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|パレスチナ|今度は8日間にわたる殺戮が行われた

【ガザシティIPS=モハメッド・オメール】

イスラエル空軍のF16戦闘機が放ったミサイルがジャバリア難民キャンプ(ガザ地区で最も人口密度が高い地域)の自宅を直撃した時、フォアド・ヒジャージさん(46際)は、妻と8人の子供達とともに7時のニュースを見ていた。

この攻撃で、フォアドさんと2人の息子(ムハンマドちゃん3歳、シュハイブちやん2歳)が死亡し、妻のアムナさんと2人の息子、4人の娘が病院に収容された。また近隣の18人が負傷した。

 さらにこの空爆後も、救助活動に従事していた消防隊員2名と、救助隊員1名が、頭上に崩れ落ちた壁で負傷した。近隣住民は、IPSの取材に対して、フォアド・ヒジャージさんは、いかなる軍事組織にも属していなかったと語った。

ヒジャージさんらの遺体は親戚の手でジャバリア墓地に葬られた。パレスチナでは、最後の別れをするために、遺体は一旦自宅に運ばれるのが慣習である。しかし、ヒジャージさん一家の場合、遺体を運び込める自宅は爆撃により失われていた。

「フォアドは、自宅で妻と子供達とともに団欒の一時を過ごしていたごく普通の人間でした。それなのにこんな目に遭うなんて、彼らがいったい何をしたというのでしょうか。」と、ヒジャージさんの従兄弟は語った。

イスラエル政府は、11月14日に実行したハマス幹部の暗殺以来、ガザ地区の1450地点に攻撃を加えたと発表した。

8日間にわたった今回のイスラエル軍の攻撃で、子ども42人(最年少年齢11ヶ月)、女性11人、高齢者18人(最高年齢82歳)を含む、162人のパレスチナ人が殺害された。なお、重軽傷者は今までのところ1222人(その内、半数以上が女性と子ども)が報告されている。一方、同期間にガザ地区から発射されたロケットミサイルで死亡したイスラエル人は5人であった。

またイスラエル空軍による空爆が行われ、民間人の住宅、アパート、治安施設の大半、内務省、首相公邸、警察署、難民キャンプを繋ぐ橋や道、海軍施設、メディアセンターなどが標的となった。

イスラエル軍当局は、ガザ地区北部全域(ベイト・ラヒヤベイト・ハノウンアル・アタトラと周辺地域)のパレスチナ住民に対して、自宅から退避するよう勧告するビラを上空から投下した。

ガザ地区北部の自宅から退避したパレスチナ人婦女子らは、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営する各地の学校(救護センター)に避難してきている。各センターでは、避難民が床で寝起きしている状態である。

サダ・アサフさん(41歳)は、病気の夫、2人の子ども、さらに夫の8人の連れ子と家を後にした。「激しい砲撃が数日続いたあと、このビラが空から降ってきたのです。」とアサフさんは語った。現在アサフさん一家は、救護所となった私立男子高校に身を寄せている。アサフさんは、現在の停戦状態が持続することを願いながら、小さなラジオから流れるニュースに聞き入っていた。(2008年のイスラエル軍侵攻で壊滅的な被害をうけた)ガザ地区北部のアル・アタトラでは、アサフさん一家を含む全住民が村を後にした。

国連によると、数千人によるガザ地区北部住民がUNRWAが運営する学校施設/救護センターに避難した。

マイスさんは自宅で、ガザ地区北部から退避するよう警告するイスラエル軍当局による電話連絡(録音音声)を受けたという。マイスさんは、「私はどこにいても安全だとは思えません。ここに来たのは国連旗の下なら隠れられるのではないかと思ったからです。」と語った。

夫のサラハ・アサフさんは、「2008年に同じことが起こった時にもここに逃れてきました。」と語った。

マイスさんは、2008年当時、イスラエル軍当局が(今回と同様に)近隣住民に対して自宅を退避するよう勧告しておきながら、しばらくして住民の避難先であるこの救援センターを戦車で砲撃し、少なくとも40人のパレスチナ人を殺害したのを覚えている。この国連庇護下の学校施設を標的にしたイスラエル軍による殺戮事件は、ガザ侵攻中止を求める国際的な非難が高まる契機となった。

各地の避難所に身を寄せているパレスチナ住民らは、新たに合意された今日の停戦が継続されることを切望している。11月20日深夜すぎ、ガザ地区上空には8日ぶりに静寂が戻った。一方、ガザ各地の街角からは銃声が鳴り響いたが、それは停戦合意の知らせとパレスチナ人の抵抗の勝利を祝うガザの住民によるものであった。

サダ・アサフさんは、再び自宅に家族を連れ帰ろうと、先日この救援センターに家族を乗せてきた荷車を探していた。(原文へ

翻訳IPS Japan

│ジンバブエ│歓迎されなくなった中国企業

【ハラレINPS=スタンリー・クエンダ】

アレック・マレンボ氏は、ジンバブエの首都ハラレの郊外(Dzivarasekwa)でレンガ会社を立ち上げて財を成した。しかし、ここ10年の経済危機の影響で経営環境は次第に厳しくなり、ついに新たに進出してきた中国系企業との競争に耐えかねて、廃業を余儀なくされた。

IPSの取材に応じたマレンボ氏は、その中国企業のレンガ工場を遠巻きに眺めながら、「我々の政府がどうして中国企業の進出を認め、家族経営でやっている中小事業の乗っ取りまで許しているのか、理解できません。」と語った。

  ロバート・ムガベ大統領は、2004年、人権侵害を理由に米英政府などから制裁を科されたことを受けて、中国をはじめとするアジア諸国からの投資を積極的に誘致する「ルック・イースト」政策を採用した。この政策は功を奏し、進出したアジア諸国は西側諸国の場合と違って、ジンバブエに対して貿易相手国としての特定の条件を付けなかった。

深刻な経済危機から企業倒産が相次いでいたジンバブエでは、当初、中国系企業は大いに歓迎されていた。しかし、最近では中国との貿易関係について現状を危惧する声が高まってきている。

「他の投資企業と同様に中国企業のジンバブエ進出については歓迎します。しかし、中国企業は進出するからには現地の人々に雇用を生み出すような産業を育てなければなりません。もし私に権限があるなら、彼らをジンバブエから追い払いたいです。」とハラレで小さな店舗を営むトゥラニ・ムケボ氏は語った。

このような反中国人感情は今日ジンバブエ国内の至る所で感じ取ることができる。

最近、中国系企業での山猫争議(組合の一部が本部統制をうけずに勝手に行なうストライキ)が相次いでいる。先月には、中国の建設・鉱業会社「安徽海外経済建設社(AFECC)」の従業員約600人がストに訴えた。同社は、ジンバブエ国軍と共同でジンバブエ東部でダイヤモンドを採鉱するとともに、ハラレ近郊に中国からの融資を得て総工費9800万ドル(ダイヤモンドによる返済)にのぼる軍事大学を建設している。

ジンバブエ人労働者は、経営側による暴力行使、不規則な労働時間、低賃金などに対して抗議の声を上げている。国内の建設部門の賃金は、ジンバブエ国家雇用協議会(ZNEC)によって1時間あたり1~1.5ドルと定められているが、この中国系企業では、それよりはるかに低い1日4ドルに抑えられている。

中国はジンバブエの各種産業に着目しているが特に重視しているのが、小売業、ダイヤモンド及び各種鉱物の採掘業、建設業、製造業、そして農業部門である。

ジンバブエ経済政策分析研究班(ZEPARU)の2011年版報告書によると、同国の対中国輸出額は2000年の1億ドルから2003年には1億6700万ドルに増大したが、2009年には1億4000万ドルにと再び落ち込んでいる。

一方、中国からジンバブエへの輸出は2000年の3000万ドル規模から(2008年に再び減少に転じるまで)急増し続け、2007年には1億9700万ドルを記録した。

ジンバブエは、中国に対して主にタバコや鉱物といった原材料を輸出している。これに対して、中国はジンバブエに対して借款の供与を行うとともに、貿易面では様々な完成品を輸出している。ジンバブエでは、こうした中国製品の大半を「Zhing Zhongs(質が悪い製品)」といる蔑称で言及している。

それでも、ジンバブエ製品と比較して圧倒的に安価な中国製品を武器に、ジンバブエに進出してきた中国人ビジネスマンたちは、現地に設立した小規模ビジネスを通じて、ジンバブエ人商人を駆逐しながら着実に販路を拡大している。中国人の進出に特に影響を受けているのが、近隣諸国との貿易に従事している人々である。

地元企業も、中国の進出を快く思っていない。ジンバブエ商工会議所(ZANCC)の元会頭でジンバブエ投資庁(ZIA)の現会長のマーラ・ハティバゴーン氏は、「中国は伝統的に地元企業が担ってきた川下産業の仕事を奪うべきではありません。私たちは外国人がもっと技術移転を積極的に進めてくれることを期待しているのです。中国企業は、これまでの2国間関係を利用してジンバブエに進出し、好き勝手なことをするという行為はやめるべきです。また、安価な労働力を背景に大量の製品を製造できる中国に対して、我が国の製造業は半日電気や水にも事欠く現状ですから、ジンバブエ人が中国人とビジネスで競争してもとうてい勝ち目はありません。」と語った。

