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|レバノン|政治勢力を強めるヒズボラの役割

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【ベイルートIPS=モナ・アラミ】

2000年のイスラエル軍のレバノン南部からの撤退以降、ヒズボラは軍事勢力としてだけでなく、政治勢力としても力を拡大した。しかし、その結果(2005年の)ハリリ元首相暗殺などイスラエル・レバノン国境での緊張を一層高めることにもなった。 

ヒズボラは政府内での勢力を維持するため、レバノン議会で(拒否権を保障する)3分の1『プラス1閣僚』の議席を強く求めている。

 そして、この実現に向け(ナビハ・ベリ党首率いる)シーア派民兵組織『アマル』および(ミシェル・アウン将軍率いる政治会派)『キリスト教自由愛国運動(Christian Free Patriotic Movement: FPM)』との協力関係を結んだ。 

ここ数年、これら反政府勢力によるシニオラ政権打倒を訴える大規模な抗議デモは増加の一途をたどっている。2006年12月首都ベイルートで勃発し(現在も続いている)政府庁舎前での大規模な抗議活動は、シオニラ内閣退陣とヒズボラ主導の反米政権樹立を迫ったものだ。 

ヒズボラ系の雑誌『al-Intiqad』のイブラヒム・ムサウィ編集長によると、ヒズボラはイスラエルや西側諸国に対する『抵抗運動』をあきらめた訳ではないという。ムサウィ氏は「ヒズボラは今後もレバノンの連立政権の一翼としてその存在感を強めていくはずだ」と述べた。 

非政府系シンクタンク『国際危機グループ(International Crisis Group)』のPatrick Haeni氏は「ヒズボラとFPMとの協調関係は政府内でも緊密に維持されるだろう」と語った。 

しかし一方で、ヒズボラは重要な政治課題である『シーア派とスンニ派間の宗派対立』の問題にも今後取り組まなければならない。2007年1月レバノンの首都ベイルートで慢性的な電力不足に抗議する反政府デモ隊が軍と衝突。シーア派野党のヒズボラとアマルの支持者ら8名が死亡した。 

Haeni氏は「(2006年1月に起きた暴動とは異なり)今回は政治指導者らの間に暴動直後から強い非難の声が上がっている。政治家らの対応が政情不安をさらに助長するのではないか心配だ」と述べた。レバノンにおけるヒズボラの役割について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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国家の暴力と「名誉殺人」

【カサブランカIPS=アブデラヒム・エルオウアリ】

国家による暴力、とりわけ死刑は、「名誉殺人」の慣行を長年にわたって正当化しているひとつの要因といっていいだろう。【「名誉殺人」とは、夫のある女性が他の男性と性的関係を持った場合に、「家族の名誉」を守るためにその女性を殺害することをいう】

「世界や1国の問題を暴力で解決しようという文化は名誉殺人を正当化するものだ」と語るのは、「シリア女性監視団」のバッサム・カディさんだ。監視団、中東における名誉殺人をなくすための活動を続けている。

昨年12月、国連総会で死刑モラトリアム決議が採択されたが(賛成104・反対54・棄権29)、アラブ・ムスリム諸国のほとんどが反対に投票した。

少なくとも、サウジアラビアやイランでは、国家による公開処刑が続けられていることが確認されている。

 他方、名誉殺人に関しては明確な統計はないという。ロンドンに拠点を置く「名誉殺人をなくす国際キャンペーン」のダイアナ・ナミさんによると、名誉殺人のほとんどは、出生・死亡届のない農村部で行われている。しかし、54ヶ国以上において少なくとも年間5000件、場合によっては1万件以上起こっているだろうとナミさんはみている。

前出のカディさんは、シリアでは年間少なくとも40件はあると話す。しかし、「監視団」のウェブサイトで行った名誉殺人反対オンライン署名には1万人以上が署名している。

名誉殺人はイスラムの教えによって正当化されているとの意見もあり、実際にイスラム法学者の中にはそうしたことを教える者もいる。しかし、米国の市場コンサルタントで2003年からヨルダンで名誉殺人のことについて調べているエレン・シーリーさんは、それよりもむしろ、イスラム以前のアラブの部族慣行に原因があるだろうとみている。

名誉殺人の1番の問題点は、それが女性差別に支えられているということだ。名誉殺人が続くことによって、女性は差別してもいいのだというメッセージが送り続けられることになるのである。

