ホーム ブログ ページ 265

|日本-中東|中東和平に手を差し伸べる小さな街の試み

【東京IPS/IDN=浅霧勝浩

小金井市は人口11万3,389人の東京郊外の小さな街である。市内在住の外国人は僅か2,418人。この郊外の街が世界の出来事、ましてや紛争の最中にある中東地域の問題に積極的に関ろうとするなど想像する者はまずいないだろう。 

しかしそれこそ小金井市が今年の夏に実行に移したことである。小金井市は、イスラエル軍の空襲やハマスの自爆テロ等で肉親を失った9人の高校生遺族(4人のパレスチナ人と5人のイスラエル人)を招待したのである。

 招聘された高校生の中には、地図の上で日本がどこにあるかも知らなかった者もおり、果たして祖国から遠く離れた日本で、彼らの日常生活を無慈悲に覆いつくしている中東の長く暗い影から、暫し自らを解放できるだろうか?パレスチナ人とイスラエル人でグループに分かれたまま互いのコンタクトを避けるだろうか?それとも、相互不信と憎悪を横において、コミュニケーションを図るだろうか? 

中東から高校生遺族を迎えるにあたって、稲葉孝彦小金井市長、鈴木ひろ子小金井市議の脳裏を掠めたのはこのような懸念であった。また、高校生遺族たちがホームステイする小金井市民や伊東浄堯教育長も、様々な不安を抱きつつもプロジェクトの成功を祈るような思いで青少年たちの到着に備えた。 

稲葉市長は、中東情勢の複雑さを考慮して、万全の体制で臨んだ。市長は、「和平プログラム」期間を通じて、パレスチナ人とイスラエル人高校生をそれぞれ2人づつ一組のペアにして行動させることとし、万一の場合でも宿泊先の小金井市民が高校生たちに必要な支援が提供できるようホストファミリーの人選についても自ら率先して関与した。高校生参加者は(パレスチナ人の少女が1名参加できなくなったため)9人であることから、9人目の参加者は、1人でホームステイするが、近所に宿泊するパレスチナ人、イスラエル人ペアと常に3名で行動できるよう配慮した。 

また稲葉市長は、高校生代表団のイスラエル出発に当たって全員がテルアビブから揃って出発できるように尽力した。(2年前にパレスチナ人代表団の出国が認められず、京都府亀岡市の職員が日本の空港で待機する中、代表団の来日がキャンセルされた経緯があった:IPSJ)結果的にパレスチナ人代表団は、イスラエル人代表団とは別に隣国ヨルダンのアンマン経由となったが、両者はパリで合流し、7月28日に揃って来日を果たした。 

パレスチナ人とイスラエル人の高校生遺族代表団は、8月2日までの日本滞在中、着物の着付体験、茶道、生け花、阿波踊り、小金井市が企画した様々な文化交流プログラムに参加した。また、小金井市の高校生や一般市民もボランティア通訳として参加しこれらのプログラムを支えた。 

小金井市は、世界連邦自治体全国協議会(142の市町村自治体が加盟)のメンバー自治体である。2003年に同協議会が開始した「中東和平プロジェクト」は、中東情勢の悪化を背景に既に2年間の空白期間があり、稲葉市長はこのプロジェクトの存続と将来を深く憂慮していた。稲葉氏の平和への熱い思いは、同氏の幼児期の経験からくるものである。 

稲葉孝彦氏は第二次世界大戦末期に満州(現在の中国東北部)で生まれた。稲葉氏はほどなく父と生き別れ、ソ連軍の満州侵攻に伴う混乱の中、幾多の困難を経て母の手で日本への帰還を果たした。 

「私は涙なしに稲葉さんの当時のご経験を聞くことができない。」稲葉市長への取材に同席した鈴木市議は、「私は稲葉市長の幼児期の体験に基づく平和への強い信念がこの和平イニシャティブをなんとか救おうとの市長の強い動機となったと考えています。」と語った。 

