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│エジプト│愛する権利すらも奪われた女性

【カイロIPS=エマド・ミーケイ】

エジプトの若いキリスト教徒女性アビール・ファクリ(Abeer Fakhry)さんは、ただ暴力的な夫から逃れて、自分を愛してくれる男性と一緒にいたいだけだった。しかし彼女は、いつのまにか、自分の家族から追われ、コプト教会(キリスト教東方諸教会の一つ)から追われ、イスラム原理主義集団から追われ、最後にはエジプト軍に追われる存在になってしまった。

 「私はただ幸せになりたかっただけ。」と彼女の存在が知られるきっかけとなったユーチューブの中でアビールは語っている。彼女の語った内容は、エジプトで家庭内暴力に晒されているキリスト教徒の女性が助けを求めても教会の教えから離婚は許されず、耐え難い婚姻生活を余儀なくされる実態を浮き彫りにした。

エジプトのキリスト教会は、圧倒的多数を占めるイスラム教徒に差別されていると不満を訴えているが、その一方でこの事件は、教会自らが信徒の自由を拒否している実態を明らかにした。アビールは、メディアの取材に対して、アシュート県(エジプト南部)の同村のキリスト教徒男性との結婚生活が、いかに間もなく悪夢と化したかを語っている。
 
アビールによると、夫は、日常的に口汚く彼女を罵り暴力を振るった。彼女は貧血気味になり、3ヶ月ごとに輸血を要する体になってしまった。彼女は離婚を申し出たが、シェヌーダ3世(コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教)率いる保守的なコプト正教会は、彼女の訴えを拒絶した。

「私は改宗すれば婚姻関係を解消できると言われました。それでイスラム教への改宗を考え始めたのです。」とエジプトのキリスト教系テレビ局の番組に出演したアビールは述べている。そんな時、アビールは、アラビア語のカリグラフィー学校に通うバスで車掌をしていたイスラム教徒ヤセンと知り合う。

昨年9月23日、彼女はアル・アズハルモスクで改宗し、ヤセンと結婚した。しかし、そのときから彼女の悲劇は始まった。2人が行き先を変えて転々とする中、アビールの家族が2人を追ってきたのである。

多くのコプト教徒は信者の減少、とりわけ自分たちの子どもの世代が許容できないペースでイスラム教に改宗している現状に不安を抱いている。米国のピューリサーチセンターの調査報告書( The Pew Forum on Religion and Public Life)によると、かつて過半数を誇ったエジプトのキリスト教も今では人口8600万人の僅か4.5%しか占めていない。しかもこの値はカトリックやプロテスタントといった全てのキリスト教諸派を合計した数値なのである。

ホスニ・ムバラク前政権は、コプト教会がイスラム教に改宗した元信者を追って再改宗を迫ることに関して黙殺する態度をとった。コプト教徒は元来リベラルな家庭が少なくなかったが、保守的な教皇シェヌーダ3世の唱える「改宗は背信行為であり死罪に値するほどの重罪」という概念を受け入れる信徒が近年増加しており、人口の大半を占めるイスラム教徒としばしば摩擦を引き起こしている。

アビールの事件が起こる少し前、サルワという3人の子どもを持つ7年前にイスラム教に改宗していた若い元キリスト教徒の母親が、キリスト教徒の家族によって子ども1人とともに殺されるという事件が起こった。さらにこの事件ではイスラム教徒の夫も負傷している。同じような運命を辿ることを恐れたアビールは、カイロの北40キロに位置するベンハ村に身を隠した。

しかし3月、彼女はついに家族によって捕らえられ、各地の教会の間を転々と移された末、カイロ郊外の貧民街インババ地区の教会に連行された。その後アビールはなんとか携帯電話を確保し夫に連絡した。

絶望したヤセンは、ムバラク政権崩壊後に活動を活発化してきているイスラム原理主義のサラフィ(Salafis)主義者の団体に助けを求めた。まもなく数十人のサラフィ主義者達がインババ地区のコプト教会(Mar Mina church)の外に集まり、イスラム教徒とキリスト教徒の衝突が始まった。その結果、8人のイスラム教徒と4人のキリスト教徒が亡くなり、約210人が負傷、2つの教会が焼き打ちされるという、近年で最悪の宗教抗争となった。

多くの人々は、ムバラク政権崩壊がこのような宗派対立を呼び込んだことに恐れをなした。事件の翌日、多くのキリスト教徒達はカイロの街頭に出て、イスラム原理主義からの保護を求めてムバラクの帰還を訴えはじめた。

ムバラク前大統領は、サラフィ主義のようなイスラム原理主義の動きを警察機構を動員して暴力的に抑えつけていた。一方、コプト教会に対しては、教皇シェヌーダ3世がムバラク政権と息子ガマルの大統領後継を支持する見返りに、国内少数派のコプト教信者に対する支配を黙認する立場をとっていた。

一方、教皇シェヌーダ3世は、コプト教徒が1月25日に始まり翌月にムバラク前大統領を追放するに至った民衆蜂起に参加するのを禁じた。

ムバラク時代からの幹部が依然として大勢を占めるエジプトメディアは、インババ事件のスケープゴートとしてアビールを非難した。新聞各紙はアビールを「全ての問題の元凶」と呼び、彼女の資質を疑う論説が数多く報道された。

彼女自身は両集団の衝突の間に教会を抜け出したのだが、こんどはエジプト国軍に捕えられてしまう。国軍の将軍たちは、アビールを宗教闘争を煽ったとして非難している。

アビールは現在、悪名高いカナタ(Qanater)女性刑務所に収監され、人権擁護団体を含むあらゆるサイドから非難を一身に受けている。人権擁護団体は、イスラム教からキリスト教への改宗をした人物の擁護にのりだすことは度々あるが、アビールの擁護については慎重な立場をとっている。

アビールは先週地方テレビ局が行った電話インタビューに応じたが、今後のことに話が及ぶと声を震わせ、「このあと私の運命がどうなるのか、何がおこるのか分かりません。私はただ、皆さんと同じように、普通の生活を送りたかっただけなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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Post ­Osama, Pakistan May Be More Unrelenting on FMCT