名誉殺人の問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|タンザニア|米国の対アフリカ開発援助

【ダルエスサラームIPS=サラ・マクレガー】

ブッシュ大統領は今月15日から21日までの日程でアフリカ5カ国(タンザニア、ルワンダ、ベナン、ガーナ、リベリア)を歴訪する予定である。各国首脳との会談の他、米政府が支援するエイズやマラリアなどの感染症対策の現状を視察する。 

タンザニアの米大使館職員Jeffery Salaiz氏は「ブッシュ大統領は就任以降2度目のアフリカ歴訪となるが、予定されている日程の大半はダルエスサラームやアルーシャといった『観光地』のようだ」と皮肉った。

 米政府は2003年、エイズ対策として『大統領エイズ救済緊急計画(President’s Emergency Plan for HIV/AIDS Relief: PEPFAR)』を発足。これは、エイズ問題が深刻なアフリカの15カ国でHIV感染者への抗レトロウイルス治療や医療サービスの提供を行い、5年間に150億ドルを支出する計画である。 

また、2005年に発表した『大統領マラリア・イニシアティブ( President’s Malaria Initiative:PMI)』は5年間で12億ドルを拠出し、マラリア被害に苦しむアフリカの15カ国で死亡率を半減させることを目指した撲滅運動を推進するものである。 

 Salaiz氏は「PEPFARとPMIのおかげで、タンザニアでも米国からの資金援助額が3億3,400万ドルに達した。これらの計画の終了後も『ミレニアム・チャレンジ・コーポレーション(Millennium Challenge Corporation:MCC)がインフラ整備のための助成金として6億9,800万ドルを支援することになっている」と説明した。 

一方、ブッシュ大統領のアフリカ訪問では2国間貿易や取引といったビジネスの問題は協議事項には入っていないが、この議題は今年6月に開催されるタンザニアでのサミットに回される予定だ。 

貿易面では、米国が打ち出したイニシアティブ『アフリカ成長機会法(African Growth and Opportunity Act: AGOA)』が、米国・アフリカ諸国間の貿易拡大を促進し、アフリカ諸国の貧困削減に大きく貢献している。 

(コーヒー豆、茶、綿花、金の生産国である)タンザニアはIMFや世銀による債務帳消し以降、輸出額や投資額が増大傾向にあるものの、依然アフリカ諸国の中では最貧国に変わりはない。同国では国民の36%が貧困ライン以下で生活している。 

米国によるアフリカ諸国に対する支援政策について報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

NATO 冷戦の亡霊

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【ブリュッセルIPS=デイビッド・クローニン】

インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙は2月4日、NATO加盟国政府は旧ソ連KGBの訓練を受けたハンガリー人がNATO情報委員会の議長に就任したことで、秘密情報交換により慎重になるだろうとの記事を掲載した。NATO(北大西洋条約機構)では今日から組織の役割に関する激しい議論が開始される予定で、問題人事はこの様な時期に発表されたのだ。 

本来NATOは、西ヨーロッパと米国の同盟国のいずれかが攻撃を受けた場合互いの防衛を行うとのコミットメントに基づいていたが、1990年代に新たな方向が出始めた。1999年の50周年には、NATO国を攻撃しなかったセルビアのミロシェビッチ大統領を攻撃。より最近では、宿敵ロシアの隣国の多くをメンバーに加えた。また、ダルフール和平へ向けてのアフリカ連合軍に対するロジスティックス支援、アフガニスタンへの派兵を行っている。

 1月には、多数の退役軍高官が、変化する環境に対応できなければNATOは信頼を失う危険な状況にあるとする報告書を提出した。同報告書は、非軍事的能力を拡大する必要があるとしながらも、核兵器の重要性は維持すべきとしている。 

EUの新リスボン協定の下、EU加盟国政府はNATOの革新を誓った。しかし、平和活動家によれば、これはヨーロッパの軍事力拡大を目指すものという。 

NATOの軍事支出は、世界の軍事支出の75%を占め(年間8,250億ドル)その多くは米国の支出である。今週のペンタゴン発表によれば、米国の2009年軍事予算は5,150億ドルと、第二次世界大戦以来最大となっている。 

