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|イラク|女性の人身取引が増加

【バグダッドIPS=レベッカ・ミュレー】

公務員たちにレイプされたとき、ラニアは16才だった。サダム・フセインがシーア派居住地域であるイラク南部に対する弾圧を進めていた1991年のことだった。「私の兄弟が死刑宣告されていて、彼らを救うための方法が私の体を捧げることだったのです」とラニアは語った。

「家族を恥にさらした」という評判に耐えられなくなったラニアはバグダッドに逃れ、赤線地帯で働き始めた。

軍事占領と宗派間抗争により国家機能が崩壊し、貧困から家族、近隣同士の絆が引き裂かれたイラクでは、売春と人身売買が伝染病のごとく広がりをみせている。イラクでは2003年(米軍を主体とした有志連合軍によるイラク進攻)以来、10万人以上の市民が殺害され、推定440万人のイラク人が難民となったとみられている。

Al-Battaween, the red light street in Baghdad. Credit: Rebecca Murray/IPS
Al-Battaween, the red light street in Baghdad. Credit: Rebecca Murray/IPS

 「戦争と紛争が勃発した所では、例外なく婦女子に対する凄まじい暴力が横行している。」とアムネスティ・インターナショナルは報告している。

ラニアが最終的にやったのは、人身売買のエージェントを補佐して、お客から代金を回収する仕事であった。「もし売春宿に4人の女の子がいて、1日あたりの客が200人いたら、一人当たり1日50人の客をとることになります。」とラニアは語った。

「一回当たりお客から徴収する金額は、今では100ドルが相場です。」とラニアは言う。イラクでは性的経験のない多くの女の子が、北部イラク、シリア、アラブ首長国連邦(UAE)などに5000ドルで売られている。性的経験がある場合はこの半値になる。

バスターミナルやタクシー乗り場には売春斡旋人に雇われた男たちがたむろしており、最もこうした男たちの餌食になりやすいのが、家庭内暴力(DV)や強制的な結婚などから逃げてきた人たちである。また中には、親戚の手によってお金と引き換えに花嫁として売られ、その後人身売買のネットワークに転売されるケースも少なくない。

イラクでは人身売買に手を染める者達の大部分が女性で、バグダッド中心部の老朽化が進んだアルバタウィーン地区などで、不衛生な環境のもとで売春宿を経営している。

6年前、ラニアの売春宿に米軍が押し入り、赤線地帯でのラニアの生活に突然ピリオドが打たれた。売春婦たちは、他の検挙された人々と同じくテロを教唆したという理由で起訴された。
 
収監されてラニアの人生は変わった。女性収容者の半分以上は、売春の罪に問われていた。ラニアはバグダッドのアル・カディミア刑務所に収監されている間に、地元の女性支援グループからアプローチされ、のちに、自らの経験を生かしてイラク中の売春宿に潜入する調査員になったのである。「私は売春斡旋人や人身売買に手を染めている人たちと渡り合っているの。もちろん私が活動家だとは教えないわ。人身売買を生業にしているって言うの。それが情報を取得する唯一の方法だから。もし私が活動家だと知れたら、殺されてしまいます。」

あるときラニアは、他の2人の女の子とともにバグダッドのアル・ジハード地区における米兵専用の売春宿をたずねた。そこでは若い子ではまだ16歳の少女たちが米兵専用の売春婦として働かされていた。宿主の話では、米軍に雇われているイラク人通訳が米兵たちとの橋渡しをしており、女の子たちを米軍基地内外に運んでいるとのことだった。

ラニアの同僚が携帯電話でこっそり潜入先の売春宿で女の子たちの写真を撮ったが、つかまってしまった。ある女の子が「スパイだ」と叫びだしたので、ラニアたちは裸足のまま逃げてきたのである。

1991年に湾岸戦争が勃発する前、イラクにおける女性の識字率は中東で最も高く、また域内のいかなる国よりも医療、教育分野などの専門職への女性の社会進出が進んでいた。

それから20年後、イラク人女性をとりまく現実は大きく様変わりしている。シャリーア法(イスラム法)が次第に日常生活を規定するようになってきており、結婚、離婚、名誉殺人などに関する決定が、従来の法体系の枠外でなされるようになっている。

「この地域で人身売買や売春がひろがりをみせるようになった背景には、複合的な要素が複雑に絡んでいます。」とノルウェー・チャーチエイドは昨年の報告書の中で述べている。

米国が率いた戦争とそれが引き起こしたイラク社会の混乱には、法秩序の崩壊、当局の腐敗、宗教的原理主義の台頭、経済的苦境、婚姻の重圧、ジェンダーに基づく暴力と女性に対する差別、女性・少女の誘拐、犯罪者、とりわけ女性に対する犯罪が罰せられにくい環境、「性産業」のグローバル化に伴う新たな技術の発達等、枚挙にいとまがない。

国際移住機関(IOM)の推計によると、年間80万人がイラク国境を越えて人身売買の犠牲となっているが、イラク国内での動きをつかむのは非常に難しいという。

現在IOMは、省庁間パネルと協力して、2009年以来イラク政府によって停止状態にある人身売買対策法の改正案について新たな判断がなされるようロビー活動を行っている。

イラク憲法は人身売買を違法行為と見做しているが、実際に違反者を起訴できる法律は存在しない。それどころか、人身売買の犠牲者が売春行為の罪で罰せられることが少なくない。

イラク移民省のアスガール・アル・ムサウィ副大臣は、「イラク内外での人身売買に関する報告は上がってきている」としながらも、人身売買問題へのイラク政府の対応が十分でないことを認めた。

ヒューマンライツウォッチ(HRW)は、イラク政府は人身売買問題についてイラク政府はほとんど対策をとっていないと指摘している。HRWのサメール・ムスカティ氏は、「人身売買は2003年時点ではイラクで一般に広がっている問題ではありませんでした。イラクには人身売買に関する実態を把握するための統計がありません。私たちは、この問題がどの程度イラク社会に広がっているのかを把握する必要があります。イラク政府は人身売買に手を染めている者たちのモニタリングも取り締まりも行っていません。そのため関連情報がまったくないのです。」と語った。

ゼイナ(18歳)の事例もそうした目に見えない統計の一部である。人身売買問題に取り組む地元団体「イラク女性自由協会(OWFI)」によると、ゼイナは13歳のときにアラブ首長国連邦のドバイで、祖父の手によって6000ドルで人身売買業者に売られた。彼女はある裕福な顧客が4000ドルで彼女を一晩買い取るまで、顧客に対するサービスとしてオーラルセックスを強いられた。

ゼイナは4年後、UAEの売春宿から逃げ出し、バグダッドの両親の元に戻った。彼女はイラク当局に訴え出て自分を売った祖父を裁判にかけようとした。しかしその後ゼイナは消息を絶ってしまった。OWFIは、ゼイナが今度は母親によってエルビルの人身売買業者に売られてしまったことをつきとめている。

PWFIのヤナール・マフムード代表は、多くの利益をもたらす人身売買に反対する活動のために脅しを受けているという。とりわけ、エマムという名で知られるアルバタウィー地区の有名な売春宿のオーナーを告発してからは、脅迫がひどくなった。「エマムの売春宿では約45名の売春婦たちが、あたかも安い肉屋で扱われている商品のように煩雑な環境で働かされています。売春宿に一歩入れば、少女たちが遮蔽物で隠されることもなく性的に搾取されているのです。従ってこうした売春宿を運営しているエマムの利益は莫大なもので、この既得権益を守るためのスタッフを周りに侍らせています。」と語った。

エマムはイラク内務省との関係が緊密で、その庇護を受けながら売買春産業で儲けているという。OWFIがエマムのビジネスを告発したにも関わらず、彼女の4軒の売春宿のうち、まだ1軒も閉鎖になっていない。

マフムード代表は「イラクでは、10代になった少女たちの世代全体が、こうした犯罪的なイデオロギーにより仕掛けられた戦いにその身を晒されているのです。」と溜息をついて語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│メディア│語られないストーリー―女性に対する暴力(2009年IPS年次会合)

政治が核実験禁止への努力を曇らせる


【国連IPS=エリザベス・ウィットマン】

ソビエト社会主義共和国連邦は、1949年8月29日、東カザフスタンのセミパラチンスクにおいて、その後456回に亘った核実験の第一回実験を行った。セミパラチンスク核実験場は、ソビエト時代に行われた全ての核実験の3分の2以上が行われたところで、地域住民に核実験が及ぼす影響について警告がなされることはなかった。

