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│印パ関係│歴史的敵対関係を癒す食

【カラチIPS=ゾフィーン・イブラヒム】

もし人間の心をつかむのが胃袋を通じてであるならば、インドとパキスタンとの間の平和への道は、食文化の共通性の中に眠っているかもしれない。

パキスタンの著名なシェフ、ポピー・アガ(Poppy Agha)さんもそのような体験をした一人である。「インドのシェフが、オクラのケバブとビリヤーニ、そしてデザートにフィルニを出してきたときには、それまでインドに抱いていた不安や疑念が心の中で溶けていくのを感じました。」

アガさんは、食のリアリティー番組出演のために来訪していたニューデリーでIPSの取材に応じ、「私はとても愛国主義的な家庭に生まれ育ったので、インドに対しては、パキスタン特有の紋切り型な考え方を持っていました。でも、そういう考えは完全に変わってしまったのです。」と語った。

パキスタンでプロの調理師養成学校を経営しているアガさんはさらに続けて、「愛国的なパキスタン人であることを示すために、インド人を悪く考える必要などないのです。」と語った。

 インドのテレビ局「NDTVグッド・タイムズ」は、インドとパキスタン両国からシェフを招いて料理の技を競わせる「フーディスタン」を放映し、両国市民の熱狂的な支持を獲得している。つまり一つの番組が、この南アジアでライバル関係にある両国の民衆の注意を、核開発競争から料理バトルへと向けさせることに成功したのである。26回シリーズのこの番組では、インド・パキスタン両国から各8人の有名シェフが集い、アジア有数といわれるインドーパキスタンの食文化を、各々のお国自慢料理を通じて表現していった。

「料理は、人間の作った境界をいとも簡単に乗り越えることができるのです。その意味で、料理は国境を越えた友好関係を構築する素晴らしい手段になりえるのです。」と物理学者で平和活動家のパルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)氏は語った。

まさにそれこそ、この番組のプロデューサーが狙いとしたポイントである。

「NDTVライフスタイル」のスミータ・チャクラバルティ氏は、「インドとパキスタンは、音楽やクリケット、そしてもちろん、すばらしい料理という同じような情熱をたくさん共有しています。国境はたんに政治的に引かれたものであり、現実は、多くのやり方で、両国の人びとが同じように生き、考えているのです」とIPSの取材に応じて語った。

番組で審査員をつとめているVir Sanghvi氏は、「本物の戦争が無くなることを願っています。そうした日が確信できるようになるまで、平和を根付かせる最良の方法は、このフーディスタンのような(平和的な競争ができる)舞台において両国の民衆が交流を深めることです。」と語った。

パキスタンとインドは、1947年に宗教対立を背景に大英帝国から分離独立して以来、3度にわたって戦争をおこなってきた。以来、両国関係はカシミール州の領有を巡る衝突と対話・歩み寄りを繰り返す、ローラーコースターに例えられる激動の軌跡を刻んできた。

インドの外務官僚から政治家に転じたマニ・シャンカール・アイヤール(元大臣、国会議員)氏は、「インド・パキスタン国境のいずれの側でも、90%以上の国民は過去からの遺恨を抱いていない」という点を指摘したうえで、会場を埋め尽くしたパキスタンの聴衆に向かって、「両国には、このまま『今にも爆発しそうな敵意』をお互いに抱き続けて生きていくか、それとも積極的に交流を深めて共栄共存をはかっていくか、選択肢があります。」と語った。

イスラマバードに本拠を置くシンクタンク「ジンナー・インスティテュート」の招聘でパキスタンを訪問したアイヤール氏は、「インドとパキスタン:回顧と展望」と題した講演の中で、「歴史は私たちを国境で隔てたかもしれないが、地理は私たちを結びつけているのです。」と語った。

アガさんは、インドで各種料理のことなる調理法を学んだが、IPSの取材に対して、個人レベルではもっと大きな収穫があったと言う。「私は友人と呼べる素晴らしい人たちに出会いました。」とアガさんは語った。

両国の官僚主義による様々な障害(査証の発給拒否、訪問者に対する警察署への報告義務、移動に関する制限等)にもかかわらず、両国の民衆同士の直接交流は、独自の方向性を見出しているようである。

パキスタンの人権活動家ゾフラ・ユスフ氏は、「互いに接触するならば、それが競争を通じたものであっても長期的には理解の向上につながります。」と語った。

「例えば両国のクリケットチームが激突する試合では、双方の感情が高まったりするものだが、直接相手の顔がみえる形でのやり取りすることで、他者に対する偏見は大きく取り除けるものです。」とゾフラ氏は語った。

たとえば、インドのテニスプレイヤー、サニア・ミルザ氏は、パキスタンのクリケット選手ショアイブ・マリク氏と結婚したし、インド人のロハン・ボパナ氏とパキスタン人のアイザム・ウルハク・クレシー氏はテニスのペアを組んでいる。彼らは合同で、「戦争をやめてテニスを始めよう」というキャンペーンに取り組んでいる。

また、パキスタンのメディア集団「ジャン・グループ(The Jang Group)」は、『タイムズ・オブ・インディア』紙と組んで、「Aman ki Asha」(平和への希望)というキャンペーンをこの2年間行っている。この試みは、次代を担う両国の若者たちが共に両国の歴史を見つめ直し、未来への責任感を育んでいこうとするもので、例えば、両国の長大な国境に沿って張り巡らされた照明、セキュリティー装置付き有刺電気鉄線の維持に毎日2.5億ドルもの費用が費やされている現実が若者たちに突き付けられている。

「Aman ki Asha」プロジェクトの成功は、2008年11月に武装パキスタン人によって引き起こされたムンバイで発生したテロ攻撃の後、インド国内世論は暫くパキスタンに対して厳しいものとなったが、このキャンペー自体影響を受けなかった事実に見出すことができる。

2010年、インド・パキスタン双方の歌手が出演したスタープラス・テレビチャンネルが放送するリアリティー・ショーの「Chote Ustad」(リトル・マスター)は、両国で大ヒットした。

この番組でグランプリを獲得したパキスタン人のロウハン・アッバス氏は、メダル、トロフィー、副賞の賞金とともに、多くのかけがえのない思い出を祖国に持ち帰った。彼は、今でも番組で仲良くなったインド人参加者達を懐かしく思い出す。

「私は幼いころから、インドは私たちの敵という固定概念を抱いていました。しかし番組参加のためインドに行ったとき、インド人ホスト達が私たちに注いでくれた愛情と温かさに触れて、そうした固定概念は完全に払拭されました。」とアッバス氏はIPSの取材に応じて語った。

チャクラバルティ氏は、「番組に登場する両国からの参加者を見ると、どちらがどちらの国からきたと指摘されない限り、見分けはつきません。フーディスタンのような番組は隣人同士の同胞意識を広げる上で有効だと思います。」と語った。

番組の優勝者の一人であるアッバス氏は、「旅行や査証(ビザ)に制限があって、私たちは互いの食や文化についてよく知らないけれど、フーディスタンのような番組で、その壁を乗り越えることができます。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|ユニセフ|資金不足で数百万人の子どもへ支援の手が回らず

【ブリュッセルIPS=バリ・ベイツ】

もし国連児童基金(ユニセフ)に12億8000万ドルの執行予算があれば、世界でさらに9700万人の人々に支援の手を差し伸べることが可能だったであろう。

例えば十分な予算があれば、ユニセフは、旱魃に伴う飢饉に見舞われているエチオピアの500万人の子供達の惨状を緩和し、ケニアの36万人の子供達にまともな教育を受ける機会を提供し、深刻な栄養失調に苦しむマダガスカルの16,000人の子供達を診察することができただろう。また、220万人のソマリアの子供達に安全な水を供給し、100万人の南スーダンの子供達に基本的ヘルスケアを提供することも可能だったはずである。

 しかしこれらの数字は、ユニセフが活動目標としている世界7地域の内の、ほんの2地域(アフリカ東部・南部)における現状にすぎない。

残念なことに、ユニセフが2011年に獲得できた資金の総額は目標の半分以下に過ぎず、これによって実際に実施に移せた活動も当初の目標に比べると半減せざるを得ない状況にある。

ユニセフでは毎年1月に、自然災害、紛争、慢性的な危機等により支援を最も必要とする深刻な状況に置かれている子供たちの状況を伝える「子どもたちのための人道支援報告書(Humanitarian Action for Children Report)」を発表している。

この報告書には、辛うじて生きているものの栄養失調からあばら骨が見えるほど痩せ細った少年少女の姿を写した高解像度の写真など、少しずつ餓死に追いやられている多くの人々が直面している厳しい現実が報告されている。

ユニセフは、1月27日発表した「子どもたちのための人道支援報告書2012年版」の中で、25か国7地域で子ども達に人道支援を行うための必要資金として12億8000万ドルが必要であると国際社会に訴えるとともに、支援対象国におけるニーズを分野別(栄養、水・公衆衛生と衛生、教育、児童の保護、HIV/AIDsその他)に明らかにしている。

ユニセフは当初38カ国を対象に14億ドルの拠出を国際社会に訴えたが、2011年半ばに、アフリカの角地域における前代未聞の危機等に対処するため内容を一部変更した。

同最新報告書によると、2011年の資金の44%は、ユニセフが最高レベルの緊急支援体制を発動した「アフリカの角」地域に対して投入されている。また同報告書は、2012年に関しても、いくつかの国々が直面している深刻な現状を浮き彫りにしている。例えば、ソマリアだけで2億8910万ドル(1国当たりの支援必要額としては過去最大)、コンゴ民主共和国で1億4390万ドル、スーダンで9810万ドルが必要だとしている。

また報告書は、2011年10月現在でユニセフが受け取った拠出金総額は、人道支援を実施するために必要な要請額の僅か48%にあたる8億5470万ドルに過ぎないこと、さらに、年末までに受け取る拠出金総額はさらに大きくはなるが、大幅な伸びは見込めない点を指摘している。

その結果ユニセフは、生きるか死ぬかに関わる人道支援を、どの子どもたちに差し伸べるかという、極めて痛ましい決断を迫られる事態となっている。

「悲しいことに、私たちは支援を必要としている全ての人々に救いの手を差し伸べられない状況にあります。」と、ユニセフの緊急対応専門家であるマリカ・ホフマイスター氏は語った。

活動資金の減少は如何なる組織においても大きな障害となるが、生死の境にある人々の支援を行っているユニセフの場合、資金不足は、そうした人々にとりわけ深刻な影響を及ぼすことになる。

