素地球サミット2011(LCES-2011)」をホストしたのは驚くにあたらない。

TTA Delegation after the welcome Ceremony/ Katsuhiro Asagiri
TTA Delegation after the welcome Ceremony/ Katsuhiro Asagiri

 
「サマーダボス会議」としても知られる「ニュー・チャンピオン年次総会」は、アジアで最も著名なビジネス会合であり、中国政府との密接な協力、とりわけ温家宝国務総理の強力な後押しを得て、2007年に設立された。

第1回低炭素地球サミット」は、中国国家外国専家局情報研究所中国国際貿易促進委員会大連市分会が共催し、「エコ経済をリードし、調和した自然に戻ろう」というテーマのもと、8日間に亘って開催された。主催者の発表によると、中国のほか米国、カナダ、ドイツ、インド、日本など57カ国から専門家や企業代表者、政府関係者など4,000人余りが参加した。
 
低炭素経済」に移行する必要性は、とりわけ2009年にコペンハーゲンで開催された国連気候変動枠組条約第15回締約国会議(COP15)以来、国際社会で広く認識されてきているが、大連の「低炭素地球サミット」の重要性は、まさに「低炭素経済」と産業について、研究者、企業代表者、政府関係者など幅広い分野の専門家が情報交換をし、地球温暖化防止への課題解決に向け、多角的な議論を行うプラットフォームを提供したことであった。

Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons
Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons

インドから参加した、アミティ大学地球温暖化生態学研究所のJ.C.カラ事務総長は、数名のサミット参加者の感想を代弁して、「かつてマハトマ・ガンジーが『地球はすべての人間の必要を満たすのに十分なものを与えてくれるが、貪欲は満たしてくれない。』と述べたように、低炭素社会の実現を目指すこのサミットは、極めて重要な試みだと思います。」と語った。


グリーン・エコプロジェクト

日本から参加した東京都トラック協会(大髙一夫会長)の遠藤啓二環境部長は、環境分野における日中協力の歴史を踏まえて、中国やその他の国々においても効果が期待されている「グリーン・エコプロジェクト」に関する発表を行った。
 
グリーン・エコプロジェクトには、4つの重要な側面があります。すなわち、①持続可能性、②コスト削減、③収拾したデータの正確性、そしてなによりも、④ドライバーの『やる気』を持続する活動であるという側面です。また重要な要素として、プロジェクトにはエコドライブ教育が組み込まれています。優良ドライバーの会社はトップランナーとして表彰され、やる気を引き出すよう配慮されています。またプロジェクトには上司もドライバーと同等の立場で参加し、1年間に7回のセミナーが提供されています。」と遠藤氏はサミット参加者に語りかけた。

また遠藤氏は、エコプロジェクトの成果について、「プロジェクトへの参加企業数は増加し続け、2011年7月時点で、530社以上の企業と12,214台以上の車両が参加しています。加えて、燃料消費もこの4年間で減少しました。それは、546台の大型タンクローリーに積載できる量に匹敵し、金額に換算すると1,440万ドル(1,000万ユーロ)に相当します。」「この省エネで、22,888トンのCO2排出削減がなされました。これは杉の植樹に換算すると1,635,000本に相当します。また交通事故も4年間で4割減少しています。」と報告した。

その上で遠藤氏は、「このプロジェクトは、国民経済の面だけでなく、社会全体に対しても大きな成果を上げていると言えます。」と結論付けた。そして、「次のステップは、各車両タイプ毎に、省エネデータベースを構築することです。」と今後の抱負についても語った。

Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA
Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA

日本では、デジタルタコグラフやドライブレコーダーのように、エコドライブをサポートする多くの先進的な装置が利用可能である。しかし、遠藤氏が発表の中で強調したように、グリーン・エコプロジェクトの最大の特徴は、巨額の投資も高度な技術も必要としない点にある。必要なのは、「運転管理シート」と呼ばれる1枚の紙と鉛筆だけである。これだけで、環境を守り、燃料コストを削減し、交通事故を減らし、従業員間での意思疎通の円滑化を図れるのである。
 
米国から参加した石油探索企業大手シュルンベルジェ株式会社のムルタザ・ジアウディン顧問は、遠藤氏の発表について、「良い政策決定を行う上で最も重要なことは、正確なデータを集めることです。しかし代表値を得るのは至難の業です。多くの場合、データ集積のプロセスは必要以上に複雑になりがちで、参加もなかなか得られないものです。遠藤氏が紹介した『グリーン・エコプロジェクト』の優れている点は、それがシンプルでありながら極めて効果的だということです。すなわち、このプロジェクトでは、代表値の集積が可能なだけでなく、適切に参加者の『やる気』を引き出す仕組みが出来上がっており、プロジェクトに関わる全ての人々に満足できる状況(win-win situation)を創出している点が素晴らしいと思います。」と語った。