研究機関英米安全保障情報評議会(BASIC)のポール・イングラム氏は、「ヨーロッパ諸国は米国に追随すべきではない。しかし、問題は好戦的な英国、フランス、米国が防衛費の増強に圧力をかけていることだ」と指摘する。ドイツは最近、米国のアフガン南部への部隊派遣依頼を拒否している。 

ロンドンにある国際戦略研究所はNATO加盟国間の不一致が今後1年間の中心問題になるだろうと語っている。NATOの今後について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

ケニア暴動の原因は部族憎悪、選挙だけではない

【ナイロビIPS=ナジュム・ムシュタク

アナン前国連事務総長は1月27日、12月の選挙以来続いている暴動の犠牲者と懇談の後記者団に対し、「混乱の背景にある資源の平等配分といった根本的問題に対処しなければ、3、4年後には再び同じような事態になる」と述べた。

アナン氏の調停によりキバキ大統領と野党リーダー、オディンガ氏との対話の構造が出来上がり、両者は先週対話継続を誓い握手を交わしたが、暴力の波は激しさを増している。

キクユ族のキバキ大統領、ルオ族のオディンガ氏が和解し、合意に沿って権力分割を行っても、長期に亘る部族間暴力の経済的/政治的根本原因は去らないだろう。

 リフト・バレーで緊急アセスメントに当たっているデンマークの救援ワーカーは、「部族間憎悪を原因とするのは余りにも単純な解釈である。土地、住宅、水へのアクセスが真の原因である」と言う。

ナイロビのメディア企業に勤めるミリセント・オグトゥ氏は、「不正選挙に対する抗議に加わっているのは、貧困者、失業者、土地を持たない者達のみだ。この階層の人々だけが暴力を働き、選挙に異議を唱えている」と語る。

実際、ナイロビで暴動が起こっているのは、キベラ、マターレ等のスラムやその他の貧困地区だ。オディンガ氏の出身地であるニャンザ州キスムなどでも同様の現象が見られる。
 
 ラジオ・ジャーナリストのラファエル・カランジャ氏は、「キバキ、オディンガに反対を唱えている中産階級がいるだろうか。選挙の効力を信じ、土地、住宅、飲料水といった基本問題の改善に繋がると期待した人々が抗議に立ち上がったのだ」と語る。

ナイロビには中産階級は存在しない。スラムか富裕地区だけだ。ナイロビ大学のある教授は「モイおよびキバキ政権の下、富裕層はスーパー・リッチになり貧困層は更に貧しさを増した。中間層は薄くなり、その殆どは貧困へ転落していった。部族間闘争の様相を呈している暴動は、実は広がる社会格差を根本原因としているのだ」と説明する。不正選挙に端を発するケニアの暴動について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan
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|ルワンダ大虐殺のその後|将来の展望を失った若者たち

【キガリIPS=ノエル・E・キング】

ルワンダ大虐殺でGilbert Nshimyumukiza(21)の記憶に最も残っているのは、兄弟で重症を負った父親を家に運ぶ途中、突然雨が降り出してきたことである。

地面は泥で滑りやすくなり身動きが取れなくなった。しかも、父親の容態は悪くなる一方。彼らにできることは父親にシートを被せ、息を引き取るのを静かに待つことだけだった。

Nshimyumukizaは「雨が降ってきたんだ。私はとても幼くて、ただ座って泣いていたが、誰も助けてはくれなかった」と当時を振り返る。

ルワンダの多くの若者は、Nshimyumukizaと同様の悲惨な経験をしている。幼くして親を亡くし孤児となった若者たちは、学校を中退することが将来どのような影響を及ぼすかなど考えることもできなかったのだ。

大量虐殺が起きたのはNshimyumukizaが9歳の時である。ルワンダではフツ族民兵の武装組織『インテラハムウェ(interahamwe)』と強硬派のフツ政権により暴徒化した市民が、推定80万人のツチ族と穏健派フツ族を100日の間に殺戮した。

現在、失業中のNshimyumukizaは「将来の見通しは極めて厳しい」と打ち明ける。心理的・肉体的問題だけでなく、基礎学力の低下といった問題も彼を苦しめているのだ。

Nshimyumukizaは「政府は学力の平均点が3で中等学校を卒業した者に対して、国立大学への入学を許可するとしているが、私の成績は2.8だった」とIPSの取材に応じて語った。

大虐殺の勃発以後、Nshimyumukizaは授業に全く集中できなかったという。「政府は生き残った我々に学費を与えてくれたが、我々が欲しかったのは食べ物、衣服、靴といった生活に必要な最低限の物だ。私は路上で理髪の仕事をしていたため、学校にも満足に行けなかった」

