ホーム ブログ ページ 254

│インド│「英語の女神」に目を向けるダリット

【ニューデリーIPS=ランジット・デブラジ】

数百年にも及ぶカースト制度の差別から逃れるため、インドのダリットが「英語の女神」に目を向けている。

「壊れた人々」を意味する被差別階級のダリットが、ウッタル・プラデシュ州(人口1億9000万人)ラキンプール・ケリに新しい寺院の建設を始めた。そこに建立される女神は、その姿がニューヨークの自由の女神によく似ている。ただし、手に持っているのは松明ではない。右手にはペン、左手には本を抱えている。

その上、ヒンズーの神は通常、蓮(ハス)の台座に立っていることが多いのだが、この女神はコンピューターの端末の上に立っている。ダリットが加わりたいと願う技術時代の象徴である。それは、ダリットを不可触賤民として特定の職業を強制、差別してきた遺制からの離脱を意味している。

Thomas Babington Macaulay, 1st Baron Macaulay by the French photographer Antoine Claudet, Public Domain

寺院の最高位の聖職者でダリット出身の知識人として著名なチャンドラ・バーン・プラサッド氏は、「ウッタル・プラデシュ州のバラモン(カーストの最高位)は英語を敵視するという過ちを犯してきました。ヒンズー語偏重の国家主義的政策を進めたためにバラモン階級自身が時代から取り残されてしまったのです。私達ダリットはこの失敗を繰り返さない決意をしています。インドが国際化していく中で、ダリットに限らず時代から取り残されないでいくための唯一の方法は英語を身に着けることに他ならないのです。」とIPSの取材に応じて語った。

インドでは学校での英語学習を選択制にしてきた州では、必修の州よりも子どもたちの学力レベルが落ちるという。「それが、(カルナタカ州の州都)バンガロールが情報技術の国際的ハブになれても、(ウッタル・プラデシュの州都)ラクナウがそうはなれない理由なのです。」とプラサッド氏は語った。

プラサッド氏は、19世紀に英国からインドに赴任して英語教育の普及に多大な功績を遺した政治家トーマス・バビントン・マコーリー氏に影響を受けていると公言している。マコーリー氏はインド人の英国人化を企図して1854年にインドに英語を導入した人物で、当時次のように述べている。「英語教育を受けたヒンズー教徒は誰しもヒンズー教の教えに縛られ続けることはないだろう。我々の英語教育計画が実施されれば30年後には(英国風の知性と教養を身に着けた)インド人社会層において偶像崇拝者はいなくなるだろう。」このようなマコーリー氏の教育政策は、後世のヒンズー至上主義者のかっこうの批判の対象となっている。

しかしプラサッド氏は、「マコーリー氏の教育政策はそれまで上級カーストに独占されてきたサンスクリット語による伝統的な学習制度を解体し、新たにダリットに対して教育の門戸を開放するものだったのです。」と語った。

「イギリスが英語で授業を行う学校をインドに開設したとき、当初ダリットは上位カーストによって入校を阻まれました。それで、植民地政府は、カーストや信条、性別、宗教によって入校を拒否してはいけないとの命令を発さねばならなかったのです。またマコーリー卿は、すべてのインド人の平等な取り扱いを定めたインド刑法を起草した人物でもありました。」と語るプラサッド氏は、インド社会に革命をもたらした政治家の誕生日である10月25日を毎年祝っている。

それとは対照的に、ヒンズー至上主義者達は彼らの伝統格式を共有しないインド人を侮蔑の意味を込めて「マコーリーチルドレン」と呼んでいる。

「マコーリーチルドレン」の中でも最も著名な人物が、ダリット出身でコロンビア大学とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学位を取得したビームラーオ・ラームジー・アンベードカル氏(1891~56年)である。

1949年のインド憲法の起草者として同国の歴史に偉大な足跡を残したアンベードカル氏は、「英語は雌ライオンの乳」と呼び、出身を同じくするダリットに対して、自らを開放する手段として英語学習とその使用を強く勧めた最初の人物である。

アンベードカル氏が起草したインド憲法は、信仰の自由を保障しあらゆる形態の差別を非合法化するとともに、ダリットと下級カーストに対して教育、公的雇用、議会議席数の三分野において一定の優先枠留保制度(Reservation system)を与えている。

プラサッド氏は、「しかしこうした憲法の規定にも関わらず12億のインド人口の16%を占めるダリットは、今日でも様々な差別に晒されていいます。例えばインドの多くの地域においてダリットはインズー寺院への立ち入りを許されていません。だから私たちは『英語の女神』を祭るダリット自身のための寺院を設立する計画を立てているのです。これらの寺院ではすべての社会階層の人々の参拝を歓迎します。」と語った。

「プラサッド氏は、まさにインドの伝統である柔軟性と順応性に根差したアイデアをもとに『英語の女神』という構想を思いついたわけです。」とインドの著名な文化社会学者でネルー大学名誉教授のヨジェンドラ・シン氏は語った。

「プラサッド氏は『英語の女神』構想を通じて、彼がインドの歴史とインド社会のエートスでもある『現在を過去に見いだす無限の能力(この場合、『英語の女神』は新しい試みだが、インド伝統の宗教的慣習である偶像崇拝をうまく利用したもの)』に対して深く理解していることを示しました。」と「インドの伝統の近代化」の著者でもあるシン教授は語った。

同様の手法は、ウッタル・プラデシュ州のマヤワティ・ダリット問題担当相の政策にも見いだすことができるかもしれない。同担当相は、各方面からの批判を顧みることなく、公金を使ってハンドバック(ほどんどのインド人にとって女性の近代化と力を象徴するアイテム)を手に抱えた彼女自身の銅像を同州の各地に立てているのである。

シン教授は、「たとえプラサッド氏が進めているインド各地に「英語の女神」を祭る寺院を建設する計画がとん挫したとしても、英語を学ぶことは意味があるというメッセージはインド社会に広く伝わるだろう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

「完全なる嵐」が起こした2007~08年の食料危機

【ワシントンIPS=マシュー・バーガー】

現在の食料価格の上昇はまだ危機のレベルには達していないが、価格は今後も乱高下をつづけると研究者はみている。

この研究をまとめたのは、国際食料政策研究所のデレク・ヒーデイ研究員ら。2007~08年の食料危機の原因をさぐった研究だ。

それによれば、食料危機を起こしたのは、さまざまな要因が重なった「完全なる嵐」(perfect storm)だという。エネルギー価格の上昇、バイオ燃料需要の拡大、ドル価値の低下、消費者パニック、輸出制限、天候不順などの原因が折り重なっている。

 他方で、インド・中国における需要の拡大、作物生産の減少、穀物備蓄の減少、先物市場における投資といった要因については、否定している。

2008年夏に食料価格がもっとも高騰したのち、世界で飢餓に苦しむ人々は2009年に史上最高の10億人を超えた。国連世界食糧計画(WFP)の推計によると、今年は、9億2500万人が慢性的な飢餓状態にあるとみられる。

国連食糧農業機関(FAO)は、11月17日、今年の世界の穀物生産は前年比2%減と予想されることを発表した(従前の予想は1.2%増)。

6月以来、小麦価格は60%、トウモロコシは50%上昇しているが、国際食料政策研究所のシェンゲン・ファン所長は、これによって「危機」が訪れたとはまだみなせないと話す。なぜなら、食糧備蓄量が以前よりも多くなっているからだ。

バイオ燃料の登場以来、エネルギー価格が食料価格に与える影響が大きくなっている。ファン氏は、バイオ燃料は気候変動の解決策にならないため、それに補助金を費やすことはやめるべきだという立場である。

食料価格上昇の動向と原因について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

新START推進派が切る「イランカード」

0

【ワシントンIPS=バーバラ・スラビン】

米露間の新戦略兵器削減条約(新START)に対する支持獲得のためにオバマ政権が展開している議論の中で、共和党にもっとも受けるのは、イランをからめたものであろう。

ゲーリー・サモア大統領補佐官(核不拡散担当)は、11月18日、イランと新STARTとの関連について、「米議会のレームダック・セッション(中間選挙後から来年1月の新会期までの残りの会期)において新STARTを批准することができないならば、イランの核開発に対する『連合を弱める』、とりわけ『ロシアとの連携を保つ』点に関して深刻な結果を招きかねない」と語った。

 大方の予想に反して、ロシアはイランに対して対抗的であった。昨夏には、国連安保理でイランに対する厳しい制裁決議に賛成し、米国あるいはイスラエルによる核施設攻撃を抑止するためにイランが導入を狙っていた防空システム「S-300」の売却をとりやめた。

