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国籍はあっても家がないという不安定な境遇

【国連IPS=サイモン・シュネラー】
 
戦争や人道的災害により故郷を逃れながら自国内に住む1200万人のいわゆる「国内避難民(IDPs)」が、アフリカで法的、人間的悲劇に直面している。

国連緊急援助調整官で国内避難民連絡部担当のデニス・マクナマラ氏は、「国内避難民問題はアフリカで対応が遅れているもっとも重大な問題であり、スーダン、ソマリア、コンゴ民主共和国、ウガンダ、ブルンジなどの国で住居を追われている人々への早急の対策が必要だ」と語った。

  たとえばスーダンでは政府と南部に拠点を置くスーダン解放運動(SLM)との20年にわたる内戦で400万人が故郷を逃れたとされており、世界でもっとも大規模な強制退去問題となっている。

2005年1月に両者が和平協定に調印してから多くの人々が南部の故郷に帰還したが、故郷は「最貧の状態」だとマクナマラ氏はいう。

「10数年前に故郷を武力で追われてハルツームのスラム住民となった200万の人々もこれから南部に帰還することになるだろうが、今度はジュバの新しいスラム住民となるにすぎない。ジュバを訪れたことのある人には分かるだろうが、ジュバのスラムはハルツームよりもさらに劣悪な環境にある」とマクナマラ氏は最近の国連での記者会見で述べた。

難民と定義されるのは故郷を逃れて国境を越えた人々であり、国際的な保護や支援を受ける資格がある。しかし世界の国内避難民2350万人に対する保護の問題はより難しい。

「国内避難民が難民と同じような法的立場を得られる可能性はほとんどなく、それは主に政府が国家主権と内政不干渉という原則が弱まることを恐れるからだ」と国際強制退去監視センターのJens-Hagen Eschenbaecher氏はIPSの取材に応じて語った。

Eschenbaecher氏によると、政府自体が強制退去の最大の責任者となるケースもあった。

1950年から難民は「難民の地位に関する条約」という特別の条約の下に保護されてきた。けれども国内避難民には国際法を反映しながらも法的拘束力を持たない「国内避難の指針」という取り決めしかない。国内避難民の支援を使命とする国連機関もない。国内避難民の支援義務があるわけではない国連難民高等弁務官が国内避難民問題を随時担当している。そのために国内避難民が難民よりも重要でない扱いをされているという非難を生んでいる。

「安保理と支援国が自国民を守れない政府に昨年の国連サミットで採択された国家の国民保護の責任を果たすよう求めて行動を起こすことが必要である」とEschenbaecher氏はいう。

「同時に現場における国際社会の強い存在感が求められる。それには国連の機関、NGO、そして特に十分な兵力と権能を備えた平和維持軍などの活動が含まれる」

マクナマラ氏は国連が国内避難民に対して「十分に手を尽くしていない」ことを認めた。

「人道的な活動は比較的に簡単だ」とマクナマラ氏はいう。年間40億ドルが人道支援活動に必要であるが、さらにその10倍の金額が強制退去させられた人々が戻らなければならない破壊された地域の再建のために必要になる。

「国連開発プログラム(UNDP)、世界銀行、支援国からのさらなる援助が、貧しく悲惨な国内避難民の生活を立て直すための、いまだ不十分な、具体的で目に見える長期的な基本的サービスに対する現実的な投資を行うために必要なのだ」とマクナマラ氏はいい、畜産や所得創出プロジェクトなどの開発プロジェクトを行うよう求めている。

国内避難民を抱えた国でこの問題のために活動するNGOは少ないが、主に避難所、トイレ、洗濯場、食料、基本的な医療サービス、教育などの差し迫ったサービスを提供している。多くの地域で国内避難民の人道的支援、保護、安全は十分ではない。

リリーフ・インターナショナルの上級プログラム担当官、Silja Paasilinna氏は「人々は毎日生きているだけで精一杯の状況だ。(スーダンの)ダルフールではすべてが足りない」とIPSの取材に応じて語った。

国連によるとダルフール地方の国内避難民は160万人、隣国のチャドに逃れた難民は20万人を超えている。政府主導のキャンペーンにより主に紛争地域の非アラブのアフリカ人が強制退去となり、20万から40万の人々が死亡したとされている。
 
マクナマラ氏は国内避難民にとって安全が一番の問題だとし、7800人の平和維持軍は貴重ではあるが「この問題の重大性に対して十分ではない」と指摘した。

「国内避難民に何とか食料を配ってはいるが、適切な保護はまったくできない。全体的な保護が必要とされているにもかかわらず現場に保護のための十分な人員がいないので、危険をともなう第一線に人道支援を行う人々を置かざるをえない」

