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|労働|世界中で、労働者たちはまともな仕事を要求している

【ワシントンIPS=特派員】

現代英語の単語「Economy(=経済)」は、ギリシャ語の「Oikonomia(=家庭のための資源の管理)」に由来している。

しかし皮肉なことに、政府の財政削減と緊縮政策により一般家庭が厳しい局面に追い込まれている今日のギリシャでは、数千の失業者が反政府抗議活動に街を埋め尽くすなど、現在の経済体制に対する不満が高まっている。

 ギリシャだけでなく、世界各地の労働者が、彼らが言うところの「平均的な労働者の労働を搾取することで、富裕層に利益をもたらしている今日の経済のあり方」に異議を唱えている。現在も続いている「アラブの春」に鼓舞された世界的な抗議の波は、チュニスから、マドリッド、ニューヨーク、北京と世界各地の首都を席巻している。

今日、世界の失業者が大恐慌時代のピーク時に近い過去最高の2億人となる中、100カ国以上において数百万人の労働者が「ディーセント・ワーク世界行動デー(10月7日)」に合わせて、各国政府に対して、経済復興にもっと力を入れるよう強く要求した。

「151カ国・地域に301の全国組織を擁する国際労働組合総連合(ITUC)は、4回目となる『ディーセント・ワーク世界行動デー』を通じて、『世界経済を今日の停滞と景気後退から脱却させ、世界的な貧困を削減するための安定雇用を創出し、質の高い公共サービスを維持するための資金を捻出するために、金融取引税の導入を含む効果的な金融規制を実施するよう訴えています。』とITUCキャンペーン担当のクリンティン・ブロム氏は語った。
 
「2008年に現在の経済危機が始まって以来、世界の失業者数は2億人を超えました。毎年数千万人の若者が労働市場に流入してきますが、各国政府は既に数百万人の失業者が溢れている状況の中で、若者達の将来を安定させるための職場を提供できないでいるのです。」とシャラン・バロウITUC委員長は語った。

「ウォール街の金融大手や米国商工会議所、世界の提携組織は、各国政府に対して、労働者の賃金カットや金融保護を一層強化するよう圧力をかけています。」とバロウ委員長は付加えた。

「失業者数が急増する一方で、数百万人の労働者が不安定かつ低賃金で危険な仕事に追いやられています。」とバロウ委員長はIPSの取材に応じて語った。

例えば2008年の世界的な金融危機から未だに脱却していないメキシコの場合、金融危機以来失業者が増加し、インフォーマル部門(家庭内の労働・路上販売・農業など、監督や統計の対象となっていない部門。労働法の対象から外れている場合が多い:IPSJ)の雇用が激増した。

メキシコの政府統計局(INEGI)によると、今年の失業率は5.79%で、これはメキシコの総人口1.12億人に占める経済活動人口4900万人の内、実に260万人が働いていないことを意味する。さらに1340万人がインフォーマル部門で働いている現状を考慮すると状況はさらに深刻である。

一方、失業率が低下してきているアルゼンチンのような国においても、インフォーマル部門の危険な仕事に従事する労働者が急増するという深刻な危機に直面している。現在労働人口の34.5%がインフォーマル部門に従事しているとみられているが、この統計には同部門が大半を占める農村部の統計が含まれていない。

南米諸国が失業問題に苦しむ一方、欧州では中・東欧諸国が欧州連合(EU)の中でも最悪の失業率を記録している。EUの統計機関Eurosatによると、スロバキアの失業率は13.4%、ハンガリーは10.3%、バルト諸国のリトアニアは15.6%、ラトビアは16.2%である。

こうした中、様々な部門の労働者が欧州各地で、政府の財政カット、賃金削減、労働政策に抗議する、ストライキや集団辞職等の一連の争議行動を起こしている。

今月初め、ハンガリーでは、労働組合の活動家らが国会議事堂前に集結し、ヴィクトル・オルバーン政権の政策は、富裕層に利益をもたらす一方で低賃金労働者を差別するものだとして抗議の声を上げた。

さらに隣国のスロバキアでは、数千人の国立病院に勤務する医師達が、低賃金の原因となっている政府による少ない予算配分や、労働基準法を破る不当に長い勤務シフトの強制等の過酷な労働条件に抗議して、集団で辞表を提出した。また医師達は、政府が国立病院をより収益重視の運営体制に改革するとして物議を醸している病院医療改革を止めるよう、政府に要求している。

スロバキアの医師達による行動は、数か月前にチェコ共和国の医師達が政府に医療労働環境の改善を約束させた抗議行動に倣ったものであり、今後スロバキアの看護婦組合がこの流れに続くとみられている。

また、欧州最貧国で経済危機後の国際通貨基金(IMF)による支援条件として政府に課せられた緊縮財政のもとで厳しい経済運営を強いられているルーマニアでは、今年になって労働組合による大規模な争議が起こっている。3月には8000人を超える労働者が、政府による労働法改正案は実質的に新規労働組合の結成を不可能にし、集団交渉権を企業単位に引き下げることを目論んでいるとして、デモ行進を行った。

ITUCによると、10月7日に世界各地で実施された「ディーセント・ワーク世界行動デー」関連の抗議行動の中には、東日本大震災・津波後の復興活動に従事する日本人労働者や2014年FIFAワールドカップ及び2016年のオリンピック関連の施設建設に従事するブラジル人労働者によるものも含まれていた。

「ディーセント・ワークとは、人並みの生活を送るための最低限の条件が満たされた、まともかつ安定した雇用のことであり、今、緊急に必要とされているものなのです。」とメキシコの労働リサーチ・組合相談センターのアレハンドロ・ヴェガ氏はIPSの取材に応じて語った。
 
「メキシコの賃金水準は下落したまま回復していません。実質賃金は1982年を基準にすると70%下落しており、とりわけ女性と若者が、経済不況の影響を直接的に受けています。最近の労働統計によると、3000万人にのぼる14歳から29歳の若者の内、150万人が働いていない状況にあります。」

ITUCによるとディーセント・ワーク課題は、1999年から国際労働機関(ILO)の構成主体(各国政府、労働者、使用者)による議論が行われその最終文書は2005年の国連世界サミットにおいて発表され150カ国の指導者の支持を得た。各国政府はこの最終文書を通じて、国内及び国際政治においてディーセント・ワークと生産的な雇用を中心課題に据えることを公約した。

しかしディーセント・ワーク課題は、その後の重要な開発協力政策の大半に含まれていない。さらに2005年の「援助の効果にかかるパリ宣言」や、2008年の「アクラ行動計画」のような重要合意にも、ディーセント・ワークに関する条項は全く欠落しているのである。