「地球の反対側で現在も繰り広げられているイスラエル/パレスチナ紛争・・・この悲惨な現実に飲み込まれている両民族の青少年のことを考えるとき、心の痛みを禁じえないのです。」と市長は語った。「また、この和平イニシャティブを救ったのは、(小金井市にバトンタッチした)市長たちによる熱い思いなのです。」と付け加えた。 

事実、小金井市が名乗りを上げるまで、「中東和平プロジェクト」は2年間の空白期間を経なければならなかった。「しかし本プロジェクトは参加したパレスチナとイスラエルの青少年のみならず、プロジェクトに参加した全ての日本人にも強烈なインパクトを残しました。」と稲葉市長は語った。 

麻生太郎内閣総理大臣が、9月に開催された国際連合の総会で演説した際、紛争地域の和解に貢献する日本ならではのユニークな試みとしてこの『中東和平プロジェクト』について言及されたことは、従来このプロジェクトに関わってきた人々のプロジェクトに対する関心を改めて強くひきつけることとなり、大変嬉しく思っています。」 

麻生首相は、国連総会での演説に際して小金井市の名前は挙げなかったが、次のようにプロジェクトに言及した。「日本の市民社会が地道に続けてくれている、和解促進の努力をご紹介しました。高校生たちは、母国にいる限り、互いに交わることがないかもしれません。しかし遠い日本へやってきて、緑したたる美しい国土のあちこちを、イスラエル、パレスチナそれぞれの参加者がペアをなして旅する数日間、彼らの内において、何かが変わるのです。親を亡くした悲しみに、宗教や、民族の差がないことを悟り、恐らくは涙を流す。その涙が、彼らの未来をつなぐよすがとなります。」 

また、麻生首相は、「包括的な中東和平には、それをつくりだす、心の素地がなくてはならぬでしょう。日本の市民社会は、高校生の若い心に投資することで、それを育てようとしているのであります。この例が示唆する如く、日本ならばこそできる外交というものがあることを、私は疑ったことがありません。」と述べ、このイニシャティブの意義を絶賛した。 

本イニシャティブの今後の展望について尋ねたところ、稲葉市長は、つい先日、東京で開催された世界連邦自治体全国協議会の年次会合に参加したこと、そしてその際、本イニシャティブを2003年に立ち上げた京都府綾部市の四方八洲男市長が、いくつかのメンバー自治体の市長と来年度のパレスチナ/イスラエル青少年使節の受け入れについて協議をしており、前向きの感触を得ている旨を話してくれた。 

今回の小金井市主催のプログラムを通じて、参加したパレスチナ人とイスラエル人の高校生ペアから出てきたポジティブな声をひとつ紹介しよう。これは伊藤教育長夫妻宅にホームステイしたノアム・オーレン(イスラエル人、15歳)とサメ・ダルワゼ(パレスチナ人、17歳)の会話で、「お互いが、戦場で銃を持って再会するということがないよう祈りたいね。」というものであった。 

「彼らのこの会話はホストファミリーはもとよりこのプロジェクトに関わった全ての日本人に大変パワフルなメッセージを伝えたと思います。」と稲葉市長は語った。「パレスチナ/イスラエルの青少年参加者達は、今日平和な環境に暮らす日本の市民に、パレスチナ/イスラエルで現在も続いている紛争の現実について真剣に考える貴重な機会を与えてくれたと思います。」 

「従って、このプロジェクトに参加している青少年の数は少ないかもしれないけれども、日本の同世代の青少年や一般市民が、今日の世界の現実について心を開き、平和の大切さについて改めて考されられるような大きなインパクトを残したことは素晴らしいと思います。」 

この「中東和平プロジェクト」には“The Parents Circle – Families Forum” (PCFF:紛争遺族会)というパレスチナ/イスラエル側のパートナー組織がある。この団体にはパレスチナ/イスラエル紛争で肉親を失った双方の民族の遺族約500人が加盟しており、和解と慈悲の精神で憎しみの連鎖を共に断ち切るとともに、その精神を子供たちにも伝える活動を続けている。紛争遺族会は、本イニシャティブが開始された2003年以来、パレスチナ/イスラエル側の事務局として、両民族の青少年遺族からなる代表団を日本側に引率している。 