Paasilinna氏は「安全が脅かされそうなときにはスタッフを引き上げなければならない。たとえば医療と栄養を提供する活動が行われていて二つの国内避難民収容所のあるTawillaは12月からほとんど立ち入り禁止地域になっている」という。

「双方の側から車を乗っ取られたり、拘禁されたり、嫌がらせを受けたりしてきた。後で謝罪されるケースが多いが、スタッフは生きた心地がしない」

昨年9月にはダルフール地方の西にあるSeleiaという町で国内避難民収容所が襲撃を受け、29名が死亡し、収容所にいたほとんどの人々、4000人から5000人が周辺に逃げ出した。

昨年12月にマクナマラ氏はインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に寄稿し、「大量の国内避難民は恐ろしい犯罪に巻き込まれやすく、大虐殺、拷問、性的暴行、隷属化などの被害者となることが多い。子供も拉致、軍隊への強制的な入隊、性的暴行、死の恐怖に脅かされている」と訴えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

ネオコンがアルカイダ掃討へのイランの協力を妨害するまで

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【ワシントンIPS=ガレス・ポーター】

2001年末から2002年初頭にかけて、米国とイランは、アフガニスタンのアルカイダとそれを支援するタリバンとの戦争に緊密な協力体制にあった…ドナルド・ラムズフェルド国防長官が協力阻止に介入するまでは…と当時関係していた政府高官が明らかにした。

9・11同時多発テロ後、アフガニスタン戦争の準備に当たっていた米政府担当高官らは、タリバン追放とアフガニスタンの安定政権の樹立に、イランの協力を必要としていた。イランは、米国が消極的であった時期に、「北部同盟」による抗争を組織し、武器と資金を供与していた。

「イランはアフガニスタンの重要な影響勢力と親密に接触し、米国との協調において自らの影響力を建設的に活用しようと準備していた」と、当時国家安全保障会議(NSC)の中東問題担当上級幹部であったフリント・レヴェレット氏は、IPSの取材に応えて当時を振り返った。

 2001年10月、アフガニスタンでの軍事行動を前に、米国務省とNSC高官は、国連アフガニスタン支援ミッションを率いるラクダール・ブラヒミ国連事務総長特別代表の主催で、パリとジュネーブにおいてイラン外交官と秘密裏に会合を持った。「議題は、いかに効果的にタリバンを掃討し、アフガン政権を樹立するかだった」とレヴェレット氏は述べている。

11月中旬にタリバンをカブールから一掃できたのは、主にイランが支援していた北部同盟軍の功績である。2週間後、アフガン各派は国連主催のボン会議で後継政権に合意した。

その会議で、北部同盟は暫定政権の60%のポストを要求、これが他の各派の合意を阻んだ。ジェームズ・ドビンズ米特使によれば、北部同盟代表の説得に「決定的な役割」を果たしたのがイランであり、ボン合意に「テロとの戦争」の文言を盛り込むことを主張したのもイランであるという。

米政府官僚は、アフガンの安定化のみならず、アルカイダの掃討においてもイランと協力の機会があったことを認識していた。2004年10月22日付けのワシントンポスト紙が報じているように、国務省の政策立案担当スタッフが2001年11月末に、アルカイダとの戦いにイランとの協力を図るためより正式な取り決めを提案すべきであるとの提言を論文に記している。

そうした協力とは、すでに国境を越えてパキスタンやイランに移動し始めていたアルカイダの戦闘員や指導者を捕らえるための国境付近の掃討作戦の調整ばかりでなく、イラン政府との秘密情報の交換を含むものだった。ワシントンポスト紙の情報源によれば、CIAも、ホワイトハウスのW・ダウニング・テロ対策担当責任者も協力の提案に同意したという。
 
 しかし、アルカイダに対するこうしたイランとの協力は、ホワイトハウスと国防総省の反イラン派の優先事項ではなかった。調査報道で著名なボブ・ウッドワードが著書『攻撃計画(Plan of Attack)』に、アフガニスタンを巡る問題を扱うイラン政策に関する省庁間委員会の議長を務めていたスティーブ・ハドレイ国家安全保障担当補佐官が、ホワイトハウスが1月のブッシュ大統領の一般教書演説でイランを「悪の枢軸」に加える意向であることを知った経緯を詳述している。

ハドレイは当初その案に難色を示したが、イランを含める必要があるとブッシュ大統領から直接聞かされた。12月末には、ハドレイは、アルカイダ情報とイランが捕らえたアルカイダ・メンバーの本国送還を求めてイランに圧力をかけるものの、諜報はイランと共有しないことを、国務省、CIA、ホワイトハウス・テロ担当室の提言に反して決定した。