核実験場は1991年8月29日に閉鎖されたが、この地域は今日に至るまで、40年に亘った核実験がもたらした深刻な健康・環境被害の影響に苛まれている。

セミパラチンスク核実験場閉鎖20周年と2回目となる「核実験に反対する国際デー」(8月29日)を記念して、世界の指導者と国連関係者が集い、ハイレベルワークショップ(9月1日)及び非公式総会(9月2日)において、核実験の問題が協議された。

 これらの会合では、実に幅広い見解や概念が披露されたが、そこで明らかになったと思われるコンセンサスは僅か1点のみであった。すなわち、世界の核兵器を廃絶するための努力はもとより、核実験を禁止するための努力も、各国の政治的な含みや動機によって、今後の見通しが曇らされているという事実である。

核兵器保有国は、国際関係・安全保障の分野における自国の地位と影響力を保持するために、引き続き核戦力に依存している。また、国際政治における駆け引きが、核実験が人類及び環境に深刻な危険を及ぼし、核兵器が地球を破壊する能力を備えているという事実を覆い隠している。

例えば、セミパラチンスクにおける死亡率は極端に高く、癌を引き起こす疾病の発生率は危機的なレベルである。また深刻な先天性的欠損症もこの地域では一般的で、精神遅滞を伴う症例も平均の3倍から5倍の確率で発生している。そうしたことからこの地域の平均余命は50歳に届かないのが現状である。
 
「40年に亘った核実験で汚染された地域に住み続けてきた住民が3世代を経てどのような影響を受けているか、誰も分かりません。」と、セミパラチンスク地域を管轄する東カザフスタン州のエルメク・コシャバーエフ副知事は、IPSの取材に応じて語った。

現地政府は、住民の伝統的な生計の基盤となる農業を支援する努力を続けているが、放射能によって土や水が汚染されている可能性があるため、そうした支援は困難なだけでなく危険を伴うものとなっている。

おそらく核実験がもたらす影響とともに生きることの恐ろしさを人々が身をもって理解しているからこそ、カザフスタンは核実験と核兵器の禁止を全面的に支持し、自らも核兵器を放棄したのだろう。

核不拡散条約(NPT)は、安全保障の概念が核抑止理論-核兵器を保有していれば攻撃を受けないとする理論-によって推進されていた冷戦の最中である1970年に発効した。

今日、核保有5カ国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)を含む189カ国がNPTに加盟している。インド、パキスタン、イスラエルの3か国はNPTに加盟していないが、インドとパキスタンは核兵器の保有を宣言している。一方、イスラエルは核兵器の保有を公式に認めていないが、保有していると広く考えられている。また、北朝鮮は2003年にNPTから脱退している。

包括的核実験禁止条約(CTBT)は1996年に国連総会で採択されたが、未だ発効していないことから、今回の会合ではCTBTを発効させ義務を実行に移すことの重要性が訴えられた。

ジョセフ・ダイス第65回国連総会議長は1日に開催されたハイレベルワークショップにおいて、「現在大半の国々が尊重している核実験モラトリアムは、CTBTの完全履行の代わりにはなりえないのです。」と語った。

同ワークショップの参加者たちは、特に世界の大半の国が核実験はもはや有効ではないという点に合意していることから、CTBTの実施は既に機が熟しており、世界的な核軍縮に向けた決定的ステップとなる点を指摘した。この点について、アニカ・サンボーグ包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会事務局長代理は、「むしろ核実験という選択の自由を残しておくことが各国にとって(実質的な抑止力というよりも)ステータスシンボルになってしまっているのです。」と語った。

ワークショップの参加者は、核軍縮や核実験禁止へのコミットメントを議論するうちに、しばしば交渉の焦点が核兵器そのものよりも、各国の政治権力を巡るせめぎ合いになってしまっている点を指摘した。意見発表を行った数名の参加者は、おそらく議論の焦点であるはずの兵器は象徴的な存在にすぎないため、核不拡散体制の進展を望まない国々は、進展を阻止できる点を示唆した。

核不拡散と核実験禁止協議にまつわるもう一つの問題点は、核兵器保有の是非について、誰が保有しても核兵器自体が本来的に危険な存在であるという認識よりは、むしろ保有する国が良い国か悪い国かに分類して判断してしまう先入観である。

2010年NPT運用検討会議で議長を務めたリブラン・カバクチュラン氏は、9月1日のワークショップにおいて、将来における核兵器使用者は国家よりもむしろ非国家の行動者になる可能性が高く、こうした勢力には核兵器で報復すべき所在地が存在しない事実を指摘し、「核抑止論は実際には機能しません。」と語った。

全体として、数多くの前提条件や政治的懸念が、核実験禁止や核軍縮に向けた具体的な進展や生産的な議論を妨げてきたのは明らかな事実である。

9月2日の非公式総会で、イランのEshagh Al Habib国連大使は、名指しは避けたもののイスラエルに対して、「速やかに全ての核施設を国際原子力機関(IAEA)による包括的保障措置下に置くよう」強く求めた。しかしイラン自身もIAEAの査察に協力していないとして非難に晒されている。

IAEAは原子力が平和的な目的のみに使われるよう保証する任務を担った国際機関である。

また同非公式総会で、モンゴルのEnkhtsetseg Ochir国連大使は、「人々の健康と福祉よりも軍事的・政治的配慮の方が重要なのでしょうか?」という問いを投げかけ、続いて「そんなことは決してないはずです。」と強く断言した。

しかし今のところ、核実験禁止に向けた取り組みの中で、そうした軍事的・政治的配慮が最優先されているのが現状である。こうした各国の行動指針が将来変化するかどうかは、時が経ってみないとわからない。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|リビア|裏路地(Zenga Zenga)に追い詰められているのは誰か?

【アブダビWAM】

「ムアンマール・カダフィ大佐がリビア国内の革命勢力を家から家に、路地裏から路地裏(Zenga Zenga)へと徹底的に追い詰めると脅迫しているテレビの映像(記事の下に添付したYoutube映像参照)は決して忘れないだろう。」とあるアラブ首長国連邦(UAE)紙の編集長は語った。

事実、この映像はウィルスのようにソーシャルネットワークやユーチューブを通じて急速に世界に広まった。そして政治的イベントとしては前例のないほど、歌や映像クリップに加工されて大々的に扱われたのである。もちろん、カダフィ大佐の言っていることを真に受けるのではなく、あくまでもジョークとして軽いノリで扱われたのは言うまでもない。そしてこのようなイメージこそが、アラブ地域や国際社会が捉えているカダフィ大佐の真の姿を投影したものである。カダフィ大佐はピエロのような存在とみなされてきた。人々がアラブサミットの中継番組を見るためテレビの前に座り、カダフィ大佐の演説に耳を傾けたのは、このピエロが次に何を言うか、一種の娯楽として関心を払ったにすぎない。従って誰も、とりわけこの20年間について、カダフィ大佐の言動を真面に受け止めたものはいない。

 「そしてピエロがいれば、舞台と観衆がつきものである。カダフィ大佐には常に観衆がいた。そしてその中には、事実、彼が独裁者になるのを助けた世界の指導者たちがいたのである。彼らは自分たちが支援している人物がテロリストであり、リビアを暗黒時代に率いていくのを認識していた。」とガルフニュースのアブドゥル・ハミド・アーマッド編集長は8月31日の論説の中で述べている。

こうした指導者たちは、カダフィ大佐がロッカビー事件(パンアメリカン航空103便爆破事件)への関与を認めた(リビア公務員の関与を認め事件の責任を負うとした:IPSJ)にも関わらず、数十億ドルの賠償金支払(総額27億ドルの補償に加えて米国人遺族への補償として15億ドルを米国政府に支払った)や、(イラク戦争勃発後の)核計画放棄を評価し関係の修復を図り、カダフィ大佐が「ピエロ的な栄光の座」に居座り続けるのを助ける役割を果たした。

英国、フランス、イタリア他の国々の指導者達は、カダフィ大佐のもとに外交使節を派遣し、様々な取引を持ちかけプロジェクト契約をとりつけた。その間、暗闇に覆われているリビア国民のことは完全に忘れ去られていた。この状況は、かつてのサダム・フセインの場合と類似点はないだろうか?-実に酷似しているのである。

しかし今は、「家から家に、路地裏から路地裏(Zenga Zenga)へと」隠れているカダフィ大佐に話を戻そう。カダフィ大佐は、もしリビアからの脱出に成功していないとすれば、遅かれ早かれ捕まるだろう。その状況もサダム・フセインが穴に隠れているところを発見されたのと類似したものになるかもしれない。もしそうして捕えられたとしたら、カダフィ大佐が最近の演説で連発していた「ネズミ」とは、リビア民衆ではなく、彼自身ということになるだろう。