翻訳=IPS Japan

│キューバ│ハリケーン「アイク」で家を失った人びと

【ギバラ(キューバ)IPS=ダリア・アコスタ】

9月8日から9日にかけて、キューバ東部をハリケーン「アイク」が襲った。キューバ政府によると、海岸沿いのギバラ地区では、暴風によって海水が陸上を1000mも浸して、砂浜を破壊し畑を水びたしにした。サンゴ礁すら揺れていたという。 

「アイク」の被害にあった多くの人びとは、1963年にキューバを襲い1000人以上の命を奪ったハリケーン「フローラ」よりもアイクの方が強烈だったと証言する。 

今回は政府が数十万人に対して早期の避難を呼びかけていたため、死者はわずか7人ですんだ。しかし、多くの人びとが家を失う結果となった。ホルギン州では海岸沿いの11地区中7地区が完全に消失した。

 ギバラでは、2万5400棟の家屋のうち、1万9000棟以上が全壊ないし半壊した。住民の感情は複雑だ。タニア・ベラスケスさん(36)のように海岸から遠い市内に新しい家が欲しいという人もいれば、ラウル・プポさん(42)のように、再度被害にあう可能性があっても住み慣れた海岸沿いに住み続けたいから、政府にはとにかく家を修復するための資材だけでも供給して欲しい、という人もいる。 

多くの避難民は、いまだに一時避難所で生活している。その多くが政府施設だ。人びとはここで、食事と医療サービスを無料で受け取ることができる。 

政府は、避難民を早く元の生活に戻すためにいくつかの策を講じている。たとえば、家屋を修復するための資材は、アスファルトの屋根が1平米あたり4キューバペソ、セメントが1袋あたり4.5ペソ、砂1立方米あたり9ペソと廉価で供給されている。貯蓄人民銀行による融資については、政府が金利を負担している。 

しかし、ギバラ防衛協議会のローザ・マリア・レイバ会長は言う。「多くの人びとが1年か2年は待たねばならないだろう……重要なのは誰も見捨てられないことだ」。 

ハリケーン「アイク」被害から立ち上がろうとするキューバの人びとについて伝える。 

翻訳/サマリ=山口響/IPS Japan浅霧勝浩 

関連記事: 
ホンジュラス│ハリケーン被害から文化遺産を救い出す

|ネパール|課題となる地方への権限委譲

【カトマンズIPS=マリカ・アルヤル】

ネパールの新しい制憲議会(CA)は、開発促進策として地方への権限委譲復活を検討することになる。そのためには、反政府勢力のマオイストが内戦中に解体した村落・地区開発委員会を再建する必要がある。4,000あった村落開発委員会(VDC)の3,000が爆撃を受け、その上部組織の地区開発委員会(DDC)は適切に機能できなくなっている。 

首都カトマンズから40kmほどのパナウティでは、2006年3月に爆撃された地方政府の建物が繁茂する植物の中で廃墟となっている。その4ヶ月後、マオイストは内戦を終結して和平合意に至り、ネパール共産党毛沢東主義派(CPN-M)として選挙に勝利して制憲議会を形成した。新たな議会の初仕事は共和制の宣言と240年続いた君主制の廃止だった。

 10年前、草の根の民主主義と地方開発の直接的結びつけが始動していた。1998年に地方自治法が議会で可決され、因習的文化的障害を打破して、政策決定だけでなく村および地区の委員会の法的枠組み作成の権利も委譲された。こうした委員会により、地方分権化が開発をもたらし始めていた。だがその後の内戦により、地方自治法は宙に浮いた。 

専門家は、「CAは過去の過ちから学ぶべき」で、ネパールは国連のミレニアム開発目標達成を含め、さまざまな国際的誓約を行っているが、「政府はまず国家プロジェクトに注目してその実施を地方に任せるべきで、地方分権を機能させるために破壊されたVDCとDDCの再建を始める必要がある」という。 