イランがアフガニスタンにおける米国の目的に反対し、テロとの戦いへの協力を拒否しているとして、米政権強硬派が対イラン政策をブッシュ大統領と世論に提示したのは、その決定の直後である。これは、直接関与してきた高官らが実際目にした状況とは正反対のイランの姿であった。

2002年1月11日付けのニューヨークタイムズ紙は、イランがタリバン後のアフガニスタンにおいて米国との戦いにアルカイダ戦士を利用しようと、逃亡するアルカイダ戦士に隠れ場所を提供している、とのペンタゴンと諜報機関職員の発言を報じた。同じ日、ブッシュ大統領は、「イランは対テロ戦争において貢献者でなければならない」と断じた。

「我が国は、テロとの戦いにおいて、『我々の敵か味方か』のドクトリンを掲げる」とブッシュ大統領は述べた。

当時情報に通じていた高官は、「アルカイダの安全な隠れ場所」容疑は諜報機関による正当な分析に基づくものではなかったと認めている。

「その容疑を裏付ける情報は承知していなかった」と、アフガニスタンに関する協力について当時まだイラン高官との接触の中心にあったドビンズ米特使も想起する。「そのような情報があったのであれば、必ず目にしていたはずだ。彼らがアルカイダに隠れ場所を提供していたなどという話は一切聞いていない」

イランはすでに、米国側の要請に応えてアフガニスタン国境の兵力を増強していた。2004年にワシントンポスト紙が報じたように、イランのジャヴァド・ザリフ副外相は、調査報告書を、アフガニスタンを逃亡しすでに拘束されたアルカイダのメンバーと思われる290人の写真を添えて、2月初頭にコフィ・アナン国連事務総長に提出した。

ニュース報道によれば、その後、何百人ものアルカイダおよびタリバン拘留者が、サウジアラビア、アフガニスタン、その他アラブおよび欧州諸国に送還された。

強硬派は、イランはアルカイダのトップ指導者を引き渡さなかったと非難するだろう。だが、米国こそ、アルカイダの問題を話し合うべき高官、すなわちイランの諜報機関と安全保障担当省庁との情報交換をその当時拒否したのである。

また、同じ政府高官が、「イランは、タリバンとの戦争においてアフガニスタンの同盟者に武器を供与してアフガニスタン西部の国境地域において影響力を行使しようとし、これは暫定政権ならびに米政府のアフガニスタンにおける長期的利益を損なうものとなりうる」とタイムズ紙に語っている。

しかし2002年3月、イランの高官は、アフガニスタンの安全保障上のニーズに関する国連会議中ジュネーブでドビンズ特使と面談。ドビンズ特使は、イランの代表団は、タリバンとの長期にわたる戦闘中北部同盟への軍事援助の責任者であった軍司令官を同行していたと当時を振り返る。

司令官は、新生アフガニスタン軍の2万もの新兵のために訓練、制服、装備、兵舎の提供を申し出た。それも、これらのすべては、イランの管轄下での別個のプログラムの一部としてではなく、米国の指導下で行なわれるというものだった、とドビンズ特使は当時の事情を説明する。

「後にイランは、米国への意思表示としてこれを行なったと認めた」とドビンズ特使は語っている。

ワシントンに戻った特使は、アフガニスタンにおける新たなレベルでの協力の機会と捉えたことを政権中枢のメンバーに伝えた。当時のコリン・パウエル国務長官コンドリーザ・ライス大統領補佐官、そしてドナルド・ラムズフェルド国防長官に直接説明したという。特使は「私の知るかぎり、返答は一切なかった」と語っている。

(* ガレス・ポーターは歴史学者で、国家安全保障政策のアナリスト。最新の著書『Perils of Dominance: Imbalance of Power and the Road to War in Vietnam(優勢の危険:力の不均衡とベトナム戦争への道)』が2005年6月に刊行されている。)(原文へ

翻訳=IPS Japan 

|カンボジア|国際的ドナー、汚職撲滅を要求

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール

「政権を取るには下院の3分の2の多数を占めていなくてはならない」とのカンボジア憲法の条項が3月2日に改正され、フンセン首相率いるカンボジア人民党(全123議席中73議席)が晴れて政権の座に着いた。

同時に、フンセン氏にとってもう一つのうれしいニュースが舞い込んだ。3月2日から3日にかけて行なわれていた、カンボジアに対する国際ドナーから成る「協議グループ」の会合において、今後1年間に6億ドルの支援を行なうことが決定したのである。カンボジア政府が要求していたのは、5.13億ドルであった。国際援助は、カンボジア国家予算のおおよそ半分を占めるほど巨大なものだ。