「韓国のプサンで開催予定の『第4回援助効果向上に関するハイレベルフォーラム(HLF4)』を2か月後に控えて、このディーセント・ワークという重要課題を国際開発のアジェンダに盛り込む機会がやっと訪れたのです。」と、国際開発協力ネットワーク(TUDCN)のコーディネーターであるジャン・デレイメーカー氏は語った。

「益々多くの人々が、自らや子孫の幸福が人質とされることを拒否しているなか、私たちは労働者のディーセント・ワーク確保のための反撃の準備を着々と進めています。」とITUCのバロウ委員長は語った。(原文へ

INPS Japan

核実験禁止に重要な市民社会の役割

【トロントIDN=J・C・スレシュ】

160ヶ国の外務大臣と高官が、すべての核実験を禁止する「包括的核実験禁止条約」(CTBT)へのコミットメントを確認し、「国際組織、非政府組織、市民社会との連携を図っていく」ことに合意した。

彼らは、国連でのCTBT発効促進会議に集った。こうした協力は、「条約とその目的、さらに早期発効の必要性への意識と支持を喚起する」ことに目的がある、と9月23日にニューヨークで採択された最終宣言は述べている。

最終宣言は、CTBT未加盟諸国に対して、最も高いレベルでのCTBTへのコミットメント、すなわちCTBT加盟を促し、「とりわけ、その署名と批准が条約発効の要件とされている国に対して、条約を早期に発効させるために、遅滞なく署名・批准をする努力を各自で行うよう」求めた。要件になっている国とは、中国、エジプト、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、米国の9ヶ国である。

 
CTBTは、1996年9月24日に署名開放された。それ以来、182ヶ国が署名、155ヶ国が批准した。うち、発効要件国は35ヶ国である。

署名開放から15年、条約批准国は、署名国とともに、「世界からすべての核爆発実験をなくすため、可能な限り早く条約を発効させるような具体的な措置」について議論した。

最終宣言は、「CTBTの発効は、国際的な核軍縮・不拡散体制の中核的な要素としてきわめて重要な意味を持っている。普遍的で、実効的な検証体制を持った本条約は、核軍縮・核不拡散分野での基本的な枠組みを成すものであることをここで繰り返しておきたい。」と述べている。

しかし、条約が正式に履行される前に批准が必要とされる国々、すなわち、中国、エジプト、インドネシア、イラン、イスラエル、米国が、予見しうる将来において批准する可能性はほとんどない、と「グローバル・セキュリティ・ニューズワイア」のエレーン・M・グロスマン氏は記している。インド、北朝鮮、パキスタンの3ヶ国もまた、条約発効のために署名・批准が必要とされている。

ヘンリー・L・スチムソン・センター」の共同創設者マイケル・クレポン氏は、9月22日にワシントンDCで行われたイベントで、この9ヶ国について、「なかなか難しいリストだ」と語った。またクレポン氏は、「これらすべての国家が条約を批准するまでには、まだ相当の時間がかかるだろう。」とブログに記している。

1992年以来核爆発実験の非公式モラトリアムを続けている米国政府においてすら、とりわけ2012年の次の大統領選挙までにバラク・オバマ大統領が上院の共和党議員を説得して3分の2の多数を取る見通しは暗いとみられている。

オバマ大統領はCTBTを推奨してきたが、グロスマン氏によると、「いつ上院に条約案を提出することになるのかわからない。」という。
 
 軍備管理協会のダリル・キンボール事務局長は、「もし中国と米国が条約を批准するようであれば、批准を検討する主要国が出てくるだろう。」と語った。しかし一方で、米中両国がすぐにそうする動きはないという。

クレポン氏はブログの中で、「さんざん批判されてきたこの発効条項は、中国とロシア、フランスによる産物である。これらの国々は、条約に署名しなくてはならないと感じてはいたが、核実験を永久に禁止することには及び腰だった。そこで、この難題を頑強な姿勢をとっている他の国家に条約発効への拒否権を与えることによって解決しようとしたのである。」と記している。

クレポン、キンボール両氏は、「条約は将来にわたっても制約されたものでありつづけるが、CTBT機構準備委員会と暫定技術事務局を恒久的なものにすることによって、核爆発実験を禁止する国際体制に象徴的な意味づけを与えることができるだろう。」と語った。

CTBT準備委員会(正式名称では「包括的核実験禁止条約機関準備委員会」)は、70ヶ国以上で施設を運用し、260人以上のスタッフを抱えている。委員会の役割は、条約を推進し、条約発効の際に機能する検証体制を整えることにある。

暫定技術事務局は、「国際監視システム」(IMS)や、入ってくるデータを分析する「国際データセンター」の運営などを通じて、準備委員会を支援している。

「CTBT本部は、おおよそ1.2億ドルの年間予算を擁しており、250のモニタリング局、10の実験室を含めた世界的な監視システムの建設は8割完了しました。また、クレポン氏など核専門家によれば、国際的な監視システムなしには見逃していたであろう、例えば2006年10月に北朝鮮が行ったきわめて小さい出力の核実験時のものを含む、地震動の観測にも成功しています。」とグロスマン氏は語った。

CTBTは、軍事目的であろうと平和目的であろうと、すべての核爆発実験を禁じている。まだ条約は発効していないため、条約推進と検証体制構築のために新設された組織は、はじめから、暫定的なものであるとされた。

「私たちは、『暫定的』とか『準備』という言葉を、CTBT関連組織のレターヘッドと、国際的な用語から取り除くべきだと提案しています。なぜなら、そうすることで、ウィーンを本拠とするCTBT機関の国際的な地震動監視、放射性物質探知業務の利点が保たれることになるからです。」とクレポン氏は語った。条約機構はまた、津波の探知と警戒情報の発出でも役割を果たしている。

9月23日の最終宣言は、条約批准国と署名国がともに、条約の早期批准と普遍化に向けた具体的な措置をとる決意を確認し、この目的のために、国際組織、非政府組織、その他の市民社会の代表と連携することを含め、次のような措置を採択した。

・条約が果たしている重要な役割への意識を喚起するため、地域セミナーや地域会合を奨励する。

・CTBT機関準備委員会に対して、国際協力活動と、法的・技術的分野におけるワークショップやセミナー、訓練プログラムを継続するよう求める。

・「たとえば、教育・訓練の機会を通じて条約への理解促進を図ること、なかんずく、環境、地球科学技術、津波警報システム、放射性粒子・ガスの偶発的放出の検地、その他の災害警報システムなどの分野における検証技術に関して、暫定的に、そして条約で予定されている目的と特定の任務に鑑みて、その民生的、科学的応用の利益を示すこと」を準備委員会に対して要請する。