たとえば、スーダンには昨年必要額の36%しか活動資金を投入できず、結果的に50万人に対して清潔な飲料水を提供するという計画は部分的にしか実行に移せなかった。当初予定していた給水施設の復旧・建設計画の多くが資金不足で挫折したため、13万人を超える人々に水を供給することが出来なくなったのである。

また洪水で学校施設に大きな被害を受けたフィリピンで、75000人の子ども達を対象に教育教材を支援する計画も、予定の18%しか活動資金を投入できなかったことから失敗し、50,000人以上の子ども達が未だに教育教材がないままの状態にある。

また昨年10月に公表された報告書によると、マダガスカル、ウガンダ、コンゴ、イラク、イラクからの難民、タジキスタンに至っては、10%に満たない額しか活動資金を投入できなかった事実を明らかにしている。

一方ユニセフは、こうした深刻な活動資金不足にもかかわらず、2011年を通じて実施した人道支援の成果として、3600万人を超える子ども達に対する虫下しやビタミンAの補給と予防接種の実施、1900万人の女性と子供に対する栄養補給の実施、1600万人の人々に対する公衆衛生施設と安全な飲料水の提供、400万人の子ども達に対するより良い教育へのアクセスの提供を挙げている。

ユニセフの活動資金には、長期的な開発目標を達成するためのものと、人道支援に特化したものがある。そして活動資金を執行するユニセフの各国事務所には、特定の支援ニーズに応じてこの2種類の活動資金を「ある程度」柔軟に使い分ける権限が認められている。

ホフマイスター氏はこの点について、「各国事務所にこうした裁量の余地を残すことで、緊急の事態に対応できる現場体制を確保しているのです。重要なことは、メディアの注目を集めやすい大規模な緊急事態と、殆どメディアに取り上げられることもなく活動資金も投入されないまま何年も事態が深刻化している『忘れられた危機』のバランスをとっていくことです。」と語った。

しかしこうしたユニセフによる取り組みが、全ての支援団体から評価されているわけではない。

NGOのオックスファムセイブ・ザ・チルドレンは、1月18日に発表した報告書『危険な遅れ』の中で、国連、NGO及び民間ドナー機関は、飢饉問題に対する従来のアプローチを見直し、「危機ではなくリスクを管理する」方向性へと転換するよう求めている。

同報告書は、アフリカの角地域における飢饉への取り組みについて、「危機を回避する機会が既に失われてしまっていることは明らかだ。」と述べている。

さらにオックスファムとセイブ・ザ・チルドレンは、(アフリカの角地域で)1300万人に影響をもたらした旱魃とそれに続いた飢饉は、ラニーニャ現象との関連を想起させる降雨量や天候パターンなど、その後に起こりうる危機について予兆を伴っていた明らかな事例であると指摘した。

「もしこうしたドナーがもっと早期に対処して、ほんの一部の人々の命でも救っていたならば、数千人の子どもや女性、男性が今でも生きていたでしょう。」と報告書は述べている。

ホフマイスター氏は、こうした批判に対して、「どんなに万全を尽くして用意した支援計画でも、予期せぬ災害で台無しになってしまうことがしばしばあるのです。」と反論している。

ユニセフのグローバルサポート部(2012年分として活動資金として2190万ドルを呼びかけている)では、こうした予期せぬ事態に備えるため、特定の国や目的に用途を限定せず、緊急の場合に著しく予算が足りない分野に転用できる予備費枠を設けることを目指している。しかし、こうした方策が効果を発揮できるかどうかは、資金集めの結果次第である。昨年の場合、グローバルサポート部が獲得できた活動資金は国際社会に訴えた総額の僅か3%にすぎなかった。

同報告書によると2011年10月時点で、ユニセフの上位10ドナーが、ユニセフの総収入の74%をカバーしている。そのうち、最大のドナーが欧州連合(EU)で拠出額は1億1580万ドル、それに米国(9820万ドル)、日本(9740万ドル)、国連中央緊急対応基金(CERF:9710万ドル)が続いている。

ホフマイスター氏は、女性や子どもの基本的人権を保護するために、ドナーに対して、支援約束の確実な履行と支援額の増額を求めている。

「私たちは要請額の100%達成を目指しています。なぜならユニセフが計画通りの結果を成し遂げるには、その他に方法がないからです。」とホフマイスター氏は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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世界の平和活動家が2015年の核廃絶サミット開催を迫る

【国連IPS=タリフ・ディーン

反核平和活動家と非政府組織(NGOs)の連合が、世界で最も強力な大量破壊兵器の一つである核兵器廃絶のための首脳サミット開催を呼びかける世界的なキャンペーンを開始した。

このキャンペーンの一翼を担っている東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナル(SGI)は、そうしたサミットを、広島・長崎の両市が壊滅的な被害を被った原爆投下から70周年となる2015年に両市で開催することを提唱している。

Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun
Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun

 また2015年は、5年に1度開催される核不拡散条約(NPT)運用検討会議の次回会合が開催される年でもある。

池田大作SGI会長は、23頁からなる平和提言「生命尊厳の絆輝く世紀を」の中で、「私は2009年9月に発表した核廃絶提言で、2015年までに達成すべき目標の一つとして、核兵器の非合法化を求める世界の民衆の意志を結集し、核兵器禁止条約(NWC)の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけました。」と述べている。

また池田会長は、「2010年NPT運用検討会議での合意は、その突破口となるもので、明確な条約へと昇華させる挑戦を今こそ開始しなければなりません。」と述べている。
 
このキャンペーンは、平和市長会議、列国議会同盟(IPU)や、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が開始した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)等、いくつかのNGOや反核団体の強い支持を得ている。

さらに、このキャンペーンは、核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)及び2000人以上の平和活動家で構成されている連合組織「核兵器廃絶をめざすネットワークアボリション2000グローバル評議会」の設立メンバーでもある西部諸州法律基金(WSLF)からも支持されている。

Jackie Cabasso

WSLFのジャクリーン・カバッソ事務局長は、IPSの取材に対し、「池田SGI会長による、2015年核廃絶サミット開催の呼びかけは、2020年までに核兵器のない世界を実現させるための明確なロードマップを策定するために、各国の軍縮担当大使、国連高官、国会議員、NGO代表によるハイレベル会合の開催を目指している平和市長会議の計画と軌を一つにするものです。」と語った。

平和市長会議・北米担当コーディネーターでもあるカバッソ氏は、「そのロードマップは、2013年8月に広島で開催予定の平和市長会議総会において議論される予定で、その中には、2015年NPT運用検討会議に向けた準備と、同年後半に広島で開催が予定されている第2回ハイレベル会合に向けた計画が含まれる予定です。」と語った。

さらにカバッソ氏は、「平和市長会議の『2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)』は、2020年までの核廃絶を実現するため、2015年をNWCの締結を完了させる目標年に定めています。また、平和市長会議は、NWCの署名を広島と長崎で行いたいと考えています。」と付加えた。

3つ目のイニシアチブである「国際平和拠点ひろしま構想」は、湯崎英彦広島県知事が昨年10月に発表したものである。

知事並びに国連、米国、オーストラリア、日本から参画した元政府高官や大学教授が策定したこの構想は、とりわけ、広島が国際平和拠点(global peace hub)として、核廃絶へのロードマップを支援する上で中心的な役割を果たすことや、将来的には政府間協議(トラック1)を目指す核廃絶に向けた具体的かつ持続可能なプロセス(=軍縮プロセスを多国間協議にする戦略について話し合うトラック2での対話提案「広島ラウンドテーブル」など)の促進に貢献することを謳っている。

平和活動家の中には、NWCの交渉は、核兵器保有5大国(米国、英国、フランス、中国、ロシア)から熱のない支持しか得られないかもしれないと予想する人々もいるが、著名な仏教哲学者でもある池田会長は、多方面にわたる平和提案の中で、NWCの交渉に対する期待を表明している。

1996年以来、国連総会はNWCの交渉開始を求める決議を毎年採択してきている。

池田会長は、この決議への支持は広がり続けており昨年には中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イランを含む130カ国が支持した点を指摘した。

Ban Ki-moon/ UN Photo

また2008年には、潘基文国連事務総長が、「相互に補強しあう別々の条約の枠組み」あるいは「確固たる検証システムに裏うちされた」NWCの交渉を提案した。

そして2010年NPT運用検討会議では、全ての参加国による全会一致で採択した最終文書の中で、NWCへの言及が行われた。

さらに2009年9月、国連安全保障理事会は「核不拡散・核軍縮に関する安保理首脳会合」を開催し、『核兵器のない世界』構想実現に向けた条件を構築していくことを公約した国連安保理決議1887を採択した。

一方、ロシア、英国、フランス、カナダを含む159カ国が加盟するIPUも、NWCの交渉を全会一致で支持している。

カバッソ氏はIPSの取材に対して、こうしたイニシアチブが互いにかみ合うかどうか、あるいはどのようにかみ合うかについては「定かでない」としながらも、核兵器廃絶を唱道する人々にとって、2015年が、広島と長崎を焦点に画期的な年となる勢いが加速している点は「疑う余地がありません」と語った。

またカバッソ氏は、「池田会長が指摘されているように、2015年のNPT運用検討会議は、核不拡散及び軍縮体制にとって再び正念場の機会となるでしょう。」と語った。

また2015年は米国が広島と長崎に原爆を投下してから70周年となる年であり、引き続き福島原発事故の影響が続いている中、高齢化が進んでいる被爆者の間では、彼らの最後の一人が核兵器時代の扉を開けた1945年8月の前代未聞の恐ろしい記憶とともに亡くなる前に、核兵器を根絶しなければならないという明白な危機感が存在している。

平和市長会議は、1982年に開催された第2回国連軍縮特別総会に続いて行われた広島と長崎の市長による呼びかけによって設立された。

2011年の「国際平和デー」にあたる9月21日、平和市長会議は、加盟諸都市が151ヶ国・地域の5000都市を超えるまでになったと発表した。

翻訳=INPS Japan

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│中東│形を変える検閲

【カイロIPS=シンバ・シャニ・カマリア・ルソー

中東・北アフリカ諸国では、民主化蜂起の最中に当局側が情報の封じ込めを図り、多数のジャーナリストが殺害、暴行、逮捕された。

「国境なき記者団」のソアジグ・ドレ氏は、「『アラブの春』の初期の時点で、情報を統制することが各国政府当局の主要な課題となっていました。政府は、携帯やインターネット通信網を遮断したり、内外のジャーナリストを襲わせて、民衆蜂起に対する治安当局による弾圧に関する報道を完全に封じ込めようとしたのです。」と語った。

ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領の失脚・国外逃亡へと発展した2011年1月のチュニジアの民衆蜂起は、その後急速に大きなうねりとなってアラブ世界全体に広がった抗議運動の発火点となった。その後1月25日には、抗議の波はエジプトに飛火し、民衆は30年に亘って政権の座にあったホスニ・ムバラク大統領に退陣要求を突き付けた。

そしてエジプトとチュニジアの成功を受けて、バーレーン、モロッコ、リビア、イエメン、シリアといった中東・北アフリカ諸国の民衆は、独自の抗議運動に立ち上がった。

ジャーナリストたちは、民衆の抗議行動や政府による弾圧の様子を国際社会に報道する上で重要な役割を果たしたが、彼らは同時に情報の封じ込めをはかる政府当局による弾圧に晒されることとなった。

国境なき記者団によれば、中東・北アフリカ各国の政府当局による弾圧により、少なくとも20人のジャーナリストが殺害され、553人が襲撃されたり脅迫されたりしたという。

サミール・カシール財団のアイマン・マナ常任理事はIPSの取材に対して、「民衆蜂起に直面した全ての政府当局は、当初、フェイスブックやツイッターなどを規制して情報封鎖を試みました。しかしのちに、誰が何を書き込んでいるのかを監視するために、むしろこれらを放任し、当局の意のままに従う場合を除いて、海外および独立派のジャーナリストとの接触を制限する方向に方針を転換したのです。」と語った。

こうした規制がとりわけ厳しいのが、シリアとバーレーンである。シリアでは、当局の監視下に入ることに同意しない限り、外国人ジャーナリストの活動が許可されないため、潜入取材しか方法がない。しかしそうした場合、フランス2のジル・ジャキエ氏(1月11日にシリア西部のホムスで取材活動中攻撃を受けて死亡)のケースが物語っているようにシリア政府は身の安全を保障していない。

またマナ氏は、「バーレーンでも、湾岸協力会議(GCC)が体制維持に既得権を持っているため、政府に批判的なメディアは当局の厳しい監視下に置かれており、政府の御用メディアが情報操作を行っています。」と語った。

人権活動家達は長年にわたって、中東・北アフリカ地域は、ジャーナリストの行動を規制する法律や規則が施行され、当局による抑圧的な手段(嫌がらせ、収監、監視、身体の拘束等)が講じられていることから、世界で最もメディア規制が厳しい地域の一つであると指摘してきた。

各国政府は、政府関係者に対する詮索や不正行為を報じようとするジャーナリストの行動を「政府の評判を傷つけようする行為」として逮捕・収監できるよう、新聞・出版法、緊急事態法制、刑法、インターネット関連法、電気通信法制など、あらゆる法律を駆使してきた。

バーレーンでは、2002年に施行された新聞条例を根拠に様々な検閲を行っている。一方シリアの刑法は、国外にニュースを広める行為を犯罪行為として処罰の対象としている。さらにシリア、エジプト両国では、緊急事態法の規定により、政府当局には正当な手続きなしで、ジャーナリストやメディア関係者、政治活動家の取り調べを行ったり身柄を拘束する権限が認められている。

人権団体「個人の権利のためのエジプトイニシアティブ」のオンラインメディア担当のラミー・ラオーフ氏はIPSの取材に対し、「ムバラク時代には、政府当局が編集長に電話で圧力をかけたり、特定の版の印刷を差し止めたり、日刊号の没収、ジャーナリストへの嫌がらせや所持品の没収を行うなど、実に様々な検閲が行われていました。」と語った。

「このような干渉は今も続いていますが、以前との違いは内務省の官僚に代わって軍からの圧力が加えられるようになった点です。例えば、2011年2月22日、軍はエジプト国内の各紙に向けて軍に関する如何なる報道もしないよう求める手紙を送付しています。」

「大半のアラブ諸国における新聞規定は表面的には報道の自由を尊重する体裁をとっています。しかしその実態は、政府当局が干渉する余地を大幅に残しているのです。例えばシリアでは、『(反政府活動家たちが)国家を堕落させている』と題した類の記事が幅広く報じられています。反政府活動家たちを裏切り者で外国の敵と通じている連中だと非難する論調も頻繁に使われています。」とマナ氏は付加えた。

「アラブの春」から1年が経過し、中東では革命後の民主体制構築に向けて歩みを進める国々もあれば、引き続き民主化を求める抗議運動が続いている国々もある。いずれの国においても、ジャーナリストが報道の自由を確保することは引き続き困難な状況にある。

「『アラブの春』を通じて報道規制も緩和され、『恐怖の壁』を打破したジャーナリスト達もかつてより自由に発言できるようになりました。しかし一方で、彼らが意見を述べることは、従来の政権が引き続き支配している国であれ、(革命による旧政権の崩壊後)新たに宗教的原理主義が台頭しつつある国であれ、むしろ一層危険な行為となっているのです。つまり検閲の在り方が変質しており、ジャーナリストたちは、書いたり発言したことの結果が問われるようになってきているのです。」とマナ氏は語った。(原文へ

INPS Japan浅霧勝浩

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「アラブの春」はフェイスブック革命ではない(エマド・ミケイ:スタンフォード大学フェロー)

核廃絶への世界的支持が頂点に(ジョナサン・フレリックスWCC平和構築、軍縮エグゼクティブ)

【ジュネーブIPS=ジョナサン・フレリックス】

核兵器に関する新しく強力なストーリーが世界中で生まれている。その新しいストーリーは、皆が共有することができるものであるがゆえに、インパクトを持っている。それは、核のフィクションを核の現実に置き換えるものだ。2012年は中東における軍事行動の警告から始まったが、核兵器5大国(米国、ロシア、英国、フランス、中国)における新しいリーダーシップで幕を閉じることになるだろう。この新しいストーリーとはいったい何で、それは何をもたらすのだろうか?

このストーリーの中でもっとも短いバージョンは、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)によって語られているものだ。「核兵器のない世界が想像できますか?」と誰かに聞いてみるといい。「もちろんできます」(I can)という答えが返ってくるに違いない。

もう少し長いバージョンのひとつが、スコットランドで教会関係者が昨年末に開催した国際セミナーで聞かれた以下のようなものだ。彼らの多くは、核軍縮を支持している。

 「私たちは、時代遅れで扱いづらく、ひどくコストがかかり、しかも機能しない核の『傘』の下に生きています。今日、人々はグローバル・コミュニティの一部として暮らしていると考えています。彼らは、命を危険に晒すのではなく、命が守られるような環境で生きていきたいと願っているのです。つまり核兵器は誤りであり、なくさねばなりません。今こそ(核廃絶を目指す)運動に参加すべきときです。一人一人の人間には役割があり、何か出来ることがあるはずです。皆でともに大きな変化を生み出していこうではありませんか。」

こうした新しいストーリーによって、核兵器は攻勢にさらされている。各国指導層の間でも、以前よりも強い政治的、社会的圧力が存在しており、国連では130ヶ国が核兵器禁止条約(NWC)を支持し、5000人の市長と数千人の国会議員、著名人らが核廃絶運動に加わっている。また、核兵器への挑戦は、地理的な面(各地に創設されてきた核兵器禁止地帯の存在)、法的な面(国際人道法)、経済的な面(核兵器の維持を困難にする財政赤字、国家の負債、核兵器関連企業に対する市民による資本の引き上げ〈ダイベストメント〉)と、多方面にわたっている。

今では様々な国の政府高官や将官らが、核戦略の問題点を暴露し始めている。また、気候科学は、「核は環境に悪影響を与える」との判断を下しており、医者や科学者、法律家は、核兵器の正当性を疑っている。また、各種映画やウェブサイト、書籍も(核兵器の問題点に関する)公な議論を生んでいる。そして世界の諸宗教も、道義的、倫理的、精神的観点から核兵器を非難している。さらに、昨年発生した福島原発事故のような大惨事は、いかに平和的な外観を装ってはいても、核エネルギーというものが致命的であり、長期にわたる悪影響を引き起こすということを、人々に改めて思い知らせることとなった。

これまで核兵器を容認してきた世界的な仕組みは崩壊しつつある。人間社会、生態系、そしてこの地球全体に関して、核兵器には全く出番がないと感じる人がますます多くなってきている。

しかしだからといって、現在の核体制に挑戦している人々は、それほど楽観的でいるわけではない。核兵器を保有する僅か5%の政府が、(核廃絶という)公益を拒絶し、軍縮の義務を放棄する一方で、核兵器を持たない世界の95%の政府は、核兵器廃絶という国際社会の大多数の意思を実現できずにいるのだ。

核に関する新しいストーリーと古いストーリーのそれぞれが2012年に導くシナリオは異なったものだ。3つの例を紹介しよう。

第一に北東アジア。ここでは、核抑止の傘は時代遅れで穴だらけになっており、現状維持を図ろうとする不安定な仕組みである核不拡散条約(NPT)が崩壊しつつある。北東アジアにおける「核安全保障サミット」とは、それ自体、語義矛盾であるが、今年の核安全保障サミットは、韓国の首都ソウルで開催される予定だ。

核の新しいストーリーは、韓国出身の潘基文国連事務総長が「抑止という感染的なドクトリン」と啓発的に表現したものから、地域的な教訓を引き出すことができるだろう。核抑止を実践している9ヶ国のうち8ヶ国は核安全保障サミットに招待されているが、9つ目の国は韓国の隣国(=北朝鮮)なのである。感染には治療が必要である。それは例えば、朝鮮半島の非核化などの共通の地域的目標をめぐる開放的な関与といったものだ。スコットランドで開催した先述のキリスト教徒の集まりでは、核廃絶という目標を社会の中でより高い位置におくために、キリスト教徒と仏教徒によってどのような信頼醸成措置が取れるかについて話し合われた。これらの諸教会はこれまで25年にわたって、朝鮮半島を南北に分断している非武装地帯(DMZ)の両側から現状を打破すべく努力を続けている。

第二に中東である。ここもまた核の傘が機能していない地域であり、ここに核兵器禁止地帯を確立できるか否かに、NPTの将来がかかっている。この目標に関する国連会議が、17年の遅延の後に、今年ようやくフィンランドで開催される予定だ。

しかし、核に関する古いストーリーが、その国連会議に暗雲を投げかけている。今再び、「核の二重基準を強行することが中東にとっての問題ではなく解決策だ」という近視眼的な理屈がまかり通っている。これまでもイスラエルの近隣諸国(全てNPT加盟国)は、事実上、NPT未加盟のイスラエルがあたかもNPT上の核保有国であるかのごとく同国の核兵器と共存していくことを期待されてきた。これは安全保障の如何なる常識に照らしてもあり得ない処方箋であり、結局このような無責任なレトリックが、中東やその他の地域で核拡散を引き起こす要因を作り出してしまっているのだ。