 だが、協議グループは国際援助に3つの条件を課した。すなわち、包括的な汚職撲滅法の制定、司法改革、自然資源の破壊防止である。汚職・不正に関しては、土地の横領・違法森林伐採・リベート要求などが問題となってきた。

米国際援助庁(USAID)が2004年に出した報告書では、不正行為によりカンボジアでは毎年5億ドルが失われている、と指摘されている。
 
 市民団体からも批判の声が上がっている。「トランスペアレンシー・インターナショナル(TI)」の「2005年腐敗指標」によると、カンボジアは158ヵ国中131位に位置している。18のNGOから成る「カンボジア人権行動委員会」は、「汚職撲滅委員会」の設置を求める声明を発している。

また、「ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)」など5つの地域・国際団体が今回のドナー会議の直前に送った書簡では次のように述べられている。「官僚や強力な一族が広く土地を差押さえ、これに人権侵害がともなっている。昨年3月には、5名の村人が射殺された」。

汚職体質のカンボジア政治に対する国内外からの批判について紹介する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan



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憲法改正で各党合意か

墓標のない墓:米国国境を越えた不法移民をとりまく苛酷な状況

【メキシコシティーINPS=ディエゴ・セバージョス】
 
性別年齢国籍不詳、死因は溺死、2005年10月米国南部国境。これは1人の中南米移民の残した殺伐とした記録である。同様に目的を達しないままに死亡した数千人が、墓標のない墓に眠っている。

この犠牲者は人権連合/国境なき先住民同盟が2004~2005年に米国アリゾナ州で作成したリストに記載された280人のうちの1人である。

 
1993年以降、米国メキシコ国境では3,800人以上が死亡しており、そのうちの1,000人あまりが墓標のない墓に埋葬されている。
 
 中南米カリブ諸国から厳しい国境警備をかいくぐり、あらゆる手段で米国へ、あるいは別の目的地への入国を試みながら、多くの人々が死亡した。荒涼たる砂漠で迷い息絶えるものもいれば、荒れた海で難破するもの、殺されるもの、船のコンテナやトラックの荷台で窒息死するものもいる。正確な人数は把握できないが死亡者の数は確実に増え続けている。

「墓地に空きがなくなってきたために、ある役所(アリゾナ)は身元確認できない移民の死体を火葬するという話も聞いている」と非政府組織の人権連合/国境なき先住民同盟のコーディネーターであるカタリナ・ロドリゲス氏は、IPSのアリゾナへの電話による取材に応じて語った。

最近の事件では、1月に換気の悪いトラックの荷台に隠れて隣国のドミニカ共和国へ向かう途中で25人のハイチ人が窒息死した。

調査によるとこの地域的な移住現象による犠牲者は、主にキューバ、エクアドル、グアテマラ、ハイチ、ホンジュラス、メキシコ、エルサルバドル出身が多い。

米国を目指して海を渡ろうとしたキューバ人の100人に15人は死亡し、遺体はまったく発見されないことがほとんどだ。昨年は乗っていた船が沈んで31人のキューバ人が行方不明になった。

極端なケースでは、輸送サービス会社のDHLがバハマから送った木箱に入って若いキューバ人女性が米国に到着し、政治亡命者として米国に受け容れられた。

2005年からメキシコ外務省は、必要な書類をもたずに人身売買組織である「コヨーテ」と呼ばれる不正密輸業者に連れられて、米国へ不正入国することの危険性を警告する冊子を、国境地域や空港で配布し始めた。

そのうちの一冊である「メキシコ移民ガイド」は道中の危険を指摘し、安全に関する助言を掲載し、外国で拘束された人の権利について解説している。さらに居住許可を持たずに米国で生活する間はどう行動すべきかまでアドバイスを行っている。

エクアドルも今年1月からメディアを通じて同様のメッセージを伝え始めた。その目的は「人々に不法入国と人身売買組織を信頼することの危険に気付かせることだ」と政府は公式声明を発表している。

だがこうした警告も危険も、移住を望む人々を引き止めることはない。

26歳のメキシコ人ラウルは、頑固に米国に行こうとする意思を変えようとしない。「一度は米国の国境警備隊に送り返され、次にコヨーテに身ぐるみはがされたが、すぐにもう一度挑戦するつもりだ」とラウルはいう。