By Shastri Ramachandaran*

NEW DELHI ‐ An early resolution of the prolonged deadlock, in which the United Nations Conference on Disarmament is trapped for over two years, appears unlikely given the prevalent mood in Pakistan.
In the aftermath of the United States forces killing Osama bin Laden in Abbottabad, about an hour’s drive from Islamabad, Pakistan is bound to take a harder line in multilateral forums on issues that impact its security and strategic interests. Such a hardening, reinforced by Pakistan’s India‐centric security concerns, would be conspicuously manifest on issues perceived to be driven by “a West‐scripted agenda in UN forums, such as disarmament and non‐proliferation”.
One such issue, which Pakistan has resolutely stonewalled thus far, is the Fissile Material Cut‐off Treaty (FMCT) under tortuous negotiation in the UN Conference on Disarmament (CD), and the conclusion of which, in Islamabad’s view, would put India in a vastly more advantageous position vis‐à‐vis Pakistan.
Boxed into a corner by the international community as a “haven for terrorists” and the fount of both regional and global terrorism, a battered Pakistan, seething at the humiliation of foreign forces transgressing its sovereignty, is in no mood at present to strike compromises when it comes to larger global concerns.
Pakistan seems determined to continue obstructing any movement towards wrapping up the FMCT in its present form, as this does not take into account India’s existing stockpile of fissile material. This was made clear, both on and off the record, by a number of high‐ranking government officials and functionaries in state‐funded institutions, in the course of interactions with this writer during his recent visit to Pakistan.
Even before U.S. forces struck to liquidate bin Laden, Pakistan had been blocking a consensus on FMCT ‐‐ a key item on the agenda of the 65‐nation Conference on Disarmament for over a decade now.
The FMCT acquired a new urgency with the declaration of the Weapons of Mass Destruction Commission, in April 2009, highlighting the need for an early agreement to halt production of fissile material for nuclear weapons.
It gained further impetus with President Barack Obama’s Prague Speech in April 2010, wherein he sought the international community’s support to negotiate and conclude an FMCT. In its Nuclear Posture Review (2010), the U.S. explicitly committed itself to negotiating a verifiable FMCT.
The Session of the UN Disarmament Commission in 2010 made it an issue of greater priority by urging early commencement of negotiations on FMCT in the CD. Thereafter, in May 2010, the NPT review conference exhorted Nuclear Weapon States (NWS) to declare and place their fissile material which are no longer required for military purposes under the International Atomic Energy Agency (IAEA).
*The writer, who recently travelled to Pakistan at the invitation of the Government of Pakistan, is a former Editor of Sunday Mail and has worked with leading newspapers in India and abroad. He was Senior Editor & Writer with China Daily and Global Times in Beijing. For nearly 20 years before that he was a senior editor with The Times of India and The Tribune. Besides commentaries on foreign affairs and politics, he has written books, monographs, reports and papers. He is co‐editor of the book ‘State of Nepal’

|日独交流150周年|ドイツ、日本と映画の連携を強化

【ベルリンIDN=ユッタ・ヴォルフ】

日独交流150周年の今年、11月21日から26日にかけて開かれる映画祭「TOKYO FILMeX」で、ベルリンの姉妹都市である東京が日本ではじめて「タレント・キャンパス」を主催する。

「TOKYO FILMeX」組織委員会が支援して、東京都、東京都歴史文化財団、「タレント・キャンパス東京」の三者が、東アジア・東南アジアから15人の若いディレクターやプロデューサーを招き、ワークショップや講義、著名な専門家や映画制作者らとのパネル討論などに参加してもらう。

2010年には、「ネクスト・マスターズ東京」というパイロットプログラムが成功を収めた。アジアの9つの国・地域から20人の若い映画制作者が集められた。Hou Hsiao-Hsien、アピチャッポン・ウィーラセタクン、黒沢清、Amos Gitai、さらにはイランからAbbas Kiarostami、Amir Naderiなどが参加した。

 Houは台湾のニューウェーブ映画運動をリードする、賞も取ったことのある映画監督である。彼はもっぱら、台湾(あるいは広く中国)の歴史上の動乱を素材とした厳密にミニマリスト的なドラマを制作している。焦点が当てられるのは、個人、あるいは小さな集団のキャラクターである。たとえば、「悲しみの街」(1989年)は、第二次世界大戦後に地元台湾と中国本土からやってきた国民党政府との間の対立に巻き込まれた家族の物語である。長くタブーとされてきたこの話題に挑戦したことは画期的であり、商業的要素がなかったにもかかわらず、大きな成功を収めた。

ウィーラセタクン氏は、タイの独立映画監督、脚本家、プロデューサー。タイ映画界の外に位置しながら、数本の長編映画と多数の短編映画を撮ってきた。夢、自然、セクシュアリティ、西洋によるタイとアジアの見方などが彼のこれまでの映画のテーマである。通常とは異なった映画の見せ方(たとえば字幕を画面の中央に置くとか)、役者でない人間を映画に出す、といった特徴を彼の映画は持っている。映画ファンは愛情を込めて彼のことを「ジョー」と呼ぶ(タイ人のように長い名前を持つ人は、便宜的にこういう短いニックネームを選ぶ)。

黒沢清は日本の映画制作者。ホラー映画への貢献でよく知られている。「CURE」(1997年)ではじめて国際的に名前が知られるようになった。同じ年、黒沢は、2つのホラー映画を交互に撮るという実験をやった。「蛇の道」「蜘蛛の瞳」は同じ背景(子どもを殺された父親の復讐)、同じ主役(哀川翔)をもちながら、最終的にまったく違ったストーリーに展開していく。

アモス・ギタイ(Amos Weinraubが本名)は、イスラエルの映画監督。左傾化する政治を描いたドキュメンタリー制作が彼のキャリアのスタートである。レバノン戦争を批判的に描いた「戦場の日記」は、1983年に軍によって部分的に検閲され、Gitaiはイスラエルを離れてフランスに行くことになった。そこで彼は10年ほどを過ごすことになったが、イツハク・ラビン氏が選挙に勝利しオスロ合意が成立したことで、ふたたびイスラエルへ舞い戻ることになった。

東アジア・東南アジアの若手の映画制作者は、6月1日以降に申し込むことができる。プログラムの詳細、出演者、出席者は秋に発表される。「タレント・キャンパス東京」は、ベルリナーレ・タレント・キャンパスと東京ゲーテ研究所の協賛で行われる。

ドイツ連邦文化メディア委員のベルン・ノイマン氏は、初の「タレント・キャンパス東京」について、「日本の現在の状況、それと今年が日独交流150年であることを考えると、日本およびアジアとの映画を通じた関係を将来的に強化する重要なプロジェクトだといえます。」と語った。

「ベルリナーレ・タレント・キャンパスは、国際的な才能をドイツの映画産業と結んだ文化的交換のための稀有な機会」という。

「キャンパス」はベルリン国際映画祭のビジネス部門による企画である。欧州連合(EU)およびベルリン・ブランデンブルクメディア委員会によるメディア訓練プログラムの協力を受けてドイツ連邦議会が決定し、ドイツ連邦文化メディア委員が資金を拠出している。

9回目のベルリナーレ・タレント・キャンパスでは、ショートフィルムコンペで5人の決勝進出者が選ばれている。

「キャンパス」の報道発表では、170件のショートフィルム出品のうち、15人の監督が招待された。
 
ベルリナーレの後、5つの映画企画が選ばれ、ベルリンの映画制作会社やベルリン・ブランデンブルクメディア委員会の協力を得て、映画制作に進む。2011年末には完成の予定である。

