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食糧援助を求める北朝鮮

【ワシントンIPS=カンヤ・ダルメイダ】

1990年代、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)では、控えめに見積もっても約100万人が飢餓にあえいだ。今現在、同国は第二の食料危機の時代にはいりつつある。

今年の2月と3月、世界食糧計画(WFP)は、国連食糧農業機関(FAO)、国際連合児童基金(UNICEF)とともに、北朝鮮全域において国民の栄養状況に関する調査を行った。3月末に発表された報告書によれば、現在、人口2200万人の北朝鮮で350万人が深刻な栄養不足にある。今年末までに食糧が完全に枯渇することが見込まれる中、人口の15%を上回る国民が飢える可能性があるという。

 アミール・アブドラWFP事務局次長は先週、「私たちは、早急に北朝鮮国内に援助物資を持ち込まなければ、既に飢餓状態にある数百万人の人々にとって手遅れとなりかねない状況に直面しています。私たちはとりわけ最も弱い立場にある子供、母親、老人、大家族への影響を心配しています。」と語った。

政府による食料配給はかつてない低レベルにあり、1日に必要なカロリーの半分も提供できていない状態である。「北朝鮮における穀物および食料安全保障に関する評価ミッション報告書(CFSAM)」によると、配給を受けている世帯(総人口の68%)は栄養摂取量を極限まで引き下げている。この状況は、政府が相次ぐ洪水災害から配給量の半減をやむなく決定し、「1日の食事は2回にしよう」キャンペーンが張られた1990年代を彷彿とさせるものである。

北朝鮮は、過去6年間で最も寒さが厳しい冬に見舞われた。政府が十分な穀物を輸入できない中、凶作と口蹄疫被害(国営メディアによると1万頭以上の牡牛、乳牛、豚が感染した)が重なり、北朝鮮は再び深刻な人道危機に直面している。

食糧支援を阻む政治

各国による対北朝鮮人道援助は、過去30年にわたって、増減を繰り返してきた。その背景には、人道支援の必要性を認識しつつも、金正日総書記による孤立政策、核開発問題に加えて、援助供与国側にも支援物資が本当に必要な人々のもとには届いていないのではないかという深い疑念が広がっている事情がある。
 
2年前の段階では、米国が北朝鮮に対する最大の食糧援助国で、2008年から09年にかけての実績は17万トンであった。しかし当時は、このレベルでも、WPFが2010年までに北朝鮮の人々の最低限の栄養摂取量を維持するために必要と見積もった305,000トンには届いていなかった。その後、米国と韓国が北朝鮮支援を停止したことから、既に激減していた北朝鮮国内の食糧供給事情は一層厳しい局面に見舞われることとなった。現在では中国が北朝鮮に対する最大の食糧援助国となっている。

米議会が設立したワシントンの国立平和研究所(USIP)は、5月5日、「与えるべきか与えざるべきか」というテーマで討論会を開催した。米国際援助庁(USAID)のアンドリュー・ナツィオス元長官は、「従来、北朝鮮への食糧支援を巡る討論には、常に軍縮問題と『史上最悪の警察国家』に対する外交姿勢を問う議論がつきまとってきた。しかし、同意できない国の国民は助けられないという立場を採用したとしたら、米国政府は、大規模な食糧支援を現在実施しているスーダンのような国はもちろんのこと、どの国に対しても食糧支援は行わないということになってしまいます。」と語った。

その上でナツィオス元長官は、ハーバート・フーヴァー大統領が(商務長官時代の)1921年から23年にかけて、ソビエト連邦に対し6000万トンの食糧支援を行った事例を引き合いに、「権威主義体制を存続させることなく民衆を救わねばならない。」と語った。

僧侶で人権活動家のPomnyum Sunim師は、「このように(北朝鮮が直面している)複雑な状況を考えれば、私たちは人道支援の原点に立ち返り、困っている人々のために何が必要か、どのように支援をしていくのかを考えるべきです。」と付け加えた。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*フーヴァー大統領は商務長官在任中の1921年、ロシア革命後の混乱により飢饉で苦しんでいるソ連・ウクライナ地方や大戦後のドイツの人々に食糧支援を提供した。その結果、評論家が共産主義ロシアを助けていなかったかどうか問い合わせたとき、フーヴァー氏は、「2千万の人が飢えている。それらの政治が何であっても、それらは食べさせられるべき」と反論した。(出典:Wikipedia)

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│ブラジル│家庭内の銃を放棄できるか

【リオデジャネイロIPS=ファビアナ・フレシネ

Credit: Viva Rio
Credit: Viva Rio

ブラジル国内にある推定1600万丁の銃のうち8割は一般市民が保有しているという。そのうちほとんどが未登録・違法なものである。

4月7日、リオデジャネイロ西方のレアレンゴで、ある学校の元生徒が60発の銃弾を放って12人の児童を殺害するという事件が起こった。これを受けて、銃所持を抑制するキャンペーンが政府・民間の両方で始まっている。

同じような動きは2004年から05年にかけてもあった。このときは、たとえ違法な銃であっても放棄すれば罪に問われないという方式が採用され、50万丁以上の銃を回収することに成功した。

 非暴力の社会作りに取り組むNGO「ビバ・リオ」のルベム・フェルナンデス代表によれば、銃放棄の際に名前を出さなくてもよいようにするなど、いくつか改善できる点があるという。

NGO「ソウ・ダ・パズ」(私は平和を目指す)によると、ブラジル国内の銃は1600万丁で、そのうち政府部門が保有するのが200万丁。正式に登録されているものは700万丁しかないという。

フェルナンデス氏によれば、1970年代以来、ブラジルの殺人発生率は毎年上がり続けてきたという。2010年の故殺の件数は4万3016件である。

「ビバ・リオ」の推定では、銃放棄の取り組みが進んだことで、この2年間で5000件の殺人を減らすことができたという。

フェルナンデス氏は、銃放棄により熱心なのは女性だと話す。なぜなら、女性は、家庭内において男性による銃の利用に怯えているからだ。

他方、6年前には、銃販売違法化をめぐって国民投票が行われているが、60%の反対により否決されている。

ブラジルにおける銃蔓延の状況について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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|軍縮|アラブ民衆蜂起で中東非核地帯はどうなる