他方、核に関する新しいストーリーは、イスラエルも含めた中東のすべての国家の幸福に関わるものだ。核兵器を含む全ての大量破壊兵器のない地域を創設する構想は、初めからシナリオの一要素として存在していた。またこの地域での1990年代の動きは、微妙な安全保障問題の解決に向けて、インセンティブや互恵主義、相互関与を通じて取り組んだ有益な前例を示している。

第三に北大西洋条約機構(NATO)であるが、その核兵器は使えないもので、金の無駄遣いとなっている。NATOの約200発にのぼる戦術核は、冷戦期の老朽化した怪物が依然として貯蔵庫で幅を利かし、それには何の意味もないということの象徴となっている。この死の遺産をなくすることで、核兵器を自国領土に置いている国を14か国から9カ国に減らすことができる。またそうした措置は、NATO・ロシア間の新しい安全保障取り決めに向けた大きな障害を取り除くことにもなる。

2010年、NATOとロシアは、「欧州・大西洋地域において、平和・安全保障・安定の共通空間創出に貢献する」ことに合意した。はたして今年シカゴで開催予定の「NATOサミット2012」で出てくるのは、新しいストーリーだろうか、それとも古いストーリーだろうか。

核の新しいストーリーでは、過去を理解するために核の考古学者が登場し、一方で「人間の安全保障」という枠組みが、未来のビジョンとして提案されている。北東アジア、中東、そしてNATO加盟諸国が位置する場所は、いずれも今後の「鍵を握る」地域である。核廃絶を目指す取り組みは引き続き困難で、さらに多くの人々の参加が求められるが、変化の予兆はすでに現れている。私たちは今後の取り組み次第では、新年を核時代という過去の延長ではなく、より安全な未来の一部として迎えることが可能なのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

ジョナサン・フレリックス氏は、世界教会協議会(WCC)の平和構築、軍縮エグゼクティブ。

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「抑圧は反乱につながるかもしれない」(セルゲイ・ウダチョフ野党運動「左翼戦線」リーダー)

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【プラハIPS=クラウディア・シオバヌ】

Sergey Udalstov addressing a public gathering. Credit: Courtesy of Sergey Udalstov
Sergey Udalstov addressing a public gathering. Credit: Courtesy of Sergey Udalstov

ロシアの野党運動は、12月4日のロシア下院選挙後の抗議活動で脚光を浴びるようになったが、そのリーダーの一人セルゲイ・ウダチョフ氏(35歳)は、「我々の要求はまだ終わっていない」と語った。

小さな社会主義者団体「Vanguard of Red Youth」と左翼の政治連合「左翼戦線」のリーダーをつとめるセルゲイ・ウダチェフ氏は、昨年ロシア当局に何十回も恣意的に逮捕される中で、野党運動関係者の間で頭角を現してきた人物である。昨年ウダチェフ氏は1年の約3分の1を刑務所に収監された。

ロシアでは昨年12月に、4日に実施された下院選挙で与党「統一ロシア(プーチン氏自身が党首をつとめる)」が多数派工作を目論んで不正行為を行ったとする疑惑が高まり、首都モスクワをはじめとするロシア各地の主要都市で数万人規模の抗議デモが発生した。

 しかしモスクワにおける12月24日の8万人規模のデモを最後に、大規模な抗議行動は一旦影を潜めている。その後もモスクワでは引き続き数百人規模の抗議デモが発生しているが、参加者からは、ロシア当局によるウダチョフ氏に対する執拗な嫌がらせを憤る声が聞かれた(アムネスティ―・インターナショナルは12月にウダチェフ氏が「良心の囚人」にあたるとして、即時釈放を訴えた)。

先般釈放されたばかりのウダチェフ氏はIPSの取材に応じ、「当局は何度も私を逮捕してきていますが、法的な本拠があるものなど一つもないのです。逮捕理由はすべてでっちあげられたものです。例えば、ある(下院選挙当日の)逮捕理由は、私が横断すべきでない場所で道路を渡ろうとしたという馬鹿げた嫌疑でした。しかもその時、私は同じ町の違う場所にいたにも関わらずですよ。またある時は、逮捕に抵抗したというありもしない罪を着せられました。」と語った。

インターネットに流れている複数の録画映像には、抵抗することなく警察官に逮捕されるウダチェフ氏の姿が映っている。

「政府当局は、私には民衆を動員する力があると理解しているので、私を危険人物だと判断したのだと思います。私を立て続けに逮捕・収監してきた狙いは、私を政治活動家として孤立させること、とりわけ選挙期間中に動きを封じることにあったのだと思います。」

インタビューの要旨は以下の通り:

Q:「左翼戦線」が目指しているものは何ですか?

A:「左翼戦線」は社会正義の実現と、全ての国民に国家の資源を公正に分配することを目指すイデオロギー運動です。今日ロシアは、大統領(ドミトリー・メドヴェージェフ氏)と首相(ウラジミール・プーチン氏)の取巻きが支配しています。その結果、人口の10%程度にあたるエリート層が国の富の90%を支配し、大多数のロシア人が貧しい生活を送っているのです。これが今日のロシア社会が直面している深刻な問題なのです。

私たちは、天然資源、運輸、産業など国のあらゆる戦略的な分野の管理に、より幅広い層の国民が参画できる仕組みを実現したいと考えています。つまり私たちが求めているのは、ロシア国民が、公平で透明性が確保された国民投票を通じて意思表示ができたり、インターネットを通じて政府当局との意思疎通ができたり、或いは国民として社会改革について発言権をもてるような直接民主主義の実現なのです。

私たちはソ連について特に郷愁の念を抱いているということはありませんし、ましてや社会の停滞をもたらした中央計画経済への復帰を訴えるということもしていません。私たちの主張は、新たな発展の道筋を模索しながら、ソ連時代の良い点については残していこうというものです。つまり、ロシアの社会民主主義的な開発を志向しているのです。

Q:お話を伺っていると、「左翼戦線」が掲げているビジョンは穏健なものに聞こえますが、それではどうしてメディアでは「極端」「過激」というイメージで報道がなされているのでしょうか?

A:今日のロシアではプロパガンダが大衆伝達の主な手段となっています。ロシアでは多くのテレビ局、ラジオ局、オンラインニュースが当局の管理下にあります。政府当局はこうしたマスメディアを通じて、野党運動全体に対する不信感を植え付ける手段として私たち(「左翼戦線」)のイメージを傷つけているのです。政治について知識があまりない市民は、こうしたマスメディア報道に接して真実を見極めることができません。その結果、そうした人々は、私たちが内戦やスターリン時代の復活を望んでいるといったデマを信じてしまうことになるのです。

しかし、私たちがウェブサイトで公表している内容を見れば、だれもが私たちが訴えている真の立場が理解できると思います。つまり、私たちは今まで一貫して平和的な抗議活動を訴えてきたということ。そして私たちが望んでいることは、国民に権限を付与(エンパワー)して国民自らの問題を解決していきたいということに尽きるのです。私たちはメディアによって実像がかなり歪められています。しかし、インターネットが透明性をもたらし、政府当局によるプロパガンダに支配されやすい人の数も減少していくなかで、こうした歪んだイメージも近い将来払拭されると期待しています。

Q:あなたはこれまでの演説で「ウォールストリートを占拠せよ」運動で良く使われる「99対1%」レトリックを使っていますが、同運動とロシアの野党運動には多くの類似点があるのでしょうか?

A:はい、2つの運動には、いくつかの類似点があります。社会的平等を求める闘いは、一国に限定されたものではなく、今やその機運は世界全体を覆っています。帝国主義的なグローバリゼーションを批判する声は、第三世界(発展途上国)のみならず第一世界(西側先進国)においても湧き上がっています。こうした国際情勢の流れは必然的にかつての第二世界(旧共産圏)に暮らす私たちに今後どのような発展を志向したいのか真剣な考察を迫っているのです。

しかしロシアは閉ざされた国ですから、海外の運動と連携するのは困難なのが現状です。よって今日ロシアの野党運動が取り組んでいる具体的な活動は、①実態を反映した政治的な競争を実現すること、②公正な選挙を実施すること、③政権当局と民衆の対話を実現することの3点に集約されます。

Q:今後数か月、ロシアの野党運動はどのような展開をしていくと見ていますか?

A:ロシアの民衆は政府に改革を要求しています。政治家たちは改革を実現できなければ、権力の座から降りなければなりません。もし弾圧が続くならば、最終的には反乱がおこるかもしれません。

今後の流れは、政権当局が野党勢力や市民社会との対話を開始するかどうかにかかっていると思います。今般の抗議活動の規模は近年最大のもので、当局も無視するのが困難になっています。政府は12月下院選挙結果の無効を宣言し、年末までに再選挙を実施すべきです。ロシアには公正な選挙が必要です。もし公正な選挙が実施されれば、新たな議会は、各党の実際の勢力関係がより反映したものとなり、野党各党の議席が拡大したものとなるでしょう。

しかし政権側があくまでもプーチン氏を大統領とすることにこだわり、野党勢力との対話も私たちの要求も拒否し、さらなる不正選挙を強行していくようなことがあれば、民衆の抗議行動も強まり、ついには革命へと発展するかもしれません。もちろんそうした場合でも平和的(ビロード革命のような)なものでなければなりませんが。

Q:3月(次期大統領選挙)以降プーチン氏に大統領として政権を継続させるということで政権側と野党側が妥協する可能性はどうでしょうか?

A:もし政権側がプーチン氏の大統領職復帰を主張するとすれば、それは妥協ではなく罠です。

Q:ロシア当局があなたを何度も逮捕しているのは、政権側があなたを恐れているからだと思いますか?反対勢力に対するそのような恐れは、政権が弱体化している兆候でしょうか?

A:ロシアでは、政権にとって好ましくない者、とりわけ政権を批判するような活動家は「過激論者」というレッテルが貼られ、常に弾圧の対象となってきました。政権側はこのような圧力を常に行使してきたのです。過去10年から15年、政権側の体質は基本的に変わっていません。しかし近年は、一般のロシア人が以前より政治動向に注意を払うようになってきたことから、政権側はこうした弾圧を世間の目から隠しづらくなってきており、結果的に当局による抑圧が以前より目につくようになってきたのです。従って、今は、政権側にとって、弾圧という目に見える失敗を犯すことは、以前より政治的なリスクが高くなっているのです。

Q:プーチン体制後のロシアをどのように展望していますか?それはソ連崩壊後に独立した旧連邦諸国との関係にどのような影響をもたらすと思いますか?