さらにハティバゴーン会長は、「ZIAとして中国からの進出希望企業に製造業の認可を与えたところ、ふたを開けてみると、栄華国際ホテルのような一流企業名義でレストランチェーンを開業するといったケースを度々見てきました。」と語り、進出時に受けた許可とは異なる業態を違法に開始するケースが絶えない中国企業のありかたを非難した。

2002年から07年まで駐中国大使を務め現在はジンバブエに進出する中国企業を支援するコンサルタント会社MONCRISを経営しているクリス・ムツヴァングア氏は、地元住民が享受してきた川下産業におけるビジネス機会にまで、中国企業が進出することを期待していない、と語った。

「世界のどの国でも川下産業の末端は地元住民に確保されているものです。私は、ジンバブエ人が中国にまで出かけて行って零細ビジネスの分野で現地の中国人と競争することを期待していませんし、同様に、中国人がジンバブエに来て同じことをするのも期待していないのです。」
 
 「中国企業には私たちの手が届かないその他の分野に進出して大いに市場を開拓してもらえばいいと思います。同時に、ジンバブエ人も中国人バッシングばかりするのではなく、中国人がジンバブエのためにしてくれたことへも目を向けるべきです。ジンバブエが米国の経済制裁に晒されたとき、中国が支援に応じてくれたことで、ジンバブエは援助資金を多角化することができたのです。すなわち、ジンバブエは米国に代わって中国という新たな友人を得たのです。」とムツヴァングア氏は語った。

2000年にジンバブエ政府が農地改革政策を始めると、米国企業は大挙してジンバブエから撤収し隣国の南アフリカ共和国に活動拠点を移したため、ジンバブエは数百万ドル相当の外貨収入先を失った経緯がある。

中国政府もジンバブエで燻っている不満については認識しており、そうした感情で両国の関係を損なわないよう警告を発している。

中国の王岐山副首相は、昨年ハラレを訪問した際に記者団に対して、「中国政府はジンバブエにおけるエンパワーメントのニーズやビジネスの現地化推進の必要性について理解しています。同様に、ジンバブエ政府が、中国から進出した企業の正当な権利を保護してくれることを期待しています。」と語った。

一方で、ジンバブエには中国企業の進出を歓迎する人々もいる。

ハラレの繁華街で美容室・ブティックの従業員として勤務しているズヴィコンボレロ・モヨ氏は、「私たちは中国人が大好きですし、安い品物をもたらしてくれるのですから、ジンバブエへの進出は大歓迎です。中国人はいらないという連中は、まず私たち国民に雇用を創出すべきです。私たちは、中国人の支援を得て、ビジネスを立ち上げることができました。私たちは商品を驚くほど安い値段で中国人から仕入れて、郊外で販売しているのです。私たちの生活はこうして成り立っているのですから。」と語った。(原文へ

INPS Japan浅霧勝浩

│アフガニスタン│厳しい政治的困難に直面する鉄道網


【ハイラタンIPS=レベッカ・ミュレー】

先月、ウズベキスタンからアフガニスタン国境の町ハイラタン(1980年代初頭にソ連が貨物ターミナルを建設)を結ぶ、「友好の橋」を最初の貨物列車が渡り、マザリシャリフに向けて新たに敷設された75kmの線路を走った。

米国とパキスタンの関係が急速に悪化する中、中央アジアの北部補給ネットワーク(NDN:ラトヴィア、アゼルバイジャン、グルジア、カザフスタン、ロシア、タジキスタン、ウズベキスタンで構成されるアフガン支援輸送ネットワーク:IPSJ)とアフガニスタンを結ぶ北部ルートの重要性が高まっている。

12月26日に起こった北大西洋条約機構(NATO)主導の国際治安支援部隊(ISAF)によるパキスタン検問所の誤爆事件以降、パキスタン政府はアフガニスタンに続くパキスタン国境の2つの主要な交通路(北西部カイバル地区トルカムと南西部バルチスタン州スピンボルダックの国境検問所)をNATOとISAFの輸送トラックに対して閉ざしている。

 
現在北部ルートでは、Hairatanを通じて、アフガニスタンの石油輸入の70%、連合軍の非軍事物資の60%が輸送されている。

新たに開業したこの路線は、アジア開発銀行(ADB)から1億6500万ドルの融資を受けて建設したもので、従来鉄道産業がなく技術者養成にも時間がかかるアフガニスタンに代わってウズベキスタン国鉄が当面運営を委託されている。またこの路線は、将来的にはアフガニスタン国内の循環道路を凌いで、近隣の中央アジア諸国や世界各国との連結を目指す、野心的な国鉄網拡張計画の第一フェーズと位置付けられている。

米国は、2014年に予定されている米軍撤退後、この鉄道ルートが、戦争で疲弊し援助に深く依存しているアフガニスタンにとって「新しいシルクロードになる」との楽観的な見方を示している。また同時にこのルートは、豊富なアフガニスタンの天然資源を国外に輸送するうえで極めて重要な役割を果たすことになるだろう。

アフガニスタンに、鉄鉱石、銅、金、コバルト、リチウム、石油、天然ガスなどの天然資源が豊富に埋蔵されていることは、既に数十年前にソ連が確認していた。そしてタリバン政権崩壊後は、米地質調査所(USGC)がハーミド・カルザイ政権と協力して、さらに詳しい埋蔵状況に関する調査を進めてきた。米国はアフガニスタンに埋蔵されている手付かずの鉱物資源の価値を約1兆ドルと試算している。

アフガニスタン鉱物・産業省が譲許した大型採掘案件の中には、中国国営企業「中国冶金科工集团公司」が30億ドルで30年リースを獲得した、東部ロガール州のメス・アイナク銅鉱山(推定埋蔵量は世界最大級の1100万トン=880億ドル相当)がある。

またインド政府肝いりの大手鉄鋼7社で組織する工業協同企業体(コンソーシアム)とカナダのキロ・ゴールドマイン社は、10憶8千万メトリックトンもの巨大な埋蔵量を誇るバーミヤンのハジガク(Hajigak:カブール西方100キロ)鉄鉱石鉱床の採掘権を獲得した。また、中国石油天然気股份有限公司(ペトロチャイナ)は、北部のサーレポル州とアフガニスタン北西部のファールヤーブ州における石油・天然ガスの採掘権を7億ドルで獲得している。

現地の監視団体Integrity Watch Afghanistan (IWA)によると、これまでに100件を超える様々な規模の鉱山採掘契約が、アフガニスタン政府と各国の公営・私企業との間で結ばれている。

「現在入札に上がっている採掘案件は2件で、1つ目は北部バダフシャン州にある金鉱床、もう一件は、東部のガズニ州にある金と銅の鉱床です。USGSによると、後者の鉱床は世界最大規模の可能性があるとのことです。」とアフガニスタン鉱物・産業省の政策担当のアブドゥル・ジャリル・ジュムリアニー氏は語った。

しかし、こうした高価かつ重い鉱物を無事採掘してアフガニスタン国外に搬出するには、アフガニスタンの険しい地形、広範にひろがりをみせている反乱・暴動、そして数十年におよぶ政情不安が大きなリスク要因となっている。

ADBはアフガニスタン鉱物・産業省との連携の下、総工費5億ドルをかけて、マザリシャリフから、トルクメニスタンとの国境線近くを走り、油田・ガス田地帯を通過してイラン国境近くのヘラートに至るルートの鉄道建設を支援する計画で(国鉄網拡張計画の第二フェーズ)、今年中にもフィージビリティ・スタディが行われることになっている。

ADBのユアン・ミランダ中東・西アジア局長はIPSの取材に対して、「(アフガニスタンに)鉄道を敷設し運行し続けることに伴うリスクは十分理解しています。まさに治安問題が最も気にかかるところです。」と語った。またミランダ局長は、鉄道敷設の最大のドナーは日本で、欧州諸国、米国、ニュージーランドがそれに続いていると語った。


ADBの野心的な鉄道建設計画とは別に、ハジガクのインドコンソーシャムも、アフガニスタン中央部を通ってイランの沿岸部に至る(インド政府はイラン経由で海路アフガン鉱床資源を輸入する貿易ルートを計画中:IPSJ)鉄道を敷設する計画を発表した。また、中国の国営企業が採掘権を獲得して大きな注目を浴びたメス・アイナク銅鉱山開発合意では、首都カブール南部に位置する同鉱山からアフガニスタン北部国境まで「実行可能な場合」鉄道を敷設するサイド合意がなされていた。

「今回開通したマザリシャリフ線は、将来的には大規模な鉄鉱石の採掘がおこなわれているバーミヤン(ハジガク)へと延び、さらに首都カブールを経由して銅鉱山があるアイナックへと接続、さらにそこからパキスタン国境のトルカムへと延びる予定です。」とジュムリアニー氏は語った。