1.Ana Lily Amirpour(米国):映画「小さな自殺」。自殺しようとするゴキブリのアニメ映画。アンブロシア・フィルム制作。すでに今年のベルリナーレに参加しており、「ジェネレーション14プラス」部門でショートフィルム「パシュマルー」が上映されている。

2.Madli Laane(エストニア)はヴェールという若いリベリア人に密着した。読み方を勉強するという大きな夢の実現を描く。2009年に「ベルリン・トゥデイ」で賞を取った映画「Wagah」を制作したDETAiLFILMが制作予定。

3.ラファエル・バルル(イスラエル)の「検問所のバットマン」は、エルサレム郊外の検問所に両親とともにひっかかってしまった、いずれも6才のイスラエル人・ユバルとパレスチナ人・マフムードの物語。制作はリヒトブリック・メディア。

4.「人を殺す5つの方法」はクリストファー・ビセット(南アフリカ)の作品。制作はフィルムゲシュタルテン。人びとが日常生活においていかに消費財と付き合っているか、世界的な責任のありようを超現実主義的な手法で描く。

5.最後に、イギリスの監督デイビッド・レイルによるドキュメンタリー映画「白いロブスター」はSLPフィルムプロダクションの制作。コカインにまみれたニカラグアのモスキート海岸が近隣社会に与える災いと恵みについて描く。

5本のショートフィルムは、第10回ベルリナーレ・タレント・キャンパス(2012年2月11日~16日)でプレミア上映される。審査員によって勝者に「ベルリン・トゥデ賞」が送られる。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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ビンラディン暗殺でカットオフ条約に対するパキスタンの態度が一層硬化するかもしれない

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【ニューデリーIDN=シャストリ・ラマチャンダラン】

ジュネーブ軍縮会議における交渉は既に2年以上に亘って行き詰った状態にあるが、今日パキスタンに広がっているムードを勘案すると、事態が早期に打開する見込みはなさそうである。

米軍特殊部隊がパキスタンの首都イスラマバードから車で1時間ほどのアボタバードに潜伏していたオサマ・ビンラディン氏を急襲し殺害した。これをうけてパキスタンは、多国間協議の場では、自国の安全保障や戦略的な利益に影響を及ぼす話題に関して、これまでよりも強硬路線をとることになるだろう。パキスタン政府のそうした頑なな態度は、とりわけ、対インド防衛に安全保障の主眼を置かざるを得ない事情を背景に、「軍縮や核の不拡散といった、国連の形式をとりながら西側諸国にあらかじめ仕込まれたと見做されている諸課題」に対して明確に示されることとなるだろう。

 そのように見做されているイニシアチブの一つが、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約:FMCT)である。パキスタン政府は、この条約が発効すれば、インドの相対的な地位が圧倒的に有利になってしまうと考えていることから、ジュネーブ軍縮会議を舞台とした交渉において、条約の成立を断固阻止する方針を貫いてきた。

国際社会から「テロリストの巣窟」、「地域・グローバルテロリズムの源泉」などと非難されて追い込まれてきた上に、外国の軍隊に領土主権を侵されるという屈辱に怒り心頭のパキスタンにとって、自国の安全保障にかかわる問題で国際社会と妥結する気配は、当面ないといえよう。

カットオフ条約は、現時点での内容ではインドが既に保有している核分裂性物質を制限の対象にしていないことから、パキスタン政府としては、引き続き同条約案の妥結につながるいかなる動きも阻止していく決意をしているようである。この点は、最近パキスタンを訪れた際に筆者と接してくれた多くの政府高官や政府系諸機関の役人が公式非公式を問わず明確に指摘していた点である。

カットオフ条約はジュネーブ軍縮会議(65カ国で構成される常設の多国間交渉機関)において10年以上に亘って制定と採択を目指した交渉が行われてきた重要案件であるが、パキスタン政府は、米軍によるビンラディン氏襲撃・殺害以前から、一貫して同条約の成立阻止に動いてきた。

カットオフ条約締結に向けた早期交渉開始の緊急性については、2009年4月、大量破壊兵器委員会が宣言の中で核兵器用核分裂性物質の生産停止を国際社会が早期に合意する必要性を強調したことから、改めて世論の脚光を浴びた。

さらにこの流れを後押ししたのが、バラク・オバマ大統領が2010年4月に(新START条約を調印した)プラハで行った演説である。オバマ大統領は国際社会に対して、カットオフ条約の交渉・妥結への支持を訴えた。また米国政府は、2010年の「核態勢見直し」で検証可能なカットオフ条約の妥結に向けて交渉していくとのコミットメントを表明している。

国連軍縮委員会は、2010年の会合(毎年、4~5月の時期に約3~4週間の会期でニューヨークにて開催)でこの問題をとりあげ、ジュネーブ軍縮会議におけるカットオフ条約妥結に向けた早期の審議再開を強く促した。また、昨年5月に開催された核不拡散条約(NPT)運用検討会議は、核兵器保有国に対し、軍事に必要とされない核分裂性物質について実態を明らかにし、国際原子力機関(IAEA)による国際的な管理のもとに置くよう勧告した。

このように本来であればジュネーブ軍縮会議におけるカットオフ条約の審議再開と妥結に追い風となった様々な動きがあったにもかかわらず、全く進展が見られなかった。このことに関して、事実、潘基文国連事務総長は、名指しは避けたものの、インドとパキスタン間の核戦略を巡る巧妙な駆け引きにジュネーブ軍縮会議が、事実上人質となっている現状に不満を表明した。ジュネーブ軍縮会議の信用が危機に瀕しているとする事務総長の警告が発せられたのは2011年1月のことであった。

しかしこうした警告にも関わらず、パキスタン政府はジュネーブ軍縮会議の他の加盟国に歩調を合わせる動きを見せていない。ジュネーブのパキスタン政府代表部大使ザミール・アクラム氏は、カットオフ条約にパキスタン政府が反対している理由について、「現行の条約案は差別的な内容で、(結果的に)インドが備蓄核弾頭を増やすことを可能にするものだ。」と述べている。

二国間問題

筆者が4月の第3週にイスラマバードで話をしたパキスタン政府高官達は、カットオフ条約の発効は、インド政府に核分裂性物質を備蓄する自由裁量を許してしまうことになるという見解で一致していた。「既に備蓄されている核分裂性物質も徐々に削減していくべきです。そのための第一歩は、(カットオフ条約で)備蓄された核分裂性物質も対象にすることです。」と本件に精通したある高級外交官はオフレコで語った。

ジュネーブ軍縮会議加盟国の圧倒的多数は、パキスタンがカットオフ条約の交渉を拒否する背景には、インドの戦略的優位に対抗せざるを得ない同国の事情、つまり問題の本質はインド、パキスタンの2国間関係であり、これに不拡散、軍縮というより大きな問題が従属させられるべきではないと見ているといわれている。

