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│アフリカ│南南協力は開発に焦点を当てるべき

【ヨハネスブルクIPS=ティナス・デジャガー】

アフリカ諸国は、域外の国々と協定を結ぶ際には、たとえ利益があるように見えても、みずからの開発計画を中心的な課題とするよう慎重に対処すべきである。

南アフリカ国際問題研究所(SAIA)のエリザベス・シディロポウロス所長は、「南南協力という考え方は長らく語られてきましたが、近年における中国とインドの『目を見張るような経済成長』を背景に、注目度が高まっています。とりわけ、後続の発展途上国においては、両国の開発手法に対する関心が高い。」と語った。

南アフリカのウィットウォータースランド大学付属のシンクタンクであるSAIAは、6月9日から10日にかけて「インド、南アフリカ共和国、及びアフリカ大陸」に関する国際会議を開催した。

 
シディロポウロス所長は「インドとアフリカ諸国は法規制や貧困の分野において多くの類似した問題に直面していることから、南南関係を通じた交流は双方に恩恵をもたらすでしょう。」と語った。同所長は、インドとアフリカ諸国間の協力が両者にとって有益である点を強調する一方、この関係が一方にのみに利益をもたらすものであってはならないと警告した。

「途上国はみずからの役割を果たさねばなりません。経済成長を促進するような手法はいくつもありますが、援助はそのひとつに過ぎません。アフリカはインフラ開発とスキル開発を必要としています。また市場アクセスの問題も依然としてあります。」とシディロポウロス氏は語った。

シディロポウロス所長は、途上国間貿易の増加がもたらした直接的な影響については、未だに見極めが困難だと指摘する一方で、「国際貿易の舞台に新たな勢力が加わったことは事実です。アフリカ諸国は、この新しい環境の中で、職業訓練へのアクセス、技術の蓄積が可能となり、途上国間貿易のみならず先進国との貿易交渉においても交渉力を強めています。」と語った。

また同所長は、「海外投資家はアフリカに投資しています。しかし、鍵となるのは、パートナーとアフリカ諸国との間の開発協力です。援助は効果的でなければなりませんが、それは南南貿易というよりも、南南協力というべきものでしょう。」と語った。
 
インドは「アフリカの開発のための新パートナーシップ(NEPAD)」等のイニシアチブに参加してアフリカ大陸に対する積極的な支援を行う方針を打ち出している。

またインドは、情報格差解消に向けた支援としてオンライン診療が可能な電子医療システムをアフリカ大陸に導入すべく多額の投資を行っている。また、小規模かつ革新的なプロジェクトを対象に資金支援を行う「インド・ブラジル・南アフリカ(IBSA)基金」という試みもあり、例えば、西アフリカのギニアにおけるごみ処理事業に資金支援が行われている。

「しかしこうした支援の効果は、実際にプロジェクトが実施され、長い期間が経過しないと評価することはできません。」とシディロポウロス所長は警告する。

アフリカ諸国は、協力関係を機能させるために、協力合意を結ぶ際にはアフリカ側の既存の開発計画を考慮した内容にすべきである。そうした観点から西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)や南部アフリカ開発共同体(SADC)などの地域機構が、こういった協力の形態にできるだけ関与すべきである。またプロジェクト管理の取引コストを軽減するためにコーディネーターをプールしたり、協力事業の合意内容を慎重にモニタリング、さらには、透明性を確保する努力も必要である。

「南南協力は、南北協力の終焉を意味するものではありません。しかしアフリカ諸国はアフリカに関わる国際問題について発言権を持ちたいのです。」とシディロポウロス所長は付け加えた。

南アフリカ第二の通信企業の社長であるスニル・ジョシ氏も、南南関係は貿易というより協力をベースにしたものであるべきと考えている。彼は、アフリカは天然資源以外にも提供できるものがある、という。たとえば、インドや中国に比べて若い労働力がそれである。

「2009年当時、生産年齢人口に属するインド人は全体の64%でした。しかしこの割合は2020年には57%に低下すると見られています。ちなみにインド人の平均年齢は27歳であり、中国人の場合は37歳であった。一方、アフリカの平均年齢はこれらよりはるかに低いことから、こうした若い人的資源が、将来的にはアフリカ大陸の強みとなっていくでしょう。」とジョシ氏は語った。

またジョシ氏は、「経済成長は、進歩をはかる際に考慮する要素の一つでしかありません。人々や文化に対する好影響といった側面も考慮にいれなければならないのです。」と語った。

南南協力を検討する際、アフリカ諸国は現実的な判断をすべきです。それは南南協力が南アフリカ共和国のような比較的裕福な国には適しているかもしれないが、多くの後発途上国にとってはむしろ南南協力よりも援助の方が効果的と考えられるからです。しかしいずれにしても、南南協力はアフリカの成長段階を支える土台となる戦略の一つとなりえるでしょう。」とジョシ氏は語った。

アフリカ諸国とインド・中国の国際協力の可能性について報告する。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan戸田千鶴

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核弾頭数減少にも関わらず核軍縮への道のりは遠い

【ニューヨークIPS=タリフ・ディーン】

核拡散防止条約(NPT)で核保有国として認定されている米ロ英仏中の5カ国にインド、パキスタン、イスラエルを加えた8カ国が保有している核弾頭総数は20,500発以上で、2009年時点と比較すると2000発以上減少している。しかしこうした壊滅的な兵器の5,000発以上が依然として実戦配備されており、その内約2000発は高度な「即応態勢」に置かれている。

こうした最新数値は、スウェーデンの軍備管理・軍縮に関する独立シンクタンク「ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)」が6月7日に発表した、世界の軍備動向に関する2011年の年次報告書に収録されている。