革命勢力は生死にかかわらずカダフィ大佐の身柄の確保を目指しており彼の首に170万ドルの懸賞金をかけた(ちなみにサダム・フセインの懸賞金は2500万ドルであった)。ではカダフィ大佐の額はどうして170万ドルしかないのだろうか?それは経済危機が影響しているのかもしれない。サダム・フセインは裁判にかけられた。リビア暫定国民評議会ムスタファ・アブドゥル・ジャリリ議長はカダフィ大佐の生死を問わないとしているが、それでは単なる復讐であり、正義の執行にはならない。カダフィ大佐が自殺でもしない限り、フセイン同様に法の裁きを受けさせるべきである。

ピエロに話を戻そう。カダフィ大佐は西側諸国の銀行口座に2000億ドルの資産を残した。一方、リビア国民の5分の1は貧困ライン以下の生活を強いられており、10人に1人は文盲である。そしてカダフィ大佐の長年に亘った革命と恐怖政治の下でどれほどの命が奪われたかは神のみぞ知るである。

他のアラブ指導者と異なり、カダフィ大佐には、自国を国民にとって真の楽園にするチャンスがあった。リビアは世界屈指の豊富な石油資源(アフリカ最大)に加えて人口が600万人余りと比較的少なく、さらに輸出先市場となる欧州に隣接していることから輸送コストも安価に抑えられる立地を備えており、カダフィ大佐はその気になればこの国を先進国へと変貌させることも可能であった。よく知られているように、カダフィ大佐が国民にもたらしものは騒乱と暗黒時代だった。にもかかわらず、リビア国民にためになる改革を行うようカダフィ大佐に圧力をかけようとする動きは国際社会に見られなかった。

それどころか国際社会が当時とった方針は、カダフィ大佐が西側諸国の欲望を十分満足させる限りにおいてカダフィ大佐と取引をするというものだった。つまり誰が本当のピエロだったのか、どちらがどちらを笑っていたのか本当のところは分からない。ただし私が確信を持って言えることは、少なくとも、カダフィ大佐は自らの利益と政権を守ることにのみ執着したピエロであり、世界は彼の観衆であったということである。そして、誰の目にも明らかなとおり、リビア国民はそうした彼の圧政の犠牲者であった。

西側諸国はリビア国民の人権、民主主義、自由について完全に忘れていた。どの国々もカダフィ大佐が独裁者であることは知っていたにもかかわらず、リビア国民が払わされる代償を顧みることなくカダフィ大佐を受け入れたのである。

こうした中、カダフィ大佐は益々大胆、横柄かつ残虐さの度合いを増していった。この段階になると、もはや倫理など存在しなかった。もし政治に倫理が伴わなければ、そこに生まれるのはカダフィ大佐のようなピエロ達である。カダフィ大佐というピエロと彼の観衆たちによって解き放たれた騒乱に翻弄されてきたリビア国民が、今後は路地裏から路地裏(Zenga Zenga)へと追われるようなことにならないよう願うばかりである。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|日本|課題だらけの野田新政権(ラジャラム・パンダ防衛問題分析研究所上級研究員)

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【ニューデリーIDN=ラジャラム・パンダ】

日本の新首相・野田佳彦氏の前には、津波災害からの国の復興、それによって引き起こされた原発危機、巨大な国の債務の抑制など様々な課題が待ち受けている。外交面では、米国、中国、オーストラリア、インドとの関係でバランスを保たなければならない。もしぐらつくようなことがあれば、世界における日本の重要性は相当に減ずることになる。

日本の政治的混乱は、2011年8月26日、15ヶ月間の政権担当期間を経て菅直人首相が辞任したことで終わりを告げた。各方面からの批判にさらされている与党民主党は、菅政権の財務大臣であった野田佳彦氏を日本の首相として選んだ。野田氏は、民主党が与党である衆議院と、野党勢力が支配する参議院の両方の議員の多数から支持を得た。野田氏には多くの厳しい試練が待ち受けているが、なかでも大きいのは、内輪もめにとらわれる自らの党をまとめるという任務であろう。

 野田氏は民主党のなかの「穏健派」である。性格は穏やかであり、近年党への忠誠が厳しく問われている中にあって、公平であるとの評判を得ている。日本の基準で言えば彼は保守的であり、極端な謙虚さは政治的な利点である。彼は、この5年で6人目の、あるいはこの6年で7人目の首相である。歴史的な政権交代から2年、首相が2人も続けて泥沼の政治対立に巻き込まれ辞任を余儀なくされたことは、民主党政権下の政治が無残な失敗に終わったことを示している。

なぜ菅首相は失敗したのか

現在の政治状況の根本原因はさまざまにある。菅氏は、首相として誤った方向に政治を導いた。原発への依存を減らす将来に向けて国を導くことで、福島原発事故に対応しようとした。彼の努力は賞賛すべきかもしれないが、実現性がなかった。消費増税を含めた、税と社会保障の一体改革への支持は少なく、菅氏によるこの問題への対応は、多くの課題を残してしまった。

コンセンサスを作ることに不慣れな菅氏は、大連立を作ることに失敗した。重要な政策課題について閣僚と相談することなく意見を公にしてしまうことで、閣僚との間に溝が生まれ、信用を失った。

たとえ菅氏に広い視野があり、コンセンサスを作る能力があったとしても、菅氏が首相の座にいつづけることは難しかったであろう。なぜなら、民主党自体が、長年にわたる党内抗争でバラバラになっていたからである。

菅氏は、消費増税や党マニフェストの見直しなどの重要な政策課題を追求しようとしたが、党内からの反対に直面した。

小沢一郎元党代表の率いる一派によって、菅氏は悩まされることになる。2011年6月、小沢グループは、野党の提出した内閣不信任案に賛成するとの脅しすらかけた。これが、菅氏辞任の背景となった。菅氏が前任者の鳩山由紀夫氏と一時的に休戦したことで、6月に考えられていたよりも多少長く政権にいることができただけであった。

2009年総選挙での政権交代は予想外のことであり、民主党はこの2年間、勝利を生かすことができなかった。朝日新聞が8月27日の社説で論じたように、これは以下のような理由のためであった。「民主党は著しく異なる政治課題と手法を追求する政治家の寄せ集めとして結成された。それは、自民党に属していない議員の広範な政治的連合であった。その主要な任務は衆議院の小選挙区において勝利を収めることであった。」つまり、民主党は「小選挙区制度の中から生まれた、選挙用の互助集団」ということである。

民主党が野党であったとき、その唯一の任務は自民党政権を倒すことであった。この政治的目標が達成された後、民主党が共通のビジョンを欠いているという事実が表面化し、無限の内輪もめサイクルに入っていった。民主党には国を統治する政治的成熟性が欠けており、日本の政治は不安定化した。民主党が自らを改革しない限り、野田政権はその前の2つの政権とあまり変わらないものになるだろう。

これからの任務

効果的なリーダーシップの不在は、日本にとって最大のハンディキャップであった。ブルース・クリングナー氏が『ロサンゼルス・タイムズ』に書いたように、「民主党政権とは、スローモーションで見る電車の脱線のようであり、『日本のリーダーシップ』とは、それ自体矛盾した表現であった」。二院制の仕組みの中で党派の間に橋を架けるリーダーがいなかったことが、日本の最大の問題だったのである。

党のマニフェストに書き込まれた政策に関して共通のスタンスを取らせ続けることが、野田首相にとって最大の課題となるだろう。マニフェストで出された、社会保障や一人当たり2万6000円の子ども手当といった、財政上の裏づけを欠いた公約は、前任者2人のイメージを悪くした。しかし、すでに宣言された政策を変えるには、たとえそれが必要だとしても、党内からの支持を得なくてはならない。

日本は、経済の停滞や社会の高齢化、中国や北朝鮮からの安全保障上の脅威の増大、低下する国際的影響力といった問題に対処しようとしているが、かつては自民党、そして現在は民主党も、日本を効果的に統治するビジョンも能力も示すことができていない。

政策よりも政局に傾注することが日本の政治文化となってしまった。「彼らはまるで、点を稼ごうとしてお互いにパンチを繰り出すが相手をノックアウトすることができないパンチドランカーのようだ。その結果、政治は行き詰まり、政策は停滞している。」

民主党は、数の力を借りた党派政治の歴史を持っている。小沢氏が民主党を率い、参議院で多数を占めていた時代、自公政権の法案成立を難しくし、日銀総裁などの政府人事にしばしば同意せずポストが空白になることもあった。小沢戦略は功を奏し、政府は衆議院解散のプレッシャーにさらされた。自民党はその後の総選挙で野に下った。