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【国連IPS=タリフ・ディーン】

アラブ世界において政治的騒乱が広がり、それが自国の安全に与える影響についてイスラエルが神経質になる中、2012年に暫定的に開催が予定されている中東地域非核化をめぐる国際会議の行く末が危ぶまれている。

長く待ち望まれていたこの会議の提案は、2010年5月に国連本部で開かれた核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議において189の加盟国が承認したものである。

イスラエルは会議の最終文書を批判しつつも、2012年会議の参加問題については、結論を下さずにいた。

 しかし、イスラエルに対して友好的だったエジプトのホスニ・ムバラク大統領の失脚など、アラブ世界において政治的蜂起が広がるにつれ、イスラエルの懸念は深まってきた。とりわけ、ますますイスラエルにとって敵対的になる環境下での自国の安全について神経質になっている。

イスラエルは、非公式な場では、未申告の核保有こそが自国の安全保障を確保する最良の方法であるとの立場を示してきた。

かなりパレスチナ寄りの政権がエジプトで誕生するなど、政治的環境の変化は、中東非核化を目指した会議へのイスラエル不参加を正当化するものとなるかもしれない。

エルサレムに拠点を置く『パレスチナ・イスラエル・ジャーナル』誌のヒレル・シェンカー編集長は、IPSの取材に応じ、「イスラエルとイラン政府が参加しなければ会議は成功しないが、それには、注意深く手の込んだアプローチが必要となるでしょう。」と語った。

地域の専門家によれば、イスラエルは自国の核保有を公式に宣言していないが、イランは核保有を目指している、と見られている。

シェンカー氏は、アラブ世界で進行中の社会革命の影響に関しては、「事態が不確実であり明らかに現状に終止符が打たれたという感覚が広がることで、安全保障と協力のための中東の枠組みへの動きがますます必要とされることになるだろう。」と語った。

またシェンカー氏は、提案されている中東会議が実際開かれるかどうかは、今後任命される国連特使の力量に負うところが少なくないと考えている。国連特使は、関係各国の政府、市民社会の代表などと協議し、中東会議の枠組みと開催地を定める役割を負うことになる。
 
一方「核政策に関する法律家委員会(LCNP)」の会長で「今こそ平和を求めるアメリカ人の会」の運営委員を務めているピーター・ワイス氏は、中東会議の行方に懐疑的な人物の一人である。ワイス会長は、IPSの取材に対して、現時点の見解と断ったうえで、「イスラエルは核兵器を最後まで放棄しようとはしないだろうから、この会議からは何ら成果を期待できないでしょう。また、イスラエルはおそらく会議には参加しないだろうし、仮に参加したとしても、自国の核放棄の条件として、他国がのめないような条件を出してくるでしょう。」と語った。

また『パレスチナ・イスラエル・ジャーナル』誌の特別号「中東非核地帯―現実的か理想的か?」に寄稿したワイス会長は、「エルサレムやロンドンでの公的会議は別としても、この問題が公に議論されているということは、イスラエルにおいてこの問題について何らかの動きがあることを示しています。」と語った。

ワイス会長によると、4~5年前ならイスラエルの核に関する話題はタブーだったという。

他方、長年にわたってイスラエルを擁護してきた米国は、中東会議の準備を前にしてすでに条件を提示しているという。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、昨年7月に米国のオバマ大統領と会談した際、2012年の会議においてイスラエルだけを名指しして取り上げないとの保証を得ている。

ホワイトハウスのある声明を見ても、「すべての国家が安心して参加できるようならば会議は開かれるだろうし、イスラエルを名指しするような動きがあれば会議は開かれないだろう。」としている。
 
シェンカー氏は、「イスラエルに対してNPT加入と核施設の査察受け入れを迫ることは、プロセスのひとつの最終目的ではあるだろうが、もし2012年の会議の参加を包括的なものにし何らかの成功を導こうとするならば、そのことを現段階での入口の条件にすべきではない。」と語った。

またシェンカー氏は、「2012年会議の成功の基礎は、アラブ連盟が2002年にベイルートで開いたサミットで採択されその後の会議でも何度も確認されてきている『アラブ平和イニシアチブ』を基礎とした2トラックのプロセスにあります。」と語った。

一つ目のトラックはイスラエル・パレスチナ、あるいは包括的なイスラエル・アラブ和平に向けた道を模索するものであり、もうひとつのトラックは、非核兵器・非大量破壊兵器地帯など、中東の地域安全保障・協力体制への道を探るものである。

日本における原発事故が会議の行く末に与える影響について、シェンカー氏は、「核の問題に取り組む中東地域の安全保障体制を作ることが急務だという意見を強めることになるだろう。」と語った。

イスラエルの紙面及びオンラインメディアは、通常は国内問題かイスラエルに直接関係のある話題ばかりを取り上げる傾向にあるが、福島での原発事故に関しては数週間にわたって大きく取り上げている。

「ネタニヤフ首相すら、以前よりも原子力に熱心でなくなってきたと発言しています。」とシェンカー氏は付け加えた。

シェンカー氏は、(ドイツ社会民主党に近い)フリードリッヒ・エーベルト財団主催のものも含め、主に学者や安全保障専門家を中心としたイスラエルの良識ある人々との会合など、いくつかの関連ある動きに関わってきたという。それらの動きの中で、2012年の会議にどうやったらイスラエルを参加させることができるか、という問題が話し合われている。

第二に、市民社会による「中東の安全保障・協力に関する会議」(CSCME)が2011年1月にドイツで開かれた。イスラエル、イラン、エジプト、パレスチナ、イラク、シリア、トルコ、クウェートからの参加があり、ちょうどチュニジアの「ジャスミン革命」と時を同じくしていた。

第三に、日本の市民団体「ピースボート」が2011年3月に地中海で「ホライズン2012」と呼ばれる会議を開いている。イスラエル、エジプト、ヨルダン、レバノン、パレスチナ、国連からと、核戦争防止国際医師の会(IPPNW)の欧州代表の参加があった。

シェンカー氏によると、イランからの参加者も招請を受けていたが、テヘランのギリシャ大使館がビザを発行しなかったため、参加できなかったという。

これらの会議の目標は、2012年会議を成功に導くにはどうすればよいか、ということであった。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|輸送と環境|企業の社会的責任は単なる宣伝文句ではない(水野功)