・暫定技術事務局に対し、批准プロセスや履行措置に関する加盟国への法的支援を引き続き提供するよう要請する。また、これらの活動を強化し、それが目に見えるものになるように、関連情報や資料の交換・普及のための連絡拠点の機能を維持するよう要請する。

・暫定技術事務局に対し、批准国・署名国による対外活動で収集された情報を集約し、この目的でこれらの国々から提供されたデータに基づく最新情報の概要を公開ウェブサイト上に管理し、よって条約の早期発効を支援する「フォーカル・ポイント」としての役割を引き続き要請する。

今回のCTBT発効促進会議について特筆すべきは、この国連会議が市民団体に対して開かれていたことである。全部で次の12の団体が参加した:軍備管理協会(ACA)、カーネギー国際平和財団、キリスト教核軍縮キャンペーンケニア支部、グローバル安全保障研究所(GSI)、国際反核法律家協会、国際人権監視団(IHRO)、マサチューセッツ工科大学(MIT)、グローバル正義のためのパートナーシップ、パックスクリスティ・インターナショナル、元国連インターン・研究員世界協会、ニューヨーク国連協会、婦人国際平和自由連盟。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|リビア|「国の将来のためには和解が鍵」とUAE紙

【アブダビWAM】

「リビアの新政権作りを目指す暫定国民評議会は、自由で民主的な選挙を8カ月以内に行うとしたタイムテーブルを発表した。」

「この発表は、前政権最後の拠点であるシルトが20日陥落した際にムアンマール・カダフィ大佐が殺害された状況について真相解明を求める国際社会からの要求が高まっている中で行われた。」とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が報じた。

「今のタイミングでカダフィ大佐の死に関する調査を要求するのは少しナイーブであろう。この不可避の末路に至るまでには、多くの段階を経てきており、カダフィ大佐はいつでも退陣或いは国際社会に身柄を預けることで、この血なまぐさい紛争に終止符を打つことができたはずである。しかし大佐はその選択肢を選ばず、最後の瞬間までシルトに身を隠していた。その結果、8カ月という長きにわたる血なまぐさい内戦が現出し、暴力と憎しみに満ちた争いがついには彼の死へとつながったのである。」とガルフ・ニュース紙は10月24日付の論説の中で報じた。

 従って、国際社会は、今日のリビアに起こっていることに、注目を移すべきである。過去40年に亘ってカダフィ大佐は、自らに従わない全ての人々を残虐に弾圧し排除してきた。その結果、暫定国民評議会の諸勢力は、この独裁者と政権に対する反抗で統一戦線を形成してきた訳である。

「総選挙が行われる8か月後までに、暫定国民評議会は、全ての政治勢力や部族が受け入れることができる新たなフレームワークを作らなければならない。そしてそれはこれからのリビアのあり方について存在する様々な政治的な意見を広く尊重するオープンなものでなければならない。」と同紙は指摘した。

血塗られた独裁者の側についていたと見做されているリビア国民に対する憎悪が国中を覆っている今日の状況を考えれば、国民的和解がなされる必要がある。

「セイフ・アル・イスラム氏(カダフィ大佐の二男)が依然逃亡している中、旧サダフィ支持勢力からの反攻勢の危険性は依然として存在するが、今日リビア全土を覆っている反カダフィ感情を考慮すればその可能性は低いだろう。暫定国民評議会がまず着手すべきは、国内各地の民兵を解散し武器を回収することである。そして一刻も早く法の統治を回復するとともに、教育やヘルスケアに対する施策に着手べきである。8カ月に及ぶ内戦で破壊されたインフラも直ちに立て直さなければならない。そして、暫定国民評議会は、カダフィ大佐が海外の各地に隠匿した考えられている個人資産2000億ドルへのアクセスを確保しなければならない。」と、ガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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「第1回低炭素地球サミット」(中国大連市)を取材

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.

中国遼寧省大連市で2011年10月19日から26日にかけて開催された「第1回低炭素地球サミット」において、東京都の環境対策事例を紹介した日本からの代表団(遠藤啓二東京都トラック協会環境部部長)に取材同行した際の映像資料。

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経済情勢悪化で移民への見方厳しく(IPS年次会合2011)

【ヘルシンキIPS=ルナス・アタラー】

Nasser Abdulaziz Al-Nasser photo by Katsuhiro Asagiri

「経済危機以降、移民はますます人種差別と外国人迫害にさらされるようになってきています。」―そう語るのは、国連総会のナシル・アブドルアジズ・アルナセル議長である。13日にヘルシンキで開かれた移民とコミュニケーションに関する会議でのことだ。

国際移住機関(IOM)フィンランド外務省インター・プレス・サービス(IPS)が共催した情報の流れと対話のバランス配分に関する会議で発言したナセル氏は、移民に関する議論の力点をどう変えるか考えるためには、「事実を見つめ、根拠のない社会通念(Myth)を終わらせる必要があります。今日、南北移民とともに多いのが南南移民です。ほとんどの移住は、近隣諸国や同一地域内での短距離で起こっているのです。」と語った。

南から北への移民の流れに対する嫌悪感が増す状況下、アルナセル氏は、「アラブ・湾岸諸国では、労働力人口の半分以上を移民が占めています。彼らは出身国の家族に対して送金しますが、2010年にはその総額が約3250億ドルにものぼりました。この数年間送金にかかる手数料が安くなってきているので、多くの家族が貧困から救われているのです。」と語った。

またアルナセル議長は、「移住が最適の条件下で最適の結果をめざしてなされるよう、国際協力が必要です。国際組織は、移住によって移民の出身国を利するようにしなくてはなりません。」と語った。

こうした必要性と事実が知らされ、よく理解される必要があるという点で、会議の発言者らは一致した。移民が労働している国の経済にもたらす利益と、出身国の発展にもたらす寄与について事実が知られなければならない。

IOMのウィリアム・レイシー・スウィング事務局長は、「移民が社会に敵対心を引き起こしている状況の下では、こうしたことが緊急に求められています。今日、反移民的な感情が世界を席巻していますが、移民に関する正しい見方を作りあげていくことが必要です。」と語った。

またスウィング事務局長は、「政策に影響を及ぼしているのは、事実よりもメディアの作り出す言説や世論であり、しかもその影響は概してマイナスのものなのです。その結果、外国人嫌いが社会に再来しており、(移民の)圧倒的多数による圧倒的にプラスの貢献が、あっさりと忘れ去られているのです。」と語った。