Noel Munyarwaは当時10歳だった。いつか自家用車を持つことを夢見ている、数学の得意な悪戯好きの小学生であった。

Munyarwaは現在、ルワンダのNGO団体で(同年代の)外国人研修生のために料理や掃除を行うなど住み込みの仕事をしている。収入は食事付きで1ヶ月40ドルである。

(Munyarwaの暮らす)Nyaruguru郡で虐殺が始まった頃、Munyarwaの家族は地元の教会に逃げ込んだ。しかし、フツ族の民兵組織(インテラハムウェ)は教会を包囲し、窓から侵入して次々に人々を殺害したという。

IPSとの取材の中でMunyarwaは消え入るような小さな声で、苦悩に顔を歪めながら応じた。「私の母と2人の姉は手榴弾で死んだ。妹と私は無我夢中で走り、他の人々のあとを追ってブルンジ共和国まで逃げた」

6ヵ月後、彼らがルワンダに戻った時には学校などどうでもよかった。ルワンダ政府は若者に学費を支給したが、それ以上のことはしなかった。

Munyarwaは「本当に必要なものは靴と鉛筆、そして食糧だ」と語った。彼の家族は勿論これらを買うことはできなかった。そこで彼は、他の孤児仲間と共に道端でタバコやビスケットを売った。その後、料理・掃除・洗濯など住み込みの仕事もした。

Emmanuel Ngabanzizaは小学校の頃、授業中に騒ぎたくなることもあったと告白する。しかし、彼の父は厳格で、成績が下がればよく彼を殴っていたという。

大虐殺が勃発した当時、Ngabanzizaの両親は幼い彼の目の前で射殺された。彼と6人の兄弟・姉妹は家に逃げ込んだが、そのうち4人は銃で次々に殺害された。Ngabanzizaと2人の姉は村人たちと共にブルンジへ逃げた。

Ngabanziza はIPSとの取材に応じ「(我々を含む)約150人が野原を抜けて走ったが、そこにはすでにナタを持った多くの民兵が待ち構えていた。ブルンジに逃げることができたのは50人ほどだったと思う。残りは皆殺された」と話した。

ブルンジの難民キャンプで4ヶ月を過ごした後、Ngabanzizaはルワンダに戻り、学校にも行った。しかし、学校での成績は芳しくなかった。

「私はこれまでの悲惨な経験からすっかり意気消沈し、精神的にも不安定になった。しかし、こんな私を助けてくれる人はいなかった。学校から取り残されたような気分になった」と語る。

虐殺を逃れたルワンダの若者の中には、自分の生活を何とか軌道に乗せようと努力している者もいる。

Serge Rwigamba(26)はこれまでの自分の人生を3つに分けて振り返った。(1)大虐殺勃発以前の気楽な幼少期、(2)殺戮の中で体験した恐怖の時代、(3)現在の生活。

(1)Rwigambaは小学校の頃、ルワンダの民族的背景について全く知らなかった。ある日、先生がフツ族の生徒は起立するように指示した時、Rwigambaも立った。(当時、フツ族の生徒はサッカーが上手で生徒の間で人気があったからだ)。しかし、フツ族の先生は直ぐに彼に座るよう指示。そのとき初めてRwigambaは自分がツチ族であることを知ったのだ。

(2)大虐殺勃発時、13歳のRwigambaはキガリのSaint Famille教会で身を潜めていた。ツチ族とわかれば民兵によって引っ張り出され、射殺・撲殺されるためだ。Rwigambaは女性用のスカートで顔を隠していたため、危機一髪のところで命拾いした。しかし、彼の父と兄は殺害された。

(3)現在、RwigambaはKigali Free Universityの学生で『Kigali Genocide Memorial(キガリ虐殺記念館)』のガイドを務めている。彼は今も悲惨な暗い過去の記憶に苦しんでいる。

Rwigambaは25万8,000人の死者が眠る14箇所の共同墓地を眺めながら、「私の父と兄もこの墓地のどこかに埋葬されている。私はここで働くことができて幸せだ。毎日、彼らに会うことができるから」と取材に答えた。