【IDN東京=浅霧勝浩】

東京都日野市にある千代田運輸株式会社社長の水野功氏にとって、企業の社会的責任とは単なる宣伝文句ではない。それは水野社長と95名の社員が日々の業務の中で実践してる公約なのである。

2002年から千代田運輸では、日本から5100キロ離れたネパールのヒマラヤ山脈の麓で植樹活動を行っている日本のNGOに対する支援活動を行っている。日本ではミルクパックは資源ごみとしてリサイクル会社で換金が可能である。そこで、水野社長と千代田運輸の社員は、各家庭からミルクパックを会社に持ち寄り、同NGOの活動資金の一部として継続的に提供しているのである。

水野功氏が父で創業者水野勉氏の後を継いで代表取締役社長に就任したのは1986年、33歳の時であった。千代田運輸は、功が生まれた1953年に創業、大型車・乗用車の輸送(陸送、海上輸送)、引越業務のほか、物流センターの運営、車両部品の販売を手掛けてきた。

 
水野功氏は、日本がオイルショック後の経済不況にみまわれていた1975年に慶應義塾大学を卒業した。その後、同大学院のビジネススクールで1年修学ののち、小売業大手の株式会社イトーヨーカ堂に就職した。イトーヨーカ堂では本部を中心に6年勤めたが、その内2年は創業者で名誉会長の伊藤雅俊氏の秘書として働いた。

功はその後日野自動車販売に入社、自動車販売の全般について学ぶとともに多くの友人知己を得た。そして1986年、健康に不安を感じていた父勉の要請に従い、千代田運輸に入社した。日野自動車での4年間の勤務は、その後の両社の関係を円滑にする貴重な経験であった。

父勉は水野陸送創業から3年目となる1956年、日野グループから資本参加を受け入れるとともに、役員2名を迎え入れ、日野グループ傘下の運輸会社「千代田運輸」として発展していく選択をした。1990年、日野自動車は、千代田運輸が提携関係開始以来購入した日野車が500台に達したことを記念して、表彰式を執り行っている。

安全第一

従業員の福祉こそ会社繁栄の基礎とのモットーから、水野社長は従業員の「安全第一」を企業の社会的責任における最重要の要素と考えている。「私は、運転手の安全確保の観点から、人的ミスを最小限に抑えるためには、たとえ多額の出費を強いられたとしても会社は安全対策に万全を期す義務があると考えています。」と水野社長はIDNの取材に応じて語った。

「最近の福島第一原発事故に関わる東京電力の事例を見ていて、やはり安全対策に関しては、『十分』というものはないのだということ改めて確信しました。安全対策はどんなに取り組んでも、一つの事故で信用を失いかねないわけですから。」と水野社長は付加えた。

「私たちが扱う商品車両は大型で高価なものが少なくありません。当然保険をかけていますが、事故がおこれば、一台当たり最高7千万円にも及ぶ商品を運んでいるわけですから会社の損失は大きなものとなります。」と水野社長は付加えた。

水野社長は商品車両の輸送でいくつか事故を経験した6・7年前のことを振り返った。千代田運輸では、早くから自動車部品など荷物運搬用のトラックには運転手の運行状況を記録するデジタルタコグラフを搭載していたが、当時、工場から直接販売店に一台ごとに運転して輸送しなければならない大型商品車両については、デジタルタコグラフは搭載されていなかった。

「セーフティーレコーダー」

「幸い、私はデータテック社の『セーフティーレコーダー』という素晴らしい機器に巡り合いました。デジタルタコグラフは特定の車両に固定して使用しなければならないのに対して、セーフティーレコーダーは、シガーソケットから電源をとれる持ち運び可能なタイプなのであす。また危機にはGPSの他、5つのセンサーとコンピューターソフトウェア―が内臓されており、運転手の運行状況を5角形のグラフに点数(100点が満点)で記録していく仕組みになっています。」と水野社長は語った。

この機器は比較的高価なものだが、水野社長は440台を購入し、千代田運輸及び系列会社の全ての運転手に対して、彼らが商品車両や運搬車両(もしデジタルタコグラフが搭載されていない車両の場合)を運転する際には必ず装着することを義務付けた。その上で、新たに7段階からなる評価システム(高い評価グレード順にA,B,C,D,E,F,N)を導入した。「その後、私たちは2年前までにN評価がない状態を達成しました。そして今ではF評価がほとんどない状態にもってきています。つまり、全体的な運転技術はこれにより向上させることができたのです。」

「私は、運転手の皆さんの安全運転への意欲を高める目的で、毎月、運転評価システムで最も高いポイントを獲得したトップ30人の運転手のリストを会社の掲示板に掲載し、また半年毎に最優秀ドライバーに対する表彰を行っています。この評価システムは全ての系列会社にも適用しており、そうすることで、私は毎月各社ごとの運行レベル(評価に基づく平均値)を的確に把握できるのです。」と水野社長は付加えた。

しかし「セーフティーレコーダー」を導入した当初、中には第三者に運行状況を監視されるのを嫌う運転手もおり、「メモリーカードを差し込むのを忘れた」「電源を入れるのを忘れた」等の言い訳をして使用をためらうものも散見された。

しかし水野社長は交通事故を防ぐにはこの機器の装着を会社の規範にしなければならないと確信していた。まもなく、東京-広島間(700km)の長距離輸送でも100点を出す運転手が現れるようになると、「あいつができるのなら、俺にもできる。」という競争意識が芽生えるようになり、結果的に運転手たちがよりよい点数、すなわち自らにとってより安全な運転を目指して競い合うようになった。こうしてまもなく状況は好転していった。

これらの機器にはGPSが搭載されており常に運転手の所在地と運行スピードを記録するため、もし事故に遭遇した際、客観的なデータとして運転手の立場を保護してくれる役割が期待できるという側面もある。

また水野社長は、全国に5つある営業所全てにアルコール検知器を設置した。このシステムはコンピュータ端末・ウェブカメラを経由して本社とつながっており、運転手の顔、名前、アルコールテストの結果、及び血圧が記録され、本社でデータを確認できるようになっている。