しかし今のところ中国冶金科工集团公司は、鉄道敷設プロジェクト関する研究すらはじめていない。この点についてADBのミランダ局長は、「中国が本気で鉄道建設を企図しているのなら着手するでしょう。もし中国が実行しない場合は、ADBが鉄道敷設に乗り出します。」と語った。ミランダ局長は、アフガニスタンの鉄道網は10億ドルの投資があれば10年以内に運行にもちこめるとみている。

しかし、鉄道網の将来に関しては悲観的な見方もある。アフガニスタン分析者ネットワーク(AAN)のトーマス・ルティッグ氏は、「峻険な地形からアフガニスタン中央部(ハジガクやアイナック)から鉄道を延ばすことが極めて困難なうえに、戦争がすぐには終わりそうにもないことを考えると、この鉄道計画はきわめて脆弱なものだと言わざるを得ません。」と語った。

IWAのジャーヴェード・ノーラニ研究員は、アイナック銅鉱山開発に伴う3つの深刻な懸念材料(①政府からの保証を条件に立ち退きに応じた地元住民との土地を巡る軋轢、②採掘活動に伴う深刻な水資源枯渇の可能性、③銅鉱採掘予定地の真っただ中で、5世紀に遡る仏教遺跡が発見され破壊の危機に直面していること)について指摘している。

「大規模な鉱山開発を巡って地元コミュニティーが分裂していがみ合う現象はすでに起こっています。地元住民は利害関係を巡って意見が対立し相互に疑心暗鬼になっているのです。」とノーラニ研究員は語った。またノーラニ氏は、アフガニスタン鉱物・産業省はこうした現地の状況を隠すため、IWAによる地元コミュニティーへの視察を阻もうとしていると語った。

またAANのルティッグ氏は、「アフガニスタンでは、外国籍企業が操業する場合、現地パートナーが必要とされています。しかし既に採掘を開始している多くの鉱山では、極めて低い技術レベルで運営がなされており、しかもそうした鉱山の所有者や運営者が地方の軍閥や軍司令官、或いは彼らと繋がりをもつ人物であることが少なくありません。こうした現状は、アフガニスタンの持続可能な社会・経済開発を考えれば憂慮すべき兆候と言わざるを得ません。」と語った。

その他、2014年に連合軍が撤収した後には、アフガニスタンの地政学的な地位が低下するのではないかとの懸念も浮上している。(中央アジアの)旧ソ連邦構成諸国、イラン、パキスタンは既にアフガニスタンに対して大量の物品販売を仕掛けている。一方、欧州や米国の企業を尻目にアフガニスタンへの積極的な進出を図ってきた中国とインドの企業は、ここにきて政府から大型採掘権を落札している。

しかしアフガニスタン鉱物・産業省のジュムリアニー氏は、「我々はビジネス安定化タスクフォース(tfbso)と呼ばれる米国防省が派遣したチームと良好な協力関係を構築してきており、多文化環境における投資も軌道に乗りつつあります。こうした成果を背景に、次は投資誘致の説明会をロンドンとカナダで開催する予定です。」と語り、欧米諸国が今後対アフガニスタン投資から後退していくのではないかとの見方に異議を唱えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|ハイチ|報告書が明らかにする震災後の「サバイバルセックス」の実情

【ニューヨークIPS=カンヤ・ド・アルメイダ】

ハイチには2010年12月の大地震の被災者が暮らす仮設キャンプが未だに多く残っている。両親を失い3歳の娘を抱える18歳のカテリンさんも、瓦礫が散乱するCroix Deprezキャンプで飢えと隣り合わせの生活を余儀なくされている難民の一人である。

身寄りがないカテリンさんは、子どもと生きていくために、僅かな食べ物や現金と引き換えに年上の男性に体を売って飢えをしのいでいる。しかし顧客の男から殴られたり暴行を受けることは日常茶飯事で、中にはコンドームの装着を拒否されたり、一晩過ごした後に支払いを拒否されることもしばしばだという

カテリンさんは、いつか学校に戻り、将来的には娘の教育費を貯蓄できるようになることを夢見ているが、「でも子供がお腹を空かせて泣けば、私はこの子を食べさせるために何でもしなければならないの。」と、諦めがちに語った。

 カテリンさんは、1月12日に発表された共同レポートに収録されている数百人にのぼる被面接者の一人である。このレポートは、MADRE、生き残りのための女性委員会(KOFAVIV)、ニューヨーク市立大学ロースクール国際女性人権クリニック(IWHR)、ニューヨーク大学ロースクール世界正義クリニック (GJC) 、カリフォルニア大学へ―スティング法律大学ジェンダー・難民研究センター(CGRS)が共同で作成した。

合同報告書は、100万人以上が家を失い、多くの仮設キャンプが無法地帯と化す事態をもたらした大震災から2年が経過し、人道支援要員や国際NGO、監視団が次々とハイチを後にしている中で、発表された。報告書は、時間が経過してもハイチの女性や少女達を取り巻く危機は依然として深刻な状況にあることを訴えている。

震災後に仮設キャンプで多発したレイプ問題についてはよく記録・報道されているが、その後も避難所の女性や少女達が直面している恐るべき実態については、ほとんど知られていない、と人権活動家は述べている。

「難民の女性や少女が過酷な環境から生きるために体を売ることを余儀なくされているのです。これは各地の仮設キャンプで蔓延している実情ですが、ハイチ政府や国際社会からほとんど注目をされていないのです。」とKOFAVIVの共同設立者のマリー・エラミス・デルバさんは語った。

おおよそ30万人の女性や少女が首都ポルトー・プランス市内及び周辺の仮設キャンプで未だに悲惨な生活を余儀なくされている。こうした場所では、家族や家、学校、医療施設といった既存の社会構造が極貧と絶望、飢餓に直面して崩壊してしまい、彼女たちの多くは、無防備で絶望的な状況に追い込まれている。

「国際援助組織が次々とハイチを去っていく中、それまで被災者が辛うじて利用できていた僅かなサービスさえも途絶えたため、若い子では13歳の少女が、サンドイッチの欠片や、数ドルの現金、或いは教育へのアクセスを確保するために体を売っているのです。」と報告書の共同執筆者でMADRE人権アドボカシーディレクターのリサ・デーヴィスさんは語った。

調査グループはChamp de Mars、Christ Roi、Croix Deprezの仮設キャンプ及びカルフール近辺で生活している18歳から32歳の女性と少女達を対象に綿密なインタビューを実施した。共同報告書は、被災後に現出したこの「サバイバル経済」に関与している女性の誰もが、自らを商業的セックスワーカーとは認識しておらず、むしろ体を売る行為は、究極の困難に直面して発揮された「コーピング機構(coping mechanism=環境のストレスに対して、単に受動的に反応するのではなくて、能動的に対処・克服しようとする適応機構)」と結論付けている。

こうした性交渉の大半は、若い難民女性と仮設キャンプで各種権限を持っている男性(キャッシュ・フォー・ワーク事業の管理者、食糧配給の責任者、教育プログラム担当者)の間で成立していた。

2012年版UNICEFレポートによると、ハイチの教育インフラは2010年の震災前の段階で既に深刻な状態にあった。これにさらに追い打ちをかけるかのように、震災では4000を超える教育施設が崩壊し、250万人の生徒たち(ハイチの18歳以下の青少年人口の半数以上)が教育機会を失った。

さらに深刻な医療施設の不足により、状況はさらに悪化した。

昨年、ヒューマンライツウォッチが発表した調査報告書は、ほとんどの女性が産婦人科によるケアを受けられない深刻な状況を明らかにした。

インタビューに応じた128人の妊婦全員が「病院で出産したかった」と回答したが、実際は半数以上が医療施設以外で、訓練を受けた医療関係者が立ち会えない環境で出産していた。また彼女達の多くが、仮設キャンプのテントの中の泥の床で出産するか、病院へ向かう途中に路上で出産していた。

こうした性交渉に関する信頼できるデータはないものの、デイビス氏は、「現在の状況から判断して、女性や少女が今後HIVやその他の性感染症に罹患するリスクは益々高まるとしか考えられません。ハイチは既にHIV罹患率で西半球最悪の状況に見舞われている国なのです。」と語った。

医療の欠如は、違法な堕胎手術や母親と幼児の死亡率が増加することを意味する。ハイチでは女性・少女の妊娠と出産に伴う年間死亡数は既に3000人に及んでいることから、震災後における母子保健をとりまく更なる状況の悪化は、様々な困難に喘いでいるこの小さな島国にとって災いとなりかねない。

被災した人々が直面している当面の危機と短期的なニーズに対処することは極めて重要だが、多くの専門家は、サバイバルセックスに女性や少女達を駆り立てる遠因やその結果について深い懸念を抱いている。

欧米諸国が課した構造調整政策が主にもたらした経済の未発達、ドナー諸国による誤った援助政策、性暴力(GBV)とりわけ政情が不安定な時期におこる女性に対する暴力を長らく顧みなかった社会体質…これらの諸要素全てが、今日の危機を醸成してきた。

「KOFAVIVのような草の根組織は、性暴力やサバイバルセックスの問題に数多く取り組んできましたが、私たちの声が必ずしも政府当局に届くとは限りません。私たちが政策決定過程に含まれることはめったにないので、変化をもたらす予算を擁する政府機関が、私たちの見解や現場からの報告に耳を傾けたりすることはないのです。」とKOFAVIVの共同創設者のマイラ・ヴィラード・アポロンさんは語った。