「移民に関する根拠ない社会通念には、今日多くの共通点が確認されていることから、こうした誤った通念を解消していく必要があります。その典型的な事例として『ほとんどの移住は国境を越えて行われる』というものがあります。しかし事実は、同一国内の移住はが国境を越えたものより3倍もあるのです。最近の報告では、中国における、国内移住は2億1000万人にも上り、これは、世界の移住の2億1400万人とほぼ同じ数字なのです。」とスウィング事務局長は語った。

「経済格差のある状況では移住は不可避」だとスウィング氏は考えている。フィンランドのハイディ・ハウタラ国際開発相は、「多くの人は、逃亡したり、難民になったり、よその地域でまともな暮らしと仕事を見つける必要性に迫られているということを私たちは知っておかねばなりません。こういう人々を保護する必要性があるということに私たちはもっと敏感であらねばなりません。フィンランド政府は、将来の開発政策の策定にあたって、移民の問題も念頭に置くことになります。」と語った。

またハウタラ大臣は、「女性と子どもの権利に特別の地位を与えること、その権利は移住のすべての段階における中心的な問題であることを強調しておきたい。」と語った。

移住に関してより多くの知識が必要であることは、衆目の一致する点である。「私たちはみな移住の影響を受けているし、それは実際私たちの社会で起きていることなのです。しかし、議論に際して情報は十分得られているでしょうか?メディアと国際組織の役割が問われるのは、まさにこの点にあります。」と国際移住機関(IOM)幹部のピーター・シャッツアー氏は語った。

Katsuhiro Asagiri

またシャツァー氏は、「世界は、移住の影響があらゆる面においてあることを次第に理解するようになってきています。2000年のミレニアム開発目標(MDGs)では、目標のうち7つまでもが移住との関係があるにもかかわらず、移住についてまったく触れられていなせんでした。しかし現在の議論は、移住問題を取り込む方向に進みつつあります。」と語った。

IPSのマリオ・ルベトキン事務総長は、「将来的には移住問題の比重は増してくるでしょう。移住を、環境問題、気候変動、災害問題、水や雇用、人権、女性、子どもの問題と関連づけねばなりません。移住問題に関連して実際に何が起きているのかについて、われわれはもっとよく伝えなければならない。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│南スーダン│石油紛争勃発の恐れ

【ジュバIPS=チャールトン・ドキ】

スーダン・南スーダン国境沿いの住民らが、石油をめぐる両国間の紛争が戦争に発展する危険にさらされている。

スーダンの南コルドファン州、青ナイル州近辺では、スーダン国軍とスーダン人民解放軍・北部(SPLA-N)との衝突が続いている。

スーダン・南スーダン両国の石油生産のうち85%は、南スーダンで行われており、その大部分はベンティウ州、上ナイル州からのものである。もう少し内陸に入ったジェングレイ州でも石油を産出している。南スーダン石油鉱業省のガトベク事務次官によると、通常どおり生産できていれば、南スーダンの生産能力は日産30万バレルだという。

Southern Sudanese soldiers from the armed faction of the Sudan People's Liberation Movement. Credit: Peter Martell/IRIN
Southern Sudanese soldiers from the armed faction of the Sudan People’s Liberation Movement. Credit: Peter Martell/IRIN

 地元のNGO「進歩のためのコミュニティ強化機構」(CEPO)は、9月17日に発表した報告書で、両国間の国境では一般社会に武器があふれ、きわめて危険な場所になりつつあると警告した。

米スミス大学のスーダン専門家、エリック・リーブス氏は、スーダン側の挑発に対して南スーダンはきわめて冷静に対処しているとして、「約1年前の11月に南スーダンに対する爆撃が始まり、アビエイも軍事的に奪取されましたが、南スーダンはこれに武力で反抗していません。ヌバ山脈や青ナイルの兵士に加勢することも避けています。しかし、これも長くは続かないでしょう。」と語った。

仮にスーダン軍の攻撃が、SPLA-Nの拠点であるクルムーク(スーダン・エチオピア国境沿い)で続くようであれば、現在はバラバラにスーダン軍に対して戦闘を行っている集団が糾合される可能性がある。これがさらにダルフールの反乱集団と結びつくことがあれば、戦争がチャド国境からエチオピア国境まで、さらにはエリトリア国境にまで拡大する危険性もある。

世界銀行のコンサルタントであるスペンサー・ケンニ氏によると、このような戦闘状況が続くようであれば、南スーダンが石油生産に関してスーダンに依存する状況からの脱却を目指す動きが加速されることになるだろう、という。

現在南スーダンは、スーダン国内のパイプラインを利用するために法外な使用料を支払っている。しかし、南スーダンは、3つの石油精錬所の建造、南スーダンからケニアの港町ラムにかけた3600kmのパイプライン敷設を検討している。

スーダン・南スーダン国境の石油紛争について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

平和の文化構築を呼びかけた反核展示会

【ベルリンIPS=カリーナ・ベックマン】

どちらの世界が安全か?― 重武装した現在の世界か、全ての人々の基本的ニーズが満たされた世界か ―これが、28カ国・地域、220都市以上を回りドイツに到着した核廃絶展のテーマの1つである。

3月の日本の福島原発事故による原発の被害は、核による安全性の限界を世界に知らしめた。この疑問は今、これまでになく、正当なものとなっている。

Daisaku Ikeda/ Photo credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo credit: Seikyo Shimbun

 10月7日、「核兵器廃絶への挑戦」展の開幕式がベルリンで行われた。池田博正創価学会インタナショナル(SGI)副会長は、ドイツの首都を「平和の都市」として称えた。

さらに、1945年、16万人以上を一度に殲滅した広島・長崎に投下された原子爆弾、その唯一の被爆国である日本にとって、ドイツの反核運動は1つの善きモデルとなると述べた。

この展示は18対のパネルから構成されており、核兵器の脅威を写真・文章を通して訴え、平和・軍縮・不拡散を後押しするテーマを様々な角度から盛り込んでいる。

SGIは、一人ひとりの変革と社会貢献を通して平和・文化・教育を推進し、世界に広がる在家仏教運動で、メンバーは1200万人以上を超える。人類にとって大きな脅威の一つである核兵器の廃絶にも取り組んでいる。
 
ベルリンでの展示会開幕式で紹介されたメッセージの中で、池田大作SGI会長は、「私たちの眼前には、貧困や環境問題、また深刻な失業や金融危機など、各国が一致して立ち向かうべき『人類共通の課題』が山積しています。」「そのために必要な人的・経済的資源を犠牲にしてまで核兵器を維持することの愚かさが、今、一層明らかになっております。あくまで必要とされるのは、『安全保障』であって、『核兵器の保有』ではありません。」と述べた。