またこのシステムは、本社が全国5つの営業所を通じて全ての運転手の点呼を行う役割もはたしている。こうすることによって、千代田運輸の運営側は、運転手の日々の健康状態(例えば、運行時にアルコールを飲んでいるか否か等)を把握できるのである。「アルコールの検知器の導入にはかなりの費用が掛かりましたが、十分価値のある投資だったと確信しています。なぜなら、事故を最小限に抑えることは、わが社の信用のみならず、わが社で働いてくれている運転手を守ることになるのですから。」と水野社長は語った。

従って、千代田運輸が2002年にISO14001を取得し、3度にわたって更新(3年毎)を重ねてきているのは、当然の成り行きだろう。「おそらくわが社は、運送会社としては西東京ではもっとも早い時期にISO14001を取得しています。」と水野社長は誇らしげに語った。

千代田運輸は、超大型積載車で商品トラックや乗用車を運搬した日本で最初の会社である。日本では、1960年代初頭から車の製造が急増し、それに伴う陸送システムの向上を余儀なくされた。このころ超大型積載車のサイズもさらに巨大化し、千代田運輸をはじめ、陸送会社の中でもトレーラーを新たに導入する会社が現れたのもこの時期である。
 
当時は鉄道会社においても、1965年に12台の自動車の運搬が可能な2階建て自動車専用貨車が導入されるほどであった。また海運業界も、商品車両輸送専用の船舶を新たに就航させた。1972年、千代田運輸は、日野自動車から委託を受けていた中型車の陸送能力が間もなく限界に達すると判断、日野自動車側と相談し、新たに海上輸送を開始した。

千代田運輸にとって船舶を利用するメリットは、商品車両を届けるまでに走行メーターをあまり動かさないで納車できるので商品価値が高くなり顧客に喜ばれる点である。また、海上遠距離便には、陸送に伴う交通事故のリスクを避けれるメリットもある。2011年現在、千代田運輸は、船舶会社15社と25航路を契約し、全国ネットで月間5000台の海上輸送を実施している。

コミュニケーション

水野社長は、従業員の安全保護を重視する一方、従業員と地域コミュニティーとのコミュニケーションを積極的に図っている。従業員には家族同伴のバーベキュー大会や忘年会を開催している。また地域コミュニティーに対しては、様々な活動を展開している。1992年以来、水野社長は、地元児童達の社会見学を会社で受け入れ、運輸業が果たしている社会的な側面について子供たちに話をしている。

また2003年以来、日野中央公園および日野市役所周辺で開催される「“ひの”の春を楽しむ会」に協力し、靴の販売、パフォーマンス・スピーチ舞台用のトラックの提供、立て看板及び、分別回収用のごみ箱(可燃・不燃・ビン・缶・ペットボトル)の制作・設置を行っている。また、日野自動車日野工場の敷地内で開催される「さくらまつり」にも靴販売とうどん販売で参加し、積極的に地域とのコミュニケーションを図っている。(原文へ

千代田運輸株式会社ホームページ

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|米国|2001年のタリバン提案拒否がビンラディン逃亡を可能にした

【ワシントンIPS=ガレス・ポーター】

ジョージ・W・ブッシュ大統領が、タリバン政権が2001年10月中旬に提案してきたビンラディン容疑者を穏健派イスラム諸国に引き渡し裁判にかけるとする案を拒否したとき、米国政府は事実上ビンラディン氏のテロ活動に終止符を打つ唯一の機会を放棄したも同然であった。

当時ブッシュ政権には、ビンラディン容疑者を捕縛する軍事計画はなく、タリバン提案を拒否した数週間後、このアルカイダの指導者はパキスタンに逃亡することに成功した。

 タリバン政権最後の外相をつとめたワキル・アフマド・ムタワキル氏は、昨年カブールでIPSの取材に応じ、2001年10月15日当時、イスラマバードで米側に秘密会談を持ちかけ、ビンラディン氏の身柄をイスラム諸国会議機構(OIC)に引き渡し9・11米国同時多発テロ容疑で裁判にかける提案をおこなったことを打ち明けた。同元外相は、タリバン政権崩壊後18か月に亘ってバグラム空軍基地に拘束されたが、今はハーミド・カルザイ政権に許されてカブールに在住している。

イスラム諸国会議機構(OIC)は、イスラム諸国(57国)をメンバーとして構成されサウジアラビアに常設事務局を置く穏健な国際機構である(国連に対して常任代表を有している)。OIC加盟国の判事によるビンラディン裁判が実施されていたら、米国による如何なる制裁よりも、アルカイダのイスラム組織としての信用により大きなダメージをもたらしていたかもしれない。
 
また秘密交渉に際してムタワキル外相は、まず米国がビンラディン氏の9.11同時多発テロへの有罪関与を証明する証拠を提出すべきとする9月下旬以来の要求を取り下げていた。この要求は米国がアフガニスタンのタリバン関連施設への空爆を開始した2日後にあたる10月5日にもタリバンの駐パキスタン大使アブドゥル・サラム・ザイーフ氏によって繰り返されていた。

当時タリバンの外相がビンラディン容疑者を1か国ないしは数か国による裁判にかける新たな提案をしたとの大雑把な報道が流れていた。しかしムタワルキ元外相が昨年IPSに打ち明けるまで、いずれのタリバン関係者も秘密交渉の詳しい内容について語っていなかった。

またムタワルキ氏は、米国との秘密交渉に際して、ビンラディン容疑者をアフガニスタンと2カ国のイスラム諸国が共同で設立する「特別法廷」で裁くという2つ目の提案をしたことも明らかにした。

当時米政府当局は、ムタワルキ氏をタリバン指導者ムハンマド・オマル師の信任を得ている人物と考えていた。駐パキスタン米国大使館が本国に宛てた1998年12月の報告には「彼はオマル師に最も近い政治顧問であり、1997年にはオマル師の外交窓口になっている。」と記されている。

タリバン政権による新提案は、米国が2001年10月7日にタリバン施設を標的としたアフガニスタン爆撃を開始したほぼ直後になされている。このことは明らかにタリバン政権が爆撃とその後に続くであろう米国の攻撃を恐れて、ビンラディン容疑者の取り扱いに関して譲歩する姿勢を示したものと考えられる。