日本から参加した株式会社アスアの間地寛社長はIDNの取材に応じ、「このプロジェクトは、高価な機器を利用することなく、紙とペンがあればすぐに取り組めることを考えると、中国や他の国々でも十分応用が可能だと思います。」と語った。

また間地氏は、「遠藤氏が講演の中で指摘した通り、グリーン・エコプロジェクトは、小さな取り組みでも大勢で取り組めば、環境対策において大変大きな成果が得られるという良い事例だと思います。」と付け加えた。

日中環境協力

また、北九州市出身の間地氏は、「『第1回低炭素地球サミット』の会場を大連市としたのは、適切な選択だと思います。」と語った。大連市は、戦前は(1906年から日本が太平洋戦争に敗れた1945年まで日本の満州経営の中核となった)南満州鉄道株式会社の本社が置かれていた場所であり、戦後は北九州市と門司港を通じた長年に亘る交流の歴史を持っている。一方、大連市とその周辺地域には、20世紀、とりわけ戦争史の観点から、日中両国による重要な史跡が点在する地域である。

日中環境協力に関する報告書によると、大連市は1979年5月に北九州市と姉妹都市提携を結んだ。以来、大連市環境保護局と、北九州市環境保護局並びにKITA((財)北九州国際技術協力協会)は、交流を深めてきた。「大連市からの環境保護研修生は、北九州市で環境保護に関する認識を深めるとともに、関連分野の技術や管理スキルを大いに高めて帰国した。」と報告書に記されている。

1997年、橋本龍太郎首相(当時)は、日中国交正常化25周年の節目に訪中した際、環境保護分野における日中協力の推進(「21世紀に向けた日中環境協力」構想)を提唱し、その一環として「環境対策モデル都市」を中国国内に1つか2つ選定するよう中国側に提案した。

李鵬国務院総理(当時)は、橋本提案を支持し、日中環境協力は国レベルで推進されることとなった。報告書には、「(自治体レベルで日中環境協力を従来から進めてきた)大連市は、北九州市の支援を得て積極的にキャンペーンを展開し、『環境対策モデル都市』の一つに認定されることに成功した。」と記されている。

国際協力事業団(現独立行政法人国際協力機構:JICA)は、1996年から2000年まで「大連環境モデル地区計画」(北九州市が提案しJICAが共同で実施)を支援した。日中の専門家は、この開発調査事業を通じて、大連市の環境改善計画のマスタープランとなる「環境モデル地区開発調査報告書」を共同で策定した。

「モデル地区」開発事業は、大連市の環境改善に貢献したのみならず、報告書が指摘しているように、環境保護に取り組む企業にも恩恵を与えるものであった。

この日中環境協力パートナーシップにとって、幸いだったことは、北九州市が、東京都と上海市のちょうど中間に位置し、公害抑制とリサイクル技術において日本で最も先進的な自治体であったことである。事実、北九州市は「世界の環境首都」を自認している。

北九州市は、1960年代、外で干していた洗濯物がいつも黒く汚れることに危機感を抱いていた戸畑区三六町の主婦たちが立ち上がった、戦後日本で最初の公害反対運動が起こった地でもある。今日、北九州市は、大連をはじめとした姉妹諸都市に対して、水質浄化に関する助言を行っている。
 
1992年、北九州市は、ブラジルで開催された地球環境サミットにおいて、それまでの環境問題への取り組みが評価され、世界各地の11の自治体と共に「国連地方自治体表彰」を受賞した。また日本国内においても、若松区に北九州エコタウンを建設し、環境対策及びリサイクルへの取り組みにおいて最も先進的な取り組みを進めている。

Green Eco Project
Green Eco Project

また北九州市には、北九州国際会議場と西日本総合展示場を擁する「西日本産業貿易コンベンション協会」があり、とりわけ環境や教育に関する国際会議を積極的に開催している。また、八幡東区にはスペースワールドというテーマパークや、JICAが運営する研修施設(JICA九州国際センター)がある。

こうした北九州市の足跡について、経済協力開発機構(OECD)は、「『灰色の街』から『緑の街』へ変貌を遂げた都市」として高く評価し、国際社会に紹介した。一方大連市も、2001年、北九州市との長年に亘る環境協力の成果が評価され、中国の都市では初めて、国連環境計画(UNEP)の「グローバル500」を受賞した。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

グリーン・エコプロジェクトホームページ

SDGs for All
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女性をとりまく深刻な人権侵害の実態が明らかになる

【ベルリンIDN=ユッタ・ヴォルフ】

新たに発表された女性・女児の保護状況に関する報告書によると、性的暴行、差別、人身売買、性的搾取等の人権侵害に晒されるリスクが「極めて高い」国は、全世界197カ国のうち、実に40%以上に及んでいる。