A:今後公正な選挙が実施されたと仮定すれば現実的な予想は左翼が政権を担う公正な選挙が保障されたロシアが誕生しているでしょう。政策も左派路線に転換することで、社会の緊張、生態学上の危機、飢餓の問題も緩和されるでしょう。旧ソ連邦構成諸国との関係については、私たちは、経済的、文化的関係を深めて、おそらく欧州連合(EU)をモデルとした連合を構築したいと考えています。ただし、これらの諸国がこうした構想に同意し平和的手段で連合が形成されるのならばという前提があってのことです。

こうした連合は、最終的には共通通貨、共同防衛、さらには域内の行動の自由を保障する枠組みを目指す漸進的な統合形態をとることも考えられます。ロシアと旧ソ連構成諸国との間には、ソ連解体後にすべてが失われたわけではなく、依然として緊密な関係が存続しています。お互いに協力し合うことが各々の国益にもつながりますし、旧ソ連構成諸国における不法移民問題でさえも、この連合構想が実現すれば解消することが可能なのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

│米国│対イラン軍事攻撃への反対論強まる

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

18世紀の英国の評論家サミュエル・ジョンソン氏の有名な警句「絞首刑になるかもしれないということほど…」を言い換えて言えば、「突然戦争になるかもしれないということほど、人を真剣に考えさせるものはない。」ということだろう。

もしその警句が10年前の米国によるイラク進攻の準備段階には当てはまらないとしても、1月上旬以降、急速に高まりを見せているイランと米国及びイスラエル間の緊張関係を巡る米国の外交エリート、とりわけかつてイラク戦争を支持したリベラル・ホークと呼ばれる人々の動きには当てはまるようだ。

 日増しに強まる、イラン核施設を攻撃するとのイスラエルからの脅し。この数年で5人目となる、おそらくはイスラエルの諜報機関モサドによるとみられるイラン人核科学者の殺害。このところ急速に進められているイラン経済の弱体化を意図した西側諸国による経済制裁の強化。ホルムズ海峡を閉鎖するとのイランの脅迫。こうした事態の展開とともに、それまで仮定の領域で語られてきたイランとの戦争の可能性が、意図的なものか、挑発によるものか、偶発的なものになるかは別として、徐々に現実味を帯びて我々の視野に入ってくるようになった。

また米国内では、共和党の大統領候補者たちが、なんとかキリスト教原理主義勢力やユダヤ人有権者・後援者の支持を獲得しようと、イスラエル支持のタカ派的な発言を繰り返しているが、こうした動きは、かつてイラク戦争へと扇動したネオコン系シンクタンクのアメリカンエンタープライズ研究所(AEI)や民主国家防衛基金(FDD)が最近再びイランの「政権交代(regime change)」を訴えるキャンペーンを強化してきている動きと同様に、イランとの戦争の可能性を高めかねないリスク要因となっている。

こうして突然戦争が起こりうるのではないかという懸念が急速に高まる中、米国の著名な外交・国際政治専門誌「フォーリン・アフェアーズ」が、「イランを攻撃するとき―なぜ爆撃が最小悪のオプションなのか(Why a Strike is the Least Bad Option)」と題するマシュー・クローニグ氏による論文を掲載した。彼は、つい最近まで、国防総省(ペンタゴン)で1年間に亘る戦略分析の任務についていた。この論文には、イランの防空施設・核施設に対する限定的な空爆が主張されている。

しかし、これに対して、対イラク開戦をかつて主張したリベラル・ホークを含む外交政策に影響力を持つ多くのタカ派論客の間から、これ以上の米国或いはイスラエルによる事態の先鋭化に反対する「対イラン戦争回避論」が強く出されるようになってきた。

「フォーリン・アフェアーズ」誌の発行元である「外交問題評議会」のレスリー・ゲルブ名誉会長は、デイリー・ビースト誌に寄稿した論文の中で、かつて立場を同じくしていたネオコンやその他のタカ派論客たちがイランとの対決姿勢を強めている動きについて「以前と同じく、無知で杜撰な考え方をする政治家や政治化した外交専門家達が新たな基準の『最後通牒』を突き付けようとしている。そして以前と同じように、彼らが私たちを急速に戦争へと駆り立てている事態を許してしまっている。」と指摘した上で、「我々はひどいことをまたやろうとしている」と警告した。

かつて元CIA分析官で2002年に出版した著作『迫りくる嵐』(The Threatening Storm: the Case for Invading Iraq)がリベラル・ホークに頻繁に言及されたケネス・ポラック氏は、これ以上事態が先鋭化することに反対の立場を表明するとともに、バラク・オバマ政権や欧州連合(EU)が採用している経済制裁強化路線は逆効果であると主張した

ポラック氏は、「こうした(イラン中央銀行を標的とした)経済制裁は、あまりにも影響が大きく、潜在的に裏目に出る可能性がある」と述べ、その理由として苦闘している西側諸国自身の経済に悪影響が及ぶ可能性があることや、もしこの経済制裁がかつてイラクにもたらしたような「人道的危機」(1992年からイラク進攻時まで課された経済制裁)を引き起こした場合、外交的に制裁を維持することが困難な点を挙げた。

さらにポラック氏は、「我々がイランへの圧力を加えれば加えるほど、イラン側の反発を招き、彼らの反撃の仕方によっては、事態は容易に予期できない方向にエスカレートしていくでしょう。もし戦争となれば、イランの方が圧倒的に深刻な被害を被るのは明らかだが、西側諸国も手痛い代償を強いられるだろう。しかもそうした痛みはだれもが想像できないほど将来に禍根を残すかもしれない。」と述べている。

一方、著名なリベラル・ホークで2009年に国務省政策企画本部長に就任するまでプリンストン大学教授をつとめていたアン・マリー・スローター氏は、project-syndicate.orgに寄稿した論文の中で、「西側諸国とイランは危険なチキンレースを行っている。しかも西側諸国が現在推し進めている政策は、イラン政府に二者択一、すなわち公に圧力に屈して引き下がるという彼らにとってあり得ない選択肢か、挑発を一層エスカレートさせるという選択肢のいずれかの選択を迫るものである。」「西側諸国がイランを公に脅迫すればするほど、イラン指導部にとって、近年米国を友好的に見る傾向にあった国内の一部の市民に対して、改めて米国を『大悪魔』として描いて見せることが容易となる。」と述べている。

またスローター氏は、「今こそ、イランが引き下がれる戦略を用意できる冷静な指導者が主導権をとるべき時です。」と述べ、具体的な方策として、2010年にトルコとブラジル政府がP5+1(国連安保理常任理事国+ドイツ)とイランの仲介を試みようとしてその後頓挫したイニシアチブを復活させることを提案した。

『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、ビル・ケラー氏は、クローニグ論文に関して、論文の読者とクローニグ氏のペンタゴンのかつての同僚らは、「この文章に驚愕していることだろう。イランの核の脅威を極端に評価し、他方で事態改善に関する米国の能力を極端にバラ色のものとして描いているからだ」と記した

またケラー氏は、クローニング氏の予想とは反対に、「イラン攻撃を行えば、イラン国民はほぼ間違いなく指導者の下に結束し、イランによる核能力追求は、国際査察の目を遠ざけて地下化し、ますます強化されることになるだろう。ペンタゴンでは、『いま避けようとしていることを引き起こすには、イランに軍事攻撃を仕掛けるのが一番』という警句が交わされているのをしばしば耳にするだろう。」と述べている。

また、昨年12月までの2年間、ペンタゴンで中東政策の責任者を務めていたコリン・カール氏は、「フォーリン・アフェアーズ」誌に「イランを攻撃する時ではない」と題したクローニグ論文への反論を投稿し、その中で「クローニグ氏が論文で述べているクリーンで限定的な戦いなど幻に過ぎない。それどころか、イランとの戦争は汚く、多くの犠牲者と禍根を残す極めて暴力的なものとなるだろう。」と記している。

現在タカ派シンクタンクの「新アメリカ安全保障センター」(CNAS)のシニアフェローをつとめるカール氏は、クローニグ氏への数々の反論の中で、「イランに対する先制攻撃を行えば、それはクローニグ氏の言うような限定攻撃では終わらず地域を巻き込む戦争に発展する可能性が高い。さらに先制攻撃は、イランの人々を現政権の下に団結せしめるのみならず、『アラブの春』で広がった反体制運動が、一気に反米運動に転化する危険性がある。」と警告している。

その後、カール氏による分析内容の多くは、元米空軍大将でジョージ・W・ブッシュ政権の2期目に中央情報局(CIA)長官を務めたマイケル・ヘイデン氏に支持されている。因みにヘイデン将軍はリベラルとはとうてい呼べない人物である。

フォーリン・ポリシー誌のブログによると、1999年から2005年まで国防総省の国家安全保障局(NSA)局長をつとめたヘイデン氏は、先週ワシントンDCに本拠を置くシンクタンクCenter for the National Interest(旧称ニクソンセンター)で開催された会合で、少数の参加者を前に「ブッシュ政権当時、大統領の安全保障アドバイザーたちは、イランへの核施設に対する軍事攻撃は、それがイスラエルによるものであろうと米国によるものであろうと、望ましい結果が期待できるものではないとの結論に達していた。」ことを明かした。

同ブログによるとその際、ヘイデン氏は、「イスラエルは(イランへの攻撃を)行わないだろう。…それは彼らの能力を超えるもので、実行は不可能である。彼らの軍事能力では(イランの核開発プログラムという)問題を悪化させるだけだ。一方、米国には(イランに対する)軍事行動を開始する能力はあるが、期待できる効果は短期的な問題の是正に過ぎない。結局は誰も、何かを占領するといった話をしているわけではないのだ。…」と語ったという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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今こそ「平和への権利」の好機(アンワルル・チョウドリ国連総会議長上級特別顧問)

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【ニューヨークIDN=アンワルル・チョウドリ】

A.K Chowdhury
A.K Chowdhury

13年前の1998年、世界人権宣言50周年にあたって、ある市民団体のグループが「平和への権利」の確立を目指す世界的な運動を開始しました。彼らは、「恐るべき戦争、野蛮な行為、人道や人権への罪を経験した20世紀を経て、今こそ『平和への権利』が広く確立される好機にあると確信している。」と宣言しました。

彼らは「生存権は戦時には適用されない-この矛盾、そして人権の普遍への冒涜は、平和への権利を認識することによって終わらせなければならない。」と強調したうえで、「戦争を礼賛する熱狂を克服し、平和の文化を構築するために、各々の国と社会における暴力や非寛容、不公正を防止するよう」全ての人々に呼びかけたのです。