しかしこの段階でブッシュ大統領は、こうしたタリバン側からの新提案を「耳を傾けるまでもない。交渉などありえない。」と宣言して全く取り合わなかった。

しかし米国諜報当局は、数か月前からタリバン政権の内部においてビンラディン容疑者の扱いについて深刻な意見の対立があるとの報告を入手しており、ブッシュ大統領も9月下旬の段階ではその報告に基づいて、タイリバン政権高官との秘密折衝をする権限を米中央情報局(CIA)職員に許可していた。

ジョージ・テネット元CIA長官は回想録の中で、CIAイスラマバード支局長のロバート・グルニエ氏がパキスタンのバルチスタン州でタリバン政権で2番目の実力者オスマニ師と会見したことを記している。

しかしグルニエ支局長はオスマニ師に3つの選択肢を伝える権限しか与えられていなかった。すなわち、タリバン政権ががビンラディン容疑者を米国に引き渡すか、米軍独自にビンラディン容疑者を捜索するのを許可するか、或いはテネット元長官が回想録に記したところの「彼を明確に除去する方法で自ら正義を遂行する」かという選択肢であった。

さらにグルニエ支局長は、10月2日にもオスマニ師に対して、オマル師を追放しビンラディン容疑者を直ちに米国に引き渡すとラジオで声明を出すという提案を行っているが、オスマニ師は先の3つの選択肢とともにこの提案も拒否した。

10月3日、ブッシュ大統領は、「タリバン政権はアフガニスタン国内のアルカイダ組織関係者を引き渡すとともに、彼らのテロ訓練所を破壊しなければならない。さもなくば交渉などあり得ない」と語り、タリバンとの交渉拒否を公に表明した。

ムジャヒディン戦争(1979年以降のソ連によるアフガン軍事介入に対するイスラム諸派による軍事抵抗)時期にCIAパキスタン支局長を務めたミルトン・ベアーデン氏は、ブッシュ大統領がムタワキル外相の新提案を拒否した2週間後にワシントンポストに対して「タリバンにとっては、イスラムの価値観に則った形でビンラディン問題を解決する(=ビンラディン容疑者の身柄をイスラム諸国による裁判で裁く)という面子を保つ方策が必要だった。」と見解を述べている。

「しかし当時の米国政府は、タリバンの言い分に一切耳を貸しませんでした。」とベアーデン元CIA支局長は語った。

ブッシュ大統領は、タリバンと交渉は拒否したものの、一方でビンラディン容疑者を捕捉する軍事計画も予定していなかったため、実質的にビンラディン容疑者と副官達に逃走する自由を与えることになってしまった。事実、ブッシュ大統領はその時点で、ビンラディン容疑者のアフガニスタンからパキスタンへの越境を阻止するために、どの程度の軍事作戦が必要とされるかさえ、把握していなかったのである。

ブッシュ大統領がそうした軍事作戦計画を持ち合わしていなかった背景には、ディック・チェイニー副大統領ロナルド・ラムズフェルド国防長官率いる同政権の安全保障チームの思惑が影響していた。当時両氏はビンラディン容疑者と副官達の捕縛を目的とするいかなる対アフガン軍事作戦にも強硬に反対していた。

ラムズフェルド国防長官とポール・ウォルフォウィッツ次官は、2001年夏の段階でアルカイダが米国へのテロ攻撃を画策しているとするCIAの警告を取り合わなかったばかりか、9・11同時多発テロ後も、同事件がビンラディン容疑者とアルカイダによるものとするCIAの結論に懐疑的であった。

当時のチェイニー氏とラムズフェルト氏の主眼は、あくまでもサダム・フセイン政権打倒のためのイラク進攻に向けた準備が第一義であり、ビンラディン容疑者の問題を、イラク進攻計画の障害にはさせない覚悟であった。

ブッシュ大統領がアフガニスタンに対する軍事作戦を指示する決断をした後の段階においても、アフガニスタン軍事作戦の最高指揮官であるトミー・フランクス米中央軍司令官は、ビンラディン容疑者の捕縛或いはパキスタンへの逃走阻止のための軍事計画の作成を指示されることはなかった。

CIAが2001年11月12日にビンラディン容疑者がカンダハルを発ちパキスタン国境付近のトラボラ地区の洞窟地帯に向かったとの報告を入手した際、フランクス司令官はこの事態に対処するための術を持っていなかった。当時第3軍所属米クウェート駐留軍司令官であったデイヴィッド・W・ラム大佐によると、フランクス司令官は、米大3軍司令官のポール・ミコラセック中将にアルカイダとパキスタン国境の間に(ビンラディン一行の逃亡を阻止する)部隊を派遣できるかどうか尋ねたという。

しかし当時第3軍はクウェートにそうした要請に対応できるだけの兵員も輸送手段も持っていなかった。

ボブ・ウッドワードの著書「ブッシュの戦争」に記されている国家安全保障会議の議事録によると、「そこでフランクス司令官はやむを得ず、パキスタン軍にビンラディン容疑者のパキスタンへの入国を阻止するよう要請せざるを得なかった。」とラムズフェルド国防長官が同会議に証言している。

しかしラムズフェルド長官や政権内の政策顧問たちは、ビンラディン容疑者がパキスタン軍統合情報局(ISI)の長年に亘る同盟者であり、パキスタン軍が彼の捕縛を手助けするはずはなく、このような要請はしょせん滑稽な茶番劇に過ぎないことを知っていた。
 
 クランクス司令官とパルヴェーズ・ムシャラフ大統領の会談に同席したウェンディー・チェンバレン駐パキスタン大使によると、司令官は大統領にトラボラ地区周辺のアフガン‐パキスタン国境地帯に軍を展開するよう要請し、大統領はインドとの国境警備にあたっていた6万人のパキスタン軍を再配置することに同意した。

ただし条件としてムシャラフ大統領は、兵員の再配置には米軍による航空輸送支援が必要と指摘した。ラム大佐によると、その要請に応えるには米軍の一個航空旅団にあたる数百機のヘリコプターと数百人の支援要員が必要だったが、当時の米軍は、その方面にそうした大規模な航空部隊を擁していなかった。

オサマ・ビンラディン容疑者は、外交・軍事いづれの対策も拒否したブッシュ大統領の政策により、事実上パキスタンへ逃亡する道筋が保障されたのである。

ブッシュ政権がビンラディン容疑者の逮捕に真剣でなかったことを言外に認めるかのように、ブッシュ大統領は2002年3月13日の記者会見において、「ビンラディンはもはや重要ではない。」「私は彼にそんなにかまっていられないのだ。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│タイ│学問の自由の試金石となる王政論議

