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核実験禁止にまた一歩近づく

【ベルリンIDN=エヴァ・ウェイラー】

いくつかのハードルをまだ乗り越える必要があるものの、世界がまた、すべての核爆発を世界中どこでも、誰によるものであっても禁止する世界的な条約の発効へとまた一歩近づいた。包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会は、9月20日、ギニアが155番目のCTBT批准国になったことを発表した。

西アフリカにあるギニアは貧しい国ではあるが、ボーキサイトの埋蔵量が世界の25%以上を占めるなど、天然資源が豊かである。人口は約1000万人で、ダイヤモンドや金、その他の金属も産出する。

 水力発電の潜在力も高い。ボーキサイトとアルミナ(アルミニウムの天然または合成の酸化物)が現在の唯一の主要輸出産品である。また他の産業には、ビールやジュース、ソフトドリンクの加工工場、タバコなどがあり、農業人口が、国の労働力の8割を占める。フランスによる植民時代及び独立初期においては、バナナ、パイナップル、コーヒー、ピーナッツ、ヤシ油が主要輸出産品であった。
 
 CTBTOのティボール・トート事務局長は、「核実験禁止に向けたアフリカの貢献を一層強化し、世界の他の国々にとっても強力な導きの光になる」として、ギニアの批准を歓迎した。

この発言の背景には、アフリカ非核兵器地帯(ANWFZ)が、2009年7月15日、ペリンダバ条約発効によって創設されたことがある。この条約の名は、南アフリカ原子力公社が運営していた核研究センターのあった場所にちなんでいる。ここは、南アフリカ共和国が1970年代に核兵器を開発・製造し、その後貯蔵していた場所である。プレトリアの西33kmのところにある。

ウィーンに本拠を置くCTBTOは、「核実験への扉を閉めろ!」というキャンペーンを始めている。その趣旨は次のようなものである。「今日、1950年代、60年代、70年代、80年代と、つねに核兵器が爆発していた時代があったことは想像もつきません。しかし、これまでに世界で2000発以上の核爆弾が実験で使われ、土地や空気、さまざまな場所の人々を汚染しました。」

「1996年、包括的核実験禁止条約がこの狂気に待ったをかけました。しかし、世界のすべての国々が条約を支持しない限り、さらなる核実験とあらたな核軍拡競争の脅威が世界を覆い続けることになるのです。」

CTBTOによれば、CTBTへの加盟は普遍的なものであり、これまでに182ヶ国が署名、ギニアを含んだ155ヶ国が批准している。アフリカでは、署名していないのがモーリシャスとソマリアの2ヶ国、批准していないのがアンゴラ、チャド、コモロ、コンゴ共和国、エジプト、赤道ギニア、ガンビア、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ、スワジランド、ジンバブエの11ヶ国である。

「このなかで、エジプトによる批准は条約発効の条件になっている。他に、中国、朝鮮民主主義人民共和国、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、パキスタン、米国という8つの核技術保有国の批准が条約発効の必須条件である」とCTBTOは述べている。

「核実験が探知されず行われることのないよう、国際監視制度(IMS)が構築されている。現在、85ヶ国に280施設があり、うち、アフリカには22ヶ国に30施設がある。IMSによって集められたデータは、地震観測、津波警報、原子力事故による放射能拡散レベルの追跡などの災害対策にも応用できる。」1999年には、認証されたIMS観測所は世界のどこにもなかった。

アフリカ非核兵器地帯

ANWFZには、アフリカ大陸の領域と、アフリカ連合(AU)の加盟国である島嶼国家、AUの前身であるアフリカ統一機構(OAU)の決議によってアフリカの一部だとみなされたすべての島が含まれている。「領域」とは、領土、内水、領海、群島水域、それらの上空に、海底とその地下を意味する。

アフリカ非核兵器地帯は、アフリカ大陸の全部と、次の諸島を含んでいる―アガレガ島、バサス・ダ・インディア、カナリー諸島、カポベルデ、カルガドス・カラホス礁、チャゴス諸島(ディエゴ・ガルシア)、コモロ諸島、ヨーロッパ島、フアン・デ・ノヴァ島、マダガスカル、モーリシャス、マヨット島、プリンス・エドワード&マリオン島、サントメプリンシペ、レユニオン島、ロドリゲス島、セイシェル、トロメリン島、ザンジバル、ペンバ諸島。

しかし、このリストには、南部のアンゴラから1900kmのセントヘレナ諸島、その付属であるアセンシオン島とトリスタン・ダ・クーニャ島、カポタウンから南西に2500kmのブーベ島、マダガスカルから南に2350kmのクローゼー諸島、ケルゲレン諸島、アムステルダム島、サンポール島は含まれていない。

アフリカ非核兵器地帯条約は、条約加盟国の領域内において核爆発装置を研究・開発・製造・貯蔵・取得・実験・保有・管理・配備すること、および、アフリカ地域において放射性廃棄物を投棄することを禁じている。

条約はまた、地帯内の核施設に対するいかなる攻撃も禁止し、平和目的だけに使われる核物質・施設・機器の物理的防護の基準を最高レベルにまで高めるよう加盟国に要請している。

非核アフリカの追求は、OAUが、1964年7月にカイロで開かれた初めてのサミットにおいて、アフリカの非核化を図る条約を目指すと公式に表明したことが始まりだった。

CTBTは、2011年8月29日、カザフスタンのセミパラチンスクで核兵器実験場が閉鎖されてから20年目を迎えた。1991年にこの日が選ばれたのは、旧ソ連が1949年に初めて核実験を行ったのがこの日だったからである。

1945年から、CTBTが署名開放される1996年まで、2000回以上の核実験が行われた。実験のほとんどは米国とソ連によって、一部はイギリス、フランス、中国によって行われた。1996年以降は、インド、パキスタン、朝鮮民主主義人民共和国の3ヶ国も核実験を行ってきた。

CTBT発効の重要性は、2010年5月の核不拡散条約(NPT)運用検討会議でも再確認され、その行動計画の中に含まれている。国連の潘基文事務総長は、CTBTによる検証体制について、「この検証体制は、国際協力のための価値ある道具であることを証明してきました。私は、今後もCTBTが、独立的で信頼がありコストを抑えた検証を行い、それによって条約違反を抑止する方法を提供していくと確信しています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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核の安全と核実験禁止に関する国連会議開催