だがそのためには資金が必要である。1998年の地方自治法により地方は権限を与えられたが、過去5年間VDCを運営してきたのは政府官僚だった。そうした官僚は地方の問題を理解せず、移動によって責任を逃れてしまう。パナウティでは地方行政府が失われ、中央と村とのつながりが破たんしている。 

南アジアで地方分権に取り組んだ最初の国であるにもかかわらず、ネパールは戦争により、そして今は地方選挙の準備不足により、その進展が遅れている。だが再生は困難ではない。2007年の暫定憲法は連邦制を是認した。だが連邦制でも不十分な地方分権から生じる権力の集中を危惧するものもいる。草の根の運動にまでの権限の移譲が期待される。 

ネパールの開発のための地方分権の動きについて報告する。 (原文へ
 
翻訳/サマリー=IPS Japan 

|カリブ海地域|深刻度増すカリブ海地域のエイズ問題

【ポートオブスペインIPS=ピーター・リチャーズ】

カリブ海地域は、アフリカ・サハラ以南の地域に次いで世界で2番目にHIV感染者が多い場所である。この問題について、世界的レベルの予防・治療・支援に向けた報告書(『Keeping Score 11』)がこの週末にかけて発表された。 

カリブ海地域では1日に55人がHIVに感染し、そのうち38人が死亡。年間で20,000人が新たに感染し、1,4000人が死亡しているという。現在、同地域におけるエイズ患者・HIV感染者数は推定23万人に上る。 

報告書では、特にセックスワーカー、同性愛者、薬物乱用者、若い女性や子供たちといった社会的に弱い立場の人々に感染者が多い事実を指摘。このような人々への対応(効果的な予防プログラムの策定や保健サービスの普及など)がHIV拡大を防ぐ重要な鍵になるとしている。

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)カリブ海地域支援チーム(Caribbean Regional Support Team)のディレクター、Karen Sealy氏はエイズ問題には政策・予防・治療といった包括的アプローチが不可欠であるとし、持続的な対策の必要性を強調した。 

「我々はカリブ海地域で暮らす社会的弱者への認識が低すぎる。HIV感染孤児の現状を理解し支援に努めるべきだ」と、トリニダード・トバゴの社会開発相、Amery Browne氏は語った。 

これまでカリブ海地域のエイズ対策は不十分であったわけではない。実際、予防に関しては様々な取り組みが行われてきた。しかし、昨年を例に挙げると、1万人の患者がHIV治療を受けることができたが、一方で2万人もの人々が新たにHIVに感染した。 

また、同報告書はエイズ問題をめぐる市民社会の果たす役割強化や、HIV感染者やエイズ患者への偏見・差別をなくすことが必要であるとしている。カリブ海地域におけるエイズ問題について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

世界人権宣言の精神に戻るべきとき(アイリーン・カーン)

0

ムンバイで容赦ないテロ事件がおきた。ウガンダへはコンゴ東部で起こった戦闘から逃れる人びとが殺到している。イランでは10人が処刑された。スリランカでは30万人の市民が家を追われている。世界人権宣言の60年を祝うにはあまり適切なときではないように思える。 

しかし、こうした記念のときは、考えを新たにするときでもある。多くの点において、今日の人権状況は1948年よりも改善している。男女平等、子どもの権利、公正な裁判などの価値は今日定着している。しかし、同時に、今日の世界は、不正や不平等などがいまだにはびこっている社会でもある。

 政府には人びとの安全を守る義務がある。しかし、9・11テロ以後の世界では、治安を守るためにという名目で、グアンタナモ刑務所が維持され、拷問が許容され、公正な手続きが後退してきた。自由世界は、まさに自由であるという理由で、テロリストから攻撃されたのである。安全の名の下にみずから自由を放棄しては、まさにテロリストの思うつぼだ。 