しかしパキスタン政府の姿勢は、全ての国は国益に基づいてこのような問題に関する判断をするというものである。「もしパキスタンの国益が侵害されるとしたら、(そうした国際合意に)一国或いは複数の国が加盟していようが、そうした国がどこに位置していようがどうでもいいことです。重要なのは(合意の基準となる)原理原則であり、それは差別的なものであってはならないのです。」と、イスマバード戦略研究所(ISS)の軍縮専門家は語った。

パキスタン政府が訴える原理原則は、通称「シャノンマンデート(1995年に合意済の交渉マンデート)」に見出すことができるかも知れない。当時ジュネーブ軍縮会議の特別報告者であったカナダのジェラルド・シャノン大使が提出した同報告書には、各国代表団が現在及び将来における核分裂性物質の備蓄及び管理に関して問題提起することを認める特別委員会を設置するよう提言している。

パキスタン政府は、既に備蓄された核分裂性物資の問題を取り扱う上で有効と判断し「シャノンマンデート」を支持した。まさにこのことから、カットオフ条約の交渉は1995年時点から全く前進が見られていない。そして今後も、パキスタン政府が他のジュネーブ軍縮会議加盟国に同調するか、カットオフ条約の審議そのものを同会議から外すかしない限り、進展の見込みはほとんどない。

「実際の状況は描かれているようなパキスタン対その他の加盟国というものではありません。パキスタンの立場を支持している国々は他にもあるのです。」と、4月21日に筆者と会見したムハンマド・ハルーン・シャウカット外務次官補は語った。

シャウカット氏は、パキスタンは南アジアの安定に利害関係があり、ジュネーブ軍縮会議は根本的な危機に直面していると説明した。「恐らくインドも同様の懸念を有しているでしょう。ジュネーブ軍縮会議では、パキスタンは南アジアの安定を支持し、パキスタンの安定と安全保障に関して会議のコンセンサスを尊重する立場です。」とシャウカット氏は語った。

シャウカット氏は、パキスタンの基本方針にまで議論が及ぶのを避け、「一般的な回答としてはコメントしましたが、これ以上は聞かないでください。」と語った。

「国によって異なる基準を適用するという二重基準は許されないことです。」とパキスタンのリアズ・フセイン・コカール前外務次官は断言した。駐中国大使と駐インド高等弁務官を歴任したコカール氏は、「既に備蓄された核分裂性物質もカットオフ条約の対象に入れなければ、パキスタンは(インドに対して)不利な立場に追い込まれることとなる。」とする従来の立場を堅持すべきと考えている。

無分別な判断

コカール氏は、国連事務総長がカットオフ条約の交渉をジュネーブ軍縮会議から外すとすれば、それは無分別な判断だと感じていた。パキスタンの外交官達は「カットオフ」は将来における核分裂性物質の生産のみを停止することを意味したものであり、承認できないと指摘している。「ジュネーブ軍縮会議におけるカットオフ条約妥結に向けた努力は既に備蓄されている核分裂性物質を考慮するものではありません。その結果、カットオフ条約が成立すればパキスタンをはるかに上回る兵器級ウラニウムを備蓄しているインドに対してパキスタンは不利な立場に追い込まれることとなるのです。」と、イスマバード戦略研究所(ISS)のアシュラフ・ジェハンギール・カジ事務総長は語った。

駐中国、駐米国大使及び駐インド高等弁務官を歴任したカジ氏は、イラクそして後にはスーダンに対する国連事務総長特使も務めた。

カジ氏は、米国がインドと民生用の原子力協力協定を締結したことを指摘し、「これによりインドは米国から平和目的の燃料の供給を受けることができるようになった。その結果、インドは既に備蓄した核分裂性物質を、兵器生産を目的に転用するオプションを手に入れたのです。」と語った。

カジ氏は、「もしジュネーブ軍縮会議が現在の膠着状態に終止符を打ちたいなら、既に備蓄されている核分裂性物質も制限の対象とするしか前進する道はありません。」と筆者に語った。またカジ氏は、「インドが米国との原子力協力協定を締結している状況では、核分裂性物質をより多く備蓄しているインドがパキスタンよりも優位に立つことになります。」と語り、現行のカットオフ条約案は既に備蓄されている核分裂性物質を対象にしていない点を強調した。

政府官僚、外交官、戦略問題専門家を問わず、パキスタン側関係者の見解で一致している点は、パキスタンがインドにより好意的な米国によって追い詰められているという点である。「核分裂性物質の独占を望む米国政府は、自国の政策に同調する国にのみそうした物質の備蓄を許しているのです。従って、パキスタンに対する圧力がかけられるという結果になるのです。」と、ISSの研究フェローであるマリク・カシム・ムスタファ・コカール氏は語った。

軍備制限、軍縮、不拡散を専門とするコカール氏は、国連事務総長がカットオフ条約の審議をジュネーブ軍縮会議から外そうとしていると確信している。「その理由は、ジュネーブ軍縮会議では決議が全会一致を原則としているため、カットオフ条約の審議自体を同会議から外してしまえば、多数決による決議で条約を成立させられる可能性があるからです。」とコカール氏は語った。

コカール氏は、パキスタン政府は、カットオフ条約の審議がジュネーブ軍縮条約から外されるようなことになれば同国は軍縮問題に関して国際社会と協力していくことが困難となる旨を既に表明していると語った。またコカール氏は、「こうしたパキスタンの立場は、中国その他の国々に支持されています。」と付け加えた。

コカール氏は、カットオフ条約は新たな生産分を対象としているため、「ジュネーブ軍縮会議は、核分裂性物質の新たな生産分を制限しようとしているのです。パキスタン政府の立場は、既に備蓄された核分裂性物質も制限の対象に加え、その比率に応じて我が国にも備蓄を認めるべきというものです。」と語った。

「インド、パキスタン間の抑止力の均衡を図るためには、私たちはインドの核兵器並びに核分裂性物質の備蓄量を考慮する必要があります。パキスタンの安全保障に直接的に影響を及ぼす現在の不均衡をそのまま凍結することに、同意することはできません。」と、コカールは断言した。このコカール氏の発言は、今回取材に応じた全ての関係者が認めた、パキスタンとしてこれ以上譲れない核心部分である。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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国連、原子力安全に関する世界サミット開催へ

【国連IPS=タリフ・ディーン】

深刻な事態に陥っている福島第一原発の事故を受けて、9月の国連総会開催に合わせて、政治的に高度の慎重を要する問題―原子力の安全(nuclear safety)―に関するハイレベル会合を国連の潘基文事務総長が計画している。

潘事務総長は、5月11日記者団に対し、「私たちは日本が経験した災害を教訓に、核のリスクと原子力安全に関する再評価を行わなければなければなりません。」と語った。

国連総会会期中の9月22日に開催が予定されているハイレベル会合では、世界的な原子力安全管理体制の強化と最高水準の原子力安全基準の確保について協議されることになっている。