現在自民党は、小沢氏がやったのと同じような奇術を民主党に対して仕掛けている。もし民主党が政権にとどまろうとするならば、野田首相は、日本がそのような古い形の政治を乗り越え、新時代の政治に踏み出せるようにしなくてはならない。与野党双方がなさねばならないことは、「真摯で建設的な政策論議を通じて共通の土俵を見つけていくことである。」

野田首相の前には、津波災害からの国の復興、それによって引き起こされた原発危機、巨大な国の債務の抑制など様々な課題が待ち受けている。しかし、最大のリスクは、野田政権が前の2つの政権と同じく短命に終わる危険性である。民主党は、2012年9月に定期的な代表選を予定している。野田首相は、国会での行き詰まりを打ち破るために大連立を呼びかけているが、野党からは冷ややかに受け止められている。

実際のところ、大連立など必要はない。なぜなら、現会期において、政府提出の法案の80%が大連立でなくとも通過しているからである。野田政権が現在やらねばならないことは、復興のために迅速に第三次補正予算を策定することである。そして野田首相に必要なのは「野党との信頼関係」である。

指導者が回転ドアのように入れ替われば、5兆ドル経済の2倍にもいまや達した国の債務問題に対処する効果的な経済戦略は妨げられてしまう。野田首相は財政規律派と評されているが、あまりにも財務官僚の言いなりになっていると批判されてもいる。

しかし、彼は、国の借金を返済し震災復興の財源とするために税金を上げることで、政治の常識に風穴を開けることをいとわない。野田首相は、2015年までに消費税を10%に上げて、高齢化社会において増大する社会保障費の財源とし、債務危機を抑制する手段とすることを目指してきた。

しかし、最近になって彼は慎重になり、成長と財政改革の両方が必要であると言い始めた。野田氏はこれまで、借金を抑制するために痛みの伴う改革を日本がとることを一貫して主張してきたから、野田氏の変化は債券市場にとっては歓迎である。

猛烈な円高もまた、野田首相にとっての大きな課題である。日銀が通貨市場に介入し、8月4日に資産購入計画を拡大することで金融政策を緩和したが、これらの措置は、円高抑制にわずかの効果しかもたらさなかった。

財務相時代の野田氏は、市場への介入などを通じて円の行過ぎた高騰を防ぐ意思を示してきたが、今後もそのスタンスは変わらないものと思われる。円高は日本の輸出産業の業績に深刻な影響を与えている。野田氏は、強い円に対処するために日銀との協力を模索してきたが、その他の候補とは違って、追加の緩和措置を採るよう圧力をかけることを控え、日銀の独立性を尊重してきた。

エネルギー安全保障の面では、野田氏は前任者の菅氏とは考え方が違っている。野田氏は、原発に依存しない社会という菅氏のビジョンから距離をとり、原子力への信頼を取り戻さねばならないと主張してきた。停止した原子炉の安全性を確認した上で再稼働することで電力を安定的に供給することを目指している。しかし、自治体と地域住民がそれに合意するかどうかは定かでない。これまで、地震のために止まっていた再稼働プロセスを容認した自治体はひとつしかない。

震災が間接的にもたらした影響も甚大である。3つの複合災害は多くの製造業者のサプライチェーンを破壊し、日本のGDPの抑制要因となっている。電力不足も経験している。工場の稼働を週末にシフトさせ、休眠化した火力発電所を再稼働し、省エネで電力需要を減らす努力がなされたが、いずれも不十分な措置であった。野田首相には、合理的なスケジュールの中で最も安全な原子炉を再稼働するための妥協を形成するという困難な課題が待ち受けている。リストのトップに入ってくる項目は、実際上も政治上も機能するような新しいエネルギー政策を策定することである。

菅氏が再生可能エネルギーに焦点を移したことで、シャープソフトバンクといった企業があらたに大規模な太陽光発電プロジェクトを牽引することになったが、日本にとって、少なくとも中期的には、原子力が不可欠であろう。野田首相は、日本のハイテク輸出には何の悪影響もないと党内や国民を説得しつつ、福島第一原子力発電所のような原発事故を二度と起こさないようにしながら代替エネルギーにも焦点を当てねばならない。

野田首相が受け継いだのは、激しく分裂している民主党である。彼は反小沢派からの支持を得た。しかし、献金スキャンダルでの裁判に直面しているにもかかわらず、小沢氏の影響力はばかにできない。野田首相は小沢派に慎重に対処する必要があるだろう。小沢氏とその支持者が野田首相に対して公然と反旗を翻すことはすぐにはありそうもないが、彼らの大きな影響力は野田首相の方針を掘り崩すことも可能である。

野党が参議院の多数を占める状況は、次の選挙がある2013年までは続く。野党の自民党とその連携相手である公明党は、もし民主党が失政を行うようであれば、自らの政治的目的のためにためわらず法案審議を妨げることだろう。従って、不信任決議によって政局を不安定化しようという脅しは、野田政権を脅かしつづけるだろう。この事実はまた、ひとたびそのような事態が生じれば、政権を救うために民主党内のさまざまな派閥を一致させるという効果を生むかもしれない。

外交

外交面で野田首相が抱えるひとつの課題は、米国との絆を強化することである。民主党が2009年に政権の座に就く前、鳩山由紀夫氏は「等距離」政策によって米国との緊張関係にあり、同盟関係は損なわれることになった。普天間基地の移設問題も、対立の中心点であった。

野田首相は、米国との同盟関係の維持は日本外交の中心課題であると主張してきた。日本は世界第3の経済大国であり、米国にとってはアジアで最も重要な同盟国である。野田首相は、沖縄県北部に普天間基地を移設する2006年の日米合意を支持している。しかし、米国が基地維持のためにさらなる財政負担を日本に求めるようなことがあれば、野田首相は抵抗すると思われる。

日本の隣国に関して言えば、中国との関係を維持することは厳しい課題となるだろう。中国との経済的紐帯が太くなっているにも関わらず―中国は2009年に日本最大の貿易相手となり、2010年の二国間貿易は3000億ドルにも達した―尖閣諸島問題もあって、2010年に両国関係は冷え切ってしまった。

中国は、日本が「中国の『中心的な利益』と正当な開発要求を無視することで、また、隠された動機のために『中国脅威論』をふりまくことで」両国関係を悪化させている、と非難している。

中国は、「中国国民の日本に対する憤りを静めるため、日本の戦時の過去に関する適切な政策を慎重に策定し実施せよ」、そして、「国益を守るための軍の近代化という中国の正当な要求を認めよ」とすぐさま野田首相に対して警告した。

中国は、14人の戦犯を含む250万人の戦没者が奉られている、日本の過去の軍国主義の象徴である神道施設、靖国神社を日本の指導者が参拝することを望んでいない。

保守派を自認する野田首相は、A級戦犯は戦争犯罪人ではないとの見方を最近示して物議を醸した。さらに、8月15日には、日本の首相に靖国神社を参拝しないよう求めることには意味がない、と述べた。首相として彼が靖国参拝をするかどうかはわからないが、中国や韓国との関係をこれ以上悪化させないために、参拝を控えることになるだろう。

中国との相互に利益のある経済関係を守ることも大事だが、政治的な違いが加熱しないようにすることも重要課題である。野田首相にはまた、重要な資源産出国であるオーストラリアとの経済関係を深化させることも求められている。日豪両国は米国の同盟国であり、両国の政治的理解を深めることは、地域問題の対処にも有効であろう。

中国ファクターはアジア諸国を接近させ、インドはこの戦略の中で重要な位置を占めている。インドとの経済関係はまだ深くないが、日本との政治上、安全保障上の関係は悪くない。

包括的経済連携協定(CEPA)とデリー・ムンバイ産業回廊の署名は、今後数年の日印経済関係を大きく変えることになろう。日本の現在の対印政策は継続することになりそうである。野田首相は今年12月に訪印予定である。野田首相はまた、日本の核政策を見直すことになりそうである。なぜなら、原子力なしに日本が生きていくことは難しいからである。インドとの民生原子力協定の交渉は止まったままである。マンモハン・シン首相との首脳会談では、この問題が大きく取り上げられそうである。(原文へ

※ラジャラム・パンダ氏は、ニューデリーの防衛問題分析研究所(IDSA)の上級研究員。この分析の完全版は、9月6日に「IDSAブリーフ」として発表されたものである。

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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中東軍縮会議の開催に不安