リスク分析を専門とするメイプルクロフト社が出した「女性・女児の人権インデックス(WGRI)」によると、「極めて高い」に分類された国は80カ国で、その内訳は、サブサハラアフリカ地域の33か国、ほぼ全ての中東諸国、北アフリカ地域、及び多くの新興経済国であった。

 その中で「リスクが最も高い」10カ国は、イラン、スーダン、ソマリア、シリア、コンゴ民主共和国、サウジアラビア、アフガニスタン、ブルンジ、ハイチ、ナイジェリアであった。

一方、対極の「リスクが低い」と分類された国は、デンマーク、ベルギー、スウェーデン、カナダ、ニュージーランドを含む全体の僅か5%であった。しかしながら、これらの国々においてさえも、いわゆる名誉関連の犯罪や強制結婚を含む人権侵害は依然として残っている。

また、経済成長が著しい新興経済国において、女性や女児の人権侵害事件に、現地に進出している多国籍企業が巻き込まれるリスクが高い。それに該当する国々は、ナイジェリア、バングラデシュ、パキスタン、フィリピン、中国、エジプト、メキシコ、ロシア、インドネシア、インド、トルコで、いずれの国もWGRIで「極めて高いリスク」に分類されている。

これらの国々で、治安機関その他の関係者による人権侵害に多国籍企業が巻き込まれるケースとしては、性的暴行、雇用上の差別、児童労働、人身売買と性的搾取が挙げられている。
 
WGRIは、重要な調査結果として、石油掘削事業や鉱山、プランテーションといった価値が高い資産を守るために多国籍企業が雇用した、国の或いは民間の治安要員の行状について、言及している。

英国に本拠を置くメイプルクロフト社は、地下資源が豊富なコンゴ民主共和国(DRC)、コートジボワール、シエラレオーネ、ミャンマーを含む政府の統治体制が脆弱な国において、治安要員による強姦事件が頻発している現状に言及している。

WGRIに5年連続で「極めて高いリスク」とランク付けされた国々においては、多国籍企業が、女性の人権侵害事件に巻き込まれるリスクが特に高い。2011年7月、国連の調査ミッションは、コンゴ民主共和国国軍(FARDC)の兵士たちが、2011年の1月から2月にかけて北キブ州マシシ地方のブシャニ村とカランバヒロ村において、1人の未成年者を含む47人の女性に対して、強姦を含む性的暴行を加えていたことを明らかにした。

伝達環境が整っていないことから、これらの国における性的暴力事件に関する正確な数値を得ることは困難であり、数値があったとしても情報源によって様々である。とはいえ、2011年5月、「アメリカ公衆衛生ジャーナル」は、コンゴ民主共和国(DRC)では毎日1,152人の女性と女児が強姦されていると報告した。一方、国連人口基金(UNFPA)は、DRCで過去5年間に強姦された女性と女児の数を20万人と報告している。

性器切除(FGM)を含む人権侵害に最も晒されやすいのが思春期の少女達である。世界の思春期の少女達が置かれている状況に関するデータを集積したウェブサイト「Girls Discovered」(メイプルクロフト社、ナイキ財団、国連財団が共同開発)の2011年版データによると、サブサハラアフリカの多くの国では、FGMを含む様々なジェンダーに基づく暴力が頻発している。例えば、シエラレオーネ、ソマリア、ギニアといった国では、少女の80%から90%がFGMを経験している。

「男女平等の実現は基本的人権であり、開発において最も重要な部分です。企業は、自らのサプライチェーンを通じて、注意深く人権状況をモニタリングし、そうしたリスクを特定・緩和することで重要な役割を果たすことが可能なのです。また企業は、市民社会や国際機関、各国政府とも積極的に協力して、女性や女児の人権擁護を促進するプロジェクトを支援することもできます。」とメイプルクロフト社の分析官であるシオブハン・トゥオヒースミス氏は語った。

「女性・女児の人権インデックス(WGRI)」は、2011年12月10日の「国際人権デー」に発表される予定の年次報告書「人権リスクアトラス第5版」に用いられている23の指標のうちの一つである。この年次報告書は、メイプルクロフト社が、多国籍企業が事業やサプライチェーンを通じて、人権侵害に関与する潜在的なリスクを監視するツールとして開発したものである。

最新のインデックスを見ると、世界全体では、僅かながら女性と女児を取り巻く状況が改善しているのが分かる。つまり、「極めて高いリスク」と次のランクの「高いリスク」のカテゴリーに分類された国が、昨年は156カ国であったのに対して今年は144カ国と8%減少している。しかし本報告書を担当したリスク分析官によると、これはほんの僅かな改善に過ぎず、女性に対する暴力と差別は、引き続き新興経済国や開発途上国において深刻な問題であり続けている。