【バンコクIPS=マルワーン・マカン-マルカール】

タマサート大学の歴史学教授ソムサック・ジェムティーラサクル氏(53歳)は、タイ社会のタブーに

触れたことから、昨年12月の中旬以来、様々な非難・中傷に悩まされている。彼のやったことは、タイの国体である王政に関して異なる見方を提示しようとしたことである。

ソムサック教授が12月10日の憲法記念日の講演で言及したのは、不敬罪を規定した刑法112条の見直し、特権を持った枢密院の役割の見直し、王政に関する「一方的見方」を刷り込む教育の見直しなどであった。

本人は、決して王政転覆を狙ったものではないと語る。「私はただ、変化する世界とともに王政も変わる必要があるということ、そして、人々がそれについて自由に討論する必要があるという自分の主張を述べただけです。」とソムチャック教授は語った。

 しかし、この講演以降、彼の自宅には脅迫電話が入るようになり、怪しい男がバイクに乗って彼をつけ回すようになった。また彼のフェイスブックには、「タイから出ていけ」「おまえは投獄されるべきだ」「おまえは善良なタイ人ではない」等の書き込みがなされた。また軍関係者の中には、今後は言葉の脅迫にとどまらないだろうと警告する向きもいる。

タイ陸軍のプラユット・ジャンオーチャー司令官は、4月7日のインタビューの中で、名指しを避けつつも、(ソムチャック教授を)「体制を転覆」しようとする「精神異常の学者」を決めつけ非難した。

チュラロンコン大学政治学部のヴェングラット・ニティポ助教授は、「(ソムチャット教授が提起した)諸課題は、学術界で議論するに当たり、最も気を遣わなければならないテーマです。私たちは法律の枠から逸脱しないよう、いつも議論の範囲を制限し、発言内容を自ら検閲せざるを得ないのです。」と語った。

またニティポ助教授は、「ソムチャック教授を脅迫したり、逮捕しようとする動きは、かえってこの問題を巡るタイ社会の内部対立を深めることになりかねません。タイの学術界は、この問題について議論をリードしていく役割があると思います。」と語った。


このように学術界が王党派や、軍、保守政界に対して公然と議論を挑む今日の現状は、タイの政治文化を研究してきた専門家の間で「前例のない動き」と見られている。

米国のタイ政治学者デイヴィッド・ストレックフス氏は、「制度としての王政を批判的に検証し民主主義を一層前進させようとする組織的なアプローチは、タイ現代史において初めての動きだと思います。ソムチャット教授と彼を支持するグループは、王室を非難が及ばない位置に据えてきた1947年以来の法律にあえて挑戦することで、君主制度を立憲制が敷かれた後のあるべき場所に位置付けようとしているのです。」と語った。

1939年までシャムとして知られたタイは、1932年まで絶対王政を強いていたが、同年フランス留学経験をもつ改革派を中心とする立憲革命が勃発し立憲君主制が打ち立てられ、民主化への道が開かれた。その後タイは、野心的な軍事指導者達による18回のクーデターと一連の軍事独裁政権を経験してきた。

タイには王室に関する不敬罪(禁固3年~15年)があり、IPSの調べによると、2009年には164件が立件されている。投獄されたのは、政治活動家や、王政を侮辱するようなコメントをウェブに書き込んだ者などである。なお、野党議員1名と学者1名が不敬罪に問われ国外逃亡している。

近年、政府当局による大学への締め付けが強まっている。あるバンコクの大学では、タイの民主主義における王政の役割について尋ねられた学生の試験答案を開示するよう政府から要求があった。また、ウェブ上で王政について記述しただけで大学への入学を拒否された学生の事例もあった。さらに消息筋の情報によると、政府の治安部門の機関から各大学に対して、不敬罪にあたる恐れのある学内グループを監視するよう要請があったという。

しかし、ソムチャック教授らの行動に触発され、王政について議論したいという学生たちは増えており、彼らの欲求がこうした当局からの締め付けで抑えられているわけではない。タマサート大学のある学生は報復を恐れて匿名を条件に、「これは学問のやり方で議論していかねばならないテーマなのです。」と記者に語ってくれた。

タイにおける王政のありかたを巡る諸議論について報告する。(原文へ

翻訳/サマリ=IPS Japan浅霧勝浩


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│西アフリカ│イナゴへの備えで地域が連携

【ダカールIPS=コフィガン・アディグブリ】

5月から8月にかけて、西アフリカのサヘル地域の農民たちはイナゴの襲来に戦々恐々となる。大挙襲来するイナゴは、主食の粟やソルガムの収穫を脅かし、穀物、放牧地の双方に甚大な被害をもたらすからである。

しかし今年は、地域全体を網羅する「イナゴ襲来と闘うアフリカプロジェクト」の始動により、イナゴ被害を最小限にとどめる取り組みが強化される見込みである。

 プロジェクトはフランス語の頭文字からPALUCPと呼ばれており、マリ・ブルキナファソ・ガンビア・モーリタニア・ニジェール・セネガル・チャドの7ヶ国が参加している。世界銀行が60億CFAフラン(約1300万ドル)の出資をし、国連食糧農業機関(FAO)が技術援助を行っている。
 
 重要な活動内容のひとつが密接な情報交換である。イナゴは国境を越えて飛来する場合も少なくないので、加盟国の技術者が各地のイナゴ襲来の情報を把握し、密接に情報交換をし合うことが効果的な対応策を講じる上で重要な鍵となる。また、イナゴ対策の技術を国境を越えて互いに知らせあうことも、PALUCPの重要な役目である(例えばブルキナファソでは、夜陰に乗じてイナゴを一網打尽にする方法が採られているが、他の国ではそうした手法は知られていない。)

農薬の貯蔵・管理も焦点となる。とくに、ある国で在庫が尽きたときに他国から融通してもらえるスキーム作りが急がれている。

中には、イナゴ被害のあまりのひどさに、状況を悲観している小農も少なくない。セネガルの農民イブラヒマ・ジャウさんは「イナゴの襲来は間近だ。もうそこまで迫っている」と気を揉んでいる。