また潘国連事務総長は「(原子力安全のためには)設計、建設、訓練、品質確保体制、厳格な規制メカニズムなどが必要とされます。また、原子力のコスト・リスク・利益に関する評価や、原子力安全、核保安、核不拡散の相互関連など、より幅広い課題についても真剣な世界的な議論が必要です。」と語った。

 福島第一原子力発電所は、今年3月に勃発した大地震とそれに続いた津波(東日本大震災)による損傷が原因で、生命を脅かす放射性物質が外界に漏えいしたことから、周辺住民の大量移転という事態に発展した。

前回の大規模な原発事故は1986年に発生したチェルノブイリ事故で、大気中に放出された放射性物質は、最も深刻な影響を受けたベラルーシ、ウクライナ、ロシアをはじめ欧州数カ国に大災害をもたらした。

国連は福島第一原発事故をチェルノブイリ事故と同レベルの大災害と認定している。

核政策に関する法律家委員会(LCNP)のジョン・バローズ代表は、ハイレベル会合は核軍縮に向けた世界的な運動を後押しすることになるかとの質問に対して、「核軍縮の問題は、少なくとも原子力安全を協議する9月のハイレベル会合における暗黙の議題となるでしょう。」とIPSの取材に応じて語った。

バローズ氏は、「ハイレベル会合は、福島第一原発タイプの原子炉事故の再発防止を目指すと共に、原子力安全の確保と、非国家の過激派組織による核兵器製造を目的とした核分裂性物質の取得を防止するための方策が協議されるでしょう。」と語った。

またバローズ氏は、「ごく一部の国だけが核兵器や国内で完結した核燃料生産施設をもつことを許されるという二重システムがある中で、原子力安全や核保安に関してより厳しい基準を課せられることに多くの非核国は反発しています。もちろん、福島やチェルノブイリのような事故はどの国も経験したくはないから原子力安全を強化することに反対はないだろうが、差別的なシステムがある限り、国際的な規制強化は難しい。」とバローズ氏は語った。

「核兵器なき世界の実現は私の最優先課題の一つ」と一貫して主張してきた潘国連事務総長は、福島第一原発事故の意味合いに関する国連諸機関を挙げての研究が必要だとの見方を示している。またそこでは、国際社会がますます顕在化しつつある自然災害と原子力安全の関連性に関する理解を深め、対処していくための研究もなされる予定である。

潘国連事務総長は、「9月のハイレベル会合は、福島第一原発の事故を受けて原子力安全対策を検討する国際原子力機関(IAEA)閣僚級会合(ウィーンで6月下旬開催予定)の内容を踏まえたものになるとともに、来年ソウルでの開催が予定されている2回目の核安全保障サミットにつながるものとなるだろう。」と語った。

また潘国連事務総長は、2011年は「原子力安全保安に関するモスクワ宣言」から15周年にあたると指摘した。原子力安全モスクワ・サミットは、チェルノブイリ原発事故10周年にあたる1996年4月に開催された。

「チェルノブイリ原発事故から25年、そして今回の福島第一原発事故を受けて、私たちは原子力の安全と保安を強化する課題に真剣に向き合う時にきている。」と潘国連事務総長は、5月11日記者団に対して語った。

プリンストン大学の准研究員M.V.ラマナ氏は、核保安と核軍縮の関係について問われ、「核保安、つまり、核分裂性物質が盗まれないようにすることだけを強調しても、核軍縮にはつながらない。必要なのは、無差別に核軍縮が進められることです。」と語った。

「しかし、そうした軍縮プロセスも、原発施設の建設が大規模に実施されれば、阻害される可能性が高い。私見だが、原子力の安全と保安はかなり違ったものです。それぞれ大事ではあるが、別々に取り組まれる必要がります。」と、作家でもあるラマナ氏は語った。彼の代表作には「核の夢に囚われた人」「ムンバイ爆破?核兵器の影響と仮定の爆発に基づくケーススタディー」等がある。

さらにラマナ氏は原子力の安全に関して、「IAEAのような組織に加えて、世界各地の核関連の組織とは利害関係のない人々を検証プロセスに参画させていくことが大変重要だと思います。」と語った。

潘国連事務総長は、「私は世界の指導者に対して、核の安全確保は各国政府の責任に依るものだが、改めて自国の安全基準を再検証すべきだと訴えてきました。」と語った。

また潘国連事務総長は、核の安全と保安の関連性についても強調した。

「私たちは核物質や核関連技術が、テロリスト集団や、国際平和・安全保障にコミットしない国等、誤った人物・国家や組織の手に陥ることがないよう、注意深く警戒を行わなくてはなりません。だからこそ、私は真剣にこの問題を採り上げているのです。」と潘国連事務総長は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|イスラエル‐パレスチナ|「オバマ大統領は約束を果たすか?」とUAE紙

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【アブダビWAM】

「米国のバラク・オバマ大統領が国務省で行った中東政策に関する演説について、イスラエル-パレスチナ紛争の観点から分析すれば、いくつかの重要な点が取り上げられていた。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が5月21日付の論説の中で報じた。

「こうした点は米国の政策転換を思わせる内容だが、オバマ大統領がそうした背景には、パレスチナ側をイスラエルとの交渉テーブルに呼び戻し、9月の国連総会でパレスチナ国家の承認を求める動きを思いとどまらせる意図があるとも考えられる。」とカリージ・タイムズ紙は報じた。

「イスラエルとの2国間和平交渉が妥結してからという条件ではあるが、米国が1967年の第3次中東戦争(この戦争でイスラエルはヨルダン川西岸、東エルサレム、ガザを軍事占領した)以前の境界線(国境)に沿って独立パレスチナ国家を創設することを支持した意味合いは大きい。」と同紙は強調した。

「米国は、明らかにパレスチナ側が独立パレスチナ国家を国際的に認知させようとする動きに反対の立場をとっている。オバマ大統領がパレスチナ側に国連総会に対して決議案を提出しないよう警告しているのはこうした立場からである。」と同紙は解説した。

しかしオバマ大統領が1967年以前の国境を基準に和平交渉を進めるべきとした発言は、当然ながらイスラエル側の激しい反発を招いた。とりわけこの政策演説がベンヤミン・ネタニヤフ首相の訪米前日に行われたことから、イスラエル政府の反応は怒りに満ちたものだった。ネタニヤフ首相は、米国の政策転換ともとれる今回のオバマ発言を批判して、「1967年時の国境まで退けば防衛は不可能」と語った。イスラエルは1967年以来、占領したアラブ・パレスチナの地におけるユダヤ人入植地を拡大し続けており、今日入植者の総数は約30万人にのぼっている。このような既成事実を作り上げてきたイスラエル政府にとって、占領地の返還や撤退など考えられないというのが現実である。また論争中の土地ついては「双方の合意に基づき土地交換する」とのオバマ提案に対しても反対している。」と同紙は報じた。