「女性は政府においても平等な処遇を受けていません、ハイチ政府の閣僚17名の内、女性は僅か3人にすぎないのです。」とヴィラード・アポロンさんは付加えた。

ヴィラード・アポロンさんは、家庭内においても男兄弟の通学が優先されるなど長らく権利を奪われてきた少女達に、より包括的な教育枠組みを設定する必要性を繰り返し強調した。

ミシェル・マーテリー大統領は、初等教育を無償の義務教育とする憲法規定を施行するとのコミットメントを表明していますが、これはハイチの現実から大きくかけ離れた発言です。私たちは、米国上院財政委員会の委員長が、ハイチで教育費に充てられるはずの数百万ドルにのぼる税金が用途不明になっているとしている点を憂慮しています。」と報告書の共同執筆者CGRSの人権弁護士のブレイン・ブッキー氏は語った。

またブッキー氏は、危機を乗り切るための方策として、地元の草の根支援連合組織に対する予算配分の増加、あらゆる種類の性暴力と搾取問題により有効に対処するための政府及び司法制度の再編成、援助資金が国際NGOや民間請負業者や企業に還流しないよう復興資金を管理する権限を強化する等の様々な提案を行っている。

「サバイバルセックスの問題は、ハイチの女性や少女達が生きていくために必要なものにアクセスできるようになるまで、解消することはありません。ハイチの女性たちは経済的機会と基本的資源へのアクセスを求めています。国際社会はハイチ政府と緊密に協力して雇用の創出につとめるとともに、女性を対象にしたマイクロクレジットの提供や全ての子供を対象にした無料教育を実施すべきです。」とGJCで臨床法を教えているマーガレット・サッタースウェイト教授は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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核兵器廃絶のための「連帯」と「意志」(寺崎広嗣SGI平和運動局長)

【東京IDN=寺崎広嗣】

去る11月26日、国際赤十字・赤新月運動の代表者会議において、核兵器廃絶に関する決議案が採択された。これは、核兵器廃絶のために取り組む市民社会を勇気づける出来事であった。SGIとしても、赤十字・赤新月運動の決議に、心からの敬意と歓迎の意を表したい。 

1945年に広島に原爆が投下されて以来、国際赤十字・赤新月運動が、核兵器の廃絶のために多大な尽力をされてきたことは広く知られた事実である。近年では、2010年4月の赤十字国際委員会のヤコブ・ケレンベルガー総裁のジュネーブ外交官団への声明と、2010年11月広島でのノーベル平和賞受賞者サミットでの国際赤十字・赤新月社連盟の近衛忠煇会長による声明はともに、核兵器廃絶への強い意思を表明するものであった。

連帯の創造

このように、国際赤十字・赤新月運動のような人道分野の団体、さらに人権や持続可能な開発など、軍縮分野の団体に限らず様々な分野の市民社会団体が、核兵器の廃絶に関わることは、核兵器のない世界を求める運動の裾野を広げるものだ。

残念ながら国家間の協議には、国益を超えることが難しいという、本質的な限界がある。しかしいうまでもなく、私たちは、ますます相互に依存する世界に生活するようになっている。その意味で、視界をさらに広くし、国益の先の地球益を考えて生きていくことが必要である。

また、貧困や失業、疾病との絶え間ない戦いにおいては、生命の尊厳が最大限に尊重されるよう、国家という枠よりさらに視界を小さく絞り、一人ひとりの現実生活を見据えた「人間の安全保障」を考えていくことも重要である。

このように、国家の視点だけではカバーできない多様な観点を生かすためには、軍縮分野を超えて、人道、人権、持続可能な開発など、それぞれの分野において、様々な強みをもつ多くの人々や団体が一層連帯を強める必要がある。

仏教徒のネットワークであるSGIは、50年以上にわたり、核兵器廃絶への活動を続けてきた。仏教は本来、あらゆる関係性の中で自分自身が存在しているという縁起の思想を重要な要素とする。その思想を現実の生活の中で展開する形で、SGIは「他人の不幸の上に自らの幸福を築くことは出来ない、また築くべきではない」という現実認識に基づき、その圧倒的な破壊力で他者を抹殺せんとする核兵器を“絶対悪”として鋭く批判してきた。核廃絶運動の裾野の拡大という意味では、 “人間としての責務”という明確な倫理規範をもち、現実の生活に信仰の基盤を置くSGIのようなFBOが果たす役割は、独自の強みを持っていると思う。

民主主義政治への脅威

核兵器は、1945年に広島、長崎に投下されたのち、その破壊力ゆえに「最後に使われる兵器(最終兵器)」としてみなされた。世界が冷戦期に入ると、その非人道性ゆえに実際には、「使うことは困難な兵器」となったが、一方で、国家間の核軍拡競争は加速し、核兵器は主に「抑止力」としての価値を持つようになった。核兵器は実質的に「使われない兵器」と化したが、核兵器の維持と開発は、抑止力を持ち、外交交渉のカードとなった。

しかし、冷戦後は、こうした核兵器の性質にも、大きな変化がみられるようになった。それは、核技術の拡散により、今や核兵器がテロの手段として、再び「使われるかもしれない兵器」となっているということだ。恐怖の均衡の上に成り立つ核抑止論も、テロを抑止することはできない。テロが無差別性をはらんでいる以上、その危険は、同じ地球上に生きる全ての人々に関わるものだ。ひとたび核兵器が使用されれば、その結果がいかなるものであるかは、広島と長崎の“苦い経験”が示している。

こうした新しい事態が生じつつあるという認識を、市民社会が共有する必要がある。誰もが犠牲者になる可能性をはらんでいる以上、核兵器の使用という事態を絶対に引き起こしてはいけないとの意識に、一人ひとりが目覚める必要がある。その意識を共有し続け、国際的な世論を形成することでしか、民主主義のプロセスを進展させることは困難であろう。

なぜなら、核兵器は、人道、人権、持続可能な開発といった、人類の未来に重要な基本的な価値を真っ向から否定するものだからだ。民主主義の価値を声高に訴えるならば、核兵器に依存する国益のための安全保障という構造的な“ゆがみ”を正すことに、何よりも最優先で取り組むべきだと思う。

こうした問題意識のもとで、SGIは、2007年より「核兵器廃絶のための民衆行動の10年」のキャンペーンを新たに展開してきた。

現在SGIは、カリブ海・ラテンアメリカ地域における核兵器禁止条約(トラテロルコ条約)の履行検証機関であるOPANALと共に、非核兵器地帯とその未来に関する国際会議の準備を進めている。2月に開催されるこの会議の成果は、IAEAが昨年11月に行ったフォーラムに続き、2012年に開催が予定されている中東非核会議の実現と成功に、何らかの貢献が出来ることを期待するものだ。

また、核時代に終止符を打つ意義を込めて、「核廃絶サミット」を2015年に広島・長崎で開催を、との池田SGI会長の提言を踏まえ、その実現に向けて、本年についても引き続き関係当局・諸団体と連携し取り組んでいきたいと考えている。

それと並行して、核兵器による悲劇は二度と繰り返されてはならないという、すでに世界の民衆の中に息づく規範意識をより明確な形で結集し、CTBTの早期発効、核兵器禁止条約の実現に向けSGIとして全力で貢献して参りたい。

その意味において、昨年12月インドネシア国会がCTBTの批准を承認したことは、CTBTの発効に大きな力を与えるものだ。

人間の安全保障への転換

核兵器を無くせるか、無くせないかという議論をしている段階は、すでに過ぎ去った。かつての核抑止論者であるキッシンジャー元米国務長官ら元高官4人も、「核によるテロや核拡散を防ぐには“核兵器をなくすしかない”」と結論付けている。

私たち市民社会は、核兵器のはらむ問題とその危機の現状を正しく認識し、その問題の解決と危機の回避のためにどうすべきか、その明確な意志を集約し「声」として大きく発信すべき時であるとの強い自覚が問われている。

池田SGI会長は、「21世紀の真の安全保障を考えるにあたり、私どもは変わりゆく現実を直視し、それを望ましい方向へと導くべく、さらに新しい現実を生み出す想像力を持たねばなりません。軍事力による『国家の安全保障』から『人間の安全保障』へ――この発想の転換のカギを握るのは、そうした「想像力」に裏打ちされた「創造力」であります」と指摘している。

その意味において、核兵器廃絶に向けての取り組みを強化するとの決意を含んだ決議を今回赤十字・赤新月運動が示されたことは、新しい現実を生み出すために日夜取り組んでいる市民社会にとって、大きな希望の光である。(原文へ

INPS Japan/IDN-InDepthNews

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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「アラブの春」はフェイスブック革命ではない(エマド・ミケイ:スタンフォード大学フェロー)

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【パロアルト(カリフォルニア)INPS=エマド・ミケイ】

アラブ人ジャーナリストとしてここシリコンバレーにいると、4人会えば4人の人がかならず、「アラブの春」はフェイスブックによってもたらされたものだと言う。ここに3週間もいると、フェイスブックを開設したマーク・ザッカーバーグ氏を、プライバシー権を訴えてエジプトの監獄に入れられているハスーナ・エルファタトリ氏(Hassouna El-Fatatri)と勘違いしそうだ。