虐殺の責任者を許すことができるかという質問に対しては、(多くのルワンダの若者と同様)Rwigambaも口を閉ざす。

「我々は天使ではない。『人間』なのだ。その質問は、まるで我々が『人間』ではないかのように振舞えと言われているのと同じだ」と述べた。

Rwigambaは他の若者よりも幸運なほうだ。彼の母親は虐殺を逃れ、その後赤十字で仕事を始めた。そして現在、彼女は仕事を引退したためRwigambaの学費を出すことができない。しかし、Rwigambaの記念館での仕事の収入は1ヶ月240ドルであるため、これらの費用を賄うことはできる。

Rwigambaは自分が(他の若者と比べると)幸運なほうであり、同じ境遇の仲間のことを共感できると語る。しかし一方で、彼は「虐殺を生き抜いてきた若者はけじめをつけるべきだ」と話す。「収入を得ることができるよう、彼らに対して少しでも仕事をするよう促していくべきだ。彼らこそが率先して悲劇を乗り越えていかなければならない」と述べた。

一方、希望を見出せない若者の多くは『言うは易し、行なうは難し』と話す。Munyarwaは「人生が変わっていたら思うが、(実際にどのように変わるのかと問われれば)私にもわからない」と述べた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

|人権|西側諸国の身勝手な“民主主義”解釈

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は1月31日、「西側政府が主張する“民主主義”は、政治的/経済的利益を優先し、明らかに市民の政治的/社会的権利を妨害する身勝手でいい加減なものである」とする年次報告書『ワールド・レポート』を発表した。 

米国およびEUは、選挙実施を援助提供や関係強化などの基準としているが、同報告書は、単に選挙を実施するだけでは民主国家は生まれないと主張する。 

HRWのケネス・ロス氏は、「ワシントンおよび欧州政府は、“勝利者”が戦略的/経済的に役立つと思えば最も疑わしい選挙でさえ受け入れるだろう」と語る。その最たる例がブッシュ大統領のムシャラフ大統領支援である。ロス氏は、「疑いの声もなくエジプト、エチオピア、カザフスタン、ナイジェリアのリーダー達を民主主義者と讃えては、民主主義思想を貶めることになる」と言う。

 民主改革の基盤を選挙実施に置く議論は1980年代初めのレーガン政権時代に始まった。レーガン大統領は、エルサルバドルの軍事政権に対し行っていた軍事援助を主とする数億ドルの支援を正当化するため、同議論を利用したのだ。(レーガン時代に国務省の人権担当長官補であったエリオット・エイブラズは、ブッシュ政権のグローバル・デモクラシー戦略のための国家安全保障顧問を務めている) 

ロス氏は、「西側諸国は、民主主義を機能させる報道の自由、集会の自由、権力に真の異議申し立てを行うことが可能な市民社会の活動といった重要な基準を忘れている」と指摘する。 

選挙についても西側諸国のご都合主義は明らかだ。ロス氏は、「米政府の民主弾圧批判は、イラン、ビルマ、キューバといった長年の敵対国、孤立国に向けられ、サウジアラビア、チュニジア、エチオピア、エジプト、ヨルダンといった国々を除外している」と述べている。ヒューマンライツ・ウォッチの年次報告が指摘する西側大国のご都合主義的民主主義解釈について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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2006年の戦争で失われた市民の命

【国連IPS=ハイダー・リズヴィ】

ロンドンを本拠とする国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは、2006年のイスラエルとレバノンとの戦争に関してイスラエルが行った調査結果について、レバノンの民間人に対する戦争犯罪を無視しているとして異議を唱えている。 

イスラエル政府の軍事行動に関するウィノグラード調査委員会の報告書は1月30日に発表された。退官判事のエリヤフ・ウィノグラード氏が議長を務める委員会は、戦闘には明確な戦略がなく、政府の重大な失策だったと報告した。 

だがヒズボラの兵士とレバノン市民を判別できなかった理由については言及されていなかった。 

アムネスティはイスラエル軍の重大な国際人道法違反が取り上げられておらず、戦闘に関係のない市民の殺害や民間資産、社会基盤の理不尽な破壊が調査されていないと批判している。イスラエルは戦争犯罪を否定し、ヒズボラの武装勢力もイスラエル市民への無差別攻撃を行ったと主張している。