オバマ大統領は、イスラエルの平和的な生存権を擁護しながらも、占領地の人口構成の実態や中東・北アフリカを席巻した民衆革命がもたらした最近の変化を踏まえて、慎重ながらも、「現状維持はもはや通用しない」という警告を、イスラエルに対して行った。イスラエル-パレスチナ紛争の場合、民衆は何度も頓挫した和平交渉にうんざりしており、変革を望んでいる。従って、イスラエルは「平和を永続させるために大胆な行動をしなければならない。」と同紙はオバマ大統領の発言を引用して付け加えた。

また同紙は、パレスチナ統一政府にイスラエル打倒を掲げているハマスが参画したことは、今後の交渉の障害となると見られていると指摘した。

「良い兆候は、中東全体を覆っている変革を認識し、自らの政策がどのように受け止められるかを意識しているオバマ政権は、従来和平交渉に前向きでなかったイスラエルに対してより厳しい態度で臨むかもしれないという点である。」と同紙は報じた。

カリージタイムズの論説は、「パレスチナ人は米国の政策転換の機会を最大限に活用し、最終的に新パレスチナ国家の輪郭を決定する要素となるユダヤ人入植地を巡る条件交渉を、毅然としかし円熟味をもって行うべきである。」と結論付けた。

そして「この交渉の成り行きが、パレスチナ人難民とエルサレム分割の運命を決定することとなるだろう。」と報じた。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|輸送と環境|若き企業家、輸送業界の明日を見つめる(佐久間恒好)

「いかに文明が進んでも、人の心を機械的に動かすことは出来ません。」と佐久間恒好氏は自身の哲学的な所見を述べたうえで、「“真心をこめて運ぶ”ということは、同時に“御客様のこころ(想い)”を運ぶことであり、それが荷主様の期待にお応えすることと信じています。」と語った。

多才で先取の気概に富む佐久間氏は、しっかりと地に足をつけながら未来を見据えた若き企業家である。佐久間氏が経営する株式会社商運サービスは、東京都練馬区に本社を置き、従業員40名、保有車両台数38台の地元の優良企業で、一般貨物及び産業廃棄物輸送のほか、梱包・荷役、保管・物流管理、及び「野菜工場」を手掛けている。

佐久間氏は大学4年の時、父で創業者の勇が大病で倒れたことから、突然会社の運営を任されることとなった。しかし彼が実質的に経営者として手腕を発揮するには、まず「トラック野郎」という言葉に象徴される当時の雰囲気を改革するという難題を乗り越えなければならなかった。

【東京IDN=浅霧勝浩】

 佐久間氏は2004年に父が他界すると、代表取締役に就任した。彼は、「『もっと生きたい』と願った父が今も生きてくれていたら…」と、現実を受け入れながらも創業者の無念に想いを馳せている。佐久間氏の母も、肺がんによる不自由を抱えながらも発病後14年という年月を立派に生き抜いた。

「私はこうして健康に生きていられるということだけで幸せだとつくづく思うのです。しかも私には父が遺してくれた会社と一緒に働ける素晴らしい従業員がいるのです。」と佐久間氏は語った。

このような社長を得て、商運サービスの従業員・管理職員の間には、共に会社をとおして社会に貢献していこうという、強い絆で結ばれた共同体意識が根付いている。佐久間氏は、このような社員の協力を得て、徐々に経営規模と取引先を拡大していった。現在、荷主様企業には、日本旅客鉄道株式会社(JR)、埼玉生活協同組合(埼玉COOP)、東京銀座の老舗デパート「銀座和光」、モンドセレクションで2010年最高金賞を受賞した堂島ロールで有名な株式会社モンシュシュ等がある。
 
 商運サービスは、2008年以来、トラック運送事業者の安全・安心・信頼の証となる「安全性優良事業所(Gマーク)」(2年毎に更新)に認定されている。同社では、安全運転・法定速度をモニターするタコグラフを導入し、経営者と従業員が一体となった完全法定遵守に努めている。(2011年3月現在、「Gマーク」を取得している運送会社は15,197社で全体の18.1%を占めている。)

また商運サービスは、日本全国に430拠点を有する「ハトのマークの引っ越し専門」で知られる「全国引っ越し共同組合連合会」に加盟している。

さらに「環境問題」は、佐久間氏が大変重視している分野である。商運サービスは、燃費の向上とCO2排出量削減を目指すグリーン・エコプロジェクト(東京都トラック協会が運営)に参加し、ドライバー一人一人が燃費目標をたて、タコグラフを活用した運転実績の検証を行うなどの努力を通じて環境への取り組みを推進している。

今回の取材で佐久間氏は、昨年就任した東京都トラック協会青年部本部長としての取り組みと抱負について語ってくれた。佐久間氏は、同時に、東京都と近隣7県(神奈川県、千葉県、栃木県、埼玉県、群馬県、茨城県、山梨県)からなる地域組織「関東トラック協会」の青年部会長、並びに全日本トラック協会傘下の全国組織「全国物流青年経営者中央研修会」(北海道、東北、関東、中部、北信越、近畿、中国、四国、九州地区から構成)の代表幹事も務めている。

佐久間氏は、これら3つの立場で全国を回り、会員と協議する中、長引く経済不況の影響が東京よりも地方の運送会社により深刻に表れている実態を目の当たりにしてきた。とりわけ、地方諸都市の若者人口の減少と運送業への就職を希望する若者が減ってきている現状を憂慮している。

「地方では運送会社の従業員の平均年齢が50代後半というケースも珍しくありません。地方の深刻な状況に比べれば、当社も含めて、東京の運送会社は恵まれていると思います。」と佐久間氏は言う。佐久間氏は、東京の会員にも、国全体として運送業界が直面している厳しい現状について危機感を共有してもらいたいと考えている。

東京都トラック協会青年部には現在507の会員が加盟しているが、従来青年部主催の交流行事に出席する会員数はかなり限られたものであった。そこで佐久間氏は青年部本部長就任以来、「まずはこうした交流行事に顔をだすことから共に活動していこう」と呼びかけてきており、少しずつ参加者が増えてきている。

佐久間氏が青年部の活動を通じて最も重視しているのは、会員である青年経営者たちと、運送業界の将来は自分たちの双肩にかかっているという意識を共有していくことである。この点について佐久間氏は、「東京都トラック協会の親組織においても、業界が直面している問題に対する危機感を私たちと共有する先輩方が増えてきており、今後の青年部の活動に希望を見出しています。」と語った。
 
また佐久間氏は、3組織のトップとして、運送業の将来を見つめた社会目標の実現に関しては、不動の信念を貫く覚悟でいる。彼は、東京都トラック協会の練馬支部青年部部長時代、小学生の子ども達を対象とした大型トラックを使った安全教室(内輪差や死角についての実地研修を含む)を思い立ち、近くの小学校に交渉に訪れた。ところが対応にでた校長は「大型トラックを入れたら校庭が傷む」として取り合おうとはしなかった。