現在、世界最大の核兵器保有2大国はロシア(11,000発の核弾頭を保有)と米国(8,500発)で、フランス(300発)、中国(240発)、英国(225発)、パキスタン(90~110発)、インド(80~110発)、イスラエル(80発)が続いている。

 同年次報告書は、米露両国が2010年4月に締結した新戦略兵器削減条約(新START)において双方の戦略核兵器の削減(配備上限をそれぞれ1550発とする)に合意した点を指摘する一方で、「しかし米露両国は現在、新たな核兵器システムの配備を進めているか、または配備の意志を明らかにしており、無期限に核兵器を保有する決意と思われる。」と記している。

またSIPRIは、隣接する核兵器保有国インド・パキスタン両国については、核弾頭の装着が可能な新型弾道ミサイルや巡航ミサイルの開発を引き続き進めているほか、「核兵器製造目的で核分裂性物質の生産能力拡大を推進している。」と分析している。

従って、世界の核弾頭数は確かに減少しているが、核軍縮は依然として、ほとんど進展していない状況にある。

この状況について、グローバル安全保障研究所(GSI)のジョナサン・グラノフ所長は、「量的な側面だけ見れば、もちろん核弾頭数が削減されたことは評価すべきでしょう。しかし質的な側面にも着目すれば、核兵器事業に多額の資金が投入され核兵器の近代化が進められている現実も踏まえる必要があります。」と語った。

グラノフ氏は、「核軍縮に向けた全般的な進歩というものは、核兵器保有国と非保有国が協力して、核廃絶という方向性を共通の目的として明確に設定することができて初めて成し遂げることができるのです。」と指摘した。

そのような明確な方向性を打ち出せるかどうかは、今後国際社会が、国際協定や法律文書の枠組みを通じて法的拘束力を持ち例外なく適用される核兵器禁止に向けて、準備プロセスに着手できるかどうかにかかっている。

「そのような明確なコミットメントがあれば、段階的に核弾頭数を削減することが、すなわち核兵器の政治的・軍事的重要性を引き下げることにつながるという意味合いを持たすことができるのです。」とグラノフ氏は付け加えた。

最も重要な点は、核兵器を廃絶するという国際社会のコミットメントであり、「これに関してはレトリックも行動が伴って初めて信用に足るということになるのです。」とグラノフ氏は語った。

SIPRIのシャノン・カイル上席研究員は、「米露両国が合意した新START条約は、数十年に亘る核戦力維持を前提とし、核兵器の近代化を国防政策の重点に据えていることから、本当の意味での核軍縮に向けた一歩とは言えません。」と語った。
 
米国の核兵器計画を監視・分析している西部諸州法律財団(WSLF)のジャクリーン・カバッソ事務局長は「SIPRI年次報告書は、私が長年に亘って-少なくとも米国上院が包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否したことに関連して1990年代半ばから指摘してきた点を実証するものです。つまり、米国の核兵器計画は、『たとえ数は削減しても、より近代化された核兵器で永遠に優位を保つ』というコンセプトに基づいているのです。」と語った。

「核弾頭数が想像を絶する夥しい数にのぼったピーク時から比べると現在は大幅に削減されていることから、一般にこれを軍縮と混同する傾向があります。しかし、20,000発を超える核弾頭が僅か8或いは9カ国の掌中にあり、人類と地球にとって耐え難い脅威であり続けているというのが今日の現実なのです。」とカバッソ氏は強調した。
 
「冷戦が終わり、バラク・オバマ大統領が高尚な軍縮レトリックを唱えている一方で、核兵器の先制使用が、依然として米国-これまで戦争で核兵器を使用した唯一の国-の安全保障政策の根幹を占めているのです。」とカバッソ氏は指摘した。

そしてこうした米国の核兵器の先制使用を基礎に置く核抑止政策は、他の核兵器保有国の大半の国々における安全保障政策に反映されている。

かつて米国上院のCTBT批准拒否は、その後の「核兵器の近代化及び備蓄性能維持計画」に巨額の政府予算を投入する道筋をつけることとなったが、今回の上院による新START批准承認は、この傾向にさらに拍車をかける結果となった(例:オバマ政権は核兵器近代化5カ年計画のために850億ドルの支出を約束等)。

「こうした新START批准承認を条件とした上院の要求をオバマ政権が受け入れた結果、STARTプロセスは向こう数十年に亘って核弾頭及び運搬手段の近代化を伴うものとなり、事実上軍縮の流れに反するものとなってしまっているのです。」と2008年に「国際平和ビューロー」のショーン・マクブライド平和賞を受賞したカバッソ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|イスラエル-パレスチナ|和平が遠のく中で平和の灯を守る人々

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【ユトレヒトIPS=フランク・マルダー】

政治家たちが和平プロセスを凍結させてしまった一方で、なお和解は可能だと信じる人々が集う多くのグループが、イスラエル、パレスチナ双方に存在する。彼らは、「どちらかの立場を選んだ瞬間から、あなたも紛争の当事者になってしまうのです。」と述べ、国際社会に対して、対立する双方が作り出すステレオタイプ(固定概念)を信じないよう呼びかけている。

「私たちは少数派ですが、革命はいつも少人数のグループから始まるのです。」と、テルアビブ大学の社会学者シロミット・ベンジャミン氏は語った。彼女はユダヤ人であるが、父がシリア人のため、「ミズラヒ(mizrahi)」と呼ばれるアラブ系ユダヤ人である。「だから私は、アラブ人を敵とは思えないのです。アラブは私の家族の文化の一部なのですから。」とベンジャミン氏は語った。