「中東専門家」を自称してきた欧米の多くの人々(諜報機関、シンクタンク、外交官、テレビによく出る学者やジャーナリスト等)は、昨年12月からアラブ地域を覆った変革の波を予想できず、事態の進展に文字通り「言葉を失う」とともに、彼らの権威は地に落ちてしまった。

その埋め合わせでもしようと思ったのか、「アラブの春」と欧米のつながりが奇術のごとく飛び出してきた。すなわち、ソーシャルネットワークが「アラブの春」をもたらしたとする説である。

 この抜け目のない広告戦略は瞬く間に世界に広がり、今日欧米諸国では、アラブ固有の社会変革の要因に対して、ほとんど目を向けなくなってしまっている。しかし1年を過ぎでもなお燃え続けているアラブ革命の原動力は、まさしくアラブ固有の要員によるものなのである。

「アラブの春」で人びとが主に使っていたツールは、グーグルでもフェイスブックでもツイッターでもなかった。それは、「アイ・レボルト(I-Revolt)」と呼ばれる彼ら独自の簡単なアプリケーションであった(レボルトは反乱の意:IPS)。

エジプト、チュニジア、シリア、イエメン、そしてしばしばその他のアラブ諸国において集団抗議行動が組織された際に最も使われたツールは、フェイスブックでもツイッターでもなく「Friday-book dot come rally now」であった。もしこの名称に思い当たるものがなければ、グーグルで、「怒りの金曜日」(Friday of Rage)、「解放の金曜日」(Friday of Liberation)、「出発の金曜日」(Friday of Departure)などと検索してみるとよい。

アラブ諸国では、毎週金曜正午の祈りに数百人、時には数千人の人々がモスクに集まって祈りを捧げるのが慣習だが、まさに人々が自然と足を運ぶ週一回のこの儀式こそが、抗議者を街頭に呼び込む主要な舞台として、「アラブの春」抗議行動における恒例の風景になったのである。

たしかに、1月25日に最初の抗議行動が人口8500万人のエジプトで起こったとき、フェイスブック、Gメール、ツイッター、或いはインターネット全般が参加を呼び掛けるツールとして役に立ったかもしれない。しかし、1月28日金曜日こそが、真の意味でのエジプト革命とそれに続くドミノ現象が始まった日であった。

つまり毎週金曜日に集まる習慣が抗議行動の理由だったのではなく、これさえも先述の「アイ・レボルト(I-Revolt)」の1アプリケーション-しかも身近で利用しやすい-に過ぎなかったのである。

そして2番目に最も効果を発揮したアラブの人々にとってユーザーフレンドリーなツールは、昔なじみのA4サイズのチラシであった。稀にタイプしたものもあったがこうしたチラシの大半は、白いA4用紙に手書きで抗議集会の場所を書き込んだものであった。こうしたチラシは、織物産業の中心地マハラ・アル=コブラ市の労組リーダーや不満を募らせているスエズ運河の港湾労働者達が好んで活用した。

こうした労働団体がストライキの構えを見せたことが、全国的な操業停止という事態を恐れていたエジプト国軍を最終的に民衆側に立たせる決定的な要因となった。

そして私がエジプトで目の当たりにした革命の灯を支えた3番目のツールは、事態を憂慮した民衆が各々の愛する人々に固定電話で伝えたシンプルな口コミであった。彼らは口々にムバラク大統領の過酷なやり方がいかに行き過ぎたものであるかを報告したのである。

さらにこのリストに、汎アラブ的なテレビメディア、とりわけムバラク大統領に批判的な報道を行っていたアルジャジーラ、BBCアラブ語放送、アルアラビア、そして米国が出資しているアルフーラが民衆の声を広める上で果たした役割を加えることができる。こうして見てくると、ソーシャルメディアがエジプト国内で果たした役割はごく限られたものであったことが分かるだろう。

事実、ムバラク大統領は民衆が抗議集会を計画したり組織する能力を抑え込もうと全てのコミュニケーション手段を切断したため、インターネットの使用が不可能になったのである。

ドバイ政治大学院(the Dubai School of Government)によると、2010年12月現在アラブ首長国連邦(UAE)は、アラブ地域で最大のフェイスブック利用率を誇るという(国民の45%がアカウント保持)。それに比べて、同時期のエジプトにおける国民のフェイスブックアカウント保持率は僅か5%に過ぎなかった。しかし、革命が起こったのはUAEではなくエジプトだったのである。この数字だけ見ても、フェイスブックが革命を導いたという説の主張の怪しさがわかる。

それではシリアとイエメンの場合はどうだろうか?これらの国々はエジプトと比べてインターネットの普及率はずっと低く、欧米の影響にもあまり晒されていない、にもかかわらず、抗議活動は野火のごとく広がりをみせているのである。両国で抗議者を集めているツールはフェイスブックではなく、地元の慣習等から自然に出来上がった「ソフトウェア」、すなわち、金曜礼拝、口コミ、チラシ、電話線、親族関係、そしてテレビ放送だったのである。
 
確かにユーチューブに投稿された映像やその他のネットワークにアップロードされた多くの写真が重要な役割を果たしてきたことは疑いの余地がない。しかしその役割は専らエジプト国内で起こっていることを記録し外の世界にそうした声を伝えるというものであった。こうしたソーシャルネットワークの役割が、はたして「アラブの春」の初期段階において民衆革命の支えとなっただろうか?答えはNOである。

欧米諸国は、チュニジア革命が起こったとき、失脚したザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領が国外逃亡する直前になるまで、なんの対応もしようとしなかった。その後、ある意味ソーシャルメディアのお蔭で、欧米諸国がやっと事態の深刻さに気づいた際の反応も、当初はお決まり一辺倒の「ベンアリ大統領、ムバラク大統領の政権維持を模索する」というものだった。

さしあたって、欧米の諸団体が「アラブの春」に関する正確な分析とそれに続いて有益な政策提言を入手しようとするならば、まずは深呼吸し、自らの失敗を認める勇気について熟考するとともに、しなかったことについてクレジットをとろうとする悪弊をやめ、アラブ地域において実際に何が起こったかをじっくり深く見据える必要がある。

もし欧米諸国がそうして自らの見方を変えることができれば、中東地域で起こっている出来事をありのまま捉えられるようになるだろう。そうなれば、「アラブの春」を支えたツールは、「フェイスブック」ではなく、「フライデー(金曜日)ブック」ともいうべきアラブ固有の社会変革要因であったことが理解できるだろう。

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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【東京IDN=浅霧勝浩】

「平壌ウォッチャー」たちが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)内部の新権力構造の分析に気を取られ、主要メディアが金正日総書記の葬式にばかり注目する中、この国の恐るべき人権状況に目を向ける人はほとんどいない。

平壌ウォッチャーと海外諜報部門のジレンマは、金正日総書記の死を察知することができなかったということによく現れている。そのぐらい、「鉄のカーテン」に覆われた北朝鮮国内で何が起こっているのかはほとんど知られていないのである。

 バンコクタイムスは、「北朝鮮の最大の同盟国である中国を含む全ての国が、悲嘆にくれたアナウンサーが『親愛なる指導者』の逝去を、実際の死亡日より2日遅れとされる12月19日に発表するまで、何も知らされていないようであった。」「北朝鮮の近隣諸国と、安保条約によって韓国と日本の防衛義務を負う米国は、この孤立し貧困に打ちひしがれた重武装国家が故金正日総書記の息子の正恩氏に継承される過程を注意深く見守っている。」と報じた。

金家による北朝鮮支配は1948年の金日成氏に始まるが、今回権力継承が確実視されている正日総書記の3男でまだ20代後半の正恩氏は、1998年までスイスの首都ベルンにあるインターナショナルスクールに偽名で通っていたことが知られている。

ジョージ・W・ブッシュ前大統領の朝鮮問題首席顧問だったヴィクター・チャ氏は、「正恩氏については事実上全く知られておらず、また、米国政府による正恩氏への接触は、彼の立場を危うくするリスクが伴っていた。」と語った。

「北朝鮮はいわば金魚鉢に例えられると思います。我々は皆、鉢の中を覗きこんで何が起こっているのか理解しようと努めるのですが、誰もあえて中に指を突っ込もうとはしません。それは、鉢の中で何が起こるか予想がつかないからです。」と現在はジョージタウン大学の戦略国際問題研究所で研究員をつとめているチャ氏は語った。

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のケネス・ロス代表は、亡くなった金正日は17年間に亘って世界で最も閉ざされた抑圧的な体制を意のままに率いた結果、数十万人、あるいは数百万人の国民が死亡したであろうとみている。こうした夥しい死亡の原因は、避けられたはずの飢饉や、恐ろしい環境で管理されている刑務所や強制労働キャンプにおける虐待、公開処刑などである。「金正日総書記支配下の北朝鮮は、人権など顧みられないこの世の地獄でした。金正日総書記は、恣意的な処刑、拷問、強制労働に加えて、言論・結社の自由を厳格に制限するなど組織的かつ広範囲な人権侵害によって国民を恐れさせ、支配してきたのです。」とロス代表は語った。
 