10月16日まで開催されるこの展示は、開発のためではなく戦争の文化のために資源を費やすことの愚かさを訴えている。現在、世界の国々は年間1兆ドル以上を軍事費や武器貿易に費やしている。これは、地球上の一人当たり173ドルにあたると説明する。

さらに、「世界の軍事費の10%未満にあたる700億-800億ドルがあれば、地球上のすべての人々に必要最低限の必需品を行き渡らせることができます。」と述べている。

核兵器については、未だに2万発以上の核弾頭があり、これは、世界中のあらゆる生物を何度も全滅させることができる数となっている。

池田SGI会長は、「『核兵器のない世界』という偉大なる目標に向かって、心ある政治指導者ならびに市民社会は、今こそ連携を密にし、その総力を結集すべき時を迎えています。」「その里程標ともいうべきものが、核兵器禁止条約(NWC)の実現であります。その早期交渉開始を、ここベルリンの地で、私は改めて強く訴えるものです。」と述べ、NWCへの早期交渉開始を、改めて訴えかけた。
 
池田博正SGI副会長は、100名余りの参加者を前に、核抑止論に挑むことの重要性を強調した。「核兵器は人間の安全保障に貢献しておらず、冷戦終結から20年が経った今日においては、『硬直した思考』です。」「冷戦が20世紀の最後に薄れていく中、地球的な核戦争の脅威も後退したように見えました。しかし世界は、核抑止論の構造や論理を解体する機会を逃したのです」と語った。

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SGI

日本人は一般的に、ヒロシマ・ナガサキのトラウマ的な経験の遺産として、核兵器に対して非常に否定的な態度を持っている。しかし福島の原発事故が起こるまで、核エネルギーの平和的利用については概ね受け入れていた。

寺崎広嗣SGI平和運動局長は、「原子力の安全性に対する疑問と代替エネルギーの確保という問題の狭間で、日本人は原子力発電にどう向き合うのかという問いが、改めて提起されることになりました。」「その目的に鑑みるとき、原子力発電を無条件に否定することは容易ではありません。また原子力発電が、エネルギー供給の点で今日一定の役割を果たしていることも事実であり、その現実から目を背けることも適切ではありません。」と語った。

また寺崎局長は、「原子力発電は、短期的・中期的には、代替エネルギーが開発されるまでの過渡的なエネルギーの一部として位置づける。」「原子力発電は、長期的に目指す再生可能なクリーンエネルギー社会実現過程における『つなぎ』の役割として限定するべきでありましょう。」とも語った。

「原子のつながりを断つ時が来ています。」とは、開発と平和のための組織である国際協力評議会(GCC)と共にベルリン核廃絶展の共催者である核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、ザンテ・ホール氏の言葉である。
 

Xanthe Hall
Xanthe Hall

ホール氏は、「発掘活動やウランの濃縮から使用済み核燃料の除去まで、核の生産の連鎖における全ての部分が、癌、遺伝子欠陥、環境破壊等、人類への脅威をはらんでいます。」と語った。

彼女の観点では、2022年までに全ての原子力発電所を閉鎖することを決めた後、ドイツが行っているように、核エネルギーを禁止するだけでは、十分ではない。その理由は、核生産の連鎖の中で、全ての部分が、放射能を生み、それ故に人類や環境を脅かすからである。

IPPNWは、ウラン発掘、ウラン兵器、核分裂性物質の生産の世界的な禁止、核物質の輸送の停止、包括的核実験禁止条約(CTBT)や核兵器禁止条約(NWC)の発効のために運動を展開している。

ホール氏は、「太陽や風が戦争を引き起こしたことはありません。ですから、核の鎖と核テロの脅威から私達自身を解放しましょう。私達の生きている間にこの目的が達成されることを望むものです。」と語った。

ドイツ連邦議会軍縮・軍備管理・不拡散小委員会議長を務める、ウタ・ツァプフ氏は、「残念ながら、いまだ平和は、人間精神の主体とはなっていません。新北大西洋条約機構(NATO)戦略はその良い例です。」と指摘した上で、「私達は、友達やパートナーに囲まれています。核の抑止論を放棄してはどうでしょうか。展示と共に問題に関わりましょう。平和の文化を構築し、核兵器の非人間的な不正を禁じたいと思う人々と共に、行動を起こしましょう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【カーディフIPS/SNS=エヴァ・フェルナンデス・オルティス】

「神さま、どうか私の胸を無くしてください。」ジョイス・フォーガブはブレスト・アイロニングに苦しめられた数か月の間、この言葉を毎晩唱えて神に祈ったものだった。カメルーンで4人に1人の母親が娘に施術しているこのぞっとするような慣習は、女性としての性的な発達を遅らせることを意図したものである。

ジョイスがブレスト・アイロニングの洗礼を受けたのは8歳の時であった。「母は平らな石を拾ってきて、それが焼けるまで数分間火に炙ったの。彼女はその石がとっても熱いことを知っていたから、自分の手は保護していたわ。そして石を持つとそれを私の胸に押し当てて、しっかりともみほぐしたの。私はあまりの痛さに家を飛び出したの。とてもおぞましい経験だわ。」と今は25歳になったジョイスは当時の経験を振り返った。

Dr. Sinou Tchana, whose mother tried to iron her daughter
Dr. Sinou Tchana, whose mother tried to iron her daughter

 ジョイスの経験はカメルーンでは珍しいことではなく、約4人に1人が幼児期に経験しているとみられている。ブレスト・アイロニングとは胸が膨らみ始めた少女に対して、通常、母親や叔母によって行われる伝統的な慣習で、熱した平らなものを胸に押し当て、成長を抑制、阻害しようとするものである。

ブレスト・アイロニングには器具として大半の場合、木製の乳棒や石が用いられる。その他、ココナッツの殻、研磨石、柄杓、へらが用いられることもある。いずれも炭火で注意深く熱したうえで使用される。

「ブレスト・アイロニングは、カメルーンの有史以来常に存在してきました。」と、産婦人科でカメルーン女医協会の副代表をつとめるシノウ・チャナ医師は語った。1990年代初頭、チャナ医師達はカメルーンの全10州をまわり、女性の性的特質に影響を及ぼす慣習に関する調査を行ったが、ほとんどの地域でブレスト・アイロニングが幅広く実施されている実態にショックを受けた。

「私たちはこの慣習は少女の身体にとって良くないことだと説明したのですが、少女の母親や叔母たちは『胸が大きくなりだすと、こうしてブレスト・アイロニングして発育を抑えるのは当たり前のこと。』と反論してくるのです。彼女たちは自分たちがしていることが危険なことだという認識が全くないのです。」とチャナ医師は説明した。