 停戦直前にイスラエルから浴びせられた1800発のクラスター爆弾は不発弾を大量に残したため、戦争終結後も多くのレバノン市民が被害にあっている。報告書がクラスター爆弾の使用は合法的だが規律や管理に問題があったとするのに対し、アムネスティはイスラエルにクラスター爆弾の禁止と不発弾の除去作業への協力を求めている。 

さらにアムネスティは権限を持つ調査委員会が証人喚問や処罰請求を行っていないことを非難した。テルアビブ大学の政治学のペレド教授は「調査委員会は、期待通りに、失策のごまかしと政治家の責任逃れを手助けするという役割を果たした」という。 

国際人道法違反の嫌疑はイスラエルを中傷するプロパガンダだと調査委員会は主張しているが、アムネスティはイスラエルの攻撃で犠牲となったのは多くの子供を含むレバノン市民であると結論し、2006年11月の国連の調査委員会もイスラエルは民間人と戦闘員を区別しなかったという報告を行っている。 

アムネスティが非難するイスラエルの戦争調査委員会の調査結果について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

HIV/エイズの脅威に晒される移民たち

【タショロトショ(ジンバブエ)IPS=イグナチウス・バンダ】

ブラワヨ市内から南東へ約150km、マタベレランド州の辺境地の1つタショロトショ(Tsholotsho)では職を求めて周辺国へ出稼ぎに行こうとする若者で溢れている。しかし、家族を養うために故郷を離れた彼らを待ち受けているのは、HIV/エイズの脅威である。 

WHO(世界保健機関)など現地の専門家によると、サハラ以南諸国での移民の増加はHIV/エイズの感染拡大を助長する原因になっており、移民労働者の生活の長期化や(農村部での)コンドーム使用率の低さなどがその背景にあるという。

 国連の統計では、ジンバブエの平均寿命は女性が34歳、男性が37歳と世界で最も低い。  

『南部アフリカ地域貧困ネットワーク( Southern African Regional Poverty Network: SARPN )』が発表した報告書(『Mobility and HIV/AIDS in Southern Africa』)も、ジンバブエの移民労働者は複数の性交渉相手を持つ場合が多いことや、男性のコンドーム利用が定着していないことを指摘。 

ジンバブエでは経済危機のあおりを受けて多くの人々が職を求めて近隣諸国に移動している。同国政府は昨年、HIV/エイズの罹患率が減少したと発表した。しかし、国連開発計画(UNDP)やWHOは移民の増加の影響で正確な数値を得ることは難しいとして、政府側の公式発表には疑問があると論じた。 

タショロトショで活動するNGO職員Maria Guyu氏は、若者の移民労働者の急増がHIV/エイズの感染を一層拡大させていると主張している。「タショロトショのような町には、(抗レトロウイルス薬など)十分な治療薬も無ければ、医者や看護士、(患者に必要な)食料さえも不足している」と農村部を取り巻く厳しい現実を嘆いた。 

HIV/エイズの蔓延が深刻化するジンバブエの辺境地について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

|国連|子ども自爆兵を懸念

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国連はアフガニスタンやイラクで増加の一途をたどる子どもを巻き込んだ自爆攻撃について『大いなる懸念』だとしている。 

30日(水曜日)国連が発表した45ページにわたる報告書『Children and Armed Conflict(子どもと武力紛争)』には、「これは比較的最近の傾向である。国連は紛争に巻き込まれた子どもに関する極めて憂慮すべき数件の事例を記録した」としている。 

さらに、イラクのアルカイダやその民兵、アフガニスタンのタリバンを名指しした上で「国連はこのような組織と問題解決のためのいかなる取引も行うことはできない」と述べている。 

国連人権委員会特別報告者ラディカ・クマラスワミ氏はIPSとの取材に応じて「子どもを巻き込んだ自爆テロは多くの新たな問題をもたらしている」と指摘した。

 「我々はこの問題にどう対処すべきか、今現在、取り組んでいるところだ」 

 クマラスワミ氏は、次の3点について疑問を投げかけた。「第一に、(戦争捕虜に関する扱いを規定した)『ジュネーブ条約』において、自爆テロ犯は『戦闘員』と見なされるのか?自爆テロを起こす可能性のある人間を『兵士』と見なすことができるのか?あるいは、これらの自爆テロ犯を『子ども兵士』と判断していいのか?」 

「第二に、『安保理決議1612』の目的は軍司令官と行動計画を締結し、子ども兵士を解放することである。しかし、自爆テロ犯やテロを起こす可能性のある人物に関して、これをどのように進めていくべきなのか?」 