【国連IPS=エリザベス・ウィットマン】

歴史は、核兵器と原子力の破壊的能力の証明にあふれている。しかし、それでもなお、原子力には多くの利点があるとの証拠で科学は満たされている。

原子力の危険を避けつつ、人類がその利益を安全に享受するにはどうすればいいか。国連で9月22日から23日にかけて開かれたハイレベル会合では、指導者らがこのジレンマに直面した。


国連の潘基文事務総長は、9月22日のサミット開会にあたり、「3月の地震と津波によって起こった福島第一原子力発電所の事故と、1986年のチェルノブイリの原発事故が『警鐘を鳴らしている。』」と語った。

「原子力事故には国境はありません。人々を適切に保護するために、強い国際的なコンセンサスと安全基準が必要です。」と潘事務総長は語った。

9月23日、40ヶ国以上の閣僚と高官が、包括的核実験禁止条約の発効について討論した。同条約にはこれまで182ヶ国が署名し、155ヶ国が批准している。米国を含め9ヶ国の批准が、条約発効の要件とされている。

22日の討論は、福島原発事故の影響に焦点を当てた。この事故は、原子力安全を向上するための取り組みを国際社会が緊急に強化しなくてはならないことを示した。

ただ、すべての国家が核活動を追求することをやめる前提で勧告がなされたわけではなかった。

軍縮問題担当の国連上級代表であるセルジオ・ドゥアルテ氏は、原子力の段階的廃止あるいは開発中止を決めた国がある一方で、「原子力の開発、取得の努力を続けている国もある」、と閣僚討議において述べた。したがって、災害とリスクに関する分析がさらに行われる必要がある。

潘事務総長が22日に提示した福島原発事故の影響に関する体系的な研究は、少なくとも原子力安全の分野においては、福島事故の問題が依然として国際的な関心の的であることを示した。

同研究は、原子力に関する賛否を検討し、「安全で科学的に健全な原子力技術は……農業と食料生産にとって貴重なツールである」と指摘した。

にもかかわらず、周囲の環境に放射性物質を放出した事故によって、「水や農地が(激しく)汚染され」、「人々の生活に直接の影響があった」と述べている。

また同研究は、「福島事故の主要な教訓は、どんな種類の事故が起こるかという想定があまりに甘かったということである。」と指摘し、「国際社会は、核保安の問題に適切に対処するために、関連の国際法枠組みを普遍的に遵守し履行するよう努力していかねばならない。」と提言している。

CTBTの発効

包括的核実験禁止条約(CTBT)は、そうした国際的な法的枠組みのひとつである。国際監視制度(IMS)の観測技術が、CTBT違反の探知にあたって貴重かつ効果的であることは広く認められている。その探知能力は、原子力事故にあたっても有益であるかもしれない。

1996年、CTBTは署名に開放された。潘基文事務総長は2012年をその発効の目標年と定めたが、まずは、中国、エジプト、インド、インドネシア、イラン、イスラエル、北朝鮮、パキスタン、米国が条約を批准しなくてはならない。

指導者らは、CTBT発効で多くの利益が生まれる、という。

潘事務総長は23日の閣僚会議で、「CTBTは核兵器なき世界に向かっての不可欠の飛び石のひとつだ。」と語り、「遅滞なく」条約を署名・批准するよう各国に求めた。

ドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相は、条約発効によって中東や東アジアのような地域の緊張を緩和するのに効果的なだけではなく、「世界の平和と安全を強化する」のにも有益だと語った。

しかし、条約が発効するまでには、批准という大きな問題が立ちはだかっている。

CTBT機関準備委員会のティボール・トート事務局長は、9ヶ国の批准問題に関して、「それは各国で決めることです。各国は、CTBTに加盟することでセイフティネットが張られることになると考えるのかどうか、自ら判断しなければなりません。」「特に中東と南アジアでは、CTBTがより高度の安全を確保するための資産になると各国が考えるようになることが重要です。」と語った。

またトート事務局長は、「政治的安全保障という利益を超えて、複雑な災害の影響を減ずるという効果もCTBTにはあります。」と語った。

この点についてはドゥアルテ氏も同意見で、「原子力をエネルギーミックスの一部に加えたいと思うかどうかは、主権的な決定に関わる問題です。」とIPSのインタビューに応じて語った。

ドゥアルテ氏は、「国連ができることは、CTBTを促進し、それに加盟することに伴う利益を(諸国に)示していくことです。」と語った。

国連は会議を招集し、知識を集積し、情報を共有することができる。原子力事故の予防・対処のために加盟国を知識でもって武装することもできるし、そうした効果を生むような枠組みや条約づくりを促進することもできる。しかし、究極的には、そうした実践を行ったり条約を批准したりするのは、他でもなく各加盟国である。

「どうしたいか決めるのは、各国次第なのです。」とドゥアルテ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ベルリンIPS=カリーナ・ベックマン】

どちらの世界が安全か?― 重武装した現在の世界か、全ての人々の基本的ニーズが満たされた世界か ―これが、28カ国・地域、220都市以上を回りドイツに到着した核廃絶展のテーマの1つである。

3月の日本の福島原発事故による原発の被害は、核による安全性の限界を世界に知らしめた。この疑問は今、これまでになく、正当なものとなっている。


10月7日、「核兵器廃絶への挑戦」展の開幕式がベルリンで行われた。池田博正創価学会インタナショナル(SGI)副会長は、ドイツの首都を「平和の都市」として称えた。

さらに、1945年、16万人以上を一度に殲滅した広島・長崎に投下された原子爆弾、その唯一の被爆国である日本にとって、ドイツの反核運動は1つの善きモデルとなると述べた。

この展示は18対のパネルから構成されており、核兵器の脅威を写真・文章を通して訴え、平和・軍縮・不拡散を後押しするテーマを様々な角度から盛り込んでいる。

SGIは、一人ひとりの変革と社会貢献を通して平和・文化・教育を推進し、世界に広がる在家仏教運動で、メンバーは1200万人以上を超える。人類にとって大きな脅威の一つである核兵器の廃絶にも取り組んでいる。
 