そこで佐久間氏は、校庭は非常時に大型消防車が入れるように設計されている点を指摘し、安全教室実施の重要性を訴えた。校長はそれでも納得していなかったが、判断をPTAに委ねることに同意した。いざ父兄が佐久間氏の提案を知ると、是非実施してもらいたいということになり、地元警察も後援に入って大盛況の内に交通安全教室は実現した。その後、この安全教室は様々な学校からの要請で実施され、商運サービスは、2009年11月には石神井警察署から感謝状を授与された。

この経験から手応えを感じた佐久間氏は、安全教室を全国のトラック協会と警察署との協力のもと、10月9日の「トラックの日」に合わせて全国的に実施できないものか模索している。

また佐久間氏には、自身に課した大きな目標がある。それは、トラック運転手の社会的な地位を、航空機のパイロットや船舶の船長と同じくらい社会的なステイタスが持てる職業になってほしいという目標である。確かに、トラック運転手こそが、産業化社会を維持する上で欠かせない陸上輸送の基幹を担っている存在である。そのことからも、トラック協会の青年部が、佐久間氏のこうした大望を実現するために果たせる役割は大きい。

このような志を抱いている佐久間氏が、今年1月に開催された「全国物流青年経営者中央研修会」年次会合において、代表幹事として仲間と共に打ち出したスローガンが、「原点回帰、未来へ繋げ、絆と想い」である。

「『原点回帰』とは、私たち一人一人が運輸業界に夢と希望を持って踏み込んだ時の気持ちをもう一度思い出そうという意味です。『未来へ繋げ』とは、すなわち次世代に繋いでいくこと。そして『絆』とは、先輩方がトラック協会を通じて育んでこられた貴重な人間関係を大切に継いで育んでいくこと。そして『想い』には、決して諦めないで、子供たちのために立派な会社を作っていくというメッセージが込められています。」

「私は、このスローガンの下で、全国の青年経営者の大切な仲間達とともに、明日の運送業界全体のために歩んでいきたいと思っています。」と佐久間氏は抱負を語った。

また佐久間氏は、関東トラック協会青年部会長に就任以来、この関東組織には、全国各地の地域組織を牽引していく存在になってもらいたいとの思いから、新たな継続事業を模索していた。「私は、大きな予算をかけなくても、会員が参画しやすく、しかも社会的なインパクトを生み出せる、そんな事業を探していました。ですから、どんぐりを使った事業を見出した時は、大変嬉しく思いました。」

「関東トラック協会青年部会の周年行事としてたまたま研修先として訪れた化粧品会社にて、そちらの社員と地元住民とが連携し、どんぐりを拾い苗木を育て、植樹している活動を知ったのです。」と佐久間氏はその時の喜びを振り返って語った。

その後、商運サービスの職員が1890個のどんぐりを拾ってきて、会社で苗木を育てている。佐久間氏は、関東トラック協会青年部の次回総会で、この「どんぐりの苗木を作る」計画を同協会の新規事業として提案するつもりである。

「これならば、協会のメンバーがお金をかけることなく、年間を通じて気軽に参加することができます…つまり、ゴルフコースや山に出かけた際に、どんぐりを拾って、簡単に苗木を育てられるのです。そしてそうした苗木を、関東トラック協会として、例えば、10月9日の『トラックの日』に合わせて環境CSR(企業の社会的責任)事業として寄付することもできるのではないでしょうか。」

どんぐりの苗木が育つには2年かかる。まさに「大きな樫(かし)も小粒のどんぐりから(偉人も偉業も一夜にしてなったものはないから辛抱が大切である)」という諺(ことわざ)のとおりである。

どんぐりは、古代ギリシャで庶民の食卓にのぼったり、日本では縄文人があく抜きして焼き上げたものを食したりするなど様々な文化において貴重な栄養源であった。しかし現代社会においては、もはや重要なカロリー源ではなくなっている。
 
 2010年11月、佐久間氏は「野菜工場」という新規ビジネスに乗り出した。「わが社は、渡辺博之教授を中心とする玉川大学との最先端の共同研究・開発を行なうアグリフレッシュ株式会社とアライアンス契約を結び、山梨県韮崎市に完全人工光型植物工場を建設しました。私たちは、パートナーに野菜工場の運営と営業を委託し、顧客に対して工場の野菜を搬入しています。」

佐久間氏の野菜好きは父親譲りである。野菜工場は無農薬の理想的に調整された環境の下で年間を通じた安定的な野菜栽培を可能にしている。また、天候・季節・土壌条件を問わず、露地栽培よりはるかに大きな単位面積当たりの収穫量を実現している。

「現在野菜工場では、例えば、バジルを市場に一括売りしたり、赤茎ほうれんそうを栽培し、コーヒーとイタリア料理を提供するカフェとして全国展開している有名レストランに出荷しています。」と佐久間氏は誇らしげに語った。

赤茎ホウレンソウは、ビタミンA、C及び鉄分、カルシウムを豊富に含んでいる。また高タンパク質、低カロリーの縁黄野菜である。

また植物工場は、もうひとつの異なった観点から重要な会社の資産となっている。それには事業の多角化と雇用の保障を確保したいという佐久間氏の狙いが隠されている。「これによって、もし経済状況が悪化し、やむなく運転手の削減を迫られる事態になったとしても、『野菜工場』での仕事を職員に提供できるのです。」と佐久間氏は説明した。これも、業界の明日を見つめたうえでの佐久間氏の経営者として一つの解答である。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

グリーン・エコプロジェクトと持続可能な開発目標(SDGs)
株式会社商運サービスホームページ

SDGs for All
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「人生の本舞台は常に将来に在り」―明日への希望(石田尊昭:尾崎行雄記念財団事務局長)

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Ozaki Yukio Memorial Foundation
Ozaki Yukio Memorial Foundation

 尾崎行雄は、1890年の国会開設とともに衆議院議員に選ばれ、以後、連続当選25回。没する前年まで国会議員を務め、生涯現役を貫きました。軍国主義が一世を支配するに及んでも、平和の信念を曲げず軍縮を説き続け、命を狙われたことも一度や二度ではありません。

その尾崎が残した言葉――「人生の本舞台は常に将来に在り」。

 これは、憲政記念館(旧尾崎記念会館)に建てられた石碑にも刻まれています。尾崎は76歳のとき、三重を遊説中に風邪をこじらせ中耳炎を併発。心身共に疲弊する中、この言葉が浮かび上がったといいます。「昨日までは人生の序幕に過ぎず、今日以後がその本舞台。過去はすべて人生の予備門で、現在以後がその本領だと信じて生きる」―という人生観です。

尾崎曰く、「知識経験は金銀財宝よりも貴い。しかるに世間には、六、七十歳以後はこの貴重物を利用せずに隠退する人がある。金銀財宝は、他人に譲ることが出来るが、知識経験は、それが出来ない。有形の資産は、老年に及んで喪失することもあるが、無形の財産たる知識経験は、年と共に増すばかりで、死ぬ前が、最も豊富な時である。故に最後まで、利用の道を考えねばならぬ。」(1935年「人生の本舞台」より)