「金正日総書記のレガシーには、国家の敵とされ、『管理所』と呼ばれる強制収容所で亡くなった数万人にも及ぶ人々の運命があります。今日北朝鮮では推定20万人が飢餓寸前の環境と虐待に晒されながらこうした『管理所』で強制労働に従事し、死亡しているとみられています。」とロス代表は付加えた。

現在の体制下では、家族に罪に問われる者がでると、基本的に親・子・孫の三代までが収容の対象となる。脱北してきた元収容者達がヒューマン・ライツ・ウォッチやその他の人権団体に証言したところによれば、収容所で生まれた子供達でさえ両親の「囚人身分」を引き継がされているとのことである。

「北朝鮮政府は、当局の許可なしに海外渡航することを、拷問と禁固刑に処せられるべき反逆罪と規定している。それにもかかわらず、この20年で数万人が脱北に成功し、引き続き毎年数千人が命の危険を冒して国外逃亡を試みている。」とロス代表は記している。

ウィティット・ムンタボーンProf. Vitit Muntarbhorn)前国連北朝鮮人権状況特別報告者(2004年~2010年6月)は国連人権理事会宛の最終報告書で、北朝鮮の人権状況を「悲惨で恐ろしい(horrific and harrowing)」として適切に分類していた。北朝鮮国内で「人道に対する罪」が犯されているか調査検証する国連調査委員会(UN commission of inquiry)設立を求める声が政府や市民社会団体から増大している。

ロス代表は、金正日総書記が死亡して金正恩氏に権力が委譲されている今の「過渡期」こそが、北朝鮮を新しい方向に向けさせ、国民に対する弾圧を止めさせる好機だと、国際社会に訴えている。

「まずは北朝鮮政府が、同国に関する最新の国連総会決議を順守し、北朝鮮人権状況特別報告者の訪問を受入れるよう強く求めるのがよい出発点となるでしょう。」とロス代表は付加えた。

「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のワシントン地区責任者トム・マリノウスキー氏は、金正日総書記の犠牲者について「先代の金日成主席の犠牲者と同じく、あまりにも多くの人々が殺されたり人生を狂わされたため、ついには私たちの心の中で、彼らはあたかも金正日総書記が好んだマスゲームに参加する数万人のダンサーのように顔かたちのない存在となってしまった。」と記している。

またマリノウスキー氏は、「あるエジプト人デモ参加者が暴行をうけたり、あるビルマ人反体制派の活動家が投獄されたり、ある中国人ブロガーが検閲されたり…と、個々の権利侵害については比較的把握することが容易で、私たちもそれに対して憤りを覚え行動を起こしやすいものです。しかし北朝鮮の体制は、途方もない規模の犯罪のヴェールで守られているため、個々の不正を把握することは容易ではないのです。」「もちろん、国際社会から孤立し、国民に海外渡航やごく僅かの在留外国人との接触も禁止している現状を考えれば、北朝鮮の実態を思い描くことは容易ではありません。しかし近年、北朝鮮国民の生活水準があまりにも悲惨な状況に陥ったため、多くの人々が拷問や処刑されるリスクを冒してでも脱北を試みるようになっているのです。そしてそうした脱北者達によって自らの体験とともに北朝鮮の実態に関する情報がもたらされているのです。」と付加えた。

またマリノウスキー氏は、1990年代によく見られた「経済政策の失敗と大飢饉が北朝鮮の体制を崩壊に向かわせるだろう」とした観測は誤りであったと指摘して、「それどころか、飢饉はむしろ抑圧的な金正日総書記の体制を強化しました。食糧不足は人びとから気力と体力を奪い、国民は日々の生存のために、食糧配給を掌握している体制への依存をますます余儀なくされたのです。つまりこうした実態こそが、北朝鮮に対する食糧支援を止めるという制裁措置がこの国における人権状況の改善にいつも結びつかなかった理由の一つにほかなりません。食糧援助は明らかに人道的必要性に合致したものですが、実施に際しては物資がどのように配給されているか監視すべきなのです。」と語った。

マリノウスキー氏は、西側諸国は北朝鮮への関与政策を推進すべきだと考えている。「北朝鮮の孤立政策は、民衆が自らの政治的権利に目覚める事態から体制を守るために意図的に構築されたメカニズムです。従って、民衆に外部の情報を届け目をさまさせることにつながる行動、すなわち国外からラジオ放送で呼び掛けたり、外交官、援助要員やジャーナリストを北朝鮮に入国させること、言い換えれば、北朝鮮が今日の独房監禁状態から抜け出す手助けをする行動はどんなものであっても有効なのです。」
 
尹永寛(Yoon Young Kwan)元外交通商部長官(2003年~04年)もマリノウスキー氏と見解を共有しているようだ。尹元長官はジャパンタイムスが報じた記事の中で、「この不安定な権力継承課程の早い段階において、中国は予想通り、この核武装した隣国の安定を確保しようと現在の北朝鮮体制支持を強く打ち出しました。中国外務省は、金正恩氏を支持する力強いメッセージを発するとともに、北朝鮮国民に新指導者の下で団結するよう訴えたのです。」と述べている。

「しかし北朝鮮における権力の平和的な継承を確実にする重要な外部要因は、韓国と米国の外交政策であり、両国政府は金正日後の北朝鮮体制と協力していけるか否か、決断しなければなりません。」と現在はソウル大学で国際関係論を教えている尹元長官は述べている。

尹元長官は、もし情勢が悪化して北朝鮮の体制が内部崩壊したとしても、「混乱、誤解や過剰反応」が起こることを回避できるよう、連絡調整は韓国・米国・中国間だけでなく、日本やロシアとも従来以上に密接に行うよう強く訴えている。「内部崩壊し無秩序となった北朝鮮など、どの国の利益にもなりませんから。」と尹元長官は語った。

翻訳=IPS Japan

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|ポルトガル|仕事がなければ移住せよ

【リスボンINPS=マリオ・ケイロス】

ペドロ・パッソス・コエーリョ首相は、出口の見えない経済危機と政党指導者達からの追及に直面して、ポルトガル国民に向けた前例のないメッセージを発表した-それは「海外に移住せよ」というものである。

パッソス・コエーリョ首相は12月18日、とりわけ若者と教師を直撃している失業問題の打開策として、「教師は、ポルトガル語が通じるブラジルやアンゴラへの移住したらどうか。」と提案したことから、ポルトガル全土に感情的な賛否両論の嵐が巻き起こった。

この発言の翌日、保守系右派政権の数名の閣僚が、「首相提案は問題の打開、とりわけ教師の失業問題の改善に有効だ」として称賛する声明を発表した。

 しかし名前を取り沙汰されたアンゴラとブラジル両政府は即座に反応し、「我が国は当面教師が不足している状況にはない。」と回答した。

各種調査によると、ポルトガルで海外移住に最も関心が高い層は25歳から34歳の青年層である。

経済経営学院(ISEG)のジョアン・ペイショート研究員はPúblico紙の取材に対して、「状況が悪いからと言ってそれが海外移住するための十分な理由にはなりません。行く先が確保されている必要があるのです。」と語った。

ペイショート氏は、「国を捨てるという決断は容易にできるものではありません。苦痛と困難を伴うものなのです。従って、民衆は政治家がそうすべきだと言ったからといって安易に国外移住したりしません。」と述べ、パッソス・コエーリョ氏のコメントは「首相の発言として不適切だ。」と語った。

また欧州議会議員のアナ・マリア・ゴメス氏は、首相のコメントについて、「これは首相として口にしてはならないことで、深い憤りを覚えました。」と語った。

「過去数十年にわたる教育投資の成果として、我が国には有能な若い世代が育ってきているのですから、状況がいかに困難であっても克服できますし、そうしなければならないのです。首相が無力感を抱くのみならず諦めてしまうというのは、最低だと思います。」と左派系社会党の著名なリーダーでもあるゴメス議員は語った。

「パッソス・コエーリョ首相は、トロイカ(国際通貨基金欧州中央銀行欧州連合)及びドイツのアンゲラ・メルケル首相が提示した支援条件を、『ポルトガル国民の利益を考えたいかなる交渉を試みることもなく』丸呑みしてしまったのです。」とゴメス議員は語った。

ゴメス議員は、現在の保守系政権は経済成長や雇用創出を目指す戦略は後回しにして、「トロイカから獲得した110億ドルの緊急援助の返済のみに主眼をおいた」財政緊縮政策を進めようとしているとみている。

「しかし経済成長や雇用創出なしに借金の返済など不可能です。右派政権の戦略は、国民に対して、解決策が見いだせない以上『快適なゾーン(ある閣僚がポルトガルを例えた表現)』の外で暮らす覚悟をすべきだと説得することにあるのです。」とゴメス議員は付加えた。

移住問題に関する独立政府諮問機関Council of Portuguese Communitiesのフェルナンド・ゴメス会長は、首相のコメントについて、「ポルトガルのイメージを貶めかねない恥ずべき発言だ。」と首相を非難した。

欧州連合圏内の移動に関しては登録の義務がないため、国外移住に関する正確な統計は存在しないが、ここ数年の動向として、ポルトガルを離れる移住者の数は増加傾向にある。この点について、在外ポルトガルコミュニティー担当閣僚のホセ・セサリオ氏は12月27日に、「2011年におけるポルトガル人の海外移住件数は推定12万人で、ここ数年に引き続き増加傾向にあります。」と語った。

ポルトガル人移住者の最大の目的地はブラジルである。ブラジルはポルトガルの旧植民地であるが1822年の独立宣言後も、ポルトガル人移民の主要な目的地であり続けた。

ブラジル法務省によると、2010年12月から2011年6月の期間にポルトガルから提出された永住申請の件数は276,703件から328,856件に増加した。またこの他にも多数の一時就労、就学、研究ビザがポルトガル人に対して発行されている。

また2010年版の最新統計によると、91,900人のポルトガル人が、アンゴラに住んでいる。アンゴラはアフリカにおける最大の旧ポルトガル植民地である。

リスボン大学副学長で社会学者のマヌエル・ヴィラヴェルデ・カブラル氏は、「歴史的にポルトガルのささやかな発展は、まず植民地経営、そして植民地独立後は在外のポルトガル人による本国への送金とEU加盟後はEU構造基金(1人当たりGDPがEU平均の75%を下回る後進地域の開発と構造調整.に活用される基金:IPSJ)によるものなのです。」と語った。
 
ポルトガルは15世紀以来、伝統的に移民送出国であり、そのことは歴史を通じて同国に様々な影響を及ぼしてきた。
 
16世紀末まで、ポルトガル人は主に北アフリカ沿岸や大西洋の島嶼植民地(アゾレス、マデイラ、サントメ・プリンシペ、カーポ・ヴェルデ、カナリア諸島)を目指した。しかし1498年にインドへの航路が発見されると、ポルトガル人の海外移住も東へと拡大していった。しかし18世紀末になると、こんどはそれまでほとんど忘れられていたブラジルに移住の流れが大きく変わっていった。

より近年においては1960年から74年の間に約150万人のポルトガル人がブラジルに移住したが、その後減少に転じ、74年から88年の間の移住者数は23万人であった。

12月20日付のPúblico紙の論説は、パッソス・コエーリョ首相の移住提案について「ポルトガルの指導者たちは首相を筆頭に世界の笑い者になりつつある。」「もし熟練工や専門家が国外に流出し続けたら、ポルトガルの状況はますます惨めなものとなるだろう。政府が打ち出した信じがたいメッセージは、あたかもポルトガルという国には価値がないという認識を自ら吹聴しているようなものだ。」と報じた。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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|米国メディア|2011年の海外ニュース「アラブの春」が首位を占める

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

権威あるティンドール・レポートが発表した最新の報道年次報告によると、「アラブの春」関連の報道時間が2011年にテレビ放映されたイブニングニュースの首位を記録していることが明らかになった。この値は、同年に米3大ネットワーク(ABC, CBS, NBC)が報じた全てのニュース報道の約10%を占めている。

国内・海外ニュースを問わず昨年最も報道された2大ニュースは、北大西洋条約機構(NATO)が支援したリビアの民衆蜂起とムアンマール・カダフィ大佐の殺害、そして、エジプトのホスニ・ムバラク大統領の追放とその後の余波についてであった。

 リビア関連の報道時間は約700分で、これは米3大ネットワークがイブニングニュースで報じたニュース報道時間の総計の5%にあたる。一方、エジプト関連の報道は約500分であった。

しかし、同じ「アラブの春」関連の報道でも、シリア(143分)、バーレーン(34分)、イエメン(29分)における民衆蜂起や、昨年の冬以来北アフリカと中東を席巻している「アラブの目覚め」に関する概要(42分)関連の報道については、報道時間はずっと短いものであった。

「通常、3大ネットワークは、米軍が海外で軍事活動に関与している場合のみ当該国に関する報道を強化するのが通例です。しかし2011年は、米軍が地上に展開していない国々について1991年以来、最も多くの時間を割いて報道した年となりました。」とティンドール・レポートの創設者で発行人のアンドリュー・ティンドール氏は語った。

カダフィ大佐の政権を瓦解させたNATOの軍事作戦では、米空軍が一翼を担ったが、米国の地上軍が投入されることはなかった。

「簡単に言えば、外交政策で視聴者の関心を最も惹きつけるのは戦争、すなわち軍事力を行使する場面です。一方、外交的な駆け引きに関するテーマは、世界の紛争地帯に関する取材をするうえで、より国際的な見方が介入する余地があるため、戦争報道と比較してニュースになりにくいのです。」とティンドール氏は語った。

また米3大ネットワークは、2011年に米国が地上軍を展開していた2つの戦争-アフガニスタンとイラクについては、リビアやエジプトほど報道しなかった。アフガニスタン関連の報道時間は全体8位の224分で、これはエジプト関連の報道時間の半分にも満たない。一方先月駐留米軍の撤退を完了したイラクに至っては、僅か71分しか報道されていなかった。

昨年5月のパキスタンにおける米海軍特殊部隊によるオサマ・ビンラディン氏殺害に関する報道時間は179分で、アフガニスタン報道に続く全体第9位であった。

ピュー・リサーチ・センターが発表したピープル&ザ・プレスのための最新調査では、2011年には国民全体の約3分の2がテレビを国内/国際ニュースの主要情報源にしていたという。この人数は新聞を主要情報源としている人々の2倍以上であり、近年伸びてきているインターネットを主要情報源としている人々の数(43%)と比較しても約50%上回るものである。

フォックス・ニュース、CNN、MSNBCといったケーブルニューステレビは主要な情報源として広く視聴されるようになったが、それでも米3大ネットワークによる30分間のイブニングニュース番組の視聴者は、依然としてケーブルテレビの視聴者の7倍に上る。つまり多くの米国民にとって、3大ネットワークのイブニングニュースは、海外情報について知る事実上唯一の手段なのである。

米3大ネットワークのイブニングニュースの放送時間は、平均22分である。ティンドール・レポートは、過去20年以上に亘って一貫した方法でこうしたニュース内容の収集・分析をおこなっている。具体的には、年間を通じて平日放送されるこうした3大ネットワークのイブニングニュース番組を録画し、放送された数百に及ぶトピック毎に放送時間を集計している。3大ネットワークは、国内/国際ニュースに年間合計約15,000分を費やしている。

3大ネットワークが2011年を通じて国際ニュース(ワシントン発の米政府による外交政策に関する報道は含まない)に費やした報道時間は3105分で、全体の20%強であった。これは1988年から2010年の間の平均実績を約250分も上回るものである。

3大ネットワークの2011年報道トップ20では、8つの海外報道がランクインした。リビア(第1位)、エジプト(第2位)、アフガニスタン(第8位)、ビンラディン氏殺害(第9位)以外では、日本の東日本大震災・津波・福島原発事故が389分で第4位、英国のロイヤルウエディングが11位、そしてシリア関連報道が14位、そして、英国タブロイド紙の盗聴スキャンダルが20位にランクされた。

一方、連邦政府の赤字と赤字上限額を巡る民主党と共和党の論争に関する報道時間は全体3位の477分、長引く失業問題は7位(263分)、さらに、「ウォール街を占拠せよ」抗議運動関連報道は18位(111分)であった。これら経済関連報道を合計すると、トップのリビア報道を上回った。

報道トップ20にランクインしたその他のトピックとしては、下院議員が負傷したアリゾナ乱射事件(368分で5位)、株式市場の変動(153分で13位)、ペンシルベニア大学フットボール部レイプスキャンダル(143分で15位)、そして、故マイケル・ジャクソン氏の専属医師の裁判(106分で19位)がある。

また2011年には、トルネード被害(358分で6位)、ハリケーンアイリーンが北東部にもたらした被害(178分で10位)、全米を襲った厳しい寒波(165分、12位)、昨春のミシシッピ川洪水被害(129分で16位)の4つの天災関連のニュースが報道トップ20にランクインした。こうした天候関連報道を合計すると830分となり、全報道時間の約7%を占めた。

ティンドール氏によると、メディアが報じているような極端な気候は地球温暖化の兆候ではないかと主張する気候学者が近年増加してきている一方で、米3大ネットワークの報道番組はその点を指摘する努力をほとんど、或いは全くしていないとのことである。

「3大ネットワークの報道は、米国の地球温暖化否定主義に足並みを揃えており、温暖化について報道するどころか、かえって問題を悪化させているといって間違いない。」とティンドール氏は語った。

またティンドール氏は、地球温暖化問題以外に米3大ネットワークが軽視してきた主な国際ニュースとして、迫りくるユーロ圏崩壊の危機と第二次世界金融危機の可能性に関する報道、及び、引き続き好調な経済成長を背景にとりわけ領海問題について自己主張を強める中国に関する報道を挙げた。

2012年には、イランの核開発疑惑を巡って高まる緊張関係に関する報道が大きくクローズアップされそうであるが、米3大ネットワークが2011年にこの問題に費やした時間は20分以下に過ぎなかった。

「アラブの目覚め」、日本の災害、アフガニスタン情勢、ビンラディン殺害、英国のロイヤルウェディングの他、2011年に米3大ネットワークが報じた主な国際ニュースとして、アフリカの角地域における飢饉(87分)、イラクとドミニク・ストラスカーン国際通貨基金前専務理事の性的暴行スキャンダル疑惑(双方とも71分)、進行中のアルカイダ指導者達を追い詰める努力(46分)が挙げられる。

その他、国際ニュースとして、米国-パキスタン関係とギリシャ危機(双方とも39分)、ノルウェー連続テロ事件とバーレーン情勢(双方とも34分)、北朝鮮の指導者金正日氏の逝去(34分)、イタリアにおける米国人留学生殺人公判(30分)、イエメン情勢(29分)、ロンドン暴動(26分)、イスラエル-パレスチナ紛争(25分)、シルヴィオ・ベルルスコーニ首相の退任・交代騒動(24分)、国連におけるパレスチナの国家認証を求める動き(23分)が報道された。

ティンドール氏は、「NBCとCBSは今回20年来の海外報道記録を更新しました。一方、ABCは英国のロイヤルウエディング関連の報道を除いて、全ての海外報道トピックについて、海外報道の扱いが他の2局に比べて大幅に少ないという結果が明らかになりました。」と語った。

CBSとNBCの両ネットワークは、ここ数年、携帯電話やツイッター、スカイプといった安価で機動性があり、ノンプロフェッショナルなニュース収集戦術に対する抵抗感を徐々に見せなくなってきている。

「このことは、国際ニュースを全米ネットワークのイブニングニュースで取り上げるうえで、従来障害となってきた大きな要素-比較的高価なロジスティクス関連の経費-が取り除かれたことを意味します。」とティンドール氏は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|オーストラリア|核兵器廃絶を目指す赤十字

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

オーストラリアの与党・労働党は12月はじめ、これまでの党の方針を翻して、インド・パキスタンに対するウラン売却を認めた。そうしたなか、国際赤十字・赤新月運動が、法的拘束力のある核兵器廃絶条約を求める決議を採択し、世界の核軍縮運動は勢いづいている。

オーストラリア赤十字社(ARC)は、日本、ノルウェーの赤十字社と協力して2011年初めに決議草案を作成し、11月26日にジュネーブで採択された。決議を採択したのは、赤十字国際委員会(ICRC)、187ヶ国の赤十字・赤新月社、赤十字・赤新月社国際連盟からなる、運動代表者会議である。

ARC国際法・原則部門の責任者、ヘレン・ダーラム博士は、IDNの取材に対して、「イランやヨルダン、レバノンから、モザンビーク、マレーシア、サモアといった多様な国々の仲間たちによって、この恐るべき兵器を二度と使うべきでないという決議が共同提出され支持されたことは、非常に感動的です。この決議は(世界の世論を)引っ張っていくものであり、核廃絶というこの重要な問題について赤十字運動が発言すべきだとの世界の感覚を示したものなのです。」と語った。

ICRC
ICRC

この歴史的な決議は、世界のすべての国に対して、「法的拘束力を持つ国際条約によって、核兵器の使用禁止と完全廃棄を目指す、誠実かつ緊急で断固たる交渉を追求」することを訴えている。

2010年5月にニューヨークで開かれた核不拡散条約(NPT)運用検討会議においては、これまでで最大の数の国が、核兵器禁止条約(NWC)採択に向けた交渉を始めることを求めた。

今回の決議は非常に重要な意義を持つ。なぜなら、戦争の兵器として使用された核兵器の正当性を、それが人間、とりわけ民間人に与える破滅的な影響や、環境と世界の食料生産に与える脅威ゆえに、疑っているからである。

人道上の要請
 
「世界がより集中的に核軍縮に取り組むべき、法律上、人道上の要請があります。ますます多くの国に核兵器が拡散し、他の集団が核兵器を使用する能力を獲得する脅威は、国際社会に対する警鐘として認識されるべきです。赤十字は、このメッセージを、各国や世界の人びとに伝えていきたい。」とダーラム氏は語った。

「広島の日」の2011年8月6日、ARCは、核兵器使用を違法化する「核兵器をターゲットに」キャンペーンを開始した。1960年代から70年代にかけての時代を特徴づけた大義をベビーブーマーの世代とつなぐことを目指し、すべての新しい世代に参加を呼びかけている。キャンペーンには56万5000人の参加があり、フェイスブックやツイッターを通じて広まった。

今日、世界には少なくとも2万発の核兵器があり、そのうち3000発は、即時発射可能な状態にある。これらの潜在的破壊力は、広島型原発15万発分にも及ぶ。

ARCのロバート・ティックナー代表は「もし地雷やクラスター弾を制限する条約が作れるのならば、この邪悪な核兵器を永遠に違法化する国際条約に関する合意を得る必要性に背を向けることはできないはずだ。」と語った。ARCは、NWCにオーストラリアで超党派の支持を得る取り組みを続けている。

1945年以来、赤十字・赤新月運動は、大量破壊兵器に対して深い懸念を表明し、これら兵器の使用禁止の必要性を訴えてきた。国際人道法発展における赤十字の役割は大きく、1977年には、ジュネーブ条約追加議定書の採択につながった。オーストラリアを含めた194ヶ国が4つのジュネーブ条約を批准している。

反核、しかし米国とウランはどうなる

オーストラリアは核保有国ではないが、米国との間に防衛上の取り決めがあり、米国の核兵器による保護が、オーストラリアの安全保障にとって鍵を握ると考えられている。また同国には、世界のウラン埋蔵量の40%が眠っており、世界のウラン供給の19%を占めている。

オーストラリア政府は、ウラン輸出に関して、現在の年間1万トンから、2014年には17億豪州ドルに相当する1.4万トンに拡大すると予想している。現在は、中国、日本、台湾、米国に輸出している。

Tilman Ruff

国際核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)豪州支部のティルマン・ラフ議長は、IDNの取材に対して、「ICANは兵器や拡散といった問題に焦点を当てていますが、明らかに原子力とのつながりがあります。初発の物質と基本的なプロセスが同じだからです。原子力発電用に原子炉級のウラン濃縮をできる国なら、もう少し濃縮して兵器級にする技術を持っているということになります。だからこそ、イランの核開発に対する懸念が広がっているわけです。そして、原子炉を保有するどの国でも、使用済み燃料からプルトニウムを抽出して、それを核兵器製造のために使うことができるのです。」と語った。

「原子力発電に関するICANの主な役割は、初発の物質が同じであり、それが原子炉によるものであろうが核爆弾によるものであろうが、被ばくの影響は無差別的かつ同じように起こるという事実に目を向けさせ、原発に関してもこれまでと同じようにやっていくのは不可能だということを示すことです。ウランを濃縮したり使用済み核燃料からプルトニウムを抽出したりする国家に何の制約もかけないまま、核兵器を廃絶することは不可能なのです。」

「核兵器なき世界」を目指す人びとは、たとえ受領国に保障措置をかけたところで、すべてのウラン輸出にはやはり問題がある、と考えてきた。なぜなら、それが兵器に使われる危険性は消えないからだ。仮に兵器に使われなかったとしても、国内産出のウランを兵器用に回す余裕を作り出してしまう。

独立の研究機関「ワールドウォッチ研究所」(ワシントンDC)による新しい分析では、原子力発電の高コスト体質、原発への低い需要、天然ガス価格の低下、福島原発事故以降高まった健康や安全への懸念などから、他のエネルギー源に目が向けられているという。

同研究所の最新報告書「重要な兆候(Vital Signs)」によれば、世界の原子力発電所全体の潜在的発電量は2010年にピークの375.5ギガワットに達したが、2011年には366.5ギガワットと減少したという。

ジュリア・ギラード首相によるインドへのウラン輸出動議に関して、国会で熱い議論が戦わされ、9人の議員が反対演説を行ってスタンディング・オベーションを受け、7人の議員が賛成演説を行って、ウラン採掘・輸出に反対する人たちから野次を受けた。

これまでのところ、労働党は、NPT署名国にだけウラン輸出を認めてきている。首相の動議は、わずか21票差(賛成206、反対185)で承認されたが、ジラード政権内部にも強い異論があることが明らかになった。

アントニー・アルバニーズ運輸・インフラ相は、12月4日、第46回労働党総会において、「核拡散と核のゴミの問題を解決するまでは、核燃料サイクルにさらに関わるために、我々の政策を変えるべきではない。」と述べた。

(世界全体では)2010年に16基の原子炉建設が始まったが、2011年にはインドとパキスタンが各1基の計2基にまで縮小した。こうした建設ペースの鈍化に加えて、2011年中には10月までに13基が稼働停止し、世界で稼働中の原発は年初の441基から433基に減少した(「重要な兆候」報告による)。

2010年以来、中国、インド、イラン、パキスタン、ロシア、韓国が、合計で5ギガワット分の新規建設を開始している。他方で、フランス、ドイツ、日本、英国で、11.5ギガワット分の原子炉の閉鎖があった。

核兵器禁止の包括的な基礎を築く条約づくりを目指した赤十字・赤新月社の決議は、緊急性を持って、すべての諸国によって実行されなくてはならない。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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