ベルリンでの展示会開幕式で紹介されたメッセージの中で、池田大作SGI会長は、「私たちの眼前には、貧困や環境問題、また深刻な失業や金融危機など、各国が一致して立ち向かうべき『人類共通の課題』が山積しています。」「そのために必要な人的・経済的資源を犠牲にしてまで核兵器を維持することの愚かさが、今、一層明らかになっております。あくまで必要とされるのは、『安全保障』であって、『核兵器の保有』ではありません。」と述べた。

10月16日まで開催されるこの展示は、開発のためではなく戦争の文化のために資源を費やすことの愚かさを訴えている。現在、世界の国々は年間1兆ドル以上を軍事費や武器貿易に費やしている。これは、地球上の一人当たり173ドルにあたると説明する。

さらに、「世界の軍事費の10%未満にあたる700億-800億ドルがあれば、地球上のすべての人々に必要最低限の必需品を行き渡らせることができます。」と述べている。

核兵器については、未だに2万発以上の核弾頭があり、これは、世界中のあらゆる生物を何度も全滅させることができる数となっている。

池田SGI会長は、「『核兵器のない世界』という偉大なる目標に向かって、心ある政治指導者ならびに市民社会は、今こそ連携を密にし、その総力を結集すべき時を迎えています。」「その里程標ともいうべきものが、核兵器禁止条約(NWC)の実現であります。その早期交渉開始を、ここベルリンの地で、私は改めて強く訴えるものです。」と述べ、NWCへの早期交渉開始を、改めて訴えかけた。
 
池田博正SGI副会長は、100名余りの参加者を前に、核抑止論に挑むことの重要性を強調した。「核兵器は人間の安全保障に貢献しておらず、冷戦終結から20年が経った今日においては、『硬直した思考』です。」「冷戦が20世紀の最後に薄れていく中、地球的な核戦争の脅威も後退したように見えました。しかし世界は、核抑止論の構造や論理を解体する機会を逃したのです」と語った。

日本人は一般的に、ヒロシマ・ナガサキのトラウマ的な経験の遺産として、核兵器に対して非常に否定的な態度を持っている。しかし福島の原発事故が起こるまで、核エネルギーの平和的利用については概ね受け入れていた。

寺崎広嗣SGI平和運動局長は、「原子力の安全性に対する疑問と代替エネルギーの確保という問題の狭間で、日本人は原子力発電にどう向き合うのかという問いが、改めて提起されることになりました。」「その目的に鑑みるとき、原子力発電を無条件に否定することは容易ではありません。また原子力発電が、エネルギー供給の点で今日一定の役割を果たしていることも事実であり、その現実から目を背けることも適切ではありません。」と語った。

また寺崎局長は、「原子力発電は、短期的・中期的には、代替エネルギーが開発されるまでの過渡的なエネルギーの一部として位置づける。」「原子力発電は、長期的に目指す再生可能なクリーンエネルギー社会実現過程における『つなぎ』の役割として限定するべきでありましょう。」とも語った。

「原子のつながりを断つ時が来ています。」とは、開発と平和のための組織である国際協力評議会(GCC)と共にベルリン核廃絶展の共催者である核戦争防止国際医師会議(IPPNW)、ザンテ・ホール氏の言葉である。
 
ホール氏は、「発掘活動やウランの濃縮から使用済み核燃料の除去まで、核の生産の連鎖における全ての部分が、癌、遺伝子欠陥、環境破壊等、人類への脅威をはらんでいます。」と語った。

彼女の観点では、2022年までに全ての原子力発電所を閉鎖することを決めた後、ドイツが行っているように、核エネルギーを禁止するだけでは、十分ではない。その理由は、核生産の連鎖の中で、全ての部分が、放射能を生み、それ故に人類や環境を脅かすからである。

IPPNWは、ウラン発掘、ウラン兵器、核分裂性物質の生産の世界的な禁止、核物質の輸送の停止、包括的核実験禁止条約(CTBT)や核兵器禁止条約(NWC)の発効のために運動を展開している。

ホール氏は、「太陽や風が戦争を引き起こしたことはありません。ですから、核の鎖と核テロの脅威から私達自身を解放しましょう。私達の生きている間にこの目的が達成されることを望むものです。」と語った。

ドイツ連邦議会軍縮・軍備管理・不拡散小委員会議長を務める、ウタ・ツァプフ氏は、「残念ながら、いまだ平和は、人間精神の主体とはなっていません。新北大西洋条約機構(NATO)戦略はその良い例です。」と指摘した上で、「私達は、友達やパートナーに囲まれています。核の抑止論を放棄してはどうでしょうか。展示と共に問題に関わりましょう。平和の文化を構築し、核兵器の非人間的な不正を禁じたいと思う人々と共に、行動を起こしましょう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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「テロとの戦い」に懐疑的なアジア

【シンガポールIDN=カリンガ・セネヴィラトネ】

ワールド・トレード・センターや国防総省(ペンタゴン)が攻撃され、米国が「テロとの戦い」を始めてから10年、数多くの社説や論評が書かれてきた。大半の米国メディアは、とくにオサマ・ビンラディンが殺害されて以降、「テロとの戦い」に勝利しつつあるとのペンタゴンのメッセージを代弁しているが、アジアの新聞はこうした議論に乗っていないようである。

バングラデシュの『デイリー・スター』紙は、「米国は、対アフガニスタン戦争、続いてイラク戦争における一連の行動を通じて、露骨な単独行動主義の時代が到来したことを世界に印象付けた。こうした事態の中、国連は、世界唯一の超大国である米国の政治目標を単に是認する機関として利用された。そしてこの傾向は、残念ながら今回のリビア内戦への多国籍軍介入に際しても見られた。成功という言葉で、米国本土に大きな攻撃がないことを意味しているとするならば、たしかにそれは成功と言えるだろう。しかし、米国が明らかに安全になったからと言って、それは世界の安全を意味するわけではない。この10年間、テロを抑えるのではなく、むしろ、かつてなかったところにイスラム過激主義の勃興を招いてしまった。」と報じている。