しかしいずれの目標もまだ達成されていません。「平和への権利」は完全かつ公的、直接的な形では認知されていませんし、「平和の文化」を推進するために必要な努力も、現在の国連の仕組みの中では依然として軽視されたままになっているのが現状です。

 国際社会は長年にわたって、平和と人権の普遍性を打ち立てるために努力してきました。国連は、その憲章において、平和はその存在のための中心的なものであると認識し、平和こそが、すべての人びとが人権を全面的に享受する前提条件でもあり結果でもあると確認しています。

「平和への権利」の集合的な次元が、「戦争の惨害から将来の世代を守っていく責任が人民にはある」という形で、国連憲章の前文で成文化されています。

人民が持つ「平和への集合的な権利」は、人及び人民の権利に関するアフリカ憲章(1981年)の第23条1項においても宣言されています。また、1984年には、国連総会が、「この地球の人民は、平和への神聖なる権利を有する」として、「人民の平和への権利を守りその履行を推進していくことは、各国の基本的な義務を構成している。」と宣言しています。

また平和に関しては、1999年のハーグ世界市民平和会議(HAP)」が言及に値するものです。この会議では、4つの主要なアピール(①軍縮と人間の安全保障、②武力紛争の防止、解決、平和転換、③国際人道法・人権法と制度、④戦争の根本原因と平和の文化)から成る、「21世紀の平和と正義のための課題(=ハーグ・アジェンダ)」と題する野心的な政治文書が採択されました。

それ以来、市民社会は、平和、正義、開発、軍縮、人権尊重が、「平和の文化」を構築し現在の「暴力的文化」に立ち向かうために欠かせない要素であることを前提とするようになったのです。

この文脈でのパイオニア的なものとしては、1969年に第21回国際赤十字会議で採択された「人類には永続する平和を享受する権利がある」としたイスタンブール宣言と、1976年に国連人権委員会で採択された「すべての人間が平和と国際の安全という状況の下で生きる権利がある」とした決議が挙げられます。

ルアルカ宣言

私は、市民団体がもっとも前向きに「平和への権利」を主張してきたことを誇りに思っています。スペイン国際人権法協会(SSIHRL)がこのキャンペーンを先導してきました。SSIHRLは、2006年10月に「平和への権利に関するルアルカ宣言」という画期的な文書を採択しています。これは、このテーマについて、最も包括的にかつ説得力をもって表現した文章であり、「平和への権利」が、国連総会で「近い将来」検討されることを求めています。それから今日まで、既に5年の月日が経過してしまっています。

ルアルカ宣言の非常に価値のあるところは、普遍性、相互依存、人権の不可分性、国際的な社会正義を実現する必要性といった、「平和への権利」を構成する要素について、効果的な方法で提示した点にあります。また、きわめて大胆かつ正しくも、「平和への権利」の効果は、男女の平等が実現されない限り達成されないと述べています。

あらゆる人民や国家が世界的に相互依存しているがゆえにおこる人権への脅威に対して、世界規模で協力して対応するには、平和や開発といったような「人間の能力を伸ばす」人権を承認することが必要です。実に、極度の貧困や飢え、病気が世界で蔓延している今日の現状は、基本的人権の明白なる侵害というだけではなく、多くの人びとにとっての真の脅威でもあるのです。

ルアルカ宣言の内容は、ビルバオ宣言においてさらに練り上げられ、さらに国際起草委員会(世界5つの地域からの10人の専門家で構成)での審議を経て、2010年6月2日に採択された「平和への権利に関するバルセロナ宣言」に引き継がれました。こうして、2006年にルアルカで始められた民間での成文化の試みが、国際的に認知されることになったのです。私は、この国際起草委員会の委員長を務めたことを光栄に思っています。そしてバルセロナ宣言は、スペインのサンチアゴ・デ・コムポステラで開かれた国際会議において承認されたのです。

2007年以来、人権理事会は、国際関係における連帯という基本的な価値を再確認しています。国連が2000年に採択したミレニアム宣言では、「世界的な課題には、平等と社会正義の基本原則に従って、コストと負担を平等に分配する形で対処されねばならないこと、もっとも被害を受けている者、あるいはもっとも利益の少ない者は、もっとも利益を得ている者からの支援が必要であること」を確認しています。

国際社会では、連帯という基本的価値にきわめて近い「第三世代の人権」概念をますます認知するようになってきています。第一世代とは政治的、市民的権利であり、第二世代とは、経済的、社会的、文化的権利を指します。約1800の市民団体がジュネーブに集い、「平和への権利」が、人権理事会によって、また、最終的には国連総会によって認知されるように求めていく連合を形成したのです。

平和への権利

「平和への権利」は曖昧な概念に過ぎないのではないかとの批判に応えて、カナダで平和活動を続けるダグラス・ローチ氏は、「(平和への権利は)国際レベルにおけるパラダイム・シフトの産物です。問題が単純に国ごとに解決できないようなグローバル化した世界に対処するには、国家と個人との関係だけを問題にする権利概念では不十分なのです。運輸や情報、金融、組織の巡りを世界的に円滑にしている構造そのものが同時に、武器商人や軍閥、狂信的宗教家、抑えの利かない政治的指導者、人身取引者、テロリストにも力を与えているのです。つまり、これまでの二世代の人権概念では対処できないような技術的限界があり、『平和への権利』は、近年の相互につながった世界の危険性に対処するための試みなのです。平和への権利は曖昧であり何も新しいものをもたらさないと非難するのは本質を欠く議論なのです。『平和への権利』は革新的なものであり、近年の相互につながった世界的課題全体に対処するためのものです。」と強調しています。

国際法や国際政治は、人権と平和との間の否定し得ない相関関係についてよく認識していますが、国連総会は、依然として、「平和への権利」を独自の権利として認めていません。にもかかわらず、私と考えを同じくする多くの人びとが、「平和への権利」に連帯の権利としての地位が与えられねばならないと考えています。

国際社会のつながりと存在そのものを守るだけではなく、集合的な目標を達成するために、国際的な連帯は、国際協力、利害の一致、共同行動を必要とします。このグローバルな目的を達成するためのすべての手段は、「平和への権利」によって共有されねばなりません。なぜなら、国際の平和と安全を維持するための協力は、この権利の履行にあたって必要とされているものだからです。「平和への権利」がひとたび新たな人権として確立されれば、「平和の文化」に対して堅固な基盤を提供することになるでしょう。また、「平和への権利」を承認することは、暴力との闘いや、武力・強制・ジェンダー差別を基礎にした態度との闘いに推進力を与えることになるでしょう。

平和の文化

私の友人であり先見の明をもって国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)を率いてきたフェデリコ・マヨール氏(IPS理事長)は、「平和は、力によっては維持できない。それは、理解によってのみ達成される。」というアルベルト・アインシュタイン博士の言葉を想起しつつ、「もし、平和がすべての人びとにとっての権利であるのならば、平和の文化はすべての人びとの責任であることを今日理解しなくてはならない。」と述べています。これはなんと深く、適切な言葉なのでしょうか。

平和の推進は、「戦争がない状態」という受動的な意味合いのみで捉えるのではなく、「公正、ジェンダー、人種の平等や社会正義を実現するための条件が作り出されている」という能動的な意味合いからも理解される必要があります。人間から経済的、社会的、文化的権利を奪えば、社会的不正義や周縁化、際限なき搾取を招くことになります。つまり、社会経済的な不平等と暴力との間には相関関係があるのです。

したがって、社会の内外におけるあらゆる形態の暴力を減らすためには、発展への権利(Right to Development)を実現することが肝要となります。冷戦の終焉以来消えてしまっていた「平和への権利」の問題を国際的な課題として改めて取り戻さなければなりません。国連は、連帯や人権、国際協力、軍縮、平和を一体のものとして認め、真の意味で再度取り組むべきです。

21世紀の2度目の10年期に入る今、新しくよりよい未来を作り出すために過去からの教訓を本当に活かさねばなりません。私たちは、これまでに得た教訓として、過去の歴史を繰り返さないためにも、非暴力や寛容、民主主義といった価値をすべての老若男女に説いていかなければなりません。この点について、前国連事務総長でノーベル賞受賞者のコフィ・アナン氏は、次のように述べています。「長年にわたる経験から我々は以下の点を理解するに至りました。まず一つは、対立する集団を引き離すために国連平和維持軍を送り込むだけでは不十分だということ。2つ目は、社会が紛争によって荒廃した後で平和構築を試みても、それだけでは十分ではないということ。そして3つめは、予防外交を行うだけでも十分ではないということです。これらすべてが重要な任務ではありますが、私たちが望むのは一時的でない、永続的な成果なのです。つまり簡単に言えば、『平和の文化』こそが必要とされているものなのです。」

こうした目的をもって、国連は、1999年、「平和の文化に関する宣言と行動計画」の採択という画期的な決定を下しました。私は、規範を設定すべく作られたこの文書の採択に向けたコンセンサス作りのため9ヶ月に亘って交渉を率いる経験をさせて頂いたことを光栄に思っています。

平和は人間開発の前提条件です。そして、平和は、精神の平和がなければ達成されません。平和は、内なる平和と外部での平和がそろって初めて意味を持つものなのです。

私たちは、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という含蓄のある言葉がユネスコ憲章に盛り込まれていることを忘れてはなりません。平和の文化が繁栄することで、力から理性へ、紛争と暴力から対話と平和へと移行する前提条件となるような、ものの考え方が生まれるのです。

平和の文化を構築するのに今ほど適切な時はありません。これよりも重い社会的責任はなく、この地球において持続可能な基礎の上に平和を確保することほど重要な任務も他にはありません。多くの課題を抱えた今日の世界では、様々な事象が複雑に関係し合い、相互依存の度合いが深まっています。私たちは、こうした厳しい現実に直面して、互いに助け合っていく必要に迫られているのです。平和と和解に向けた世界的な努力は、信頼と対話、協力を基礎とした集合的なアプローチによってのみ成功することができるのです。そのために、社会の前向きな関与と参加を促しながら、私たちすべての間に「平和の文化」を作り出すような大連合を構築する必要があります。

今日、国際社会、とりわけ国連が「平和への権利」を承認する意義は極めて大きいと思います。なぜなら、私たち一人一人の心の中に、大いに必要とされている「平和の文化」を創造するインスピレーションを大いに刺激することになるからです。