32歳の匿名を望んだキューバ人も同じようなことをいう。「7回(キューバから不法に米国に入国しようと)挑戦したが、いつも何かがうまくいかなかった。けれども入国できるまであきらめない」とこの人物はIPSの取材に応じて語った。海上で米国の沿岸警備隊やキューバ当局に阻止されたり、手作りの船が壊れたりすることもあったという。

2月20日には98人のエクアドル人が漁船に乗って中米を目指したが、途中で阻まれて送り返された。計画では中米から陸路で米国に達するはずだった。他にこのグループには24人のペルー人、1人のドミニカ人、3人のアジア人も含まれていた。

昨年の8月には94人のエクアドル人が中米に向かう途中で船が沈んで溺死した。15人乗りの船に103人が乗り込んでいた。

「まずコスタリカ、グアテマラ、メキシコを目指して、最終的な目的地の米国に入国する前にそこで命を落としたり、見捨てられたりする場合もある」とエクアドルの国選弁護人事務所のイバーン・グランダ広報官はIPSの取材に応じて語った。

エクアドル移民事務所は1990年代の半ばから数万人のエクアドル人が米国と欧州に移住したと報告している。IPSの取材によると、2002~2005年には496人の移民の遺体が本国へ送還されてきた。

人権連合/国境なき先住民同盟のロドリゲス氏は、アリゾナ州の荒涼とした砂漠が広がる国境地帯では、「状況は確実に悪化しており、毎年命を落とす移民は増え、遺骨だけしか発見されないなど、身元確認がきわめて難しい」と語った。

犠牲者の出身地、名前、国籍などの身元確認は困難なことが多いため、墓標のない墓地に多くの移民が埋葬されることになる。火葬されてしまえば家族が犠牲者に何が起きたのかを調べようとしても何のてがかりもなくなる。

この問題に対処するためにメキシコ政府は2004年末に、遺体を特定して身元を突き止めるシステム、米国との国境地帯で死亡したものと行方不明になったものの情報と写真を記録したコンピュータープログラムを作成した。

このシステムを利用して検索を始めるために、およそ11,000人のメキシコ人家族が既に多くの情報を書き込んで申し込んでいる。発見された290の遺体の写真が掲載されているファイルも閲覧されているが、その中には遺体発見時に腐敗が進んでいて性別も分からない写真も44枚ある。

米国への入国を何とか達成しようと、多くの人々は拘束されないように、川を渡り、灼熱の砂漠を歩き、汽車やトラックの荷台に隠れる。

しかし移民の多くはメキシコで米国へ向かう道中最大の障害に遭遇する。

メキシコは昨年235,297人の密入国者を本国に送還した。多くはエルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラスからの密入国者だった。

メキシコ当局は2005年に国内で200人の移民の死体が発見されたと報告している。さらに政府の人権委員会は2005年末に、中米からの外国人はメキシコで「深刻な社会的疎外と不当な扱い」に苦しんでいると報告した。

米国の中南米からの移民はメキシコ人が最多であり、メキシコは他の中南米からの移住者が通過する国でもある。

メキシコ政府の報告書によると2005年にビザなしで米国に入国した移民は40万人以上、拘束され強制送還されたものは100万人にも上る。

翻訳/サマリー=INPS Japan 

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米国、来年も移民抑制政策か

ディエゴ・セバージョスの記事

バイオテクノロジー推進の危険性とは

【ブルックリンIPS=スティーブン・リーヒ

世界の指導者たちは、生物テロ対策とバイオテクノロジー推進との間の矛盾を解決すべきだ――これが、トロント大学生物倫理共同センターの報告書『平和のためのDNA』の結論である。

バイオテク・ナノテクの研究所は世界中に広がっている。ブラジルだけでもそうした研究所が400以上もある。

同センターのピーター・シンガー所長は、「最先端のバイオテクノロジーやナノテクノロジーは、一般市民にとっての重大なリスクとなる可能性がある」と語る。しかし、トロント大学の報告書はむしろ、感染症対策・貧困対策などにおけるバイオテクノロジーの可能性を強調している。

 他方、ピッツバーグ大学バイオ安全センターのギギ・キウィク・グロンバール助教授は、生物テロの危険性に対する懸念はもっともなことだとして理解を示す。同氏は、「耐抗生物質バクテリアを作り出すことは、新しい抗生物質を作るよりたやすい」と語る。

さらに、バイオテク推進に対する別の方面からの批判もある。米国のNGO「オークランド研究所」のアヌラダ・ミッタル氏は、実際の生き物を取り扱うバイオテクノロジーの危険性について警鐘を鳴らしている。特に氏が懸念するのは、遺伝子操作(GE)生物の問題だ。彼女によれば、GE植物・ウィルスは、いったん環境中に解き放たれてしまうと、追跡・回収することができなくなってしまう。