翻訳=IPS Japan

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|UAE|「砂漠のスーパースター3D」が初公開される

【アブダビWAM】

UAEで初めての3D作品となる映画「砂漠のスーパースター」がアブダビのシネロイヤルカリディアモールにおいて、シェイク・ディアブ・ビン・サイフ・アルナヒヤン殿下、シェイク・シャクブート・ビン・アルナヒヤーン殿下、モナコ公国のシャーロット王女の臨席を得て上映された。

この作品は11月30日まで毎日、デルマモール並びにシネロイヤルカリディアモールにおいて上映される予定である。

 作品は、ラクダのブリーダーとしても知られるシェイク・ディアブ・ビン・サイード・アルナヒヤン殿下の後援を得て、アル・ダフララクダフェスティバル(Al Dhafra Camel Festival)に参加する同殿下を追って撮影したものである。この35分間に及ぶドキュメンタリー映画は、カナダの映画製作会社「3Dカメラカンパニー」との協力のもと、ドバイを拠点に活動しているピエール・アブ―・チャクラ氏が監督した。

作品は、同フェスティバルの中でも最も重要なラクダ美人コンテスト(Al Dhafra Camel Beauty Pageant )の模様を収録しており観光客に対してUAEの砂漠に長年息づいてきた人々の生活と豊かな文化的伝統を紹介することを目的としている(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

|ウクライナ|戦争は選挙を引き起こし、金融危機は選挙を延期する

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【ブダペストIPS=ゾルタン・ドゥジシン】

グルジアとロシアの戦争はウクライナの政争を触発した。深刻な経済危機の打撃とグルジアとの違法な武器取引問題に直面しているウクライナでは、連立与党の崩壊により、次の選挙への思惑が錯綜している。 

親欧米の民主的なユーシチェンコ大統領の「我々のウクライナ」と、ティモシェンコ首相の勢力との対立が、8月のグルジア紛争以来、和解できない状況になっている。経済危機で早期選挙は保留となったが、大統領は来年の選挙で経済危機の責任を首相に負わせたい。

大統領と首相は1年にわたって権力闘争を続けてきたが、ウクライナは経済危機の影響をもっとも受けた国の一つで、国際通貨基金(IMF)は緊急融資を拡大しており、誰もが経済問題を優先すべきだと思っている。国民の80%は3年間で3度目の選挙に反対で、政治家には経済問題に集中してほしい。 

ティモシェンコ首相がグルジア紛争に沈黙し、黒海でのロシア艦隊の活動制限に反対していることを、次の選挙をにらんでロシアの経済的政治的支援を期待した裏切りだと、ユーシチェンコ大統領側は批判している。大統領はウクライナの自治共和国であるクリミアが次のグルジアになるのではないかと懸念している。 

一方で圧倒的に不人気の大統領は、グルジア支持をあまりに素早く表明してロシアとの不要な緊張をもたらしたと非難されている。大統領はグルジア大統領と個人的に親しい。ウクライナ最大の経済相手国であるロシアは、大統領のNATO寄りの姿勢に怒り、政府がグルジアとの違法武器取引を行っていると非難した。 

ウクライナ政府は武器取引を認めて合法性を主張したが、ウクライナ議会の特別委員会はその武器取引が不当に安価で行われ、大統領が関わっていたと断定した。ユーシチェンコ大統領はウクライナ保安庁(SBU)に武器取引を探っている個人の調査を命じている。 

ユーシチェンコ大統領は、ウクライナとグルジアがNATO加盟できないでいたことがロシアを強気にさせてグルジア紛争を招いたとし、早期に加盟を認めるべきだと主張している。だが12月にブリュッセルで開かれるNATOサミットにおいて、政府や議会が揺れ動いているウクライナが加盟を認められる見込みはない。 

グルジア紛争と経済危機の影響を受けるウクライナについて報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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|アルゼンチン|拉致政治犯の子ども、自らの経験を語る

【ブエノスアイレスIPS=マルセラ・ヴァレンテ】

軍事独裁政権時代(1976-1983)に拉致され行方知れずとなった人々の子どもたちのその後の人生を綴った本De vuelta a casa: Historias de hijos y niertos restituidos(帰宅:発見された子どもおよび孫の話)が11月、アルゼンチンで出版された。 

政治犯収容所で生まれたあるいは幼くして両親と共に拉致された後、子どものいない軍人や警察官夫婦に育てられた10人の心境告白を読めば、何故過去を捨て育ての親に背を向ける者がいる一方で、真実を知り肉親に会ってもなお育ての親の苗字を維持し、依然彼らを父さん、母さんと呼ぶ者がいるのか理解できるだろう。

 同本の著者アナリア・アルジェントは、「行方不明になった子どもたちの捜索を行ってきた人権擁護団体“マヨ広場のお婆さん”の活動は知られているが、我々は今では30歳を超えたこれらの子どもたちの本当の苦しみを理解できなかった。彼らの多くは心に葛藤を抱えており、自らの経験を話すことで解放された」と語る。また、同本により、身元に不安を感じている者も真実究明に乗り出すのではないかと話している。 