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【国連IPS=エリザベス・ウィットマン】

中東の非大量破壊兵器化に関して会議が開かれる予定の2012年まであと4ヶ月。しかし、未だに会議の開催日も、ファシリテーター役も、開催国も決まっていない。

2010年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議において、条約加盟国は、1995年の「中東に関する決議」に従って、中東における生物兵器・化学兵器・核兵器の軍縮について議論する、中東の全諸国を当事者とした会議を開くことに合意した。米国、英国、ロシア、国連事務総長が、会議の開催に向けて準備を進めることも決まった。

 中東諸国と会議準備国双方の政府高官による準備協議が進行中ではあるが、依然として、会議開催国も、ファシリテーターも、開催日も―これらはすべて会議開催に必要なものである―決まっていないことは「きわめて残念です」と話すのは、米英安全保障情報評議会のワシントン支部代表であるアン・ペンケス氏である。

軍備管理協会ダリル・キンボール事務局長も、「会議開催に向けた集中的な協議がたしかに行われている」としているが、一方で、「仮に会議が開かれるとして、関係諸国が、会議を生産的なものにするような内容面よりも、実務面に焦点を当てすぎるのではないか」との懸念を表明している。

会議の実務面の決定に遅れを生じさせている要因は多くあるが、なかでも重要なのは、どの国が会議を主催するのか、誰がファシリテーターになるのかが決まっていないことである。

キンボール事務局長は、中東諸国をすべて一堂に集めること自体、きわめてハードルが高く、たんに会議開催に合意するだけでも「大きな突破口だ」と強調したうえで、「イスラエルとエジプト、イラン、シリア、サウジアラビアが同じ会議室に集い、建設的な会話を交わすというのは、きわめてハードルの高い取り組みです。」とIPSの取材に応じて語った。

部屋の中の象*

イスラエルが核保有を公式宣言していないことは、政治的論議の多くの領域において障害となっている。しかし、議論が軍縮に絡んでくると、ますますこの問題はセンシティブなものとなる。イスラエルは、NPT運用検討会議の最終文書が同国が条約加盟国でないことを名指しで批判したことで、態度を硬化させている。

ペンケス、キンボール両氏によると、その結果、イスラエル政府は、2012年の会議が、イスラエルとその核政策にのみ焦点を当てたものになってしまうのではないかと懸念しているという。

しかし、イスラエルがもし会議に参加するならば、そうした可能性もむしろイスラエルの利益に変わるであろう。キンボール事務局長は、イスラエルが会議に出ること自体、中東におけるイスラエルの評価を高めると考えている。「会議出席によって、イスラエルには、中東の他の国が化学兵器・生物兵器・核兵器の不拡散の義務をはたす必要について指摘する機会が与えられることになるだろう。」と、キンボール事務局長は付加えた。

イスラエルは、中東唯一のNPT非加盟国であり、公式宣言しないまま核を保有しているという事実は広く認められている。一方、シリアとイランはNPT加盟国だが、それぞれ、化学兵器と核兵器開発を進めているものとみられている。

イスラエルが2012年の会議にどれほど関与してくるかは不確実である。かつては、イスラエルだけを非難しないという条件をつけて会議に参加してくる見通しもあった。この点についてキンボール事務局長は、「イスラエルはきわめて用心深く、会議参加への態度を明らかにしてこなかった。」と語った。

しかし、ペンケス氏は、「非大量破壊兵器地帯化を議論することに『オープンな』イスラエルの政府関係者達と話したことがあるが、イスラエルは中東会議に向けた議論のプロセスには関与し続ける意向だった。」と語った。

この点について、イスラエルの国連代表部からのコメントは得られなかった。

中東和平

現在中東の多くの国を席巻している政治的動乱と不確実な状況は、すでに非常に複雑でセンシティブな問題に関する議論を単純化することにはならないようだ。

「近年、軍縮問題はこれらの国々にとって外交課題の首位を占めなくなってきている」とキンボール事務局長は指摘した。結果として、2012年会議の準備は遅れている。

一方ケンぺス氏は、「中東諸国が民衆蜂起の問題に気をとられていたとしても、こうした不確実な状況にあるからこそ軍縮会議を開く必要性、とりわけ、イスラエルがすべての隣国と同じテーブルにつく中東会議を開く重要性はかえって高まっています。」と語った。

またペンケス氏は、「民衆蜂起を理由にして2012年会議への不参加を決める国も出てくるかもしれないが、それを実際に意図している国があるようには思えません。」と語った。

軍縮問題は常に中東の和平プロセスと強く結びついてきた。とりわけ、和平プロセスの重要プレイヤーであるイスラエルにとっては、安全保障がもっとも重要な問題だからである。

かつて国連で兵器査察を行っていたリチャード・バトラー氏は、軍縮は和平プロセスにとって「本来的に重要なもの」だとIPSの取材に電子メールで答えた。

しかし、ペンケス氏によれば、和平プロセスと軍縮の問題を切り離すべきという「強い主張」もあるという。

中東の軍縮と和平プロセスの関係がどのような形をとるのかということは別にしても、どちらの問題も長期にわたる時間と着実なコミットメントを必要とする複雑な問題である。中東の軍縮はわずか1回限りの会議で達成できるものではない。しかし、そうした努力なしには、進歩が得られることはなおさらないだろう。

ペンケス氏は「事態はゆっくりとしか進んでいない。しかし、進んでいることは確かである。」と結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*Elephant in the room: 誰もが認識しているが話したがらない重要な問題

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飢餓との闘いより重視される軍事予算

【ブリュッセルIDN=バドリヤ・カーン】

年間1兆6300億ドルが軍事予算のために使われているときに、人類の6分の1にあたる10億人以上が飢えているとはどういうことだろうか。世界の武器取引の90%以上を占め、自由のモデルを相手の有無を言わさずに世界中で適用しようと試みている米国や西欧諸国は、飢餓を終わらせるために自らの行いを再考しようとは思わないのだろうか。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の調べでは、2010年の世界の軍事支出合計は1兆6300億ドルで、世界金融危機にも関わらず、前年より1.3%伸びている。

 最大の伸び幅を示したのは南米で5.8%増。金額では633億ドルである。この点についてSIPRI軍事費プロジェクト・ラテンアメリカ専門家カリーナ・ソルミラーノ氏は、「南米の大半の国々は現在軍事的脅威に直面しておらず、むしろ緊急に対処すべき様々な社会問題を国内に抱えている中で、このような軍事費の伸びが続いているのは驚きである。」と語った。南米諸国において軍事費が増大した理由と一つとして、近年における力強い経済成長が挙げられる。一方、南米以外の地域は世界的な経済不況の影響から、軍事費の支出を削減、或いは2010年の伸び率を下回っている。

しかし、何といっても世界最大の軍事支出国は米国である。2001年から09年までは平均年間7.4%の伸びを示し、2010年は前年度2.8%増であった。米国の軍事費増加額196億ドルは、世界全体の増加額206億ドルのほとんどを占めている。

「米国の軍事支出は2001年から81%増加しており、これは世界全体の43%、軍事支出で第二位の中国の6倍の規模にあたります。2010年における米国の軍事支出額が国内総生産(GDP)に占める割合は4.8%で、米国は、中東を除けば、軍事費が最も大きな負担となっている国です。」とSIPRI軍事費プロジェクトリーダーのサム・ペルロ・フリーマン博士は語った。

一方欧州は、増大する財政赤字を縮小しようと、各国政府が軍事費削減に努め、前年比2.8%減となった。この傾向は特に経済的により脆弱な中・東欧諸国や、財政危機に直面しているギリシャなどに顕著であった。 
 
アジアでも軟調だった2009年の経済を反映し、軍事費の伸びは前年比1.4%増にとどまった。

中東は前年度比2.5%増の1110億ドルで、最も高い伸びを示したのはサウジアラビアであった。アフリカは5.2%増で、アルジェリア、アンゴラ、ナイジェリアといった産油国が牽引役となっていた。

SIPRIによると、世界の兵器生産企業トップ100社のうち、ほとんどは米国企業である。これに、西欧諸国、ロシア、日本、イスラエル、インド、韓国、シンガポールが続いている。

「アフガニスタン及びイラクにおける戦闘が引き続き、装甲車、無人航空機(UAVs)、ヘリコプター等の軍装備売り上げに大きく貢献している。」とSIPRIは分析している。

こうしてみると、世界の武器取引の実に90%以上が、民主主義、自由、人権の擁護者を自認する米国及び西欧諸国によるものである。まさにこれらの国々こそが、いわゆる「自由のための戦争」をとおして、自由の擁護者たる自らの価値モデルを、組織的に世界に押しつけてきたのである。
 