そこで彼女が提唱するのが、「生物安全に関するカルタヘナ議定書」を使った、バイオテクノロジーの国際的規制である。この議定書は、GE生物の国際的移動を規制するものであるが、GE作物の90%を生産する米国・アルゼンチン・カナダがいまだに加盟していない。

バイオテクノロジーが飢餓対策に有効だといわれることもある。しかし、ミッタル氏は、インドの例を挙げながら、実は食糧そのものは不足していないと主張する。また、感染症を防ぐのは公衆衛生システムの整備であって、新しいバイオテクノロジーの開発ではないとも指摘する。

バイオテクノロジー推進をめぐる論争についてカナダより報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

ヨーロッパ、鳥インフルエンザへの不安高まる

【パリIPS=ジュリオ・ゴドイ】
 
フランスでは、H5N1ウィルスに感染した野生のカモが2月13日に初めて発見されて以来、食肉の販売額が30%以上も低下している。ベルトランド保健相は、死んだ鳥の報告や、ハトがバルコニーに降りてきたという相談などが、1日平均3,000件以上も寄せられていると語った。通常、こうした通報は日に30件ほどである。

しかし、世界保健機構(WHO)は、パニックを何とか抑えようとしている。確かに、ウィルスに感染した鳥と直接接触すると、鳥インフルエンザにかかってしまう。ただ、H5N1は熱に弱いから、よく加熱した鳥肉なら食べても問題はない。

 WHOが一番恐れるのは、H5N1が突然変異して、人体間感染が可能な新しいウィルスができてしまうことである。

2月22日、欧州連合は、フランスとオランダに対して、飼っている鳥にワクチンを投与することを認めた。ただしこれは、特定の地域においてのみ、厳しい管理の下行なわれなければならない。というのも、ワクチンを投与することによって、病気の発症を防ぐことはできるが、ウィルスを保有しているという事実に変わりはなく、健康な鳥と感染している鳥との区別がむしろつかなくなってしまうからだ。

フリードリッヒ・ロフラー研究所のトーマス・メッテンライター所長はこう語る。「抗体に直面したウィルスは、それに反応して突然変異を起こす。だから、飼っている鳥に対する広範なワクチン投与は誤っている」。

ドイツでも、ウィルスに感染している死んだ鳥がリューゲン地方で100羽以上見つかり、パニックが起こっている。国内では、6月から7月にかけてドイツで行なわれるサッカーのワールドカップを中止すべきだとの声すら上がり始めている。WHOの鳥インフルエンザ対策責任者クラウス・ストアーもこの意見に同調している。

欧州各地における鳥インフルエンザ・パニックについて報告する。(原文へ)

翻訳/サマリー=IPS Japan

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無防備なまま鳥インフルエンザに見舞われたインド

【ムンバイIPS=サンダヤ・スリニバサン】

2月18日、インド当局は、1月末の家禽類の大量死発生後、鳥のサンプルから病原性の高いH5N1型鳥インフルエンザウイルスが確認されたと発表した。西部マハラシュトラ州のナンドゥルバル地区の養鶏場ではこれまでにおよそ4万羽の鶏が死亡している。ラマドス保健相は2月20日、「事態は収拾され、人への感染は確認されていない」と国会で述べた。

州政府は、感染地区での40万から80万羽の処分とワクチン接種の計画を発表した。養鶏農家には鶏1羽当たり7〜14セントの補償が出るが、実際の養鶏経費70セントには大きく足りない。養鶏場の閉鎖に仕事を失った数千の労働者については、補償も発表されていない。養鶏場主らは、少なくとも500万ドルの損失と見ている。

 報道によれば、鶏の処分に関するWHOの予防策は守られておらず、養鶏場労働者や環境に対する基本的な保護もないまま処分が行なわれているという。

一方National Egg Coordination Committeeの委員長であり、国内の農家に販売されているひよこの75%を供給するVenkateshwara HatcheriesのAnuradha Desai会長は、死因は人への感染のないニューカッスル病だと主張、85億ドル規模のインド養鶏業界は、政府の鳥インフルエンザの発表に異議を唱えている。

世界的に著名なウイルス学者T. Jacob John氏は、「当初ニューカッスル病と推測されていたため、予防策がとられなかった。ウイルスは地域に蔓延しており、人から人への感染も起こり始めるだろう。そうなれば、世界的な大惨事に直面することになる」と警告する。
 