「マヨ広場のお婆さん」は、これまでに行方不明の子ども93人を探し出したが、真実を知らずに暮らしている者がなお400人いると予測している。 

両親と共に拉致され、その後軍将校夫婦に育てられたククラディア・ポブレーテは、「亡くなった両親の知り合いから話しを聞いて心の扉が開いた」と語った。しかし、彼女は、自宅軟禁の判決が下った育ての親と今も暮らしている。 

「マヨ広場のお婆さん」は、収容所で生まれ、警察官夫婦に育てられていたレッジャルド・トルサ兄弟の居所を突き止めた。当時10歳であった兄弟は、DNAや精神鑑定、長引く裁判を経験。兄弟の1人マシアスは、当時を振り返り「モルモットのようだった」と言う。彼は今でも育ててくれた女性を母と呼び、彼女のことを幸せな子供時代を過ごさせてくれた「人生の支え」と語っている。 

拉致されたウルグアイの労働組合のリーダー、ホセ・デリアの息子カルロスは、アルゼンチンの海軍大尉に引き取られた。カルロスは、同夫妻にとても可愛がってもらったと話す。今は亡き実父と同じ経済学者となったカルロスは、本当の親族と共に育ての親とも良い関係を維持している。「彼らのしたことは間違っていた。しかし、彼らが私を本当の子どもの様に愛してくれたのも事実だ。私の彼らに対する気持ちは変わらないし、背を向けることはできない」と語っている。 

軍事政権の犠牲となった子供たちの心の葛藤について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 


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凍てついた軍縮交渉再開のために(ジョン・バローズ核政策法律家委員会(LCNP)事務局長)

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【IPSコラム=ジョン・バローズ】

2008年以来、「核兵器なき世界」を実現することがいかに望ましいか、それがいかに必要かということが、とりわけ国連の潘基文事務総長や米国のバラク・オバマ大統領など、多くの人々によって声高に語られてきた。しかし、ジュネーブ軍縮会議(CD)は、こうした明確なレトリックの変化からは超然としており、依然として行き詰まりの中にある。

全会一致ルールによって運営されるこの会議は、すべての核爆発実験を禁止する合意のテキストを1996年に生み出してからは、何の交渉も行ってこなかった。

 何の成果も生み出さないCDに対する忍耐は切れつつある。国連加盟国は、10月の間、ニューヨークの国連本部で総会第一委員会に集い、多国間軍縮をいかに再び前進させるかについて、熱を帯びた実質的な議論を繰り広げてきた。そして、第一委員会は、12月初旬には総会で正式に採択されることになる2本の決議を可決した。これらの決議は、国連の中心的な使命のひとつを追求する責任をもつ機関としてのCDの停滞がもし今後も続くようならば、総会が前面に出るということを示唆している。

可能性のある行動は、国連総会が、CDが何らかの成果を出すまで、CDの外で全会一致ルールによらないプロセスを作り出す、というものである。オーストリア、メキシコ、ノルウェーがそのような提案を第一委員会で行い、過半数ではないがかなりの国からの支持を得た。提案によれば、作業部会が以下のような問題に取り組むことになる。核軍縮と「核兵器なき世界」の実現。非核兵器国に対する核兵器不使用の保証。兵器用核分裂性物質の生産禁止条約(FMCT)の交渉。宇宙の兵器化の防止。

これらテーマのすべてはすでにCDで取り扱われているものだが、65の参加国による作業をたった1ヶ国の反対によって止めてしまえる構造のために、うまく機能しなかった。加盟国の多数―その多くは「南」の諸国だが―は、完全なる核軍縮に関する交渉を優先してきた。しかし、安全保障理事会の五大国(中国、フランス、ロシア、イギリス、アメリカ)はこれを拒否した。1990年代、多数の国々は、軍備管理の歩みを止めないために、「FMCTについては交渉に入り、他の事項については討議に留める」という西側核保有国の立場をしぶしぶ受け入れた。だが、作業は始まらなかった。

パキスタンは、自国の核戦力を拡張する時間を稼ぐために、2009年以来、FMCTの交渉入りを阻止してきた。2000年代中盤には、交渉を止めていたのは米国だった。ジョージ・W・ブッシュ政権が、FMCTは検証不可能であるとの根拠なき立場をとっていた頃のことである。それより以前には、中国とロシアが、宇宙の兵器化防止の問題に関する交渉を同時に開始すべきだと主張して、米国の反対を招いていた。