「最後に、子ども兵士を徴用している政府や他の武装組織などと同様に、自爆テロを実施する(アルカイダなどの)武装グループが、子どもの解放を巡り我々国連との話し合いに応じる可能性はかなり低いだろう。この問題は、国連と武装組織との協議によって解決できる問題なのか?また各国政府はこれを許可するだろうか?」 

「政府の許可を得ることができさえすれば、我々は話し合いができるのだ」 

しかし、アフガニスタンのカルザイ政権は現在、国連など国際組織に対してタリバンとの一切の協議を許可していない。 

先月、EUの職員(英国人)と国連職員(アイルランド人)の2名が激しい戦闘の続く南部ヘルマンド州のタリバン側との協議を行おうとしたことを理由に、アフガニスタンから退去させられた。 

(来月12日の国連安保理の議題に上る予定の)同報告書によると、現在世界の約13カ国(ブルンジ、チャド、コロンビア、コンゴ民主共和国、ビルマ、ネパール、フィリピン、ソマリア、スリランカ、スーダン、ウガンダ、アフガニスタン、中央アフリカ共和国)で政府や武装グループが子ども兵士を利用しているという。 

一方、コートジボワールでは現在子ども兵士の事例は報告されておらず、シエラレオネでも武装解除により子ども兵士が解放されたため、国連のリストにも上がっていない。 

国連は、ウガンダ、スリランカ、スーダン、ビルマで現在も子ども兵士の解放に向けた取り組みを行っているところだ。 

クマラスワミ氏は30日の記者会見で、「世界中で今もなお約25万から30万人の子供兵士がいる。そして、我々は子ども兵士を取り巻く戦闘の形態が変化してきていることを心配している」と語った。 

同報告書は、最近多くの子どもが『テロの実行犯』になっていることや、時には子どもが敵からの攻撃を防ぐための『人間の盾』にされる場合もあると伝えている。 

自爆攻撃などの激しい戦闘で子どもを徴用し、利用するケースも目立ってきている。 

アフガニスタンのホースト州で昨年2月、12歳と15歳の少年が自爆テロを行い警備員1名が死亡、市民4名が負傷した。さらに、14歳の少年が州知事を暗殺するため、自爆攻撃用ベストを着用して歩いているところを逮捕された。 

昨年5月には、自転車に乗った14歳の少年がイラクのハディーサで自爆攻撃用ベストを爆発させ、巡回中の警察官3名が死亡した。 

また、武装組織の新たな作戦として、車による自爆攻撃で子どもを囮にする事例も報告されている。 

同報告書はイラクでは戦闘により犠牲になる子どもの数は増え続けていると伝え、さらに、現在報告されている自爆攻撃の一覧表を掲載。子どもの死傷者数はほぼ毎日伝えられているとしているが、まだ今のところ信頼性のある統計値ではないとしている。 

「住宅街を狙った迫撃砲による無差別攻撃や、自爆攻撃(特に殺傷能力の高い自動車爆弾)の犠牲者には多数の子どもが含まれている」と説明している。 

クマラスワミ氏は、記者に対して「アフガニスタン、イラク、タイで増加している宗教とは無関係の『学校』をターゲットにした攻撃にも懸念している」と述べた。 

 このような学校への攻撃は『教育の推進』に反対する一部の武装組織が行っている。2006年8月から2007年7月の間に、学校を狙った攻撃は少なくとも133件あったという(死亡者10名)。 

さらに、学校の中でも女子高が特に狙われており、女子生徒や女性教員への計画的な攻撃が多発している。 

アフガニスタンでも学校機関、特に女子教育の促進を妨害するため女子高をターゲットにした(武装グループによる)攻撃が相次いでいる。 

ユニセフ(国連児童基金)はイラクでは現在子どもの就学率は30%であると予測している。 

同報告書では特に痛ましい事例として昨年起きた以下の事件を挙げている。 

昨年1月、バグダッド西部のal-Khuludの女子中等学校で迫撃砲が打ち込まれ生徒5人が死亡、21人が負傷した。 

5月と6月には、バクバで女子の学校機関を狙った3件の攻撃が発生。 

タイでは、73名の教師が死亡し、100を超える学校が焼き払われた(昨年6月だけでも11校が全焼)。このような卑劣な行為は全て『武装分子』によるものだ。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 


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