 ただ、ひとつの希望の兆しはインドの強力なジェネリック医薬品産業である。抗ウイルス剤タミフルの製薬特許を保持するスイスのロッシュ社は、インド企業ヘテロ社にライセンスを付与したが、他の2社シプラ社とランバクシー社も、ジェネリック版の製造を始めたもようである。シプラ社は、週当たり15万回分、1治療当たり25ドルで35,000人を治療できる量を製造でき、さらに、卸売価格16ドルで政府に供給する準備もあると述べている。ロッシュ社はインドで特許を出願しているが、政府はまだ付与しておらず、シプラ社をはじめ他社も、法的には深刻な問題なく製造できると自信を持っているようである。

世界第2位の鶏卵生産国であり、世界第5位のブロイラー生産国であるインドでの鳥インフルエンザの動向を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan


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貧困という荷を負う女性

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール

今週、貧困問題に苦しむカンボジアへの支援について話し合うために、世界の支援団体の代表たちがカンボジアに集うことになっているが、彼らが売春問題を取り上げるかどうかは分からない。

だが、支援団体から派遣されたこうした役人が、もし居心地のいい高級ホテルから足を伸ばしてプノンペンの性産業を視察に出かければ、女性問題に取り組む機関があからさまな貧困の指標と考える数字を目にすることになる。

 カンボジアの首都プノンペンで女性の権利拡大のための活動を行っているNGO、Womyn’s Agenda for ChangeのコーディネータであるR.バルベロ氏は、「800リエル(23円)というわずかな金額で売春する女性もいる」とし、「売春婦が増えてますます値段が下がっている」という。

1990年代後半にはプノンペンの売春婦は客に2ドル求めていた、とバルベロ氏は電話でのインタビューの中で明らかにし、「競争が増えて、売春婦たちがなりふりかまわず稼ごうとしていることを心配している」と語った。

貧困との戦いを伝える別の話題もある。カンボジアの成功物語として取り上げられる女性、つまり縫製工場に勤める女性の生活の質を調べる調査が増えているが、外見の華やかさと実際の窮乏との差が大きいことを明らかにしている。

カンボジアの主要な食料品の価格が跳ね上がっていて、魚の値段は昨年18%上がり、米は5%上がった。そのため、縫製工場の女性も食事の栄養価を落とさざるを得なくなった。ある女性労働者たちが調査員に打ち明けた話では、1日おきに食べていた魚を2週間おきに食べるようになったという。

「こうした女性は粗末な米とスープだけの食事という選択肢しかない」と、以前プノンペンの縫製工場で働いていたChrek SopheaはIPSの取材に応じて語り、「田舎から出てきている女性は、ふるさとの家族に送金する前に家賃も支払わなければならず、さらに大変だ」といった。

カンボジアの保健省が行った調査によると、主要な食料品の値段が上がる前の2004年でも、90%の縫製工場の女性労働者が検査の結果貧血だった。

しかしながら世界銀行は縫製工場の女性を別の観点から見ている。この部門は25万人の女性労働者を雇用し、国の輸出の80%を稼いでおり、世銀の最近の報告書は、縫製工場が1330万人のカンボジアの人々を貧困から救ってきたと賞賛している。

国際労働機関(ILO)によるとカンボジアの被服産業の輸出額は1995年の2600万ドルから2004年には19億ドルへと大きく成長している。

工場労働者の平均最低賃金は月45ドルで、残業をすれば月50ドルから60ドルに増えるので、その結果労働時間が1日12時間ということもある。

世界銀行が2月半ばに発表した「カンボジアの貧困の評価」と題する報告が、カンボジアの貧困の解消に貢献しているとするもうひとつの産業は観光である。北西部のシエムレアプ州近くのアンコール寺院のすばらしい遺跡には、特にたくさんの観光客がおしかけている。

この2つの部門のおかげで、カンボジアの貧困層は10年で47%から35%へと減少したと世銀の役人は達成を称える。この世銀にとっての朗報は、カンボジアの貧困ラインを1日1,826リエル(50円)に世銀が定めて算出したものである。

カンボジアの貧困に関する報告書の共著者であるティム・コンウェイ氏はIPSの取材に対して「状況は改善している。被服産業はこの部門の成長から恩恵を受けている人々を相対的に示しており、月に45ドルという数字は満足できるものであり、カンボジアでは十分な額だ」と語った。

「過去10年に貧困が減少したとする調査結果に大いに自信を持っている」とコンウェイ氏は付け加えた。報告書の中では、ラジオやテレビを持ち、電気を利用できるようになったカンボジア人の数が増えたことも言及されている。

世銀によると「地方で減少した」貧困は、地方の家の屋根に使用される材料の変化に見られる。草ぶきが74%から29%に減り、代わって鉄かアルミ製の屋根が6%から31%に増えた。