交渉に成功した多国間軍縮条約の歴史は、「全会一致の罠」にはまらないようにすることの必要性を教えている。1963年の部分的核実験禁止条約(正式名:「大気圏内、宇宙空間及び水中における核兵器実験を禁止する条約」)と1968年の核不拡散条約(NPT)の場合は、核兵器を保有するすべての国家が交渉に参加したり、当初の条約加盟国になったわけではなかった。非参加国も遅れて参加するようになったのである。インドからの強い反対を押し切って1996年の包括的核実験禁止条約を採択したのは国連総会であり、CDではなかった。

[核戦力の]透明性と検証に関する不定期の会議を持つという初めての試みが、五大国によって2009年から始められている。これは歓迎すべき動きである。しかしこれは、将来の核軍縮交渉は、国連の場というよりも、核兵器国によってリードされる可能性を示唆している。これは望ましいことではない。なぜなら、世界的な賛同のみが生み出すことのできる正当性と実効性を欠いたゆるい合意ができるにすぎないからである。全会一致ルールによって麻痺したCDはこれまで15年間も機能してこなかったのだから、国連を中心としたプロセスこそ機能しなくてはならない。

コンセンサス形成に関する柔軟性に加え、同時にひとつ以上の多国間措置に取り組むアプローチが必要である。これが、オーストリア・メキシコ・ノルウェー提案のもうひとつのメリットである。米国とその同盟国は、「核兵器なき世界」の実現は漸進的なアプローチでなければならないとの立場を強固に保ってきた。しかし、FMCT交渉が終わらなければ他の多国間合意に取り組むことはしないと言えば、それは、核兵器の時代を終わらせる決定的な行動を無期限に先送りするということに他ならない。

FMCTの交渉には時間がかかる。発効となればなおさらである。さらに、五大国が現在考えているように、それはたんに将来の兵器用核分裂性物質の生産を禁止するに過ぎない。昔からの核大国である米国、ロシア、英国、フランスにはすでにして大量の兵器級物質の備蓄があり、FMCTの予定するような生産禁止では、これらの国々の軍事的能力にはほとんど何の現実的な効果ももたらさない。

したがって、漸進的なやり方はやめ、統合的かつ同時並行的に複数の軍縮措置に取り組むやり方を採らねばならない。諸国は、核分裂性物質の生産禁止、核兵器の不使用、核兵器の削減に関する同時交渉を行うか、あるいはその準備を進めるべきである。あるいは、それらをひとつの交渉の枠組みの中に包括することである。

もしCDが作業を再開する方途を今後も見出しえないとするならば、国連総会が責任を取り、軍縮への新たな道筋を切り開いていくべきである。(2011) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

※ジョン・バローズ氏は、ニューヨークに本拠を置く核政策法律家委員会(LCNP)の事務局長で、『核の混乱か協力的安全保障か―米国のテロ兵器、グローバル拡散の危機、平和への道筋』(2007年)の共編者。

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|中国|独身者のお見合いパーティーは益々必要となるだろう

【北京IPS=クラリッサ・セバグ・モンテフィオーレ】

1億8千万人の未婚人口を抱え、男女間格差が拡大し続けている中国では、11月11日の「独身デ

―」に合わせて、数万人の独身男女が多彩なお見合いイベントに参加した。しかしこうした活発な婚活イベントの存在自体が、かえって独身者を取り巻く環境が益々複雑で困難になっている中国社会の現状を浮き彫りにしているのかもしれない。

Singles looking for spouses at a match-making party in Shanghai. Credit: Nicola Davison/IPS
Singles looking for spouses at a match-making party in Shanghai. Credit: Nicola Davison/IPS

 中国では日付にある4つの「1」は、独身者を指す一般的な表現で、北京語では「光棍節(bare sticks day)」として知られおり、さらに今年が100年に1度の下二桁に「1」が2つ並ぶことから、特に縁起がよい「スーパー独身デー(11/11/11)」とされた。

上海中心部から西へ30キロの郊外にあるテムズタウン(富裕層向け英国風ニュータウン)では、1万人以上の独身者がお見合いパーティーに参加した。その3分の2は女性が占め、子どもの結婚を熱望する4000人の両親も会場に駆けつけていた。

このイベントを主催した上海結婚仲介協会の代表は、上海日報の取材に対して、「私たちは混乱を避けるため、登録を締め切らなければなりませんでした。」と語った。
 
また上海日報は、「参加者の大半は高学歴・高所得層で、相手にも自身に近い条件を求めたためにこれまで結婚相手を見つけられなかった女性たちである。」と報じた。

人口統計によると、中国は一人っ子政策とそれに伴う歪な出生率のために、2020年までには男性人口が2400万人も女性人口を上回るとみられている。

しかし中国の独身男性の大半は、貧しい農村に暮らしている。これは農村では、農地の労働力として、また両親の老後を世話する存在として、男児が女児よりも重視されているからである。2010年に実施された第6回国勢調査によると、出生時の男女比は女性を100とすると男性が118.6であった。