PALUCPでは、イナゴ襲来期を控えた今年3月末、ダカールに加盟国の農務省と農業研究機関の代表者が集いワークショップを開催し、ジャウさんのような被災農民の不安の声に対して次のような提案を行った。1)イナゴ襲来に対して効果的に対処できる住民の意識啓発に取り組む市民社会の活動を強化する。2)イナゴ被災地の農家に対して、各国政府が、収穫期の間に農業資金と食糧を寄付し生産力の回復を図るとともに、小規模事業に対する貸し付けを行う。

イナゴ撲滅に取り組む西アフリカの動きを報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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|中東|UAE、パレスチナ和解合意を歓迎

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【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)は、「パレスチナ解放機構の主流派ファタハ、ガザ地区を実効支配するハマスをはじめ、パレスチナ各派(13会派)が5月4日にカイロで和解合意に署名したことを歓迎する」と声明を発した。

今後パレスチナ各派は、暫定的な統一政府を樹立し、その後1年以内に自治政府の議長と評議会(議会)選挙を実施することを目指す。

 UAEの駐エジプト大使・アラブ連盟常駐代表のモハンマド・ビン・ナクヒラ・アル・ダヒリ氏は、「UAEは今回の合意を祝福するとともに、今後もパレスチナの人々が自身の権利を回復しエルサレムを首都とした独立パレスチナ国家を樹立するために、結束し足場を固める動きを支援していきます。」と語った。

アル・ダヒリ大使は、今回の合意がパレスチナの人々が団結する上で確固たる基盤となり、民衆の願いであった内部闘争を永久に終結させ、能力と努力を結集してパレスチナ人が公正な権利を獲得するよう希望していると述べた。

またアル・ダヒリ大使は、今回のパレスチナ和解とパレスチナ諸派による和解合意を実現する上でエジプト政府が建設的な役割を果たしたことを称賛した。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【アムステルダムIDN=ジャヤ・ラマチャンダラン】

リビア内戦に介入した米国と同盟国は、1991年の湾岸戦争以降、介入したいくつかの地域戦争で劣化ウラン弾を使用したと報じられている。今回リビアにおいても同様に劣化ウラン弾が使用されたのではないかとの疑惑が高まる中、ウラン兵器禁止を求める国際連合(ICBUW:120以上のNGOで構成)は、ウラン兵器を禁止する国際条約の成立に向けて運動を強化している。

米空軍のポーラ・カーツ報道官は、4月2日付の『ヘラルド・スコットランド』のインタビューで、リビアで対地攻撃機A-10を利用していることを認めた。A-10は装甲車や戦車を駆逐する目的で開発された航空機で、劣化ウラン弾頭を装着した徹甲弾を毎分3900発発射することが可能である。

カーツ報道官は、これまでの劣化ウラン弾使用疑惑の報道は否定したものの、将来的な使用の可能性に関しては「将来何が使用されるか、使用されないかについて推測でお話ししたくありません。」と明言を避けたことから、国連安保理決議1973号が保護を目的としているはずの民間人が劣化ウランの犠牲になるのではないかとの疑惑が一層強まることとなった。

一方評論家は、米国は時としてウラン兵器の使用に関しては「情報を全面公開しない」傾向にあるという。「私たちは今後も、リビアにおいて劣化ウラン弾は今までも使用されていないし今後も使用しないという確固たる保障を求めていきます。」と「核兵器廃絶キャンペーン」(CND)のケイト・ハドソン事務局長は語った。

「米国は、放射能物資の実戦配備については、実際に使用してかなりの年月が経過してから認めるということを長年繰り返してきた歴史があります。」とハドソン事務局長は付け加えた。

劣化ウランは放射性の科学的毒性を有する重金属である。ICBUWは、「ウラン兵器は燃焼すると放射能と毒性を持った粉塵が撒き散らされる。ウラン弾に貫通された標的はこの粉塵に覆われ、乾燥地域においては数キロ先まで拡散することもある。その結果、民間人、軍人を問わずその粉塵を体内に吸い込んでしまう危険性がある。」と指摘している。

劣化ウランは、1991年と2003年の米軍及び多国籍軍によるイラク進攻で戦場となった一部地域において、乳癌やリンパ腫などの癌発生率が急増した原因と考えられている。また、主戦場付近において先天性欠損症の事例が高まったこととも関連していると考えられている。

ICBUWによると、劣化ウランは、湾岸戦争、ボスニア、セルビア、コソボ、イラク戦争などで米軍・英軍が徹甲弾として使用したという。また、劣化ウラン弾はその他18カ国が使用していると考えられている。

さらに、2001年にアフガニスタンで使用された疑惑もあるという。米英政府は否定しているが、リークされた文書によると、米軍が現地で劣化ウラン弾を保持していたことは間違いないという。ICBUWは、「NATO地上軍の支援に近接航空支援用地上攻撃機A-10を使用し続けているということは、劣化ウラン弾が使用された可能性を否定できません。」と述べている。

ICBUWは、かつて地雷禁止・クラスター兵器禁止連合が取り組んだように、全ての通常兵器におけるウラン使用を禁止する「ウラン兵器禁止条約」を起草している。またICBUWは、米国に対し、英国のデイヴィッド・キャメロン首相が明言したように、劣化ウランの使用を全面的に否定する確約を求めている。また「劣化ウラン弾が既に使用された場合は、直ちに地域住民にその事実を公表するとともに、できるだけ早く除染作業を行うべき。」と主張している。

またICBUWは、米国政府に対して「米軍機は劣化ウラン弾を装着して発進せず、搭乗員は発射許可を受けることはないとする確約を国際社会に対して明言するよう」、また、「戦闘地域に既に配備されている劣化ウラン弾は選別・封印し、既に使用された場合は対象地域に関する情報を開示するよう」強く求めている。

一方、オランダでは、労働党と社会党が、リビアで米軍が「ユニファイド・プロテクター作戦」において、劣化ウラン弾を使用した可能性について、政府への追及を強めている。オランダ政府は、空軍機(F16戦闘機、給油機)、機雷掃討艇を派遣し、リビア上空の飛行禁止区域の設定作戦に深く関与している。

平和団体「IKVパックス・クリスティ」の政策顧問Wim Zwijnenburg氏は、「現在のところ、ウラン兵器の使用を巡る情報開示が確保されていないことから、被害調査の実施が難しい状況にあります。米軍はウラン兵器をリビアに実戦配備していないことを切に祈るのみです。」と語った。

またZwijnenburg氏は、「湾岸戦争、イラク戦争において使用された400トンにも及ぶ劣化ウランの実態を調査し放射能除染などの技術支援を行うためにも、イラクで使用された劣化ウラン弾に関する情報開示を行う必要があります。」と語った。

「私たちは、国際原子力基金(IAEA)のいう『低レベル放射能廃棄物』に汚染された地域をこれ以上広げる余裕はありません。この問題に対する国際社会の関心が高まり、ウラン兵器の使用に歯止めをかけるようになることを望んでいます。」

またZwijnenburg氏は、オランダ政府は議会からの度重なる要請にも関わらず、ウラン兵器の使用に関して明確に反対する立場をとることを躊躇してきた点を指摘した。オランダ政府は、議会が提出した劣化ウラン兵器の製造禁止を求める動議を棚上げにしたほどである。

「一方でオランダ政府は、昨年12月、劣化ウラン弾の使用に関する透明性を求めた国連決議A/65/55に賛成しています。同決議は、世界保健機関(WHO)や国連環境計画(UNEP)による勧告の実現も求めており、とくにUNEP勧告は劣化ウラン弾使用に関する予防的なアプローチを推奨しています。」とZwijnenburg氏は4月7日に発表した声明の中で語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【カイロIDN=バヘール・カーマル】

ムバラク大統領失脚後エジプトの権力を握っている軍最高評議会は、2月5日、「エジプトはガザにもイランにもならないし、アヤトラ・ホメイニ師のような人物に統治されることもない。」という強い調子の声明を発表した。声明のあて先は、ムバラク失脚後幹部の入れ替わった国営メディア各社のディレクターや編集長たちである。

声明ではまた、「国の指導が民間人に移り、民主国家が打ち立てられ、新しい議会と大統領が選出されれば、(軍が)街頭に出ることはなくなるだろう」とも述べられている。

この声明は、米国のヒラリー・クリントン国務長官が、ムスリム同胞団が権力をとることを否定しない趣旨ともとれる発言をした直後に出された。

クリントン長官は、エジプトのオンライン新聞「マスラウィ」が企画した一般市民の質問に答える中で、(ムスリム同胞団の将来的な政権獲得についてどう思うかとの問いに対し)「暴力を否定し、民主主義に従い、全てのエジプトの民衆の権利を擁護する全ての政党は、エジプトの有権者の審判を仰ぐ機会を持つべきです。」と答えた。

 クリントントン長官のこうした見解は、シリアにおける民主化蜂起の際にも表明されているが、これは次の改革段階において、アラブ諸国のムスリム同胞団が軍とともに政権運営を担うことを、米国政府としてもはや拒否しないとするバラク・オバマ政権の新しい外交方針の流れを踏襲したものである。

他方で、米国内の強硬派は、ムスリム同胞団が力を得ることに強い警戒感を示している。下院外交委員会の有力議員イリーナ・ロス-レティネン氏(共和党)は、「私たちは、エジプトにおける一連の民主化の動きを利用して政権を奪取し、エジプト国民を虐げ、エジプトと米国、イスラエル、その他民主主義国家との外交関係を著しく傷つける恐れがあるムスリム同胞団他の原理主義団体が、選挙プロセスに関与することを明確に拒否しなければならない。」と述べ、ムスリム同砲団はエジプトの政治過程から排除されるべきだと主張した。

また、ネオコンの論者チャールズ・クラウトハマー氏もワシントンポストの特別ページ(2月11日付)の中で、「自由を求める『長い黄昏時の闘争』の中で、イスラム主義者が共産主義者にとってかわってしまった。」「かつて冷戦期に、欧州における共産党支配を戦ったように、今後の米国の外交方針は、新たに解放されたアラブ世界において、ムスリム同胞団や共産党といった全体主義政党が、暫定政権・民主政権を問わずいかなる政権にも参画しないよう働きかけることである。」と警告した。同氏は、ソ連崩壊後の米国による世界覇権を祝してフォーリン・アフェアーズ誌で発表した論文“The Unipolar Moment”において、「一極構造 Unipolarity」という用語を生み出した人物である。

欧州の政界やメディアも概ねこうした米国のネオコン、新自由主義論者による警告に同調する論陣を張った。

しかし、ムスリム同砲団は、今秋に予定されている次のエジプト大統領選挙に候補者を出す可能性、さらにこの夏の議会選挙で多数を目指す可能性のいずれも否定しており、政権奪取の意図が(少なくとも今は)ないことを引き続き表明している。
 
 ムスリム同胞団の活動は旧ムバラク政権の下で非合法化され、指導者が繰り返し投獄されるなど激しい迫害に晒されてきた。にもかかわらず、ムスリム同胞団は、旧ムバラク時代の与党である国民民主党を除く他のいかなるエジプト諸政党よりも巧みに党員の結束を保つことに成功したようである。

ムスリム同胞団は一方で、3月19日の憲法改正案を問う国民投票には積極的に動いた。憲法改正を支持した主な勢力は、国民民主党(その後多くが離党して新エジプト青年党を結成、国民民主党自体は4月16日に解散した:IPSJ)とムスリム同胞団だけで、民主革命後に結成された「若者革命連合」、「変革のための国民協会」(ノーベル平和賞受賞者モハメド・エルバラダイ氏が設立)等全ての政党は、のきなみ反対に回り、国民投票のボイコットを呼びかけた。その理由は、改正憲法案が、一党独裁を廃し政党の形成を促進する一方で、現在の大統領権限にほとんど手をつけておらず、シャリーアと呼ばれるイスラム法が引き続き法の基礎(憲法第2条)に位置付けられているからである。

こうした野党諸政党によるボイコットの呼びかけにも関わらず、国民投票ではエジプトの圧倒的多数(77%が賛成)の国民が憲法改正案を支持した。その背景には、エジプト国民がまだ自由選挙に慣れていないのと同時に、今回の国民投票が彼らにとって初めて自由に投票できる機会と捉えられていたという事情がある(投票率は41%という異例の高さだった)。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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