また、今日の金融危機の下で、ウォールストリートやシティの貪欲な者たちのために、貧困層が傷ついている。ホーチミンシティの工場で働く女性、西アフリカ・マノ川の鉱山で働く労働者、中国の工業団地の労働者、インドへとアウトソーシングされた電話案内センターのオペレーター、こういう人たちが金融危機によってもっとも大きな被害を受けるのである。 

私たちは、貧困をなくすという意味で人権を守ることと、テロに直面して人権を守ることという2つの課題に直面している。 

1948年には、大きな課題に直面して、世界の指導者たちが世界人権宣言をうみだした。今日の指導者たちもまた、そうすべきなのである。(原文へ) 

翻訳/サンプルサマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩 

*アイリーン・カーン女史は、アムネスティインターナショナル事務局長。 

関連記事: 
「対テロ戦争」に対する闘い

|中東|ガザ漁民とイスラエル海軍との攻防

0

【ラマラ(ウエストバンク)IPS=メル・フリクバーグ

イスラエル海兵隊は最近、ガザ沿岸7海里で操業していたパレスチナ漁船から国際平和活動家3人を連れ去った。彼らは、漁師がイスラエル海軍の銃撃や逮捕を受けずに1日の仕事に従事できるよう、パレスチナ漁師15人に付き添っていたのだ。 

パレスチナ人の権利擁護団体「国際連帯運動」(ISM)のメンバーである米国人のダーレーン・ワレック(57)、英国人のアンドリュー・マンシー(34)、イタリア人のヴィットリオ・アリッゴニ(33)の3人は、漁民に付き添っている際イスラエルの砲艦2隻と小型海軍船5隻に包囲されてしまった。 

20人の海兵隊員が漁船に乗り移り、ティーザーや銃を突きつけてISMメンバーとパレスチナ漁師を海軍船に移動させた。イスラエルの領海から遥か離れたパレスチナの領海であったにも拘わらず、連帯の活動家はテルアビブのベングリオン国際空港にある拘置所に移送され、そこから強制送還された。パレスチナの漁師たちは、取り調べの後ガザへ送り返された。 

ガサの漁師たちが、命と財産の危険をも顧みず日々の生活のためイスラエル海軍に追われながら操業しているのを知り、活動家たちは最近数カ月間、彼らの毎日の漁に付き添っていたのである。 

1994年のオスロ合意の下では、ガザの漁師は沖合20海里の出漁を認められていた。2000年の第2抵抗運動、インティファーダの勃発、イスラエル兵士の拘束、イスラム抵抗組織ハマスの領土奪取後、イスラエルは治安を理由にこれを6海里に短縮した。 

イスラエルの規制線を乗り越えたとして過去2年間に3人のパレスチナ人漁師が射殺されたが、例え制限内に留まっていても銃撃は避けられない。多くの漁師が怪我をし、漁船を没収され、返還された時には漁に必要な機材は無くなっている。 

イスラエルの人道団体「ベツレム」は、報告書の中で、イスラエル海軍は逮捕された漁師の多くに屈辱や虐待を加えていると述べている。 

国際活動家とともに逮捕された漁師の1人、カレド・アル・ハビール氏は、「通常、イスラエル兵は自動火器で漁船および漁船周辺を撃ってくる。そして高圧水砲で漁船に水をかける。逮捕すると、下着姿にして海に飛び込ませ、冬でも泳いで彼らの船まで行かせるのだ。そこで手錠されイスラエルの尋問センターに連れていかれる」と語る。 

国連は、採算性の高い大型魚群に近づくためには、ガザから少なくとも12-15海里の沖合に出る必要があると予測する。 

浅瀬の乱獲により沿岸付近の小型魚群は殆ど獲りつくされ、回復の可能性はない。更に沖に出れば、より採算性の高いマグロもいるのだが。 

1回の漁のコストは、漁船、魚網/乗組員のサイズにより125ドルから625ドルかかる。多くの漁師はコストを賄うだけの魚を獲ることができないが、漁に出る以外の選択肢はない。 

国連によれば、パレスチナの月間漁獲総量は、2000年6月の823トンから2006年後半には50トンに減少したという。 

90年代末には、ガザの漁業は年間1千万ドル、国内総生産の4パーセントの収入をあげ、魚の一部は輸出され、残りは国内市場を満たしていた。 

2001年から2006年の間に、この収入は半減した。栄養失調に苦しみ必要な医療サービスも受けられず貧困、失業に苦しむガザ市民は、現在イスラエルから魚を輸入しなければならない状態だ。 

ガザで約10年活動を行っているデンマーク国際開発支援(DANIDA)のフィン・エッベセン氏は、「市場は魚に餓えているが、彼らを養うに十分な漁獲はない」と語る。 

国連食糧機関(WFP)パレスチナ領土オペレーションのジャン・ルーク・シブロ元代表は、「これがすべてを失った人々の状況であり、彼らの食糧安全保障は極めて不安定だ」と語る。 

漁民支援のため、WFPは数年前、実施機関のDANIDAと共に漁民1,470世帯あるいは最も深刻な紛争被害を受けている8,820人を対象に「仕事のための食糧・訓練のための食糧」プロジェクトを開始した。 

シブロ氏は、「家庭にとって最も大切なのは、彼らが直面している人道危機の影響を緩和するためのクッションとなる生活費獲得の代替方法を探すことである。食糧支援物資を提供することで、WFPは彼らがそうできるよう支援していこうとしている」と語る。 

漁船と魚網の保全用にガザの漁民は、WFPから毎月小麦粉、砂糖、オリーブ油、レンズ豆の配給を受けている。 

しかし、イスラエルは、ガザに対する輸出入禁止策を取っており、2007年6月にハマスが政権を取って(2006年の選挙で合法的に政権を樹立)以来、国境を閉鎖。時々最低量の支援物資輸送のため気まぐれ的な国境開放を行うのみだ。 

最近数週間は殆ど完全封鎖状態で、1回2-3時間の開放を時々行っているだけだ。これによりガザへの人道支援物資は極度に制限され、ガザ市民生き残りのための支援プロジェクトも機能しない状況だ。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

関連記事: 
|イスラエル-パレスチナ|古い対立をかき消す新たなメッセージ

|インド・パキスタン|メディア報道が招く一触即発の危機

【カラチIPS=ビーナ・サルワール】

ムンバイでテロが発生してから3日目の11月28日の深夜、パキスタンのザルダリ大統領にインドのムカジー外相を名乗る電話がかかった。緊急事態のため正式の手続きを経ずに直接大統領につながれた電話の相手は、「ムンバイの事件の犯人捜索に即座に応じなければ軍事行動を起こすと脅した」とパキスタンの日刊紙「ドーン」が伝えた。 

同紙は、実はその電話はいたずらで、その電話のせいで先週末にパキスタンが厳戒態勢となったことも明らかにした。この電話のニュースがパキスタンの人々を怒らせ、当初パキスタン政府が合意していた三軍統合情報部(ISI)長官のインド派遣に反対する世論が高まり、軍部と文民政府の激しいやり取りの末、結局ISIの代表の派遣に落ち着いている。

 パキスタンを非難するインドメディアによって敵対意識はすでに高まっていた。パキスタンメディアはインドの報道に憤慨してその主張の不備を暴いていた。インドの一流の日刊紙「ザ・ヒンズー」のイスラマバード特派員であるN.スブラマニアム氏は、テレビ番組でインドの過激な報道を取り上げるパキスタン側の姿勢も賢明ではないとコメントしている。 

専門家は「ジャーナリストの倫理を切り札にする『国家主義』は、印パメディアの常とう手段で、規制もない」という。米国メディアもアルカイダに関して同じ過ちを犯している。 

ムンバイ後には、欧米のBBCやCNNといった権威あるメディアも、パキスタンを非難して戦争の可能性を取りざたすなど敵意を煽っていると非難されている。また、事件を実況中継したインドの24時間ニュースの各局は視聴率を180%上げたが、この実況により犯人が情報を得て犠牲者が増えたという批判もある。 

インド政府もこれについて憂慮し、情報省はテロ事件の報道に関してテレビ各局にテロが成功したような印象を与えないよう勧告するガイドラインを送った。選挙年の今年、政治的圧力の中で、インド政府は国民の怒りを抑えられるだろうか。 

「ザ・ヒンズー」紙のS.バラダラジャン副編集長は「両国の関係が急激に悪化することはないだろう」といい、この5年間のかつてない印パ関係の進展の結果、インド当局はパキスタン政府に対して慎重な姿勢を取ると考えている。「国民も悲劇を政治に利用することには反対するだろう。国際的な圧力もパキスタンの協力的な姿勢を促すだろう」 

メディアの影響を受ける、ムンバイのテロ事件後の印パ関係について報告する。 (原文へ



翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

|米国|ムンバイ事件は地域戦略にとって大きな痛手

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

170人を超える死亡者を出したムンバイ・テロ事件から1週間、米担当官は核武装国インドとパキスタンの全面対決を避けようと動き出した。 

ライス国務長官は12月3日、ニューデリーを訪れ、インド指導者に対して如何なる報復も思わぬ結果、困難をもたらすと警告。時を同じくして、マイケル・マレン米統合参謀部議長はイスラマバードでパキスタン政府および軍に対し如何なる調査にも協力するよう、また同事件に関係したグループに対する厳重な取り締まりを行うよう圧力をかけた。 

ライス長官は翌日パキスタンのザルダリ大統領およびカヤニ軍最高司令官と会談するためインドを後にしたが、直前の記者会見で、パキスタン政府の対応は協力的、行動的でなければならないと厳しい口調で語った。

 米政府およびワシントンの専門家は、同テロはカシミールの反乱グループ「ラシュカ・エ・タイバ」(LeT)の仕業と見ている。専門家は、パキスタン軍統合情報局(ISI)が、インドのカシミール領有を阻止する道具として過去20年に亘り、同グループおよび他のイスラム過激派グループの支援を行ってきたとしている。ブルッキングス研究所の南アジア専門家ブルース・リーデル氏は、「ISIとLeTの関係の程度が問題だ。両者の関係が無くなったとは信じ難い」と語る。 

ザルダリ大統領は最近、印パ信頼回復および両国がそれぞれに領有するカシミール地域の通商再開、ISIの監視強化など、米国を勇気づける発言を行ってきた。しかし、この発言が国内、特に軍部内に強い反感をもたらした可能性は高い。 

ブルッキングス研究所の南アジア研究者で昨年米国の印パ仲介努力に関する本を出版したステファン・コーエン氏は、「ISIが、ザルダリ大統領および文民政権の権威失墜と緊張緩和プロセスを阻止するためムンバイ攻撃の背後にいた可能性もある」と語る。また、ランド・コーポレーションのパキスタン専門家クリスティーン・フェア氏は、攻撃はオバマ政権のアフガニスタン戦略に対する警告でもあると指摘する。 

リーデル氏は、今回の攻撃には戦略的意味があると指摘する。2001年米軍および同盟軍が過激タリバンおよび過激アルカイダ幹部のトラボラ掃討作戦を行っていたとき、ISIが支援していた「ジャイシュ・エ・ムハンマド」によるインド議会爆破事件が起き両国の緊張が一気に高まったため、パキスタンはアフガン国境に配備されていた部隊をインド国境へ移動。これによりタリバンのムラー・オマール、ビン・ラディンの逃亡が容易になったというのだ。 

パキスタンは現在米国の強い圧力によりアフガン国境で国内タリバン勢力と激しい戦いを展開しており、パキスタン軍が東方へ移動するようなことになれば、米国としては地域戦略の大きな痛手となるだろう。 

ムンバイ事件と米国の地域戦略との関係について報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

│移民│カリブ海諸国の二重国籍問題

【キングストン(ジャマイカ)IPS=ピーター・リチャーズ】

昨年4月にジャマイカの裁判所がダリル・ヴァス議員には議員適格がないと判示して以来、二重国籍問題がジャマイカにおいて大きな問題になってきた。 

与党・ジャマイカ労働党のヴァス議員が議員資格を剥奪されたのは、彼がジャマイカと米国の二重国籍を持つからであり、自発的に米国のパスポートを更新し、それを使って海外渡航していたためである。

 この問題を裁判所に持ち込んでいたのは、2007年の総選挙でヴァス議員と戦って敗れていた野党・人民国家党のアベ・ダブドゥーブ氏であった。判決を受けて、ブルース・ゴールディング首相は、ヴァス議員の敗訴によって与党の議席数が60議席中わずか31にまで減少したため、解散総選挙に打って出ると示唆している。 

カリブ政策研究所は今回、『ジャマイカにおける二重国籍と政治代表』という報告書を発表した。それによれば、上記のような問題が生じているのはジャマイカだけではない。トリニダード・トバゴ、セントクリストファー・ネイビス、ガイアナ、グレナダなどでもそうである。 

たとえば、トリニダード・トバゴでは、2001年の総選挙で勝利しのちに副大臣になった2人の議員が、それぞれ米国と英国の国籍も保有しているとの理由で、議員資格を剥奪されている。 

報告書の著者のひとりキム・マリー・スペンス氏は、この問題は概して政局がらみで取り上げられることが多く、憲法上の権利の問題として考えられることは少ない、と指摘する。 

報告書は、他国の国籍を持っているからといってその人物の貢献度が少ないことには必ずしもならないと主張し、海外経験・国籍を持つ人間を政治代表とすることは、むしろ全体として政治の質を高めることにつながるであろう、としている。 

カリブ海諸国の二重国籍問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリ=山口響/IPS Japan 浅霧勝浩

|ラテンアメリカ|『ジャーナリズム』と『アクティビズム』、2つの視点から見た先住民問題

【ラパスIPS=ディアナ・カリボニ】

「我々は当事者であると同時に報道する立場にもある」。コロンビアの先住民Kankuamo族で、自らも先住民運動を指揮するSilsa Arias氏は先週、ラパスで開催された先住民を取り巻く問題について話し合うワークショップ『Journalistic Minga: Developing Indigenous Reporting』で語った。 

コロンビア先住民族機構(ONIC)に属する同氏をはじめ多くの参加者は、ジャーナリズムとアクティビズムとの間に生まれる障壁について懸念を示す。その1つがデジタル・ギャップの問題である。1週間あるいは隔週に一度電子メールを利用できるのはワークショップ参加者のうちでも一部の人々に限られている。先住民の間でさえ情報の格差が生じているのだ。

 また、言語の問題もある。ワークショップに参加した先住民たちは協議に参加するためスペイン語の習得を余儀なくされる。しかし、実際には先住民言語しか話せない参加者もいる。このため、例えばラパスから300キロ離れたLoripataの山岳地帯で暮らすAymara族の女性には、インタビュアーが録音を取り(同ワークショップを計画した)フランツ・チャベスIPS特派員に翻訳を依頼するなどの対応を行った。 

一部のワークショップ参加者からは他にも次のような疑問が寄せられた。「汚染や土地収奪の問題でなぜ企業や政府の考えをわざわざ取り上げねばならないのか」、「大手メディアでは行っていない情報の公平性・正確性をなぜ我々が尊重しなければならないのか」。 

単なる抗議記事とは異なり、ジャーナリスティックな辛口の記事内容は多くの人々を惹きつけ、行動に駆り立て、真意を伝えることができる。今回のワークショップでも多くの先住民の代表が必要に迫られて、様々な議論を展開し、同時に技術支援を受けるなど積極的に活動した。先住民問題をめぐるアクティビズムとジャーナリズムについて報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリ=IPS Japan浅霧勝浩 


関連記事: 
先住民族出身のジャーナリストが立ち上がる