にもかかわらず、経済的に豊かな都市部においては、独身女性の数が増加している。これは、彼女たちの間で、夫探しよりも自身の職業やライフスタイルを優先する意識が強いからである。

金融の中心地上海では、独身女性の数は、成人女性人口の実に20%に及んでいる。

2010年の人口調査によると、上海における未婚女性の増加率(2.2%)はこの十年間で、未婚男性の増加率(1%)を上回っている。

モダンなライフスタイルにもかかわらず、こうした「剰女(=売れ残り)」(中国で一般に27歳以上の未婚女性を指して使われている侮蔑的な表現)達は、結婚を迫る家族からのプレッシャーに晒されている。また35歳を超える独身女性は、しばしば手に届かない存在という意味で「天高(high as heaven)」と言及されている。

富が成功の基準とされるこの国では、婚活に臨むこうした女性にのしかかるプレッシャーは益々大きなものとなっている。例えば、女性にアパートや車が提供できないような男性は、結婚相手としての候補にすらならないのである。

主催者の話によると、先述のテムズタウンのお見合いパーティーに参加していた女性で、最も多い年齢層は30歳から35歳であった。

「私は運命を信じているの。できるだけ早く私に合った運命の人と巡り合いたいわ。このイベントはそういった意味で私にとってはチャンスなの。」と劉さん(24歳の)は語った。彼女は「剰女」にならないように向こう数年で夫を探し当てたいと考えている。

「結婚へのプレッシャーは、両親からのものなの。今は、ブラインドデートが最も手っ取り早く効率的に男性に会う方法だわ。」と劉さんは語った。

一方北京では、2000人を上回る独身者が、ジェネリックシティセンター内の大きな部屋で、中国最大のオンラインデート運営会社「Jiayuan.com」(登録会員数4700万人)が主催したお見合いイベントに参加した。会場では、参加者をリラックスした雰囲気に和ませるプログラムとして『3分間スピードデート』や『ギネス世界記録、最も長いキスリレー』等が行われた。

主催者のQu Wei副社長は会場でIPSの取材に応じ、「今日では、多くの剰男・剰女が、家族や友人、社会からのプレッシャーにストレスを感じて暮らしています。参加者の多くは忙しすぎて、普段の生活の中で異性と出会う機会がないのです。そこで我々がカジュアルな雰囲気の中でこうした独身者同士が出会える機会を提供しているのです。」と語った。

粋なスタイルで参加していたキャリアウーマンの劉さん(33歳)は、来て見たもののあまり期待はしていないと語った。

「もしこれからデートするとしたら結婚を前提にしたものとなるでしょ。とりあえず参加してみたけれど、あまり過剰な期待はしていないわ。だって、悪い風評もたくさん聞いていますから。」

「私は30代の人間的に円熟した、生活が安定した男性を探しているの。最低でも専門学校を卒業していて、まともな経済基盤を備えている人。外見は気にしないわ。」

中国人民大学人口研究所長の段成荣教授は、既に2億人近くに達している中国の独身者人口は、さらに増加し続ける勢いだと指摘した上で、「将来、中国に独身者がずっと増えるというのは事実です。その最大要因は主に経済的なものといえるでしょう。今日、女性は、結婚の条件として、男性が既に家を持っていることを期待します。しかし一方で、そうしたプレッシャーには限界もあります。なぜなら、女性も、持ち家付の男性が見つからないといって永遠に独身を通すわけにもいかないわけですから。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【カンパラIPS/SNS=モーゼス・セルワギ】

ここは東アフリカのウガンダにある病院。ここでは、プライドと自尊心を喪失し、深いトラウマに苛まれている男性のレイプ被害者達が治療を受けている。彼らは、自らの身に降りかかったこの恐ろしい犯罪について、率直にその時の経験を語ってくれた。

John is one of the victims of male rape in the Democratic Republic of Congo who was brave enough to speak out about his horrifying experiences. Credit: Moses Seruwagi
John is one of the victims of male rape in the Democratic Republic of Congo who was brave enough to speak out about his horrifying experiences. Credit: Moses Seruwagi

「以前は、レイプというと被害者は女性のみだと思っていました。今となっては、私は自分自身が分からなくなってしまいました。肛門と膀胱に常に痛みを感じますし、特に膀胱は水が内部に溜まって膨れ上がっているように感じます。自分がもはや男性だとは思えないのです。自分が将来、子どもを儲けるかどうかも分からないのです。」と、コンゴ民主共和国(DRC)から逃れてきた27歳の難民男性(ジョン=仮名)は語った。彼は、内戦や部族間闘争が続くアフリカ大陸各地で数千人規模に及ぶと考えられている男性のレイプ被害者の一人である。

 2009年1月14日、ローラン・ヌクンダ司令官に忠誠を誓う反政府勢力(人民防衛国民会議:CNDP)がコンゴ民主共和国北キブ州のジョムバ村を襲撃した。そこで6人の少年を含み10人の村人を拉致し、略奪行為を強制したのち、ビルンガ国立公園のジャングルの中にある基地に連れ去った。ジョンはその際に拉致された少年の一人である。