今日の世界では、よりいっそう、「平和の文化」を、あらたな人間性の本質であり、内においてはひとつのものでありながら外部では多様性を有する新しい形のグローバル文明とみるべきです。

平和の種は私たちすべての中にあります。それを育て、世話し、促進して、花を咲かせねばなりません。平和は外部から押し付ければよいというものではなく、内から実現されるべきものなのです。

「平和の文化」を形作る主な基となるのは教育です。平和教育は、「平和の文化」を創り出す本質的な要素として、世界のあらゆるところ、あらゆる国や社会で、受け入れられる必要があります。今日の若者たちには、これまでと根本的に違った教育-すなわち、「戦争を賛美しない教育、平和や非暴力、国際協力のための教育」-を受ける権利があります。若者たちには、彼ら自身だけではなく、彼らの属する世界のためにも、平和を創り出し育てるためのスキルと知識が必要です。

すべての教育機関が、学生が責任を持ち生産的な世界市民になる準備をする機会を提供する必要があり、「平和の文化」を形作る教えを導入する必要があります。

世界が貧困や飢え、差別、排除、不寛容、憎しみから解き放たれたとき、そして、女性も男性もその最大限の潜在能力を発揮し、安全で満たされた生活を送れるとき、非暴力が真の意味で繁栄することを私たちは忘れてはなりません。

ここで私は、「平和の文化」に向けたダイナミックな前進の多くが、その着想と希望を、世界の人口の半分を構成する女性のヴィジョンと行動から得ていることを強く強調しておきたい。男女間の平等と、すべての意思決定における女性の平等な参加こそが、持続可能な平和の重要な前提条件なのです。

よく言われてきたことですが、「何世代にもわたって、女性は、家庭内において、そして社会において、平和教育家としての役割を果たしてきました。また女性たちが、壁ではなく橋を架けることに力を尽くしてきたことが証明されています。」つまり、女性が周縁化され、彼女らの平等が人間の活動のあらゆる領域において保証されないとき、「平和への権利」は価値あるものとはならないし、「平和の文化」が可能なものとはならないのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan 

※アンワルル・チョウドリ大使は、元国連事務次長(後発開発途上国・内陸開発途上国・小島嶼開発途上国担当高等代表)。現在は、国連総会議長の上級特別顧問、IPS Japan顧問。この文章は、チョウドリ大使が2011年9月25日に「ニューヨーク倫理文化協会」の総会において行った講演録を基にしたものである。

欧州を新たな核軍拡に引き込むNATO

【ベルリンIDN=ジュリオ・ゴドイ】

2009年末から2010年半ばにかけて、ギド・ヴェスターヴェレ外相が代表するドイツ政府は、核爆弾「B61」をドイツ領から撤去するよう主張していた。この大量破壊兵器が実際にどれだけ配備されているかは軍の極秘事項であるが、約20発がドイツ領内に配備されていると考えられている。

核軍縮を求めるドイツの訴えは、北大西洋条約機構(NATO)が150~200発の核兵器を配備しているとされるベルギー、イタリア、オランダ、トルコにとっても関連のあるものであった。

 前任者のフランク-ヴァルター・シュタインマイアー氏と同じく、ヴェスターヴェレ外相は、自ら反核活動家と同じような議論を展開し、そうした兵器は多くの面で時代遅れだと主張した。なぜなら、これらの核兵器は、それ自体使用価値がなくなったと考えられる他の兵器とともに、既に存在しないソ連圏という敵に対して使うことが想定されているからである。
 
このドイツの運動は控えめなものに見えるが、世界中に広がる核兵器は「冷戦の最も危険な遺産」だとした2009年4月のバラク・オバマ大統領の歴史的なプラハ演説に敏感に反応したものだった。

しかしそれからほどなくして、欧州の非核化を目指すドイツの動きは、オバマ大統領のプラハ演説と同じように、実現の見込みの薄い言葉以上のものではなくなってしまった。すでに2010年4月、NATOは、欧州核兵器のいわゆる近代化計画を承認し、2020年までに完了するものとした。同計画は、2012年5月のNATOシカゴ・サミットでも、いわゆる「抑止・防衛態勢見直し」(DDPR)の中で再確認された。
 
そうすることでNATOは、現在の核戦力に対する批判、つまりそれがいわゆる「無能兵器」(dumb weapons)で構成されているという批判が正確であることを結局のところ認めてしまったのである。なぜなら、この核兵器は目標地帯に対して軍用機から投下され、レーダーによって誘導される仕組みだが、このレーダーはそもそも「耐用年数5年」を想定して1960年代に作られたものであることが、米上院の公聴会によって明らかになっているからである。

上院公聴会で証言を求められた米国のある軍需産業関係者は、このレーダーについて、「現在では評判の悪い真空管」を使用したものであり、「絶対に取り換える必要がある。それに、中性子発生器もバッテリーの部品も急速に陳腐化するので、やはり取り換える必要がある。」と述べたという。

こうした「無能核兵器」を航空機から投下することは、それが想定どおり爆発した場合、広大な地域が地表から消し去られてしまうことを意味する。

古い核爆弾「B61」はいくつもの危険を抱えている。2005年に行われた米空軍のある調査では、欧州の核兵器維持に係る手続きはリスクを抱えており、雷の落下によって核爆発を起こす危険性があるという。また2008年に行われた別の米空軍調査では、欧州における「ほとんどの」核兵器配備地は、米国の安全指針を満たしておらず、これを標準並みに引き上げるためには「相当の追加資源を必要とする」と結論づけている。

この古めかしい兵器の近代化は、二段階で行われる予定である。第一段階で、欧州に現在展開しているB61核爆弾が2016年から米本土に返され、精密誘導核兵器(いわゆる「B61耐用年数延長計画=B61-LEP)に転換され、2019~20年ごろ、能力を強化した「B61-12」として欧州に戻される予定である。さらに、新型ステルス戦闘爆撃機( F35統合打撃戦闘機)が、欧州への2020年代初頭の配備を目指して製造中である。

しかし、この近代化計画は、NATOによる現在の核戦力評価と矛盾しており、同盟のその他の目標遂行の妨げになっている。

愚かな行為

第一に、今年5月の「抑止・防衛態勢見直し」でNATOは、「同盟の核戦力態勢は、現在、効果的な抑止・防衛態勢の基準に適合している」ことを確認している。NATO核戦力に対する数多くの批判があるように、もしこれがそれほどに効率的なものであるならば、なぜその能力を強化する必要があるのだろうか?しかし、これはより愚かな行為である。なぜなら、米国科学者連盟核情報プロジェクトのハンス・クリステンセン氏がベルリンで開催されたドイツ議会軍縮外交委員会の公聴会で11月7日に述べたように、B61-LEPは「非常に高価で、現在、100億米ドル(約8300億円)以上かかると考えられている」からである。

クリステンセン氏はさらに、この高コストは「爆弾の安全性、保安性を強化するために必要なことだと言われている。しかし、欧州の(核)兵器は安全かつ確実な状態にあるとつねに言われてきただけに、どうしてこのようなことが必要なのかは謎だ」と述べている。

しかし、矛盾は、評価の単なる性格や、核兵器の技術的陳腐性をさらに超えたところに広がっている。この近代化計画は、ロシアに対する挑発を意味するのだ。というも、新型「B61」に関するNATO自身の表現を信じるとすれば、これは、レーザーで誘導されて精密性を相当に強化し、誤差30メートル以内で標的を正確に爆撃することができるからだ。

あるいは、クリステンセン氏が言うように、「尾部に誘導機能を付加することで、現在のバージョンに比べて『B61-12』の正確性は強化され、現在欧州に配備されている『B61』よりも標的破壊能力は大幅に向上することになる。」米議会が1992年に、核兵器の使用可能性をより高めることになるという懸念から、同じような誘導爆弾の提案を拒絶したことは特筆しておいてよいだろう。

こうした精密誘導能力を得たB61核爆弾は、より柔軟な戦力となり、戦術兵器としても戦略兵器としても配備可能なものとなる。そして、現在のように前近代的な状況の下だけに置かれることもなくなるのである。ドイツの核兵器問題専門家オトフリード・ナサウアー氏(「ベルリン大西洋安全保障情報センター」(BITS)代表であり、B61-LEPに関する報告の共著者でもある)は、「こうした変化は、ソ連の指導層が1970年代末から80年代初頭にかけてのパーシングII(2段式固体燃料準中距離弾道ミサイル)をめぐる議論の中で持った不安を呼び起こす可能性がある」と警告している。
 
 こうして欧州は、非常に評判の悪い1979年12月の「二重決定」の繰り返しへと向かっている。このときNATOは、欧州全体にパーシングIIと同型の中距離移動型ミサイルを572基配備し、東欧におけるソ連の移動型ミサイル「SS-20」配備に対抗するために地上発射型巡航ミサイル「BGM-109トマホーク・グリフォン」を配備するという決定を下したのであった。その結果、もっとも恐れられていた核軍拡競争が欧州の中心部で起こり、ふたたび相互確証破壊(MAD)の世界が現れ、欧州大陸の人びとの命が脅かされる事態となった。

公的には、欧州のNATO核兵器は中東、とりわけイランを標的としていることになっている。したがってNATOの公式見解によると、ロシアはB61の近代化改修を恐れる必要はない。しかし、こうした見方は、良くてもナイーブであり、悪ければ冷笑的なものでしかない。というのは、NATOの全加盟国が、ロシアがこうした近代化計画にどう反応するか十分理解しているからである。
 
ソ連は戦術核戦力の規模を明らかにしたことがないが、専門家らは、ロシアは西欧を主に標的にした核兵器を500~700発今でも保有しているとみている。この恐るべき核兵器は、NATOのそれと同じく旧式化している。核兵器の陳腐化、そして、おそらくは敵になるであろう国々の手に近代的な核戦力が渡ることは、ロシア政府がどのように反応するかを予想するのに十分であろう。つまり、ロシアもまた自らの核戦力を近代化するということである。

「核共有政策」

他方、B61-LEPに対する反対論は欧州では皆無である。ドイツでは、核軍縮を目指すという外務省のあらゆる言葉に反して、現在も有効な2009年の政府公式政策において、自国領域に配備されたB61の使用計画に関して欧州の非核保有国も参画することができるという、NATOのいわゆる「核共有政策」を明確に支持している。

ドイツのアンゲラ・メルケル首相が2009年3月に述べたように、ドイツ政府は、「思慮深く、目的とその達成のための手段とを取り違えることを避けなくてはならない。ドイツ政府は、この高度に重要な領域においてNATO内での影響力を保つために、核共有政策を支持する。」という立場をとっている。