米露関係の「リセット」において大きな目玉ともいえる新STARTを上院が批准しないなら、この連携は危機に陥るとする点で多くの専門家は一致している。ジョージ・メイソン大学(バージニア州)のロシア専門家マーク・カッツ氏は、ロシアが防空システム売却を中止したことは、米上院がSTARTに関して「正しい結論に達するようになされた妥協」だとみている。

かつて軍備管理交渉に関わり、現在は、核兵器なき世界を目指すグループ「グローバル・ゼロ」の議長であるリチャード・バート氏は、11月17日、「ニューズ・アワー」でジム・レーラー氏にこう語っている。「新STARTの批准を避けたい国が世界で二つだけある。それは、イラン政府と北朝鮮政府だ」。

新STARTは米露の核弾頭数を1550発、運搬手段を800にまで制限するものだが、これはごく控えめな削減に過ぎない。今週、条約批准には黄色信号が灯った。共和党を代表して新START問題に関してオバマ政権と協議を行っているジョン・カイル上院議員(アリゾナ州)が、今会期中に上院で条約案を投票に付すかどうかについて、否定的な発言をしたのである。

早期に条約を通過させるべきだと主張している共和党議員は、外交委員会のリチャード・ルーガー筆頭理事(インディアナ州)だけである。条約批准に必要な67票を得るには、オバマ政権は8人の共和党議員の支持を必要としている。

民主党は、共和党はオバマ再選の見通しをつぶしにかかっていると非難している。ニクソン・センターにおいて講演したサモア補佐官は、「問題はより大きなものであり、条約は米国のリーダーシップの重要なシンボルとなった」と語った。

共和党の上院院内幹事に再度選ばれたばかりのカイル議員を含め、共和党議員に対する説得工作が続いている。

ブッシュ政権において国務次官補(不拡散担当)を務めたステファン・ラドメーカー氏によれば、カイル議員は条約に「反対だとは言っていない」が、核兵器の近代化を進めるためにさらなる予算が必要と述べたという。オバマ政権はすでに、核兵器関連で10年間で850億ドルの予算を認めている。しかし、サモア補佐官によれば、上院が条約を批准しないとこの予算も危うくなるという。

過去には新STARTを批判していた共和党のラドメーカー氏も、イランに関する国際的なコンセンサスが弱まりそうな状況の中、新STARTを支持すべきだと考えるようになったという。

「もし私が上院議員だったら、なんとかして条約に賛成投票をしようとするだろう」とラドメーカー氏は言う。しかし、後に彼はこうも言っている。「条約の問題点をできるだけ多く改善するために、助言や同意の決議にあるよりも、もっと多くの条件や明確化を私なら望むだろう」。

サモア補佐官は、イランは、核不拡散問題に関しては、オバマ政権にとっての優先順位が高いと強調した。イランは核兵器開発を否定しているが、サモア補佐官は、「それこそがイランの目標であると見て間違いない。イランは(国際的な核不拡散体制に)侵食するがんのようだ」と語った。

オバマ政権は、イランへの制裁と国際社会でのさらなる孤立によって、イラン核開発のペースを緩め、核開発への意味ある制限について交渉を進めることができるという立場だ。新しい交渉は12月5日にも始まるものと見られているが、イランは、交渉の場所についても、まだ約していない。イラン政府はトルコを示唆してきたが、サモア補佐官は、トルコは国連安保理決議でイラン制裁に反対しており、「中立的な会場とはいえない」から、トルコはありえないだろうとみている。

サモア補佐官は、「イランがナタンツの施設に貯蔵している低濃縮ウランのための医療用アイソトープを生産する原子炉と引き換えに、イランに対して燃料を提供するという1年越しの提案を、米国とその同盟国は見直そうとしている。」「米国は、国連安保理決議に従ったウラン濃縮の完全な一時停止にイランが合意することを、かたくなに主張している。ただし、濃縮の一時停止はあくまで短期間だけとなるかもしれない」と語った。

一時停止の実施期間、そして「どのような条件の下で一時停止を中止するか」が、交渉のポイントなるだろうと。サモア補佐官は語った。

イランは、核不拡散条約(NPT)の署名国として、イランにはウランを濃縮する権利があると主張している。

サモア氏は、イランの核問題を解決する手段として、イスラエルがその核態勢を公にすべきだという提案を否定した。サモア氏は「イスラエルはNPTの加盟国でない」と指摘した上で、「イランはNPT体制内部において破壊工作を行っている」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事:
|軍縮|核実験禁止まで、あと一歩(トートCTBTO準備委員会事務局長インタビュー)
米国でイスラエル擁護派が跳梁

|軍縮|核実験禁止まで、あと一歩(トートCTBTO準備委員会事務局長インタビュー)

【ベルリン・ウィーンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

世界の約190ヶ国は、1996年に国連総会で採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効がきわめて重要な意味を持っていることを理解してくれていることだろう。CTBTとは、軍事目的であれ民生目的であれ、あらゆる環境において核爆発実験を行うことを禁じた条約である。

CTBTはいまだ発効していないが、すでに153ヶ国が批准し、世界のほとんどの国である182ヶ国が署名を済ませている。包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会事務局長のティボル・トート氏(ハンガリー出身)は、「条約の発効は次に当然に取るべきステップであり、政治的なリーダーシップがあれば、ほぼ確実に手中に収めうるものだ」と語った。

批准を済ませていない国のひとつが米国である。しかしトート氏は、「条約発効のために批准が必要とされている44ヶ国が主導権を発揮し、『米国の批准待ち』を自らが批准しない理由にすべきではない」という。

 トート氏とCTBTOのスタッフらは、1997年にウィーンで同機構が創設されて以来、人目に付かないところで、条約への支持を広め信頼性の高い検証システムを構築すべく、努力してきた。

「検証システムの有効性はすでに証明されている」とトート氏はIDNのラメシュ・ラウラへの独占インタビューで語った。北朝鮮が2006年10月に核実験を行った際、CTBT加盟国は、実験後わずか2時間で、実験のマグニチュード・場所・深さ・時間に関する情報をえた。2009年5月の実験でも同様であった。

以下は、トート氏への電子メールインタビューの内容である。

Q:1996年にCTBTO準備委員会が創設されて以来最大の事件は何でしょうか。失敗事例というより成功、あるいはその逆でもかまわないのですが。

トート:今日の時点でCTBTの批准国は153で、署名国は世界のほぼ全体をカバーする182ヶ国です。10年前には、批准国51・署名国155で、監視ステーションはひとつも認証されていませんでした。今日、世界中のあらゆる地点において、核爆発を検知すべく約250のステーションが機能しています。条約が政治的逆風状態にあるなかでこうした成果をあげていることが重要です。各国が現実論としてこの条約を支持し、実際にCTBTを普遍的な規範として打ち立てたのです。

今日の政治的状況はずいぶん変わりました。近年の多くの重要会議において、多国間主義は過去のなごりではなくなり、CTBTへの支持がより広く拡大していっています。昨年のCTBT発効促進会議は、103ヶ国の参加という前例のない規模でした。

同会議は、条約の発効に向けて、依然として署名・批准していない国に条約加盟を強く求める最終宣言を全会一致で採択しました。米国、中国、エジプト、インドネシア、イラン、イスラエルといった、署名はしているが批准を済ませていない国が、他の批准国とともにこの決議に賛成しました。また、昨年の国連第一委員会では、圧倒的多数の国がCTBTへの支持を決議しました。さらに最近では、条約発効促進のための第5回閣僚会議において出された声明に70ヶ国以上が賛同しています。

CTBTO準備委員会の構築した検証システムは80%程度は完成していると思います。検証システムの有効性はすでに証明されている、ということです。残念ながら北朝鮮が2006年10月に核実験を行ったのですが、CTBT加盟国は、実験後わずか2時間で、実験のマグニチュード・場所・深さ・時間に関する情報を得たのです。世界で24ヶ所のステーションが実験を検知しました。2009年5月には、前回よりもやや大きい規模の実験だったのですが、世界61ヶ所で検知しました。

CTBTOのデータは、災害を軽減し、民間・科学利用の面でも利益をもたらしています。たとえば、2005年以来、CTBTOは太平洋・インド洋の津波警戒センターに直接データを提供しています。これによって各センターの能力は高まりました。津波を発生させる地震を察知し、被害の及ぶ危険性のある地域に警戒宣言を発して避難をたすけているのです。これが、科学的研究を日常生活の必要に応用する多くのやり方のひとつなのです。

前向きの推進力

Q:オバマ大統領が2009年4月にプラハで行った有名な演説によって、あなたの任務は容易になったといえるでしょうか。あるいは、核軍縮・核廃絶という大海への一滴に過ぎないということでしょうか。
 
トート:プラハ演説だけではなくその他のさまざまな場所において表明されているオバマ政権のCTBT支持は、条約の発効実現に向けて積極的な動きを確かに作り出しています。核技術を持った44ヶ国(いわゆる「付属書2諸国」)のうちまだ条約批准を済ませていない9ヶ国のなかのひとつとして、米国による批准の重要性は強調してもしすぎることはありません。