国連の潘基文事務総長は、2010年4月に開催された軍縮に関する国連総会の会合において、「世界には武器があふれており、他方で開発への資金は足りていません。優先順位を変えるべきです。私たちは(軍事予算から)解放された資金を、気候変動対策や、食の安全保障への取り組み、さらにはミレニアム開発目標の達成のために活用することが可能になるのです。」と語った。

大量破壊兵器の絶え間ない脅威から世界を開放すべきだとする様々な呼びかけがなされている一方で、そうした兵器の大半が米国及び西欧諸国によって絶え間なく日々生産・販売されている現実は、意図的に無視されている。例えばこの現実が意味することは、世界が武器購入に費やす年間1兆6000億ドルの資金があれば、気候変動に伴う災害(その大半は主要な武器製造会社によって引き起こされている)から十分地球を救えるということである。 

また、人類の6人に1人にあたる10億2百万人が恒常的に飢餓に苦しんでおり、一人当たり1.5ドルの支援を1週間継続するだけで、地球上から飢餓を根絶できることも明らかにされている。 

飢えに苦しむ10億の人々を救うのには、年間僅か440億ドルしかかからない。この金額は毎年軍需産業に費やされている1兆6300億ドルからしてみれば、ごく僅かな金額である。

Human Wrong Watchは2011年8月10日付記事の中で、「アフリカの角」地帯(東アフリカ)の最貧困層が直面している惨状を報告している。「豊かな国々の政治家たちが、選挙支援の見返りに地球規模の金融危機を引き起こした或いは深く加担した民間企業や銀行を救済する一方で、旱魃に苦しむ「アフリカの角」地帯では、穀物やミルクの価格が史上最高値を付けた。」と報じている。

国連は、「こうした食糧の記録的な高騰が、ソマリアで厳しい食糧不足と飢饉に直面している1240万人とみられる人々をさらなる苦境に追い込んでいる。」と報告している。

国連食糧農業機関(FAO)によると、穀物の高騰は、干ばつ、燃料価格の高騰など、複合的な要素によるという。

ソマリアでは、最高時の7月よりは落ち着いてきたが、それでも今月は前年比150~200%を記録している。エチオピアでは50~75%増、ジブチでは67%増などを記録している。

世界の軍事支出と飢餓の問題を考える。

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

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米国の覇権を脅かす厳しい試練

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【ブリュッセルIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

2001年9月11日に旅客機が世界貿易センタービルに激突したとき、マシュー・グッドウィン氏はデトロイトの教室でベトナム戦争についての講義を受けていた。

現在は英国の名門シンクタンク英王立国際問題研究所(チャタムハウス)のアソシエイトフェローを勤めているグッドウィン氏は当時を振り返って、「窓の外を見ると、車が道路の真ん中にラジオをつけたまま止まっており、事態の進展を把握しようと多くのアメリカ市民が車を取り囲んでラジオに聞き入っていました。それはまるで映画の一シーンのようでした。しかし、9・11同時多発テロ事件(=9.11事件)の影響は米国国内にとどまらなかったのです。」と語った。

 9・11事件は、概ね国際関係に及ぼした影響(新たな同盟の構築、『テロとの戦い』、対アフガニスタン戦争、イラク進攻を正当化する理由)から語られることが多いが、グッドウィン博士は、同事件の影響は各国の国内政治の分野、とりわけ主に次の3つの現象となって表れたと指摘している。

-西側民主主義国家の市民は以前よりも安全保障問題に関心を持つようになった。

-各国の政党政治が影響を受けた。9・11事件前から欧州各国の極右政党は、移民問題、(差別撤廃による)人種統合政策、法と秩序の問題を巡る一般市民の不安に焦点をあてて支持層を拡大していたが、事件によってさらなる勢いを得た。

-公共政策が影響を受けた。9・11事件を契機に欧州各国の政府は、暴力的な過激思想の防止やムスリムコミュニティー内の過激化傾向にいかに対処するかについて一層真剣に考えざるを得なくなった。

「しかし事件から10年が経過したが、私たちはあらゆる形態の暴力的な過激思想がなぜ人々を引きつけるのか、その正確な原因を理解するにはまだ程遠い位置にいます。おそらくその原因について説得力のある説明ができるようになるには少なくともさらに10年の年月が必要なのかもしれません。」とグッドウィン氏は付加えた。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのマイケル・コックス教授は、「米国がテロリストの攻撃を受けた時…米国の世界における地位は圧倒的で全く脅かすことすら不可能に思えたものでした…しかし10年が経過し、米国の自信は揺らぎ当時とは全体的に異なった国になってしまいました。中国が興隆し多額の米国債務の買い取るまでになっている中で、かつてのように確信をもって米国の覇権について語るものはほとんどいません。」と語った。
 
コックス教授は、チャタムハウスの月刊誌「The World Today」に寄稿したレポートの中で、「ソ連との冷戦に勝利し、建国以来200余りの歴史の中で最も繁栄した10年を謳歌してきた米国は、21世紀を迎えた時、国際関係において各種難題に直面していることは認識していたものの、自国にとって深刻な脅威になるものはないと過信していた。」と記している。

「事実、21世紀初頭においてはこうした楽観論が圧倒的に世論の大勢を占めていたため、冷戦終焉前夜にポール・ケネディ教授のような有識者が米国の衰退は長期的には不可避だと熱心に論じて米国世論が先行きを不安視した一時期があったことさえ思い出すものはほとんどいなかった。ケネディ教授は、(1987年に発表した『大国の興亡』の中で)米国ほどの巨額の財政・貿易赤字を抱え、同時に海外に安全保障上の責任負担を抱えている国が、そのまま世界の覇権を維持しつづけることは不可能であり、地位低下は避けられない、と結論付けた。」

しかしこうした米国衰退論は、ジョージ・W・ブッシュ大統領が2000年にクリントン大統領から政権を引き継いだ時点では、『奇異』に映ったし、事実、9・11事件後の報復措置として米国が莫大な資源を動員し始めた際には、『現実離れしたもの』として受け止められた。

コックス教授は当時の米国の軍事覇権の状況について、「当初評論家たちの反応は、(米国の軍事力が世界を圧倒している現状に)深く感銘しているようであった。あの著名な『衰退論者』であるポール・ケネディ氏でさえ、2002年に発表した論文『舞い降りた鷲』の中で、米国は単なる超大国にとどまらず、一国がこれほど圧倒的な力の優位を持ったことは歴史上類例を見ない、と米国の抜きんでた軍事力の怪物ぶりを驚嘆とともに熱心に描写していた。」と記している。

「当時は、左は批判的なヨーロッパ人から右は米国のネオコンに至るまで、『米国は過去の帝国と同じ道を辿るだろう。ただし1つ明らかな違いは、ポトマック河畔の新ローマ帝国(米国)の場合、衰退はまだ先のことで、繁栄は今後も100年は続くだろう。』という考えに反対するものはほとんどいなかったように思われる。」

もし私たちが9・11事件以来、世界がいかに変貌したかについて十分に理解しようとするならば、コックス教授がいみじくも指摘しているように、このような10年前に米国社会を席巻していた楽観論を今日改めて振り返ってみる価値は十分あるであろう。21世紀初頭、アメリカ人は自信に満ち、政府はあたかも米国に不可能なことはないかのような態度で振る舞った。イラクに侵攻した際も、そうした行動が中東と世界における自らの立場にどのような深刻な影響を及ぼしかねないかということにほとんど注意を払うことさえしなかったそれから10年が経過し、今日の米国はかつての面影をとどめないほど大きく変貌してしまった。

米国が大きく変貌したことを示す明確な兆候は2008年のバラク・オバマ氏の大統領選出である。コックス教授はその背景には、アメリカ国民が、2003年にイラク戦争を引き起こし2007年にはさらに金融危機を招いた2期に亘る共和党政権を、もはや信用しなくなっていた点を指摘している。

「オバマ大統領が公約の全て実現してきたかどうかは、議論の余地のある問題だが、明らかなことは、彼の劇的な登場の背景には、国際社会における米国の立場を回復し再び経済恐慌に突入するのを回避するには、何か思い切った新しいものが必要と考える米国民の切実な危機意識があった。」

「しかし増え続けるアフガニスタン及びイラクにおける米兵の死傷者、こうした戦争を遂行するために要する膨大な経済負担、『テロとの戦争』遂行のために用いられた手段が米国の依って立つ信念そのものを危うくしかねないなどの現実に直面して、多くのアメリカ人は自尊心を傷つけられるとともに、米国の国際社会における役割についても、次第にその意義を見出せなくなってきている。」とコックス教授は記している。

「世界がもはや意図する方向に向かっていないとアメリカ人に自覚させたものは経済危機が米国の生活様式に及ぼした影響であった。2011年に実施された世論調査では自分の子ども達の世代は自らの世代より生活レベルが向上するだろうと考えていたアメリカ国民は全体の僅か4分の1に過ぎなかった。またアメリカ国民は、国際社会を席巻している変革は、身の回りで起こっている出来事に対処する能力を急速に阻害していると強く感じている。」とコックス教授は語った。

コックス教授は、「近年、次の世紀はアジアの世紀だとか、覇権の中心が西から東へ移動しているなどの議論が数多く行われてきたが、ゴールドマンサックスのジム・オニール氏のような経済学者が少し前に指摘しているように、米国が中東やアフガニスタンのタリバンに対して戦争を仕掛けている間に、いわゆるBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)とよばれる新興諸国は、高い経済成長を実現した他、新たなパートナーシップを構築し、米国や欧州同盟諸国よりいち早く経済危機から抜け出すことに成功した。」と結論付けた。

一方ジェイソン・バーク氏は、異なった視点から、「9・11事件から10年が経過し、上層部の指導力、支部組織のネットワーク、幅広いイデオロギーのいずれについてもアルカイダによる脅威は弱まっている。」と主張している。

9月に出版された「The 9/11 Wars」の著者でガーディアンとザ・オブザーバーの南アジア特派員であるバーク氏は、アフガニスタンのカブール郊外に車で出かけ、タリバンによって多くの貴重な彫刻が破壊された博物館や同じく無残に破壊された旧王宮を通過し、轍のついた道伝いに進んでリシュコール村を訪れるようアドバイスしている。

「元アフガニスタン大統領(ムハンマド・ダーウード)の名前にちなんだ『ダーウードの庭』として知られる森林の中の空き地と小川を超えると古いアフガン軍の基地にたどり着く。10年前の2001年の夏、ここはパキスタン人及びアラブ人ボランティアに軍事基礎訓練を施しタリバンとともに戦うために新兵を前線に送り出す軍事拠点であった。またここは同時に、アルカイダが選別したテロリストに、都市攻撃の技術を指導する小規模の特別訓練施設が置かれた場所でもあった。」とバーク氏は記している。

現在、リシュコール村は、米軍特別部隊がアフガニスタン国軍特殊部隊に軍事訓練を施す場となっている。一方、『ダーウードの庭』は少なくとも週末にはピクニックに訪れる家族連れで賑わっている、とバーク氏は報告している。

バーク氏は、2011年5月にパキスタン北部のアボタバートで米特殊部隊がオサマ・ビンラディン(同地に最大6年間隠れていたとみられる)を殺害した事件は、「ビンラディンが率いてきた過激派組織を新たに発展させる契機となったのではなく、長年に亘る同組織の衰退傾向に終止符を打つ契機となった。」と確信している。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【東京IDN=高村正彦】

東日本大震災からまもない、悲惨な爪痕が未だ至る所で感じられた時期に、米国のローレンス・サマーズ前米国家経済会議(NEC)委員長が「日本は今後、坂道を転がり落ちるように貧しい国になっていくであろう」とコメントしたと聞きました。

サマーズ氏がどのような根拠でそのような結論に至ったのか分かりませんが、私は、そんなことは絶対にないと思います。日本は必ず、再び昇る太陽のように、この惨事から復活すると確信しています。

66年前、日本は第二次世界大戦で敗北しました。約300万人の方々が亡くなり、主要都市はほとんど焼け野原になりました。当時私は子供でしたが、「日本は四等国になったんだ」という話を聞かされたことを覚えています。しかし世界中の多くの人々が「日本はもうだめだろう」と思った中で、日本は立ち上がって、立派に復興を成し遂げました。

 日本という国はピンチに強いんだと思います。よくも悪くも、日本人というのは同じ方向に走り出す傾向があります。ピンチには最悪の状態から走り出すわけですから、みんな、いい方向へ走り出すのだと思います。

キリスト教なき資本主義
 
約100年前に、マックス・ウェーバーが、「資本主義というものは、資本の蓄積と技術革新があれば、それだけで成立するものではない。『資本主義の精神』というものが必要であり、それがないところで資本主義を実践しようとすれば、市場は単なる博打場になってしまうだろう。」と述べています。

「資本主義の精神」というのは何か。マックス・ウェーバーは、「それは『正直に勤勉に働くことが、神の御心に叶う』と説くプロテスタントの精神であり、こういう気持ちがまさに資本主義の精神である。」と述べています。

なぜ日本の場合、資本主義の精神(=プロテスタントの精神)がなくて、資本主義が成功したのかと言えば、日本には日本なりの資本主義の精神があったのだと思います。江戸時代(1603年~1867年)の初期に、日本では既に、「働くこと自体を尊きこと」とみなし、儲けを第一義としない「商人道」というものが成立していたと言われています。

日本は、「商人道」という「資本主義の精神」に相当する精神的背景を得て、キリスト教国以外で初めて資本主義を成功させ、敗戦から僅か23年で世界第2位の経済大国になることができたのです。

しかし、成功してしまうと、今度は日本社会にある変化が起きました。いつの間にか、その「商人道」は薄れて、儲けそのものが目的になってしまったのです。当時批評家の中には、そうした日本の姿を例えて「モノで栄えて、心で滅ぶ国だ」と批判する人たちもいました。

儲けそのものが目的になると、人々は額に汗してモノをつくるよりも、お金を右から左に動かしたほうが手っ取り早いと考えるようになりました。その結果、本来、産業の僕(しもべ)であるべき金融が、産業を僕にしてしまったのです。

職業の道徳原理が「儲け」優先主義に取って代わられた事例として、「建築物の安全基準を無視して(経費がかかる)鉄筋を抜きとる耐震偽装問題」や、「商品の産地を偽って消費者に高く売りつけようとする産地偽装」があります。

そのような偽装事件が起これば、当局は規制を強めざるを得ません。すると市場に悪影響を及ぼし、資本主義が機能不全に陥ってしまいます。その結果、心で滅ぶと、モノだけでは繁栄を維持できなくなるのです。そして、近年そうした建築・産地偽装にまつわるスキャンダルがおこり、段々おかしくなってきたところに、大震災が日本を襲ったのです。

しかし、日本は必ずまた立ち上がります。世界中の人々は、大震災後、食物の奪い合いもおこらず、被災者が助け合いながら、秩序正しく活動していることに驚いています。中国や韓国でも「日本を見習うべきではないか」という声が出てきているのです。

懸念

ただし、だからといって今後の日本について心配がないわけではありません。「国民はいいが、政治がだめだ」ということです。「そう言うお前も政治家の端くれとして、今日の政治状況を招いた責任があるだろう。」と言われれば、全くそのとおりです。しかし、これをどうするかというのは、大きな問題だろうと思います。

菅直人前首相(8月26日に辞任)はかつて、「国務大臣になるということは、一般国民を代表して、官僚組織が悪いことをしないように見張るために大臣になるのだ。」と語ったことがあります。

今度の大震災についても、こうした政治問題が表面化しました。例えば、私は、外国の大使館の人と付き合う機会が多いのですが、大震災の直後の日本政府とのやり取りについて質問を受ける機会が度々ありました。つまり今回の大震災に際しても、各国の大使館は日本政府に支援の申し出をしたのです。彼らの話によれば、1995年に勃発した阪神大震災の際にも、同様の支援を申し出たのだが、当時の日本政府(当時は自民党が与党政権)は大体2・3日で各々の申し出に対する返事を返してきたと言うのです。

しかし今回は、申し出をしてから3・4週間経過しても(菅直人政権の)日本政府からなんの返事も帰ってこなかったと口々に不平を言うのです。当然ながら、彼らの批判の矛先は窓口となった官僚に向けられました。

そうすると、担当の官僚たちは、「支援の申し出は、全部リストにして上層部に上げているが、政治家から返事が返ってこない。」と弁明したそうです。そこで大使館員が、「単にリストを作成して上げるのではなくあなたたち官僚は専門家なのだから、優先順位を付けて上げれば、(政治家から)もっと早く回答が帰ってくるのではないか。」と提案したところ、「残念ながら、もしそんなことをしたら、政治家から『余計なことをするな』と怒られてしまいます。」と言っていたそうです。

また大震災/大津波のあと、深刻なロジスティックな問題が持ち上がりました。つまり被災地のガソリンスタンドにガソリンが届かないことから、車の使用が困難となり、被災者の方たちが食糧調達できない、あるいは他の地域から被災者に食糧を届けようと思っても届けられないという事態が起こっていました。従って、被災地のガソリンスタンドにどのようにしてガソリンを届けるかが、石油業界にとって大きな問題となりました。しかしほとんどの道路は瓦礫で寸断されタンクローリーが入れない状態でした。そこで検討した結果、小型車にドラム缶を積んで届ける以外に方策はないという結論に達したそうです。

石油業界の人たちはこの結論をもって総理官邸を訪問し、現行の法律では認められていないドラム缶によるガソリン輸送について非常時における特別措置として許可してもらいたいと訴えたそうです。しかし、総理官邸からの回答は、規則違反になるので許可できないというものでした。

その2・3日後、彼らはどうしても、それ以外に届ける術がないということで、再度総理官邸に赴き、今回は石油業界のある責任者の方が「事故が起こったら、私がすべて責任をとるからやらせてください。」と言って再度特別許可を求めたそうです。すると総理官邸の回答は一転しで、「そうか、あなたが責任をとるのか。それなら、やってくれ」と言われたそうです。

菅直人政権は震災後、復興に関係する会議を20もつくっています。しかし20もつくると、権限、役割分担の境が分かりにくくなってしまいます。中には、民間の委員が会議に入って、1時間半か2時間会議をやって、何も決まらないというケースも耳にしています。

広がる官僚的形式主義

菅政権と東京電力は共同で「統合対策本部」というものをつくりました。それで、(福島第一原発事故を収拾するための)工程表が完成すると、統合対策本部ができているにもかかわらず、東京電力が記者会見を開き、「その工程表は東京電力が作成した」と発表したのです。
 
 また「福島第一原発にたまっている放射能に汚染された水を浄化する装置をつくる」という発表をした際も、具体的に説明したのは東京電力の人でした。統合対策本部の事務局長である総理補佐官も同席していたので、私は彼が、「政府は東京電力と一緒に責任を負う」という話をすると思っていました。ところが、その総理補佐官は終始無言をとおし、記者会見の最後になって、「これは政府が強く迫って、東京電力にやらせたものです」とだけ発言したのです。つまり、それが成功すれば政府の手柄、失敗したら東京電力の責任、と言わんばかりの発表の仕方をして、本当にそれでいいのかと疑問に思いました。

さらにひどいのは、事故初期にとられたとされる原発への海水注入についての説明内容です。いまなお真実は藪の中ではっきりとしたことは分かりません。東京電力が海水を自ら注入していたが途中で作業を停止したという説明です。はたして海水注入の中断は菅総理の指示によるものだったのか、それとも菅総理の考えを東京電力の人が忖度(そんたく)して、現場に止めさせたのか、そこは、わかりません。

しかし「東京電力は海水を入れると廃炉になってしまうから、営利会社として入れるのをためらっていた。それを菅総理が強い指導力を発揮して、海水を入れさせた」という、政府が2カ月間流し続けていた情報が、全くデタラメだったということは、間違いない事実です。

福島第一原発事故が発生して以来、東京電力には多くの問題が持ち上がっていたことから、東京電力を悪役に据えることは容易だと思います。しかしだからといって政府がこのような発表をするのは間違っていると思います。政府と東京電力の関係とは、たとえ政府が、全ての問題の責任を東京電力のせいにしたとしても、東京電力は、それを「違います」と言えない関係なのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan

高村正彦氏は、法務大臣(第70・71代)、防衛大臣(第3代)、外務大臣(第126代・140代)を歴任。本記事は、IPS Japanと尾崎行雄記念財団の共同プロジェクトの第一弾で、政経懇話会における高村氏の講演(5月26日開催)を元に作成したものである。
 
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ベルリン・ブランデンブルグ交通・物流協会を取材

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Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.

2011年9月8日、東京都トラック協会(TTA)の代表団は、ラメシュ・ジャウラ国際協力評議会会長(IPSドイツ代表)の協力を得て、ドイツにある「ベルリン・ブランデンブルグ交通・物流協会(VVL:Verband Verkehr und Logistik Berlin und Brandenburge.V.)」を訪問し、ドイツ・ユーロ圏の物流事情のヒアリングと東ト協から『グリーン・エコプロジェクト』の取り組みを説明し、情報交換をおこなった。IPS Japanからは浅霧勝浩マルチメディアディレクターが代表団一行に同行取材し、ドキュメンタリーを制作した。

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「第1回低炭素地球サミット」(中国大連市)を取材

社会変化を引き起こす都市暴動

【シカゴIDN=キーアンガ=ヤマタ・テイラー】

ロンドンを初めとして英国中を席巻している都市暴動は、カイロからリスボン、サンチアゴからマディソンまでを覆っている世界的な蜂起の一部分であり、すでに弱められていた公的部門の最後の部分を破壊しようという新自由主義に対して立ち上がったものである。

ロンドンの蜂起は、公的部門縮減の悪影響が有色人種の若者にいかに不平等に降りかかってくるかを示している。あらゆる立場の政治家が暴動参加者を犯罪者呼ばわりし、メディアが略奪と混乱を描く中で問われなければならないことは、「なぜ彼らは自分たちのコミュニティを焼き打つのだろうか?」ということだ。

 その問いに答えるには、1960年代のアメリカの都市暴動の歴史を振り返ってみる必要があるだろう。

1960年代半ば、多くのアフリカ系アメリカ人が、人種差別と警察の人権侵害に対して、全米で立ち上がった。当時なんらかの形でそうした抗議活動に参加した人数は50万人を超えると見られているが、この数値はベトナム戦争に従軍した米兵の総数(553,000人)とほぼ同じである。

デトロイト、タンパ、ヒューストン、シカゴ、フィラデルフィア、プラットヴィル(アラバマ州)という全く背景の異なる全米の諸都市で、蜂起に参加した人々は、米国の民主主義や社会全般に関する基本的な問題を提起した。

事実、こうした蜂起は一時的な不満の爆発に止まらず継続的な現象として全米各地に広がりを見せたことから、ついには連邦政府も政策の転換を余儀なくさせられたのである。その結果、従来は周辺的な政治課題だった都市問題(住宅不足、警察の横暴、教育、失業問題等)を、当時のリンドン・ジョンソン大統領が「国家のもっとも緊急な課題」と位置づけるようになった。

従って、議論の余地はあるが、1960年代の都市暴動は同年代で最も重要な政治イベントとなった。60年代の初めにはわずか6億ドルだった住宅・都市関連予算は、その終わりには30億ドルにまで膨らんだ。住宅・都市開発省も設置された。

このような成果にもかかわらず、現在も依然として、民衆蜂起の経験は否定的なものとして描かれることが少なくない。

たとえば、『デトロイト・フリー・プレス』紙に対する2007年のある投書はこう書いている。

「1967年の長く暑い夏から40年がたった。しかし、その1週間の影響は依然として残っている。すでに始まっていた白人の逃避の流れは洪水のごとくになり、デトロイトは全米でもっとも人種隔離的な都市になってしまった。家々や事務所が焼き打たれたという事実が、暴動の経験として人々の頭の中に残っている。今日、それらの建物のほとんどが壊された。しかし、土地は依然として空き地のままである。」

今日の貧困状況は直接的に60年代の出来事に結び付けられ、都市の衰退を招いた本当の理由(その後40年間の公共政策の貧しさ)は無視されている。

さらに言えば、こうした認識のあり方は、同じく60年代に起こった公民権運動が非暴力的で統制の取れたものであったとの見方と対を成している。

多くの人びとは、「60年代の都市暴動はよいものか、悪いものか」という認識パターンにとらわれているようだ。しかし、それは、民衆蜂起が当時の政治的言説に与えたダイナミズムを低く見るものだ。アフリカ系アメリカ人たちの蜂起は、長らく「見えないもの」とされてきた彼らによる、政治的討議の場への「強引な入場」といえるだろう。

そこで今の英国に戻ってみる。この国において、最後に人種主義や貧困が語られたのはいつのことだろうか。ロンドン暴動の後、この種の議論が世界中で巻き起こることになった。数週間前なら考えられなかったことだ。

もちろん、暴動は長続きしない。アドレナリンは消え、いつかは国家の政治の中に回収されていく。立ち上がった者たちの生活に本当の変化をもたらすためにさらに必要とされているのは、戦略と政治、そして組織化である。(原文へ

※キーアンガ=ヤマタ・テイラーは、『国際社会主義者レビュー』誌の編集委員。

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