コンウェイ氏によると、この世銀の報告書は3月2~3日に年次諮問委員会がカンボジア支援について話し合う際に、状況を説明する資料として利用される。この諮問委員会には国際通貨基金(IMF)も含まれ、カンボジアへの援助の流れにとってきわめて重要な存在である。国際支援は過去10年間、カンボジアの国家予算の半分近くに寄与している。
 
一方世銀の最新の貧困削減の成果報告を、長期にわたったカンボジアの内紛を終結させた1991年の和平協定後に国際的な開発組織がカンボジアに課した経済計画を正当化しようとするにすぎないと批判するものもいる。

「世銀が貧困ラインとして利用している数字は、どれだけ現実からかけ離れているかを示している」とバンコクに本部を置くシンクタンクFocus on the Global Southの調査員であるS.グッタル氏はIPSの取材に応じて語り、「小椀1杯の麺でさえ800リエル(20セント、23円)する」と指摘した。

「カンボジア社会は自ら再建できないでいる。カンボジアは部外者によって考え出された特定の経済的、社会的、政治的モデルを受け容れざるを得なかった。支援国と世銀は自分たちの紛争後の再建モデルによって作り出された現実を正確に見つめる必要がある」とグッタル氏はいう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

「世界は見ている」国連が警告

【カトマンズIPS=マーティ・ローガン】
 
イアン・マーティン国連人権高等弁務官は人権委員会に提出した報告書について、カトマンズのネパール法律家協会で報告。ネパールにおける深刻な人権侵害について語った。

報告書が焦点を当てたのは、10年前のネパール共産党(マオイスト:毛沢東主義派共産主義武装組織)の武装闘争を契機とする人権侵害。マオイストとこれに対抗するネパール国軍(Royal Nepali Army:RNA)の闘争に巻き込まれ、農村部で13,000人の犠牲者を出し、負傷者は数千人、これまでに数十万人が国内難民となっている。

 現在、マオイストはネパールの人口が集中する周辺部の80%を支配し、1月3日の停戦期限切れを受けて武装闘争を再開。とりわけ農村部の住民はマオイストの襲撃におびえている。

報告書はマオイストによる明らかな処刑事案に言及すると同時に、国王軍による殺戮行為も指摘。国連人権高等弁務官ネパール事務所(OHCHRネパール)は1件ごとに犯人を特定するのは難しいとしつつ、国軍の人権侵害関与を示唆した。

また、2月8日の地方選挙に絡み政党指導者、活動家が数百人単位で逮捕されたのはネパールにとって大きな汚点とマーティン弁務官は指摘。ギャネンドラ政権に対する国際的制裁を求める声について「人権委員会を構成する各国政府の判断にゆだねる」と語った。

周辺部を支配するマオイストと、これに対抗する国王軍、さらに2005年2月1日の無血クーデターで政権を奪ったギャネンドラ政権による人権侵害を訴える国連人権委員会報告書について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー:IPS Japan
 
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憲法改正で各党合意か

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール】

カンボジアの野党「サム・レンシー党」の党首サム・レンシーが、「政権を担当するためには議会の3分の2以上の議席を保有していなければならない」と定めた1993年の憲法を改正して、単純過半数を要件とするよう提案している。フンセン首相もこの提案を歓迎している。

これまで、3分の2を確保しなければ政権を取れなかったことから、選挙後に無益な多数派工作が繰り返され、ただでさえ貧困等の社会問題に悩むカンボジアにおいて、政治が機能しなくなってしまうことがしばしばであった。

 2003年7月の選挙では、フンセン氏率いるカンボジア人民党が73議席、ラナリット派のファンシンペック党(FUNCINPEC)が26議席、サム・レンシー党が24議席であった。フンセン派が3分の2を取れなかったため、選挙後11ヶ月間にわたって政府が存在しない状態が続いたが、ラナリット派が自らのスタンスを曲げて連立政府を組むことに同意し、ようやく政治的停滞が終わったのである。

NGO「カンボジア自由公正選挙委員会」のコウル・パン・ハ代表は、この憲法改正により野党の議員が増えることになるだろうと予想し、それは望ましいことだと述べた。

しかし、カンボジア憲法がこのような柔軟性に欠ける条項を持っているのにはそれなりの理由がある、と擁護する意見もある。すなわち、大量虐殺などの負の歴史を持つカンボジアにおいて、各党派の和解を押し進め平和を実現するには、極力多くの人々が同意する形で政府を形成した方がよい、という考えであった。

カンボジアの憲法改正論議について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan