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|米国|対テロ戦争、東に移動

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

米国防総省(ペンタゴン)は1月15日、アフガニスタンへ海兵隊約3,200人を投入する旨発表した。3か月以内に実施される同増兵により、アフガニスタン駐留米兵はこれまで最高の3万人レベルとなる。 

イラク駐留16万の兵士と比べると遙かに少ないが、同決定は、米・NATO軍がパシュトゥーン人民兵を中心とする反乱勢力を抑えられていないことの証である。増兵発表の前日にも、自爆テロ犯がカブールの高級ホテルに忍び込み、米国市民およびノルウェー大統領アフガン訪問の取材に当たっていたノルウェー人ジャーナリストを含む数人を爆死させる事件が起こっている。 

しかし、米政府の心配はアフガニスタンだけではない。ブット元首相の暗殺で政治不安が高まる隣国パキスタンでも最近、アルカイダと密接な関係にあるパキスタン・タリバンのバイトゥラ・メフスードの指揮の下、原理主義者とパシュトゥーン人民兵が行動を共にしている。

 ゲイツ国防長官は先月、「アルカイダは今やパキスタンにその顔を向け、同国の政府および人民を攻撃している」と語り、パキスタンが世界で最も危険な場所との見解が外交議論の主流になっている。 

ブット暗殺およびムシャラフ大統領の国内での不人気により、15億ドルに上る対パキスタン軍事援助への付帯条件議論が始まった。ペンタゴンは12月31日、ロッキード・マーチンのF-16型戦闘機18機をパキスタンに提供する旨発表し批判を呼んだ。上院外交委員会のバイデン委員長は、「この微妙な時に5億ドルに上る最新鋭戦闘機をパキスタンに提供するとは」と語っている。 

バイデン議員を始めとするグループは、政治改革を軍事援助の条件とするよう主張しているが、他のグループは、パキスタン政府は、過去5年に亘る110億ドルの援助をテロ対策ではなくインドを牽制するための通常武器購入に使用したと批判している。 

パキスタン・タリバンの勢力拡大およびパキスタン軍の戦闘能力不足を理由に、米政策担当官はCIAと特殊部隊(SOF)の越境攻撃を議論してきた。しかし、この様な行動は大衆の反発を招くこと必至である。米政府は現在、軍事支援の一部をパキスタン軍の訓練や国境地域の開発(5年間で7億5千万ドル)に充てることを検討している。 

しかし、ランド・コーポレーションの地域専門家クリスティーン・フェアー氏は、「過激派の地域支配は既に悪化している。同計画は4年前に開始すべきであった」と語っている。米国のアフガニスタン増兵とパキスタン政策について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 


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|米国|対テロ戦争に4300億ドルを支出

|メキシコ|NAFTAの実行がいよいよ最終段階へ突入

【メキシコシティIPS=ディエゴ・セバージョス】

1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)に従って、メイズ(トウモロコシ)、大豆、砂糖、粉ミルクなどの農産品に対する全ての輸入規制が撤廃された。1994年に発効したNAFTAは、少しずつ輸入規制を取り除いてきており、その最終段階に突入したことになる(NAFTA全体としては、来年1月の中古車貿易規制撤廃をもって全ての措置を完了する)。

農民たちの中には、NAFTAによってメキシコの農業が破壊されてしまったとの思いがある。

 1月1日には、約200人のNAFTA反対派が、米国に通ずる15の国境地帯のうち1つを封鎖した。翌日には、やはり200人近くがメキシコシティの米国大使館の前で抗議デモを行った。

「食糧主権擁護・農村再活性化全国キャンペーン」のミグエル・コルンガ氏は、同キャンペーンに加わる300の農民・社会団体は、NAFTAの再交渉が行われるまで活動をやめないと語った。

しかし、フェリペ・カルデロン大統領は再交渉はしないと明言し、その代わり、海外からの商品に対する競争力強化策で乗り切るとしている。

NAFTAが発効した当時のカルロス・サリナス大統領(在1988~94)は、2008年の農業市場完全開放までには十分な準備時間があると主張していた。しかし、それは間違いであった。コルンガ氏は、「実際には、政府は小農の自己努力に頼り、あらゆる支援策の削減を行った。そのため、米国や都市への移住が増えたのだ」と話す。

経済協力開発機構(OECD)によると、メキシコ政府による農家支援は、対GDP比で1991~93年の3%から2003~05年の0.9%まで縮小しているという。
 
 そのため、メキシコ産の農作物は国際競争力を完全に失っている。全国小農連合(CNC)によると、メキシコ産メイズの生産コストは米国産のそれに比べてなんと300倍も高く、産出量は3.5倍低い。米国の農家は平均して年間2万ドルの補助金を受け取っているが、メキシコの農家はわずか770ドルだ。

前出のコルンガ氏は、他の活動家とは違って、NAFTAのみが悪だとは考えていない。なぜなら、メキシコの農村問題はすでに1980年代に発生していたからだ。コルンガ氏は、この時期からメキシコ政府が農村に背を向け始めたと回顧する。

NAFTAによる農業市場完全開放の時代に突入したメキシコから伝える。

INPS Japan 

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ディエゴ・セバージョスの記事

|ケニア|大統領選後の暴動に調停の動き

【ナイロビIPS=ナジャム・ムシュタク&ジャクリンヌ・ホブス】

オレンジ民主運動(ODM)のライラ・オディンガ代表は、ケニア国民に対し12月27日のキバキ大統領再選に抗議する集会への参加を呼びかけていたが、警察のデモ隊鎮圧により、延期を発表した。

また、1月3日混乱打開のため、アフリカ連合の議長であるガーナのクフォ大統領が同国を訪れる予定であったが、これも危うくなっている。しかし、ノーベル平和賞受賞者のツツ元大司教はナイロビに到着。オディンガ氏と会談の予定である。

 鎮静化を求める声は、米英などからも上がっており、ゴードン・ブラウン英首相は、オディンガ/キバキ連立政府の可能性も示唆している。

投票の監視に当たっていたEUオブザーバーは1月1日、「問題は投票終了後に始まった。我々は開票場から締め出され、結果も知らされず選挙委員会本部のスコア・ルームへのアクセスも拒否された」とのコメントを発している。

事実オディンガ候補は、開票前半では明らかに有利であったが、キバキ氏の牙城であるセントラル州の結果発表の中で徐々に伸び悩み、最終的には約20万票差でキバキ大統領の勝利となったのだ。ケニア選挙監視フォーラムも開票に疑問を呈し、ケニア選挙委員会委員長さえ地元紙にキバキ氏が勝利したかどうかわからないと語っている。

キバキ氏は、長年ビジネス、政治を牛耳ってきたケニア最大のキクユ族出身であるのに対し、オディンガ氏はルオ族の出身である。300人の死亡者、7~10万人の難民を出した暴動は、政治的/民族的対立に発展している。

一方、議会選ではODMが210議席中100席を獲得。キバキ氏の国家統一党は40議席に甘んじ、キバキ政権閣僚のほとんどが議席を失った。また、過去との決別を望む有権者の意思を反映するかの様に、キバキ支持のモイ元大統領の3人の息子も落選した。

有権者は、キバキ大統領の経済政策に何の意味も見出さなかったのだ。不正は横行し、経済成長は市民の生活改善に繋がらなかった。大統領選の混乱は続くかもしれないが、議会には僅かながらも変化の風が吹くだろう。

ケニアの選挙暴動について報告する。(原文へ
 
翻訳/サマリー=IPS Japan

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エジプト政府、パレスチナ人の巡礼を許可

【カイロIPS=アダム・モロー&カーリド・ムッサ・アル・オムラニ】

エジプト政府は昨年12月初め、約2,200人のガザ住民にエジプト経由でサウジアラビアのハッジ巡礼に行くことを許可した。12月3日、巡礼団はガザ/エジプト国境唯一の通過点である「ラファ横断道」を通りエジプトに到着した。 

ラファ横断道は、ハマスがガザを占拠した6月から閉鎖されていた。エジプトの説明によれば、イスラエル、エジプト、ヨルダン川西岸地域(ウェストバンク)を拠とするパレスチナ自治政府(PA)との間の2005年セキュリティー合意に基づきエジプト/ガザ国境の交通をモニターしていたEUオブザーバーの帰国により急遽取られた処置であったという。

 他の交通路はすべてイスラエルの厳しい監視下に置かれているため、同措置により、ガザと外の世界を繋ぐ道路は完全に失われてしまった。ハマス孤立化を望むイスラエルとPAは、それ以来エジプトにラファ閉鎖の継続を呼びかけ、エジプトも概ねこれに従ってきた。 

今回エジプトが、思いもかけず巡礼を認めたことにイスラエルおよびPAは強く反発。ハマスは、ガザ孤立解消へ向けての第1歩と歓迎した。 

しかし、話はこれで終わらなかった。3週間後にサウジから戻ったパレスチナ巡礼団に対しエジプト当局は、ラファではなくラファの南10Kmのカレム・アブ・サリム横断道を通って帰国するよう命じたのである。カレム横断道は、ラファと異なりイスラエルの監視が厳しい道路である。 

巡礼グループにはハマス・メンバーも参加していたため、彼らは逮捕を恐れこの申し出を拒否。エジプト当局は、彼らをシナイ半島のアル・アリシへ移送し、ラファ閉鎖後7か月間も留め置きをくっているパレスチナ人数百人と共に、粗末なキャンプで国境再開を待つよう命じた。 

この措置にパレスチナ、エジプト国内で批判が高まり、カイロでもラファ横断道の即時解放を要求するデモが繰り広げられた。巡礼グループの窮状に対する国内外の批判が高まる中、エジプト政府は1月2日ラファの使用を認めたが、その間に疲労、病気により2人の巡礼者が死亡している。 

この出来事から、一部専門家は、エジプトは依然ガザ問題解決のための交渉カードを握っていると語っている。また、エジプト労働党のフセイン氏は、今回の事件は、米国/イスラエル/アラブ諸国政府から成るグループとアラブ市民との対立を如実に示すものと語っている。エジプトの思いもよらぬ巡礼許可とその後の事態について報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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|エジプト|ムスリム同胞団への弾圧強まる

|映画|歪んだレンズで描かれる1982年の虐殺事件

【ワシントンIPS=アリ・ガリブ】

アカデミー賞外国語映画部門に正式ノミネートされているイスラエルのドキュメンタリー・フィルム「バシールとのワルツ」が米国で拡大上映されている。同映画は、1982年西ベイルートで起こったサブラ・シャティラ虐殺に関係したイスラエル国防軍(IDF)兵士の心的外傷後ストレス障害を描いている。 

最初のシーンは歯をむいて唸りながら道路をかける26頭の犬。彼らは、同映画の製作者アリ・フォルマンの友人で元IDF兵士ボアズ・レイン・ブスキラが1人たばこを吸っているバルコニーの下に集まって来る。

 そこから場面は2006年のイスラエルのバーに移る。フォルマンは酒を飲みながらレイン・ブスキラとしゃべっている。と、陰鬱なアニメシーンが現れる。これがフォルマンの創作的試みだ。レイン・ブスキラの声に被さって、彼の回想がアニメで表現されるのだ。イスラエルの西ベイルート占領時代、闇に紛れてレバノンの村々に侵入するイスラエル部隊のため、彼は吠える近所の犬を射殺する命令を受けたのだ。 

フォルマンは事件について何も憶えていなかったが、車で帰宅する途中、急にサブラ・シャティラ虐殺の場面が蘇る。しかし、彼はそれが記憶なのか幻覚なのか定かではない。 

イスラエル占領軍は西ベイルートのパレスチナ難民キャンプサブラとシャティラを取り囲んで封鎖し、ファランヘ党民兵に難民殺害を許したのだ。彼らはキリスト教徒のバシール・ジェマイエル大統領暗殺の報復のため、パレスチナ難民を殺した。 

フォルマンはそこから、記憶の再構築を始める。彼はレバノンに入り、戦車の後ろから銃を乱射した。彼と仲間の兵士は夜、裸で水泳をする。彼らが目の窪んだゾンビの様な姿で水から上がると、目の前のスラムがイスラエルの攻撃で真っ赤に燃えている。 

その後フォルマン監督は、IDFの他の友人、心理学者、現場に居たビデオ・レポーター等とのインタビューを通じ事件の真相を組み立てて行く。そして最後に、アニメーションが難民キャンプ包囲の実写ビデオに変わる。 

先週アル・ジャジーラが放送したガザの地上攻撃はサブラ・シャティラ封鎖の光景と重なる。「バシールとのワルツ」は公平な歴史の理解と殆ど語られていないイスラエル側の心の傷を描いている。同映画を見ると、現在19歳のIDF兵士が25年後に心的外傷後ストレス障害に悩まされるのだろうかと考えてしまう。 

イスラエルのドキュメンタリー映画「バシールとのワルツ」について報告する。 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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ツツ大司教、イスラエルの行為をアパルトヘイトにたとえる

小国スロベニアがEU議長国に

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【ベオグラードIPS=ベスナ・ペリッチ・ジモニッチ】

1月1日から、スロベニアが欧州連合(EU)の議長国になる。任期は半年。2004年にEUに加入した国々としては初めての議長国である。 

スロベニア政府はすでに、議長職を務めるための予算として9300万ドルを計上している。数多くの国際会議を取り仕切ることが主な任務だ。それは、EUへの貢献であると同時に、スロベニアを売り込むチャンスでもある。 

スロベニアは、今回議長国になるにあたって以下の5つの目標を立てた。 

(1)リスボン条約(EU憲法草案に代わる条約)の推進 
(2)「新リスボン戦略サイクル」の立ち上げ(研究開発・イノベーションへの投資、競争的ビジネス環境の発展、労働市場の改革、人口変動への対処など)
(3)気候変動への取り組み 
(4)西バルカンにおける欧州戦略の強化 
(5)欧州内における文化間対話の促進 

スロベニアは、旧ユーゴスラビアが分裂してできた諸国の中でもっとも経済的に成功した国だといえる。1人あたりのGDPは2万2000ドルに達する。失業率は欧州の中でも最低の9%、インフレ率はわずか5%以下である。この経済的成功のゆえに、ユーロを通貨とすることも認められている[IPSJ注:2007年1月から]。 

他方、国内においては、政府によるメディア抑圧が強まっている。 

スロベニアが独立宣言をした直後の1992年2月、政府は、非スロベニア人数千人の市民権を一方的に抹消した。彼らは、戦闘の始まっていたクロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナなどへ移住することを余儀なくされた。国内の人権団体「ヘルシンキ・モニター」のNeva Miklavcic Predan氏はこれを「行政措置としての民族浄化」と呼んでいるが、ヤネス・ヤンシャ首相は、海外メディアに対してこのような発言を続けるPredan氏を裁判所に訴えたのである。 

ことはこの一件にとどまらない。政府は、2006年中に、直接的・間接的なさまざまな手段を通じて国内メディアの80%の編集者を交代させてしまった。 

こうした強権発動に対して、約600人のジャーナリストが、2007年10月、報道の自由を求める嘆願書をヤンシャ首相に提出している。 

EU議長国になるスロベニアの現状について伝える。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩

|ビルマ|鳥インフルエンザ啓蒙活動が成果

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール

ビルマ(ミャンマー)東部のタイ国境近くシャン州における家禽類の鳥インフルエンザ(AI)感染拡大

のニュースは、不安と安堵が交錯して受け止められている。 

安堵の理由は、この軍事政権国で12月末、強毒性の H5N1型ウイルスに感染した鶏約1,000羽、アヒル20羽、ガチョウ数羽が死亡したことを受けて、情報の流れが確保され、警告が発せられるまでに至ったからである。被害にあった地域の農民らは、庭で家禽類が死んでいるのを発見すると直ちに地元の畜産および保健当局に通報した。

 国連食糧農業機関(FAO)アジア太平洋地域事務所のアジアAIプロジェクト地域コーディネーターのWantanee Kalpravidh氏は「良い徴候だ。鳥インフルエンザの拡大を食い止めるためには、こうした地元コミュニティの行動が極めて重要となる。対策には庭で家禽を飼育している農家を取り組むことが不可欠」と述べている。 

今回の農民の対応は、ビルマで行われてきた教育・啓蒙キャンペーンの成果である。この情報キャンペーンは、FAOなど国連機関ならびにビルマの畜産省および保健省の職員が中心となって推進してきた。Wantanee氏は「農民を対象に、広範な教育・啓蒙プログラムを展開してきた。農民がAI発生の第一通報者となった最近のジャン州の事例のように、次第に成果が現れている」とIPSの取材に対し語った。 

実際、シャン州は教育キャンペーンの重点地区であった。何と言っても、12月末の最新の発生に先立ち、2007年10月と11月の少なくとも2回ビルマの畜産獣医局がAIの発生を記録している州である。 

FAOによれば、12月第1週には2回の研修プログラムが実施され、多数の農民を含め約800人の参加者があった。研修では、感染した家禽類の特定方法、家で飼育している鶏が死亡し始めた時の対処方法、人の自己防衛方法、通知すべき当局などについて現地の言葉で指導が行われた。 

AIの感染拡大を抑える取り組みに一般市民の関与を認めようという軍事政権の試みは、2006年3月に中部の都市マンダレーで致死率の高い鳥インフルエンザウイルスが初めて発生した時に軍政幹部がとった当初の対応とは対照的である。当時は、発生後4日間、地元国営メディアでビルマ国民に情報が公表されることはなかった。 

しかしその一方で、最近のベトナムからの報道で明らかなように、ビルマより長期にかつ広範な地域で実施されてきた教育・啓蒙活動が高く評価されている諸国でさえ、鳥インフルエンザは恐るべき脅威であり続けている。12月下旬、ベトナム南部の2つの村落で鳥インフルエンザが発生し、何百羽ものガチョウが処分されたと、動物衛生局は伝えている。 

ベトナムは、現在の鳥インフルエンザが初めて発生した2003年冬、最も深刻な被害に見舞われた東南アジアの国のひとつだった。(日本政府の対応)2005年末までに、ウイルスに感染した93人中42人が死亡した。加えて、ベトナム国内で飼育されている家禽類の約17%に相当する4400万羽が死亡あるいは処分された。 

しかしそうした恐ろしい状況を食い止めるため、2005年末に向けて集中的な教育・予防接種・処分プログラムが開始された。また市民の生活習慣を変えようという取り組みのひとつとして、生きた鶏やさばいたばかりの鶏が売られている至る所にある生鮮市場が強制的に閉鎖された。そして2006年の大半は期待の成果を上げ、ベトナム国内では家禽類のAI感染報告が1件もなく終わったのである。 

しかし昨年初めからベトナムは再びAI発生と闘っている。死亡数が最大であったのは放し飼いのアヒルだった。あっという間に感染が広がり死んでしまう鶏とは違い、アヒルはH5N1型ウイルスの(症状があまりないが感染を広げる)「サイレント・キャリア」と専門家にしばしば言われていた。 

ベトナムの鳥インフルエンザ感染拡大の再発、依然感染が続き、域内で最も被害が深刻なインドネシアの現状は、畜産および公衆衛生の専門家の懸念を実感するものとなっている。12月半ばFAOはAI感染拡大の世界的傾向に関する最新情報の中で「アジアではウイルスがいくつかの流行地域で活発に循環している」と述べている。 

FAOによれば、2003年冬に動物のH5N1型感染が発生して以来、アジア、欧州およびアフリカ60カ国以上で感染事例が確認されている。「このうち28カ国が2007年中に感染発生を経験した。その中でもバングラデシュ、ベニン、ガーナ、サウジアラビア、トーゴの5カ国が初めての発生であった」 

世界保健機関(WHO)によれば、2003年以降、感染者348人中死亡者は215人を数える。2007年には、感染者77人のうち50人が死亡した。死亡者が出たのは、カンボジア、中国、エジプト、インドネシア、ラオス、ナイジェリアおよびベトナムである。インドネシアでは、2004年以降報告された感染者116人のうち94人が死亡している。 

昨年11月には、ビルマでも初めてヒト感染症例が確認された。シャン州の村落に暮らす7歳の少女である。村で家禽類のAI感染が発生した後、その少女も感染した。 

公衆衛生の専門家は、H5NⅠ型ウイルスが人から人に感染しすい新型インフルエンザに変異し、数百万人単位の死亡者を出しうる世界的大流行(パンデミック)を引き起こす可能性を懸念している。この懸念は、人間の免疫システムにはH5NⅠ型鳥インフルエンザウイルスによる感染症と闘う力がないという事実に基づくものである。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 


|ネパール|『ヒンズー王国』の終焉

【カトマンズIPS=ダマカント・ジェイシ】

ネパール共産党毛沢東主義派 (Communist Party of Nepal: CPN)は23日、240年続いてきた王政を廃止することで正式合意した。これにより毛派は本格的な政権復帰へと向かう。

毛派最高指導者プスパ・カマル・ダハル(別名プラチャンダ)議長は24日、取材に対して「我々が政権に復帰する日は近い」と語った。

 王政廃止の問題に関してはネパール主要7党のうち暫定政権を率いるネパール会議派 (NCP)と毛派(マオイスト)との間でこれまで何度も話し合われてきた。そして23日(日曜日)、7時間に及ぶ議論の末、王政廃止が決定し、悪名高いギャネンドラ国王の独裁体制に終止符が打たれることになった。

王政打破を掲げて10年余り武装闘争を展開してきた毛派は、ネパール政府が『共和制』を宣言しない場合は制憲議会選挙を妨害すると脅していた。しかし、昨年11月の包括和平協定の調印により武装闘争を終結、さらには暫定政権入りを明らかにしていた。

和平協定の中で3万人以上の兵士と武器を国連の監視下に置くことに同意した毛派にとって、最大の懸念は王への忠誠を固持する一部の軍が制憲議会選挙を妨害し勢力を拡大し続けることであった。

しかし、ネパール会議派を含む各党が制憲議会選挙の開催前に共和制を宣言することを拒否したことで毛派も態度を和らげた。毛派を含む主要各党が王政廃止に関する23項目で合意に達したことから、ネパールは制憲議会の第1回会合後、正式に『連邦民主共和制』へと移行する。制憲議会選挙は来年4月中旬に実施される見通し。主要7政党は、まもなく具体的な予定を発表することで合意した。

1回目の制憲議会の実施までギリジャ・プラサド・コイララ首相は全権を掌握し、これにより国王の全ての政治権限は剥奪されることになる。

さらに、主要政党は制憲議会の議席数601の過半数にあたる335を比例代表枠に充て、小選挙区制で240議席、残りは首相による任命で26議席にすることで合意に達した。

政治評論家クリシュナ・カナル教授は「ネパールは共和制になるのが当然であり喜ばしいことだ」とIPSの取材に応じて語った。

しかし、同教授は王政廃止をめぐる議論が予想以上に時間を要したことについて「民主化闘争が高まりを見せ、ギャネンドラ国王が国民への権力移譲を発表した2006年4月以降、すでにこの国は『共和制』へと移行を始めていたはずだ」と述べた。

一方、国王を支持する陣営からは王政廃止の確定直後に反発の声が上がった。国民民力党(RJP)議長のスリヤ・バハドル・タパ元首相は今回の決定を受け入れがたい事態であるとし、国民の意思に反していると激しく非難した。

5回の首相経験を持つタパ氏は、月曜日の暫定議会で「これは国民に対する人権侵害であり、民主主義の根本的規範を揺るがす行為だ」と語った。

タパ氏は、与党6党と毛派との間で以前に合意された取り決め(第1回の制憲議会ではあくまで多数決により王政の在り方を決定すること)を実施するよう訴え続けている。

もう1つの王政支持派政党、旧パンチャーヤット党(RPP)のPashupati Shumsher Rana党首は「決定は国民が行うべきだ」と王政廃止確定に反対を唱えた。しかし、旧王党派のRPPも党の規則から君主に関する内容を全て削除することを決めた。

1768年初代国王プリトゥビ・ナラヤン・シャー国王が興したシャー王朝の長い歴史に幕が引かれ、かつてはネパール最大与党であったネパール会議派も連邦共和制の導入に向けて動き出した。国民に不人気のギャネンドラ国王やパラス皇太子の退位および旧憲法の改正を目的とした4月の暫定政府の発足直後には、協議内容は主に王政廃止に関するものになった。

しかし、今から僅か2年前は立憲君主制のもと絶対権力を掌握していたギャネンドラ国王や軍の力は無敵のように思われていた。

ネパールの君主制は、2001年6月のネパール王族殺害事件の悲劇から立ち直ることはなかった。国民の多くは今でも、ギャネンドラの甥が7名の王族を惨殺した後に自殺したとする政府の調査内容を信じていない。

王族殺害事件後、ギャネンドラは王位に就く。ギャネンドラ国王は2005年2月、毛派による暴動を鎮圧できなかった政府に責任があるとして当時の首相を解任。全権を掌握し絶対君主制を導入した。

しかしその後、激しさを増す民主化闘争を受けて、2006年4月直接統治を断念し議会の復活に同意する。ギャネンドラは軍の支配権を剥奪され、政治権力も全て手放すこととなった。

現在では軍トップの幹部さえも制憲議会の判断は全て受け入れる覚悟であると語る。『世界最後のヒンズー王国』の終わりである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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3大TVの海外ニュースが9.11以前の量に減少

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

先頃発表されたティンドール・リポート(Tyndall Report)によると、2007年の3大TVネットワークの海外ニュースの扱いが、9.11以前の量に減少したことがわかった。ティンド-ル氏は、TV(ABC、CBS、NBC)で放送される30分のイブニング・ニュースの内容を統計にして、20年間蓄積している。 

世論調査が示すとおり、新聞、雑誌、ラジオ、インターネットと比べて、テレビを主な情報源とする人口は多く、またケーブルニュースの比率が高まっているものの、2,500万人が3大ネットワーク(ABC、CBS、NBC)のイブニング・ニュースを見ていると推定される。

 2007年におけるイブニング・ニュースの3社合計総放映時間数は14,727分で、最も扱いの多かったニュースは「イラクでの米軍の戦闘」(「イラクの派閥対立や復興」は別項目)で1,888分であった。2位の「バージニア工科大の銃乱射事件」(244時間)、3位の「カリフォルニアの山火事」(221時間)を、大きく引き離している。 