「核共有政策」の影響を受けた欧州の他のNATO加盟国にも同じような見方が広がっている。与党キリスト教民主同盟(CDU)の軍事専門家ロデリッヒ・キーゼヴェッテル氏は、「欧州の小国は、自国領内への核兵器配備を、自らの立場が理解されたことの表れと考えている。トルコ政府は、もしドイツがB61を拒絶することがあればそれをトルコ領内で引き受けるとの意思を明らかにしている。」と語った。

ベルギーやオランダのような他の国は、新型B61核兵器に適合するように航空機の軍事能力を強化する旨を発表している。そのために、軍用機 F-16やB-16を新型のF-35統合打撃戦闘機と交代させることになるだろう。ドイツ政府は、軍事アナリストのヨヘン・ビットネル氏が週刊誌『ツァイト』で述べたように、「核兵器が軍用機が腐食するよりも早く消えてしまう」ことを期待して、同じように旧式の航空機「トルネード」を交代させることを依然として拒否している。

核兵器を運搬するために、ドイツと同じようにイタリアも「トルネード」を使用し、トルコはF-16を使用している。つまり、欧州で核兵器を使用可能な5か国は、3つの異なる型の航空機を核兵器の運搬に使用していることになる。クリステンセン氏は、「NATOが現在直面している安全保障上の問題に対処することを考えると、B61-12の能力を6か国の空軍の5つの異なる型の航空機に付与することは(米軍はまた別の航空機を利用している)行き過ぎであり、事態を複雑にし、費用も掛かりすぎる。さらに問題視すべきは、今日の核態勢が、規模を縮小・合理化し、現在の軍事的・財政的現実に適合させるのではなく、時代遅れになった軍事態勢から引きずってきたものをつなぎ合わせたものだという点である。」と指摘している。
 
これらすべての技術的、軍事的、政治的障害にも関わらず、ドイツ政府の軍事専門家キーゼヴェッテル氏は、NATOがB61-LEP計画を再考するのは、ロシアがその大規模な戦術核戦力の内容と場所を公開する姿勢を示したときのみであろう、と論じている。またキーゼヴェッテル氏は、「政治的兵器は技術的に機能しなくてはならない」と指摘し、そうした対話が行われる場合でも、欧州核兵器の近代化は進めなくてはならない、と語った。つまりこの発言は、現在の核戦力が陳腐化していることを暗に認めた形となっている。
 
キーゼヴェッテル氏のスタンスは、NATOのロシアに対する公的な態度とも響きあっている。2012年5月のDDRPで、NATOは、二極間の軍備管理政策においては、「今後のいかなる措置も、ロシアの巨大な短距離核兵器備蓄との不均衡を考慮に入れたものでなければ」ならず、「ロシアとの相互的なステップという文脈の下で」考えられなくてはならない、としている。クリステンセン氏は、「これは言葉を変えれば、ロシアの非戦略核態勢が欧州におけるNATOの核態勢によってではなく、NATOより劣勢にある自国の通常戦力を補う意味合いを持って決まっていることを考え合わせると、NATOの核戦力削減の条件としてロシアの核戦力との相互性と均衡を持ち出すことで、実際上、軍備管理の動きをクレムリンの強硬派の動向に委ねてしまうことを意味する。」と指摘している。

この文脈の下では、欧州が近い将来に「核のグローバル・ゼロ」、すなわち、すべての戦術核兵器の警戒態勢解除と廃絶を達成する見込みは極めて不透明であり、反核活動家や専門家は大きな試練に直面している。オトフリード・ナサウアー氏が言うように、「ドイツは、NATOの核共有政策に参画することで共同決定者たりうるように努力する、と繰り返し述べてきた。」しかしこうした姿勢こそが、きわめて危険で陳腐化し、逆効果となっている欧州のまがいものの核戦力「B61」の存在理由を部分的に証明するものであるかに思える。(原文へ

翻訳=IPS Japan
 
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│中欧│教育でのロマ隔離に批判高まる

【ブラティスラバIPS=パボル・ストラカンスキー】

スロバキア共和国の裁判所は、ロマの子どもたちを他の子どもから隔離して教育することは違法であるとの判決を下したが、隔離政策を採用している学校は、なおも自らの判断の擁護に躍起となっている。

サリスケ・ミカラニ(Sarisske Michalany)小学校のマリア・クヴァンチゲロヴァ校長は、「ロマの子供達は独自の教室を編成することで教師の目が行き届どいているのであり、彼らは隔離政策から恩恵を受けているのです。」と語った。

しかし隔離政策を批判する人々は、「ロマの子供達を含む様々な背景を持った子供達を同じ教室で教えている学校では成果がでており、隔離政策がロマの教育や社会包括の問題解決には全く役に立っていない。」と主張している。

 サリスケ・ミカラニ小学校に対して訴訟を提起した「市民・人権NGO助言グループ」のステファン・イワンコ氏は、「学校における隔離教育という、広範に見られる違法行為を止めるという意味で、今回の判決は重要な先例になるでしょう。包括的な教育こそ各学校が採用すべき唯一のアプローチです。混成学級において、様々な背景を持つ子供達が、知識の習得にとどまらず、多様性に富んだ社会の中で生きていく上で重要な素養である他者との付き合い方、寛容の精神、責任感などを学んでいけるのです。」と語った。

この学校に通っている児童430人のうち、半分以上がロマであり、22クラスのうち12クラスがロマ専用となっている。

しかし、学校側は、隔離教育は効果を挙げていると反論している。教員の一人で20年間ロマの子供達を教えてきたマルギータ・ドルコワ氏は、「(隔離教育で)ひとりひとりの子どもに注意を払うことができるし、彼らの能力に応じて授業のスピードを調節することもできます。結果的に出席率は上がり、学校からいなくなる子も少なくなりました。ロマの子供達は隔離教育のもとでより多く学べているのです。」「ロマの子どもたちの多くはスロバキア語が話せませんし、基本的な衛生観念もありません。また親たちもほとんど子どもに注意を払わないのです。混成学級にすると、ロマの子どもたちは失敗を怒られてばかりになってしまいます。」と地元メディアに語っている。

ロマの子供の大半は、教育レベルが低く、貧困と失業が蔓延する社会的に阻害されたコミュニティー出身である。スロバキア共和国では、多数のロマが、犯罪率が高い貧民街やスラム同然の居住地で生活している。

クヴァンチゲロヴァ校長は、「ロマとロマ以外の両親の双方が混合学級に反対しており、むりやり一緒にすれば、ロマ以外の子供達への教育に悪影響が及ぶ恐れがあります。」と語った。

また同学校の職員たちも一部のロマの子供達の学校での素行問題を挙げ、「(混成学級になった場合)彼らに対処するには、教師たちは子供たちに教えるというよりも、その他の子供達を守る『ボディガード』のような存在になってしまいかねない。」と主張した。

サリスケ・ミカラニ小学校は、今回の判決を不服として、控訴する予定である。

しかし、他の学校では、こうした考え方には否定的である。むしろ、ロマの子供達を包摂した教育の方が、彼らの可能性を引き出し社会への統合を促進する上で成果があがっていると主張している。

スロオバキア東部のメジェフで混成学級を運営している小学校のヘルトルーダ・シュルゲノヴァ副校長は、ロマの子供達の中にも学校でトップクラスに入っているものがおり、彼らの優秀さは証明されていると語る。

「貧困と不衛生、空腹しか知らない子ども達がシラミが巣食う頭に汚い身なりで学校に来たときは当初少しショックを受けるようですが、まもなく学校の環境に適応し喜んで通学してくるようになります。彼らも人生には違った生き方があるのだということを理解するのです。」とシュルゲノヴァ副校長は付加えた。

スロバキア政府も野党政治家も、サリスケ・ミカラニ小学校の隔離教育方針を批判しているが、同時に、迫害されてきた背景をもつロマの子供達の教育問題に関して、解決策は容易には見つからないという点は認めている。

ある政治家グループは、「各学校は非ロマの子供達の教育を犠牲にしない範囲で、混成学級の規模を縮小することで、教師がロマの子供達に十分な注意を払えるよう」提案している。

またあるグループは、「各学校に隔離教育をやめさせ包括的な教育を実施させていくために必要な支援を国が積極的に行うべきだ。」と述べている。

また今回の判決は、国際人権団体が中欧全域において、ロマの子供達に対する差別に反対するキャンペーンを何年も実施した後に下されたものである。

アムネスティ・インターナショナル」をはじめとする人権団体がスロバキア共和国とチェコ共和国で調べたところによると、両国では、ロマの隔離教育がかなり広範にわたって行われているという。

また、彼らがあやまって精神障害・身体障害学級に割り当てられるケースも多発しているという。「開放社会財団」の調査では、ロマの子どもが特別学校に送られる確率は非ロマの子どもよりも27~28倍も高いという。

2007年、欧州人権裁判所が、ロマの子どもを特別学校に送るチェコ共和国政府の行為は人種差別にあたるという判決を下し、事態改善が期待された。しかし、英国の慈善団体「イクォリティ(平等)」の調査によると、その後もあまり状況に変化はないという。

「イクォリティ」は、2011年3月から9月の間、チェコ共和国やスロバキア共和国から家族とともに英国に移住してきたロマに対する調査を行った。それによると、インタビューに応じたロマの子供の85%が、本国では隔離教育を採用する学校や特殊学校、或いは大半がロマの子供達が占める幼稚園に通っていた。

そして彼らの大半が、教師たちによる差別的な扱いをうけていたのをはじめ、非ロマの子供達による人種差別に基づく虐めや暴言を経験していた。

一方、インタビューに応じたロマの両親たち全員が、英国式の学校制度に差別や人種偏見がない点を高く評価しており、子ども達もこうした一般の学校で学ばせた方が、将来成功するチャンスがより開けてくると回答している。

また同調査によると、ロマの子どもの学校での成績は、算数、国語が平均、科学が平均或いは平均を多少下回る程度であり、むしろ彼らを包摂する教育を進めた方が、学校内外での衝突が少なくなるという。

「イクォリティ」のアラン・アンステッド代表は、「隔離教育は正当化できるものでは決してなく、ロマの生徒たちのためだとする主張にはなんら根拠がありません。(隔離教育は)社会的排除を進めるだけです。」と批判している。

「この(サリスケ・ミカラニ小)学校は、混成学級を設けるべきです。もし混成学級におけるロマの子供達への教育に懸念があるのならば、教師たちは両親と協力して問題解決を模索すべきです。国、両親、地域コミュニティーが知恵を出し合い、経験を共有し、この問題に協力して取り組むことができるはずです。」とアンスデット代表は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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