幅広く行われている習慣

カメルーンの女性協会『レナータ』は、2006年のレポートの中で、ブレスト・アイロニングは沿岸州(53%)と北西州(31%)の2つの地域で最も幅広く行われていると報告している。また同レポートは、ブレスト・アイロニングはイスラム教徒が多い北部(10%)よりもキリスト教徒と精霊信仰者が多い南部(30%~50%)においてより一般的だと報告している。

ブレスト・アイロニングはカメルーンで最も普及しているが、ギニアビサウや、チャド、トーゴ、ベニン、ギニア‐コナクリを含む西・中央アフリカでも見られる慣習である。

チャナ医師は、診療所でブレスト・アイロニングの加害者と犠牲者双方に遭遇するという。しばしば母親は娘に施術した時には実際自分が何をしているのか理解してないことが少なくない。チャナ医師は、ブレスト・アイロニングについて許しを求めるある母親のケースを思い出して次のように語った。

「この母親は、『先生、赦してください。私は自分が火傷してはじめて、娘がどんな痛みに苦しんでいたのか初めて分かったのです。』と訴えていました。彼女は娘の胸に石を押し当てた際に誤って自分の手を火傷し、この診療所に治療にやってきたのです。」

「火から石を取り出すと、まず左右どちらかの胸に押し当てるところから施術が始まります。この患者の娘の場合、この焼けた石で彼女の片胸は完全に破壊されてしまいました。もう一つの胸のダメージはそれほど深刻ではありませんでしたが、結果は同じでした。今、その娘の胸は左右不釣り合いなものとなっています。」とチャナ医師は語った。

ブレスト・アイロニングは女性の胸に2つの全く逆の効果をもたらす。この施術によって胸のサイズを大幅に縮小し平らな胸にする可能性がある一方で、胸の組織を破壊し筋肉や形状がない単なる脂肪の袋にしてしまうという全く逆の効果をもたらす可能性もある。ジョイスの身に起こったのは後者のケースである。

「私の胸はブレスト・アイロニングで壊されてしまいました。この問題は子供を儲ける前から抱えているので出産とは関係ありません。このために私は寝ているときも、授乳するときも常にブラジャーなしではやっていけないのです。」とジョイスは語った。

さらにチャナ医師は、「少女が本当に小さな胸をしている場合、家族が『適切なテクニック』で施術した結果といえます。つまり使われた石は熱すぎず、アイロニングは胸全体に均等になされたということです。一方、『不適切なテクニック』、すなわち熱すぎる石を早急に押し付けた場合、代償として、火傷と大きく膨れ上がった胸が残されることになります。いずれにしても、施術に失敗したからと言って胸の矯正には多額の費用がかかり、犠牲者は大きな重荷を負うことになるのです。」と語った。

また、ブレスト・アイロニングは、少女たちに耐え難い痛みと精神的なトラウマを残すのみならず、様々な健康問題に晒すことになる。多くの医学レポートによると、ブレスト・アイロニングは、腫物、痒み、幼児への授乳不能、感染、胸の奇形または消滅、嚢胞(組織にできた袋、中に液が入っている)、組織破壊、そして乳癌さえも引き起こすリスクがあることを指摘している。

「24歳で乳癌で死亡した女性を診察したことがあります。ブレスト・アイロニングのせいで胸の組織が完全に破壊された結果、乳癌が引き起こされることがあるのです。」とチャナ医師は語った。

ではなぜ?

こうした医療結果が明らかになっているにもかかわらず、カメルーンの少女の4人に1人はなぜ引き続きこのような拷問にも等しい慣習を強いられているのだろうか?57歳のカメルーン女性で8人の子供の母であるゼ・ジーンは、その理由として「少女の胸が大きくなり始めると、男たちが近づき、性交しようとします。そこで母親たちは娘たちが学業を続けられるように、ブレスト・アイロニングをせざるを得ないのです。」と語った。

ゼへの取材は、ヤウンデ中心街から20分の郊外ある彼女の自宅で行われた。椅子に座って取材に応えるゼの隣には娘のクラリスがソファで横になっている。ゼは、全ての娘について、胸が大きくなり始めた頃に、ブレスト・アイロニングを施術したと語った。

ゼはクラリスを指しながら、「彼女場合、9歳の時に胸が大きくなりだしたので、ブレスト・アイロニングで発育を止めなければなりませんでした。私は彼女の胸を破壊するためにしたのではなく、彼女を助けるためにしたのです。」と語った。

カメルーンの女性たちは、ブレスト・アイロニングを正当化するために多くの理由を挙げる。すなわちカメルーンの歴史的文化に根差している他に、少年少女の性的なコンタクトを避けるための手段であることを強調している。彼女たちによると、「女性としての性徴が身体に現れるのを抑制することで、母親たちは、娘が純潔を守り、子供を産める成熟した女性に見えないように保証している」とのことである。

こうした母親達の懸念は全く根拠がないわけではない。少女たちが早期に性交すれば、十代における望まない妊娠や危険な堕胎事例、さらには暴行や性感染症に晒されるリスクを高めることになる。多くのカメルーンの母親たちにとって、娘の発達しつつある胸を焼くリスクは、こうした早期性交に伴うリスクよりもはるかに受け入れられる選択肢なのである。「すなわちブレスト・アイロニングという習慣は、母親の娘に対する愛情と心配から生まれたものなのです。」と母親たちは主張した。しかし実際はそのとおりに機能しているのだろうか?

ブレスト・アイロニングの犠牲となった少女たちのほとんどは、施術は極めて激しい痛みを伴うもので、しかしそれによって男性からの性的な注目がそがれることはない、と主張している。
 
この点についてジョイスは「結局のところ、ブレスト・アイロニングは避妊のための最良の策とは言えません。なぜなら私のような施術の犠牲者でさえ妊娠できるのですから。私の場合、婚姻前に子供を出産したので、全く避妊に効果がなかったといえます。性に関する認識はむしろ頭の中の問題だと思います。すなわち年齢を重ねれば、自分の行いが引き起こすリスクについて慎重に考えるようになると思うのです。」と語った。

一方、ゼは異なる見方をしているようだ。彼女は、「ブレスト・アイロニングのお蔭で彼女も娘たちも早期に女性らしく見えることを回避でき、身を守ることができたと確信している。「私の娘たちは、ブレスト・アイロニングは伝統の一部だと受け入れてくれました。少女がまだ小さな段階で胸の発達を放置することは彼女の将来にも危険を及ぼすことになるのです。もし彼女が望まぬ妊娠でもしたら、その後の人生が大きく狂わされることになるのです。」と語った。