「私たちは9日間捕らえられていました。その時、武装勢力の指揮官が私と性交渉したいと言い出したのです。私は何を言っているのか理解できませんでした。すると指揮官は私を縛り上げるように兵士に命令し私をレイプしたのです。そのあと、9人の兵士が入れ替わり立ち替わり私をレイプしました。私の下半身は血まみれになり、ショックで意識を失いました。こうした行為が9日間にわたって繰り返されたのです。他の拉致された人たちの運命も同じでした。そしてこの虐待で少年の一人は死んでしまいました。」とジョンは語った。

それから2年経過し、ジョンは数十人の男女レイプ被害者とともに、ウガンダの首都カンパラにある難民法プロジェクト(RLP)と呼ばれるトラウマカウンセリングセンターで治療を受けている。彼らは、DRC、スーダン、ソマリア、エチオピア、エリトレア、ブルンジなどアフリカ各地の紛争を抱えた国々より逃れてきたレイプ被害者である。

RLPは10年前に開始されたウガンダの名門校マケレレ大学法学部による福祉活動で、スタッフがレイプ被害者の治療と精神面のケアを行っている。トラウマカウンセリングセンターはオールドカンパラと呼ばれる市北部の丘の上にあるコロニアルスタイルの住居用建物にあるが、地元ウガンダではその存在がほとんど知られていないのがユニークな点である。

男性のレイプ被害者のケアを担当しているRLPのサロメ・アティム氏は、今年初めから受け入れた男性のレイプ被害者のケースが約30件、主に紛争地帯から逃れてきた人達だったと語った。「彼らは自らの経験について話をしてくれた数少ない人たちです。ずっと多くの被害者が重い口を閉ざしたまま苦しんでいるのです。」
 
犠牲者の多くは自分たちを助けようとしてくれている医者や医療従事者に同性愛者ではないかとのレッテルを貼られるのを恐れてレイプ体験について語ろうとはしない。例えばソマリアのようなイスラム教国におけるレイプ被害者は、社会から犯罪者としてのレッテルを貼られるのを恐れてしばしば自身の経験について語るのを拒否する傾向にある。

「多くのアフリカ社会では同性愛の問題はタブー視されているため、被害者のジレンマをより深刻にしています。しかし、カウンセリングの結果、中には自らの経験について話をしようと考える犠牲者もいるのです。」とアティム氏は語った。

「一般に同性愛に対する認識が低く、同性愛者の話は聞こうとしない傾向があります。また、男性同士の性交は一般に犠牲者が同意の上の行為だと考えられがちなのです。また彼らは病院に治療にいくと医者から『それではあなたは同性愛者なのですね。』と声をかけられさらに傷つくことになるのです。だから彼らは重い口を閉ざしてしまう。私たちは時間をかけて彼らが自らの経験について話せるようになるようにカウンセリングしているのです。」とアティム氏は語った。

アティム氏の患者(ピエール=仮名)はDRCのブカブ市の学生だった。しかし2004年のある日、彼の一家が住む地域を支配しようとしていた多くの民兵組織の内の一つが、彼の自宅を襲撃し、彼と父親、そして兄弟が民兵に輪姦された。

「兵士の制服を着た一団が私の家に入ってきました。彼らは父の手足を縛りあげました。彼らはまた、兄の服を脱がし、私に兄と性交するよう命令したのです。私は拒否しました。」とピエールは当時の状況を思い出しながら語っているうちに泣き崩れた。

アティム氏に支えられて気持ちを持ち直したピエールは、「彼らは私の服を脱がすと、私の性器を小枝の間に挟み、繰り返し叩きつけました。さらに私の両足を押し広げると兵士が一人づつ抑えつけた体勢で、残りの兵士が入れ替わり立ち替わりレイプしていきました。」と語った。

アティム氏によると、ピエールはRLPに入ったとき自殺願望が強い患者で、それ以来、専門医による精神面のケアを受けている。

男性をレイプという手法は、多くの紛争地帯において戦争遂行のための兵器として幅広く行われている。また、刑務所においても男性のレイプは行われている。しかし、女性のレイプに対する注目が注がれている影で男性へのレイプ問題はほとんど報道されていないのが現状である。知られていることは、こうした男性のレイプ被害者は、回復過程で恐ろしい諸問題に直面しているというということである。

野球帽で顔を隠して取材に応じてくれたジョンは、未だにレイプによる傷が治っていないことから歩くのに苦労しているという。「長い距離歩けば、肛門から血が流れ出してきます。また、キャッサバのような硬い食材を食べると、排せつ時に直腸が外に飛び出してくるのでトイレに行くのに苦労しています。」(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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