とは言いながら、条約発効のために批准が必要とされている44ヶ国が主導権を発揮し、『米国の批准待ち』を自国が批准しない理由にすべきではありません。インドネシアが5月にCTBT批准プロセスを開始すると発表したことは、正しい方向へのステップのひとつだと言えましょう。残りの「付属書2諸国」には、CTBTに対する特別の責任がありますが、すべての国家に関して、署名と批准を済ませることが条約発効への重要な推進力になると考えています。

Q:予測しうる将来において核兵器なき世界を実現するという点に関して、現在の状況をどうみていらっしゃいますか。

トート:核軍縮と完全廃絶に関しては、今日あらたに楽観的な考えが出てきていると思います。5月に行われた2010年NPT運用検討会議は、2005年の失敗を乗り越えて、この多国間の軍縮プロセスにあらたな命を与えました。約190の加盟国が、最終文書において、CTBTの発効が核軍縮・核不拡散体制の中心的要素のひとつであるとあらためて認めたのです。

CTBTの発効は、核実験に対する法的な障壁を設けて、核保有国による新型核兵器の質的改善や開発を妨げることによって、世界から核兵器をなくすという世界的な努力における一里塚となることでしょう。さらに、これから核兵器を持とうとする国が開発計画を進める途上で技術的・科学的確信を打ち立てて行くうえで核実験は欠かせないものですから、CTBTは核不拡散の面でも重要な制度だといえます。条約の発効は次に当然に取るべきステップであり、政治的なリーダーシップがあれば、ほぼ確実に手中に収めうるものです。

市民社会の役割は不可欠

Q:NGOや市民団体との関係をどのようにみていますか。

トート:世界の市民と市民社会がそれぞれの政府と議会に圧力をかけて約束を果たすように求めていくうえで果たす役割は、CTBT発効に向けて不可欠のものです。いくつか例を挙げると、核実験禁止国際キャンペーンやネバダ・セミパラチンスク運動、太平洋でのグリーンピースの活動は、CTBTを1990年代半ばに成立させるうえで大きな役割を果たしました。今日、CTBTに依然として加盟していない国に責任を果たさせるために、NGOと市民社会の力が必要です。CTBTの目標と目的に対する関心を高め支持を広げていくために、さらなる市民の草の根の運動が必要です。活動的なNGOや市民社会の参加によって、各国政府が約束を果たす最終段階に押し出されることになるでしょう。

Q:NPT運用検討会議の結果、CTBT発効に向けた現実的な可能性が新たに生まれたと思いますか。

トート:運用検討会議で採択された最終文書で、CTBT発効が国際的な核軍縮・核不拡散体制の中心的要素のひとつだとはじめて認められたことは、国際社会がCTBTの早期発効を強く支持していることの表れだと考えています。CTBTは、加盟国間の分断を乗り越える上で、既存のあらゆる措置のなかでもっとも優れたものでしょう。なぜなら、CTBTはNPTの3本柱すべてに寄与するものだからです。つまり、CTBTは、核軍縮へのコミットメントの象徴であり、不拡散を強化し、平和利用を推進するものなのです。

発効したCTBTは、中東やアジアにおける強力な信頼醸成・安全保障構築措置となることでしょう。CTBTはすでに存在し、世界のほとんどの国からの支持を得ているものですから、成果が比較的短い時間で得られる現実的なツールだといえます。すでに試行され実験されている強力な検証システムもあります。CTBTは、これ以上核実験をやってはいけないという規範を体現したものであり、核実験は禁止されるべきであるという国際社会の政治的意思は明らかです。いま必要なのは、核兵器の完全廃絶に向けた、最初の、もっとも重要なステップであるCTBTを発効させることで、目に見える成果をあげることでしょう。

CTBTO

非差別的な検証システム

Q:国際監視システム(IMS)と検証システムが完成した際には、もう抜け穴はないといえるでしょうか。

トート:CTBTは、透明性が高く、民主的で非差別的な検証システムを誇っています。この検証体制はすでに稼動しています。部分的に稼動しているだけだったにも関わらず、2006年と09年の北朝鮮の核実験を、迅速かつ正確に検知することができました。IMSが完成すれば、337の施設によって、地震、水中音響、超低周波、放射性核種の各技術を用いて、爆発力の大きさに関わらず核爆発実験を検知することができるようになるでしょう。システムの抜け穴を見つけようとする輩が出ることは避けられませんが、検証システムは、CTBTの条項を遵守しない行為への強い抑止力となるものと思います。

Q:CTBTOを核廃絶への道を切り開く唯一の機関と位置づけることは適切でしょうか。

トート:あらゆる形態の核実験を永遠に禁止することは必要ですが、『核兵器なき世界』を実現する上での十分条件ではありません。CTBTOは、そのような重要な目標を達成する任務を与えられた組織として、核兵器なき世界の実現に向けた重要な役割を果たしています。核不拡散・核軍縮体制をCTBTの発効なしに強化することは難しいでしょう。CTBTは、より強化された核不拡散・核軍縮体制全体の中で、より強力なツールとなるものと思います。

Q:現在原子力技術を持たない30ヶ国以上が、原子力発電計画に向けて精力的に動き出しています。そこには先進国もあれば、途上国もあります。こうした動きは、CTBTの目的を推進する上で障害になりませんか。

トート:たしかに、原子力導入への高まる関心が核拡散への懸念を高めるものであることは否定しえません。燃料サイクル技術は本来的に軍民両用的な性質を持っているからです。この状況下で、CTBTを早期発効させる緊急性はより高まっているといえるでしょう。CTBTが発効すれば、核開発へのより強力かつ検証能力を伴った最後の障壁となるだけでなく、各国の動機において信頼を形成するための重要なツールとなることでしょう。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

アフリカの飢餓克服には農民の声に耳を傾ける必要がある

【IPS名古屋=スティーブン・リーヒ

アフリカは飢えている。2億4000万人の人々が栄養不良の状態にある。そうした中初めて、アフリカの零細農民たちが、サブサハラアフリカの食糧問題をどのように解決すべきかについて意見を求められている。しかし彼らの回答内容は、資金の大半をビル&メリンダ・ゲイツ財団による助成を得て国際的に実施に向けた努力が進められている「アフリカ緑の革命」を直接的に否定するものとなっているようだ。

10月16日の「世界食糧デー」にマルチメディア誌上で公表された報告書によると、西アフリカの家族経営の農民達は、次のような希望を語ったという。つまり、新たなハイブリッド種子や化学肥料や農薬ではなく、地元の種子を使用したい。貴重な現金を化学物質に費やすことを避けたい。そして最も重要なポイントとして、公的な農業研究を彼らのニーズに合ったものとしていきたい。という内容である。

 「こうした小規模農家の人々には明確なビジョンがあるのです。彼らは、『アフリカ緑の革命のための同盟(AGRA)』のアプローチを拒絶しているのです。」と、報告書の共同執筆者である非営利研究機関「国際環境開発研究所(IIED:本拠ロンドン)」のマイケル・ピンバート氏は語った。

「こうした農家の声は、小規模農家をはじめとした生産者自身が、農業及び各方面の専門家の見解に耳を傾け質問した上で自ら導き出した提案であり、真に農家主導の評価と言えます。」とピンバート氏は語った。

またピンバート氏は、「食料と農業に関する政策と研究は、私たちが口にする食料をまさに供給している人々の価値観やニーズ、知識、関心を無視する傾向にあります。それどころか、強大な多国籍種子会社や食料小売企業の商業的利益のためになっていることが少なくありません。」と語った。

食料への権利に関する国連特別報告官のオリビエ・デシューター氏は、食料・農業調査のあり方を、より民主的かつ社会に対して責任を持つ内容へと根本的に変革させる必要性を支持している。

デシューター氏は、「西アフリカの食糧主権にむけた農業調査の民主化」と題したIIED報告書の序文に、「西アフリカにおいて農業研究に農民自身の査定を取り入れたり市民陪審団を組織しようとする努力は称賛に値します。」と記している。

このマルチメディア報告書には、西アフリカ各地の食糧生産者による諸意見や心配事項が、ビデオ及び音声ファイルで収録されている。

「アフリカでは約5億人の農民が2ヘクタール未満の小規模農地を生活基盤にしており、その大半が女性である。また主に援助供与国によって資金支援を受けているアフリカの公的農業研究の現状に対して、深刻な懸念が持たれている。資金提供団体がどのようなタイプの農業研究に拠出するかを決定し、実施される農業研究の内容はほぼ例外なく、毎年の購入を強いるハイブリッド種子や化学肥料等の使用を勧めるといった、先進国の科学技術優先のバイアスがかかったものとなっている。」と、マイケル・ピンバート氏は語った。

小規模農家がアフリカの公的農業研究に期待する内容を特定するため、マリにおいて現在行われている農業研究を対象にした農家主体の独立調査が実施された。その調査結果は、40~50名の一般農民やその他生産者からなる2つの市民陪審団に報告された。各陪審員は、小規模農家がどのような農業調査を期待しているか、或いは食料・農業調査をいかにより民主的にできるかといった問題について検討した。

陪審員たちはアフリカ、欧州出身の幅広い専門家に聞き取り調査を行った。また彼らは自らの経験に照らし合わせて提出された証拠を吟味し、各国政府に対する提言内容について合意していった。こうした提言の中には、農業調査のアジェンダや戦略的優先順位を設定する過程に農民を直接参加させるものや、伝統的農法やエコロジー農業の研究、また、現在の西アフリカのように外国からの資金支援に頼るのではなくこの種の調査は自国政府の資金支援で行うべきという提言が含まれている。

「これは完全にオープンな参加方式のプロセスです。」と、インドや南米で同様の試みに参画した経験を持つピンバート氏は語った。陪審員は、幅広い地域から知識のレベル、男女比など慎重に検討を重ねた上で選ばれている。また、すべてのプロセスが公平かつオープンに実施されていることを確かめるため、選挙監視団のような独立監督委員会が設置されており、委員にはセネガル、ブルキナファソ、ニジェール、ベニンから代表が就任している。

「このような試みは西アフリカの歴史史上初めてのことです。もっともこうした点では、米国やカナダにおける一般的な農民の場合も、公的農業研究に何を期待するかを相談されたことはありません。」とピンバート氏は語った。

「農民や『一般の』市民がどのような農業調査を実施すべきか直接的に決定できることが、食料の安全保障を確保し、地域住民の生活や福祉を守り、気候変動に対する抵抗力をつけるうえで極めて重要な前提条件となります。」
 
 2008年の食糧危機のあと、AGRAに代表される「アフリカに新たな緑の革命」をもたらそうとする大きな動きがでてきている。AGRAはコフィ・アナン前国連事務総長が代表をつとめる4億ドル規模のイニシアチブで、ビル&メリンダ・ゲイツ財団とロックフェラー財団の支援を受けている。AGRAは、アフリカの小規模農民の収穫量を2倍から4倍に押し上げることを目指している。

「私たちは機能すると確信できるものを選んで投資しているのです。」と、シルビア・マシューズ・バーウエルAGRA理事は語った。バーウェル氏は、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団のグローバル開発部門の理事長でもある。

AGRAは旱魃に耐性をもつメイズといった新しい種子の開発や土壌改良、市場アクセスの向上、農民教育の分野に資金を投入している。

「農民達は、農業調査に対して、それが一助となって家族を養い、余剰作物を市場で売却できるようになれることを期待しているのです。AGRAのコンサルタントは現地に足を踏み入れ農民達と語り合っているのです。つまり私たちは農民の声を事業に取り入れようとしているのです。」とバーウエル氏は語った。

しかし多くの人々は、AGRAのアプローチを、ハイブリッド種子と農薬を用いて高い収穫高を目指すことに主眼を置いた欧米の農業生産方式を小規模化したものと見ている。

「AGRAの目的は農民達を開発の主体者とするのではなく、外からの支援(ハイブリッド種子や化学肥料等)や市場に依存させることのように思えます。」と米国ヴァージニア州に本拠を置くミレニアム研究所所長のハンス・ルドルフ・ヘレン氏は語った。ヘレン博士は1995年の『世界食糧賞』の受賞者で、アフリカで発生したキャッサバ危機にバイオ制御プログラム(キャッサバを食い荒らす外来種コナカイガラムシを天敵の蜂を散布して生態系バランスを図る手法)を適用して約2000万人を飢餓から救った人物として知られている。

またヘレン氏は、「私たちは欧米における諸事例において、こうした外部(インプットや市場)への依存関係が、農民人口の減少、農家所得の減少…そして失業者の増加という悪循環へとつながっていくのを目の当たりにしてきました。」と語った。ヘレン氏は「開発のための農業科学技術の国際的評価(IAASTD)」の共同議長をつとめている。

IAASTDは、世界に十分な食料を確保するには、食料生産と清潔な水供給の確保、生物多様性の保護、貧困層の生活向上を密接に結びつけた農業生態系こそが最も望ましいと結論付けた。「アフリカの農業が必要としているものは、輸入肥料に依存したより大規模な農業生産への転換ではなく、小規模農家が農業生態系に沿った多機能な活動を展開していける環境づくりなのです。」とヘレン氏は語った。

「小規模農家や地域組織(生活協同組合や小さな農業技術学校等)の取り組みは、農業生態系を重視した活動で十分な食料を生産できることを示しています。」とワシントン州立大学のフィリップ・ベレアーノ名誉教授は語った。

またベレアーノ教授は名古屋からの電子メールによる取材に応じ、「AGRAは、小規模農家と相談し、彼らのアドバイスに耳を傾け、提言に従うというプロセスに失敗したのです。」と語った。ベレアーノ教授は、工業先進国の大規模資金拠出団体がアフリカに対して先進国型のアグリビジネスモデルを押し付けていると主張している『AGRAウォッチ』という市民団体に参画している。

「アグリビジネスは、自らを『食料問題』の解決策として売り込んできました。そして2008年の食糧危機で衝撃を受けた多くの政府が今では彼らに耳を傾けている状況です。アフリカには広大な土地と天然資源があります…そして今ではそれらを巡る争奪戦が起こっているのです。」とピンバート氏は語った。

「AGRAをはじめ多くの科学者や大手NGO(非政府組織)は、ハイテクと官民パートナーシップを駆使したビジネスアプローチこそがアフリカの食糧問題解決の方策だと確信しており、小規模農家の世界観を受入れることができないのです。しかしこうしたアプローチの末に実際に起こることは、小規模農家が新たなハイブリッド種子や肥料、農薬をクレジットで購入し、結局は借金返済のために土地を追われ、都市部に流入していくことになる。一方、大規模な企業型農場がこうした小規模農家の土地を吸収統合していくのです。これこそがインドの多くの小規模農家に起こった現実なのです。」とピンバート氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

衰退するドイツの反核運動

0

【ベルリンIDN=ジュリオ・ゴドイ】

彼ら―そう、ドイツからの核兵器撤去を求めて集った数十万人の平和活動家の姿を、長らく見ることはなかった。冷戦真っ只中の約30年前に大西洋条約機構(NATO)がドイツに公式に核兵器を導入したとき、彼らはドイツの政治シーンの中心的存在だった。しかし、今日、平和デモに参加する人々はほんのわずかしかいない。 

それでもなお、核軍縮を求め続けるドイツの活動家らは、以前と同じく固い意思を持っている。たとえば、ドイツ南西部ラインラント地方の小村ライエンカウルに住む薬剤師のエルケ・コーラー氏の場合もそうである。この州には、NATOの核兵器が配備されている。核軍縮を実現するための彼女の多くの活動の中でも、カール=テオドール・ツー・グッテンベルク国防相に対する訴訟がきわだっている。核兵器をドイツから撤去する積極的な努力を怠った、というのが訴えの理由である。

 コーラー氏の訴訟は、ドイツ配備の核兵器が、ドイツが批准している核不拡散条約(NPT)からドイツ最終規定条約に至るいくつかの国際条約に違反していることを根拠としている。 

コーラー氏はIDNの取材に応じて、国際反核法律家協会(IALANA)の会員である私の弁護士によれば、NPT第2条はドイツが核兵器を配備することを禁止しています。他国の核兵器であっても同じことです。我々の解釈では、ドイツ憲法はすべての市民に対して、政府に国際法を守らせる権利と義務を与えていますから」と語った。 

国防相に対する訴訟は非常に目立つように思われるかもしれないが、訴訟に勝つチャンスがあるかどうかにかかわらず、ドイツではほとんど無視されてきた。ドイツ市民が核問題に対してもつ無関心をよく示している。 

核戦争防止国際医師の会(IPPNW)ドイツ支部の会員イェンス-ペーター・シュテッフェンは「市民は30年前ほどには、核兵器を恐れていない」という。 

シュテッフェン氏はIDNの取材に対して「特に若い世代は核兵器の破壊力に関する想像力がありません。核兵器はたんにより大きな破壊力を持った通常兵器のひとつだと考えられています。核兵器のもたらす破滅について知らないのです。広島・長崎の記念日といったときにしか、核問題が注目されることはありません。あるいは、オバマ大統領のような世界的な指導者が核軍縮を求める発言をしたときぐらいでしょう。」と語った。 

市民の支持を求めて 

オバマ大統領が2009年4月のプラハ演説で、核兵器を「もっとも危険な冷戦の遺産」と呼んだとき、ドイツの指導者らは、核軍縮が市民の注目を集める問題であることに気づき、平和運動の輪に加わるようになった。 

 社会民主党(SPD)の党首でもあるフランク-ヴァルター・シュタインマイアー外相(当時)は、米国政府とNATOの核軍縮計画の中にドイツ配備の核も含めるよう求めた。外相は週刊誌『シュピーゲル』で核兵器は「時代遅れ」と正しくも名指した。彼はそれ以前に核兵器に反対するような発言をしたことはほとんどなかった。 

当時の野党党首であり現在は外相のギド・ヴェスターヴェレ氏もまた、それまでは、反軍事主義だとか国防計画への反対だとかいったことに縁がなかったが、核兵器の撤去を即座に求めた。オバマ大統領のプラハ演説から6週間後の2009年5月15日、ヴェスターヴェレ氏は「核軍縮のときが来た」と強調している。 

彼は、すでに外相となっていた今年1月にもこの主張を繰り返し、ドイツ領土から核を撤去させるための「交渉をNATO加盟国と行っている」と発言した。「オバマ政権成立以来、事態には新しい流動が生まれている」とはヴェスターヴェレ氏の言葉である。 

現在でも、ドイツには数多くの核兵器が存在している。配備の具体的内容については機密扱いされているが、IPPNWの推計によると、B61弾頭の核兵器約20発が、ブエッヘル軍事基地の施設に貯蔵されているという。ベルリンの南西500キロほどのところにある、ベルギーとルクセンブルクの国境に近いライン地区の同施設には、最大44発の核弾頭を貯蔵するスペースがある。 

約1700人のドイツ兵が、いわゆる「核共有政策」の枠組みの下で、核兵器の維持を任されている。この政策は、核兵器を保有しないNATO加盟国が核兵器の使用計画策定に関与できる、というものである。ドイツ以外には、ベルギー、イタリア、オランダが米国の核兵器を貯蔵している。 

IPPNWによれば、合計で300発の米国の核が欧州のNATO加盟国に散らばっている。この核爆弾のそれぞれが170キロトンの爆発力を持っている。ちなみに、1945年8月6日に広島に投下され20万人の命を奪った原子爆弾の爆発力は12.5キロトンであった。 

オバマ大統領のプラハ演説後に生じた核軍縮への機運は非常に魅力的なものであり、2009年10月に政権を取った保守・リベラル連合であるキリスト教民主同盟(CDU)・自由民主党(FDP)ですら、政権公約に核軍縮を含めたほどである。 

CDU・FDPの連立政権合意には、「『核兵器なき世界』という目標を含め、米国のオバマ大統領が打ち出した包括的な核軍縮構想を強く支持する」と述べられている。さらに合意は、「この文脈において、NATOによる新戦略概念策定のプロセスにおいてもまた、NATOおよび米国との同盟という条件の下で、ドイツ領土に依然として存在する核兵器の撤去を推進していく。」としている。 

現実とのギャップ 

しかし、ドイツ政府の核兵器に対する立場は、現実の政策と矛盾をきたしている。ここから明らかなことは、突如として生まれた反核への動きは、たんに政治的な機会主義のなせる業であって、軍縮に対する信念ゆえではないということである。2009年10月の連立政権合意発表の前夜まで、CDU党首でもあるアンゲラ・メルケル首相は、ドイツには核兵器を配備し続けるべきだと繰り返し述べていたのである。 

メルケル首相は、オバマ大統領のプラハ演説の数日前である09年3月、次のように述べていた。「目標と、それへと向かう道を混同しないように気をつけねばなりません。この微妙な分野においてドイツ政府のNATO内における影響力を保つために、核共有政策はわが政府の政策として確固たる地位を占めてきたのです。」 

別の言い方をすれば、軍事的な理由ではなく、NATO内におけるドイツの政治的影響力を保つという意味において、メルケル首相にとって核兵器は必要不可欠のものなのである。しかし、その数ヵ月後には、メルケル首相は、核撤去を求める政権合意に署名している。 

しかし、それから1年が過ぎ、メルケル首相の当初の慎重さを実証するように、世界の官僚機構が核軍縮への新たな動きをせき止めている。結果として、核問題はドイツの日々の政治課題から消え去ってしまっている。 

たしかに、エルケ・コーラー氏のような平和活動家は、それほど多くの人数がいるというわけではないが、「時代遅れの核兵器の撤去」を求めつづけてきた。しかし、社会全体からの注目はほとんど浴びていない。 

NATOは、11月の会合でドイツからの一部または全部の核撤去について検討するかもしれない。専門家は、「NATOはこの問題を取り上げそうだ。しかし議論の帰結は予断を許さない」と見ている。 

IPPNWのシュテッフェン氏は、「厳密に軍事的理由からではないものの、NATOもドイツ政府も同国領内に核兵器を保持しつづけることを望んでいる。」と見ている。シュテッフェン氏は、「ドイツ領内の核兵器には軍事的意味合いはありません。それは時代遅れのものだからです。核戦争が起こったら、NATOが欧州内で核兵器を使った戦闘を行う可能性はきわめて低い。それは使えない兵器だからです。なぜなら、核兵器を航空機に搭載して長い距離を運ばねばならないからです。」と語った。 

シュテッフェン氏によれば、ドイツ政府の核軍縮に対する立場は矛盾をはらんでいる。「政府は、表向きは『核兵器なき世界』を目指すとしています。しかし現実には、NATO内での勢力を保つために核兵器を維持し、さらにはロシアに対する交渉力を保持するためにそれを必要としているのです。それゆえ、ドイツの核兵器は『よく言って政治的価値しかない。軍事的には無意味』なのです。」とシュテッフェン氏は語った。 

ヴェスターヴェレ外相は、「NATOは次のリスボン・サミットにおいて新戦略を承認する。それは、現在の地政学的な状況の下で、同盟の防衛・安全保障政策において核兵器の果たすべき役割という課題にも触れるものとなるだろう。」と語っている。 

同外相に対するあるインタビューによると、4月にエストニアのタリンで開かれたNATO外相・国防相会議において、ヴェスターヴェレ外相自身が、現在の世界における核兵器の意義に関する討論を自身のイニシアチブで開始したと語った。これはまるで、オバマ大統領のプラハ演説とその後の動きなどなかったかのような発言である。 

しかし、ヴェスターヴェレ外相は、米国政府がすでに、少なくともレトリックのレベルにおいて、軍事政策における核兵器の重要性を低下させていることを認めている。「この文脈において、NATOの同盟国からの同意を得て、ドイツから核兵器を撤去することがドイツ政府の目標となった。」と同外相は語った。 

しかし、シュテッフェン氏は、核兵器が軍事的にみればあきらかに無用であるにもかかわらず、NATOがドイツから核を撤去する決定を下す可能性はきわめて低い、と考えている。 

時代遅れではあるが… 

もっともありえるシナリオは、米軍もまた核兵器が時代遅れであることを認めながら、依然としてドイツ領内には核兵器が残り続けるというものである。2008年12月、米国防総省の委託したある報告書において、専門家委員会が、欧州に配備されている B61核爆弾は「軍事的にみれば無益」と結論している。同委員会はまた、核兵器を維持するコストが不当に大きいことも強調している。 

くわえて、ドイツには米国の核にアクセスする権限がない。「核共有政策」の下で、NATOはドイツのような非核兵器国に核兵器を配備している。しかし、この核は米軍によって管理・保全されている。核爆発を引き起こすための暗号も米軍だけが握っている。 

このようなドイツの主権侵害にもかかわらず、ドイツの政治指導者と一般世論の両方にとって、核兵器はもはや重要課題とはなっていない。この問題に関してもっとも口を開かない閣僚がグッテンベルク国防相であることはきわめて示唆的である。同国防相の無関心こそが、エルケ・コーラー氏をして、国際条約違反を理由にドイツ政府に成り代わって同氏を訴えさせたのである。 

しかし、野党の指導者の間でも核問題への関心は低くなっている。それこそオバマ演説以後の数ヶ月間は、すべての政党の指導者がこぞってこの話題を論じたが、いまや議論は、青年組織や一般組織にまかせっきりになっている。 

SPDでも同じことが言える。シュタインマイヤー前外相は関心を失い、「Jusos」として知られる「青年社会主義者組織」が核問題を担っている。 

Jusosの指導者フランツィズカ・ドロセル氏は、「冷戦から20年たっているというのに、ドイツにはまだ核兵器が配備されている。(広島・長崎を殲滅した)原子爆弾の何倍もの破壊力をその一発一発がもっているというのに。」と現状への不満を語った。 

ドロセル氏は、NATOがパキスタンや北朝鮮を核兵器保有問題で吊るし上げる一方、自らは核を保有し続けていることを苦々しく思っている。「自分は核を手にしながら、他国に放棄を迫っても説得力はありません。」とドロセル氏は語った。 

オンライン・キャンペーン 

ドイツからの核撤去を求める象徴的なキャンペーンが行われている。グッテンベルク国防相に電子メールを送ろう、という試みである。送られるメールには何百もの署名が連ねられ、11月にリスボンで開かれるサミットにおいて、ドイツに依然として配備されている核兵器の撤去を他の同盟国に強く訴えるよう求める内容である。 

電子メールには、今年3月24日にドイツ連邦議会が核撤去を求める決議を圧倒的多数で可決したことにも言及されている。 

グッテンベルク国防相への訴訟を含め、これらのキャンペーンが効果を発揮することになるかどうかは未知数である。何の効果もない、という結果がもっともありえるのかもしれない。核問題に対する全般的な無関心からすると、仮にNATOがドイツからの核撤去を決めたところでそれへの注目すら集まらないかもしれない。(原文へ

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

関連記事: 
|軍縮|被爆地からの平和のシグナル 
|軍縮|「100万の訴え」で核兵器なき世界を

国連ウィーン本部で核廃絶展が開催される

【ウィーンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」展示パネルに表記されたこのユネスコ憲章の前文が、展示会を視察していたアナ・マリア・セット女史の注目を引いた。

「これは、国連のどの条文よりも、人々を触発する言葉だと思います。」と、オーストリアの国連ウィーン本部で開催した展示会の開会式で挨拶に立ったセット女史は述べた。セット女史は、1957年に、「平和のための原子力」機関として設立された国際原子力機関(IAEA)の副事務局長である。

 セット女史は、「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」と題した展示会に言及して、「このような展示の一つの目的は、観賞者一人一人の心の中に、平和の砦を築くことにあるのです。」と語った。

セット女史は、もう一つのパネルに表記された文言「無関心という無言の暴力」について、「他人の苦悩に関心を持つことなく、自分は安楽に暮したいという人間の心持ちを指しています。」と語った。
 
 「無関心は、平和の砦を大いに脅かすものです。」「一人では大したことはできないとか、遠くにいる人々が抱えている問題は避けられないことで、防ぎようがなかったのだとか、本当はそんなに悪い状況ではない、むしろ彼ら自身が招いた災難かもしれない等、私たちの心に囁きかける油断ならない声の元凶こそがこの無関心なのです。」とセット女史は警告した。

IAEA副事務局長は、今回の展示会の意義について、「この展示は、『人間の安全保障』がいかに『平和の文化』の中心を占めるかを示すとともに自分の周りだけでなく、多くの人に影響を及ぼすような問題が、いかに無関心から生じているかという事実を認識させてくれるものです。」と語った。

また同副事務局長は、「IAEAでは、世界平和を確保するには人間の安全保障を確保することが不可欠だと確信しています。私たちは、開発の伴わない治安の維持は不可能であり、一方で、治安の確保なくして持続可能な人間開発は不可能だと訴えています。」と付加えた。

10月4日にセットIAEA副事務局長が開会した展示会は、36の展示パネルで構成されており10月15日まで開催予定である。展示会場となっているウィーン国際センターには、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会などいくつかの国連機関が拠点を構えている。

CTBTO準備委員会は、CTBT発効時点における検証体制の完成、将来のCTBTOの効果的な設立を目的として1996年に設立された暫定機関である。

CTBTO準備委員会の李根信法務・対外関係局長は、「幸いなことに、過去数十年に実施されたような大規模な核実験はもはや行われなくなりました。今や私たちにはCTBTがありますし、核実験禁止の順守を監視する完全に機能する検証システムがあります。」と語った。

「しかしながら、核兵器実験モラトリアムが継続されているものの、核実験禁止を法的に規制するドアは未だ完全に閉じられていなせん。CTBTには182か国が署名し、153か国が批准しているものの、同条約は未だ発効に至っていません。」と、開会式で挨拶に立った李局長は付加えた。CTBTの発効は、核拡散の流れを止め、核軍縮を進めて行く上で重要なステップとなるだろう。

「その重要なステップを成し遂げ、さらなる核不拡散と軍縮を進めていくためには、この目標に対する国際社会の一貫した支持が必要となります。従って、核軍縮・不拡散の問題に対する一般の人々の関心を喚起するとともに、この問題は一般の人々の生活と直接的に関わっているということを知らしめていくことが重要なのです。」と、李部長は語った。

また李部長は、「『核兵器廃絶への民衆行動の10年』を通して、この草の根の運動を推し進めて下さっていることに、心から感謝いたします。」と付加えた。

オーストリアの首都で開催されたこの展示会は、ウィーンNGO(非政府組織)平和委員会と東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナルが共催したものである。SGIは2007年に「核兵器廃絶への民衆行動の10年」国際キャンペーンの一環として、核兵器に反対し核兵器禁止条約(NWC)締結を訴える国際的な一般世論を構築していく目的で第1回展示会を開催した。

ウィーンNGO平和委員会のクラウス・レノルドナー議長は、「私たちは核兵器の破壊的な影響について知っています。私は医師として、核兵器がもたらす放射線被害に対する治療法はないということを保証できます。メガトン級の破壊力を有する核兵器は大都市を破壊し、百万人以上の無実の人々を一瞬のもとに殺戮できるのです。これに対しては予防策しかありません。この場合、予防策とは核兵器の廃絶しかないのです。」と述べ、NWCの必要性を熱心に訴えた。

この展示会の重要な特徴は、核兵器の問題と人間の安全保障の関連性を伝え、核廃絶こそが人間の安全保障を構築する作業の中核となる点を明らかにしていることである。この展示は、核兵器問題を解決するためには、軍事に基づく安全保障から人間の安全保障へ、そして戦争の文化から平和の文化へと価値観や視点そのものを変革していくことが不可欠なことを明らかにしている。

「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展は第1回開催以来、24か国の200都市以上で開催されてきた。主な展示会場には、2008年4月から5月にNPT準備委員会が開催されたジュネーブの国際連合欧州本部、2009年9月に第62回国連広報局NGO (DPI/NGO)会議が開催されたメキシコ上院議会、2009年12月に世界宗教会議が開催されたメルボルンコンベンションセンター、2010年2月の長崎原爆資料館などがある。

「こうした世界各地での展示実績こそが、この展示会が伝えるメッセージの普遍性の証左と言えるでしょう。」「今回のウィーンでの展示会は、今までの開催地の中でも特別な意味合いを持つことでしょう。それはまさにこの建物において、『核なき世界』という究極の目標に近づくために、国際社会が核拡散と核実験の脅威のない世界の実現に向けて努力を傾注している所だからです。」とセット女史は語った。

「ウィーンは、CTBTO準備委員会とIAEAといういずれも核軍縮と不拡散を推進する国連の中核的な組織をホストしている地であり、私達はこのウィーンで重要な当地の市民社会組織と協力して展示会を開催できたことを大変嬉しく思います。」とSGI平和運動局長の寺崎広嗣氏はIDNの取材に応じて語った。

最新となる今回の展示会はニューヨークで5月に開催された核不拡散条約(NPT)運用検討会議閉幕から4か月というタイミングで開催された。NPT運用検討会議では、全会一致で採択された最終文書において「核兵器のいかなる使用による破滅的な人道上の結果をも深く憂慮し、すべての国が国際人道法を含む適用可能な国際法を常に完全に遵守する必要性」を再確認した。

「軍事と政治の論理が先行しがちな核兵器をめぐる議論に対し、そうした論理に優越すべき「人間性」や「人道」という価値に鑑みて、警鐘を鳴らすものといえましょう。」と開会式で挨拶した池田博正SGI副会長は語った。

今回のNPT運用検討会議では、史上初めて最終文書の中で、NWCを通じた核兵器禁止の提案について言及がなされた。これは、世界の市民社会と各国政府が共通のビジョンと目標に向かって協働して努力した成果といえよう。

「これをさらなる“協働作業の足場”とし、その実現に向け一歩ずつ歩みを進めなければなりません。」と池田大作SGI会長のメッセージを代読した池田副会長は付加えた。

「核兵器廃絶への挑戦と人間精神の変革」展示は、完全版が、英語、スペイン語、中国語、日本語、タイ語、ネパール語版のものがあり、セルビア語については一部翻訳版がある。ドイツ語版はまもなく完成予定で、本展示は、今後はオーストリア国内の学校や様々な教育施設で開催される予定である。

「若い世代の人々に、自分たちが核兵器のない世界を実現できるという自信をつけさせることほど重要なことはありません。」と寺崎氏は語った。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.


関連記事:
仏教指導者、核兵器禁止条約の早期実現を訴える(池田大作SGI会長インタビュー)
|軍縮|諸宗教会議が核兵器廃絶を訴える

カトリック教会、イスラエル占領に抗議する声に参画する

【アブダビWAM】

ローマ法王ベネディクト16世が主宰した中東司教会議(シノドス)が23日最終会合を開き、その中で中東地域の司教が国際連合に対してイスラエルによるパレスチナ占領を終結させるよう強く訴えた。アラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙はこの声明を「中東に関するここ数年で最も喜ばしいニュース」と報じた。

カトリック教会は、2週間にわたって開催されたシノドスにおける最終決議の中で、「中東の人々は、国際社会、とりわけ国連が、平和裏、かつ公正で明確な中東問題の解決策を見いだすよう努力し(イスラエルによる)アラブ人の土地占領を終わらせるために必要な法的段をとるよう求めている。またそうすることが、パレスチナの人々が安心して尊厳をもった生活が送れる独立主権国家を手に入れる手助けとなる。そしてイスラエルも平和と安全を享受できるようになる。」と述べている。

 また同決議は、「エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教にとって重要な聖地としての本来あるべき位置づけを獲得するだろう。」と述べている。

「最終決議で表明されたこうした見解や議論そのものは中東の人々にとって特に珍しいものではなかったが、こうした声明がローマ教皇やキリスト教会の指導者層からでてきたことは大変心強いことである。」とカリージ・タイムズ紙は10月25日付の論説で報じた。

聖地におけるキリスト教徒のコミュニティーは、イスラム教徒と同様に、イスラエルの土地占領と数百万人にのぼる原住民追放措置による直接的な被害を蒙ってきた。

「しかしながら、従来この問題はしばしばあたかもアラブ人とイスラム教徒のみの問題として描かれてきた。」と同紙は付加えた。

「中東全域にわたって大きなキリスト教コミュニティーが存在するように、パレスチナ人或いはアラブ系イスラエル人の中にはかなりの数のキリスト教徒がいる。彼らも同じくイスラエルによって追い立てられ占領下で生きていかなければならない悲哀と苦痛を共有してきた。また、パレスチナとエルサレムは、イスラム教徒とユダヤ教徒にとってと同様に世界中のキリスト教徒にとっても神聖な場所であるという共通点を有している。しかしこの点は、パレスチナ人やアラブ人が従来あまり強調してこなかったことから中東のキリスト教徒にとって不利な状況となってきた経緯がある。」
 
 「しかし今やカトリック教会と中東のカトリック指導者達がイスラエルの占領に反対する声に加わった。アラブ世界はこの思いがけない支持をチャンスとして生かすべきである。中東和平問題に妥協の姿勢を見せないイスラエルの現状を考慮すれば、このようなイスラエル占領終結を求める一つ一つの声が極めて貴重なのである。シノドスは勇気をもって、イスラエルにアラブ地域(東エルサレム、ヨルダン川西岸地域、ガザを含む)からの撤退を勧告した国連安保理決議に言及し、中東全体を覆う緊張と政情不安の根源はパレスチナ-イスラエル紛争にあることを強調した。」と同氏は指摘した。

またシノドスは、最近イスラエルが聖書を引用してパレスチナ占領を正当化しようと試みている点に抗議した。「神の言葉が使われている聖書や神学上の立場を利用して不正義を正当化する行為は認められない。」とシノドスは声明を出した。「こうした主張は大いに歓迎である。」とカリージ・タイムズ紙は結論付けた。
 
翻訳=IPS Japan戸田千鶴

関連記事:
|イラク|本|クルド系ユダヤ人が思い出す失楽園
過去の残虐行為の歴史を政治利用してはならない(トーマス・ハマーベルグ)

日本の援助機関、中国、韓国との絆を強める

【東京IDN=特派員】

国際協力機構(JICA)は、緒方貞子理事長による4日間にわたる中国、韓国訪問を受けて中韓両国との2国間関係及び両国の主要機関との地球規模の開発協力関係強化に乗り出した。

日本政府は今回の緒方理事長による中国訪問から30年遡る1980年4月、中国に対する初の円借款を実施し、今日までに総計3兆6千億円(約400億ドル)の援助を実施してきた。

日本の対中国援助は当初は鉄道、港湾、発電所などの中国国内におけるインフラ整備に主眼が置かれたものだったが、後に環境保全を促進する援助も実施された。

 しかし日本が中国に対して水質・大気公害管理、気候変動、植林、下水処理、環境教育などのプロジェクトを通じた援助を継続する一方で、中国は国際経済において大きな役割を果たす存在へと成長した。

「従って日中両国は、開発途上国への支援を念頭に協力関係を緊密にしているのです。」と、緒方理事長は、9月3日に上海国際問題研究院(SIIS)で開催された講演会において同研究院の研究者や大学院生に語りかけた。

これは緒方理事長が同研究院で行った、「グローバル化時代のアジアと日中関係の展望」と題する講演会での発言である。

緒方理事長は、李克強国務院常務副総理(第一副首相)が2009年12月に面談した際に、緒方氏に対して、後発開発途上国(LDCs)に対する支援こそが「日中協力における最も重要な挑戦の一つです。」と語ったエピソードを紹介した。

緒方理事長は、その後JICAと中国輸出入銀行は、2010年3月に共同ワークショップを開催し、評価手法や気候変動対策などの重点課題について情報の共有、意見交換を行ったことを披露した。

JICAは中国商務部(MOFCOM)対外援助司(日本の庁に当たる)との協議を開始しており、同司職員を対象とした研修プログラムをホストする予定である。

「私たちはまた、アフリカにおける農業支援能力を高める目的で、日中両国の農業専門家間の会合を開催していく予定です。」と緒方理事長は語った。

また緒方理事長は「私は研究及び政策の分野、とりわけ『包括的で』ダイナミックな経済開発を確保する挑戦に関する分野についてSIISとJICA間の協力関係を一層緊密なものとしていきたい。」と付加えた。

緒方理事長は、上海地域が近年経験した2つの重要な分野(①現在も続く急激な都市化を遂げる地域における環境保護と特に都市部と②農村部の間で拡大を続ける貧富の格差)に関するSIISの経験について特に強い関心を示した。

緒方理事長は、中国訪問前に韓国のソウルにおいて韓国国際協力団(KOICA)のパク・デ・ウォン総裁、韓国輸出入銀行のキム・ドンス総裁、ハン・スンス元首相、その他政府、学術関係者と会談した。

JICAとKOICAは初の日韓協調融資となるモザンビークの道路事業案件について間もなく発表する見込みだが、現在ベトナムにおける案件に関しても協調融資の可能性を協議している。

また10月には中国輸出入銀行も加えた3者会談が予定されている。

KOICAのパク・デ・ウォン総裁は、ラオス、カンボジアなどのアジア諸国において共同プロジェクトを実施していくための年次定期協議の開催を提案した。具体的な日程は事務レベル協議を経て1年以内に決定する予定である。また両者は、米国ブルッキングス研究所と三者共同で行っている開発援助についての研究の成果を、国際社会に向けて広く提示していくことで合意した。

KOICAは、JICAの設立目標と類似した、途上国に対して技術・財政支援を行うことを目的に1991年に設立された。

緒方理事長は、韓国滞在期間中に、KOICAがJICA地球ひろば(JICAの活動紹介や開発協力活動に関するセミナーや広報活動を行う拠点)を参考に最近開設した「地球村体験館」を訪問した。

パク総裁はKOICAが中国にも日韓が持つ援助機関に類似したものを作ってはどうかと提案したことを披露した。

2010年10月1日は「新生JICA」が誕生して2周年の節目となる。新生JICAのもとで、それまで別々の機関が実施していた3つの援助形態(技術協力、譲許的貸付/ODAローン、無償資金援助)は一元的に運営管理されることとなった。

緒方理事長によれば、新生JICAの下での援助の一元化によって、日本は開発途上国に暮らす人々のニーズに対応した高品質の国際協力を実施することが可能となった。

緒方氏は、元国連難民高等弁務官である。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
アマゾン奥地で地域保健活動に献身する日本人男性(JICAプロジェクト)

小売から世界の環境保護活動へ(イオン環境財団)

【東京IDN=浅霧勝浩】

彼らの緑化活動は国内外に及ぶ。中国・万里の長城で、青島ラオ山ダム周辺で、タイ南部で、クアラルンプール郊外で、世界遺産アンコールワットの周辺で、そしてケニアで、植樹を行ってきた。

世界中で920万本の植樹を行ってきたイオン環境財団のことである。2010年4月には、万里の長城での植樹が100万本に達した。

活動に積極的に参加してきた一人が、海部俊樹元首相である。海部氏は中国から深い信頼を勝ち得ており、人気もある。イオン環境財団と中国との橋渡し役を務めてきた。

財団は、2010年10月に名古屋で開かれる国連生物多様性会議において、地球上の豊かで貴重な生物多様性を守った者に対して、「生物多様性ミドリ賞」を贈呈する予定だ。日本語の「ミドリ」は緑を意味し、木々や植物を連想させる。

名古屋の会議は、正式には、生物多様性条約第10回締約国会議と呼ばれる。同条約は、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議において採択された3つの条約のうちのひとつである(他の2つは、国連気候変動枠組み条約と砂漠化防止条約)。

 イオン環境財団は、同会議(地球サミットとも呼ばれる)に2年先立つ1990年に創立された。

「ミドリ」は広い意味において環境を象徴する言葉である。財団の岡田卓也会長は、ウェブサイトに掲載したメッセージで、「この言葉は私たちの継続的な植樹活動に本来的に結びついています。私たちは、そうした活動が『根付き』、木々のように将来に向かって着実に成長していくことを願って、賞をこのように名づけました」と述べている。

「地球温暖化の防止と生物多様性の保全は、地球レベルでの2つの重要課題だと考えられています。2010年は国際生物多様性年です。……イオン環境財団は、私たちの美しく取替えの聞かない地球を将来の世代に残すためにさらなる貢献をしてゆきたいと考えております」。

イオンとはもともとギリシャ語で、「生命」「存在」「永遠」を意味する。

設立趣旨によれば、財団創立の背景には、「自然環境は、オゾン層破壊、地球温暖化、森林の激減、砂漠化、酸性雨の多発、海洋汚染などにより危機に瀕し」ているという認識がある。

こうした考えが、「小売業を超えて、社会への何らかの貢献をする」という岡田氏の決定の基礎にあった、と財団の神尾由恵事務局長は話す(岡田氏は日本ユナイテッド・ストアーズ株式会社=JUSCOの創立者でもある)。

JUSCOは、1969年、岡田屋、フタギ、シロの3社が合併してできた。1960年代の不況の荒波を超え、事業を固めるためだった。岡田屋は3社の中でもっとも歴史が長く、創業は1758年。第二次世界大戦までは、着物などの織物を扱っていた。岡田氏は終戦後に事業を再開し、14軒のデパート店をもつチェーンに発展した。

JUSCOは2001年にイオンに正式名称を変更した。日本で最大の小売業者である。所有、ジョイントベンチャー、投資などを通じて、イオンは世界で約4000店舗を傘下におさめている。日本では、イオンの看板の下に、JUSCO460店、コンビニの「ミニストップ」2600店、スーパーマーケット665店、ドラッグストアの「ウエルシア」1900店がある。イオンは、女性洋品チェーン「タルボット」を今春まで保有し、英国の洋服チェーン「ローラ・アシュレー」を一部所有している。

神尾事務局長によれば、岡田氏は企業の価値・役割は第一義的には利益追求であり、株主に奉仕することであるが、その利益の一部は地域社会に還元されねばならないとの考えを持っている。「小売業は地域社会によって支えられています。ですから、利益の一部を使って地域社会に貢献しなくてはなりません」。

1989年、イオングループの中核であるJUSCOは20周年を迎えた。この年はベルリンの壁崩壊の年であり、世界が大激動に見舞われた年であった。岡田氏は、企業としての責任を果たすため、南北問題が21世紀の重要課題になるという時代認識に基づいて新しい方向性を追求し始めた。そこから、「環境」というキーワードにたどり着いた、と神尾事務局長は語る。

こうした考えに導かれて、岡田氏は、「イオン1%クラブ」を立ち上げる。米国のミネアポリス訪問でみた「5%クラブ」に触発されてのことだった。「イオン1%クラブ」は、会社の業績に関係なく、グループ各企業が税引き前利益の1%を社会貢献に拠出するというものだ。

イオングループの熱心な参加と支援により、「1%クラブ」は、環境保護、国際的な文化・個人交流、地域社会・文化の復興、種々の支援・社会貢献を活動の中心にしている。

岡田氏は、クラブの創立1年後、イオン環境財団を立ち上げ、自ら保有する株式を寄付することを決めた。2010年時点で、財団は2112万8000株を所有し、一株あたり20円の配当を得ている。つまり、今年の収入は約4億2000万円であり、「イオン1%クラブ」はこれに1億円を寄付している。財団の神尾事務局長は、「イオングループが配当を出し続けるかぎり、わが財団は活動を維持・拡大できるということになります」と話す。

「岡田氏はかつて1%クラブと当財団両方の理事長を務めておりましたが、2008年以降は財団の理事長のみを務めております」と神尾氏は言う。これによって、両組織の透明性と独立性は増すことになった。

1%クラブが創設20周年となった2009年、「イオン環境塾」という新しい試みが始まった。この活動を通じて、イオンは地域住民が環境問題を学び討議する場を提供している。

同時に、「1%クラブ」の原田昭彦委員長がウェブサイトでのメッセージで述べるように、「学校建設支援基金」を通じてアジア諸国の学校設立を支援し、「小さな大使プログラム」をつうじて日本と海外の若者の相互理解と友好を深め、「イオンチアーズクラブ」と「ドイツに学ぶエコライフツアー」を通じて環境教育を行い子どもたちの健全な育成を図っている。

イオンエコツアーは、子どもたちが環境問題を考えるきっかけを提供し、環境への意識を高く持った新しい世代を育成することを目的としている。子どもたちは、学校や国立公園、家庭などの場所をドイツで訪問する。こうした子どもたちを「1%クラブ」では「環境に関する世界的リーダー」を呼んでいる。プログラムが2003年に始まって以来、316人の小中学生が参加してきた。

イオングループは、小売業からの利益にばかり目を向けるのではなく、環境を保護し、自らのサービスの質を高め、個人情報を保護する積極的な努力を継続して行う方針を確立している。同グループは、「企業の社会的責任」報告書を2005年2月20日に終わる会計年度から公表を開始し、それ以来、定期的に報告書を出すと同時に、様々な責任にコミットすることを再確認している。

毎月11日は「イオンの日」と決まっている。この日に買い物をした顧客は黄色のレシートをもらい、そのレシートを、様々なNGOやNPOの名前が書かれた箱に投函する。こうすることで、顧客は、ほんの小さなことで、自分の選択した活動の支援をすることができる。半年毎にレシート金額が合計されて、当該団体はその額の1%相当のものを、イオンから支援されることになる。

「このプログラムを通じた地域の市民団体に対する私たちの支援総額は10億円になる」と神尾氏は言う。このアイディアは元々、韓国のスーパーマーケット「E-マート」から来たものだ。イオンの販売担当がこの企画のことを知り、イオングループに持ち込んだという。

「この『企業の社会的責任』のすばらしい点は、お客様の思いを事業の中に取り込むことができるという点にあります。私の知る限り、こうした事業を日本で行っているのは、わがイオングループだけでしょう」と神尾氏は語る。

イオングループがながらく実行してきている「企業の社会的責任」活動は、植樹祭である。新しいショッピングセンターが建設される際には、地域住民が招待されて、イオンの従業員と共に一人当たり苗木10本を植える。

この試みは、マレーシアのマラッカにショッピングセンターが建設された1991年に始まった。日本では、岡田氏の出身地である三重県にショッピングセンターが建設された1992年に始まっている。埼玉県に日本最大のショッピングモール「イオンレイクタウン」(面積26万1633平方メートル)が作られたときにも同じように植樹がなされた。1991年以来、イオングループは923万本の苗木を植えてきた。
 
 神尾事務局長は、植樹活動の重要性を強調して、こう語る。「イオングループが全国で出店させていただく中で、岡田理事長はしばしば日本全国津々浦々を回らせていただきます。12~3年前と比べますと、日本海沿いの風景はずいぶんと変わりました。冬には、海岸道路沿いの木々は日本海からの風に逆らって強く立っていたのですが、徐々に立ち枯れになり、いまやその多くが死んでしまっています。これをみて、岡田理事長は、大気中の二酸化硫黄が問題だと考え、それを世に問うていこうとされたのです。しかし、当時は誰も見向きもしませんでした。人々は汚染は中国から海を越えてやってくると考えていました。もしそれが事実なら、解決は日中協力を通じてのみなされるということになります。そこでイオン環境財団では、1993年、95年、97年と、当時の東大総長加藤一郎氏を議長として、『日中環境問題国際シンポジウム』を開催したのです」。

中国環境研究所との協力を通じて、多くの学者がシンポジウムに参加し、環境問題に関する多彩な議論が展開する基礎を築いた。当時の環境庁長官も参加している。

イオン環境財団は、このシンポを受けて、万里の長城周辺での植樹を提案した。植樹を通じて、いまや世界中に広まった環境問題への関心を広げるきっかけを作ったのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
|輸送と環境|紙と鉛筆があればできるエコ・プロジェクト