ゼは娘のクラリスがブレスト・アイロニングを受け入れていると主張しているが、クラリスの反応は異なっていた。将来自分の娘にブレスト・アイロニングを施すかどうか聞かれ、クラリスは、「私は絶対娘にしたくありません。」と回答した。

カメルーンでは性に関する話はタブーであり、多くの少女たちが理由も知らされずブレスト・アイロニングを受けている。「9歳の子はセックスについて知識がありませんから何も説明しませんでした。しかし娘が11歳になり『9歳の時、どうしてあんなことしたの?』と聞き始めたのである程度の理由を説明したのです。」とゼは語った。

一方ジョイスは、焼けた石を胸に押し当てられた瞬間に母に理由の説明を求めた。「母は、私は胸をもつには幼すぎるって言ったわ。そしてこのまま胸が大きくなるままに放置したら男の人たちが言い寄ってくるって。母はまた、胸が大きくなると背が高くならないって言ったわ。」と、ジョイスは当時を思い出しながら語った。

男性は蚊帳の外

29歳のカメルーン人男性のジョセフ・ンゴンディは、26歳の時に初めて、ブレスト・アイロニングというものを知った。彼は新しいガールフレンドと初めてホテルで一夜を過ごすところだった。しかし彼女が上半身を脱ぐと、彼が見たものは、胸ではなく平らな胸部の上にある2つの黒いしみのようなものだった。

「その時、あまりのショックに頭の中で、『この娘に何が起きたのだろう。何かの病気にでも罹っているのではないか。』と自問自答したのです。すると私の怪訝そうな表情に気付いたようで、彼女は胸を隠し恥じ入っているようでした。」

ンゴンディは彼女に事情を尋ねたところ、11歳の時に母からブレスト・アイロニングを施術されたことを打ち明けた。「彼女にとってブレスト・アイロニングの経験を他人に話すのは勇気のいる決断だったと思います。」とンゴンディは語った。

とりわけブレスト・アイロニングが慣習というよりも避妊を目的として施術されている都市部においては、多くの男性がその存在を知らないままでいるのが実態である。ンゴンディの場合も、それまでブレスト・アイロニングについて全く理解していなかった。「私はその娘から話を聞いて初めてブレスト・アイロニングとはどのようなものなのか知ったのです。それまでは、言葉としては聞いたことがありましたが、それがどのようなものなのか誰も説明してくれなかったのです。」とンゴンディは語った。

避妊手段としてブレスト・アイロニングを施術する母親の多くは、親戚にもそのことについて話をしないという。女性協会『レナータ』のジョルゲッテ・タク事務局長はこの点について、「家庭内で性教育に関する会話が全くない家庭も少なくなく、ブレスト・アイロニングについても隠して話題にしない傾向があります。さらに、子どもの監督責任は母親にあるとされており、もし少女が妊娠するようなことになると母親が責められることになるのです。」と説明した。

タク事務局長によると、カメルーン家庭では、十代の未婚の娘が妊娠すると、父親は娘のみならず母親も家から追い出すことができるという。

一方、ブレスト・アイロニングが避妊手段としてよりも伝統的儀式として行われている農村部においては、男性も十分認識している。「なにも隠すものではありません。伝統に則ったもので悪いことではないのですから、家族全員が見守ればいいのです。」とゼは語った。

ブレスト・アイロニングの犠牲となったジョイスは、この点について「農村部では家庭によっては男性が施術をすることもあります。例えば妻が亡くなっている場合、娘にブレスト・アイロニングを施すのは父親の義務だと考えられているのです。」と語った。

「おばあちゃんが私に火傷を負わせようとしているの」

「ママ、ママ…急いできて!おばあちゃんが私に火傷を負わせようとしているの!」これはチャナ医師が1997年に娘のカトからの電話で聞いた娘の必死の訴えである。

「彼女は当時11歳で私の故郷バンガンテ村で休暇を過ごしていました。私の義理の母はベテランの助産婦で、娘カトのブレスト・アイロニングを施術したがったのです。私はその時の娘の声が忘れられません。彼女は恐怖で慄いていました。私は娘に『心配しないで。今そちらにいくから。おばあちゃんには、ブレスト・アイロニングを受けるときにはママに同席してほしいと言いなさい。』と指示したのです。」

すでに金曜日の午後7時で、チャナ医師は車を運転して娘の待つ村に急行した。「義母は娘が私に電話したことを大変憤慨していました。私は『自分は医者だし、あなたよりもこういうことには知識があります』と言って義母に施術をやめるよう迫ったのです。すると義母は『私も助産婦だから十分に知識がある』といって反論してきました。結局、施術はなされませんでした。私はどんなことがあっても決して許可しなかったでしょう。」

起源

ブレスト・アイロニングの地理的な起源については明らかでない。多くのカメルーン人が農村地帯が起源と主張する一方で、2007年版のドイツ技術協力公社(GTZ)による報告書には、「農村部より都市部で多く実践されている」と記されている。

首都のヤウンデ(1888年設立)や経済の中心地で同国最大のドゥアラのような都市がカメルーンに出現したのは100年余り前に過ぎない。この観点からみると農村起源説が有力である。また、農村起源説の背景には、ブレスト・アイロニングが都市部においてより公に非難されている事情が影響しているものと考えられる。

にもかかわらず、都市起源説にもある程度の説得力がある。カメルーンでは都市部における少女の就学率が農村部よりもかなり高いことから、母親たちが望まない妊娠という負担から娘たちを解放するためにブレスト・アイロニングを施術する動機に駆られるのも無理のないことだろう。

チャナ医師は、施術は都市部と農村部双方で行われているが都市部の方がリスクが高いとして、「ブレスト・アイロニングが引き起こす激痛から、多くの少女が家出しています。農村部だと、叔母や、村長や、近隣住民の家に駆けこめるのですが、都市部では多くの危険が外には潜んでいます。」と語った。

皮肉なことに、ブレスト・アイロニングは結果的に望まない妊娠の原因となってしまっている。この点についてチャナ医師は、「家出した少女たちの多くは、何も持たずボーイフレンドの元に駆け込みます。このような状況で、ボーイフレンドから性交を求められたら断るのは難しいものです。」とチャナ医師は語った。

腹部も標的に

残念ながら、カメルーンにおいて「アイロニング」の対象は胸だけではない。出産後のマッサージとして知られる「ベリー(お腹)アイロニング」といわれる危険な慣行も残っている。しかも、女性協会『レナータ』によると、ブレストアイロニングよりも幅広く行われていて、同様に女性に肉体的・精神的傷を残しているとのことである。