ベンジャミン氏は、最近アラブ系ユダヤ人の若者たちがアラブ世界で民主化を求める街頭デモに参加している若者たちへの連帯を表明した宣言書「Ruh Jedida: A New Spirit for 2011」の署名者の一人である。イスラエルのアラブ系ユダヤ人たちは、アラブ世界でデモに参加している若者達が訴えようとしている問題への理解を示して、「私たちも、大半の市民の経済的社会的権利を踏みつけ…アラブ系ユダヤ人、アラブ人、そしてアラブ文化に対して人種差別による壁を巡らせる政権のもとで生活しています。」と宣誓書に記した。

 ユダヤ人とアラブ人の争いは、しばしば作り出された固定観念によって悪化してきたが、こうした若きアラブ系ユダヤ人達は争いのどちらの側につくことも望んでいない。そしてそう考えているのは彼らだけではないのである。

「私の知っている大半の人々は本当に平和を望んでいます。しかし大半の人々は相手側を信頼できないのです。」とヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)で人権問題に取り組むラビ(ユダヤ教の宗教指導者)のために活動しているイェヒエル・グレニマン師は、IPSの電話取材に応じて語った。「パレスチナ人達は、自分たちの土地が占領されていることから明らかにユダヤ人を恐れています。しかしユダヤ人の恐れにも根拠があるのです。彼らの多くは、第二次世界大戦中に家族全員を殺されており、ハマスがイスラエルを滅ぼすという話を耳にして恐れを抱くのです。つまりパレスチナ人とユダヤ人は、双方が変わり、お互いに対する信頼を築いていかなければなりません。」

この人権団体には様々な政治的な背景をもつ約120人のラビが加盟しており、今月には権威あるアメリカン・ガンジー平和賞を受賞している。「私たちは日常生活の具体的なレベルでトーラ(ユダヤ教の律法)の教えを実践したいのです。例えば、私たちはパレスチナの人々と共にオリーブの収穫にでかけたり、ユダヤ人入植者を相手とした裁判にパレスチナ人の代弁者として証言したりしています。現在、米国からの団体が到着するのを待っており、彼らに東エルサレムを案内する予定です。」とグレニマン師は語った。

「私たちは共に生き残るか、それとも共に滅びるか2つに1つです。」とパレスチナ紛争に関する実際的な解決に向けた研究を行っているシンクタンク「イスラエル・パレスチナ研究情報センター(IPCRI)」のハンナ・シニオラ共同代表は語った。「例えば、環境問題を例に挙げると、紛争のために私たちは水資源の管理をおろそかにしています。その結果、時折帯水層(地下水を含む地層)が汚染されることがあるのです。もしユダヤ人とパレスチナ人がともに協力し合わなければ、私たちはともに災害に直面することになるのです。」

またシオニラ共同代表は、「もちろん、私たちパレスチナ人は、占領により虐げられており、自身の独立国家を必要としています。しかし独立後の私たちの将来は、ユダヤ人の隣人の将来と引き続き密接に関わっているのです。両民族はこの小さな土地に共に生きていかなければならないのです。ですから、私たちは両者間のより温かい関係を築くために道を切り開く努力をしているのです。」と語った。

「それは大変難しい取り組みです。」と、イスラエル国内において大多数を占めるユダヤ人と少数派のアラブ人の間の団結と連帯を育む活動を行っているアブラハム基金のアモン・ベエリ-スリッツェヌ共同代表は同意した。

さらに同氏は、「私たちはユダヤ人、パレスチナ人双方のコミュニティーと活動に取り組んでいますが、同時に全ての人から信用を得るのは難しいのが現実です。他のアオボカシー団体がしばしばイスラエル政府と対決する中で、私たちがそのような立場をとらないことが影響しているのかもしれません。私たちはユダヤ、パレスチナ双方のコミュニティーとも、そして政府とも協力するように心がけています。例えば、イスラエル教育省でアラブの言葉や文化を教えたり、イスラエル警察がアラブ系市民に対するサービスを向上させるための支援などを行っています。こうした取り組みが大変デリケートなものであることは容易に想像できるでしょう。」と語った。

「ムサラハ:和解のための聖職者の会(Musalaha Reconciliation Ministries)」のサリム・ミナヤー代表は、「国際的にもそうした取り組みは大変デリケートなものです。」「世界中の団体は一方を受け入れ、他方を否定します。私たちもしばしば、パレスチナ人側とユダヤ人側の双方から、相手側を非難して忠誠心を証明するよう求められます。しかし、和解のために従事している私たちはそのような要求に応えることはできないのです。私たちはユダヤ人とパレスチナ人の双方を支持し、擁護する存在でなければならないのです。なぜなら、どちらかの側を選択した時点から、紛争の当事者になってしまうからです。」と語った。

この団体は、パレスチナ人とユダヤ人のキリスト教徒が参画している。「私たちには『汝の敵を愛せよ』と説いたイエス・キリストという共通の信仰があります。しかし私たちは活動に共に取り組む人々の宗旨を問いません。例えば、私たちはパレスチナ人とユダヤ人の青年リーダーを対象とした『デザートエンカウンター』という砂漠をラクダに乗って旅したりハイキングしたりするプログラムを実施しています。両民族の青年リーダーたちは旅を通じてお互いを知り合うのです。」とミナヤー代表は語った。
 
一方で、パレスチナ人が苦しみ、両者の対立が激しくなっている中で互いを知り合うことに何の意味があるのかという声もある。これはまさに、ベツレヘムで会計士としているムサ・スベー氏が時折考えている疑問点である。

スベー氏は、「私は平和活動に従事しているイスラエル人に合う機会がありました。その時間が全く無駄だったわけではないし、僅かながらお互いの認識を改めることもできたと思います。しかし、結局はそのことで和解に達したとはいけません。イスラエル、パレスチナ双方とも国民に選ばれた政府は、明らかに益々右傾化してきており、両民族の大半の人々は行動においても思考においても、平和から依然としてほど遠いところにいるのです。」と語った。

ラビのグレニマン師は、「スベー氏のような人に私が唯一言えることは『私たちは君のような人が必要だ。』ということです。」「私の同胞のユダヤ人達が抱いている恐怖心は本物です。私たちにはこうしたユダヤ人に会って恐怖心を取り除いてくれるパレスチナ人が必要なのです。もし人々が、相手側が危険だから会いたくないというのであれば、そうした恐怖心はやがて現実のものとなってしまうのです。そしてこうした恐怖心こそ、私たちの政府が利用しているものなのです。だからこそ、私たちは人々が互いに信じ合い、相手側の人々も神の姿になぞらえて創造された人間であると捉えられるよう手助けすべきなのです。つまり、恐怖心と同様に信頼の気持ちも、やがて現実のものとなっていくものなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ニューヨークIPS=ポーシャ・クロウ】

国際社会の目がバーレーン、シリア、リビア、イスラエルの人権状況など中東情勢に釘付けになる中、国際危機グループ(ICG)が中央アジアの「最貧国」タジキスタンに関する報告書を発表した。

それによれば、タジキスタンは国内外において安全保障上の脅威に直面しているという。東部ラシュト地区では、軍閥や青年ゲリラなどに対する政府の不毛な掃討作戦が続けられていたが、2010年、エモマリ・ラフモン大統領とタジク反対戦線(UTO)のミルゾフヤ・アフマドフとの間で不安定ながらも和平合意がなされた。

その結果、2009年の襲撃以来、政府軍を悩まし続けてきたアフマドフとその支持者らは、恩赦との交換条件で武装解除に応じ、政権支援に回ることになった。

 「2010年のラシュト地区掃討作戦が失敗したことで、タジキスタン国軍及び治安部隊の戦闘力に関する信頼と威信は大きく傷つくこととなった。」と同報告書は記している。また、タジキスタンは、国内のこうした軍閥の脅威に直面する一方で、隣国のアフガニスタンを混乱に陥れているウズベキスタンイスラム運動(IMU)による脅威にも晒されていると報告している。ICGの中央アジアプロジェクトディレクターのポール・クィン=ジャッジ氏は、「IMUはイスラム国家樹立のビジョンを掲げて、タリバンとともにアフガニスタンで戦闘に加わっており、タジキスタン政府としては、IMUが引き続きアフガン情勢にかかりきりとなりタジキスタンの内政に干渉しないことを願っている。」と語った。

またICG報告書は、アフガニスタン紛争が1400キロに及ぶ同国とタジキスタンとの国境地帯に及ぶ中、脆弱なタジキスタンが、中央アジア各地のゲリラ勢力をひきつける可能性があると警告している。東部ラシュト地区での和平合意で現地のゲリラ部隊はわずか30人になったというが、一方でアフガンゲリラのタジキスタンへの浸透は既に何年にもわたって続いており、「タジキスタン政府は、こうしたゲリラ勢力に対処する能力をほとんど有していない。」と同報告書は述べている。

こうした安全保障上の脅威は、タジキスタン国内及びIMU内部で台頭してきている若い世代のゲリラたちである。「こうしたゲリラの多くは、1992年から97年にかけて5万~10万人の命を奪ったとも言われるタジキスタン内戦の記憶を持ち合わせていない20台の若者達である。」と同報告書は記している。

また同報告書は、「こうした新世代の台頭を背景に、タジク人があまりにも悲惨な内戦の記憶から、現政権(反乱を誘発するような腐敗政権ではあるが)に反抗することはありえないとする憶測は成り立たなくなってきている。」と記している。

「タジキスタンの政治腐敗状況は引き続き深刻なレベルです。」とクィン=ジャッジ氏は語った。同国政府は、アフガニスタンから中国、ロシアに麻薬を密輸しておりアフガニスタン国境の不安定化の一因となっているとの疑惑が持たれている。

ICG報告書によれば、タジキスタンは、腐敗した政権と弱い軍隊に加えて、「瀕死」の経済とインフラの老朽化に直面している。こうした深刻な現状に対する不満から、アラブ世界を席巻している民衆蜂起の波がいずれタジキスタンにも及ぶのではないかと予測する専門家もでてきている。

IGCアジアプログラムディレクターのロバート・テンプラ-氏は、「ラフモン大統領は北アフリカでおきた民衆蜂起がタジキスタンでも発生する可能性を否定しました。しかし、タジキスタンの脆弱な政治情勢を考えれば、国内の小さな問題でも政権の存続を脅かす大問題に発展しかねません。タジキスタンも中東・北アフリカを席巻している民主化の波の影響を受けないとはいえないのです。」と語った。

同報告書は、タジキスタン政府に対して、暴力を否定する穏健なイスラム集団を容認し、彼らの政治・社会参加を促すことが必要だと勧告している。また同報告書は、ロシア、中国、米国に対しては、アフガニスタン-タジキスタン国境のリスクを検証し、同国境の安全保障を強化する方策を協議するよう勧告している。また、「今の段階でタジキスタンや中央アジア諸国の開発援助スタッフの専門技術向上に投資しておけば、今後大きな成果を期待できる。」として、従来の開発援助のありかたを見直し、政治経済改革を促す各種条件を設けるよう勧告した。

タジキスタン情勢に関するICGのレポートについて報告する。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan戸田千鶴

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【ニューデリーIPS=ランジット・デブラジ】

インドのマンモハン・シン首相が5月24日にエチオピアの首都アジスアベバで発表した構想の中で、インド・アフリカバーチャル大学(IAVU)の計画は際立っていた。第2回アフリカ・インドフォーラムサミットで演説したシン首相は、アフリカの開発のために今後3年間で50億ドルを拠出すると約束した。

IAVU構想は、既に大きな成功を収めた「パンアフリカe-ネットワーク」(衛星回線でつないで通信教育を行ったり、遠隔地からの医療行為を行ったりしている)に続くもので、シン首相は「このイニシャチブは、アフリカにおいてインド系高等教育機関への需要に拍車をかけるだろう。」と語った。

インド政府のウェブサイトによると、アフリカで人材育成と様々な新施設を建設するためにインドはさらに7億ドルを投じる予定だという。

Tata scholars at the University of Witwatersrand, Johannesburg Credit: Tata Holdings Africa
Tata scholars at the University of Witwatersrand, Johannesburg Credit: Tata Holdings Africa

 
シン首相は、「インド政府は、技術経済協力プログラム等のスキームを活用して、奨学金の数とアフリカからの学生、専門家を対象とした留学生受入件数枠を大幅に拡充しています。こうした支援を通じて、インドの教育機関における留学経験を豊かなものにしていただきたいと望んでいます。」と語った。シン首相は、IAVUで学ぶ学生1万人にも奨学金を支給する計画についても発表した。

アフリカ各国で大使を歴任したH.H.S.ヴィスワナタン氏は、こうしたシン首相のアフリカ支援戦略について、「明らかにインドは、中国が断然優位にあるインフラ開発の分野に(アフリカ支援の)重点を置くわけにはいきません。しかしインドは情報技術(IT)大国であることから、この分野を基軸に据えることでアフリカ諸国への影響力を拡大していけると考えているのです。」と語った。

またヴィスワナタン氏は、「一般にはあまり知られていませんが、1970~80年代には多くのインド人教師・医師が政府のプログラムでインドからアフリカに渡りました。今日のアフリカ諸国の指導者世代は、このことをよく認識しており、高く評価しているのです。また、2008年にインドの首都ニューデリーで開催された第一回インド-アフリカサミットの直後からインド政府は人材開発部門に焦点をあててきました。従って、今日このアプローチを強化しているのは必然的な流れなのです。」と語った。

今回のシン首相による発表によると、インド-アフリカ生命地球科学大学並びにアフリカ農業・農村開発研究所の設立が計画されている。また、インド-アフリカ中期気象予想センター構想では、人工衛星技術を農業、漁業部門のほか、災害対策、天然資源管理にも活用していく予定である。

また、近い将来完成するインド-アフリカ食品加工物流施設やインド-アフリカ総合繊維パークは、いずれも、アフリカ製品の域内及び海外における輸出市場を創出する助けとなるだろう。

シン首相の人材育成に主眼を置いた構想は、経済界にも歓迎されている。インド産業連盟アフリカ委員会(CII)のサンジェイ・キルロスカル委員長は、「インドの産業界は、こうした能力開発プログラムを通じて、「即戦力」となる人材をアフリカにおいて求めている。」と語った。

キルロスカル委員長は、「インド企業が提供している各種訓練プログラムは、現地のビジネス展開に即したもので、アフリカの研修生は仕事を通じて学び、やがては事業展開を彼ら自身が動かしていけるように構成されています。」と語った。また、インド企業が奨学制度や企業開発スキームを通じて立ち上げた教育、訓練プログラムは、幅広い社会的ニーズを取り扱う内容となっており、「これこそが南南協力(途上国間協力)の真髄なのです。」と語った。

インドの巨大財閥タタグループのヴィカス・ガドレ新規事業担当副社長も同じような見方を示している。タタ社はアフリカ各国において製鉄、車、情報技術、通信など幅広い分野で事業展開しているほか、いくつかの能力開発プログラムを実施していることで知られている。同副社長はIPSの取材に応じ、「わが社は、アフリカ人の技術、管理スタッフに権限を委譲して社の運営を任せられるような大規模な熟練労働力を育てることが現実的かつ収益を生むものだと理解しています。このようなイニシャチブこそが、アフリカ諸国の指導者が、わが社並びにインド政府に対するクレジットとして高い評価しているものなのです。」と語った。

ヴィシュワナサン氏は、「民間部門の参画は、インド政府がアフリカ諸国と政治的、経済的関係を構築していくうえで一助となるものです。」と語り、アフリカ諸国の大半が多党制民主主義体制に移行している現状を考えれば、民間部門の参画は重要であると指摘している。

インド・アフリカ間の貿易実績は昨年で460億ドル。2015年には700億ドルまで伸びると予測されている。インドの民間企業はアフリカ主要国の情報技術、農業器具、車、農業等の部門に対して、今日までに250億ドルを上回る投資を行っている。

インドにおけるアフリカの人材育成戦略について報告する。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan戸田千鶴

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|アラブ首長国連邦|「9月には新たにグリーンラインが開通」とローカル紙

【アブダビWAM】

「中東及びアラブ首長国連邦(UAE)初の世界最長無人運転鉄道システム『ドバイ・メトロ:レッドライン』(ラシディアからドバイ中心部、ジュメイラ・ビーチエリアを経て、ジュベル・アリ方面へと海岸線に沿って延びる全長52キロ運行区間)が開通してから2年、今年9月には、ドバイ・クリークをU字型に囲むように走る新路線『グリーンライン』が運行を開始する予定である。」とUAE日刊紙が報じた。

ドバイ道路交通局(RTA)は、アル・ジャダフとドバイ・クリークを除く全ての駅が運行開始までに完成予定。」とガルフ・ニュース紙は6月6日付の論説の中で報じた。

「新路線『グリーンライン』(16駅を結ぶ全長23キロ)の完成は、ドバイの都市開発の歴史に新たな章を刻むとともに、全ての人々に包括的かつ近代的な公共輸送システムを提供することとなる。」と同紙は強調した。

「レッドライン」が間もなくドバイ市民に受け入れられ街に溶け込んだ経緯を考えれば、「グリーンライン」も開通すれば同様にドバイの街の一部となっていくだろう。


 
「RTAは、この巨大な地下鉄開発プロジェクトを完成へと導き、街の二酸化炭素排出量の削減に成功したほか、市民に対して環境にやさしい選択肢(車に代わる地下鉄利用)を提供した。この功績は称賛に値するものである。」と同紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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講演動画「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」(石田尊昭:尾崎行雄記念財団事務局長)

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先週土曜日(5月14日)、日本論語研究会のお招きにより、慶應大学で講演「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」を行ないました。
そこでは大変貴重な経験をさせて頂き、また有り難いご縁、出会いも頂きました。
同会の田村重信代表、高橋大輔さんをはじめ、主催者の皆様、そしてご参加頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。
同会のお取り計らいにより、早速、講演動画がアップされました。
当日ご参加頂いた方はもとより、一人でも多くの皆様に、「尾崎行雄と相馬雪香」について知って頂ければ幸いです。

テーマ:「尾崎行雄(咢堂)と相馬雪香」(講師:石田尊昭)

 講演動画 その1(約30分)
■主催者挨拶・論語唱和・講師紹介⇒講演開始→尾崎行雄の信念と生き方

講演動画 その2(約30分)
■続き→相馬雪香の信念と生き方⇒相馬雪香のリーダーシップ→相馬雪香の心→質疑応答

講演動画 その3(約20分)
■質疑応答の続き→尾崎財団・咢堂塾の紹介⇒終了

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「人生の本舞台は常に将来に在り」―明日への希望
石田尊昭ブログ「永田町の桜」

|セルビア|ムラジッチ逮捕で和解とEU加盟への期待が高まる

【ベオグラードIPS=ヴェスナ・パリッチ・ジモニッチ】

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時(1992年~95年)のセルビア人武装勢力司令官ラトコ・ムラジッチがセルビア国内で逮捕された。これを受けてスレブレニツァ女性協会のハジラ・カティッチ代表は、「夫や子供たちはどんなことをしても決して帰ってくるわけではありませんが、彼らの殺害を命じた人物がようやく裁きを受けるというニュースは、私たちにとって重要な知らせです。」と語った。

ムラジッチは、国連が創立したハーグに拠点を置く旧ユーゴスラビア戦争犯罪国際法廷(ICTY)に、大量殺戮と戦争犯罪の罪で起訴されていた。起訴状によると、ムラジッチは、1995年にスレブレニツァで7500人のイスラム教徒の男性や少年が殺害された虐殺事件と、10,000人の犠牲者を出した3年半に及んだサラエボ包囲の責任を問われている。

 
カティッチ代表はIPSの取材に応じ、「ムラジッチの逮捕は、セルビアのボリス・タジッチ大統領(右上の写真の人物)による記者会見のテレビ映像を見て初めて現実のこととして信じることができました。」と語った。ベオグラードで行われたタジッチ大統領の記者会見の模様は、旧ユーゴスラビア地域のほぼ全てのテレビ局で放映された。
 
ムラジッチはセルビア北部のヴォイヴォディナ自治州ラザレヴォ村で逮捕されたが、タジッチ大統領は逮捕時の詳細については明らかにしていない。ただし、タジッチ大統領は記者会見で、旧ユーゴスラビア戦争犯罪国際法廷への被告の引き渡し手続きを進めていることを明らかにした。

タジッチ大統領は、「本日、(ムラジッチの逮捕をもって)私たちは歴史の一章を閉じることができました。これにより、地域の和解に向けて一歩前進することができるでしょう。」「私たちはまた、これをもって欧州連合の期待に全て応えることができました。」と語った。

タジッチ大統領は従来セルビアに重くのしかかっていた2つの問題に言及していた。1つ目は、約150,000人もの犠牲者を出した非セルビア系住民に対して行われた残虐行為が足枷となって遅々として進まない和解プロセスの問題である。終戦から16年に亘ってムラジッチが逮捕を免れ逃亡していたことも和解プロセスの大きな障害となっていた。

そしてもう一つは、セルビアが好戦的なスロボダン・ミロシェヴィッチ政権を2000年に打倒して以来求めてきた、欧州連合加盟問題である。

国際法の教授ヴォイン・ディミトリエヴィッチ氏はIPSの取材に応じて、「ムラジッチの逮捕で、セルビアには2つの展望が開かれたと思います。一つが、地域が前進していくために不可欠な和解プロセスの進展。そしてもう一つが、欧州連合加盟の展望です。だれもがこうした展望が進展することを歓迎しているのです。」と語った。

セルビアの著名な人権活動家であるナターシャ・カンディッチ氏は、「ムラジッチの逮捕は、近年における歴史、政治、司法の観点から最も重要な出来事です。とりわけセルビアの大統領が、ムラジッチの逮捕を発表し、『(逮捕を)誇らしく思う』と語ったことは、実に意義深いことであり、犠牲者の遺族にも正義はなされるというメッセージが届いたと思います。これにより和解への扉が開かれるでしょう。」と語った。

カンディッチ氏は、ムラジッチ逮捕は、ボスニア、クロアチア、セルビアの3者間の関係を変えていくうえで、長期にわたる影響を及ぼしていくと考えている。

ベオグラードの安全保障論の教授ゾーラン・ドラギシック氏は、「ムラジッチ逮捕は予想されていたこと」として、「セルビアによるムラジッチ逮捕の知らせは、まさに計算したかのようなタイミングで発表されました。欧州連合は、ちょうどムラジッチのハーグへの引き渡しなしに連合加盟はあり得ないと通知したところでした。また、旧ユーゴスラビア戦争犯罪国際法廷の主任検察官セルジュ・ブラメーツは、セルビアの同法廷への協力姿勢は消極的との報告したところでした。」と語った。

「しかし、もしムラジッチが法廷で証言する決断をしたら、私たちはボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦に関する異なった説明や見方を耳にすることになるでしょう。」とドラギシック氏は語った。

クロアチアの政治評論家ザルコ・プホフスキ氏は、ムラジッチの逮捕によってセルビアの政治的な立場は今後異なったものとなるだろうと語った。彼はB92のラジオとテレビ放送局の取材に対して、「タジッチ大統領は(ムラジッチ逮捕の記者会見で)、旧ユーゴスラヴィア地域に大きな影響力を発揮しました。セルビアは大きな得点を手にしたのです。クロアチアは2013年に欧州連合に加盟する予定ですが、その後はセルビアがこの地域のリーダーになるでしょう。ムラジッチ逮捕によって、この地域の諸国間に横たわっていた多くの障害が取り除かれたのです。」と語った。

一方、セルビア国粋主義者たちは、ムラジッチをボスニアでセルビア人を守った内戦の英雄と今でも見做しており、ムラジッチ逮捕を歓迎していない。

タジッチ大統領は、こうした国粋主義者たちの抗議行動の可能性に言及して「セルビアの安定を維持するためのあらゆる手段を講じるつもりだ。」と語った。(原文へ)


 翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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│エジプト│愛する権利すらも奪われた女性

【カイロIPS=エマド・ミーケイ】

エジプトの若いキリスト教徒女性アビール・ファクリ(Abeer Fakhry)さんは、ただ暴力的な夫から逃れて、自分を愛してくれる男性と一緒にいたいだけだった。しかし彼女は、いつのまにか、自分の家族から追われ、コプト教会(キリスト教東方諸教会の一つ)から追われ、イスラム原理主義集団から追われ、最後にはエジプト軍に追われる存在になってしまった。

 「私はただ幸せになりたかっただけ。」と彼女の存在が知られるきっかけとなったユーチューブの中でアビールは語っている。彼女の語った内容は、エジプトで家庭内暴力に晒されているキリスト教徒の女性が助けを求めても教会の教えから離婚は許されず、耐え難い婚姻生活を余儀なくされる実態を浮き彫りにした。

エジプトのキリスト教会は、圧倒的多数を占めるイスラム教徒に差別されていると不満を訴えているが、その一方でこの事件は、教会自らが信徒の自由を拒否している実態を明らかにした。アビールは、メディアの取材に対して、アシュート県(エジプト南部)の同村のキリスト教徒男性との結婚生活が、いかに間もなく悪夢と化したかを語っている。
 
アビールによると、夫は、日常的に口汚く彼女を罵り暴力を振るった。彼女は貧血気味になり、3ヶ月ごとに輸血を要する体になってしまった。彼女は離婚を申し出たが、シェヌーダ3世(コプト正教会の教皇アレクサンドリア総主教)率いる保守的なコプト正教会は、彼女の訴えを拒絶した。

「私は改宗すれば婚姻関係を解消できると言われました。それでイスラム教への改宗を考え始めたのです。」とエジプトのキリスト教系テレビ局の番組に出演したアビールは述べている。そんな時、アビールは、アラビア語のカリグラフィー学校に通うバスで車掌をしていたイスラム教徒ヤセンと知り合う。

昨年9月23日、彼女はアル・アズハルモスクで改宗し、ヤセンと結婚した。しかし、そのときから彼女の悲劇は始まった。2人が行き先を変えて転々とする中、アビールの家族が2人を追ってきたのである。

多くのコプト教徒は信者の減少、とりわけ自分たちの子どもの世代が許容できないペースでイスラム教に改宗している現状に不安を抱いている。米国のピューリサーチセンターの調査報告書( The Pew Forum on Religion and Public Life)によると、かつて過半数を誇ったエジプトのキリスト教も今では人口8600万人の僅か4.5%しか占めていない。しかもこの値はカトリックやプロテスタントといった全てのキリスト教諸派を合計した数値なのである。

ホスニ・ムバラク前政権は、コプト教会がイスラム教に改宗した元信者を追って再改宗を迫ることに関して黙殺する態度をとった。コプト教徒は元来リベラルな家庭が少なくなかったが、保守的な教皇シェヌーダ3世の唱える「改宗は背信行為であり死罪に値するほどの重罪」という概念を受け入れる信徒が近年増加しており、人口の大半を占めるイスラム教徒としばしば摩擦を引き起こしている。

アビールの事件が起こる少し前、サルワという3人の子どもを持つ7年前にイスラム教に改宗していた若い元キリスト教徒の母親が、キリスト教徒の家族によって子ども1人とともに殺されるという事件が起こった。さらにこの事件ではイスラム教徒の夫も負傷している。同じような運命を辿ることを恐れたアビールは、カイロの北40キロに位置するベンハ村に身を隠した。

しかし3月、彼女はついに家族によって捕らえられ、各地の教会の間を転々と移された末、カイロ郊外の貧民街インババ地区の教会に連行された。その後アビールはなんとか携帯電話を確保し夫に連絡した。

絶望したヤセンは、ムバラク政権崩壊後に活動を活発化してきているイスラム原理主義のサラフィ(Salafis)主義者の団体に助けを求めた。まもなく数十人のサラフィ主義者達がインババ地区のコプト教会(Mar Mina church)の外に集まり、イスラム教徒とキリスト教徒の衝突が始まった。その結果、8人のイスラム教徒と4人のキリスト教徒が亡くなり、約210人が負傷、2つの教会が焼き打ちされるという、近年で最悪の宗教抗争となった。

多くの人々は、ムバラク政権崩壊がこのような宗派対立を呼び込んだことに恐れをなした。事件の翌日、多くのキリスト教徒達はカイロの街頭に出て、イスラム原理主義からの保護を求めてムバラクの帰還を訴えはじめた。

ムバラク前大統領は、サラフィ主義のようなイスラム原理主義の動きを警察機構を動員して暴力的に抑えつけていた。一方、コプト教会に対しては、教皇シェヌーダ3世がムバラク政権と息子ガマルの大統領後継を支持する見返りに、国内少数派のコプト教信者に対する支配を黙認する立場をとっていた。

一方、教皇シェヌーダ3世は、コプト教徒が1月25日に始まり翌月にムバラク前大統領を追放するに至った民衆蜂起に参加するのを禁じた。

ムバラク時代からの幹部が依然として大勢を占めるエジプトメディアは、インババ事件のスケープゴートとしてアビールを非難した。新聞各紙はアビールを「全ての問題の元凶」と呼び、彼女の資質を疑う論説が数多く報道された。

彼女自身は両集団の衝突の間に教会を抜け出したのだが、こんどはエジプト国軍に捕えられてしまう。国軍の将軍たちは、アビールを宗教闘争を煽ったとして非難している。

アビールは現在、悪名高いカナタ(Qanater)女性刑務所に収監され、人権擁護団体を含むあらゆるサイドから非難を一身に受けている。人権擁護団体は、イスラム教からキリスト教への改宗をした人物の擁護にのりだすことは度々あるが、アビールの擁護については慎重な立場をとっている。

アビールは先週地方テレビ局が行った電話インタビューに応じたが、今後のことに話が及ぶと声を震わせ、「このあと私の運命がどうなるのか、何がおこるのか分かりません。私はただ、皆さんと同じように、普通の生活を送りたかっただけなのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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Post ­Osama, Pakistan May Be More Unrelenting on FMCT

By Shastri Ramachandaran*

NEW DELHI ‐ An early resolution of the prolonged deadlock, in which the United Nations Conference on Disarmament is trapped for over two years, appears unlikely given the prevalent mood in Pakistan.
In the aftermath of the United States forces killing Osama bin Laden in Abbottabad, about an hour’s drive from Islamabad, Pakistan is bound to take a harder line in multilateral forums on issues that impact its security and strategic interests. Such a hardening, reinforced by Pakistan’s India‐centric security concerns, would be conspicuously manifest on issues perceived to be driven by “a West‐scripted agenda in UN forums, such as disarmament and non‐proliferation”.
One such issue, which Pakistan has resolutely stonewalled thus far, is the Fissile Material Cut‐off Treaty (FMCT) under tortuous negotiation in the UN Conference on Disarmament (CD), and the conclusion of which, in Islamabad’s view, would put India in a vastly more advantageous position vis‐à‐vis Pakistan.
Boxed into a corner by the international community as a “haven for terrorists” and the fount of both regional and global terrorism, a battered Pakistan, seething at the humiliation of foreign forces transgressing its sovereignty, is in no mood at present to strike compromises when it comes to larger global concerns.
Pakistan seems determined to continue obstructing any movement towards wrapping up the FMCT in its present form, as this does not take into account India’s existing stockpile of fissile material. This was made clear, both on and off the record, by a number of high‐ranking government officials and functionaries in state‐funded institutions, in the course of interactions with this writer during his recent visit to Pakistan.
Even before U.S. forces struck to liquidate bin Laden, Pakistan had been blocking a consensus on FMCT ‐‐ a key item on the agenda of the 65‐nation Conference on Disarmament for over a decade now.
The FMCT acquired a new urgency with the declaration of the Weapons of Mass Destruction Commission, in April 2009, highlighting the need for an early agreement to halt production of fissile material for nuclear weapons.
It gained further impetus with President Barack Obama’s Prague Speech in April 2010, wherein he sought the international community’s support to negotiate and conclude an FMCT. In its Nuclear Posture Review (2010), the U.S. explicitly committed itself to negotiating a verifiable FMCT.
The Session of the UN Disarmament Commission in 2010 made it an issue of greater priority by urging early commencement of negotiations on FMCT in the CD. Thereafter, in May 2010, the NPT review conference exhorted Nuclear Weapon States (NWS) to declare and place their fissile material which are no longer required for military purposes under the International Atomic Energy Agency (IAEA).
*The writer, who recently travelled to Pakistan at the invitation of the Government of Pakistan, is a former Editor of Sunday Mail and has worked with leading newspapers in India and abroad. He was Senior Editor & Writer with China Daily and Global Times in Beijing. For nearly 20 years before that he was a senior editor with The Times of India and The Tribune. Besides commentaries on foreign affairs and politics, he has written books, monographs, reports and papers. He is co‐editor of the book ‘State of Nepal’