イラク関連ニュースについて近年と比較すると、侵攻した2003年には「米軍の戦闘」より「イラクの派閥対立や復興」についての報道の方が多かったが、年々減少し、2007年には比率が逆転している。両カテゴリー合わせての総時間数も、減少しており、特に昨年9月に撤退の議論が高まって実現しなかったことを境に、週に30分から週に4分に激減した。 

「イラクでの米軍の戦闘」以外の海外ニュースで、上位20項目に入っているのは、「パキスタンの政治混乱」(6位)と「イランの武力増強」(16位)の2項目だけである。2006年には、「イスラエルとヒズボラの戦闘」「北朝鮮核兵器問題」「イランの核開発計画」「イスラエル・パレスチナ問題」「アフガニスタンでのタリバン巻き返し」という5項目が20位以内にあった。 

2007年でほかに注目すべき項目は、18位の「地球温暖化問題」と20位「原油価格高騰」である。環境・エネルギー関連の扱いは合計で476分と、前年から5割増加し、テロリズム関連と肩を並べる量となった。テロリズム関連は急激に4割減少している。「アル・ゴアのグローバル認識が上昇し、ジョージ・ブッシュのグローバル認識が減退したという見方をすると、興味深い。」とティンドール氏は、IPS記者の取材に答えた。 

同氏はまた、「大統領選挙の年は海外ニュースの扱いが、いつも減少する。」と指摘する。2007年は選挙の前年に当たるわけだが、すでに年間1072分に達していた。3大TVが「このまま、選挙と国内ニュースに集中して経費を省くか、海外ニュースに予算を割り当てなおすかが焦点だ。」とティンドール氏は見ている。 

最新の統計から、米メディアにおける海外ニュースへの関心低下を伝える。(原文へ) 


翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 


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好感度調査:低いイスラエル、イラン、米国

|リビア|カダフィの欧州接近に議論沸く

【パリIPS=マイケル・デイバート】

12月リスボンで開催されたEUアフリカサミットに続き、リビアの元首カダフィ大佐は今月初めフランス、スペインを公式訪問した。

1969年の軍事クーデターにより国王イドリス一世を追放したカダフィ大佐は、汎アラブ国家主義と国家統制経済を基盤とする独裁体制を築いた。その勢力拡大主義と国境を超えた政治的野心によりカダフィ政権が引き起こしたとされる1986年4月のベルリン・ディスコ爆破、1988年12月のパンナム航空機爆破といった一連の事件の後、リビアと欧米との関係は最悪となった。

しかし、2003年の米軍イラク侵攻とフセイン政権崩壊後、カダフィ大佐は、自国の大量破壊兵器計画の廃止を確認する国際調査団の受け入れを認めた。2004年3月にはブレアー英首相の訪問実現で国際的孤立に終止符を打ち、2006年5月には米国との国交正常化を果たしている。

フランスとの関係も、2007年7月にリビアがブルガリアの看護婦及びパレスチニア人医師の釈放を認めたことで雪解けを迎え、フランス政府が15パーセントを所有する大手航空宇宙企業EADSは、リビア政府と対戦車ミサイルの供給で合意した。

カダフィ大佐のパリ訪問後、サルコジ大統領は両国が147億ドル相当の契約を結んだ旨明らかにした。またスペインのザパテロ首相は、スペイン企業が今後リビアに170億ドルの投資を行うことで合意した旨明らかにしている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、カダフィ欧州訪問について、「欧州のリーダーは、リビア元首に対し、報道/組織の自由、拷問、政治犯の長期拘束などを緊急課題とすべきである」との声明を発した。

欧州政府の現実主義的政策について、一部専門家は、カダフィの悪政を見過ごし現実主義的経済政策に固執していると批判。ケンブリッジ大学北アフリカ研究センターのジョージ・ジョフ所長は、「サルコジ大統領の第一関心事は契約の獲得である。彼は、経済を主眼とする地中海連合を設立し支配的地位を確立しようとしている」と語っている。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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