ベリーアイロニングでは、まず、熱湯に浸した伝統的な箒(ほうき)で出産直後の女性のお腹を叩く。続いて、同じく熱湯に浸したタオルで体の各部をマッサージするのである。またいくつかの地域においては、湯気が膣と子宮に届くよう、女性が熱湯を入れたバケツに腰掛けさせられる場合もある。

このような慣行は、火傷、膣への感染、子宮頚部の損傷を引き起こしかねない。しかしカメルーンでは伝統的に出産後に残った血を取り除くことが重要と考えられていることから、多くの女性が無批判に受け入れている傾向にある。

「ブレストアイロニングをされている少女の絶叫は、早朝でも近所の人々を起こすほどですから、外を歩いていても自然と気付くものです。」とレナータのガイドは語った。

首都ヤウンデの住宅街を歩いていると、少女の切羽詰まった叫びが家の中から聞こえてくることは珍しくない。外国人は「何が起こっているのだろう?」「その少女は大丈夫だろうか?」と心配するものだが、対照的にカメルーン人は少女の叫びにはまったく注意を払わず、なにもおこっていないかのように日常の営みを続けている。

性徴の現れ

女性を傷つけてきた伝統的慣習は、人類の歴史を振り返ると、中国の纏足(てんそく)、助骨を締め付けるコルセット女性器切除、中世の貞操帯など、枚挙に暇がない。しかし女性にとって拷問に等しいこうした慣習に共通していることは、女性の貞操を守り、(その時代の概念に基づいて)女性をより美しくする、という男性の要望を満たすことを目的としている点である。
 
しかしブレスト・アイロニングの場合、このカテゴリーに当てはまらない。この慣習は、男性に利するのではなく、むしろ男性の注目から少女を守るため、つまり「少女自身のため」という理屈で、女性によって行われてきた、数少ない虐待の事例である。
 
 カメルーン社会を理解するためには、この社会における胸に対する考え方を理解しておくことが必要である。「胸が大きくなりはじめることは、性交が可能になったこと、すなわち結婚適齢期に達したことを意味するのです。」とレナータの広報担当であるタクは語った。
 
学生時代、ジョイスは胸が育ってきていることを仄めかす「ミスロロ」という名前で揶揄された。「当時、私はとても恥ずかしいと思ったの。『両親が私にブレスト・アイロニングを施術するということは、私は胸を持ってはならな』いということだから、胸が育ってくるということは何か悪いこと、タブーだったのよ。だから、まわりの人に胸を見られないように、胸を手で隠して歩いたものだったわ。当時は、なにか常に囚われている、自由でない感じがしたの。」とジョイスは語った。
 
ゼは、母親からブレスト・アイロニングを施術され、自らも全ての娘に施術した。そしていつの日か、孫にも施術するつもりである。彼女はブレスト・アイロニングを施術することについて、誰にも説明する必要はないと考えている。「バンツー族のほとんどの人々は、特に説明する必要もなく、伝統の一環として行っているだけです。ブレスト・アイロニングは、そのように自然と受入れられるべきものなのです。」とゼは語った。このように、カメルーンの少女たちの大半は、ブレスト・アイロニングの慣習について、ただ受入れ、ジョイスがしたように神に胸が無くなるように祈ることを期待されているのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

│南スーダン│ハンセン病とたたかう人々

【ジュバIPS=ダニエル・バティスト】

一見したところ、ジュバ郊外にあるロクウェ村は南スーダンの普通の村と同じように見える。しかし、地元の診療所を見てみると、ここが普通の場所とは違っていることに気づく。

何十人もの患者が、日光を避けて屋根の下に入ろうとしている。四肢が曲がっている人も少なくない。歩きまわれる人もいるが、歩くのもやっという人もいる。ここロクウェは、ハンセン病患者が身を寄せる場所なのである。

After a lifetime of struggle, Laurence Modi hopes to improve his home and one day start a family. Credit: Simon Murphy
After a lifetime of struggle, Laurence Modi hopes to improve his home and one day start a family. Credit: Simon Murphy

 エルコラン・オンヤラさんが自分の足にあるできものに気づいたのは13歳のときである。そのときはそれが何だかわからず、もっと痛いできものが体中に出てきたときに、初めてそれを母親に見せた。自分自身の病気からいったいそれが何であるかを悟った母親は、動揺を隠せなかった。エルコランさんは、母親と同じように、ハンセン病にかかったのである。

彼はじきに、肌の感覚がなくなり、傷が感染し始めた。病状が悪化するころには、もう母親は亡くなっていた。

エルコランさんの家族は、彼をどう治療していいかわからなった。しかし、ハンセン病の患者が教会の信徒らによって世話を受けているという村のことは聞いたことがあった。エルコランさんの兄が彼をそこに連れて行ったのは1976年のことである。受け入れたのはセントマーチン・デポレス信徒団であった。

他の患者らと同じように、エルコランさんは手足の感覚を失いつつあった。19才のとき、彼を悲劇が襲った。「夕食を作っていて、火にかけたポットを手にしようとしたのです。暑さは感じなかったのに、ひどいやけどをしてしまいました。僕は、指と手の一部分を失ってしまったのです。」

信徒団の運営する診療所は、慢性的な資金不足に悩んでいた。止むことのない内戦によって、医薬品の供給はきわめて不安定。それでも彼らは、何とかして村のハンセン病患者らを救おうとした。

ハンセン病が治ってからも村にとどまる元患者は少なくない。なぜなら、貧困状況の中で障害を抱えたまま外の世界で生きて行くのはきわめて困難だからだ。

内戦は続いていた。しかし、皮肉なことに、ハンセン病への偏見が村を救うことになった。何も奪うべき物がなく、行けば病気をうつされると誤解されたため、村が襲われることはなかったのである。

南スーダンが独立して、人々は国の行く末に希望を持っているが、エルコランさんは懐疑的だ。「これまでここには何の発展もなかった。政府は僕らのことなんか気にかけてはいない。事態が変わればいいが、もうちょっと先を見てみないとね。」

世界のハンセン病患者は減っているが、政府から村への援助はきわめて不十分で、国際的なドナーからの援助に頼っている状態である。スコットランドカトリック国際支援財団(SCIAF)は、「スーダンエイド」の支援を得て、南スーダンの人々に、蚊帳481張り、フライパン400個、敷布団400枚、毛布400枚、水汲みバケツ400個などを提供した。

また、地元での雇用創出や住宅の修理などのプロジェクトも進行中である。

南スーダンのハンセン病患者の集まる村について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

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