War on Terror Photo:IDN

 同紙はまた、「従来より小規模な宗教グループが『反米』感情からアルカイダとの提携関係を深めつつある。こうした過激派は少数であるが、イスラム世界の大半はこの点について沈黙を守っている。」

タイの『バンコク・ポスト』紙は、もし世界がより安全な場所になったかどうかを「テロとの戦い」の成功の基準に据えるならば、米国の政策は逆効果だと論じている。通信と諜報が発達して、いくつかの攻撃計画を事前に阻止したかもしれないが、米国はアフガニスタンでの戦争を勝ち抜くことができなかった。

事実同紙は、ブッシュ大統領が2001年段階でビンラディン容疑者の第三国への身柄引き渡しを提案したタリバン政権との交渉を拒否した(その結果、ビンラディン容疑者は国外に逃れてしまった)点を挙げ、オバマ政権も(再びタリバンとの交渉を拒否することで)同じ過ちを犯そうとしているように思えるとして、「アフガニスタンにおける戦争を終わらせる唯一の方法は、タリバンとの交渉以外にないようだ。」と報じた。

また、「イラクやアフガニスタンで戦争が行われる中での民衆蜂起、市民の権利の停止、数万人にのぼる夥しい市民の死は、「常の戦争はあくまで最後の手段であり、その他の政策を追求するための手段として使われるべきではない」いう教訓を明らかにした。」と論じている。

ネパーリ・タイムス』紙のコラムニストであるアヌラク・アチャルヤは、「米国がより安全になったとは言えない。なぜなら、米国はテロリズムの背景にある原因を理解しようとしてこなかったからだ。」と論じた。米国はテロとの戦いを世界規模で先導したことで、経済破綻と今日の政治的麻痺状態を招くこととなった。

「米国が世界のどこにでも軍を配置し、その行動が招く結果を気にしなくて良かった時代は昔のことである。もし米国が相手を服従させる手段として暴力を長らく独占してきたとしたら、それに終止符を打ったのが非国家勢力の興隆ということになるだろう。もし大国がグローバリゼーションを悪用して遠く離れた地の人々の生活を侵害するようなことをしてきたとすれば、それに反発する勢力は、世界中で反撃する同様の能力を開発してきたといえよう。たとえ米国製巡航ミサイルがきちんと制御されたものであったとしても、外交方針そのものが誤ったものだったとしたら、意味がないのである。」とアチャルヤ氏は述べている。

強硬な態度よりも妥協を

リナ・ヒメゼズ-デイビッドは、『フィリピン・デイリー・インクワイアラー』紙で、9・11の結果として、代理戦争がフィリピンのような国に輸出されてしまったと嘆いている。「このような状況下では、平和を口にしたり、他の状況を構想することが難しくなってしまう。しかし、まさに9・11を心に刻むことによって、今とは違った生のあり方、つまり、紛争よりも協力、スタンドプレーより相互理解、強硬な態度よりも妥協を作り出す必要性に私たちは思いを致すようになるのだ。」

中国社会科学院アメリカ研究所の劉偉東研究員は、『チャイナデイリー』紙に寄稿した論文の中で、「2001年10月7日に(アフガニスタンに対する戦争と共に)はじまったテロとの戦いは、第一次世界大戦(191年7月28日~18年11月11日)と第二次世界大戦(1939年9月1日~45年9月2日)の合計よりも長く続いている。」と述べている。

「米国はテロリストに対して優位に立ったように見えるかもしれないが、実際は膠着状態にあるのが現状である。なぜなら新たなテロ指導者が次から次へと現れており、彼らは最新のコミュニケーション手段を駆使して、欧米諸国に『トロイの木馬』を醸成すべく『電脳戦争』を仕掛けている。」劉氏は、ビンラディン容疑者は10年前にメディアに対して、9・11同時多発テロが米国の経済成長を破壊することを望むと語った点を指摘した。

「オバマ大統領は今年、米国政府は過去10年の『テロとの戦い』に1兆ドルを費やしたと語った。一方、ブラウン大学が発表した研究報告書によると実際の戦費は3.7兆~4.4兆ドルにのぼると見られている。」

敗者と勝利者

シンガポール国立大学リー・クァンユー公共政策大学院のキショール・マブバニ院長は、シンガポールの『ザ・ストレーツ・タイムス』紙に寄稿した論文の中で、9・11同時多発事件から10年後の影響について、3つの短い表現(①米国は無駄な10年を送った、②中国は実のある10年を送った。③世界は人類を一つにする貴重な機会を逃した。)に集約できると記している。

「過去十年は中国にとって最高の十年だっただろう。中国はこの10年間、毎年ほぼ10%の経済成長を果たし、諸外国との貿易関係を飛躍的に伸ばした。そして2008年には外貨準備高が世界一となった。」「中国は、果たして米国の破滅的な外交政策から恩恵を受けただろうか?その答えは単純にイエスだ。米国が戦争に忙殺され国防費を膨張させていった一方で、中国は自由貿易協定の締結に忙殺された10年だった。その結果、中国は世界中の国々との善隣関係を築くことに成功したのである。そして2006年、中国が中国-アフリカサミットを招集した際、事実上全てのアフリカ諸国の指導者が出席したのである。」とマブバニ院長は指摘した。

ある米国人から中国の従弟への便り

シャンハイ・デイリー』紙は、「ある米国人から、中国に住む彼の従弟への手紙」という形式で掲載したやや皮肉を込めた記事の中で、米国がこの10年間にいかにしてそれまで大切にしてきた価値観を失ったかを指摘している。

「今日米国に生きるということは、新しい規範を受入れるということだと、残念ながら言わねばなりません。まず何よりも、自由の権利が急速に後退しまいました。この国で苦役する不法移民を大量に強制送還することが新しい規範になってしまいました。その結果、夫や妻や子供が取り残され生活が壊されることなど当局は気にも留めません。ビザを取得している移民でさえ、不公平な扱いに直面しています。有罪となれば、それが些細な罪であったとしても、強制送還の対象とされてしまうのです。」と手紙は綴っている。

さらにこの手紙では、ある典型的な強制送還の事例が紹介されている。つまり、道で立ち小便をした建設労働者が、猥褻物陳列の罪でカンボジアに送還されてしまったというケースである。しかしこの移民は、小さいときに出てきた故郷のことをまったく知らない。それどころか、妻と子どもを米国に残したまま追放されてしまったのである。

「権利の後退は移民に限ったことではなく、全ての市民に及んでいる。」と手紙は指摘している。「権利の後退はゆっくりではあるが、核心部分において確実に起こっている。それが最も明確に表れているのが全米各地の空港である。そこでは何気ない会話であっても、批判じみた言動が、国外退去処分を受ける理由となりかねないのです。このような新しい米国では、だれもが自身の言動を控え、近所の人々の言動をチェックするようになってしまいました。もし米国がかつて自由と民主主義のためにあったというのであれば、今日の米国はいったい何のためにあるのか、私にはわからないのです。」と手紙の主は、中国の従弟に記している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【アブダビWAM】

「中東全域を席巻した『アラブの春』運動は民主主義と人権の尊重を求める一般の男女によって支えられてきたものだが、こうした努力が、タワックル・カルマン女史のノーベル平和賞受賞によって力強い支持を得ることとなった。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

人権活動家でジャーナリストのカルマン女史は、アラブ世界で初のノーベル平和賞女性受賞者となった。

 「ノーベル賞委員会は、3名の女性を今年のノーベル平和賞受賞者と選定した。1人目は初のアフリカ大陸での民主的選挙で大統領になったエレン・ジョンソン・サーリーフ(Ellen Johnson Sirleaf)女史で、14年に渡る市民戦争で荒廃した国土を再建してきた業績が評価された。2人目は平和活動家のリーマ・ゴボォエ(Leymah Gbowee)女史で、2003年の内戦を終焉させ民族的・宗教的な差別を超えて女性を組織し平和的選挙を保障する運動へと動かす源流となった点が評価された。サーリーフ女史は2期目の大統領選挙を4日後に控えており、今回のノーベル平和賞受賞は歓迎すべき追い風となった。」とガルフ・ニュースは論説の中で報じた。

同紙は、「3人の母親でもあるカルマン女史の、人権の復活及び抗議する自由を含む表現の自由を追求する活動は、次の4つの重要な要素(すなわち、①アラブの春への貢献、②イエメンにとどまらずアラブ世界全体における女性の役割と地位向上に向けた取り組み、③シリア及び他のアラブ世界各地で民主主義を求めて戦っている民衆に対する道義的貢献、④自らの未来は自ら切り開ける時代が到来したと自覚したアラブの若い世代にとっての指針となる存在となったこと。)を全て満たすものであった。」と報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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タイ米の高騰で世界市場はどうなる

【バンコクIPS=マルワーン・マカン-マルカール】

タイの新政権が米の価格支持政策を打ち出し、農民はこれを大いに歓迎しているが、米価格上昇により世界市場での競争力が失われるのではないかとの懸念が出てきている。

タイは毎年1000万トン近くの米を輸出しており、世界の米輸出の3割程度を占める。アフリカではナイジェリアコートジボワール、南アフリカが主要な輸入国であり、アジアではフィリピン(世界最大の米輸入国)やインドネシアなど。先進国では欧米諸国もタイ米の安定した輸出先市場となっている。

8月に誕生したインラック・シナワトラ政権は、7月の総選挙において、貧しい農民から米を買い上げることを公約としていた。そして、現在の市場価格の5割増で米を買い上げる政策が発表されたのである。玄米なら1トン当たり1万5000バーツ(517ドル)、ジャスミン米なら1トン当たり2万バーツ(689ドル)で買い取る。この10年に国際市場で取引されたタイ米の平均値は1トン当たり400ドルであることから、これらの価格はよりかなり高騰したものとなる。

 タイ農業省によると、これまでに農民400万人がこの制度に登録を済ませたという。肥料や農薬、石油価格の上昇に苦しむ農民のこの政策への支持は高い。

これまで、タイ米は国際市場で400ドル/トンほどで取り引きされており、かなりの値上げとなる。タイ米輸出業者協会(TREA)によると、このままでは国際価格は800ドルにも達する可能性があるという。9月半ばの段階ですでに2009年1月以来の最高値となる629ドルであった。

TREAは、これによってタイ米の国際競争力が失われることを危惧している。元タイ米輸出業者協会のヴィチャイ・スリプラサート会長は、先週の記者会見に際して、「政府は一夜にして米価を5%引き上げました。これにより国際市場におけるタイ米の競争力は失われるでしょう。」「政府が数十億バーツを継ぎこんでコメ市場に介入しようとするのは極めておかしない状況です。」と語った。

近隣のベトナムは年間670万トンを輸出している。他方、インドは、4年間にわたる非バスマティ米の禁輸措置を解き、国際市場に復帰する予定だ。すでにインドの業者は200万トンの輸出許可を得ている。

タイの米価格政策と国際市場への影響について考察する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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海部俊樹元総理大臣(INPS Japan会長)の叙勲を祝う会を収録

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【東京IDN/INPS=浅霧勝浩】
 
海部俊樹元内閣総理大臣(INPS Japan会長)の「桐花大綬章」授与を祝う会が10月5日(水)東京都内のホテルオークラで開催され、会場には、海部俊樹を良く知る各党の国会議員、友人、支持者など、約700人が駆けつけた。INPS Japanからは浅霧理事長が参加し、撮影・編集を担当した。

INPS Japan


│スペイン│まるで犯罪者のように扱われる移民

【マラガ(スペイン)IPS=イネス・ベニテス】

「本当につらかった。まるで刑務所みたいだった」とたどたどしいスペイン語で話すのは、アルジェリアからやって来たSid Hamed Bouzianeさん(29歳)だ。彼は、スペイン南部アンダルシア州のマラガにある移民収容所に28日間収容されていた。

マラガ移民収容所は、市内のカプチノス地区にあるかつての兵舎を利用して1990年に設置された施設で、スペイン全土で9つある移民収容所のひとつである。スペインの移民法によると、内務省管轄の移民収容所は、裁判所の命令で強制送還手続きを待つ外国人を収容する非矯正施設である。

しかし社会組織や専門家の間から、こうした移民収容所で人権が侵害されているとする報告が繰り返し提出されている。

「マラガの移民と連帯する会」のルイス・ペルニア代表は、「これらの移民収容所は、欧州連合による偽善的な移民政策を正当化する目的のみのために存在するもので、実態は刑務所同然です。そこには民主主義も、法も、人間性もないのですから。」と語った。

 2009年12月、「スペイン難民支援委員会(CEAR’s)」が、マラガ、バレンシア、マドリッドの移民収容所における収容者の生活環境や法的保護に関する調査を行った『スペインの移民収容所の状況』という報告書を出し、移民らが収容所内で虐待を受けている実態を明らかにした。

ARE’sのサルバ・ラクルツ氏(ロビー活動担当)は、「外国に移住したからという理由で収監するということ自体、受け入れられるものではありません。」と、10月21日から23日にかけて開催された「第一回移民収容所に反対する会全国大会」に参加しているバレンシアからIPSの取材に応じて語った。同全国大会には、スペイン全土から約30団体が参画し、移民収容所閉鎖を目的とする全国規模キャンペーンのあり方を話し合った。

「移民収容所は、アフリカ大陸北岸から欧州に小舟で危険な航海に出るなど、移民を厳しい環境に追いやっている国境警備体制とともに移民を取り巻く悪循環を形成しており、いわば『法規範の中にあるブラックホール』といえる存在なのです。」とラクルツ氏は語った・

Bouzianeさんは、アルジェリアで死の脅迫を受け、2008年に小さな小舟に乗ってスペインに渡ってきた。しかし、自らが難民であることを証明するような文書を何も持っていなかったため難民申請をあきらめ、非正規のまま滞在してきた。それが今年7月になって逮捕され、移民収容所に送られたのである。

しかし彼の国外退去命令は、「5月15日運動」からの11日間にわたる抗議デモを受けて撤回された。

Bouzianeさんの弁護を引き受けた弁護士のホセ・コシン氏はIPSの取材に応じ、「人権高等弁務官事務所人種差別撤廃委員会は今年の3月、スペイン政府に対して、特定の人種・民族を標的にしたプロファイリングに基づいて身元チェックをする慣習を止めるよう勧告しました。しかしスペイン当局は、未だに「人種差別主義」に基づく移民の一斉検挙を行っているのです。」と語った。

一斉検挙の際、身分証明書を所持していない外国人は、そのこと自体が運転時に免許証を所持するのを忘れた程度の軽微な違反にも関わらず、最大60日間にもわたって拘留されている。移民収容所は矯正施設ではない。つまり身分証明書を保持していない移民達が収監されるは、彼らが法を犯したからではなく、強制送還されうると警戒させるための予防措置なのである。

「しかし移民収容所は刑務所と異なり、収監者の人権と自由を保障する特定の規定は設けられていないのです。」とNGO団体「アンダルシア・アコーゲ」のホセ・ルイス・ロドリゲス・カンデラ氏は、IPSの取材に応じて語った。

「法律の規定が及びづらいという点では、刑務所より移民収容所の方が深刻です。」とロドリゲス・カンデラ氏は語った。カンデラ氏は、移民収容所の機能と収監者の法的権利を規定するために包括的な法律を制定しなければならないと確信している。

CEARの報告書によると、収容者には移民法の規定により必ず弁護士が割り当てられねばならないが、58%の収容者が、自分の弁護士を知らないか、弁護士がまったく付いていなかった。

収容された移民たちはバラックや古い建物に、住むための最低限の便宜も与えられないまま監禁されている。マラガの移民収容所は、元々は兵舎だった建物である。またスペイン南端のアルへシラスにある移民収容所は、老朽化が進んだ刑務所同様の施設である。

移民収容所の場合、治安対策から収容者のヘルスケアや食事まで全ての面について、出資母体でもある警察が管理している。一方、刑務所の場合、看守は治安対策のみを担当している。

現在の移民法のもとでは、一時的にパスポートを預けるか週に一回は裁判所に出頭することで、移民収容所への収容を免れることは可能である。

内務省発行の不法移民取締りに関する統計によると、2010年に国外退去になった移民は3万163人で、前年の3万8129人よりは21%減少している。

「建物は老朽化が進んで湿気を帯びており、とても人間を収容するに相応しい場所ではありません。これでは刑務所の方がましです。」とマラガ移民収容所で働いている医師は匿名を条件に語った。この移民収容所はいわくつきの施設で、既に修理のため2度も閉鎖している。

「臨月の妊婦や精神病を患った人々が収容されたケースもありました。」とペルニア代表は語った。また「マラガの移民と連帯する会」によると、通訳やソーシャルワーカーの不足という問題もあるという。

CEARボランティアのハビエル・トレグロッサ氏は、移民収容所制度の効果について疑問を抱いている。トレグロッサ氏は、「調査によると、収容所に入れられていた移民のうち、実際に国外退去になったのはわずか30%に満たない人々です。つまり、身分証明書を所持していないというだけで移民を片端から収監する現在のやり方は経費の無駄だということです。」と語った。
 
また国外退去命令数と実際の執行数には違いがあり、その理由として、執行するための政府の予算不足、移民の国籍を特定することの困難さ、そして、スペインが移民の引き渡し条約を締結していない国籍の移民を収監した場合等が指摘されている。

「スペイン当局は、国外退去させられなかった移民を収容所から釈放した後も、釈放者に退去命令をかけつづけることで、合法的に国内に滞在することを阻み続けているのです。」とロドリゲス・カンデアラ氏は語った。

アンダルシアのオンブズマンであるホセ・キャミソ氏は2006年に「収監されている移民たちが犯罪者のように扱われており、移民収容所が刑務所のようになっている。」として移民収容所の閉鎖を要求した。

「移民収容所は、私たちが作り上げ無理やり稼働させた、無軌道な代物、つまりモンスターなのです。」とペルニア代表は結論付けた。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

|軍縮|「核兵器をターゲットに」

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

1953年のある運命的な日、朝7時のことだった。10才のヤミ・レスター氏と数人のアボリジニーの子どもたちは、玩具のトラックで遊んでいたが、突然、小さな爆発音の挟まる巨大な爆発音を聞いた。同時に、彼らの小さな足で踏みしめている地面も揺れた。

 「明るく光った黒い雲が南の空からやってくるのが見えました。雲は、70マイルも広がっている森を抜けてきていました。熱さで焼けるような感覚を覚え、私たちは目を閉じました。その後数日間で、ワラティナのヤンクニトジャトジャラの50人が、発疹、目の炎症、嘔吐、下痢、せきなどに苦しみ始めました。牧場で治療してくれる人などいません。一番近い病院は数百マイル離れていて、そこへの交通手段はありませんでした。」とヤミ・レスター氏は語る。オーストラリア初の核実験場である南部のエミュ・ジャンクションから160kmのところに彼は住んでいた。
 
レスター氏は3週間後ようやく目を開けることができたが、右眼はまったく見えなくなっていた。左眼の見え方は70%ぐらいだった。1957年2月、彼は完全に失明した。昨年心臓発作を起こし、今は車椅子生活になっている。

レスター氏はいま、反核運動家として、オーストラリア赤十字の始めた「核兵器をターゲットに」キャンペーンに力を注いでいる。「英豪両政府が半世紀も前にまずはエミュ・ジャンクションで、次いでマラリンガで核実験を行ったとき、私たちは、それが人間と自然に与える長期的な影響について認識していませんでした。このキャンペーンは、先住民族を教育し、核兵器の与えうる損害といますぐ核兵器をなくさねばならない理由について人びとに気づかせるものなのです。」

今年8月6日にフェイスブック上の模擬投票で始まった「核兵器をターゲットに」キャンペーンは、人道上も環境上も核軍縮が必須であることに焦点を当てている。すべてのオーストラリア人、とくに若い人に対して、親の世代が始めてしまったことを終わらせるよう呼びかけている。

「反核論議が1960年代から70年代の世代を画していたが、真の変化が起こる前に消えてなくなってしまいました。2011年、核兵器の脅威は以前にもまして大きくなっています。今こそ、ベビーブームの世代が反核問題に関心を向け、新しい世代全体が関与すべきときです。」とオーストラリア赤十字のロバート・ティックナー代表は語った。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は6月に発表した報告書の中で「5000発以上の核兵器が配備され、使用可能な状態にある。うち、約2000発が高度な警戒態勢下に置かれている」と述べている。現在、世界全体で2万発の核兵器があるが、その破壊力は広島に投下された原爆の15万倍にも達する。

ティックナー氏は、「私たちがいま目にしているのは、新しい国への核拡散であり、非国家主体が核兵器を取得するリスクであり、偶発的に核兵器が発射されて紛争につながる可能性です。私たちのキャンペーンは、オーストラリア国内で人々にこういう問題への関心を持ってもらうことにあります。私たちは、国際人道法の下で核兵器の使用が禁止される何らかの形の国際条約が結ばれることを望んでいるのです。」と語った。

赤十字は、民間人と戦闘員を区別しない兵器の使用や戦争の手段を禁じている国際人道法の下で負っているその役割ゆえに、核兵器使用禁止の訴えの先導者となっている。オーストラリアは他の194ヶ国とともに、戦争の普遍的規則であるジュネーブ諸条約とその追加議定書を批准している。

ヘレン・ダラム博士は、オーストラリア赤十字の国際法・原則部門の責任者として、「法的な観点から言えば、民間人と戦闘員を区別せず、人間だけではなく環境とインフラ全体に許容できないレベルの被害をもたらす兵器を使用する能力を人類として世界中で持っていることには、まったく意味がありません。従って、核軍縮に向かってより焦点を絞って世界が努力していく法的必然性があります。」と語った。

コフィ・アナン前国連事務総長は、国際社会を「パイロットが眠っているのに高速移動する飛行機」になぞらえて、核軍縮と核不拡散に統合的に対処する世界戦略がないことが、核兵器が依然として人類を脅かし続けている主な理由だと批判した。

オーストラリアは興味深い位置にいる。国家として核兵器を保有してはいないが、米国との防衛関係における取り決めがある。また、オーストラリアには世界の商業的に利用可能なウランの半分が埋蔵されており、オーストラリア農業・資源経済局は同国のウラン輸出は今後5年間で1万7000トン強に達すると予測している。

シドニー大学法学部ポスドク研究員のエミリー・クロフォード博士は、「オーストラリアは、輸出されたウランが、発電や医療用など平和目的のみに使われるようにする措置を導入すべきです。」と語った。

オーストラリア赤十字は、全国会議員に対して、核兵器の使用を禁止する条約を支持するよう求める書簡を送った。「支持を得る自信がありますし、楽観しています。これは私たちの役割の範囲内にある基本的な国際人道問題であると考えています。それゆえに、私たちはこのキャンペーンを公的に開始し、国会議員、政府、一般市民からの支持を得ようとしているのです。」とティックナー氏は語った。

核問題に関する議論を国内外で喚起することを目的としたこのキャンペーンでは、オンライン投票参加者の96%が核兵器使用の禁止を支持した。ソーシャル・メディアを使うことで、広く社会に、とくに若い世代に対してメッセージを伝えるのに有効であることもわかってきた。
 
国際人道法の専門家であるピーター・ギウニ氏は、ニューサウスウェールズ州でキャンペーンのイベントやセミナーを開いている。「人々は、国際社会が核兵器を禁止する決意をまだ固めていないと知って残念に思っていますが、同時に、オーストラリア赤十字が声を上げることを支持してくれています。」とギウニ氏は語った。

キャンペーンは、来年に向けたイベントとフォーラムを11月に開くことでひとつのクライマックスを迎える。「世界中の政府は、どこであろうとも、市民がこの問題に関心を持っていることを理解しなくてはいけません。立ち上がって、核兵器を受け入れることはできないと声に出すことが大事なのです。オーストラリア赤十字は、世界中の赤十字社、赤新月社が集まって核兵器に関する方針を決める11月のジュネーブでの国際会合に向けて議論をリードしていきます。」とダラム博士は語った。

1950年、国際赤十字委員会は、核兵器禁止の合意に向けたあらゆる措置をとるよう、各国に呼びかけた。核兵器使用違法化への取り組みはさまざまにあったが、66年経っても、目に見える変化は起こっていない。

「オーストラリア赤十字の活動は歓迎すべきものです。核兵器の廃絶が、人道上の理由から必要とされている目標であるという議論をより強化することができるでしょう。これは政治の問題ではなく、人間の福祉と生存の問題なのです。」と、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)オーストラリア支部理事のスー・ウェアハム博士は、語った。(原文へ

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女性と女子の力を解放する

【ワシントンIPS=カンヤ・ダルメイダ】

ケニアのエヌーサエン村に生まれたカケンヤ・ヌタイヤは、もし母親が、地元の学校に娘をやると強く主張してくれなかったら、5才で婚約し、13才までに結婚することになっていただろう。

カケンヤは成長すると、父親に「もし高校卒業まで就学を許してくれたら、割礼を受ける」と説き伏せ進学の許可を得た。さらに村の長老たちと交渉して、大学入学のために米国に渡ることを認めさせた。

「私は米国の大学に入って初めて、性器の切除が違法であること、私には権利があること、そして私たちの生まれながらの権利を守る用意のある人々がいることを知ったのです。」とカケンヤは9月12日にワシントンDCで開催された会議で、人権活動家たちを前に語った。

 その後博士課程で学んでいたヌタイヤは、故郷の恵まれないマサイ族の少女達のために、小学校「カケンヤ・センター・フォー・エクセレンス」を設立した。ささやかなスタートだったが、2010年までには100人近い生徒が通う規模へと成長した。

カケンヤは、「来月には世界の人口が70億人を超える」事実について広く啓蒙することを目的に開催された会議(場所:ナショナル・ジオグラフィック本社)に参加した、青年リーダーや人権活動家の一人である。

「世界人口が70億人を超えた今こそ、コフィ・アナン前国連事務総長が『パスポートなどいらない』と訴えた諸問題について話し合う良い機会です。また、こうした国境のない諸問題の中でも、最も差し迫った問題は、貧困を和らげ、ミレニアム開発目標(MDGs)に代表される世界の開発問題の解決に向けた取り組みを前進させるために、女性や女子の力をいかに解放するかということです。」と国連財団のピーター・ヨウ副理事長は語った。

1804年、世界の人口は10億人であったが、123年後(=1927年)、人口は20億人へと倍増した。もし現在のペースが続けば、地球上に毎年新たに7800万人(カナダ、オーストラリア、ギリシャ、ポルトガルの総人口の合計相当)が増えていくこととなる。

言い換えれば、一秒に5人が誕生しており、読者がこの記事を読み終わる頃には世界の人口は167人増加している計算になる。

国連人口基金(UNFPA)によれば、人口増加の大半(100人中97人)はとりわけ女性や女子に対する人権感覚が乏しい途上国で起こっている。

「70億人突破は行動を起こすべきとの警告です。この歴史的転換点に行動を起こすことで、私たちは女性や女子の人生を大きく改善し、現在や将来の世代のために人間開発を推進することができるのです。」と、ババトゥンデ・オショティメインUNFPA事務局長はIPSの取材に応じて語った。

しかし世界の動向は、オショティメイン氏の予測ほど明るいものではない。

UNFPA自身の統計を見ても、世界の非識字者7億7600万人のうち3分の2が女性であり、1億100万人の小学校就学年齢の子ども達がまともな教育を受けていない。さらに性別選択による中絶や育児放棄のために、世界で1億3400万人の女児/胎児が「いなくなって(Missing)」いる。さらに35万人を超える女性(その99%が途上国の女性)が、90秒に1人の割合で出産時の事態が原因で死亡している。

加えて、ナショナル・ジオグラフィックによれば、現代の産業生産体制が人々の定住パターンを大きく変え、何万もの農家が田舎のコミュニティーを捨てて都市部へ移住し、メガシティー(人口1000万人を超える大都市)を形成していった。同社の見積もりによると、1975年時点で世界に3つ存在したメガシティーは2010年には21都市へと急速に拡大した。そして2050年までには世界人口の70%が都市住民になるとみられている。

国連人間居住計画(UN Habitat)によると、こうした都市部人口の内、スラム人口が昨年初めて10億人を突破した。そしてインド、ブラジル、中国といった「新興市場」国に最大級の巨大スラムが点在している。

都市住民の大半が女性で、70%の女性が一生のうちでジェンダーに基づく暴力(主に都市部において)を経験している現状を鑑みれば、人類文明の開発の流れは世界の女性にとって良い兆しとは決して言えない。このような厳しく暗い現実にも関わらず、専門家や活動家は、人口が70億を超えるこの機会を活用して国際社会に根本的な転換を促す絶好の機会だと確信している。

「人口そのものが問題なのではありません。問題は、地域と人間が分断されてしまっている状況なのです。スペースがないのではなく、平等がないことが問題なのです。9億人の若い女性たちが教育や保健衛生へのアクセスもなく生活しています。そしてあまりにも早い時期に出産し、市民として活発に政治に参画する権利や国際社会においてリーダーシップを発揮できるかもしれないという知識から隔絶された状況に置かれているのです。」とオショティメイン事務局長は語った。

「国連ユース・チャンピオン」を務めている俳優のモニーク・コールマンは、ジェンダー平等を推進するために世界中を飛び回っている。そんな彼女が、ユニセフの公衆衛生推進の仕事でケニアを訪問したときのことを語ってくれた。

「私はある部屋に連れて行かれました。そこには、衛生のための機器があると思っていたのです。ところが、私が見たのは、女性が部屋の隅っこに座って縫い物をしている姿でした。この女性が私たちのプロジェクトとどう関係あるのかわかりませんでした。でもあとで、彼女が、再利用可能な布ナプキンを縫っていることを知ったのです。」

「その時私は、外部の人間として、何がその地域の人たちのために必要なのか何もわかっていなかったことを思い知らされました。地元の人びと、とくに女性こそが、問題解決に向けた知恵も技術も経験も持っているのです。こういう女性たちの力をつけていけば、人口70億人という課題に立ち向かっていくことができると思っています。」(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