知識や経験は、年を重ねるたびに増えるものです。そして昨日までに得たものを、今日以後に生かす。昨日は今日のための、今日は明日のための準備・訓練期間だということです。たとえどんなに大きな悲しみ、後悔、迷い、悩みであっても、考え方・生かし方ひとつで、次の一歩を踏み出すための大きな「糧」となります。

この度の震災で被害に遭われた方々に対して、このような言葉を今の段階で軽々しく持ち出すべきでないことは重々承知しています。まずは、心の整理と癒しが必要でしょう。しかし同時に、常に明日を見つめ、そこに希望の光を見出すことで人は強くなれると信じています。今この瞬間は、明日のため、未来のためにある――その前向きな思いこそが、被災地の復興と日本の再生に向けた一歩に繋がるのではないでしょうか。

石田尊昭(IPS Japan理事)

*原文は月刊『世論時報』5月号(世論時報社)に、「明日への希望」というタイトルで掲載されたものです。

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石田尊昭ブログ「永田町の桜」

今年もまた、桜の季節がやってきました(原稿執筆時は4月6日)。この時期、毎年ニュースになるのが、米ワシントンにあるポトマック河畔の桜並木です。1912年、当時東京市長を務めていた尾崎行雄(憲政の神。1858~1954)が、ヘレン・タフト米大統領夫人の要望を受けて寄贈したものです。日米友好の証として、ワシントンの春を彩る3000本の桜は、来年で100年を迎えます。

今、日本は未曽有の大震災に見舞われ、社会全体が大きな不安感に覆われています。被災地の惨状と、避難所で厳しく辛い生活を強いられている方々を思うと、胸が苦しくなるばかりです。このような非常時に、いきなり桜の話題を持ち出すなど「不謹慎」と思われるかもしれません。

しかし、桜を贈った尾崎の信念に触れて頂くことが、被災地の方々をはじめ、社会全体が少しでも元気を取り戻せる一助になるのではないかという思いから、あえて取り上げました。

|パレスチナ|「アッバス議長、主権国家としての国際承認を目指す」

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【アブダビWAM】

「パレスチナ国家の承認を求める決議案が来る9月の国連総会に提出されるだろう。」とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が5月18日付の論説で報じた。

「同決議案提出の背景には、イスラエルとの交渉を通じた2国間解決案が今日に至るまで全く進展していない状況がある。パレスチナ側は、既にラテンアメリカの数カ国がパレスチナ国家を承認した実績を受けて、今度は独立パレスチナ国家に対する幅広い支持を国際社会から獲得しようとしている。」と、カリージタイムズ紙は報じた。

 
数十年にわたる紛争、度重なる和平交渉の失敗、そして非合法なユダヤ人入植地の拡大に伴う構造的な領土の侵食に危機感を募らせたパレスチナ側は、一方的な独立宣言に踏み切る必要性を強く考えるようになった。こうした背景から、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領は、最近応じたニューヨークタイムズの取材の中で、「こうした動きを人目を引くための政治活動と見做すべきではない。」と強調した。
 
「国連が1967年の境界に基づいてパレスチナ国家を承認することが絶対必要である。そうすればパレスチナ人は、国土が他国に軍事占領された国連加盟国としての立場で交渉に臨むことができる。現状のままでは、いかに交渉に臨んでも、相手側のいかなる条件を強制的に受け入れるしかない征服された人々の交渉に過ぎないということになってしまう。イスラエル政府は明らかにパレスチナ側のこうした動きを警戒しており、ベンヤミン・ネタニヤフ首相も来る訪米の際には、パレスチナ国家の国際承認に向けた動きを阻止するべく一層強力なロビー活動を展開するものと見られている。米国もパレスチナ側のこうした動きに批判的で、『このような一方的な動きは、和平調停を危うくするだけだ。』と警告している。」と、ドバイに本拠を置く英字日刊紙は報じた。

散々もつれた末にイスラエル側の条件に沿って出来上がる和平調停はどのようなものになるだろうか?既に和平交渉はユダヤ人入植地問題を巡って暗礁に乗り上げており、米国の仲介で再開に漕ぎ着けたいくつかの協議でさえも、イスラエル側の入植地建設停止拒否に直面して頓挫している。

「イスラエルは時代が変わりつつあるということを理解しなければならない。パレスチナ問題は、中東全域及び湾岸地域の国々が等しく解決を望んでいる問題である。さらに、中東・北アフリカを席巻している民衆革命の成功を受けて、民衆の力で変革をもたらすことが可能だという確信をパレスチナの若者たちも共有するようになった。彼らはイスラエルの軍事力や権力をもはや恐れてはいない。数日前の『ナクバ』記念日にイスラエル/パレスチナ各地で勃発した衝突事件の背景にはこうした変化があることをイスラエルは理解すべきである。」と、カリージタイムズ紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【アブダビWAM】

「今年もパレスチナ人は、多くの同胞が家を追われ難民となった『ナクバ』記念日を迎えた。この節目はパレスチナ国家の将来について真剣に考えるよい機会である。パレスチナ人が故郷に還る権利を認めることはイスラエル-パレスチナ紛争を終わらせる鍵であり、この点について交渉の余地はない。」とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙は報じた。

 ガルフ・ニュースは、5月16日付の論説の中で、数十万人のパレスチナ人がイスラエルが建国された1948年に強制されて難民になったことは歴史的事実である。彼らは諸外国で生活を立て直さざるを得なかったことからも明らかなように、パレスチナ人は自らの選択で難民となったわけではない。

その後国外での生活を余儀なくされた人々の数は、1948年の「ナクバ」を経験した世代に止まらず、その子孫も含めて数百万人に及ぶ。彼らが住んでいる仮の家屋は、イスラエルに奪われた故郷の市や村の代わりにはなりえないのである。

「ナクバ」記念日を迎える中、イスラエル/パレスチナ各地で衝突が勃発した。少なくとも10名のパレスチナ人がエルサレム、レバノン国境、ゴラン高原、ガザ地区でイスラエル兵士により殺害された。一方、パレスチナ人達はヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)及びガザ地区で「ナクバ」を記念してデモ行進を行った。

「パレスチナ人が追い込まれている切迫した状況を考えるとこうした行動は理解できる。パレスチナ国家樹立を巡る和平交渉は、暗礁に乗り上げて既に久しく、中東カルテット(米国、ロシア、欧州連合、国際連合)も主要先進国も交渉再開に動いている様子はない。」

「暴力を終息させるには、和平プロセスはパレスチナ人の大義に対して正義をもたらすものでなければならない。」

「そしてそれが実現するまでは、パレスチナ人が自らの声を伝えようと必要な手段に訴えたとしても、それを非難すべきではない。従って、暴力の連鎖が手に負えなくなってしまう前に、平和的解決に向けた努力がなされるべきである。」と、ガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